2016年2月29日

「学問のすすめ」第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
 日時:2016年1月23日(土) 14時半開場 15時~18時
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 座長 長谷部 日(新潟大学医学部眼科)
  演題1:「好きこそものの上手なれ;Tell it like it is !」
  講師 門之園 一明(横浜市立大学教授) 

 座長 安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
  演題2:「医療における心」
  講師:出田 秀尚(出田眼科名誉院長)
 

@「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
  人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。(「学問のすすめ」福沢諭吉) 

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 演題:「好きこそものの上手なれ;Tell it like it is !」
 講師:門之園一明(横浜市立大学医学部視覚再生外科学教室)
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【講演要約】
 “学問のすすめ”は、安藤先生の主催するいくつかの講演会シリーズの中でも、特に熱く人生を語るコーナーとして有名でありこれまで三宅養三先生をはじめ私自身も感銘を受けた異次元の講演会と認識している。そこで、まだ道半ばの私が依頼を受けた理由を考えてみた。それは、僕自身の特異性にあるのだと解釈している。一公立大学医学部出身の僕が頑張って振る舞っている姿が特殊なのであろう。 

 僕の専門は硝子体手術です。日本人眼科医の場合、フェローシステムがないので誰であれサブスペシャリテイ―を語るのは自由であり、仮に僕がぶどう膜ですと言っても誰も信じる人はいないでしょうが、よい訳です。ただ、1996年から硝子体手術を本格的に開始して年間数百の手術を20年以上にわたり休まずに維持し、大学の教官特に、教授職を拝命している以上は、たぶん本格的な硝子体手術の専門と一般に言って良いのでしょう。 

 僕は、1988年に横浜市大医学部を卒業して脳外科に入れて頂きましたが、あまりの徒弟制度と極め付けはクリスマスをICUで2年連続で迎え、さらに正月も病棟で迎えることになった段階で、顕微鏡手術が出来て、かつ、できるだけ脳に近い網膜に転向する決意をしました。当時の網膜は実に、これまた大変な時代でした。なにしろ、網膜剥離がなかなか治らないのです。当時、網膜剥離手術の大家、京大の塚原教授の述べたとされる“触っただけで7割治る”という言葉が有名でしたが、実にその3割が治らなくて本当に困った時代でした。そのような情報の少ない時代に良くあるのが、権威主義です。とにかく、網膜は極めて神聖な領域であり、少なくともそれを専門とする大学の門下生であることが広く網膜人として認知されるための必要条件でした。 

 目の前の失明してゆく患者、何度も繰り返し剥離の手術を受け続ける若い患者を前にして、医局制度のガチガチの時代にどうにかして、網膜専門の医局に異動したいと何度も当時の教授に談判したが到底不可能でした。大阪大学、杏林大学、京都大学、東邦大学、以外は当時は硝子体手術を標榜することは難く、田野教授、樋田教授、荻野先生、竹内教授は僕ら世代のスターであり、ある種のロールモデルでもありました。そのような大学を出ていないと網膜の専門と認識されないなんて、僕にはどうにも腑に落ちませんでした。だから、僕はロールモデルに直接会い行き、勝手に自分の師匠にしました。師匠は初めから決っているものではなく、探すものであり、自分が先生であると決めた人が先生であって、気づいた時に目の前にいた人ではないと思っています。 

 硝子体手術の創始者のMachemerの有名な言葉に、“Do not do unconventional ways” というのがあります。田野先生も、”同じことしても、面白くないでー“と同じようなことを良く言っていました。僕は確かに硝子体手術が好きだったので、良く手術中に眼球という小さな空間に自分自身が小人になってあちらこちらを動き回っているような錯覚とらわれることがありました。そうした時間はあふれ出る創造性の中にあり、手術をしながらいくつもの構想や疑問が浮かんで来るもので、解剖学教室に出入りしていたある日、手術中に浮かんだ内境界膜の染色のアイデアを基礎実験で確認してすごい勢いで論文にしました。ネットのない時代なので2回のリバイスの後、毎日郵便箱にArchivesから受理の返事が来ないかと待ち望んでいました。こうした発見を一流誌の論文にする作業はとても大切であり、ある時、”Publish or perish”という言葉を鉛筆書きで僕の原稿の余白に、大野教授はメモをしてくれました。また、International societyへの無料チケットという大きなチャンスを学閥を超えてくれた田野先生の先見性も神さまからの贈り物の一つであり、いつも大切にしています。 

 医学、網膜、硝子体手術、これらはすべて創造的産物です。およそ世の中で正規的なものはありません。創造的な作業により事実はいつもあたらしく塗り替えられます。創造は最も重要な行為であり、Vitrectomyは、創造的産物の代表です。そして、それを論文にしてその時代の科学的事実とする。創造そして記載、この行為が実に崇高なものであり、人々を興奮させる行為であることを、僕が勝手に選んだロールモデルから学びました。これらはお金で買うことのできない掛け替えのないものであり、これからの時代の若い世代の眼科医には、自分の努力で、創造と記載の楽しみを味わって欲しいと思います。高所を目指さなくとも、小さなことで良いから発見を通して学問に貢献することは、勿論、患者さんの為ではありますが、同時に成長してゆく自分自身の為でもあります。ロールモデルを持ちそこから学ぶことで、人は成長します。少なくとも僕の特異性はそれで説明されます。 

【略 歴】門之園一明
 1988年 横浜市立大学医学部卒業
 2000年 横浜市立大学眼科講師
 2007年 横浜市立大学附属市民総合医療センター眼科教授
 2014年 横浜市立大学医学部視覚再生外科学講座教授

 

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 演題:「医療における心」
 講師:出田秀尚(出田眼科病院名誉院長)
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【講演要約】
Ⅰ.技と心
 医療に限らずあらゆる職業において大切なことは、車の両輪としての技と心である。私は、44歳の時から11年間、網膜剥離手術図説を専門誌「眼科」にシリーズとして毎月連載し、これを一冊にまとめた技術編を「図説網膜硝子体手術」として1993年に金原出版社から発行することが出来た。その後、車輪のもう一方である心の問題を取り上げ、「網膜硝子体手術メンタル編」として同じ「眼科」に連載し続けた。56歳から75歳までの20年間で142編となったので、2014年に「医者どんの言志録」として金原出版社より発行出来た。技術については理論的に説明できるので書いて伝え易いが、心の方はこれが難しい。以下に、医療における心について掘り下げて考えてみたい。 

Ⅱ.医の倫理と心
 医における倫理は医師の心得を,言葉で定めたものである。その歴史はギリシャ時代の、ヒポクラテスの誓いに始まる。近世になってドイツのフーヘランドが「医学必携」を1836年に出版し、杉田成卿により江戸時代に「医戒」として我が国に紹介された。その中には医師の使命として、病者に対する戒め,世間との関わり,同業医師との関係,の三つについてが述べられている。第二次世界大戦後になって患者の自立尊重の考えが取り入れられ、ついで資本主義制度の中で利益と負担を医療従事者と患者で公平に分担するという、正義原則が持ち込まれるようになった。更に現代では科学の発達に伴って再生医療など生命に関する倫理が介入してきた。日本医師会では昭和26年に「医師の倫理」が制定され、ついで平成16年に「医師の職業倫理指針」が作成された。日本眼科医会でも倫理委員会設置の声が上がり、5年後の平成24年に「日本眼科医会倫理綱領及び倫理規定」が制定された。倫理綱領は、医師の望ましい心得7項目が示されている。倫理規定は行動の細目にわたってその規準が示されている。 

Ⅲ.心と感性
 倫理の深層には、その人の持てる独自の心,もしくは感性或いは性質とも云われる部分が存在し、これを規定として定めることは出来ない。この部分は、眼前の事象をどのように捉えて反応するかということで、これは各人固有の想像力に基づいている。フランスの近世哲学者バシュラールは、想像力を形式的と物質的の二つに分けている。形式的は体験したことを想像する力、物質的は未経験のことを想像する力で、後者は物を創造する力を有しているので創造的想像力とも呼んでいる。医師ばかりではなく、人が生きていく上で力を発揮するのはこの部分である。 

Ⅳ.感性を醸成する
 バシュラールは物質的想像力を醸成する力は、自然の四大元素,地水火風にあるという。この考えは日本の文化の中では、太古の時代からあったものと私は考える。修験者は自然の中で命を懸けた荒修行を行い、それにより創造的な力が得られることを知っていたものと思う。私が50年以上関わっている武田流流鏑馬は、神話の時代以来皇室に伝わっていた精神を1500年程前に欽明天皇が形で表現した皇室の神事であった。武田流はその後300年程経って武家に継承された流派で、これが熊本に伝わっている。最初に行う天長地久式では、天地人を射る仕草で、過去と未来という悠久の宇宙の流れの中に生きる自分を見よと教えており、天照大神の心とされている。これは神話の時代もしくは縄文以来の日本人の心であった、いわば人の倫理綱領に相当するものであろうと考えられる。 

Ⅴ.感性を磨く
 引き続き行う騎射では三つの的を走る馬上から次々と射て行き、これは五穀豊穣・天下泰平・万民息災の三つを成就するための祈願である。五穀豊穣は豊作を得るための勤勉・忍耐・努力・奉仕・畏敬・感謝・質素などを意味し,天下泰平は戦争をしないための和・尊敬・謙虚・勇気・誠実・正直・恥・秩序・友愛など,万民息災は、同情・共感・協力・激励などを含んでいると解釈する。騎射は、神武天皇の建国の精神として伝えられており、いわば弥生時代に形成された社会倫理の規範として捉えることが出来る。これらの精神は、日本の様々の文化に形を変え、これを通して日本人独特の感性が磨かれてきたものと考えている。 

Ⅵ.人は智と情の間を生きる
 医療に技と心があるように、人生には智と情がある。理屈に偏りすぎると窮屈になり、情に棹をさせば流されると漱石は云う。そう云いながら人間は物と心に挟まれて生きるのが普遍だと、村上春樹はその作品から云っている。孔子は人が豊かに生きるためには、道・徳・仁と共に芸を上げている。医師は科学や理論に頼りがちなので芸術が必要だ。智と情の間を揺れながら生きていても人は生命が終わり、道元が遺偈(ゆいげ)に云うように「黄泉に陥落」、大自然に帰るのであり、そこに理屈は存在しなくなる。 

Ⅶ.自然に触れる旅
 眼科医として半世紀、失明と闘ってきたが、どうしても治すことが出来ず失明に至る人が居る。そのような人に必要なのは、自ら生きていくための創造的な力である。人生の終わりに近い人には、自然に帰る準備が必要だ。私自身も含め、そのような人達と、阿蘇や天草を訪れる日帰り旅行、「自然に触れる旅」を4年前から始めた。自然の四大元素に触れ、自らの感性を高め、ゆっくりと自然に帰る準備のためである。 

【プロフィール】出田 秀尚(いでた ひでなを)
 1963年 熊本大学医学部卒業
 1968年 熊本大学大学院修了(眼科),医学博士
 1969~1971年 ニューヨーク市立大学,ニューヨーク医科大学眼科研究員
 1972~1974年 ハーバード大学マサチューセッツ眼耳鼻科病院にて眼科臨床網膜フェロー
 1974年 熊本大学眼科講師
 1977年 文部省在外研究員
 
1979年 出田眼科病院々長
 2009年 出田眼科病院名誉院長

 

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これまでの「学問のすすめ」講演会一覧

 詳細は、下記URLからご覧ください
 http://andonoburo.net/on/4397 

第9回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院 眼科
 日時:2014年7月6日(日)  10時~13時 
 1)「学問はしたくはないけれど・・」
    加藤 聡 (東京大学眼科准教授)
 2)「摩訶まか緑内障」
    木内 良明 (広島大学眼科教授) 

第8回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年9月15日(土)15時~18時
 1)「疫学を基礎とした眼科学の展開」
     山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
 2)「2型糖尿病の成因と治療戦略」
     門脇 孝 (東京大学内科教授、附属病院長、
                日本糖尿病学会理事長) 

第7回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
 1)「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
     高橋 政代 (理化学研究所)
 2)「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
     中澤 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授) 

第6回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
 1)「私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事」
     大森安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
          (東京女子医科大学名誉教授;内科)
 2)「糖尿病網膜症と全身状態 どの位のHbA1cが続けば網膜症発症?」
     廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科) 

第5回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
 1)「私と緑内障」
     岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
 2)「神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー」
     栂野 哲哉 (新潟大学) 

第4回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00
1)「臨床研究における『運・鈍・根』」
     三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
 2)「経角膜電気刺激治療について」
     畑瀬哲尚 (新潟大学) 

第3回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年4月2日(土) 15時~18時
 1)「眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く」
    ―亡き恩師からのミッション
     堀 純子 (日本医大眼科;准教授)
 2)「わがGlaucomatologyの歩みから」
     岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授) 

第2回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
 1)「強度近視の臨床研究を通してのメッセージ?clinical scientistを目指して」
      大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
 2)「拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価」
      植木 智志 (新潟大学眼科) 

第1回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
 1)「網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?」
    -神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
     関 正明 (新潟大学)
 2)「留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-」
     (人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
     次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブル使用の超音波治療)
     松岡 尚気 (新潟大学)
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2014年7月21日

「学問のすすめ」第9回講演会 済生会新潟第二病院 眼科
1.「学問はしたくはないけれど・・」
    加藤 聡 (東京大学眼科准教授)
2.「摩訶まか緑内障」
    木内 良明 (広島大学眼科教授)
 日時:2014年7月6日(日)  10時~13時 各講演1時間・質疑応答30分
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 参加無料

  

 リサーチマインドを持った臨床家は、新しい医療を創造することができます。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。 本講演会は、若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年2月より済生会新潟第二病院眼科が主催して細々と続けている企画です。 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
  人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。(「学問のすすめ」福沢諭吉)

 

演題:学問はしたくはないけれど
講師:加藤 聡 (東京大学眼科)
講演要旨
 現在、医学研究を取り巻く問題が多く、毎日マスコミをにぎわしている。STAP細胞に関する問題が有名であるが、私が所属する東大病院でも降圧薬バルサルタンの臨床研究、白血病治療薬の臨床研究、アルツハイマー病に関する臨床研究、分子生物学教室からの論文の大量撤回などがある。これらの研究では何を目標にして学問をしているのだろうかと考えさせられる。このような問題を見るにつけ、学問の目標が、研究費集めや論文業績をあげるためと思えてしまうが、本来は少しでも良い医療を大勢の人に提供してもらいたいことが、医学における学問の原点のはずである。その為には、学問の順番として①不自由なことが存在し、②不自由なことの原因を追究し、③不自由なことを解決する方法をみつけ、④その方法を広めるのが、筋道であると考える。 

 私は新潟大学を卒業して、東京大学眼科に入局し、研修医2年目の頃、おぼつかない白内障手術(水晶体嚢外摘出術)を行うも、糖尿病眼では術後に炎症が強く出てしまい、眼底管理の上で妨げとなる虹彩後癒着を作ることがしばしばあった。その原因を知りたく、ちょうどその頃開発されたフレアメータにて炎症を定量化し、また電子顕微鏡による研究でその原因を探ることができた。 

