『新潟ロービジョン研究会2012』 (2) ITの発展と視覚代行技術~利用者の夢、技術者の夢

この記事は、2012年6月20日配信。

『新潟ロービジョン研究会2012』
1.シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』      
 座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)  
 1)基調講演 (50分)    
  演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」    
  講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)  
 2)私のIT利用法 (50分)    
  「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」       
   三宅 琢 (眼科医:名古屋市)    
  「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」       
   園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)

  シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』は、ITを中心に、「作り手」「作り手とユーザーの架け橋」「ユーザー」がそれぞれにお話ししてくれました。
 今回は、「作り手」として登場した渡辺哲也先生の、音声パソコンの基礎になる音声合成器についての、基調講演の講演要旨と参加者から寄せられた感想をお届けします。

基調講演1  
「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」     
 渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【講演要旨】  
 今でこそ日常的に使われているスクリーンリーダですが、これらが当たり前になるまでには要素技術開発の長い歴史と、先輩視覚障害者たちの多大なる苦労があったことを知ってもらいたかったというのが、技術者の立場としての渡辺が講演に込めた思いです。その講演の中では、音声合成の発達、6点漢字ワープロの開発、MS-DOSのスクリーンリーダVDMの開発という3つのテーマについてお話しました。それぞれのテーマごとに内容をまとめます。

(1)音声合成の発達  
 1791年、ハンガリーの発明家フォン・ケンペレンが開発した音声合成器は、人が声を出す仕組みをふいごと共鳴室からなる機械で真似たものでした。片手でふいごを動かして空気を送り、これがリードをふるわせ共鳴室の中で母音のような音になり、音の出口の開け閉めの工夫で子音を作ります。  
 それから1世紀半を経た1939年、機械的な部品を全くなくし、電気回路のみで動作する音声合成装置VODERが開発されました。操作者は、点字キーボードに似たキーを打鍵して音素を選び、足下のペダルで声に高低をつけます。この電気回路が集積回路に納められて、弁当箱サイズのケースに入って、外付け音声合成装置として市販されるようになったのが1980年代のこと。人の操作が不要になり、テキストさえ入力すればどんな文章でも発声できるようになりました。  
 これを利用して、視覚障害者のための音声読み上げソフトウェアが日米それぞれで開発される時代を迎えたのです。その間、合成音声の音質も改善されてきまた。抑揚がなく単調でいわゆる「機械的」だった音声が、文脈に応じて抑揚が付けられるようになり、今や人と機械の区別が付かないほどのレベルに達しています。高品質な音声は、今のスクリーンリーダにも使われています。

(2)6点漢字ワープロの開発  
 長谷川貞夫さん(元筑波大学附属盲学校教諭)には、二つの願いがありました。一つは点字印刷物を手軽に作ること、そしてもう一つは漢字仮名交じり文章の墨字を自分で書くことです。どちらも、情報の入手と発信を晴眼者と同じようにできないもどかしさに端を発しています。これらの願いが絵空事ではなく、実現可能なのではと思えるようになったきっかけは、1966年の新聞社見学でした。そこでは、もはや活字を手作業で並べてはおらず、キーパンチャーで文字を打ってコード化し、そのコードを自動植字鋳造機に入力して活字を作り、印刷をしていました。   視覚障害者は手元を見ないでもキーを打つことができます。ならば、視覚障害者が漢字を入力するための仕組み(これが後に6点漢字となる)を作れば、自ら印刷できるのではないか。更に、パンチャーで打った普通文字のコードを点字に読み下すプログラムと点字印刷装置があれば、点字印刷物を複製できるのではないか。  
 そう思いついた長谷川さんは、コンピュータを使える場所や、プログラムができる人、印刷会社のコード、点字印刷装置などを求めて西へ東へ駆け回り、1973年に漢字仮名交じり文をコード化した紙テープから点字を印刷する実験に成功しました。翌1974年には6点入力した点字コードから漢字仮名交じり文を墨字印刷する実験にも成功しました。  
 時代は下って1981年、かつて大型計算機で行ったことが、「パソコン」でできるようになり、6点漢字ワープロが完成しました。これに触発された高知盲学校の先生らが、地元のメーカと共同で開発したのが日本初の音声点字ワープロAOKです。これを製造・販売する高知システム開発は、PC-Talkerをはじめとするた視覚障害者用製品を多数世に送り出しています。

