報告:第114回(05‐9月) 済生会新潟第二病院眼科勉強会 上林洋子
2005年9月14日

報告:第114回(05‐9月) 済生会新潟第二病院眼科勉強会     上林洋子
   日時~平成17年9月14日(水) 16:30~18:00
   場所~済生会新潟第二病院 眼科外来
 演題:『限りなく透明な世界』
 演者:上林洋子(視覚障害者福祉協会会員、盲導犬ユーザーの会会員;新潟市)
  視覚以外の残された感覚を精いっぱい動員して、私だけの世界を三十一文字に託して表現してみました。 

【講演内容】
 私は何も見えません。光も色も、明るいことも暗いことも・・・。でも真っ暗闇ではなく、色をいつも意識しています。木の葉のさやぐ音を聞けば深緑を、照りつける日差しに真っ青な空を、朝市できゅうりのいぼいぼに触れればその色を・・・。まさに私独自の色の世界は限りなく透明なのです。視覚以外の感覚で色や風景を31文字に表現してみました。
 15歳の時に緑内障と診断され、何度も何度も入院を繰り返しました。県立新潟盲学校に入学し鍼灸マッサージの資格を得ました。
 昭和44年、鍼灸マッサージ治療院を開業している先輩と結婚。二児出産。子育ての最中に、どんどん視力は低下していきました。そのころヘルパーさんに短歌を教わりました。
 『眠りたる吾子の口元ま探ればミルクに濡れてやわらかきかな』
 『かたくりの花に触れつつ色問えば「母さんのセーターとおんなじ色よ」』
 『登校の娘が戻り来て庭先の百合が咲きしと告げてかけ行く』 

 39歳のある晩、急に右眼が痛み、これまで経験したことのないような頭痛に襲われました。翌日大学病院を受診、即日入院。いろいろと治療しましたが、右眼は視力を失い、左眼も微かに見えるのみでした。夫の勧めもあり両眼の眼球摘出を決意しました。
 眼球摘出前日に
 『明日には除去される眼よ夜のうちに吾のなみだで流さんものを』
 眼球摘出した後、ガーゼ交換の時、もう目はないのですが、不思議と色々な色が見えました。
 『除去されし眼窩のガーゼ交換のたびに虚像の色迫りくる』
 当時の3ヶ月くらいは、毎日死にたいと思っていました。
 『吾のみの知れる哀しみ両の眼の義眼洗いて包みて眠る』 

 次第に子供は成長し、夫は外で活躍、一人家にいることが多くなりました。
 『青空を肌で確かむベランダにもたれて盲いし眼をしばたたく』
 『路地の一つ違いたるらし白杖の音の気配に佇みて』
 そのころ夫の勧めもあり、白杖歩行の訓練を受けました。高田盲学校の霜鳥先生が講師でした。

 平成7年5月、北海道盲導犬協会から電話があり、盲導犬ユーザーにならないかとのお誘いがありました。七月、新潟から一歩も離れたことのない私は不安でいっぱいな気持ちで初めて飛行機に乗り、協会に入所いたしました。でも、明るく家庭的な暖かい雰囲気に接し、犬嫌いの私も次第に打ち解けることが出来ました。
 『眼の澄みしシェル号なりと指導員にわたされしハーネスしかと握りぬ』
 盲導犬が来て最初に買い物は、夫の好物でした。
 『盲導犬持ちて初なる買い物は夫の好みしビーフステーキ』
 シェルが来たお陰で、外出する機会が増えました。盲導犬シェル号との出会いにより、私の生き方も前向きになりました。
 『夏帽子ふかくかむりて盲導犬シェル号とはずむ朝の散歩は』 

 平成9年の夏、すばらしい体験をしました。盲導犬使用者の先輩の発案により、弱視の夫とともに、富士登山に挑戦したのです。無事登頂できたときの感激は筆舌には尽くせません。
 『10名と2頭のパーティー遂に今 浅間神社の鳥居をくぐる』
 『ご来光拝みて佇む富士山頂の 大気微かにぬくもりてくる』
 毎日シェル号と歩くことにより、私も富士山を制覇できるほどの体力がつきました。 

 7年間一緒に過ごしたシェルと別れの日がきました。
 『盲導犬シェルリタイヤの朝七年を使いこし食器おろおろ洗う』
 『「ありがとう一緒にいっぱい歩いたね」頭撫でつつハーネスはずす』
 平成14年6月、2頭目のターシャ号に代わり現在に至っています。最近は、ターシャを先頭に、私が続き、その後を夫が従って散歩をしています。
 『辻ごとに止まるをほめて新しき盲動犬ターシャと心かよわす』 

 2人の子ども達が巣立った今、仕事や家事の間をみて編みものや読書、草花を育てるなどの趣味を楽しんでおります。また、夫とウォーキングや山登りなどの会に積極的に参加し、これからの人生を有意義に過ごしたいと思っております。「失明」は決して「失命」ではありません。見えなくても、こうして楽しく生きているのだと、多くの人に判ってもらいたいと思います。 

【略 歴】
 15歳で緑内障と診断された後、県立新潟盲学校に入学し鍼灸マッサージの資格を得ました。
 昭和44年、鍼灸マッサージ治療院を開業している先輩と結婚。二児出産後、数回の手術を繰り返しましたが、40歳には完全に失明しました。このころから音声ワープロをマスターし、短歌を詠む楽しさを覚えました。
 平成7年、北海道盲導犬協会に入所し盲動犬シェル号に出会いました。
 平成14年6月、2頭目のターシャ号に代わり現在に至っています。 

【後 記】
 これまでのドラマチックな半生を、感激したりハラハラして拝聴しましたが、上林さんは淡々とした口調でお話されました。いつまでたっても思いを込めて話など出来ないのかもしれませんが、淡々とした口調に何か重いものを感じてしまいました。
 そして短歌の魅力!私は写真が好きで何処でも写真を撮りますが、上林さんはどの場面もその時に詠んだ短歌に思いを込め、記憶に仕舞い込んでいるようでした。子供との思いを詠んだ歌、両眼眼球摘出する前の日に詠んだ歌、盲導犬に思いを寄せる歌、だんな様との歌、どれも素敵でした。人生を豊かにする魔法の手段のような感じがしました。
 話の随所に登場する視覚障害を持つだんな様の一言。夫婦ならではの会話。こんな会話に上林さんはどんなにか励まされたことでしょう。
 勉強会の最後に、新潟ロービジョン研究会を8月初めに開催した際、ある盲導犬ユーザーの方から、「暑い時には熱したアスファルトで盲導犬がやけどするので」と参加を断られたエピソードを私が紹介しました。そして盲導犬に対する配慮がなくて申し訳なかったとお話した時、「そんなことを言う人がいたのですか。それは違います。ユーザーが暑い日でも盲導犬が歩けるように工夫すればよいことなんです」と、即座に上林さんは言われ、なるほどと合点しました。どんなハンディも乗越えてきた人の迫力を実感した瞬間でした。

 今年3月7日新潟日報「日報読者文芸」短歌コーナーのトップに上林さんの作品が紹介されました。
 『洗顔の義眼も洗い納むれば(おさむれば)眼に大寒の冷えなじみくる』
  選者の馬場あき子「評」 寒水に洗った義眼の冷えに未知のすごさがある。『なじみくる』と詠み納めているが鮮烈だ。