 それがきっかけで糖尿病の眼の合併症、通常の人ならば網膜症に興味を持つところだが、私はもっぱら前眼部の病変に取り組むことになった。女子医大の糖尿病センターに勤務先が異動になり、朝から晩まで網膜光凝固に明けくれる日々のなか、糖尿病眼の白内障術後眼では前嚢収縮や後発白内障が網膜光凝固の妨げとなることを多く経験した。白内障術者にそのことを話してもYAGレーザーで解決されることなので、臨床的に問題ないと相手にしてもらえなかった。そこで、そのことを訴えるために後発白内障を定量化する方法を学んだが、その頃の日本ではSheimpflugカメラを用いた方法が主流で、周辺部の後発白内障の定量が行えなかった。そこで、それを学びに世界で初めて眼内レンズ移植が行われたロンドンのSt Thomas Hospitalに行き、その後の後発白内障を少なくなるための眼内レンズ、手術法の研究を行うことができた。

 その後、日本に戻り、東大病院に勤務するようになり、多くの増殖糖尿病網膜症症例の手術を見る機会があったが、中には充分な結果が得られない症例があった。その症例をさかのぼってみてみると、中には充分な光凝固の効果が得られていない例に遭遇することもあった。どんな上手な術者よりも適切な網膜光凝固が失明から救うことが明かであったため、そこからは、研究というよりも網膜光凝固教育に力を入れるようになった。今後は本邦での網膜光凝固の教育と同様に、より低侵襲の網膜光凝固方法の開発に力を入れたいと考えている。 

 その他に現在はロービジョンケアの普及にも力を入れている。ただし、ロービジョンケアを取り巻く問題は多く、その中でもロービジョンケアに対する眼科医の関心が少ないことが最も悩ましい。その理由として、ロービジョンケアの研究がサイエンスになりにくく、手術の習得に比べると技量が地味、保険点数の問題、ロービジョン者が眼科にかかる環境を作り上げていないなどがある。今後はロービジョンケアに関する研究・臨床を特殊化しないことが重要と考えている。 

 以上、今まで自分が関与してきたことを述べてきたが、最終的に学問の結果を世に知らしめることは重要なことの一つであり、私自身の論文投稿に対する考えを以下に示す。すなわち、どんなに低いインパクトファクターの雑誌でも掲載されれば、投稿しないことと格段の差があること。それというのも、現在はPubMedなどで検索するために必ずしも有名な雑誌でなくても調べたい項目さえ入力すれば、どんなに無名な雑誌からの論文も読むことができるからである。最終的に、自分の分野の研究を一生懸命見てくれる雑誌と出会うことも重要である。私の場合、最近ではインパクトファクターは2.345とそれほど高くはないが、糖尿病眼合併症領域のことを熱心に読んでくれるEinar Stefánsseonが編集長をしているActa Ophthalmologicaに好んで投稿している。すなわち、毎晩楽しむ晩酌のお酒でも必ずしも値段が高いものだけがおいしいのではなく、値段的にも自分に適したお酒を見つけるのと同じ楽しみとなる。 

 初めにも述べたが、現在医学研究をとりまく問題は多いが、少なくとも私は無理やり結果を出す学問をしたくはないと考えている。そのためには、学問と業績を混同させることなく、論文化しにくいnegative dataを大切にし、医療をしていく上で自分が知りたいことを調べ、それを世界に発信し続けられたらと考えている 

【略歴】  加藤 聡 (カトウ サトシ)
 1987年 新潟大学医学部医学科卒業
     東京大学医学部附属病院眼科入局
 1990年 東京逓信病院眼科
 1996年 東京女子医科大学糖尿病センター眼科講師
 1999年 東京大学医学部附属病院分院眼科講師
 2000年 King’s College London, St.Thomas’Hospital研究員
 2001年 東京大学医学部眼科講師 
 2007年 東京大学医学部眼科准教授 
 2013年 日本ロービジョン学会理事長 
 2014年 東大病院眼科科長兼任 
  現在に至る 

 

演題:「摩訶まか緑内障」
講師:木内 良明 (広島大学眼科教授)
講演要旨
  「摩訶」は古代インド語であるサンスクリットの「まはー」に漢字をあてたもので大きいとか、偉大なという意味です。般若心教は摩訶般波羅蜜多経とも呼ばれます。浄土に至るコツを示した経であると説明されています。緑内障患者にたいして一生懸命治療をしても失明上位疾患にあげられるのは不本意です。また、疾患や失明を恐れるだけでは患者さんを救うことができないわけですから、我々はその原因をさぐり、より良い治療方法を見つけ出さなくてはいけません。緑内障診療の浄土に至る道は遠く険しく感じます。 

 最近、五木寛之「親鸞」の連載が完結しました。親鸞は浄土真宗の宗祖です。「本願を信じ念仏申さば仏になる」と示されています。浄土真宗は「如来の本願力」(他力)によるものであり、我々凡夫のはからい(自力)によるものではないとし、絶対他力を強調する教えを持っています。法然の浄土宗と並んでこの他力本願の教えは多くの日本人に受け入れられました。今回の公演を行うに当たり、自分が緑内障に関する研究に携わった歴史を振り返えるという作業を行いました。その結果「他力本願」の人生であると改めて感じた次第です。この道一筋といった研究もなく、自分から進んで行った研究もありません。ただ、周りの環境に合わせながら「南無阿弥陀仏」の名号ではなく、ひたすら「なんでや、ほんまかいな」と唱えているだけです。 

 1983年に広島大学の眼科学教室に入局して、その後数年は自分の頭で考えて何かをするというよりも、命じられた仕事をひたすらこなすという毎日でした。それでも入局4年目ごろに学位は解剖学教室で、眼の発生の研究を行いたいと考えるようになりました。ニワトリの杯にウズラの杯の一部を移植することでニワトリとウズラのキメラを作る研究です。しかし、指導教官が米国留学し、さらに京都府立医大の教授になられました。仕方がないので眼科学教室の緑内障グループに参加することにしました。 

【細胞内情報伝達系の研究】
 広島大学の緑内障グループは毛様体の細胞内情報伝達系、特にcyclic AMP系の研究を行っていました。当時の三嶋助教授がYALE大学に留学していた時から始めた研究です。cyclic AMP分解酵素を阻害する薬剤を使って、眼圧、房水循環動態、毛様体の形態変化を研究して学位をもらいました。1980年代は細胞内情報伝達系の研究が注目を浴びておりました。特に神戸大学の西塚泰美先生はプロテインキナーゼCを発見し、新しい細胞内情報伝達系を明らかにしました。西塚泰美先生はノーベル賞候補と言われておりました。私のすぐ下の学年の医師も毛様体におけるプロテインキナーゼCの研究で学位をもらっています。三嶋助教授のご縁もあって学位をもらった直後にYALE大学の眼科学教室に留学させていただきました。 

【眼圧日内変動の研究】
 YALE大学の眼科学教室では眼圧日内変動をコントロールするメカニズムを解明する研究が行われていました。その一つの手段として細胞内情報伝達系の研究が使われていました。研究に専念できる環境は楽しく、有意義なものでした。家兎の眼圧日内変動には交感神経のうちα1受容体を介するシグナルが関与すること、メラトニンが関係しないことなどを明らかにすることができました。 

【ラタノプロストの開発】
 1993年に帰国するとキサラタンの開発が行われている最中で、キサラタンの開発研究にPhase 1から参加することができました。ラタノプロストの眼圧下降機序、ラタノプロストの眼圧日内変動に関する研究を行いました。やはり自分からの意志で何かを研究しようとしていません。自分の目の前にある餌、あるいは教授や助教授が用意してくれた餌を順番に食べていただけです。臨床は緑内障外来を担当しており、緑内障の手術を主に行っていました。教授が病院長になられて眼瞼下垂、眼瞼や眼窩の腫瘍の治療が回ってきたのは後で役に立ちました。 

【難治緑内障の治療】
 ちょうどこのころ超音波白内障手術が日本で広まり始めたころでした。小切開白内障手術は患者に大きな福音をもたらします。しかし、広島大学病院という環境ではその手技を習得することは不可能でした。志願して1996年の1年間は広島赤十字・原爆病院に出向して、前眼部から網膜まで幅広い疾患の診療を行いました。大学病院では緑内障馬鹿になっていたことに気づきました。眼科医として良いリハビリになったようです。翌年の1997年4月からは国立大阪病院で勤務させていただきました。実家の眼科が近いという理由もあってよい病診連携をとることができました。大阪というところは眼科の専門分化が進んだところでしたので、再び緑内障を専門としました。 

 国立大阪病院はそれまでの部長が硝子体手術やぶどう膜炎をご専門にされていた関係から血管新生緑内障やぶどう膜炎に続発した緑内障の患者がたくさんいました。難治性の緑内障に対する手術症例に恵まれ、より良い成績を得る方法を研修医の先生たちと考えました。ウサギ小屋もありましたのでラタノプロストが炎症眼に及ぼす影響を調べることができ、薬剤部の方たちとブナゾシンやドルゾラミドがメラニン色素に吸着する様子も観察しました。2003年から大手前病院に転勤となりました。ここの眼科は前眼部疾患の治療を専門とするところで、角膜移植も年間100件以上行われていました。レーシック用のエキシマレーザーもありました。角膜移植の3大合併症は、感染、拒絶反応、緑内障です。多くの移植後の緑内障の患者さんを診させていただきました。血管新生緑内障であれ、前眼部の病気に続発した緑内障であれ、チューブ手術を行っても眼圧を落ち着かせることができない症例がたまってきました。緑内障診療の地の果てを見た思いです。ここから先は基礎的な研究を絡ませないと臨床の進歩はないと感じていたところに、2006年に広島大学に戻る話が出てきたわけです。 

【眼に見えない現象を見る研究】
 広島大学に戻ったら手術治療の成績を向上させる研究をするぞ、と思っていました。しかし、待っていたのは原爆被爆者の緑内障調査と眼圧測定の様子を高速カメラで撮影するという研究でした。通常の状態では放射線は眼に見ることができません。非接触型の眼圧計で眼圧を測定する様子も眼に見えません。肉眼で見えないものを調べるいずれの研究も重要、かつ面白い研究です。幸い両者とも論文化することができ、第1段階をまとめることができました。放射線の影響を調べる研究の最大の危険因子は政治であることがわかりました。 

【この後】
 バルベルトインプラントが出てきて小児緑内障を含めて難治緑内障患者を救うことができるエリアが広がってまいりました。しかし、緑内障手術治療の成績改善の研究はまだまだ手につきません。「眼に見えない現象を見る研究」もまだ第1段階が終了しただけで完結していません。
 自分一人が面白がって研究を進めても仕方ありません。大学の永遠のテーマですが若い先生の教育が大切です。このテーマも眼の前に転がっている、仕方なしのテーマです。しかも「なんで研究しないのや」と仮説を立てての実験がしにくいのです。南無阿弥陀仏。 

【略歴】
 1983年 広島大学医学部医学科卒業
 1999年 広島大学医学部助手
 1990年 Yale大学 Yale Eye Center, Post doctoral associate
 1997年 国立大阪病院(眼科)医師
 2003年 国家公務員共済組合連合会 大手前病院眼科部長
 2006年 広島大学大学院医歯薬学総合研究科視覚病態学 教授 現在に至る

2014年2月17日

『「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科』
 難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、済生会新潟第二病院眼科で2010年2月から2012年8月にかけて8回の「学問のすすめ」講演会を開催致しました。
 今後、講演要約を順次に公開します。興味のある方、ご覧ください。 

 第1回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?
    
-神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
     関 正明 (新潟大学)
 2)留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-
     (人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
     次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブル使用の超音波治療)
     松岡 尚気 (新潟大学)

 

 第2回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)強度近視の臨床研究を通してのメッセージ〜clinical scientistを目指して
      大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
 2)拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価
      植木 智志 (新潟大学眼科) 

 

 

 

 第3回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年4月2日(土) 15時~18時
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く
    ―亡き恩師からのミッション

     堀 純子 (日本医大眼科;准教授)
 2)わがGlaucomatologyの歩みから
     岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授)

 

 

 第4回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
     日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00
     会場:済生会新潟第二病院  B棟2階研修会室
 1)臨床研究における『運・鈍・根』
     三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
 2)「経角膜電気刺激治療について」
     畑瀬哲尚 (新潟大学)

 

 

 第5回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
    会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)私と緑内障
     岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
 2)神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー
     栂野 哲哉 (新潟大学)

 

 

 

 

 第6回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
    会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事
     大森安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
          (東京女子医科大学名誉教授;内科)
 2)糖尿病網膜症と全身状態 どの位のHbA1cが続けば網膜症発症?
     廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科)

 

 第7回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ
     高橋 政代 (理化学研究所)
 2)遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学
     中澤 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)

 

 第8回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年9月15日(土)15時~18時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)疫学を基礎とした眼科学の展開
     山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
 2)2型糖尿病の成因と治療戦略
     門脇 孝 (東京大学内科教授、附属病院長、
                日本糖尿病学会理事長)

 

【「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科 とは?】
 福沢諭吉の「学問のすすめ」には「天ハ人ノ上二人オ造ラズ人ノ下二人オ造ラズ」という有名な言葉があります。これは「人間は生まれたときは皆同じ、歳を経て人間の差ができるのは学問をするか否かである」ということが言いたかったという解釈です。すなわち、学問のすすめです。
 リサーチマインドを持った臨床家を育てなければ、新しい医療の創造はありません。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、「学問のすすめ」講演会を開催しています。
 一演題で60分の講演、30分の質疑応答を予定しています。このように時間を掛けた講演会はなかなか行うことができませんが、お仕事の理解を深めるためには、一つの試みだと思います。

2012年9月24日

「学問のすすめ」第8回講演会 済生会新潟第二病院 眼科
1)2型糖尿病の成因と治療戦略
    門脇 孝 (東京大学内科教授、日本糖尿病学会理事長)
2)疫学を基礎とした眼科学の展開
    山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長) 

  日時:2012年9月15日(土) 15時~18時
  会場:済生会新潟第二病院  10階会議室A 

 リサーチマインドを持った臨床家は、新しい医療を創造することができます。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。 本講演会は、若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年2月より済生会新潟第二病院眼科が主催して細々と続けている企画です。
  「学問のすすめ」講演会、第8回の今回は、糖尿病に関係したお二人に講師をお願いしました。一人はわが国の糖尿病研究の第一人者で、糖尿病の成因を精力的に模索しエビデンスに基づいた治療について追及している門脇 孝 先生(東京大学内科教授、日本糖尿病学会理事長)、もう一人は、我が国の糖尿病網膜症の第一人者で、眼科に統計的手法を本格的に導入し、眼科学が糖尿病の診療にどのようにして貢献していくかを疫学の切り口で語る山下 英俊 先生(山形大学眼科教授、医学部長)です。先生方の取り組んでこられた研究テーマを中心に、これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいという若い人へのメッセージを添えての講演でした。 

 

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2型糖尿病の成因と治療戦略
   門脇 孝 (東京大学医学系研究科糖尿病・代謝内科)
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【講演抄録】
 2型糖尿病は、インスリン分泌低下の遺伝的素因のうえに環境要因による肥満・内臓脂肪蓄積、肝臓や筋肉の異所性脂肪蓄積、インスリン抵抗性など、メタボリックシンドロームの病態が加わることによって引き起こされ、細小血管症のみならず心血管疾患の重大なリスクとなる。発症前から膵β細胞の機能低下が認められ、そこにインスリン抵抗性が加わると、インスリン分泌代償的増加が惹起されるが、それが破綻すると糖尿病を発症する。脂肪細胞肥大・内臓脂肪蓄積では、脂肪組織・肝臓で慢性炎症が惹起され、善玉のアディポネクチンが減少して、インスリン抵抗性を引き起こす。糖尿病の治療の目的は健康な人と変わらない寿命と生活の質(QOL)の確保である。しかし、2000年までの糖尿病患者の平均寿命を調査した日本糖尿病学会のデータによると、男性で10歳、女性で13歳も短命となる。糖尿病治療に関しては、大規模研究によりエビデンスが蓄積されてきた。 

