『竹本吉夫先生』 
2017年6月10日
『竹本吉夫先生』 
新潟市内の会合で近くの老健施設を訪れた時、偶然にも「竹本吉夫先生」の銅像と出会った。竹本先生は、新潟大学第一内科出身で、30年間も秋田日赤病院の病院長を務められた大先輩である。眼科医の私は専門は異なっていたが、大学時代に医局長として大先輩と何度もお話をする機会があった。
そんな大先生を、当院眼科の小さな勉強会にわざわざ秋田からお呼びして、講演をしてもらったことがある。お亡くなりになる1年前だったので、先生は、一言も仰られなかったが、相当無理をしてお越しになったのだろう。今更ながら申し訳ないことをしたと悔やむ次第だ。
第66回済生会新潟第二病院眼科勉強会  
 演題:「病気と共存の健康―持病息災―」
 講師:竹本吉夫(秋田赤十字病院名誉院長)
  日時: 平成13年11月21日(水)16:00~17:30
  場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
 講演を拝聴した直後に記した感想がある。
 「期待通りスケールの大きい、判りやすい、テンポのある、素晴らしいお話でした。参加者の評判も上々でした。これだけのお話をされるのには、大変な準備が必要としたのではないかと思います。ありがとうございました。『老年期こそ人生の完成期、奉仕の時期』『音楽療法』『病因として、遺伝・環境・ライフスタイル・加齢』『宗教』『全人的ケア』『医療には限界がある』『人生の質、いのちの質、生活の質』『健康習慣』『セルフケアの重要性』『ボケ防止法』『ジェロントピア』。どの話題ももっともっと聞いてみたい話題でした。竹本先生の人生と人生観を教えて頂きました」
【竹本吉夫先生 ご略歴】
 大正14年(1925年) 5月26日生
 昭和18年 3月 旧制県立新潟中学校卒
 昭和20年 3月 旧制新潟高等学校理科乙類卒
 昭和24年 3月 新潟医科大學卒
 昭和27年10月 新潟大学医学部第一内科入局
 昭和33年 3月 医学博士
 昭和40年10月 新潟大学助教授
 昭和42年10月 秋田赤十字病院長・秋田赤十字看護専門学校長
 平成 8年 4月  秋田赤十字病院名誉院長
           日本赤十字秋田短期大学初代学長
 平成14年11月 胃がんのため新潟市内の老人保健施設で死去
参考
 「病院」という雑誌(37巻 12号 972、1978)に能登 彰夫氏が、「人:第5回日本病院会学会会長秋田赤十字病院院長竹本吉夫氏」と題して文を残している。
「二進も三進もゆかなくなった秋田赤十字病院の再建のために,院長として象牙の塔から赴任された野は昭和42年10月。やれるかなと危惧の念を抱いた者が多かった.新潟大学第一内科助教授で,数多くの業績があり,人望も厚く,将来は…と誰もが認めかつ期待していた人が,一転して泥まみれになる現場の責任者になったのだから。しかしやはり大した人物である.綿密な調査検討のもと,驚くべきエネルギーで,秋田赤十字病院のすべてを一新し,立派に復興させてしまった.大学人が院長職につくと,とかく独尊的になるか,あるいは全くの飾り物的になるか,ともかく地域の中で浮き上ってしまう例が多い中で,出色の院長である,地域医療はいかにあらねばならぬか,その中での病院の役割,そして医師像について医療人として確固たる信念をもった人である」
@新潟市内に残る竹本先生の銅像は、宮田亮平先生(前東京芸術大学学長、現文化庁長官)が制作したもの

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