報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017 参加者感想
『人生の味わいはこころを通わすことから』
日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
新潟市西蒲区
先日は市民公開講座に参加させていただきありがとうございました。うまく感想を書けないので、帰りの車の中のおばちゃんトークを書きます。偉い先生方の話と聞いていたのでどんなに難しいことを話すのかと思っていたら、心にすんなり入って来るよい講座だったね。「この人の話をもっと聞きたい」と思わせる話し方だったよね。私、何の知識もなく障碍者の相談員などやっていて、相談されても気の利いたアドバイスが出来なくて、ただ聞いているだけで気が引けていたんだけど、細井さんでも「これでいいんだろうか?」って悩むって聞いてほっとしたよ。安藤さん、上着の下にオレンジ色がちらっと見えて、おしゃれ!って思ったよ。あの日、ちょうど同じ時間にアルビの試合をやっていたんだよ。そっか、そんな服装をしていたこと、細井さんの説明がなければ私は分からなかったわ。講演をする前に、それぞれどんな服装をしているか、誰に似ているか話してくれると、見えない者は想像出来て楽しいのに。でも、会場の説明はしていたね。あの説明で、この部屋は堅苦しいところじゃないと分かってよかったよね。
NPO活動 東京
素朴であたたかい雰囲気のなか、ご登壇の3人の先生も含め、そこにいる方々と一緒の時間を過ごせている、何かを共有できている、という感覚がとても心地良かったです。NPO活動を通じて、がん治療中の方や医療者の方にお会いすることも多く、死生学に少し興味をもち、尊敬する先生の講義を潜って聴いていたような私にとって、とても貴重な得難い機会となりました。がんという病を得た方に接していて感じるのは、自分の死を見つめたことがある人の奥深さ、です。肩に力が入った感じではなく自然体で、この人ともっと話してみたい、と思わせて下さる方々がたくさんいらっしゃいますし、いらっしゃいました。常々、どうしてこんなふうになれるのかと感じ入っている私には、細井先生のお話は、とても心に沁みました。宮坂先生のお話を聞き、分析的にモノを見ることの楽しさが湧いてきました。共感や共有、傾聴、生きがいなど、日頃何気なく使っている言葉も、改めて意識できた気がします。医療倫理のお話も、聞いてみたくなりました。
会社員 新潟市
人生、人の一生、生き方を深く考えさせて頂く良い機会となりました。人は1人で生まれてきて1人で死を迎える中で、両親から生まれてきた奇跡と生まれてから出会ってきた方々との出会い、そして家内と出会い結婚して授かった息子の出会い等、様々な人と人の関わり合い(心を通わす)を積み重ねて生きている実感を感じました。自分がここまで生きて人生を歩んできた道のりの中で数多くの出会いとまた別れを経て、人は喜び合ったり悲しみ慰め合ったり色々な感情(心)を通して今の自分という物がある。改めて自分を見つめ直すきっかけとなりました。 また、対談のお話の中で「先生」という言葉の意味合いや考えについて、自分自身でも「先生」と言う言葉の固定概念に気づかされても、固定概念を壊せない自分自身もいて、「心」だけでなく「言葉」もとても大切なファクターだと感じました。そして、人生をより深く楽しむには「見る」「聞く」「話す」「行動」「感じる」が出来る事、また老いていく中で出来る事が出来なくなってきた時にどの様に自分自身を見つめなおしていくか考える事が出来ました。ありがとうございました。
盲学校教諭 新潟市
今回は市民公開講座に参加させていただきありがとうございました。あまり聞く機会のない講演内容でした。でも、教育に携わる私たちにも必要なことをたくさん聞けたと思います。やはり、対”人”の仕事だからでしょうか。日頃、いろいろなお子さん、成人の方とかかわっていますが、相手から教わる心構え、寄り添って一緒に学んでいく・成長していく姿勢を忘れてはいけないと思っています。教師は教える立場ではありますが、対象者も時代も、求められていることも、そのときそのときで変わります。いつでも心を広くし、話を受け止めて、丁寧に対応できるようになりたいと思っています。自分の話ばかりを書いてしまいました。でも、今回の先生方のお話を聞いて、自分の未熟さを痛感し、こんなことを思ったのでした。ありがとうございました。
眼科医 東京
全体に今回の講座は、聴講してすぐはっきりした何かの形をつかむというより、時間が経ってからいろいろと思い出したり考えたりする縁(よすが)となるようものだったように感じました。演者の先生方に感謝申し上げるとともに、このような機会を設けて頂いた安藤先生、誠にありがとうございました。宮坂先生のお話し~・ハーバード大の75年間の研究;まず、4代に渡って研究を75年間も続けている、というところにインパクトを感じました。(英国のBBCだったか、子供たちへの数年毎の取材を20年だが30年だか長期に続けているドキュメンタリー映像をみたことがありますが、欧米にはそういう研究の伝統があるのでしょうか?)比較的身近な対人関係性の良好さが幸福・健康に繋がるという結果は、とても感覚的に腑に落ちるもので、「あんまり無理せんでもええんやなー」と一寸気持ちが楽になる感じがしました。・ポジティブ心理学;幸福感についての研究という側面があるようですが、面白い発想の転換なのかも知れません(あんまり病気のことばっかり考えていたら、研究がなんだかいやになっちゃったんで、ということもあるのかもしれませんが…)。「仏様のおかげ」や「お客様のため」などという身の回りによくあることも、ある意味で、幸福感を上げる日本の伝統的なノウハウなのかも知れません。・オープンダイアログ;発祥の現場には実際にはいろいろなノウハウや相互作用の側面があって、オリジナルの実践者たちからやりかたの説明を受けるだけでなく、彼らが意識していないもしかしたら肝心な事柄など(無意識の文化的な共通的合意など?)についての、かえって外来者の眼による解釈を通した解説もあわせて必要なんだろうなあ、と思いました。・エマニュエル・トッド;彼の仕事についてはほとんど全く知りませんでしたので、知る機会を与えて頂き感謝いたします。家族型から社会・歴史・経済等々を随分雄大に考えて行けるものだなあと、一寸びっくりします。その他も、科学としての医学的なアプローチとは違う意味での「人間」についての研究について、いろいろな手がかりをみせていただいた気がします。細井先生のお話し~先生はクリスチャンでいらっしゃいますが、お話の雰囲気は仏教の講話のような印象をうけたのが少々不思議でありました。方言を交えた、先生の独自の語り口のせいかも知れません。 日常診療の次から次へと忙しい外来の時間のことを考えながら、医療に必要な時間的な余裕、癒しの場に必要とされるゆったりとした時間の流れ、などについてあらためて感じるものがありました。患者さんにいかに時間を使えるようにするか、というのは大事なキーワードのひとつであるのかもしれません。機会があれば、ヴォーリズ記念病院を拝見したいようにも思いました。
団体職員 新潟市西区
今回の講演では、良好な人間関係こそが健康・幸せにつながるということ。幸せであることは生きがいではない。生きがいを持つことが重要だということ。心と体のギャップがなくなってきたときに死への恐怖がなくなってい行くこと。先生方からとても丁寧で分りやすくお話いただき、たくさんの気づきをいただきました。本講演会であらためて幸せを得ることは豊かになることではなく、いつになってもその時どきの目指すものを見つけ、それに向かって楽しんだり努力したりしながら生きていくこと。そのなかで、仲間や他人を思いやり、共に協力し楽しみ良好な対人関係を築いていくことが、自分の中での安らぎ、満足感、達成感を得ることができ、幸せにつながっていくことだと思いました。また、先生方の対談においても我々の患者からの意識と違う様々な努力や葛藤、考え方なども語っていただき、いろんな思いを共有でき、日頃の先生方の真摯な取り組み姿勢に心より感謝申し上げます。いつの間にか病気や死というものが次第に忍び寄ってくる年代になって、新たな気持ちで人生を歩んでいく、そんな中での道しるべ、心のよりどころをいただいたように思います。大変ありがとうございました。
会社員 新潟市
今回の講演では、細井先生のお話が特に心に残りました。身近で亡くなった人に出くわした経験もまだ少なく、どういう気持ちで亡くなって行ったのか?どういう言葉をかけてあげられれば苦痛から少しでも解放されるのか?家族のどういう支えが癒しに繋がるのか?寄り添う人間の立場(Drなのか、親族なのか、友人なのかなど)によって千差万別でしょうが、共通しているのは『 話を聞いてあげる事 』なのだと思い知らされました。『 生命、いのち、死 』について考える事が出来た、良い機会になりました。普段の生活の中でも、人の『 話を聞いてあげる事 』を第一に考え、行動していきたいと思いました。
盲学校教諭 新潟市
タイトルがとても魅力的でした。安藤先生がこれまでたくさんの勉強会・研究会を重ねられてこられた、すべての根っこにあるもの、そんな印象を受けました。宮坂先生のお話の中で、「幸福」と「生きがい」という話題を興味深くお聞きしました。一般的な「幸福」の条件が満たされなくても、「生きがい」をもって生きることの充実感こそが人生を豊かにする、そんなふうに受け止めました。QOLを客観的な評価基準で評価することよりも、あなたにとって大事な項目で評価することに意味がある、といった指摘はまさにその通りだと感じました。細井先生のお話では、「子孫を残すという生物的な役割を終えた後から始まる“老い”という時間は、自分を『高める』ことに充てる時間。」このような主旨のお話がありました。「老い」を楽しむヒントとして印象に残りました。終末期の患者さんと「こころを通わす」細井先生の、穏やかで強い生き方に触れることができました。人生の味わいについて考える貴重な機会をいただきありがとうございました。
看護師 新潟市
その場で話させていただいた感想も緊張して言葉足らずになってしまいましたm(__)m 学生だからできることも沢山あるということもお伝えできればよかったなぁと思いました。学生が受け持つことで患者は新たな役割を感じ、伝えよう育てようとしてくださり、病床にあっても最期までできることがあると示してくださいました。医療者になるというよりも人間力をつけていくことを教わりました。様々な患者の看取り、それぞれの家族との関係性から、死にざまは生きざまということも感じました。ホスピスでの出会いや経験は私の人生に大きな影響を与え、今に至っています。新潟にはまだまだホスピスは少なく療養型での看取りが多いようですが、場所や人は違っても、その人らしく人生を全うできるケアを見つけていけたらと思います。貴重な機会を本当にありがとうございました。
会社員 新潟市