 近年、インスリン抵抗性改善薬、インクレチン関連薬をはじめ、さまざまな作用機序を有する新薬が開発され、低血糖を起こさずに食後を含めた高血糖を是正し、日内変動の少ない良質なHbA1cコントロールを実現することが治療の基本となっている。そのために、個々の患者の病態や進行度、合併症などを勘案し、どの薬剤をどのように組み合わせていくのか、エビデンスに基づきながら医師がしっかりと選択していかなければならない。将来は、アディポネクチン受容体作動薬など、患者の食事制限や運動の負担も軽減しながら、よりよいコントロールを得られるような新薬の開発にも期待が寄せられる 

【略歴】 門脇 孝 (東京大学大学院医学系研究科糖尿病・代謝内科教授)
 1978年 東京大学医学部卒業
 1980年 東京大学第三内科
 1986-1990年 米国NIH糖尿病部門客員研究員
 1990年 東京大学第三内科助手
 1996 年 東京大学第三内科講師
 2001年 東京大学大学院医学系研究科糖尿病・代謝内科助教授
 2003 年 東京大学大学院医学系研究科糖尿病・代謝内科教授
 2005年 東京大学医学部附属病院副病院長
 2008年 日本糖尿病学会理事長
 2011年 東京大学医学部附属病院長

 

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疫学を基礎とした眼科学の展開
   山下英俊 (山形大学医学部眼科学)
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【講演要旨】
 疫学研究は、その歴史として、ジョン・スノーのコレラに対する研究、日本では高木家寛の海軍における脚気の研究から発展したと考えられている。疫学のコンセプトは、原因不明の疾患の治療、できないまでも何らかの対応のために、実際にその現場で起こっている事実をきちんとう調べてデータを集めること、集められるデータの意味を目的にそって理論的に解析し意味づけをすること、その時点でのベストの対策を立てるというものである。ジョン・スノーの疫学研究の時点ではコレラ菌は発見されておらず、のちにロベルト・コッホの研究まで待たねばならない。また、脚気の原因はビタミンB1の不足であるが、ビタミンB1の鈴木梅太郎による発見は高木兼寛の脚気研究とその成果としての海軍における脚気の減少のずっと後のことである。これらの事実により、原因不明でも目の前の患者にその時点でのベストの治療を施行することをその職務と考えている臨床医にとって、疫学はとても大切な学問であると考える。また、疫学の研究はとくに社会との連携(住民、地方自治体など)がとても重要であり、研究のみを前面に押し出すのではなく、あくまで目の前のひとのためになるという視点をもって企画し、研究を遂行することにより長期に継続が可能になる。疫学を用いて、まだ解決していない糖尿病網膜症による視力障害に対する医療の闘い、チャレンジを紹介した。

 WHOのメタアナリシスによると、世界における糖尿病患者数2000年に約1億7千万人、2030年には倍増すると推計している。日本の患者数としては厚生労働省国民栄養調査と同時に行われている糖尿病実態調査によると、平成9年690万人、平成14年740万人、平成19年890万人と急激に増加している。これはWHOの推計を上回る速度である。糖尿病網膜症についてはMETA-EYE Study(TY Wong教授)メタアナリシスによると、現在、糖尿病網膜症患者は約1億人に上るとの推計がある。糖尿病網膜症は後天性視力障害の原因の約5分の1をしめ、大きな社会問題にもなっている。このような状態に対応するための治療をすすめ、国民全体の視力を生涯にわたって保持することが眼科医の国民に提供する医療の基本戦略である。厚生労働省が健康寿命を延ばし平均寿命に近づける基本政策を打ち出していることに対応して、健康寿命を指させる健康視力の保持という戦略を打ち立てる必要がある。 

 眼科医として、糖尿病網膜症の現状と今後の課題を考える必要がある。治療戦略の柱として本講演では3つの柱を提示した。(1)増加する糖尿病網膜症をきちんと治療する戦略、(2)予防医学の推進、(3)糖尿病患者数の増加にともなう大血管合併症(心筋梗塞、脳卒中)、細小血管合併症(網膜症、腎症、神経症)の増加の総合的な対策に対する眼科医としての貢献である。これは、我々眼科医が糖尿病診療体系の中での糖尿病網膜症診療レベルを高め、失明をふせぐ医療を推進すること、それに満足せず、糖尿病患者の寿命を延ばし、健康寿命を延ばすために糖尿病診療全体に協力、貢献していくことが重要であることを示した。このような眼科医療の進歩は近年の疫学研究の進歩により大いに推進されてきた。 

 以上のように眼科学が今日の日本の医療において大きな問題である糖尿病の診療にどのようにして貢献していくかを疫学の切り口で絞殺した。その際に大切であるのは、眼科医学が医学全体に貢献することで社会全体に貢献するという視点をいつももちつづけることである。 

 学問、そしてそれを担当する臨床医、医学研究者がこのような使命を果たすためには、有為な人材を継続的に育成することである。すぐれた研究者のもとにはすぐれた弟子が育成され、さらにすぐれた研究が育つ。教える側からの視点ではこのような教育の連鎖のなかで弟子を育成しているという歴史的な責任感を持つこと、学問の面白さと臨床を行う上での高度な倫理観をきちんと伝えることが大切である。教えを受ける若い世帯には、ぜひ、いい恩師を見つけて、ひとのためになる研究が楽しく素晴らしいものであるかという興奮を受けついてほしいと考えている。そして、恩師への恩返しはその受けた教育、薫陶を次の世代につなげることであるという使命感をもってもらいたいということである。 

【略歴】 山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
 1981年6月 東京大学医学部眼科学教室医員(研修医)
 1982年4月 東京大学医学部眼科学講座助手
 1985年1月 国家公務員等共済組合連合会三宿病院、自衛隊中央病院眼科
 1987年1月 東京大学医学部眼科学教室講師
 1992年5月-1994年8月 スウエーデン、ウプサラ大学へ留学
 1994年9月  東京大学医学部眼科学教室講師へ復職
 1999年7月 山形大学医学部眼科学教授
 2003年11月~2010年3月 山形大学医学部附属病院長兼務
 2010年4月1日より 山形大学医学部長兼務

 

 

2012年6月23日

「学問のすすめ」第7回講演会 済生会新潟第二病院眼科
1)iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ
   高橋 政代 (理化学研究所)
2)遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学
   中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授) 

 日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 リサーチマインドを持った臨床医は、新しい医療を創造することができます。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。本講演会は、若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年2月より済生会新潟第二病院眼科が主催して細々と続けている企画です。

 今回は、iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療に意欲を燃やす高橋政代先生(理化学研究所)、遺伝性網膜変性疾患のお仕事を精力的にされている中澤満先生(弘前大学眼科教授)に講師をお願いし、若い人へのメッセージを添えて、先生方の取り組んでこられた研究テーマを中心に、これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいという願いを込めて、これまでの学究生活を自叙伝風に語って頂きました。 

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iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ
  高橋 政代 (理化学研究所)
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【講演要約】
 卒業以来25年余り、臨床と研究と軸足を置き換えながら、それでもずっとどちらからも離れることなく続けてきた。5年前に京都大学から理化学研究所に移ってからは臨床は週2回の網膜変性疾患専門外来のみになったが、治療開発である我々の研究のためには臨床を離れて研究だけになってしまってはいけないと考えていた。基礎研究は重要であるが、それだけでは治療はできない。治療という出口を知る臨床医が応用研究をすることは重要なことである。 

 網膜再生医療研究の始まりは、1996年にアメリカサンディエゴのソーク研究所の脳研究で有名なGage研究室に留学した時であった。その際にまだ概念も定まっていなかった神経幹細胞の研究に出会った。いくつかの分野の境界領域で新しいものは生まれやすい。眼科医が脳神経研究という分野に飛び込み、神経幹細胞という概念にふれたことで、幹細胞による網膜再生(=網膜細胞移植)という新しい治療研究が芽生えた。それは神経幹細胞に出会った眼科医であれば誰でも考えつくことであった。 

 神経幹細胞を使えば網膜の難病が治療できると意気揚々と留学から帰って研究を続けたが、そう簡単ではなかった。様々な幹細胞を検討したが一長一短があり、2000年代初めからはES細胞の研究に移行した。ES細胞から網膜の治療に必要な網膜色素上皮細胞や視細胞が作れることを発表し、ES細胞から作った網膜色素上皮細胞は網膜治療に使えることを初めて示していた。しかし、網膜色素上皮細胞は他人の細胞の移植では拒絶反応を起こすことが胎児細胞移植で知られており、網膜の病気のために免疫抑制剤を用いて身体を危険にさらすことには躊躇を覚えた。また、日本ではES細胞は臨床には使えないという声が多く聞かれた。まごまごしているうちに、アメリカの企業はそんなことはお構いなしに免疫抑制剤を用いてES細胞由来網膜色素上皮細胞の臨床試験を着々と準備しているという情報が入り愕然とした。その頃、京都大学の山中先生によってiPS細胞が発明されたのである。iPS細胞は大人の皮膚細胞からES細胞と同じ性質の細胞が作れるので、患者さんの皮膚からiPS細胞を作り、さらに網膜細胞にすれば拒絶反応のない自分の細胞を移植できる。これで完成だと思った。 

 そこから、研究レベルであった細胞の作り方などを大急ぎで臨床レベルの品質に作り上げ、できた細胞の安全性や品質を完璧に確認して、iPS細胞が発明されてから5年で臨床を考えられるところまで漕ぎつけた。これには、iPS細胞の力、魅力によって産官学の多くの方々の協力が得られたことが大きい。当初、日本の場合は厚労省の規制が最も難関と考えていたが、それも指針などがどんどん改訂されて、iPS細胞を用いた治療が行えるように先回りして整備されて行っている状態である。むしろ基礎科学者や新しい治療開発に慣れていない眼科医の先生方の方が(必要以上に)厳しいと感じている。 

 再生医療(=細胞治療)は従来の治療とはまったく異なるものである。むしろ手術と同じで、最初から完成されて効果も一定なわけではなく、開始されてから、年月を経て徐々に改良され効果が大きくなる治療である。白内障手術は20年前と現在で大きく改良され、今やかなり完成された安全で効果的な治療となっている。網膜細胞移植も最初は重症の方から開始して効果もさほど大きくないであろうが、20年後には安全な一般的な治療になっていると想像する。 

 15年前、網膜再生治療の話しをすると「網膜再生は無理だ」という声を聞いた。ES細胞研究では「ES細胞は倫理的にも問題があり臨床では使えない」と言われ、iPS細胞研究で臨床の話をすると「iPS細胞はまだまだ危険だから治療を考えてはいけない」と言われていた。臨床研究が視野に入って来た今、5名の患者さんだけで安全性を確認する臨床研究がゴールではなく、一般治療にするための治験、産業化ということが必要であることがはっきりと見えてきた。「まだ産業化など考える時期ではない」と言われる人も多いが、今までの経験から何事も考えるのに早すぎるということはないと思っている。  

 20世紀は物理学が世界を変えた時代であったが、21世紀はライフサイエンスの時代と言われる。眼科医は眼科という非常に専門的な分野を熟知している貴重な人材なのである。その強みを生かした研究に若い人達も挑戦してみてほしいと願っている。 

【略暦】
 1986年  京都大学医学部卒業
 1986年    京都大学付属病院眼科勤務
 1988年    京都大学大学院医学研究科博士課程入学
 1992年   京都大学医学部眼科助手
 1996-97年 米国ソーク研究所研究員
 2001年    京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
 2006年   理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
      網膜再生医療研究チーム チームリーダー 

 

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遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学
  中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)
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【講演要約】
 遺伝性網膜変性の代表は何と言っても網膜色素変性である。網膜色素変性と言えば、今も昔も「進行性、原因不明、遺伝性、やがて失明の可能性もある。」ということに尽きる。緑内障、糖尿病に次いで中途視覚障害の第3位、人口4000人に1人の有病率の疾患であるが、この病気の患者を診る時ほど眼科医としての無力感を感じることはないとも言える。緑内障や糖尿病網膜症は早期発見、早期治療によって重篤化を防ぐことができる。つまり人間の努力が報われる病気であるのに対して、網膜色素変性にはそれがない。どんなに早期発見しようとも患者の予後には影響がない、そればかりか早期に病名を告知したばかりに却って眼科医が恨まれる事も時にはある。結婚話や家族計画、就学就業にも深刻な影響をおよぼしてしまう。 

 このような難病の少なくとも「原因不明」という部分が解明されれば、それを手掛かりに何らかの治療法のヒントが得られるかも知れない、とは誰でも考えることである。私も1982年の秋から水野勝義教授の許可を得て、早坂征次先生の指導により酵素生化学的な研究の手ほどきを受け、さらに1985年から3年間米国のWinston Kao先生から分子生物学、とくに分子クローニングの基礎トレーニングを受けた。その後、1989年からは玉井信教授の許可の下、東北大学眼科を拠点として網膜色素変性の患者の血液バンクを構築した。しかし、この時点でも実際は暗中模索であった。 

 時代の流れは誠に凄まじいもので、ちょうど留学中の1987年に今で言うポリメラーゼ連鎖反応(PCR法)が発明され、ヒトの遺伝子診断が格段に簡便になった。そして1990年には早くも網膜色素変性の原因の1つがロドプシン遺伝子変異であることが明らかになった。それまで、ありとあらゆる学問領域の研究者がそれぞれの方法で懸命にその原因を探ってきて果たせなかった研究課題があっさりと解明されたのである。網膜色素変性の原因がロドプシン遺伝子変異であった事はコロンブスの卵のような出来事であったが、この発見は実は網膜色素変性の原因のほんのごく一部でしかなかった事も判明した。そして、世の中は世界中の多くの研究者による熾烈な遺伝子解析競争によって、網膜色素変性とは実に多種様々な原因遺伝子異常をもつ極めて異質性の高い疾患群であることが分かってきたのである。現在はアッシャー症候群、バーデット・ビードル症候群、セニョール・ローケン症候群やレーバー先天盲なども含めれば網膜色素変性の原因遺伝子ないし候補遺伝子は70種類を軽く超える。しかも、これらの遺伝子の中には網膜色素変性以外にも各種黄斑ジストロフィや小口病などの原因となっているものもある。臨床像と原因遺伝子の双方でのオーバーラップがある、というのがこの病気の特徴である。幸運にも私もこの遺伝子解析競争の流れの中に身を委ねる機会に恵まれた1人でもあった。 