(3)MS-DOSのスクリーンリーダVDMの開発  
 斎藤正夫さん(アクセステクノロジー社長)は、真空管、トランジスタ、ICを自らいじるほどの機械好きでした。そして、人に頼るのがきらいな性格でした。1980年代初期にパソコンが広まりはじめると、純粋にこれを使いたいだけでなく、これで自分に役立つものを作れないかと考えました。しかし、パソコンを使おうにも、スクリーンリーダがまだない時代のこと。斎藤さんは、プログラムを頭の中で考え、これを全くフィードバックなしでパソコンに打ち込みました。うまく動いたら思った通りの音が出るが、一箇所でも間違っていたら反応しない。これを繰り返して、モールス符号で画面上の文字を音で出力するプログラムを作り上げました。  
 当初はBASIC言語を使いましたが、それではほかのプログラムを音で出力してくれません。そこで、マシン語によるプログラミングに取り組みました。このときも試行錯誤の連続、適当に命令 を打っては結果を見て動作を推測しました。そしてパソコン購入から5ヶ月目の1983年12月、キーを打ったら即座に音が出るプログラムが完成したのです。  
 その後、斎藤さんは、知人からの依頼に応じて、様々なパソコン機種と音声合成器へ対応したプログラムを次々と開発しました。このときプログラムに付けたファイル名がVDMです。VD は画面を音声出力するVoice Display、そしてMはマシン語に由来します。MS-DOSのスクリーンリーダVDM100は1987年11月~12月頃に完成しました。視覚障害者自らが開発し、改良の依頼に即座に対応するVDM100はユーザの支持を得て、広く普及しました。Windows環境においては、VDM-PC-Talkerシリーズとして使い続けられています。

【略歴】  
 1993年 北海道大学大学院生体工学専攻修了   
  同年  水産庁水産工学研究所研究員  
 1994年 日本障害者雇用促進協会(現、高齢・障害・求職者雇用支援機構) 障害者職業総合センター研究員  
 2001年  国立特殊教育総合研究所(現在は、国立特別支援教育総合研究所) 研究員~主任研究員  
 2009年  新潟大学工学部福祉人間工学科准教授

 視覚障害者を支援する機器・ソフトウェア等として、スクリーンリーダ(95Reader)、漢字の詳細読み(田町読み)、視覚障害者自身が描画可 能な触覚ディスプレイ(mimizu)、点字点間隔可変印刷ソフトウェア、触地図自動作成システム(tmacs)などを開発してきた。調査研究として、障 害者の就労支援、障害のある学生の就学支援、拡大教科書の普及などに従事してきた。

【参加者からの感想】到着順
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(眼科医;大学勤務、東京)  
 普段患者さんに勧めている音声パソコンの開発経緯が説明され、非常に興味深かった。できれば、拡大読書器の開発経緯も聞きたかった。

(当事者、千葉県)  
 渡辺先生のお話を聞き、諸先輩方の底知れない努力のおかげで、現在のICT技術の恩恵を我々視覚障害者が享受できる幸せを改めて感じました。以前、VDMを開発したアクセステクノロジーの斎藤社長が、「自分で使う道具は、自分で作る」とお話していたことを、ふと思い出しました。音声もない、まさにブラインドタッチだけの環境下で、何度もトライアンドエラーを繰り返し、VDMを作り上げた斉藤社長のご尽力に改めて感謝です。

(視能訓練士;病院勤務、新潟市)  
 アナログからデジタルに変わったころから、時計、体温計、体重計などが音声化され、これからどんどん便利な物が出来るよ、と説明していました。音声パソコンは画期的でした。IT時代に入り視覚障害があっても、たくさんの情報を受け取ることが可能になりました。今は患者さんからたくさんの情報を教えていただいています。

(眼科医;病院勤務、四国)  
 人は100年以上も前から機械に言葉をしゃべらすことを夢みていた・・長年の研究成果のリレーにより開発されたスクリーンリーダー。渡辺先生のお話しには、とても重みを感じました。

(教育関係者;大学勤務、関東)  
 渡辺先生のお話の中で紹介された音声合成の開発黎明期の音源は,よくぞ探されたと思う貴重なものばかりで,大変感動しました。重度視覚障害者のQOLを支えるIT技術が,着実に研究・開発されている様子がよくわかりました。

(機器展示関係者;関西)  
 渡辺先生のお話を聞いて、最近の精度の高いスクリーンリーダーやOCRソフトの進歩の影に研究努力があり、お話にもあった、何より当時者の意見を取入れ、製品開発に反映させてきたからこそ良い製品が生まれてきていると思いました。

(薬品メーカー関係者;新潟市)  
 人工的に声を合成するという歴史を知ることができたのは非常によかったです。当時は研究目的でいかに音を出すかというところに視点があったと思いますが、この基礎研究の基盤があって現在のツールができたことは素晴らしいと思いました。渡辺先生の講演時間がもう少し長ければよかったなと思いました。

(薬品メーカー関係者;新潟市)  
 私が一番驚いたことは、200年前から木箱の音声合成装置があったことです。数々の発明、発展により現在ではノドの動きだけだけで音を出せることを知ることが出来ました。本当に驚きの連続でした。また、開発に目の不自由の方が関わることで、使い手の気持ちを考え、より使用しやすい物づくりが可能だと際実感いたしました。