普段の仕事ではなかなか聞くことができない内容でございましたので、色々と勉強になりました。実際に先生方が患者さんとどのように接しているのかを知ることができ、患者さんが何を求めているのかを把握することの難しさも感じることができました。細井先生の「医療の倫理は患者の自己決定権」という言葉に、最後の最後まで患者を尊重されていらっしゃると思いました。改めて自分の仕事は少なからず色々な方の人生に関わっているのだと感じました。
新潟県上越市
3人によるトークのアイデアはとても良かったと思います。フロアからの質問に対する細井先生の回答がとても素晴らしかったです。「患者さんの死の恐怖というのは込み入っています。体が弱ってくるじゃないですか、気持ちもあるじゃないですか。先に体が弱ってくる人が多い。癌の末期の場合。心はまだ弱ってはこない。そうすると差があるじゃないですか。この差が多い間は色々と不安を沢山おっしゃる。けれども最後は段々と最後が迫ってくると心がついてくる。最後は心と体がピタッと一致したところで死の恐怖はないような中で旅立って行かれる。そういうような気がして見ています。患者さん同士の話にしても、平均病棟の在位日数21日くらいですから最後の1ケ月を切りますと、かなり自分で自分の身の回りのことができないようになって患者さんが入院されることが多いので、あまり患者さん同士が話すのは少ないです。」前半の解答を聞きながら9月2日の「新潟ロービジョン研究会2017」でお二人の先生が講演のなかで「さだまさし著 解夏(げげ」を話題にされたのに重なりました。仏教の話です。夏になると坊さんは出歩くことを止めて部屋に籠もって過ごします。この梅雨から真夏の間が最も草木が伸びる時期で、それを歩き回る事で踏み育ちを妨げるのを嫌うからだとの説明です。この籠もる時期の開始が結夏(けちげ)で、それが解かれて歩きはじめるのが解夏(げげ)と表現されます。それになぞらえてベーチェット病の患者を描いた小説です。このなかに「全て見えなくなった時に苦しみから解放される」との表現がありました。キリスト教も仏教も同じように見ているのだなあと思いました。
会社員 新潟市
宮坂先生のご講演では多くの理論・出典元をご紹介頂き大変勉強になりました。実際に調べ、私自身に取り入れていければと思いました。その中でも共感性の4類型は自己分析に、オープンダイアローグは様々な環境で応用できると考え、少しずつ会議等に導入できればと思います。 細井先生のご講演では、ホスピスが大切になさっている人生の流れの現在を見つめ直すこと、患者様の思いを汲む、患者様に最善をつくすヴォーリズ記念病院の教えを実践されているお姿に感銘を受けました。 宮坂先生より紹介された理論を細井先生が長年の経験から体現なされており、生命倫理とホスピス医と異なるお立場でありながら多くの共通点があると分かり、大変興味深くお話を聞かせて頂きました。最後に、この度は市民公開講座に参加の機会を頂き、誠に有難うございました。
市役所勤務 千葉県
支援の仕事に就いていると、言葉にし難い思考の渦にはまってしまうことがあります。考えるよりも感じることのほうが今の自分には大切なのではないかと思った時に、人の手が最小限にしか入っていない場所へ出掛けたくなります。いや、もしかすると相当手が入っているのかもしれませんが、今はもうその人たちはいなくなって痕跡だけが残っている場所とでもいいましょうか。そんな場所で音とか空気とか匂いに身を置いておくだけでも少し頭が切り替わる。なんとなく落としどころがみつかる。いつのまにか活力を取り戻している自分に気づいて、安心して日常生活に戻っていく。こんなことを繰り返しています。
会社員 新潟市
今回の講演で宮坂先生の生きがいの4つの柱、結びつき(他者との結びつき)、目的(他者への貢献)、ストーリーテリング、超越。そして聞く力をどうやって育むか?目的別に使い分けるには?刑事質問(いつ、どこで、何を?)探検隊の質問(どんな感じ、どんな様子?)教師の質問(正解は000ですよね?)ファシリテーター(どうしたらいいんだろうね?)以上の内容で実際に社会人には必要な<ホウレンソウ>とかぶる部分があると感じました。今後実際にそのことを思い出し私自身、困りごと等の相談に乗ってあげたいと思います。 細井先生の内容ですが、死にゆく人たちで、金曜日に丁度葬式に行って来て、人はどうゆう思いでなくなっていくのか?何かを誰かに伝えたいのか?を丁度のタイミングでのお話でした。延命治療(苦痛からの解放)が本当に必要なのか?必要とした場合それが痛み(患者の苦痛)になってしまうか?どちらの選択が良いのか?家族の判断、先生方の判断等なかなか難しい課題かと思います。
会社員 神奈川県
いつも、貴重なご講演の開催を、本当に有難うございます。今回も、胸にしみるお話ばかりでハンカチ大活躍でした。勉強会では、自分の無知を思い知ることも多いです。細井先生のお話~「足し社会」とは何だろうと思い調べたら「多死社会」というきとを知りました。性と死で生になる、という自然摂理のお話は、独身無産の者には少々、耳が痛いと申しますか立場のないような思いもありました。診続ける、見捨てない、という言葉はとても温かく、しかし重くも胸に届きました。「終わり」がすぐそこに見えているから、とも思いました。例えば、若年者の不治な疾患を、いつ終わるか見当もつかない一生涯を、診続ける、見捨てない、と言える医師は、どれほどもいるでしょうか。医療者と患者が、すべてをオープンにした時、生まれるのは信頼だけなのでしょうか。落胆や失望、憎しみのような、負の感情も生まれはしないでしょうか。…などマイナス方面へ向く思いもありつつ。宮坂先生~「慢性疾患の患者が、このくらいなら大丈夫、納得できる、という、患者自身の尺度で健康やQOLを決めても、よいのではんないか。」というお話には、とても勇気付けられました。今の、持病の寛解期(実際には、少量ステロイドで炎症を押さえ込むのに成功している状態)にある自分は、病と闘っているのではなく、健やかに生きる闘いがあるだけ。これは、闘病ではなく、健闘なのだ。と思うことを、後ろから支えて頂いたような気持ちになりました。
櫻井浩治(精神科医;新潟大学名誉教授、新潟市)
1)宮坂先生のお話では、医療従事者で無い者の視点から論ずることで、ケアにおける対話の方法について、何らかのヒントを示唆できないかという前振りで始まり、人間関係の構築には相手の人を選ぶことの重要性や、数ではない少数でも良好な関係を持つ家族や友人持つことの重要性、生きる意味を持つことの重要性など、良好な人間関係構築に必要な心理を追求するポジテブ心理学という人の持つ優れた面や良い部分を積極的に見直してみようという臨床心理学が注目されていることを紹介されました。この辺りは、最近精神科や心療内科を中心に論議されているレジリエンス(resilience-個人が持つ回復力、疾病抵抗力)の存在の追及との関連で面白く拝聴しました。患者・家族・医療従事者が同じ立場で医療に参加する精神科医療の試みは、チーム医療としての方法の追求の一つだと思います。
「対話」における「聞く力」は全ての医療職者には重要な点であり、特に医師にとって「患者に学ぶ」という精神は、最も根本的な一つだと私も思っています。もちろん細井先生もその具現者です。他者を重要な人として「今、その人のために何が出来るか」を考え「身の上話」に関心を持ち、「超越性」(私はこれを良寛さんの「騰々(とうとう)、天真に任す」〔自由にさりげなく天然自然の真理の中に自分を置いて任せきる〕態度心境と似たようなものと受け取りました)必要性など、この辺りは良寛さんの慈愛の心を思いださせられました。と同時に、これらの指摘は。この後で話された細井先生の臨床態度とも重なっているように思いました。
私の知る宮坂先生は、もう10年以上前の彼で、社会現象としての生命倫理を研究対象として、ハンセン氏病者の隔離された収容所での生活内容の紹介や小児がん親子がよりよき環境下での外来通院医療のための環境作りなどで活躍されていて、研究方法としては、社会現象を、統計的対応よりも、一つ一つ丁寧に総括的に物語を作るようにして原因を浮き彫りにする方法で対応して来られた(間違っていたらご免なさい)こと改めて振り返りながら、聴いていました。
2)細井先生のお話をお聴きするのは今回で2度目ですが、著書も読ませて貰いました。何時も、「死に直面し、救いを求めている人々の実際を数多く体験されての実感を丁寧に話されていて、感銘深く、また教えられることが多いのです。今回は、総仕上げともいうべきお話で、人の死は本来語れないものではないか、という思いと、ターミナル期での会話は、相手が語りだすまで待つことが重要、というお話は身にしみてよく分かりました。
患者さんが、人間的な癒しや対話を願っていること。切なさややりきれなさとつきあうことの重要性の指摘は、スピリチュアルな苦しみ。実存的な苦しみが、かって問題になった事を思い出しました。人生の流れの中で現在を見つめ直そう、とするために、良い聞き手となる覚悟が必要。これは自分自身についても立ち止まって問い質し、自分が自分のための良い聞き手になる必要があります。生は死を犠牲にして存在する、という考えについても全く同感です。命が「いのち」になって輝くこと。いのちが尽きる時にその人の人生の集積が光を持って関わり残された人たちに輝くことと。「生命」は目に見える「有限性」のあるものだが「いのち」は次代に受け継がれる「無限性」のあるもの、としてのお考えは、先回木村敏先生の命の2重構造のあり方の理念を示され、縦と横の物語で「いのち」と「生命」の違いを説明されていたことを。さらに判り易く説明されていたと思います。そして、「死につて」は、死が人生の苦痛からの開放で、生きている者を支えている自分の「いのち」の存在について後悔はあっても「満足でない満足感」という自己同一性の完結である、と思うこと。そして家族への感謝という「幸せ感」と、「死後の世界への期待感」、あるいは「死後のこの世への期待観」のある死を話されました。
私は、細井先生の20年間を通しての他者の死の看取りから、「死」を実存的臨床哲学者として、キリスト教徒として、また科学者として理解しようとされて来ているおられることを知りました。それも決して「肩肘を張ること無く」宮坂先生の言われる「超自然的」心で接しておられることにも、敬服します。
3)安藤先生を交えての鼎談で、「自分が主治医で無かったらという反省をすることがある」という話から、「患者―医師の良好な関係は<治療の結果>に左右される可能性」を指摘されました。宮坂先生は「医師を先生と呼ぶ日本の社会風潮」を患者ー医師関係に影響を与える問題点のひとつとして挙げられました。私は「患者さんから学ぶためには、患者さんが話せるような関係を持たねばならず、そこには患者さんの医師への信頼感の発生が重要で、患者さんが話そうと思うまでの信頼を得るための辛抱と愛が必要だ」思っています。細井先生はそれが出来た人です。