 21世紀に入ると、多くの研究者の興味は網膜色素変性の治療法開発へと徐々にシフトした。遺伝子解析から分かった事、それは一方で疾患の遺伝的多様性であるとともに、もう一方で視細胞の変性の共通メカニズムであるアポトーシスである。現在世の中で進んでいる治療研究の視点は、いかにしてアポトーシスを止めるか、という点と視細胞アポトーシスが起きてしまってもいかにして代替手段を駆使するか、という2点に尽きる。前者には遺伝子治療と視細胞保護療法、そして後者には再生医療と人工網膜がある。私は弘前大学という研究の場を得て、視細胞保護療法の立場から網膜色素変性の治療法の開発という研究を進める機会に恵まれた。視細胞保護による進行遅延にも十分な意義がある。我々の研究チームのキーポイントは視細胞アポトーシスとカルシウムとの関係、そしてアポトーシスとカルパインとの関係である。これらを手掛かりに視細胞アポトーシスの抑制が実現できれば、という思いで牛歩のごとき遅々とした歩みではあるが、目標に向かって駒を進めている。講演ではこのうち、カルシウム拮抗薬ニルバジピンの動物実験での変性遅延効果の確認とそれに引き続いて行った単一施設ランダム化比較試験(Ib)の結果、カルパイン特異阻害を示すペプチド療法の実験的研究と点眼治療の可能性、そしてRPE65遺伝子異常マウスに対する9-シス-レチナールの実験的効果についてお示しした。 

 最後に、これまでの網膜変性外来での経験から「網膜色素変性診療の勘どころ」と称して、眼科医と患者との間で生じやすい2つのギャップ、すなわち失明という言葉の語感に関する医師と患者との間のギャップと視野異常の検査上の結果と日常生活で患者が感じている体感視野とのギャップの問題について私なりの考えを示した。 

 これまでの研究の歩みを振り返ってみると、自分自身の予想に反した結果ばかりに直面してきたことだと思う。しかし、そこから認識が深まり、新しい視点が生まれたとも言える。査読者とのやりとりは正にrefinementという言葉に尽きる。これらの経験は確実に臨床実地にも栄養となっている。 

【略暦】
 1980年 東北大学医学部卒業
 1980年 東北大学眼科研修医
 1982年 東北逓信病院(現:NTT東日本東北病院)眼科
 1982年 東北大学眼科
 1985年 米国シンシナティ大学眼科ポスドク
 1989年 東北大学眼科講師
 1995年 東北大学眼科助教授
 1998年 弘前大学眼科教授

 

2012年6月13日

報告 「学問のすすめ」第7回講演会

 リサーチマインドを持った臨床家は、新しい医療を創造することができます。
難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。

 本講演会は、若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年2月より済生会新潟第二病院眼科が主催して細々と続けている企画です。
開催が地方病院の眼科であり、実際の参加者はあまり多くありません。
しかし情報は日本全国の700名を超す医師および医療関係者に直接メールで配信し、さらに幾つかのMLを介して全国の数千人以上の方に届いています。

 今回は、遺伝性網膜変性疾患のお仕事を精力的にされている中澤満先生(弘前大学眼科教授)と、iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療に意欲を燃やす高橋政代先生(理化学研究所)に講師をお願いし、若い人へのメッセージを添えて、先生方の取り
組んでこられた研究テーマを中心に、これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいという願いを込めて、これまでの学究生活を自叙伝風に語って頂きました。

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 「学問のすすめ」第7回講演会
     日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
     会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
     主催:済生会新潟第二病院 眼科 (共催なし)

  「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
      中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授) 
  「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
     高橋 政代 (理化学研究所)

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演題:「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
講師:中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)

【講演要約】
 遺伝性網膜変性の代表は何と言っても網膜色素変性である。網膜色素変性と言えば、今も昔も「進行性、原因不明、遺伝性、やがて失明の可能性もある。」ということに尽きる。
緑内障、糖尿病に次いで中途視覚障害の第3位、人口4000人に1人の有病率の疾患であるが、この病気の患者を診る時ほど眼科医としての無力感を感じることはないとも言える。
緑内障や糖尿病網膜症は早期発見、早期治療によって重篤化を防ぐことができる。
つまり人間の努力が報われる病気であるのに対して、網膜色素変性にはそれがない。
どんなに早期発見しようとも患者の予後には影響がない、そればかりか早期に病名を告知したばかりに却って眼科医が恨まれる事も時にはある。
結婚話や家族計画、就学就業にも深刻な影響をおよぼしてしまう。

 このような難病の少なくとも「原因不明」という部分が解明されれば、それを手掛かりに何らかの治療法のヒントが得られるかも知れない、とは誰でも考えることである。
私も1982年の秋から水野勝義教授の許可を得て、早坂征次先生の指導により酵素生化学的な研究の手ほどきを受け、さらに1985年から3年間米国のWinston Kao先生から分子生物学、とくに分子クローニングの基礎トレーニングを受けた。
その後、1989年からは玉井信教授の許可の下、東北大学眼科を拠点として網膜色素変性の患者の血液バンクを構築した。
しかし、この時点でも実際は暗中模索であった。

 時代の流れは誠に凄まじいもので、ちょうど留学中の1987年に今で言うポリメラーゼ連鎖反応(PCR法)が発明され、ヒトの遺伝子診断が格段に簡便になった。
そして1990年には早くも網膜色素変性の原因の1つがロドプシン遺伝子変異であることが明らかになった。
それまで、ありとあらゆる学問領域の研究者がそれぞれの方法で懸命にその原因を探ってきて果たせなかった研究課題があっさりと解明されたのである。
網膜色素変性の原因がロドプシン遺伝子変異であった事はコロンブスの卵のような出来事であったが、この発見は実は網膜色素変性の原因のほんのごく一部でしかなかった事も判明した。
そして、世の中は世界中の多くの研究者による熾烈な遺伝子解析競争によって、網膜色素変性とは実に多種様々な原因遺伝子異常をもつ極めて異質性の高い疾患群であることが分かってきたのである。
現在はアッシャー症候群、バーデット・ビードル症候群、セニョール・ローケン症候群やレーバー先天盲なども含めれば網膜色素変性の原因遺伝子ないし候補遺伝子は70種類を軽く超える。
しかも、これらの遺伝子の中には網膜色素変性以外にも各種黄斑ジストロフィや小口病などの原因となっているものもある。
臨床像と原因遺伝子の双方でのオーバーラップがある、というのがこの病気の特徴である。
幸運にも私もこの遺伝子解析競争の流れの中に身を委ねる機会に恵まれた1人でもあった。

 21世紀に入ると、多くの研究者の興味は網膜色素変性の治療法開発へと徐々にシフトした。
遺伝子解析から分かった事、それは一方で疾患の遺伝的多様性であるとともに、もう一方で視細胞の変性の共通メカニズムであるアポトーシスである。
現在世の中で進んでいる治療研究の視点は、いかにしてアポトーシスを止めるか、という点と視細胞アポトーシスが起きてしまってもいかにして代替手段を駆使するか、という2点に尽きる。
前者には遺伝子治療と視細胞保護療法、そして後者には再生医療と人工網膜がある。
私は弘前大学という研究の場を得て、視細胞保護療法の立場から網膜色素変性の治療法の開発という研究を進める機会に恵まれた。
視細胞保護による進行遅延にも十分な意義がある。
我々の研究チームのキーポイントは視細胞アポトーシスとカルシウムとの関係、そしてアポトーシスとカルパインとの関係である。
これらを手掛かりに視細胞アポトーシスの抑制が実現できれば、という思いで牛歩のごとき遅々とした歩みではあるが、目標に向かって駒を進めている。
講演ではこのうち、カルシウム拮抗薬ニルバジピンの動物実験での変性遅延効果の確認とそれに引き続いて行った単一施設ランダム化比較試験(Ib)の結果、カルパイン特異阻害を示すペプチド療法の実験的研究と点眼治療の可能性、そしてRPE65遺伝子異常マウスに対する9-シス-レチナールの実験的効果についてお示しした。

 最後に、これまでの網膜変性外来での経験から「網膜色素変性診療の勘どころ」と称して、眼科医と患者との間で生じやすい2つのギャップ、すなわち失明という言葉の語感に関する医師と患者との間のギャップと視野異常の検査上の結果と日常生活で患者が感じている体感視野とのギャップの問題について私なりの考えを示した。

 これまでの研究の歩みを振り返ってみると、自分自身の予想に反した結果ばかりに直面してきたことだと思う。
しかし、そこから認識が深まり、新しい視点が生まれたとも言える。
査読者とのやりとりは将にrefinementという言葉に尽きる。
これらの経験は確実に臨床実地にも栄養となっている。

【略暦】
 1980年 東北大学医学部卒業
 1980年 東北大学眼科研修医
 1982年 東北逓信病院(現:NTT東日本東北病院)眼科
 1982年 東北大学眼科
 1985年 米国シンシナティ大学眼科ポスドク
 1989年 東北大学眼科講師
 1995年 東北大学眼科助教授
 1998年 弘前大学眼科教授

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演題:「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
講師:高橋 政代 (理化学研究所)

【講演要約】
 卒業以来25年余り、臨床と研究と軸足を置き換えながら、それでもずっとどちらからも離れることなく続けてきた。
5年前に京都大学から理化学研究所に移ってからは臨床は週2回の網膜変性疾患専門外来のみになったが、治療開発である我々の研究のためには臨床を離れて研究だけになってしまってはいけないと考えていた。基礎研究は重要であるが、それだけでは治療はできない。
治療という出口を知る臨床医が応用研究をすることは重要なことである。

 網膜再生医療研究の始まりは、1996年にアメリカサンディエゴのソーク研究所の脳研究で有名なGage研究室に留学した時であった。
その際にまだ概念も定まっていなかった神経幹細胞の研究に出会った。
いくつかの分野の境界領域で新しいものは生まれやすい。
眼科医が脳神経研究という分野に飛び込み、神経幹細胞という概念にふれたことで、幹細胞による網膜再生(=網膜細胞移植)という新しい治療研究が芽生えた。
それは神経幹細胞に出会った眼科医であれば誰でも考えつくことであった。

 神経幹細胞を使えば網膜の難病が治療できると意気揚々と留学から帰って研究を続けたが、そう簡単ではなかった。
様々な幹細胞を検討したが一長一短があり、2000年代初めからはES細胞の研究に移行した。
ES細胞から網膜の治療に必要な網膜色素上皮細胞や視細胞が作れることを発表し、ES細胞から作った網膜色素上皮細胞は網膜治療に使えることを初めて示していた。
しかし、網膜色素上皮細胞は他人の細胞の移植では拒絶反応を起こすことが胎児細胞移植で知られており、網膜の病気のために免疫抑制剤を用いて身体を危険にさらすことには躊躇を覚えた。
また、日本ではES細胞は臨床には使えないという声が多く聞かれた。
まごまごしているうちに、アメリカの企業はそんなことはお構いなしに免疫抑制剤を用いてES細胞由来網膜色素上皮細胞の臨床試験を着々と準備しているという情報が入り愕然とした。
その頃、京都大学の山中先生によってiPS細胞が発明されたのである。
iPS細胞は大人の皮膚細胞からES細胞と同じ性質の細胞が作れるので、患者さんの皮膚からiPS細胞を作り、さらに網膜細胞にすれば拒絶反応のない自分の細胞を移植できる。
これで完成だと思った。

 そこから、研究レベルであった細胞の作り方などを大急ぎで臨床レベルの品質に作り上げ、できた細胞の安全性や品質を完璧に確認して、iPS細胞が発明されてから5年で臨床を考えられるところまで漕ぎつけた。
これには、iPS細胞の力、魅力によって産官学の多くの方々の協力が得られたことが大きい。
当初、日本の場合は厚労省の規制が最も難関と考えていたが、それも指針などがどんどん改訂されて、iPS細胞を用いた治療が行えるように先回りして整備されて行っている状態である。
むしろ基礎科学者や新しい治療開発に慣れていない眼科医の先生方の方が(必要以上に)厳しいと感じている。

 再生医療(=細胞治療)は従来の治療とはまったく異なるものである。むしろ手術と同じで、最初から完成されて効果も一定なわけではなく、開始されてから、年月を経て徐々に改良され効果が大きくなる治療である。
白内障手術は20年前と現在で大きく改良され、今やかなり完成された安全で効果的な治療となっている。
網膜細胞移植も最初は重症の方から開始して効果もさほど大きくないであろうが、20年後には安全な一般的な治療になっていると想像する。

 15年前、網膜再生治療の話しをすると「網膜再生は無理だ」という声を聞いた。
ES細胞研究では「ES細胞は倫理的にも問題があり臨床では使えない」と言われ、iPS細胞研究で臨床の話をすると「iPS細胞はまだまだ危険だから治療を考えてはいけない」と言われていた。
臨床研究が視野に入って来た今、5名の患者さんだけで安全性を確認する臨床研究がゴールではなく、一般治療にするための治験、産業化ということが必要であることがはっきりと見えてきた。
「まだ産業化など考える時期ではない」と言われる人も多いが、今までの経験から何事も考えるのに早すぎるということはないと思っている。 

 20世紀は物理学が世界を変えた時代であったが、21世紀はライフサイエンスの時代と言われる。
眼科医は眼科という非常に専門的な分野を熟知している貴重な人材なのである。
その強みを生かした研究に若い人達も挑戦してみてほしいと願っている。


【略暦】
 1986年  京都大学医学部卒業
 1986年    京都大学付属病院眼科勤務
 1988年    京都大学大学院医学研究科博士課程入学 
 1992年   京都大学医学部眼科助手
 1996-97年 米国ソーク研究所研究員
 2001年    京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
 2006年   理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 
      網膜再生医療研究チーム チームリーダー


【中澤満先生の講演に対する参加者からの感想】  到着順
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(眼科医;大学勤務、東北地方)
 私は中澤先生がアメリカから帰国され、何もない実験室に遺伝子解析のシステムを作り上げ、網膜色素変性の患者さんの解析を開始し、日本の第一人者になりアレスチン遺伝子の解析でNatureに報告された流れを目の当たりにしており、今回のお話しは治療にまで言及されるお話しで先生の臨床・研究に対する歴史とその流れを改めて理解でき、たいへん素晴らしい御講演だったと思います。
中澤先生は、いつどんなことを聞いても一瞬で相手を理解しわかりやすく説明してくれるのですが、今回の話も非常に分かりやすいもので、改めて中澤先生の偉大さを感じました。
 講演で検査上の視野と体感的視野についてお話しをされましたが、このことば自体も中澤先生が話をわかりやすくする独特の方法だと思います。
言葉だけでも話の内容が理解できます。
 ニルバジピンはいわゆるDrug reprofiling strategyの1つとして積極的に世の中に御報告されて、網膜色素変性の治療の選択肢にいれていただきたいと思いました。
すごくいい仕事だと思います。

(眼科医;開業、宮城県)
 ご講演を拝聴し、RPの遺伝子、臨床像との関連について しばらくぶりに自分自身の知識をアップデートさせていただきました。
また、アダプチノール内服のエビデンスを示した論文が発表されているのを教えていただきましたので、早速、患者さんとの会話に役立てています。
もう一つ、日頃から何となく感じていた、1)「失明」という言葉に対する患者さんと眼科医の感じ方のギャップ、2)検査結果としての「視野」と患者さんが「見えている範囲」のギャップについて、わかりやすく整理して教えていただきましたので、「のどの奥につっかえていた」ものがすっきりしました。
ありがとうございました。

(眼科医;大学勤務、東北地方)
 ニバジールが効きそうなのには、ちょっと驚きました。
たしかに、色素変性の患者に出会うたびに「治りません、失明する事があります」と言っているよりは、「研究している人がいるんだよ」と言えるだけでこの会に参加してよかったと思います。
中澤先生のお話は、翌日の外来から使えそうな話でとってもためになりました。

