『眼科が外科から独立した経緯』
2015年12月4日

 眼科が外科から独立して専門分野になったのは,ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz)が検眼鏡を発明したこと,緑内障に対する虹彩切除をグレーフェ(Friedrich Wilhelm Ernst Albrecht von Graefe)が始めたことが契機であるという(「臨床眼科」63巻 6号 879;2009/6/15)。

ヘルムホルツが検眼鏡を発明したのは1851年。
グレーフェが虹彩切除を確立したのはいつなのか?
 グレーフェ自身が創設した「Archiv fur Ophthalmologie」の3号に虹彩切除をテーマにUeber die Iridektomie bei Glaukom und ueber den glaukomatosen Process がある。これで、グレーフェが虹彩切除を確立したのは、1857年ということになった。

ドイツ眼科学会(DOG;Deutsche Ophthalmologische Geselschaft)が、外科から独立して発足に1857年と1863年の2説ある。
 緑内障の治療と、「エジプト病」の別名があるトラコーマを主題として1857年に第一回国際眼科学会がブリュッセルで開催された。グレーフェも主催者の一人であった。同年9月3~5日にグレーフェの呼びかけでハイデルベルグのホテルシュリーダー(Hotel Schrieder)で12人が集まり、12個の演題発表があった。当初は会則や報告書もなかった。初会合後、非公式ながら会合が毎年あった。1863年9月に初めてグレ-フェが4項からなる会則を定め、それ以降学会報告書が作成されるようになる。

 1940年までは、この1863年が公式なDOG発足日とされていた。ところが第二次世界大戦後、1857年の会が公式にドイツ眼科学会発足日と定められた。この辺りの事情はよく判らない。2007年には、ドイツ眼科学会発足150周年記念祝賀会が学会中に盛大に行われた。こうして眼科が外科から独立したのが1857年であることが明らかとなった。


尚、虹彩切除については岩田和雄先生(新潟大学名誉教授)、ドイツ眼科学会については三浦央子先生(リューベック;ドイツ)に情報提供して頂いた。

写真は、「眼科の父」Friedrich Wilhelm Ernst Albrecht von Graefe


@各国の第一回眼科学会
1857年 ドイツ(German Ophthalmological Society:DOG)
1890年 英国( Ophthalmological Society of the United Kingdom)
1896年 米国( American Academy of Ophthalmology and Otolaryngology 眼科と耳鼻科の合同学会 
 (1979年 American Academy of Ophthalmologyとして眼科学会が独立)
1897年 日本眼科学会総会(明治30年)


@本邦の医学学会の始まり
1893年(明治26年) 第一回日本解剖学会
1897年(明治30年) 第一回日本眼科学会
1899年(明治32年) 第一回日本外科学会
1903年(明治36年) 第一回日本内科学会


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