先回の細井先生の講話の感想を先生に書きました時、「一人の医師が治療からターミナル期の医療まで、一人でやってもらえるのが理想」と書いたように思います。今は場合によってがん治療者とケア医療者とは別な方が患者さんの為に良い場合があることに気付いて居ります。
4)小生は、一人は高校からの友人でがんセンター新潟病院に居た小越先生、一人は医学部学生時代から知人の市民病院に居られた木村 明先生の二人の内科医と、新潟ターミナル研究会を、昔、立ち上げたことがあります。元看護系学部の同僚、看護師の松川リツさん等が熱心に行なっていたターミナル期の患者さんへのボランチァの会を応援していました、しかし私の実際のターミナル期の患者さんやその家族との関わり合いは、多くはありませんでした。親しい医師から、精神科医として依頼されて接する程度で、学生時代の級友や小生自身の両親や兄姉らのがんによるターミナル期に、身体的医慮や対応は他者まかせの、ただ寄り添って見守っていくだけの対応しかできない、医師と言っても立場からすれば一般の方と同じ立場でしかない日々を送った体験があるだけです。しかし身内の者は、身体的苦痛に対して何も出来ない精神科医の私でも、毎日病床に顔を出すだけでも、医師という資格を持つ私であることだけで頼りにしてくれていたように思います。が、最終的には如何だったのでしょう。あの世で会ったら訊いてみようと思います。
上手く感想が纏まりません。だらだらと年寄りの長話を書きました。小生もやがては死に直面する日が参ります。思春期に死の持つ意味を漠然と考え始め、間もなく実際にその経験を、実感として体験する時が来るわけです。
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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
http://andonoburo.net/on/6283
15時35分 講演
演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
http://andonoburo.net/on/6289
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会
報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』 細井 順
日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館;滋賀県近江八幡市)
【講演要約】
ホスピス医として「その人がその人らしく尊厳をもって人生を全うする」ことに関わり始めて、20年の歳月が流れた。本年末で一区切りをつけて、来年からは在宅ケアを始めようと思う。そこで、ホスピスでの出会いを通して思索した「私の人間観」をまとめてみたい。
1 老いと死
ホスピスケアを語るとき、念頭にあることは、「人間は死すべきもの」という事実である。これを足がかりに、死とどのように向き合うかを問うことがホスピスの在り方である。人間には老いと死が備えられている。「人間の尊厳や存在意義が、個々の人間の老いと死による有限性にある」と、ある生物学者は語っている。
我が国は多死時代を迎えようとしている。2025年問題と呼ばれ、団塊の世代が平均寿命を迎える時期に、死亡者数の増加に見合う死亡場所が確保できないという難問を現代社会は抱えている。病院の病床数を増やすことはむずかしく、在宅で死を看取ることが推進されているが、市民の間にも医療者側にもまだまだ浸透していない。そういう背景の中で、ホスピスは尊厳のある死の看取りを目指している。
2 患者の願い
がんなどの生命を脅かすような病気を患うと、全人的苦痛とよばれる生きづらさを感じる。現代医療の盲点は、患者の情報を一元化して管理する場所がはっきりとしないことにある。専門化・細分化が進んだ医療システムでは、検査、診断、治療と多人数の医療者が関わっている。ひとりの医師が病気の全経過を診る時代ではなくなった。医療の進歩によって、専門領域は狭められ、広い範囲を診てくれる医師はいない。特にがん治療のような高度の専門性が必要とされる領域では尚更である。このようなシステムでは、患者が抱えた生きづらさを汲み取ることができなくなってしまった。
患者の願いは、医療者による人格的な癒やし、人間的な対話である。たとえ障害や病気が除去されることがなくても、葛藤が解決されることである。現代の細切れにされた高度先進医療では、生きづらさに耳を傾ける余地はない。ホスピスで出会う患者から漏れる言葉は、「誰が主治医かわからない」。それに答えるホスピス医は、「最後までちゃんと診るから」。すると、「安心した。その一言が欲しかった」と患者は安堵する。
3 ホスピスが大切にしていること
ホスピスが大切にしていることは、人生の流れの中で現在を見つめ直すことであり、患者の気持ちに焦点をあてて、つらさ、せつなさ、やるせなさ、やりきれなさ、できなさ、弱さにつき合うことである。ライフレビューという手法を使って、自らの人生の歩みを振り返り、それを自ら言葉にして、自らの心に現在の状況を落とし込む作業をしてもらう。そうすることで、これからの旅路も過去を乗り切ってきた経験を土台にして、新たな困難にも立ち向かっていける。
ホスピスですごす患者のほんとのつらさは何であろうか。治癒を望めない病を得て、「生きたいけれど、生きられない」ということと、「死にたいけれど、死ねない」という二項に集約される。生死の狭間で、できなさ、弱さを覚える。このような苦悩に対して、ホスピススタッフは患者に寄り添うことができるだろうか。我々は、「生かしたいけれど、生かせられない」のであり、「死なせたいけれど、死なせられない」のである。大きなジレンマを抱えながら患者の傍らへと赴く。もし、医療者として赴くならば、患者に寄り添うことはできない。医療者としては無力である。自分たちのできなさ、弱さを思い知らされる。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」。これは我々のホスピスの玄関に掲げられた聖書の言葉である。この言葉は、患者や家族に投げかけられた言葉にとどまらず、ホスピススタッフにも投げかけられている。できなさ、弱さを抱えた者全員に投げかけられている。我々人間は神の前では平等である。医療者としてではなく、できない者、弱い者同士の出会いの中で患者に向かう時、その場には立場の違いを超えて、愛、平和、つながり、いのちが生まれる。そして、ここで生まれたいのちは生死を超えて遺された人の生きていく力になっていく。遺された人の中で生き続けるのである。
4 生命からいのちへ
漢字で綴る生命と平仮名のいのちとは意味合いが違う。生命というのは、生命物質の生命活動のことで、目に見えるもので、終わりがある。一方、平仮名のいのちというのは、目には見えず、出会いの中から生まれ、死をも超えて次の世代へと受け継がれていく。ホスピスケアは生命の終わりを見つめることを通していのちを育んでいる。このいのちに気づく時、死の孤独から解放され、死を恐れないで死に向き合うことができる。
5 死にゆく人から教わる人生の手応え
「人間とは何か」というテーマを掲げながらホスピスで死にゆく人たちと関わってきた。人生を勝ち組と負け組に分けたくはないが、人生の手応えは感じたい。なんてったって、毎日がんばって生きているんだもの。ホスピスでの関わりをふまえて、どうしたら自分の人生を納得して振り返ることができるかを考えた。大変おこがましいことではあるが、四つの項目が挙げられると思う。
・苦痛からの解放 ・人生の満足感 ・家族の支え ・死後の世界への期待感
これらのうちでホスピスができることは、種々の薬剤を駆使する第一の項目だけである。他の三項は、その時までに築いてきた人生そのものを映し出す。第四項の死後の世界への期待感とは、今から向かう来世への期待感でもあり、旅立った後の現世への期待感も含まれている。いのちが引き継がれていることの実感である。つまり、死に甲斐を持つことと言い換えることができる。まさに「人は生きてきたように死んでいく」と言われる通りである。
6 終わりに
拙い人間観を述べさせていただいた。最後になったが、「人はひとりでは生きることも、死ぬこともできない」と痛切に感じている。すなわち、人間とは人知を超えた大きな力と、たまたま巡り会った人たちとに生かされた存在である。その人たちによって自分らしさが引き出されていることなのだろう。現代は不寛容な社会になってしまい、他者を赦すことや、他者の痛みを感じられなくなってきたことを憂える。近い将来、人間はAI(人工知能)に席捲されるだろう。私はそこに幸せを見出せないだろう。人間臭く、「共に喜び、共に泣く」社会であることを願ってやまない。
【細井順プロフィール】
公益財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院ホスピス長。
1951年生まれ。78年大阪医科大学卒業。自治医科大学消化器一般外科講師。
93年淀川キリスト教病院外科医長。 父親を胃がんのためにホスピスで看取った後、96年ホスピス医に転向し、同病院ホスピスで学んだ。
98年愛知国際病院で愛知県最初のホスピス開設に携わった。
2004年には自らも腎臓がんで右腎摘出術を受けた。
06年から現職。自らの体験をふまえ患者目線のホスピスケアに精力的に取り組んでいる。その傍ら、「いのち」の教育にも力を注いでいる。
12年ホスピス希望館の日々を追ったドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日〜あるホスピス病棟の40日〜」(溝渕雅幸監督)が制作された。
著書:『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年)、
『死をおそれないで生きる〜がんになったホスピス医の人生論ノート』(いのちのことば社、2007年)、
『希望という名のホスピスで見つけたこと』(いのちのことば社、2014年)など
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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
http://andonoburo.net/on/6283
15時35分 講演
演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会
報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』 宮坂道夫
日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
【講演要約】