(眼科医;病院勤務、香川県)
 長年研究をされてきた中澤先生と高橋先生のお話は厚く深く、さらに人生観までもが織り込まれたすばらしいものでした。
自分がもう少し若い時に拝聴させていただいていれば人生変わったかも・・?!と感じた程でした。
 中澤先生のご講演では、遺伝性網膜疾患の治療研究についてはもちろんですが、医師・患者間での「失明」の語感ギャップから体感視野に至るまで、大変勉強になりました。
「失明」については最近外来を受診された盲ろうの方の言葉が頭をよぎりました。
「ここ2.3年で大分見えにくくなった。いずれ光もわからなくなるのですか?」と筆談されました。
「少しずつ見えにくくなるかもしれませんが、光がわからなくなることはないですよ。」とお伝えすると少し安心した様子でした。
前日のロービジョン研究会の告知の話題と共通点があり、中澤先生のご講演を大変興味深く拝聴させていただきました。

(当事者、新潟県)
 「学問のすすめ」講演会には、初めて参加いたしましたが、両先生の、難しいお話をわかりやすく話していただき、大変勉強になりました。
講師先生方、参加医師の質疑応答を、拝聴し、先生方の熱意に、感動しております。

(教育研究者;大学勤務、茨城県)
 医療関係者対象の講演会にもかかわらず,参加させていただきありがとうございました。
本学の学生にも網膜色素変性が最近多く,よく再生医療の進捗について話題になります。
加齢黄斑変性症に対する臨床研究が始まるようで,先は長いでしょうが明るい話題です。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 今までは原因遺伝子が分からなかったことがPCRの発達によりロドプシン遺伝子の突然変異が原因だったことがわかったことから、一つ一つの積み重ねが病気の原因の発覚に繋がり新薬への開発に繋がると思いました。
このようなことから、研究がいかに治療に対して大切なものなのかを感じることができました。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 ロドプシン遺伝子の点突然変異により色変になるということ、色変の原因遺伝子が70種類以上あること等、大変勉強になりました。
アミノ酸配列コードにおけるミスマッチでこのような病気が起きてしまう悲しい現実が垣間見えました。
ただ、そのような状況の中で、ニルバジピン投与で有意差ありという明るいデータは大変興味深かったです。
他にもサプリメント(ルテインや9-cisレチナール)も効果が高そうなので保険適応等になればよいなと思いました。
Filling in機能は眼から鱗でした。
本当に勉強になりました。
ありがとうございました。

(眼科医;開業、新潟市)
 講演くださった先生方も一流の演者で、有名ミュージシャンのライブにいるような感覚で講演を拝聴しておりました。
自分も若い時にこのような面白い講演を聞いていたら違った道もあったのかな、などとありもしないことを考えてしまいました。
それにしても日曜日の朝一番から演者の先生はじめ、参加者も福島、仙台など遠方から沢山いらっしゃるんですね。
新潟の先生達ももっといらっしゃるのかと思いましたがそれほどでもなく、何か勿体ない気がしました。
同じ講演会でもこのような素晴らしい講演会であれば有料でも拝聴したいです。

(当事者、京都市)
 お二人の先生の講演を聴きながら、ここまで来たのだとの思いであった。
私が当事者としてJRPSに参加した頃は網膜色素変性に対する治療法についての研究はまだまだであった。
会員と共に、孫の時代には治療法の確立をしようと誓い合い、総会で研究助成金を創設した。
お二人の先生にも研究助成金を受賞していただいている。
これからの10年に期待が持てると感じた。

(眼科医;大学勤務、岡山県)
 長年に亘る地道なご研究に心洗われる思いがしました。
遺伝子の異常部位の違いによる薬への反応の差がよくわかり、情報を正しく分析、理解しないといけないなあ、と思いました。
新しい治療薬の研究が進み、患者さんに朗報がもたらされる日が近い気がいたしました。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 遺伝子治療が、まだ海のものとも山のものとも分からない時代に、研究を開始された先生の先見の明に改めて感心しました。
ニルバジピンは効果ありそうでした。
カルパイン阻害による新規ペプチド創薬、点眼のお話、期待です。
9cisレチナール、期待できそうでした。
 そして「失明」についてのコメント。
確かに宣告された途端に明日から急に見えなくなることを心配する患者が多いこと実感しています。
また検査での視野と体感視野、その通りです。
医師と患者の受け止め方にギャップを感じます。
いろいろ教えていただき、ありがとうございました。


【高橋政代先生の講演に対する参加者からの感想】  到着順
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(眼科医;大学勤務、東北地方)
 バリバリの最先端のお話しでした。
先生の研究への思いをうかがったのは初めてのような気がします。
講演会の趣旨に答えた素晴らしい話でした。
まず基礎の研究者と患者さんをみている研究者の研究成果の理解ですが、これはベクトルの違いでお話しをされました。
ベクトルは基礎研究者は確かに深く掘り下げられ大切ですが、応用研究は研究成果のベクトルの方向が患者さんに向かいます。
もうひとつ、患者さんを診ている研究者は目標が決してぶれません。
患者さんの方向にベクトルが向かいます。
いままでぼんやりと理解していたことをはっきりわかりやすく表現されてまさに目からうろこ、という感じでした。
もっと若い臨床医師に聞いてもらいたかった内容です。
 個人的には薬事法に規制された状態で前例のない治療法開発をどのようにすすめているのかもう少し確認したかったところがありますが、日本のいいところとして医師法の存在のお話しを聞けたのはよかったです。
 21世紀はバイオロジー、ライフサイエンスの時代というお話しをされました。
私もそのようになってほしいと思います。

(薬品メーカー;薬品開発、東京)
 QOLを大きく低下させるであろう失明のリスクの多い網膜疾患に対して、基礎研究から臨床研究、さらには、治験を経て医療用市販製剤にまで育てる事により、多くの患者さんに大きな希望を与えたいという先生方の強い意志を感じる事の出来る2つのご講演でした。
 その一方、国やそれに準ずる機関からの大きくてタイムリーな支援が、この日本ではまだまだ不足しているのではないかと思いました。

(眼科医;開業、宮城県)
 講演会直後の12日には「iPS細胞を用いた加齢黄斑変性の治療」、さらに数日後には「iPS細胞を用いたRPの治療」のニュースが全国を駆け巡りました。
 ネイチャーの論文でさえも「疑い」、患者さんのために治療法の確立を「信じて」臨床と研究の両面から走り続けていたということを会場の近い距離でうかがい、鳥肌が立つような感動でした。
私が生きているうちに、治療への道筋が見えればと思っていましたが、近い将来、高橋先生を中心とした日本の臨床研究から 世界中の患者さんのための治療法が確立されることを確信しました。
ありがとうございました。
引き続き、よろしくお願いします。

(眼科医;大学勤務、東北地方)
 再生医療のお話は未来があってとても興味深かったです。
しかももう治験が始まりそうという事なので、もうがんばってください以外の言葉が見つかりません。
またお話で出てきた、無駄な事はない、やってれば誰かがパスを出してくれるという話は、今現在がんばっているみんなの心を打つ話でした。
もちろんそんな簡単な事では無いでしょうが、高橋先生の言葉にはとても説得力があり騙されたと思って頑張ろうかなという気にさせられました。

(眼科医;病院勤務、香川県)
 ご講演で印象的だったのは、「どんなしょうもない仕事でもそこに意味を見出してやっていく、それが大切です。」「走っていればパスがくる。走り続けることが大切。」というお言葉です。
「患者さんと約束したから、研究をやめられない」というお言葉はとても以外で、高橋先生の決意の強さを改めて感じました。
今や再生医療は脚光を浴び花形というイメージがありましたが、その反面走り続けなければならないという重圧もあるんだなと感じました。
私もそろそろ医師になって折り返し地点にさしかかりますが、今回の講演会を出発点に新たな放物線を描きたいと思います。
ありがとうございました。

(薬品メーカー、新潟市)
 EUでは希少疾病の治験が眼科で32グループあり、そのうち17グループが網膜色素変性症の治験を行っていると仰られてました。
いかに網膜色素変性症が世界で注目され、世界で求めている薬剤であるかを知ることができました。
また、イギリスではヒトES細胞をマウスへの移植に成功していることから治療薬の完成に少しづつ近づいてきていると感じました。

(薬品メーカー、新潟市)
 医師と基礎研究という二足の草鞋で活躍されている高橋先生の講演は臨眼学会か何かで講演があったと伺いましたが、貴重な講演が聞けてよかったです。
エビデンスがあったとしてもそれを疑う姿勢がすごいと思いました。
また、PMDAとの交渉でのことも驚きました。
製薬会社では、PMDAより何度何度も細かく指摘されるという状況なので、本当に最先端の研究をされているのだなと驚愕の連続でした。
アメリカは基礎から応用の流れがありますが、日本ではそのようなことがないという現状を知ることができましたし、実用のメド(脈絡膜シートで移植等)が見えてきたということも明るい兆しではないかと思いました。

(当事者、長野県)
 私にとっては懐かしい、あの分子構造、本当に勉強した気分になりました。
前日の小沢先生のお話と併せて、高橋先生の再生医療のお話は、医学の進歩が実感でき、眼科については特に期待が大きくふくらみました。
 2,3日後、高橋先生の再生医療学会での発表があちこちの報道で取り上げられていましたが、私たちは報道より早く、直接お聞きでき、幸運でした。
臨床実験の結果の報告が待ち遠しいです。
将来私にも適用可能かもしれませんので。

(眼科医;大学勤務、岡山県)
 高橋先生の「歩み」を聞かせていただき、まずはそのことに感動しました。
先生の人生にもよい出会いがたくさんおありだったようですが、先生の積極性と不屈の精神がそれを支えたのだと思いました。
また、「人の論文(研究)は疑ってかかれ」という京大魂をお聞きして、「さすがだなあ」と思いました。
臨床も研究も、とアグレッシブな先生の情熱が非常に魅力的でした。

(当事者、新潟市)
 長年網膜色素変性で苦しんできた多くの患者(私も含めて)に一日も早く治療法を確立させたいという熱い情熱と感動と勇気を与えていただきました。
日本にはこんな素晴らしい先生方が日々、壁にぶつかることが沢山あっても、あきらめることなく困難に立ち向かってチームで協力し合いながら「患者さんのために」という気持ちで取り組んでいらっしゃるということがとてもよく伝わってきました。
「今できることの最善策を行っていく」そして、QOLを高めいつの日にか治療が行えるようになる日を期待して生きていけたらと思っています。
それまで、全身の健康状態を良好に保ちながら今の視機能を大切にしていけたらと思っています。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 講演は、臨床医にどうして研究が必要か?という本会の核心のテーマから始まりました。
基礎研究者には、実用化のベクトルがないこと。臨床医は患者のためということからブレルことがない。
ただし10年で目途をつける。
 (京大式)科学的考え方とは、「疑う心」(この論文本当か?多面的見方)・「信じる心・あきためない心」(戦略)。
大学院に入ったが、指導医がいなくなったのでテーマ探しが辛かったが振り返って考えてみると、その時の苦労はとても意義があった。
 「日本発の治療を!」「患者さんとの約束が支え」、、、、、「走っているとパスが来る」、先生がバスケットボールの選手だったことを知り、なるほどと一人で感心していました。
凡人は走る方向やタイミングが悪い。
そこが一流のプレーヤーとの違いなんでしょうね、きっと。
多くの研修医や若手医師に伝えたい講演でした。




2012年3月22日

「学問のすすめ」第6回講演会 済生会新潟第二病院眼科
1)私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事
   大森 安恵(海老名総合病院 糖尿病センター長)
        (東京女子医科大学名誉教授 内科)
2)糖尿病網膜症と全身状態
  -たとえば、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?
   廣瀬 晶(東京女子医大糖尿病センター 眼科) 

  日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 リサーチマインドを持つ臨床医が、新しい医療を創造することができます。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、平成22年2月から「学問のすすめ」講演会を開催しています。
 今回は、元東京女子医大糖尿病センター長で現在も世界各国で活躍中の大森安恵先生(東京女子医大名誉教授;内科)と、糖尿病の全身管理と網膜症について精力的に仕事をしている眼科若手ホープの廣瀬晶先生(東京女子医大糖尿病センター眼科)に講師をお願い致しました。

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私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事
  大森 安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
        (東京女子医科大学名誉教授 内科)
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【講演要約】
 「学問のすすめ」といえば誰しも福沢諭吉を思い浮かべ、「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり」という名文を想起するものである。しかし、私はよりじかに私の心に沁みているものとして、鹿児島県・蒲生八幡神社に掲げてあった福沢諭吉心訓が好きである。
 一、世の中で一番ただしく立派なことは、一生を貫く仕事を持つ事
 一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事
 一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事
 一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事
 一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕し決して恩に着せない事
 一、世の中で一番美しい事は、全てのものに愛情を持つ事
 一、 世の中で一番悲しい事は、嘘をつく事
  である。 

 さらに諭吉より62年先に生まれた江戸時代の儒学者、佐藤一斎の「学は一生の大事」と題する「小にして学べば 則ち壮にして為すことあり、壮にして学べば 則ち老いて衰えず、老いて学べば 則ち死して朽ちず」というこの小文が、学問の大切さを最も力説している名言ではないかと思い敬愛している。

 学問を愛し、人類に貢献した人は、洋の東西を問わず、歴史上枚挙にいとまがない。解剖学者ヴェサリウス,彫刻家ミケランジェロ,野口英世,藤波鑑などなど。その中でも学者として私の好きな人物は、全身麻酔による乳がんの手術に成功した華岡青洲、東京慈恵会医科大学創始者高木兼寛、植物分類学者の牧野富太郎、産婦人科医の荻野久作、精神科医で著述家の神谷美恵子などである。

 1851年検眼鏡を発明したヘルムホルツに至っては、医学生の頃から驚愕の大学者であった。どうゆう動機で体の外から内面を覗き見る方法を発見したのか、この医学生の疑問は昭和20年代、誰からも教えて頂けなかった。今回の講演に際し医史学酒井シヅ教授からヘルムホルツに関する文献を沢山紹介され、50年以上疑問に思っていた事が氷解出来た。これぞ学問であると楽しんだ次第である。

 学問で名をなしたこのような人々の事を考えると私の出る幕ではないと思はれて仕方がないが、ご指名頂き大変光栄に存じている。一つの事柄を確立した人は,一つの病気を発見したに等しいと、恩師平田幸正教授に励まされてきた事に勇気づけられてお話させて頂いた。

 1960年代まで、わが国は糖尿病患者が少なく,若年発症糖尿病も稀であったせいか糖尿病があると危険だから妊娠してはいけないという不文律があった。したがって,糖尿病があって折角妊娠しても人工流産をさせられるか,死産に終わる事が一般的であった。しかし、よく勉強してみると,欧米では糖尿病と妊娠の歴史は、1921年インスリンの発見を契機に始まっており、自分自身の悲しい死産の経験が動機になって、女性の苦しみは女性によって解決すべきであると考え、私の小さな道一筋の第一歩が始まったわけである。

 糖尿病があっても血糖コントロールが良ければ妊娠は出来るという情報を発信すると、東京女子医大病院へ挙児希望の患者さんが全国から来院され、年を経る毎に階段的に急増した。昭和39年女子医大の糖尿病妊婦出産の第一例は、日本における「リリーインスリン50年賞」受賞者の第一例でもある。