(当事者;長野県)  
 渡辺先生の音声合成器の構造や発展の歴史、初めて見たり聞いたりすることばかりで、とても興味深かったです。

(当事者;新潟県)  
 点字は文字文化のひとつとして、その特徴を生かして視覚障害者に広く使われてきました。長い間、そして現在も、それは白杖とともに視覚障害者をシンボライズするものでもあります。それがパソコンとスクリーンリーダー(パソコンの画面情報読み上げソフトウェア)の登場により、点字に頼らなくても読み書きが可能になり、鍼灸マッサージ以外の職種も選択できる可能性につながりました。新潟大学工学部福祉人間工学科准教授の渡辺哲也先生による基調講演「ITの発展と視覚代行技術、利用者の夢、技術者の夢」は、音声合成の歴史と概念、スクリーンリーダーの開発と進化を、古い時代から最新のものまで、実際の音源データを聴かせていただきながらの講演でした。  
 イニシエの人がしゃべる器械にあこがれてから200年、現在はパソコンで動作する音声合成エンジンが開発され、抑揚のある人間らしいしゃべり方を獲得できるまでに技術は進歩しました。 この音声合成技術をベースに開発されたのがスクリーンリーダーであるわけですが、ここで注目すべきは、それを最も必要とした視覚障害者自身が開発、改良に深くかかわってきたという事実です。目が不自由な人の「人に頼りたくない」という思い、言葉を変えれば「自由でありたい」という当たり前の願いが、その努力を支えるモチベーションになりました。講演ではDOS時代の代表的なスクリーンリーダーであったVDMの作者である斉藤正夫さんが紹介されましたが、現在もその流れは途切れていません。無料のスクリーンリーダーとして注目を集めているNVDA日本語版の開発 とWebアクセシビリティの提言をする活動をしている株式会社ミツエーリンクスの辻勝利さん。社会学者でありプログラマーでもある石川准さんはGPSを利用した視覚障害者誘導システムの開発に情熱をかたむけられています。  
 自由を勝ち取るための努力を惜しまない人たちに学ぶべきことは、技術そのものよりも、そのスピリッツであると思います。それに共感していただける渡辺先生のような科学者、そして製品を使う一般ユーザーの的確なフィードバックが、より優れた、役に立つモノを作り出す力になるのではないでしょうか。

(工学部関係者;大学勤務、新潟市)  
 シンポジウム1は、内容が私の専門分野だったので興味津々だった。渡辺先生の視覚代行技術の詳しいレビューは聞きごたえがあった。

(当事者、新潟市)  
 渡辺哲也先生の「ITの発展と視覚代行技術…」の基調講演で、音声合成器の開発・発達の過程が開発当初手動であったこと、それが電気による合成へ、そして音声電卓…自動代筆…AOK点字音声ワープロの開発…技術者だけでなく開発に携わった多くの方々の巾広いそして力強い努力に一種の感激と驚きを感じました。

(眼科医;大学勤務、中国地方)  
 人が空を飛びたいと夢を見、知恵と道具を使って実現させたように、ロービジョン者が音声で文字を知りたいと夢を見、知恵と道具を使ってそれが実現された、ということでしょうか。多くの研究者のロマンに支えられた地道な努力があって、後世のユーザーたちがそれを享受しています。そして今も発展し続けているのだ、ということを渡辺先生のご講演から知って、感動いたしました。

(学生、新潟市)  
 音声合成装置の今までの変遷や、音声合成装置等を使って任意に文章を作成その他多くのことができるようになり、視覚障害を持つ方でも社会に出て活躍できるようになったことなど多くのことを学びました。

(眼科医;病院勤務、新潟市)  
 ITを中心に、「作り手」「作り手とユーザーの架け橋」「ユーザー」がそれぞれにお話ししてくれました。「作り手」として登場した、スクリーンリーダーの開発に携わった渡辺先生の音声合成器の開発、大きな驚きでした。実演は記憶に残りました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  
『新潟ロービジョン研究会2012』 プログラム     
 日時:2012年6月9日(土)      
  開場12時45分 研究会13時15分~18時50分   
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

 12時45分 開場 機器展示  
 13時15分 機器展示 アピール  
 13時30分 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』      
  座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)  
 1)基調講演 (50分)    
  演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」    
  講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)  
 2)私のIT利用法 (50分)    
  「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」       
   三宅 琢 (眼科医:名古屋市)    
  「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」       
   園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)  
 3)総合討論 (10分)

 15時20分 特別講演 (50分)  
   座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)   
 演題:「網膜変性疾患の治療の展望」   
 講師:小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑)

 16時20分 コーヒーブレーク & 機器展示 (15分)

 16時35分 基調講演 (50分)       
   座長:張替 涼子 (新潟大学)   
 演題:「明日へつながる告知」   
 講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 17時25分  シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』   
   座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)    
 守本 典子 (眼科医:岡山大学)     
  「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」    
 園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)     
  「家族からの告知~環境と時期~」    
 竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)     
  「こんな告知をしてほしい」   
 コメンテーター:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 18時35分 終了 機器展示 歓談&参加者全員で片づけ   
 18時50分 解散

 【機器展示】
  東海光学株式会社、有限会社アットイーズ、アイネット(株)、株式会社タイムズコーポレーション、㈱新潟眼鏡院



前のページに戻る。
メニューの始まり。
この記事を提供している人の自己紹介。
健常者の方はこちら。
メニューの終わり。
ここは安藤伸朗の音読対応版ページです。 このサイトに関するお問い合わせやご意見は、メールアドレス、 はgoiken@andonoburo.netまで、お寄せ下さい。
ページの最後です。