ハーバード大学で約80年にもわたって行われている研究があります。700人以上の男性を追跡調査しているものですが,それによると,家族,友人,コミュニティなど,親密な他者とつながっている人ほど幸福で健康であるのに対して,人と関わらず,孤立を甘んじて受け入れている人は,幸福感が低く健康を害しやすい傾向があるとのことです。また,経済学分野で注目されている「ソーシャル・キャピタル」という概念がありますが,これは社会の「結びつき」や「絆」のことで,これらが社会にとっての「資本」であるという考え方です。これが強い社会では,人々が私利私欲を超えて行動して助け合うために,犯罪の発生が少なく,雰囲気のよい社会になるのだそうです。
ただし,ソーシャル・キャピタルは,柵(しがらみ)も生み出します。日本でも,人間関係の濃厚なコミュニティで,そこのしきたりに従わない人が村八分のような仕打ちにあうことがあるように,「結びつき」や「絆」が大事にされる社会で,差別やいじめなどが発生することも確かなようです。夏目漱石の『草枕』の冒頭の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という有名な文章は,今の時代にはより痛切に感じられるのではないでしょうか。若い人たちは各種のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使いこなし,それで「結びつき」をつくりながら,その怖さもよく知っています。それによって引き金が引かれた自殺は毎年何件も起こっています。「不寛容の時代」という言葉をよく聞きますが,お互いに監視し合うような,この息苦しさはどこからくるのでしょうか。
これについて,フランスの社会学者トッドの分析が,客観的に私たちの社会を見つめる視点を与えてくれるように思います。彼の研究は,その社会で支配的な「居住と財産相続の形式」で,規範意識(何が正しいか,何に価値があるか,などについての共通認識)が形成されるはずだという仮説に基づいています。「居住」の形式とは,子が結婚後も親と同居するか,それとも結婚後に親と別居するかによって二分され,同居を続ける社会は縦方向の権威主義の傾向が強く,別居する社会では自由主義の傾向が強くなります。「相続」とは,親の財産を兄弟で分割相続するか,あるいは一人の子が独占的に相続するかで二分され,前者では平等主義が重んじられ,後者では不平等を受け入れるべきだという規範意識が持たれます。この考え方では,日本社会は,ドイツや韓国,ユダヤ人社会などと同様の「権威主義的で不平等的」な規範意識が強いグループに入ります。もちろん,現在ではそれが崩れているともいえるかもしれませんが,最近の日本社会の不寛容さの背後には,私たちが伝統的に抱えてきた規範意識があるのかもしれません。
問題は,そうした規範意識のもとでは,「弱い人」が叩かれやすい傾向があるという点です。私たちの社会では,公害や薬害のような産業災害でも,また地震や津波のような自然災害 でも,被害者には温かい支援の手が差し伸べられる一方で,ある程度の支援的措置がなされた段階で,被害者たちがそれ以上の支援なり処遇なりを求めようとすると,途端に被害者が叩かれる状況が出現してきました。権威主義的社会は,国民一丸で1つの目標に進む時には強みを発揮しますが,少子高齢化で「支え合いの屋台骨」が弱まった状況では,不利だとされています。明治から昭和初期まで続いた国家主義的時代,あるいはもう少し後まで続いた高度成長期はもはや過去の話で,今は少子高齢化で「支え合いの屋台骨」が弱まっていく時代です。日本社会が,これからも「結びつき」「絆」を大切にしていこうとするならば,「権威主義的で不平等的」な規範意識を変えないといけないのかもしれないのです。
講演の後半では,こうした時代の中で,「弱い人」を支えていく役割を担う,医療・福祉の分野で働く人たちに目を向けました。大学で医療人を育成する一端を担っている者として,かれらの「共感力」の現状や,それを育成する方法,あるいはそもそも共感力の低い人たちがどうやって患者や障害者,高齢者などと対話していけるのかを,様々な実例を用いて紹介しました。「私は○○については専門家ですが、あなたの人生のことについてはまったくの無知です。どうぞ教えてください」という態度を意識して対話に臨む「無知のアプローチ」,患者が医療者に教えるという立場で講義・対話を行う「でんぐりがえしプロジェクト」,質問力を向上させるための「戦略的インタビュー」,患者や高齢者の人生を振り返って紙芝居をつくる「人生紙芝居」,精神科領域で,統合失調症患者に薬物を用いず,対話的手法のみによって問題の解決を図る「オープンダイアローグ」など,多種多様なものです。これらのアイデアの素晴らしさに感心するのですが,中には実際に治療上の効果をあげているものもあり,適応対象などを広げていけるのではないかと考えています。
【略 歴】 宮坂 道夫
長野県松本市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。
大阪大学大学院医学研究科修士課程、東京大学大学院医学系研究科博士課程(博士・医学)を経て、新潟大学大学院保健学研究科教授。
専門は生命倫理、医療倫理、ナラティヴ・アプローチなど。
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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
15時35分 講演
演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会
『報告:シンポジウム「病とともに生きる」2016』
平成28年夏、新潟でシンポジウム『病とともに生きる』を開催致しました。このシンポジウムは、基調講演の大森 安恵先生(東京女子医大名誉教授)はじめ、南 昌江先生(内科医;南昌江内科クリニック)、 小川 弓子先生(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)、清水 朋美先生(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)、立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)のパネリストが、ご自身の、息子さんの、お父様の、ご主人の病や障害とともに生きてきたご経験を語ったものです。どの講演もとてもインパクトがあり素敵でした。
大分時間が経ってしまいましたが、講演要約をHP(andonoburo.net)に収録致しました。興味とお時間のある方は覗いてみて下さい。
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シンポジウム『病とともに生きる』
日時:平成28年7月17日(日)10時〜12時30分
会場:「有壬記念館」(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部同窓会館)
新潟市中央区旭町通1-757
コーディネーター
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)
基調講演:「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
大森 安恵
(内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト
南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
「糖尿病を通して開けた人生」
http://andonoburo.net/on/4979
小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
http://andonoburo.net/on/4990
清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
「オンリーワンの眼科医を目指して」
http://andonoburo.net/on/5014
立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
http://andonoburo.net/on/5042
報告『シンポジウムー病とともに生きる』 その5(立神 粧子)
平成28年7月17日(於~有壬記念館;新潟大学医学部学士会)で開催したシンポジウムの報告。立神 粧子先生(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)の講演要約をお送りします。立神先生のご主人は重篤なくも膜下出血を発症し、命は助かったものの、高次脳機能障害が残存しました。当時わが国では、高次脳機能障害の回復プログラムが確立しておらず、夫婦して米国ニューヨークへ渡り一年間の訓練を行いました。高次脳機能障害の回復は簡単ではないが、治療プログラムを理解して、毎日一歩ずつの歩みを続けることが大事だと語ります。
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シンポジウム「病とともに生きる」
演題:「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト~作戦を立ててがんばる~」
講師:立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
【講演要約】
命が助かった喜びの後に訪れたものは脳損傷という難解な障害であった。2001年秋に倒れた夫の病名は解離性右椎骨動脈瘤破裂による重篤なくも膜下出血。コイル塞栓術、脳室ドレナージ術、V-Pシャント術を経て命は助かったものの、高次脳機能障害が残存した。長年ヨーロッパで世界最高峰の音楽家たちと楽器開発の仕事をしてきた夫が、自分から話すことも動くことも感じることもできず、1分前の記憶が留まらず、今いる場所の感覚がなくなり、簡単なことも混乱してできない。私たちの日常は一変した。喪失感に打ちのめされていた時、New York 大学付属Rusk 脳損傷通院プログラムを知った。
Rusk通院プログラムは、脳損傷に対する神経心理学リハビリテーションで世界有数。主に前頭葉の認知機能不全に対して、対人コミュニケーションを中心とした全人的なアプローチによる機能回復訓練が行われる。この障害を、英語ではBrain Injury(脳損傷)、日本の行政用語では高次脳機能障害と呼んでいる。創設者で初代所長のBen-Yishay博士(2011年に退官)は、脳損傷はエベレストに匹敵する手ごわい障害であり、「私たちスタッフはエベレスト登山のためのツールや登り方を授けることができるが、登るのは君たちだ。訓練して自分の力で作戦を立てて登りなさい」と説明した。