 糖尿病学を教わった恩師は中山光重、小坂樹徳、平田幸正教授他、多数いらっしゃるが、「糖尿病と妊娠」の分野を教わる先生は日本におらず子供らをおいて辛い留学をしたのは、この道を開拓し、先進国に並ばねばならない使命感があったからである。

 「糖尿病と妊娠に関する研究会」を立ち上げ、「わが国における糖尿病妊婦分娩例の実態調査」を開始し、糖尿病妊婦治療の第一義は血糖正常化である事を叫び続けてきた。その結果、日本の周産期死亡率は1971年代10.8%であったが20年後には2.2%に減少した。しかし児の奇形率は依然として5?7%から改善していない。それは,糖尿病における奇形は妊娠7週までに形成され、主因はfuel mediated teratogenesisと呼ばれる高血糖であるのに、妊娠してからコントロールを良くしようとする医療が行われているからである。妊娠前からコントロールを良くする計画妊娠が未だ普及していないことを物語るものである。糖尿病妊婦の出産を正常者と変わりなく遂行する努力の傍ら、胎盤インスリンレセプターとインスリンの結合,臍帯血のCPR, IGF-1その他多くの臨床研究をCo-workerとともに行った。

 糖尿病妊婦の臨床研究で最も大切なものは眼科とのチームワークであった。Urretzs-Zavalia著「Diabetic Retinopathy」という単行本の中に、「Diabetic Retinopathy and Pregnancy 」と題する一章があって読みたいが身近にその本が無い。昭和52年この本を持っているのは福田雅俊先生だけであることを知り、目白台の東大分院までお借りに伺った事がある。“学究の徒を同志に得て、僕はとても幸せだ”と言ってお貸し下さったときの嬉しそうなお顔は今でもはっきり覚えている。これをきっかけに眼科医との協同研究はさらに深まった。

 妊娠による糖尿病網膜症の変化、妊娠中の光凝固率、妊娠中光凝固を実施した32例のうち20年以上追跡し得た6症例の単純網膜症化、などなど、光凝固治療法の素晴らしさにこころから敬意を表している。

 医学の日進月歩は凄まじい。私は野口英世の「待て己、咲かで散りなば、何が梅」を座右の銘に,女性医師としての使命感を常に持ってきた。サムエル・ウルマンは「青春とは人生のある期間ではなく,こころの持ち方を言う。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時初めて老いる」と言ったが、老年の現在、理想を失わない努力をしている。

 福沢諭吉が、「世の中で一番正しく立派な事は、一生を貫く仕事を持つ事である」と述べている事を冒頭で紹介したが、まだやらねばならない糖尿病と妊娠の問題を一杯抱えているので死んでなんかいられないと思っている。講演の機会を与えて下さった安藤先生、ご清聴下さった皆様に深く感謝致します。

【略暦】
 1956年 東京女子医科大学卒業 インターン研修
 1957年 東京女子医科大学第2内科に入局
     直ちに糖尿病の臨床と研究を開始
 1960年 死産が動機で糖尿病と妊娠の分野を確立
     小坂樹徳、平田幸正教授に師事。医局長、講師、助教授
 1981年4月 同大学糖尿病センター教授
       この間スイス、カナダに留学
 1985年 「糖尿病と妊娠に関する研究会」の設立に関わり代表世話人
 1991年 東京女子医科大学第2内科主任教授 兼 糖尿病センター長

 1997年3月 東京女子医科大学定年退職、名誉教授
    4月 東京女子医科大学特定関連病院 済生会栗橋病院副院長
 1997年5月 女性で初めて第40回日本糖尿病学会会長
 2001年 「糖尿病と妊娠に関する研究会」 学会に変革し理事長
 2002年 海老名総合病院糖尿病センター長
         現在にいたる
 - - - - - - - - - - - - - - -
 2005年 「日本糖尿病・妊娠学会」名誉理事長
 2008年 米国Sansum科学賞 日本に糖尿病と妊娠の分野確立の理由
 2010年 Distinguished Ambassador Award受賞 
     ヨーロッパ糖尿病学会Diabetes Pregnancy Study Groupより

 

 

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糖尿病網膜症と全身状態
―たとえば、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?
  廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科)
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【講演要約】
 目の前に座った糖尿病患者さんに、その方の今後の血糖コントロールと糖尿病網膜症の予後との関係をわかりやすくお示しできれば、治療のモチベーションが上がり、網膜症だけでなく他の糖尿病合併症の予防にも役に立つのでは?というのが、この研究を始めたそもそもの動機です。 

 HbA1cは、1回の採血で直近1~2ヵ月間の平均血糖を反映する指標であるため、血糖コントロールの良・不良を評価する上で大変便利かつ重要で、日常の臨床の場で広く使われています。しかし、HbA1cの値が高いのに網膜症が全くなかったり、逆に値が低いのに網膜症が進行している糖尿病の患者さんに接して戸惑った経験は、皆さん多かれ少なかれお持ちなのではないかと思います。糖尿病網膜症は、血糖コントロールが不良で糖尿病罹病期間が長いほど起こりやすいことが知られていますが、実は、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?という素朴な疑問については、まだよく研究されていないようなので、調べてみることにしました。 

 ところが、実際に血糖(HbA1c)の網膜症に対する影響をできるだけ純粋に正確に見ようとすると、実に様々なことが問題になってくることがわかってきました。そこで、理想的な症例群のモデルについて以下のように考えてみました。 

 まず、糖尿病網膜症は糖尿病による全身状態の複合的な異常の総和によって起こる疾患であるため、血糖以外の全身的影響因子である血圧・脂質の関与をなるべく少なくする必要があります。これらは、一般に年齢とともに網膜症を悪化させる方向に向かうため、観察対象の糖尿病患者を若年者に限れば、ある程度影響を減らすことができると思われます。 

 また、過去の血糖がその後の網膜症に長く関与するメタボリックメモリーという厄介な現象があり、その影響を取り除くには、結局、そもそもの糖尿病発症の時期を特定し、以後の糖尿病罹病全経過中のHbA1cを把握するしかないと考えました。このためには、発症時期の特定が困難な2型糖尿病より1型糖尿病が適しており、また1型糖尿病の中でもゆっくり進行するタイプは除外し、特に発症時期がはっきりしている症例だけを選ぶ必要があります。

 さらに、HbA1cの値は測定の方法・機種・年代により実はかなり誤差が大きく較正が必要なこと、網膜症もいろいろな検査法で判定が変わってくることを考えると、ほぼ同一の時期に観察をはじめて、同じ期間・施設で継続して検査したHbA1c値と網膜症の判定結果を用いるのが望ましいことになります。しかも糖尿病網膜症の進行は遅いため、血糖コントロールの違いによる差を見るためにはかなり長期の観察期間が必要になってきます。 

 これら全ての条件を満たすため、1988年~1990年の3年間(比較的同一時期)に東京女子医科大学・糖尿病センターを初診した(同一施設)糖尿病患者約9000人の中から症例を厳選しました。すると、30歳未満(若年者)での糖尿病発症(はっきり月単位で特定できるもののみ)後12カ月以内(20年の観察期間に比するとほぼ発症直後)に初診した若年発症1型糖尿病で、以後継続して同センターでHbA1c測定と眼底検査を行い(他施設でのHbA1c値・網膜症評価は使用せず、かつHbA1cが2年度以上測定できなかった症例は除外)、20年目(長期の観察期間後)に網膜症の評価ができた症例が15例残りました。男性6例女性9例、糖尿病発症時年齢は20±8 (平均±SD)(5~28)歳、糖尿病発症~初診までは3±3 (平均±SD)(0~11)ヶ月で、糖尿病発症後20年度に網膜症有は5例(33%)でした。 

 これらの症例では、20年目での網膜症の有無は20年間の通算平均HbA1c値が8%弱程度(JDS値)で分かれていました。症例数が少ないのでまだ確かな事とは言えませんが、かなり厳密に症例を選んだ結果ではありますので、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?という疑問に対しての、現時点での答えであるようにも思われます。 

 また、20年目で網膜症有の群の毎年の年間平均HbA1c値の推移は興味深く、20年間を通じて一律に高いというばかりではなく、糖尿病発症後前半の約10年間は網膜症無の群にくらべて有意に高値なのに対し、後半の10年間ではその有意差がなくなっていました。目の前に座った患者さんの現在の網膜症の状態が最近のHbA1cと乖離していても、それは、その方の網膜症が糖尿病発症以来長期に渡る通算HbA1cの結果であるから(昔の血糖が効いているから)なのかも知れないわけです。

 また、HbA1c値を用いた網膜症発症予測指数が有用である可能性があり、逆に網膜症からの指数の推定や、将来は血糖だけでなく種々の全身的因子と糖尿病合併症全般との関係の包括的な解析ができればなあ、と考えております。  

【略歴】
 1986年 東京医科歯科大学医学部卒業・同眼科研修医
 1990年 出田眼科病院
 1996年 東京医科歯科大学眼科助手
 1996年 (東邦大学佐倉病院眼科国内留学)
 1999年 (Johns Hopkins大学research fellow)
 2003年 帝京大学眼科助手
 2005年 東京大学眼科助手
 2008年 東京女子医科大学東医療センター眼科講師
 2009年 東京女子医科大学糖尿病センター眼科講師

 

2011年10月20日

「学問のすすめ」第5回講演会 済生会新潟第二病院眼科
 1)私と緑内障
    岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
 2)神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー
    栂野 哲哉 (新潟大学)

  日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 リサーチマインドを持つ臨床医が育たなければ、医療の創造はありません。
 難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、「学問のすすめ」講演会(主催:済生会新潟第二病院眼科)を、平成22年2月から開催しています。
 第5回講演会は、世界に誇る「多治見スタディ」を成し遂げた中心人物の一人である岩瀬愛子先生(たじみ岩瀬眼科)と、今井記念緑内障研究助成基金の平成22年度助成受賞の栂野哲哉先生(新潟大学眼科)に講師をお願いしました。
 

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私と緑内障
     岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
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【講演要旨】
 半生を語るという命題をもらい、どのようにして今までやってきたかを語るように依頼された。若い方の参考になるのか、まったくもって不明だけれども、自分を反省するよい機会としたい。

 昭和55年に岐阜大を卒業して眼科に入局した時、自分のテーマは「緑内障」と決めていた。当時の岐阜大は、早野三郎教授の下、黎明期の眼内レンズ関連の研究が主流であったのに「私は緑内障をやりたいのです」と研修医の分際で生意気にも早野教授に直訴したことがある。もちろん、眼内レンズ研究の動物実験のお手伝いもしていたが、願いかなって研修医としての私の最初の学会発表は、「閉塞隅角緑内障眼の生体計測」であり、早野教室としての最後の学会発表は、妊娠9カ月半で発表した「Mucopolysaccharidosisによる緑内障の病理」であった。後者は指導医舩橋正員先生のご指導で論文となった。

 直後に産休・育休に入り、勤務に復帰した時には、早野先生は学長になっておられ、後任の教授はなんと「緑内障」の北澤克明先生であった。テーマとして頂いたのは「ハンフリー視野計の日本第1号機」での仕事で、これは、同期の富田剛司先生(現東邦大眼科教授)が、最初に取り組み、器械の日本語化とデータベースの検証をしていたが、途中で留学されたことでその後の岐阜大のハンフリー視野計の仕事はすべて私にまわって来ることになったものであった。例えば、世界の収集サイトの一つとして「STATPAC用の正常眼データの収集~日本人正常眼データの同ソフトへの参加」、「SITAプログラム用の正常眼および緑内障眼データ収集」や「各種視野解析ソフトの開発・評価」などがあり、これらの関連研究で国際視野学会(IPS)にも参加させていただけるようになった。元々「緑内障」をテーマにしたい私であったので、IPSで多くの国内外の視野研究者及び緑内障研究者と接することができるようになったことは大変勉強になった。

 1990年、多治見市民病院眼科に赴任した。しかし、「自治体病院」での「研究」は周囲の理解がなかなか得られにくい状況であった。「自治体病院は大学のような研究機関ではない」、「学会出席のための休診は極力少なくして市民のために働けばよい」、「全科当直も当然であり、眼科24時間救急対応はDuty、研究をしている時間はあるのですか?」「男性医師でも言わないことを女医のくせに」などといわれ、そのたびに、さらに色々意見を言うと「眼科だけに特例は認められない。前例がないことを言わないでください」と返ってきた。これは当時よく病院職員から言われた台詞である。しかし、こだわりの「緑内障」を自分のライフワークとするべく、あきらめたくなかった私は、環境を整えるため市や市長、病院の職員に働きかけ、一方で臨床の成績をあげることで研究を続ける権利を確保しようと日々戦っていた。

 赴任から10年たった2000-2001年日本緑内障学会の疫学調査を多治見市で行うこととなり(多治見スタディ)、調査だけではなく同時に、多数の一般市民への眼科検診も実施することになり結果的に18000人の市民を検査した。この一大事業は、それまでの私の経歴と環境とをフルに生かして緑内障研究に貢献できる大きなチャンスとなった。そして、同時に、それまで、自己中心的に、臨床と研究とを確保しようと戦っていたつもりの私に、実は、赴任後10年の間に起こった、すべての人とのすべての事柄が、自分のためになっており、ひいてはこの事業を成功させ、そしてその後の研究につながっていることをわからせてくれた。「前例のないことを強引に言い出す女医」に根負けして親身になって一緒に考えてくれていた元病院職員は、人事異動で市役所のいろんな部署に配属されており、多治見市全体を巻き込む疫学調査という一大事業に、やはり親身になって各部署から協力をしてくれた。卒後ローテーションのない時代に直接眼科に入局した私は救急対応の知識は極めて少なかったが、「Dutyの全科当直」の時に電話で呼び出して来てもらった他科の医師から初めて学び、それが多治見スタディの巡回検診会場での救急対応に役にたった。「多治見スタディ」の実施期間には、岐阜大眼科の医師や、日本緑内障学会の多くの医師と団体戦で戦った。
   *「多治見スタディ」
  http://www.ryokunaisho.jp/general/ekigaku/tajimi.html

 その後、「久米島スタディ」にもつなぎ、今もなお、論文化で団体戦は続いている。これら、多くの人の、すべての知識、すべての知恵を総動員するような研究に参加できたことは、本当に幸せなことであった。北澤先生の指示で始まったことではあるが、神様がくれた仕事であったように思っている。「緑内障」をテーマに、「あきらめない」で仕事をしていてよかったと思う。 

 ところで、私の卒業した小学校に、亡き父がそこの校長をしていた頃に作った石碑がある。「立志」と刻まれている。父の座右の銘は「なさざる罪」であった。戦艦大和の沈没時に生き残った父にとっては別の意味もあったかもしれないとも思うが、私には「志を持ってそれを貫け、実現するように常に努力せよ、余裕があるようではいけない。余裕があるならもっとできる。責任のあるものは、最後まで努力をしなければならない。出来ることをしない場合には、それを、なさざる罪という。」という意味だと言っていた。そう教えられて育ってしまったので、本当は、「余裕」は大切なのではないかと今は思うけれども、いつも「余裕があるならもっとできる」と思ってしまう。 そして「志を持ってそれを貫く」「あきらめない」私の周りの人には、多大な迷惑をかけているような自覚も、最近やっと出てきたが、いまさら変われないかもしれない。

 「緑内障」になぜそんなにこだわるのか?私の母方の祖父は、昭和20年3月の東京大空襲の焼夷弾の下で緑内障の発作を起こしたと私に教えてくれた。「緑内障」は大好きな祖父の敵(かたき)なのである。

