報告『シンポジウムー病とともに生きる』 その1(大森安恵)
平成28年7月17日、有壬記念館(新潟大学医学部学士会)にて開催したシンポジウムの報告です。
大森安恵先生(海老名総合病院・糖尿病センター長、前東京女子医大糖尿病センター長)の基調講演要約をお送りします。大森先生は糖尿病治療のど真ん中で60年間活躍され、特に「糖尿病でも母子ともに健康な出産ができる」を日本の常識にした取組みは、特筆すべき業績です。
基調講演:糖尿病と向き合うー私の歩いた一筋の道ー
演者:大森安恵 (海老名総合病院・糖尿病センター長
東京女子医科大学名誉教授)
【講演要約】
新生児専門医の東京女子医科大学名誉教授仁志田博司先生は、生命倫理に関する御著の中で、倫理の倫は仲間という意味であると書いている。本日はご本人そのものや,ご家族の病気とともに感動的に生きておられるお話上手の私の特別の仲間である皆様とご一緒させて頂き、その基調講演を担当する。
私は1956年東京女子医大を卒業したので,丁度60年間糖尿病の患者さんと向き合い、ともに生きて来た事になる。1960年代前半までは「糖尿病があると危険だから妊娠させるべきでない」という不文律があり、またそう教え込まれていた。たまたま、私は「安産ですよ」と言われながら微弱陣痛で死産を経験した。慟哭を禁じ得ない程の新生児喪失の悲しみを秘めて診療している時、糖尿病の診断がつかず死産に終わって,泣き暮れている二人の患者さんの受持ちになった。この二人の患者さんとの悲しみの共有が動機になって、わが国にもコントロールが良ければ糖尿病があっても妊娠は可能であるという臨床と研究分野の開拓を始めた。
欧米では1921年インスリンの発見と同時に「糖尿病と妊娠」の歴史が始まっている。糖尿病という病気を持っていても、糖尿病を持っていない人と変わる事無く、妊娠し子供を持ち、人としての人生の幸せを歩ませようと努力をする欧米の医師と、糖尿病があると危険だから妊娠すべきでないとする日本の医師との違いは、糖尿病が多い国と少ない国の違いか、文化的背景の違いであろうか。
「糖尿病と妊娠」の分野確立は欧米から約30年も遅れて開始されたが、中山光重教授のご支援の下に、必死に勉強出来た。既に日本でも出産例は僅か乍らあったが、当時の医学の現状としては、せっかく妊娠しても人工流産をさせられか、子宮内胎児死亡の悲しい経験を持つものが多かった。血糖コントロールが良ければ糖尿病があっても妊娠、出産は可能であるというキャンペーンを張ると,糖尿病妊婦分娩例は階段的に増加して行った。東京女子医大病院では1964年2月に初めて糖尿病患者さんの分娩例を経験、以後症例は全国から集まるようになった。この第一分娩例はリリーインスリン50年賞の初回受賞者となっており、今年は7名目が受賞する事になっている。
健康なお子さんを無事に出産したいと願う母親の気持ちは,血糖正常化の強い動機付けになり、分娩後も良いコントロールを守るので,妊娠、分娩例は,多くの人が合併症なくまた治療を中断する事無く経過している。また糖尿病合併症がなく、妊娠前から血糖コントロールが良ければ、非糖尿病者と同じ妊娠、分娩が出来るようになっているが、2型糖尿病が主流を占めるわが国では、妊娠して初めて糖尿病を診断される症例があり、この点が今でも残された大きな問題である。
女性が持つ難問題は女医が担当する事によって、解決がスムースな場合もあるので、糖尿病と妊娠の分野は自分に課せられたライフワークと心得て、患者さんと共に歩んで来た。医学に関して手厚くご指導を頂いた中山光重先生初め数々の恩師、同僚や友人、患者さん達もそれぞれ恩師であるが、糖尿病と妊娠の事を教えて頂ける恩師は日本にはいなかった。そのため、短期間ではあったが、カナダとスイスに研究の為留学をし、デンマークのペダセン教授、ベルギーのフート教授たちにはずっと師事してご指導を仰いだ。
1975年初めてヨーロッパ糖尿病学会の「糖尿病と妊娠研究会DPSG」で発表し、その後会員に推薦され、徹底的に今日まで学ばせて頂いている。1985年には池田義雄、松岡健平両先生とともに,日本にも「糖尿病と妊娠に関する研究会」を創設し、更にそれを2000年には日本糖尿病・妊娠学会に変革した。その前の1997年5月には、女性で初の第40回日本糖尿病学会会長になり、医師が勉強するのだから患者さんも一緒に学ぼうと、糖尿病学会歴史上初めての公開講座を作り東京国際フォーラムA会館の5000席は満場で共に学び合った。
2006年には国際糖尿病連合(IDF)と国連のうち立てたワーキンググループのメンバーに選ばれ国連で糖尿病と妊娠の講演を行った。2011年にはWHOの妊娠糖尿病ガイドライン作成委員の一人として世界の人々とともに作業を行い、世界の医療に貢献した。昼夜を分かたず、私は糖尿病と立ち向かう人生を歩んでいるが、糖尿病を持ち乍らもっと精力的に社会活動をした人々を紹介したい。それはロバート、ローレンス、トーマス、エジソン,ジャコモ、プッチーニ,アーネスト、ヘミングウエイ、夏目漱石、北原白秋、隆の里などである。
ジョスリンクリニックの壁に書かれているイシドール大司教(C570~630)言葉『永久に生きると思って学びなさい。明日死ぬと思って毎日を生きなさい』を捧げて結びの言葉とする。
【略 歴】
1956 東京女子医科大学卒業。
1957 東京女子医科大学第2内科入局(中山光重教授)、糖尿病の臨床と研究を開始。小坂樹徳、平田幸正教授にも師事。医局長、講師、助教授を経てスイス、カナダに留学。
19814月同大学第三内科糖尿病センター教授。
1985 「糖尿病と妊娠に関する研究会」設立。
1991 同第三内科主任教授兼糖尿病センター長。
19973月東京女子医科大学定年退職 名誉教授。
19975月第40回日本糖尿病学会会長。
2001 「日本糖尿病・妊娠学会」設立(「糖尿病と妊娠に関する研究会」を発展)。2005名誉理事長となる。
2002 海老名総合病院・糖尿病センター長。現在にいたる。
2007 Unite for Diabetes糖尿病と妊娠の代表者として国連でSpeech.
【受 賞】
吉岡弥生賞、米国Sansum科学賞、Distinguished Ambassador Award, ヘルシーソサエティ賞、糖尿病療養指導鈴木万平賞他
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シンポジウム『病とともに生きる』
日時:平成28年7月17日(日)
開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
新潟市中央区旭町通1-757
シンポジウム「病とともに生きる」
コーディネーター
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)
10時 開始
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
大森 安恵
(内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト (各25分)
南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
「糖尿病を通して開けた人生」
小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
「オンリーワンの眼科医を目指して」
立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
ディスカッション (20分)
演者間、会場を含め討論
12時30分 終了
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