Rusk通院プログラムの見事に構造化された訓練は神経心理ピラミッドを核として、各症状への戦略を身につけるために工夫・統合されている。神経心理ピラミッドは前頭葉機能の中でも主に認知の神経心理機能の働きを9つの階層に分けて表している。下から順番に以下のとおりである:1.訓練に参加する主体的意欲、2.神経疲労(覚醒・厳戒態勢・心的エネルギーの問題)、3.抑制困難症と無気力症(制御と発動性の問題)、4.注意と集中、5.情報処理(情報を処理するスピードと正確性の問題)、6.記憶、7.論理的思考力と遂行機能、8.受容、9.自己同一性。
ピラミッド型であることは、上位の機能はそれより下位の機能が働いていないとうまく機能しないことを示している。実際は諸機能が連動したり組み合わされて様々に複雑に絡み合うことになる。グループや個人での訓練、カウンセリングなどあらゆる角度から当事者は家族と共に症状と戦略を学ぶ。
Kurt Goldstein は、「患者が適正かつ主体的に参加して初めて、脳損傷のリハビリテーションは成功する」ため、「自分の問題をできるだけ詳細に理解させる」必要性を説いている。Goldsteinの療法哲学を受け継ぐBen-Yishay博士は次のように説明した。脳損傷を得て、「誰でもはじめは深い絶望を感じるだろう。しかしそこから自分で立ち上がってこなくてはいけない。自分の欠損に気づき、訓練の環境に順応しながら、訓練の必要性を理解する。そして欠損の補填戦略を学び、日常生活の中で様々な調整を行いながら、習慣化するまで練習する。そのあたりまで進むと、脳損傷を得た自分を受容できるようになる。」受容ができるようになったら、「脳損傷を得た自分」を新しい自分として認め、そこから再び自己を構築する必要がある。そこまで目指さないと、社会の中や家族の間において、自己の存在価値を自分で認めることは難しい。家族も同様である。脳損傷を得た患者とのかかわり方を学んで、この事実を受け入れ、家族の立場から自己を再構築することで、自分自身も幸せになるように考えたい。
「高次脳機能障害はエベレスト登山のように難しい」という話から始めた。Rusk通院プログラムから伝授されたツールをまとめると次のようなことだった。
1.症状をよく知り、真に理解すること。
2.戦略の使い方を学び練習し、マスターして習慣化すること。
3.失敗から学び、作戦立てに役立てる。
4.成功体験は、本人のみならず家族にとっても明日への活力になる。
5.感謝の言葉や気持ちを表すことによって、患者は相手への共感をもつことができるようになり、家族は苦労が報われる気持ちになる。
Ruskで夫が何かができるようになったとき、大喜びでBen-Yishay博士に報告に行くたびに博士からこう言われた。「Shoko, patience!(粧子、決して焦ってはいけない!)これは先の長い問題だ。いちいち一喜一憂せずにどっしり構えなさい。そして困難に耐える力を身につけなさい。」 夫も私もRuskでの訓練から、受動的ではない、能動的な生き方を教わったと感じている。 そしてRuskでの訓練を徹底的に学んだ私に、Ben-Yishay博士は門外不出だった資料の公開の許可を与えてくださり、その結果、2010年11月に医学書院から『前頭葉機能不全 その先の戦略』という本を出版することができた。訓練の詳細はこの本を参照願いたい。現在も、夫との生活で毎日のように困難に直面する。しかし、Ruskから授かった戦略とツールによって、何とか一歩ずつ、二人でこのエベレストを前に進んでいきたいと思っている。
【略 歴】
1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
1984年 国際ロータリー財団奨学生として渡米
1988年 シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
1991年 南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術博士号)
2001年秋 夫・小澤富士夫が解離性右椎骨動脈瘤破裂による重篤なくも膜下出血発症し、高次脳機能障害が残存。
2004-05年 夫の高次脳機能障害治療のため、NY大学医療センターRusk研究所にて脳損傷者の通院プログラムに参加。治療体験記を『総合リハビリテーション』に連載(2006)。
2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院)著。
現在:フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授、音楽学部長
『前頭葉機能不全 その先の戦略』
監修:Yehuda Ben-Yishay /大橋 正洋 著:立神 粧子
医学書院 発行 2010年11月
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912
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シンポジウム『病とともに生きる』
日時:平成28年7月17日(日)
開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
新潟市中央区旭町通1-757
コーディネーター
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)
10時 開始
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
大森 安恵
(内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト (各25分)
南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
「糖尿病を通して開けた人生」
http://andonoburo.net/on/4979
小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
http://andonoburo.net/on/4990
清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
「オンリーワンの眼科医を目指して」
http://andonoburo.net/on/5014
立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
http://andonoburo.net/on/5042
ディスカッション (20分)
演者間、会場を含め討論
12時30分 終了
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報告『シンポジウムー病とともに生きる』 その4(清水朋美)
平成28年7月17日(於~有壬記念館;新潟大学医学部学士会)で開催したシンポジウムの報告。清水朋美先生(国立障害者リハビリテーションセンター病院 第二診療部眼科医長)の講演要約をお送りします。清水先生のお父様はベーチェット病で中途失明しました。清水先生は父の病気を治そうと、愛媛大学医学部卒業後ベーチェット病研究の第一人者である大野重昭教授(当時、横浜市立大学医学部)のもとでベーチェット病の研究をします。そのうちにほかにもまだまだやることが見えてきます。眼の治療だけでなく、「見えなくてもなんとかなる!」ということを眼科医として啓発し続けることが宿命的な個人目標となったと語ります。
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シンポジウム「病とともに生きる」
演題:「オンリーワンの眼科医を目指して」
講師:清水 朋美 (国立障害者リハビリテーションセンター病院 第二診療部眼科医長)
【講演要約】
私の父は、ベーチェット病が原因で30歳の時に失明した。その後に私が生まれているので、私は父が見えていた時代を知らないし、父も私の顔を見たことはない。父が発病した昭和30年代前半は、ベーチェット病そのものが眼科で十分に知られていない時代だった。いよいよ自覚的にも失明を意識するようになった頃、なかなか先の見通しについて語らない眼科医に父は業を煮やし、盲学校に行く覚悟もできているので、治るか治らないか、はっきり言ってほしいと詰問した。これに対し眼科医は、そこまで考えているのなら、盲学校へ行った方がよいと父に告げた。父はこれを事実上の失明宣告と受け止め、見えなくなったら、何もできない、死んだ方がマシではないか?と自分を追い詰めていく。父の苦境を救ったのは、父の母、すなわち私の祖母だった。祖母は父の様子を見て、「失明は誰でも経験できることではないよ。これを貴重な体験として、これを生かした仕事をしてはどうかね。たとえ、それが小さくても社会貢献につながれば生きがいになるのではないかね。」と語りかけた。その後、父は気持ちを切り替え、三療や社会福祉についても学び、視覚障害の方々のために長年に渡り勤務し続けた。祖母の言葉は父の失明以降を支えた大きな原動力となり、50年以上経った今も生き続けている。
そんな父を持つ私が眼科医になろうと思って40云年、実際に眼科医になって25年が過ぎた。幼少時から、明らかに友達のお父さんと違うことが多く、父が見えていないことは自然と理解することができた。ある時、どうして見えないのだろう?と不思議に思い、母に尋ねた。この時に母から教えられたベーチェット病という言葉は私の中にしっかりとインプットされ、さらに治らないと聞いて、眼科医になれば治せるに違いないと幼いながらも強く心に思ったのを覚えている。まだ就学前の出来事だが、このときの母とのやり取りはなぜかいつまでも色褪せない。父から視力を奪ったベーチェット病は歴史的な病気であるにも関わらず、いまだに決定的な原因は不明のままである。初志貫徹で医学部に進学した私は、更に運よくベーチェット病研究の第一人者である大野重昭教授(北海道大学眼科名誉教授)と出会うことができ、当時、先生が率いる横浜市立大学眼科の大学院生にまでなった。この頃の私は、これでようやく長年の敵と向かい合えるという心境で、「打倒ベーチェット病!」が個人目標だったが、臨床経験を積むにつれ、私には眼科医としてもっと他にやるべきことがあるのではないか?と思うことが増えてきた。
眼科を受診する患者はベーチェット病以外の病気が大半で、手帳相当の視覚障害となった患者の多くは医療から福祉への橋渡しがうまくいっていないように思えた。何より、眼科医の視覚障害についての知識が乏しく、学ぶ機会もほとんどない。かなり見えにくい状態になっても漫然と眼科通院を継続している患者が多いという事実に直面し、正直私にはショックだった。見えないと何もできないという一般論の中に患者も眼科医もいて、患者と眼科医の対話を聞くたびにこれでいいのだろうか?と思うことが年々増えてきた。幼少時から多くの視覚障害者と接してきた私には、自分が医療側に身を置くようになって、違和感は膨らむ一方だった。眼科医の役目は言うまでもなく、患者の目を治すことであるが、いくら病気が治って落ち着いていても患者の見え方が100%満足いくように改善しているわけではない。そんなときこそ、ロービジョンケアが必要になる。そして、眼科医には見えなくても何とかなるということを患者に理解してもらうという仕事が加わる。眼科医こそ、見えない=何もできないという一般論に疑問を感じるべきだと私は思う。