 私は今、公設民営化を機に、多治見市民病院を退職した。一開業医として、患者さんの日常に一番近いところにいる診療の中で、「緑内障」についての何か、大学などの研究機関では見つからない何かを、いつか発見できるのではないかと、わくわくしながら、小さなアンテナを張って診療している日々である。まだまだ、あきらめないつもりである。

【略歴】
 1980年 岐阜大学医学部医学科卒業
 1981年 岐阜大学医学部眼科助手
 1989年 岐阜大学学位取得(医学博士)・眼科専門医
 1990年 多治見市民病院眼科医長・岐阜大学非常勤講師
 1995年 多治見市民病院眼科診療部長
 1996年 International Perimetric Society(IPS:国際視野学会) Board Member
 2002年 日本緑内障学会評議員・IPS:Vice President (2002-2006)
 2005年 多治見市民病院副院長・日本眼科学会評議員
 2008年 金沢大学非常勤講師(眼科)
 2009年 たじみ岩瀬眼科院長・東海大学客員教授(眼科) 現在に至る

【賞罰】
 2003年 日本緑内障学会特別賞 (多治見スタディへの貢献に対して)
 2004年 AIGS Award (on behalf of Japanese Glaucoma Society)
 2006年 社団法人日本眼科医会表彰 会長賞
 2007年 第2回World Glaucoma Congress Poster入賞 

【主な論文】
1)The prevalence of primary open-angle glaucoma in Japanese: the Tajimi Study.
 Iwase A, Suzuki Y, Araie M, Yamamoto T, Abe H, Shirato S, Kuwayama Y, Mishima HK,Shimizu H,Tomita G, Inoue Y, Kitazawa Y; Tajimi Study Group, Japan Glaucoma Society.
 Ophthalmology. 2004 Sep;111(9):1641-8.
2)The Tajimi Study report 2: prevalence of primary angle closure and secondary glaucoma in a Japanese population.
 Yamamoto T, Iwase A, Araie M, Suzuki Y, Abe H, Shirato S, Kuwayama Y, Mishima HK,Shimizu H,Tomita G, Inoue Y, Kitazawa Y; Tajimi Study Group, Japan Glaucoma Society.
 Ophthalmology. 2005 Oct;112(10):1661-9.
3)Prevalence and causes of low vision and blindness in a Japanese adult population: the Tajimi Study.
 Iwase A, Araie M, Tomidokoro A, Yamamoto T, Shimizu H, Kitazawa Y; Tajimi Study Group.
 Ophthalmology. 2006 Aug;113(8):1354-62.
4)Risk factors for open-angle glaucoma in a Japanese population: the Tajimi Study.
 Suzuki Y, Iwase A, Araie M, Yamamoto T, Abe H, Shirato S, Kuwayama Y, Mishima HK,  Shimizu H,Tomita G, Inoue Y, Kitazawa Y; Tajimi Study Group.
 Ophthalmology. 2006 Sep;113(9):1613-7. Epub 2006 Jul 7.
5)Performance of frequency-doubling technology perimetry in a population-based prevalence survey of glaucoma: the Tajimi study.
 Iwase A, Tomidokoro A, Araie M, Shirato S, Shimizu H, Kitazawa Y; Tajimi Study Group.
 Ophthalmology. 2007 Jan;114(1):27-32. Epub 2006 Oct 27.

 

 

 

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神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー
    栂野 哲哉 (新潟大学医歯学総合研究科視覚病態学分野)
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【講演要旨】
 大学院に在籍していた4年間、私は新潟大学の分子細胞機能学教室(注1)の五十嵐道弘教授のもとで神経再生に重要な成長円錐に関連する研究を行った。
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(注1)新潟大学医学部分子細胞機能学分野〈医学部生化学第二〉教室
  http://www.med.niigata-u.ac.jp/bc2/study/index.html
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 再生医学とは、胎児期にしか形成されない人体の組織が欠損した場合に、その機能を回復させる医学分野である。細胞レベル、組織レベル、器官レベルでの再生が必要となるケースが存在するが、後者になるほどその実現は困難となる。これまでの多大な研究成果により、いくつかの分野では臨床応用も始まっている。しかし、網膜や視神経を含む神経組織においては細胞体の脆弱性や分裂能の欠如、成人組織内では神経幹細胞がほとんど見られないなど幾多の困難がある。ES細胞やiPS細胞などの幹細胞技術の進展がこれらを打開しようとしている一方、神経細胞が機能を発揮するために最も重要な点である神経回路の再生という課題が残されている。

 緑内障を含む軸策索損傷による神経細胞が再生を果たし機能を再獲得するためのステップは次のとおりである。①細胞死シグナルの抑制、②軸索伸長のための細胞内の状態の切り替え、③グリア瘢痕の抑制、④標的ニューロンへの軸索誘導、⑤シナプスの形成。いずれのステップも重要であり日々研究努力が注がれているが、私の所属した研究室では主に④標的ニューロンへの軸索誘導、についてのメカニズムを分子細胞生物学的なアプローチでの解明することに力を注いでいる。 

 軸索誘導とは神経細胞が一本の軸索を伸長させ、標的のニューロンや組織に正しく導くための機構のことである。伸長している軸索の形態学的な特徴として先端に存在する成長円錐(注2)があり、この器官が外部の様々なシグナルを細胞内の骨格変化へと転換し、伸長方向を定めている。
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(注2)成長円錐
 成長円錐は、神経が伸びていく先端に存在する、運動性に富んだ構造体で、神経と神経(時には神経と筋肉)のつながりを作る(学術用語では「神経回路形成」「シナプス形成」)のに必須の役割を果たします。すなわち、標的となる神経(あるいは筋肉)の所まで、間違わずに成長円錐が伸びていって、正しい場所に到達したらそこで停止して、「シナプス」という神経同士の連絡する構造体を作る、ということです。この原理は、脳の形成や働きに絶対不可欠なものです。
 (分子細胞機能学教室(注1)のHPから)
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 この成長円錐による、軸索誘導の分子学的メカニズムが明らかとされた研究の一つに、ニワトリの網膜を使った実験がある。鳥類の網膜は視蓋と呼ばれる領域に正確な地理的投射を行っているが、これを実現するためにephrin-Eph 系と呼ばれる細胞表面にある認識機構が存在する。Ephはephrinと接触すると細胞内の骨格に変化を与え、伸長方向を反転させる(反発シグナル)。網膜神経節細胞においては鼻側に比べ、耳側でEphファミリーの一つEph A3がより多く発現しているが、視蓋においてはephrin A2が後方→前方の傾斜を持って発現している。その結果鼻側の神経軸索は視蓋後方に、耳側の神経軸索は前方に、といった地理的投射が可能となる。神経系の発生では、このようなシステムが決まった時期、場所に発現することにより正確な回路が形成される。 

 成長円錐には多彩な機能が存在するにもかかわらず、それを説明するに十分な分子学的基盤はほとんど知られていなかった。そこで我々の研究室ではまず、成長円錐に存在する蛋白質を網羅的に同定すること(プロテオーム解析:注3)を試みた。
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(注3)プロテオーム解析 プロテオミクス(proteomics)
 プロテオミクス(proteomics)は、ある系に存在するタンパク質を網羅的に(数百種類から2,000種類以上まで)同定する手法で、どのタンパク質がどの程度の量、存在するか、といった情報までわかります。新潟大学医学部分子細胞機能教室は成長円錐についてプロテオミクスを適用し、一挙に1,000種類近くの分子情報を把握しました。これは成長円錐に関して、世界で初めての研究で、さらにこれを推し進め、少なくともその内の一割以上が、成長円錐に強く濃縮されて局在し、また18種類のタンパク質がその中で、成長円錐の機能を支える分子であることを証明しました(PNAS 106: 17211-6[‘09])。
 (分子細胞機能学教室(注1)のHPから)
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 新生ラットの全脳を試料にステップワイズの遠心分画法を用いて成長円錐分画を取得、さらにこれを界面活性剤処理することにより細胞膜分画を得た。一般的なプロテオーム解析では2次元電気泳動により多くのタンパク質をゲル上に展開するが、不溶性蛋白質や、微量のタンパク質の同定に弱いという問題があった。そこでプロテオーム解析の先導的研究室である都立大学(現:首都大学東京)の磯部俊明先生らとの共同研究により2次元クロマトグラフィーを応用したプロテオーム解析をおこなった。これにより短時間の解析にもかかわらず945個の蛋白質を同定することができた。さらにその存在を確認するために、マウスの大脳皮質培養細胞を用いてこれらの蛋白質のうち、抗体が使用可能であった131種類のものについて免疫染色を行った。その結果全ての蛋白質で成長円錐への存在が確認され、本プロテオーム解析法の有用性が実証されたといえる。

 次にこれらの蛋白質の中から、成長円錐の機能に深くかかわっているものを同定することを試みた。まず、免疫染色における染色の度合いを数値化し、軸索と成長円錐での染色比を算出した。以前より成長円錐への局在があることが知られているGAP43の染色比を基準に、これと同等あるいはそれ以上の染色比がみられた68種類の蛋白質を選出し、機能の確認実験を行った。

 機能の詳細が未解明な蛋白質について検討する際、目的蛋白質を選択的に発現させないように遺伝子改変させたノックアウト動物が用いられてきた。しかし、細胞レベルでの実験が目的である場合にはコスト、労力、時間いずれも過大である点が問題であった。そこで近年そのメカニズムが明らかにされ、研究にも応用されているRNA干渉(RNAi)による遺伝子ノックダウン法を用い、培養マウス大脳皮質細胞におけるこれら候補蛋白質の神経軸索伸長への関与について検討した。その結果17種類のタンパク質においてRNAiの導入により、軸索伸長が有意に抑制されることが確認され、これらが成長円錐の機能に大きくかかわっていることが示唆された。今後はこれら候補蛋白の分子間相互作用や局在変化などの成長円錐内での詳細な機能についての発展が期待される。

 4年間の研究生活で私の得たものは数多くあるが、2つあげるとするならば医学論文のより実践的な読み方を習得できたこと、論理的思考に基づいた研究計画の立て方を学べたことである。是非これらを今後も研究生活に役立てたいと感じている所存である。

【略歴】
 1999年 新潟大学医学部卒業
  同年 新潟大学医学部眼科入局
 2000年 長野厚生連小諸厚生総合病院
 2005年 新潟大学大学院卒業
 2006年 新潟県立新発田病院医長
 2008年 新潟大学医歯学総合病院勤務
    現在に至る
【賞罰】
 今井記念緑内障研究助成基金 平成22年度助成受賞 

【おもな論文】
1)Role of Ser50 phosphorylation in SCG10 regulation of microtubule depolymerization.
 Togano T, Kurachi M, Watanabe M, Grenningloh G, Igarashi M:
 J Neurosci Res. 2005 May 80(4): 475-480.
 http://www.med.niigata-u.ac.jp/bc2/member_list/togano.pdf
2)Identification of functional marker proteins in the mammalian growth cone.
 Nozumi M, Togano T, Takahashi-Niki K, Lu J, Honda A, Taoka M, Shinkawa T, Koga H,Takeuchi K, Isobe T, Igarashi M:
 Proc Natl Acad Sci U S A. 2009 Oct 106(40): 17211-17216
3)Progression rate of total, and upper and lower visual field defects in open-angle glaucoma patients.
 Takeo Fukuchi, Takaiko Yoshino, Hideko Sawada, Masaaki Seki, Tetsuya Togano,Takayuki Tanaka, Jun Ueda, Haruki Abe,
 Clinical Ophthalmology, Vol.4, 1315 – 1323(2010)

 

2011年7月19日

「学問のすすめ」第4回講演会 済生会新潟第二病院眼科
 1)臨床研究における『運・鈍・根』
    三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
 2)経角膜電気刺激治療について  
    畑瀬哲尚 (新潟大学)    

    日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00   
  会場:済生会新潟第二病院 B棟2階研修会室    
 主催~済生会新潟第二病院眼科    参加費 無料  

 難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、(チョッと大袈裟ですが)講演会「学問のすすめ」を開催しています。

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臨床研究における『運・鈍・根』」              
 三宅養三(愛知医科大学)
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【講演要旨】  
 安藤伸朗先生から「学問のすすめ」という主題で、臨床医におけるリサーチマインドの重要性を話すように依頼された。福沢諭吉の「学問のすすめ」には「天ハ人ノ上二人オ造ラズ人ノ下二人オ造ラズ」という有名な言葉があるが、これは「人間は生まれたときは皆同じ、歳を経て人間の差ができるのは学問をするか否かである」ということが言いたかったのである。そのため安藤先生がこの主題を選ばれたのは、ひとたび医師になった以上、終生学問を続けなければ碌な医師にはなれないことを強調されたかったのではないかと思う。  

 さて臨床研究における「運・鈍・根」という題を私が選んだのは、一生おもしろく学問を続けるにはどうすればよいかを自分の経験から得た独断的な思考から述べてみようと思ったからである。古くは北里柴三郎も強調しているように、臨床医学を行うためにはまず、あるいは常に、基礎医学を学ぶ(あるいは経験する)ことが極めて重要である。生体の基礎的なメカニズムを知らずに臨床医学は行うことは倫理的にも許されないとすら思われる。いや、そのような大げさなことではなく、基礎研究を経験して臨床を行う方が、どれだけ臨床に深く、また興味を持って従事できるかは、それを経験した人でなければ分からない。

 研究とはクイズ解きのようなものであるが、臨床研究の場合、神か悪魔が造った”疾病”という複雑なクイズの材料は、多くの想定外の側面を持っている。すべての研究で想定外の結果を得るということはそれ自体興味深く極めて重要なことであるが、臨床研究でそれが真に価値あるものである絶対条件は、その結果が正しいということである。  

 まず臨床研究における「運・鈍・根」の「鈍」とは何を意味するのだろうか。あまり時流に乗らず頑なに一つの研究を続けられることを指すのであろう。頭が切れ、先が読めすぎる人、すなわち「敏」に満ち満ちた人は臨床研究には向かないことがある。医師と患者の信頼関係を保ちながら正しい診断、その時点では最も患者にとって良い治療、治療効果あるいは病態経過の正しい評価を、非常に長期間にわたってフォローするという、あまり刺激的ではない地味な「根」の要る作業がまずできるかどうかであろう。その上でリサーチマインドを持って、その複雑な疾病を独自の思考方法でじっくり観察しているうちに「運」に巡り合え、大きな発見に繋がることがある。眼科学の歴史に残るような大きな臨床的新知見は、多くがこのような過程を経て見つけ出されており、また興味深いことに、多くの場合に基礎研究も経験した人がそれを成就している。  

 自分の40年を超す大学人としての経験を振り返ってみても、例えば私のライフワークの一つである夜盲症の研究は、眼科医になってすぐに生理学の御手洗玄洋先生の下で鯉の網膜単一細胞内電位を記録する研究に従事していたことから始まった。網膜水平細胞からの電位が研究テーマであったが、ときに記録された双極細胞からの反応が極めて興味深く、双極細胞が障害されるとどのような見え方になるかという単純な興味から、特殊な夜盲症にのめりこんだのが、その後30年以上続くことになる研究の始まりだった。  