今の私は、見え方で困っている人だけでなく一般にも「見えなくてもなんとかなる!」ということを眼科医として啓発し続けることが私の宿命的な個人目標だと思っている。祖母が父に語った言葉は私にもそのまま当てはまると最近つくづく思う。つまり、「失明した親がいることはだれでも経験することのできるものではない、これを貴重な体験として、これを生かした仕事をしてはどうかね。たとえ、それが小さくても社会貢献につながれば生きがいになるのではないかね。」となり、祖母から今も私自身へ語りかけられているような気持ちになることがある。後半の眼科医人生、祖母の言葉通り、父を通して有形無形で学んだ貴重なことをわずかでも世の中に還元していくことで眼科医としての私の最大のミッションを果たせれば本望である。そしてこれからもナンバーワンでなくオンリーワンの眼科医であり続けたいと願っている。
【参考URL】
第9回オンキョー点字作文コンクール 国内の部 成人の部 佳作
「忘れることのできない母の言葉」横浜市 西田 稔
http://www.jp.onkyo.com/tenji/2011/jp03.htm
【略 歴】
1991年 愛媛大学医学部 卒業
1995年 横浜市立大学大学院医学研究科 修了
1996年 ハーバード大学医学部スケペンス眼研究所 留学
2001年 横浜市立大学医学部眼科学講座 助手
2005年 聖隷横浜病院眼科 主任医長
2009年 国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科医長
現在に至る
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シンポジウム『病とともに生きる』
日時:平成28年7月17日(日)
開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
新潟市中央区旭町通1-757
コーディネーター
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長) 10時 開始
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
大森 安恵
(内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト (各25分)
南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
「糖尿病を通して開けた人生」
http://andonoburo.net/on/4979
小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
http://andonoburo.net/on/4990
清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
「オンリーワンの眼科医を目指して」
http://andonoburo.net/on/5014
立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
ディスカッション (20分)
演者間、会場を含め討論
12時30分 終了
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報告『シンポジウムー病とともに生きる』 その3(小川弓子)
平成28年7月17日(於~有壬記念館;新潟大学医学部学士会)で開催したシンポジウムの報告。小川弓子先生(福岡市立西部療育センターセンター長)の講演要約をお送りします。小川先生のご長男は未熟児網膜症のため重篤な視力障害がありますが、大学を卒業し現在は起業して立派に活躍しています。障害と共にチャレンジして生きる息子さんを、母として医師として語ります。
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シンポジウム「病とともに生きる」
演題:「母として・医師として~視覚障害の息子とともに~」
講師: 小川 弓子 (福岡市立西部療育センターセンター長)
【講演要約】
1)視覚障害の長男~障害と共にできることにチャレンジして生きる~
視力および色覚に障害をもつ私の長男が「視力3cm~それでも僕は東大に~」という本を出版して10年になろうとしています。その中の一文です。「弱視であるがゆえに、これから進んでいく道のりを見失ったり、道幅がよく見えずにはみ出てしまったりすることも多々あるでしょう。それでも、みんなのおかげで、きっと私は頑張れます。今の私を作ってくれた、すべての人たち、これまで私を育ててくれてありがとう。私を誇りに思ってくれてありがとう。私を支えてくれてありがとう。私のそばにいてくれてありがとう。私は元気です。これからも頑張って生きていきます。そのための力をくれたこと、ほんとうにありがとう。」 大学卒業に際し「視力が悪いからこそ、一緒にやろうと言ってくれる誠実な仲間を大切にしたい」といい、ベンチャー企業をおこし、それこそ大都会東京で泥だらけになりながらも、「障害と向き合って生きてきたからこその強さ」をバネに、その言葉通りにへこたれずに前を向いて生きています。
思えば、息子の子育てはただただ「みせてあげたい」「経験させてあげたい」「自信をもたせてあげたい」「人生の楽しみを知って欲しい」という医師と言うより、子育て若葉マークの一人の母親の切なる願いに支えられ、多くの本をみせ、音楽を教え、一緒に器用になるようにと折り紙、切り絵で遊んだ日々でした。でも、悪銭苦闘の日々の中からこそ、自分に対する愛情を感じ、自分を大切にすることを知り、そのことが障害もちながらも、自分の人生に感謝の気持ちをもち、踏ん張り抜いて、大きく成長していくことに繋がったと思います。
2)小児科の医師として~息子から得たもの・提供したいもの~
そして障害のある子どもと悪戦苦闘していた未熟な母親は熟年となりました。息子の生き方は、私の中にも小児科医として仕事をする上で、ある理念をつくりました。「たとえ障害があっても愛される、そして自分を愛する事ができれば人生を豊かにいきていける」この思いを胸に、一人の小児科医として、障害児や家族の支援に日々邁進しています。
現在私は福岡市立西部療育センターという子ども達に対する療育機関に勤務していますが、そこではたとえどんな重症の障害であろうと、「生命を輝かせる医療」に加え「子どもらしいふれあいや遊びのある活動」を提供する、まさに「生活」に根ざした療育を提供することを心がけています。そして自閉症の東田直樹くんが著書に「僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。」と書いているように、障害児をとりまく家族も幸せにならなければ、当事者も幸せにはなれないと支援の幅を家族にも広げています。そのために、職員には「一つ一つの人生に寄り添う気持ちがあるか」「言葉を大切にしているか」ということを問いかけています。それは、私たち家族は障害に遭遇したけれど、様々な人々から励ましや人生を生きるメッセージに出会い、力をもらい、進んで行くことができた経験からです。
3)力をもらったたくさんのメッセージ
祖父からは「体が悪くたって、しっかり生きている人間はいる。そのように育てていけばいい」といわれ、毅然と育てていこうと思いました。祖母から「あんたが育てきらんなら、私が育てちゃる。こんなに可愛いやないね。」主人から「明浩の人生は明浩のものだが、明浩ひとりのものではない。みんなで支えていこう」といわれ、肩の荷がおりました。
本の中から「親は代わってプレーすることはできません。しかし、最高の応援団にはなれます。」「親が可愛そうと思えば、子どもも自分を可愛そうと思う。」など育児のヒントを貰いました。このような言葉は人生の岐路に立つ度に、支えてくれました。そして息子から「父さんは、いつも僕の前を歩いてくれた。母さんは、いつも僕の背中を押してくれた。」といった言葉で、また頑張っていく力をもらいました。このように、言葉は人の気持ちに訴えかける大きな力を持っていると思います。
4)最後に
今、私は診察室の窓から利用者の皆さんに「病気や障害を持ってはいても、大切な一人の人生」「今の一つ一つの積み重ねが次に繋がる」「困難のそれぞれに応じた成長がある」「決して一人ではない、一緒に考えてくれる人は必ずいる。」「自分たちの家族の物語を丁寧に紡いでいくことの大切さ」と伝えています。もちろん、障害には様々な困難、不安、社会の偏見など、まだまだ個性とはいいきれないたいへんな事が多々あります。でも「泣くという文字は、たくさんの涙を流しても立ち上がる」と書きます。いつかみなさんに悲しみに泣くことがあろうと、立ち上がり「辛いことの直ぐ横にある幸せ」に気が付いてもらえると信じて。
【略 歴】
1983年(昭和58年)島根医科大学卒業
同年 九州大学病院 小児科入局
福岡市立子ども病院などで研修
1986年(昭和61年)長男を早産にて出産
以後、療育及び三人の子どもの子育てのため休職
1994年(平成 6年) 福岡市立心身障がい福祉センターに小児科として勤務
2002年(平成14年)福岡市立あゆみ学園に園長(小児科)として勤務
2014年(平成26年)福岡市立西部療育センターにセンター長(小児科)として勤務
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シンポジウム『病とともに生きる』
日時:平成28年7月17日(日)
開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
新潟市中央区旭町通1-757
コーディネーター
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)
10時 開始
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
大森 安恵
(内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト (各25分)
南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
「糖尿病を通して開けた人生」
http://andonoburo.net/on/4979
小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
http://andonoburo.net/on/4990
清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
「オンリーワンの眼科医を目指して」
立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
ディスカッション (20分)
演者間、会場を含め討論
12時30分 終了
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報告『シンポジウムー病とともに生きる』 その2(南昌江)
平成28年7月17日(於~有壬記念館;新潟大学医学部学士会)で開催したシンポジウムの報告。南昌江先生(南 昌江内科クリニック)の講演要約をお送りします。南先生は1型糖尿病を発症しましたが糖尿病専門の内科医になり、毎日多くの糖尿病患者を誠心誠意治療し、自らは毎年ホノルルマラソンを走り続けている素敵な先生です。
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演題:『糖尿病を通して開けた人生』
講師: 南昌江(南 昌江内科クリニック)
【講演要約】
私は39年前の夏に1型糖尿病を発症しました。当初は親子とも落胆し、将来を悲観しましたが、その後尊敬する医師との出会いによって人生が変わってきました。
16歳で小児糖尿病サマーキャンプに参加しました。本心は参加したくなかったのですが、主治医から半ば強制的に参加させられました。そこで、病気に甘えていた私たちに、ボランティアのヘルパーから、「糖尿病があるからといって社会では決して甘く見てくれない。これから糖尿病を抱えて生きていくなかで沢山の壁にぶつかるだろう。その壁を乗り越えられる強さを持ちなさい。」と話をされました。これまで病気を理由にいろいろなことから逃げていた自分に気がつき、その頃から病気とともに生きていく覚悟が出来、将来は「医師になって糖尿病をもつ人の役に立ちたい」と思うようになりました。
医師になって念願の東京女子医大糖尿病センター、平田幸正教授の下で医師の第1歩を踏み出しました。医師になったばかりの私に、平田先生から「あなたは貴重な経験をしている。同じ病気の子供たちのためにも、是非自分の経験を本に綴ってみてはどうかね?」というお話を頂きました。しかし研修医時代は不規則な生活が続き、糖尿病のコントロールにも自信がない状態で、こんな自分が糖尿病の患者さんを見る資格はないのではないかと内科医をあきらめかけた時もありました。医師になって3年目、今度は肝炎を患いました。糖尿病になって、一生懸命に頑張ってきたのにどうしてまたこんなに辛い思いをしなくてはいけないのだろうと、本当に辛い時期でした。3か月の休養をいただきましたが、その時に、ふと、以前平田先生からいただいたお話を思い出し、「こんな状態の自分でも、少しずつ自分の体験を綴ってみることはできるのではないだろうか」と思い、その後福岡に帰って勤務医を続けながら、私の経験が糖尿病の子供たちに勇気と希望を与えることができればと思い、1998年に「わたし糖尿病なの」を出版しました。
その年に糖尿病専門クリニックを開業し18年が経ちましたが、これまでに多くの糖尿病患者さんと接してきました。診療の傍ら、講演や糖尿病の啓発活動を行っています。2002年に初めてホノルルマラソン(フルマラソン)を完走することができました。その時の感動は、今でも忘れられません。最後のゴールを目の前にした時には、これまで生きて来て、辛かったことが走馬灯のように思い出されましたが、ゴールと同時に一気に消えていきました。同時に出会ったすべての方々への感謝と、本当に生きてきて良かった、という思いとそれを天国の父に伝えたくて、涙を流しながらのゴールでした。
それまでは、自分の10年先の将来が想像できなかったのです。「将来、目が見えなくなるかもしれない、透析になるかもしれない。」という糖尿病の合併症の心配がどこかで自分を臆病にしていました。フルマラソンを完走できたことで、自分の体力・精神力に自信がつきました。この体験をきっかけに、新たにクリニックを新築し、自分が長年理想としてきた糖尿病診療をしています。
そして、“No Limit”をモットーに、“糖尿病があっても何でもできる”ことを一人でも多くの患者さんに理解して体験して頂きたいと思い、“TEAM DIABETES JAPAN”を結成し、2007年には糖尿病協会に承認されました。毎年患者さんや医療関係者と一緒に国内、国外の大会に参加しています。これまでにフルマラソン19回完走し、今年も15回目のホノルルマラソンに挑戦します。
人生を振り返った時に、生き方や考え方を教えてくれたのは両親です。
父からは、高校生の頃に「お前はハンディを持っているのだからその分、人の2倍も3倍も努力しなさい。」「嫁には行けないだろうから、一人で生きていくために資格を取りなさい。」 「病気があると金がかかる。自分の医療費は自分で払えるように経済力を持ちなさい。」 と病気がある私にあえて厳しく育てられました。
私が国立大学医学部受験に失敗して、浪人させてほしいと父にお願いした時には、「人より人生が短いのだから、1年でも無駄にするな。私立大学に合格したのだからそこで勉強して少しでも早く良い医者になりなさい。」と言われました。小さな電気屋を営んでいた我が家の家計では私立の医学部は到底難しかったと思いますが、両親は私のために必死で働いて卒業させてもらいました。それまで父には反抗していましたが、その時に父の愛情を深く感じました。
そんな父が、2001年に癌で亡くなる前に、「もうお前は一人で生きていけるな。お母さんのことは頼んだよ。」と逝ってしまいました。病気を持つ私に、強く生きていきなさいと育ててくれた父、いつでも「ありがたい、幸せ。」と感謝の言葉が口癖の母。そんな母も2013年に亡くなりましたが、「あなたはいい人に恵まれているから大丈夫よ。」と今でも天国から見守ってくれていると思います。
これまで私が出会った方々や医学から受けた恩恵に感謝し、一日一日を大切に「糖尿病を持つ人生」を明るく楽しく自然に、いつまでも夢を持って走り続けていきたいと思っています。
【略 歴】
1988年 福岡大学医学部卒業
東京女子医科大学付属病院 内科入局
同 糖尿病センターにて研修
1991年 九州大学第2内科 糖尿病研究室所属
1992年 九州厚生年金病院 内科勤務
1993年 福岡赤十字病院 内科勤務
1998年 南昌江内科クリニック開業
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シンポジウム『病とともに生きる』
日時:平成28年7月17日(日)
開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
新潟市中央区旭町通1-757
コーディネーター
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)
10時 開始
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
大森 安恵
(内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト (各25分)
南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
「糖尿病を通して開けた人生」
http://andonoburo.net/on/4979
小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
「オンリーワンの眼科医を目指して」
立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
ディスカッション (20分)
演者間、会場を含め討論
12時30分 終了
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報告『シンポジウムー病とともに生きる』 その1(大森安恵)
平成28年7月17日、有壬記念館(新潟大学医学部学士会)にて開催したシンポジウムの報告です。
大森安恵先生(海老名総合病院・糖尿病センター長、前東京女子医大糖尿病センター長)の基調講演要約をお送りします。大森先生は糖尿病治療のど真ん中で60年間活躍され、特に「糖尿病でも母子ともに健康な出産ができる」を日本の常識にした取組みは、特筆すべき業績です。
基調講演:糖尿病と向き合うー私の歩いた一筋の道ー
演者:大森安恵 (海老名総合病院・糖尿病センター長
東京女子医科大学名誉教授)
【講演要約】
新生児専門医の東京女子医科大学名誉教授仁志田博司先生は、生命倫理に関する御著の中で、倫理の倫は仲間という意味であると書いている。本日はご本人そのものや,ご家族の病気とともに感動的に生きておられるお話上手の私の特別の仲間である皆様とご一緒させて頂き、その基調講演を担当する。
私は1956年東京女子医大を卒業したので,丁度60年間糖尿病の患者さんと向き合い、ともに生きて来た事になる。1960年代前半までは「糖尿病があると危険だから妊娠させるべきでない」という不文律があり、またそう教え込まれていた。たまたま、私は「安産ですよ」と言われながら微弱陣痛で死産を経験した。慟哭を禁じ得ない程の新生児喪失の悲しみを秘めて診療している時、糖尿病の診断がつかず死産に終わって,泣き暮れている二人の患者さんの受持ちになった。この二人の患者さんとの悲しみの共有が動機になって、わが国にもコントロールが良ければ糖尿病があっても妊娠は可能であるという臨床と研究分野の開拓を始めた。
欧米では1921年インスリンの発見と同時に「糖尿病と妊娠」の歴史が始まっている。糖尿病という病気を持っていても、糖尿病を持っていない人と変わる事無く、妊娠し子供を持ち、人としての人生の幸せを歩ませようと努力をする欧米の医師と、糖尿病があると危険だから妊娠すべきでないとする日本の医師との違いは、糖尿病が多い国と少ない国の違いか、文化的背景の違いであろうか。
「糖尿病と妊娠」の分野確立は欧米から約30年も遅れて開始されたが、中山光重教授のご支援の下に、必死に勉強出来た。既に日本でも出産例は僅か乍らあったが、当時の医学の現状としては、せっかく妊娠しても人工流産をさせられか、子宮内胎児死亡の悲しい経験を持つものが多かった。血糖コントロールが良ければ糖尿病があっても妊娠、出産は可能であるというキャンペーンを張ると,糖尿病妊婦分娩例は階段的に増加して行った。東京女子医大病院では1964年2月に初めて糖尿病患者さんの分娩例を経験、以後症例は全国から集まるようになった。この第一分娩例はリリーインスリン50年賞の初回受賞者となっており、今年は7名目が受賞する事になっている。