 とにかく「鈍・根」で多くの症例を集め、正確な機能検査を続けているうちに、それまで一つの疾患と思われていた夜盲症が全く異なった二つの疾患の集合である可能性に気づき、最終的に遺伝子学的にそれを実証するまで、多くの論文を書き、また双極細胞に関する多くの新知見を得た。双極細胞の分析に適した2つの疾患に巡り合ったこと、またちょうど私の研究と時期を同じくして双極細胞を自由に変化させうる薬物が開発され動物で使用できたこと、これらはすべて私の持つ強力な「運」であろう。この一連の研究に30年以上を要し、現在も研究は進行中である。  

 もう一つのライフワークである黄斑部局所ERG(FERG)の開発とそれにより発見した新しい遺伝性黄斑疾患であるOccult macular dystrophy(OMD)もまさに「運・鈍・根」の賜物であった。FERGは1976年に米国留学をした時から始めた研究であったが、米国での3年間の研究では臨床的に使用可能な装置を開発することはできなかった。しかし3年間、日本に帰ってどのような工夫をするかを日夜考えて帰国した。帰国後恩師の御手洗教授に相談したところ、キャノンをご紹介くださった。キャノンは御手洗家とは極めて縁の深い会社である。その後のキャノンの熱心なご協力により、1986年に最も情報量の多いFERG装置の開発に成功した。研究を始めてから実に10年を要したわけだが、成功の最大の秘訣は、御手洗教授がキャノンをご紹介くださった「運」と10年間も粘っこくFERGを追い求めた「鈍・根」である。さらにこの装置を用いてその後20年以上にわたって根気よく5000例以上の臨床例の検査を行った。  

 その途上OMDが発見された。このOMDの遺伝子異常は残念ながら名古屋大学在籍中には発見されなかったが、私の持つ強力な運は退官後に移った東京医療センター・感覚器センターで開花した。そこでOMDの大家系が見つかり、新潟大学の臼井知聡先生、感覚器センターの岩田岳、角田和繁先生という、この家系の臨床分析、遺伝子分析に重要な貢献をされた方々によりOMDの変異遺伝子が同定された。FERGの開発に乗り出してから、通算34年を要したことになる。  「運・鈍・根」は昔から汎用された用語であるが、臼井知聡先生から、これに「縁」を加えるとより私の言いたいことに近づくと示唆して頂いたこと、東京女子医科大学名誉教授の大森安恵先生から、「鈍」は作家・渡辺淳一の「鈍感力」にも通ずる感覚であることを指摘して頂いたことに深く感謝したい。

【三宅養三先生;略歴】  
 三宅養三 (愛知医科大学理事長 名古屋大学名誉教授)  
 1967年 名古屋大学医学部卒業  
 1968年 名古屋大学眼科入局  
 1976~79年 ハーバード大・Retina Foundation留学  
 1997年 名古屋大学眼科教授  
 2000~2004年 国際臨床視覚電気生理学会・理事長  
 2005年 名古屋大学名誉教授、国立感覚器センター所長  
 2007~2010年 愛知淑徳大学教授、愛知淑徳大学クリニック院長  
 2010年 愛知医科大学理事長

 

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経角膜電気刺激治療について      
 畑瀬哲尚 (新潟大学)
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【講演要旨】
 これまで、視神経損傷や緑内障などの難治性視神経疾患に対して、さまざまな視神経機能回復の治療が試みられているが、十分な効果のあるものはない。近年、経角膜電気刺激(transcorneal electrical stimulation、以下TES)は網膜のミューラー細胞を賦活化し、Insulin-like growth factor (IGF-1)を誘導させ、網膜神経節細胞に対して神経保護作用を高める効果を有することが分かり、視神経疾患や網膜疾患に対する治療応用が報告されている。我々は種々の網膜視神経疾患にTESを行い治療効果を検討した。  

 対象は非動脈炎性虚血性視神経症28例31眼、発症後半年を経過し視神経萎縮に陥った症例(多くは視神経炎後や圧迫性視神経症)21例30眼、網膜色素変性症7例14眼、外傷性視神経症7例7眼、緑内障5例7眼、脳神経外科手術後の視力障害2例2眼等計70例91眼に対してTESを行い、治療前後で視力、視野検査等を行った。刺激条件は電流強度200~1600μA、パルス幅 10mS / phase、刺激頻度 20Hz、刺激時間30分間とした。施行間隔は約1か月とし、施行回数は3回を基本としたが、継続希望が強い方はそれ以上行った。視力の変化はlogMAR換算にて0.2以上の変化を改善ないし悪化とした。  結果は、非動脈炎性虚血性視神経症では7例7眼で改善、その他は不変であり、悪化はなかった。視神経萎縮に陥った症例では4例4眼、外傷性視神経症では4例4眼で改善を認め、その他は不変であり、悪化はなかった。緑内障では全例で不変だった。脳神経外科手術後の視力障害では2眼全例で改善を認めた。網膜色素変性症の症例では1例2眼に改善が疑われる結果を得たが、この結果についてはさらなる検討が必要と考える。  

 今回の検討から、急性期の疾患では自然改善との区別が難しい例もあるが、視神経疾患(非動脈炎性虚血性視神経症、視神経萎縮に陥った症例、外傷性視神経症、視交叉疾患脳外科術後)ではTESが有効な症例があり、副作用もないことから、積極的に試みてよい方法と考えられる。その一方、緑内障に対しては無効であった。  

 TESの臨床応用はまだ始まったばかりであり、今後、治療効果の判定基準や有効TES実施回数、長期効果など明らかにすべき課題や疑問がたくさんある。まず行うべき課題は、質疑応答で御質問をいただいたように、TESの効果を評価することができる他覚的検査法(CCDカメラを使用することによるRAPD(*)の定量的測定や電気生理検査など)の確立を実現させていくことだと考えている。

*RAPD~relative afferent pupillary defectの略  
たとえば右眼が視神経症で視力低下していて左眼が正常の場合、ペンライトを右眼から左へ動かすと左の瞳孔が縮瞳する。そこから右眼にライトを戻すと、ライトが来た瞬間には右眼は間接反応のため縮瞳しているが、ライトの明るさを右眼は感知できないのでライトを照らしているにも関わらず瞳孔がかえって開いてゆくという奇異な反応が見られる。これをRAPDと言い、視神経障害に出現する反応である。

【畑瀬哲尚先生;略歴】  
 畑瀬哲尚 (新潟大学)   
 2002年 新潟大学医学部卒業、
      新潟大学医歯学総合病院眼科入局   
 2003年 十日町病院眼科勤務   
 2004年 佐渡総合病院眼科勤務   
 2005年 海谷眼科勤務   
 2010年 医学博士   
 現在  新潟大学医歯学総合病院眼科医員

 

2011年4月19日

「学問のすすめ」第3回講演会 済生会新潟第二病院眼科
1)眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く
   ―亡き恩師からのミッション

    堀 純子 (日本医科大学眼科;准教授)
2)わがGlaucomatologyの歩みから
    岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授)

 日時:2011年4月2日(土) 15時~18時

 場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 主催~済生会新潟第二病院眼科

 難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、(チョッと大袈裟ですが)講演会「学問のすすめ」を開催しています。 

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眼の恒常性の不思議 “Immune privilege”の謎を解く
 -亡き恩師からのミッション-

   堀 純子 (日本医科大学眼科;准教授)
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講演要旨
 私の故郷は、一年の半分近くが雪に覆われる豪雪地帯で、塾などとは無縁の田舎で、興味は誰からも与えられるものではなく、自分で見つけるしかなかった。長い冬の末に、積雪の表面の変化や空気の匂いの変化を感じ取り、そこから暖かい春をあれこれと想像するといった風土で、今から思えば、研究の過程に似ている。未知のことをしたい、未知のところに行きたい、ばかり頭にある学生で、当時の岩田和雄教授に紹介状を書いていただき東大に入局した。 

 東大で水流忠彦助教授(当時)率いる楽しそうな角膜グループに入れていただいた。水流先生がご紹介してくださった東大循環器内科(現東京医科歯科大学循環器教授)の磯部光章先生は、免疫副刺激シグナル分子の機能を調節して心移植後の拒絶反応を抑制したことをScienceに報告したばかりの「時の人」だった。同様の分子の機能調節を角膜移植のマウスモデルで試したところ、拒絶が抑制されたばかりか、角膜移植片が生着している宿主に、角膜ドナーと同じドナーの皮膚を移植しても拒絶されない、という現象を観た。他のドナーの皮膚は拒絶されたので、「抗原特異的な免疫寛容」である。免疫学の難解な専門用語が、生き生きとした生体の現象に変わった瞬間である。 

 角膜移植や眼免疫の文献でStreileinという名前を何度も目にし憧れていた。1996年のICER(横浜)でStreileinを見つけ、留学を願い出て、翌年からスケペンス眼研究所の彼のラボのポスドクとなった。Streileinは、「Immune Privilege 」(免疫特権)の研究に最も力を注いでいた。移植学の父と呼ばれノーベル賞を受賞したMedawarが1940年代に生んだ Immune privilegeという概念は、Streileinらにより一つの学問分野として確立していた。Immune privilegeは、「高度な生命活動に必須の特殊な臓器(眼、脳、生殖器官など)が、過度の炎症による機能障害に至ることなく、恒常性を維持できるように、特別に有している免疫抑制性の性質」、と理解される。そのしくみを解き明かし伝承することが私のボストン時代からのミッションとなった。 

 留学中、私は「Frankenstein-maker」と呼ばれながら、角膜全層やパーツ、神経網膜、腫瘍、神経幹細胞スフェアなど様々な組織や細胞を腎被膜下に移植し、各々の組織(細胞)特有の免疫特性を解析した。臨床における各々の移植後の拒絶リスクと対策について有用な情報を提供するとともに、免疫特権組織が特有に発現するFasL などの「炎症を制御する分子」に興味をもった。帰国後、環境面で苦慮する時期があったが、ミッション中断の発想は無く、国立感染症研究所に居候して継続した後、日本医大にラボを整えた。 

 研究(学問)をする心的環境は、自分自身がその分野に興味をもっていて、何らかのミッションを感じていれば、十分であると思う。研究費や設備や研究人員などの環境は、ゼロからでも構築できるものだ。“Find a right person and a right place.” という恩師の言葉を幾度も思い出した。地理的にも学問分野的にもグローバルな交流を広げて協力者を増やすことと、良いもの(正しいこと)は必ず認められると信じること、が大切だと思う。 

 2004年にStreileinが他界し、 「Immune Privilege の謎を解く」というミッションは不動となり、「炎症を制御する分子群」の探索と機能解析を今日まで続けている。B7-H1, GITR-L, B7-H3, ICOS-Lなど眼組織に恒性発現する副刺激シグナル分子が、眼内でTリンパ球をアポトーシスにしたり、制御性T細胞に変化させたり、または、脾臓を巻き込んだ免疫寛容誘導に関わったり、と各々異なる役割を分担しながら、眼の恒常性を維持していることを明らかにしてきた。最近、また新規の候補分子を見つけた。どっぷりと分子免疫研究に専念したいと思ったこともあるが、眼科臨床医である以上、眼の研究をするのがミッションであり、眼分子免疫という道からブレないように意識している。 

 MedawarとStreileinからの “forward flow” と、日々生じる “eddy current” の相乗効果により、新しい発見が少しずつ生まれている。研究は、美しく整えた花壇を披露するようなものではなく、雪解けで顔を出した土に偶然新しい緑を見つけるようなものだと思う。 

—最後に
 最近になって、非常に多くの眼疾患の病態に免疫応答が関与することがわかってきた。ARVO2011のSunday Symposia(5月1日8:30~)に”Innate and Adaptive Immunity in Ocular Defense and Diseases”を企画した。ぶどう膜炎や角膜炎のみなく、AMD、緑内障、眼腫瘍と免疫の関与がわかる機会なので、ご参集いただき、眼免疫に興味をもっていただければ幸いである。 

【堀 純子 ; 略歴】
  1990年 新潟大学医学部卒業、東京大学医学部眼科研修医
  1992年 東京大学医学部眼科助手
  1994年 同愛記念病院眼科
  1997年 ハーバード大学眼科スケペンス眼研究所研究員
  2000年 東京大学医学部眼科助手
  2001年 国立感染症研究所免疫部協力研究員
  2002年 日本医科大学眼科講師
  2004年 日本医科大学眼科助教授(現 准教授) 現在に至る 

  2000年 Cora Verhagen Prize
  2004年 日本角膜学会学術奨励賞
  2005年 日本眼炎症学会学術奨励賞
  2007年 日本女性女性科学者の会奨励賞
  http://tlo.nms.ac.jp/researcher/506.php

 

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わがGlaucomatology その歩みから
   岩田和雄(新潟大学名誉教授)
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講演要約
 当日の講演の内容から、次のいくつかのメッセージを記載し、ご参考に供したい。
 学問は素朴な好奇心をベースにしていろいろな概念やら現象を疑うことから始まる。 学問を志すものは、現在みるように、あふれ過ぎてすぐ手に入る情報で好奇心が麻痺されぬよう強烈なエネルギーを常に蓄えておかねばなるまい。情報で直ぐに疑いが晴れたり、好奇心が満足するレベルに留まっていては学問は覚束ない。 

 夜も昼もひたすら真実をもとめて探求をつづければ、必ず新発見のチャンスが訪れるものだ。 ただ、それを見のがすか、それが新天地を開拓する引き金となるかは、その人の学問レベルとセンスにかかっている。 セレンデピテーは必ずしもノーベル賞受賞者にのみ訪れたわけではない。 私の半世紀に及ぶ緑内障学からもそのことはいえるとおもう。学問するに遅すぎることはない。未知が溢れているからだ。 

 緑内障学に志す人達に期待したいことは、日本の正常眼圧緑内障は質も量も世界を遥かに凌いでおり、その病因、病態の追究は日本の権利であり、義務でもあリ、恵まれたチャンスでもある。 欧米への安易な追従を断ち切り、突飛な面を開拓して真理を追究せねばなるまい。  

 数学者の藤原正彦氏による学問を志す人に関する4つの性格条件を解説し、参考に供したい。
  1)「智的好奇心」 が強烈であること。よい学者になれる不可欠な資質である。学業成績はあまり問題ではない。
  2)「野心的であること」 やってやるぞ!と強烈な野心を抱き、創造にむかっての活動なしでは意味がない。智的に優れているだけでは、型にはまった仕事しかできない。
  3)「執拗であること」 失敗を繰り返しても、生涯追い続けることだ。諦めてはいけない。
  4)「楽観的であること」 悲観的になれば終わりだ。 果敢な楽観的鈍才にチャンスがある。 

 言うはやすく、おこないは難し・・・・ではあるが、それこそ学を志すものの生き甲斐と言わねばなるまい。 最近のマスコミは日本の若者が元気がなくなったと嘆じているが、決してそんなことはない。 元気がないのはマスコミ自身である。 

【岩田 和雄 ; 略歴】
  1953年 新潟大学眼科入局
  1961-63年 ボン大学眼科留学(アレキサンダー・フォン・フンボルト奨学生)
  1972年 新潟大学教授
  1993年 定年、新潟大学名誉教授

  日本緑内障研究会創設以来のメンバー
  緑内障に関する特別講演: 
   臨眼総会(1984年)、日眼総会(1992年)、日本緑内障学会(1992年)等
  第2回日本緑内障学会会長(1991年)
  名誉会員: 
   日本緑内障学会、日本眼科学会、日本眼光学学会、日本神経眼科学会、
   Glaucoma Research Society等