健康なお子さんを無事に出産したいと願う母親の気持ちは,血糖正常化の強い動機付けになり、分娩後も良いコントロールを守るので,妊娠、分娩例は,多くの人が合併症なくまた治療を中断する事無く経過している。また糖尿病合併症がなく、妊娠前から血糖コントロールが良ければ、非糖尿病者と同じ妊娠、分娩が出来るようになっているが、2型糖尿病が主流を占めるわが国では、妊娠して初めて糖尿病を診断される症例があり、この点が今でも残された大きな問題である。
女性が持つ難問題は女医が担当する事によって、解決がスムースな場合もあるので、糖尿病と妊娠の分野は自分に課せられたライフワークと心得て、患者さんと共に歩んで来た。医学に関して手厚くご指導を頂いた中山光重先生初め数々の恩師、同僚や友人、患者さん達もそれぞれ恩師であるが、糖尿病と妊娠の事を教えて頂ける恩師は日本にはいなかった。そのため、短期間ではあったが、カナダとスイスに研究の為留学をし、デンマークのペダセン教授、ベルギーのフート教授たちにはずっと師事してご指導を仰いだ。
1975年初めてヨーロッパ糖尿病学会の「糖尿病と妊娠研究会DPSG」で発表し、その後会員に推薦され、徹底的に今日まで学ばせて頂いている。1985年には池田義雄、松岡健平両先生とともに,日本にも「糖尿病と妊娠に関する研究会」を創設し、更にそれを2000年には日本糖尿病・妊娠学会に変革した。その前の1997年5月には、女性で初の第40回日本糖尿病学会会長になり、医師が勉強するのだから患者さんも一緒に学ぼうと、糖尿病学会歴史上初めての公開講座を作り東京国際フォーラムA会館の5000席は満場で共に学び合った。
2006年には国際糖尿病連合(IDF)と国連のうち立てたワーキンググループのメンバーに選ばれ国連で糖尿病と妊娠の講演を行った。2011年にはWHOの妊娠糖尿病ガイドライン作成委員の一人として世界の人々とともに作業を行い、世界の医療に貢献した。昼夜を分かたず、私は糖尿病と立ち向かう人生を歩んでいるが、糖尿病を持ち乍らもっと精力的に社会活動をした人々を紹介したい。それはロバート、ローレンス、トーマス、エジソン,ジャコモ、プッチーニ,アーネスト、ヘミングウエイ、夏目漱石、北原白秋、隆の里などである。
ジョスリンクリニックの壁に書かれているイシドール大司教(C570~630)言葉『永久に生きると思って学びなさい。明日死ぬと思って毎日を生きなさい』を捧げて結びの言葉とする。
【略 歴】
1956 東京女子医科大学卒業。
1957 東京女子医科大学第2内科入局(中山光重教授)、糖尿病の臨床と研究を開始。小坂樹徳、平田幸正教授にも師事。医局長、講師、助教授を経てスイス、カナダに留学。
19814月同大学第三内科糖尿病センター教授。
1985 「糖尿病と妊娠に関する研究会」設立。
1991 同第三内科主任教授兼糖尿病センター長。
19973月東京女子医科大学定年退職 名誉教授。
19975月第40回日本糖尿病学会会長。
2001 「日本糖尿病・妊娠学会」設立(「糖尿病と妊娠に関する研究会」を発展)。2005名誉理事長となる。
2002 海老名総合病院・糖尿病センター長。現在にいたる。
2007 Unite for Diabetes糖尿病と妊娠の代表者として国連でSpeech.
【受 賞】
吉岡弥生賞、米国Sansum科学賞、Distinguished Ambassador Award, ヘルシーソサエティ賞、糖尿病療養指導鈴木万平賞他
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シンポジウム『病とともに生きる』
日時:平成28年7月17日(日)
開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
新潟市中央区旭町通1-757
シンポジウム「病とともに生きる」
コーディネーター
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)
10時 開始
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
大森 安恵
(内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト (各25分)
南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
「糖尿病を通して開けた人生」
小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
「オンリーワンの眼科医を目指して」
立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
ディスカッション (20分)
演者間、会場を含め討論
12時30分 終了
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これまでの「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
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第9回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院 眼科
日時:2014年7月6日(日) 10時~13時 各講演1時間・質疑応答30分
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 参加無料
1)「学問はしたくはないけれど・・」
加藤 聡 (東京大学眼科准教授)
2)「摩訶まか緑内障」
木内 良明 (広島大学眼科教授)
http://andonoburo.net/on/2951
第8回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2012年9月15日(土)15時~18時
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)「疫学を基礎とした眼科学の展開」
山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
2)「2型糖尿病の成因と治療戦略」
門脇 孝 (東京大学内科教授、附属病院長、
日本糖尿病学会理事長)
http://andonoburo.net/on/2423
第7回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
高橋 政代 (理化学研究所)
2)「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
中澤 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)
http://andonoburo.net/on/2420
第6回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)「私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事」
大森安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
(東京女子医科大学名誉教授;内科)
2)「糖尿病網膜症と全身状態 どの位のHbA1cが続けば網膜症発症?」
廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科)
http://andonoburo.net/on/2411
第5回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)「私と緑内障」
岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
2)「神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー」
栂野 哲哉 (新潟大学)
http://andonoburo.net/on/2407
第4回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00
会場:済生会新潟第二病院 B棟2階研修会室
1)「臨床研究における『運・鈍・根』」
三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
2)「経角膜電気刺激治療について」
畑瀬哲尚 (新潟大学)
http://andonoburo.net/on/2404
第3回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2011年4月2日(土) 15時~18時
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)「眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く」
―亡き恩師からのミッション
堀 純子 (日本医大眼科;准教授)
2)「わがGlaucomatologyの歩みから」
岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授)
http://andonoburo.net/on/2397
第2回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)「強度近視の臨床研究を通してのメッセージ?clinical scientistを目指して」
大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
2)「拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価」
植木 智志 (新潟大学眼科)
http://andonoburo.net/on/2393
第1回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
1)「網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?」
-神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
関 正明 (新潟大学)
2)「留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-」
(人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブル使用の超音波治療)
松岡 尚気 (新潟大学)
http://andonoburo.net/on/2391