報告:『済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座2007』 患者として思う、患者さんを想う
2007年11月22日

『済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座2007』
 シンポジウム 「患者として思う、患者さんを想う」
  稲垣吉彦(患者;有限会社アットイーズ 取締役社長、千葉県)
  荒川和子(看護師;医療法人社団済安堂 井上眼科病院、東京)
  三輪まり枝(視能訓練士;国立身体障害者リハセンター病院)
 コメンテーター
  櫻井真彦(眼科医;埼玉医科大学総合医療センター教授)
日時:平成19年11月11日(日) 10時~12時半
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室



 今年の市民公開講座は、稲垣吉彦さんという一人の患者さんが著した「見えなくなってはじめに読む本」の内容に即して構成しました。稲垣さんは、大学卒業後銀行に就職しますが、ぶどう膜炎を患い、緑内障のため視力を失います。仕事を辞め、離婚、、、。でも今は取締役社長として活躍中です。どうしてこの困難を克服できたのでしょうか? 今回、稲垣さん、眼科主治医、看護師、視能訓練士にお話を伺いました。
 「見えなくなってはじめに読む本」紹介URL
  http://www.kigaruni-net.com/k01-2.html

 「死刑宣告」の章に、執刀医として櫻井真彦先生(眼科医;現在、埼玉医科大学総合医療センター眼科教授)が登場します。『たっぷりと時間をかけて私の目の現状や手術の方法、治療計画や回復の見込みなど、知識がない私にも理解できるように理路整然と説明した』。「眼科医に望むこと」の章の一文を紹介します。『医師の患者に対する中途半端な気配りや優しさはいらない。ある意味冷酷であったとしてもその病気が治る病気なのか、それとも治らない病気なのか、初期段階できちんと宣告されたほうが、結果として患者を救うことになるのではないだろうか』。

 看護師として登場するのが、荒川和子氏(井上眼科病院 看護部長)です。「私が看護師に望むこと」の章に以下の記載があります。『当事者のケア以上に家族のケアは看護師の重要な役割かもしれない。眼科の看護師が苦悩する当事者を間近で見守るという役割は、まさに家族と対等である。家族の苦悩を開放するためのカウンセリングこそ眼科看護師の重要な役割の一つではないだろうか』。

 三輪まり枝氏(視能訓練士;国立身体障害者リハセンター病院)は、「見えることと読めること」の章に、同世代の明るい感じの視能訓練士として登場します。左目の中心に針の穴ほどの視野しか残っていないため、それまで新聞の文字など読めるはずもないと思っていた稲垣さんに、読めるようになるコツを優しく伝授してくれます。眼鏡の装用、書見台の利用、照明を明るくすること、残された視野が横長であることから縦書きの文字を横書きにして読むこと、拡大読書器の使用、、、。文字を読めた時の感動が紹介されています。『執刀医から見えるようにならないことを宣告されて以来、二度と読めないと思い込んでいた新聞を、予想外に読めることを知った私は、まるで旧友と再会できたかのように、この後しばらくの間時間を忘れその新聞を読みふけっていた』。

各演者の話の詳細を紹介します(長文です)。
【講演要旨】
「患者として思う」
   稲垣 吉彦(患者:有限会社アットイーズ 取締役社長)
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 私がぶどう膜炎「原田病」という病気を発症して、15年になります。この病気を発症する以前は、ほとんど病気には縁のない生活を送っていた私は、発症当時、自分自身が視覚障害者になることなど微塵も考えることはありませんでした。炎症が強いときには、自分でもちょっと見づらさを感じるものの、炎症が少し治まれば見え方は発症前と何ら変わらず、仕事を含め日常生活に何の影響もなく、当然完治するものと思いこんでいました。その後緑内障を併発し、発症から3年ほどで視覚障害者手帳を取得することになりました。

 こんな私が、今一人の患者として思うことは、まず自分の健康にもっと関心を持つべきだということです。もっと早く行動を起こしていたら、これほどまで見えなくならずに済んだかも知れません。また、見えなくなった今でも、定期的に受診を続けることで、自分の目の状態を常に把握することができています。長年、ぶどう膜炎という病気とつきあっている中で、どのようなときに、もしくはどんなことをしたら炎症が強まり、見えづらくなるのか、自分なりにわかるようになりました。わかったからと言って、見えるようになるわけではありませんが、自分なりに理由付けができるだけでも、余計な不安は軽減されます。

 第2には、何よりも情報が欲しいということです。自分の目の状態が医学的に見てどのような状態なのか、どうしたら少しでも見えやすくなるのか、見づらさを補う方法、利用できる福祉サービスの情報など、様々な情報をタイムリーに与えてもらえたら、生きていく希望も沸いてくる気がします。もっと身近なことでいえば、町中を歩いていて、そこに段差があるとか、車が停まっているなどという情報も、我々視覚障害者にとっては大切な情報です。

 見えなくなったということは、悲しいことですが、私はそういう結果になってしまったことを、誰のせいでもなく、自己責任であると思っています。そうなってしまった自分が、生きていることに感謝しつつ、残された人生を楽しむためにも、家族や医療スタッフをはじめ、回りのみなさまから様々な情報を与えていただければと思っています。

 

「患者を想う」
   荒川和子(看護師:井上眼科病院/東京)
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 看護とは、人が本来持っているその力を引き出し、その人らしく生きることを支援することです。
 看護師として以下のことを実践しています 1)目的意識を持って患者さんの話を傾聴する 2)情報提供:社会福祉制度の知識 3)視覚にかわる手がかりの活用:見えなくてもできるという成功体験 4)歩行訓練の基本を指導 5)家族への支援:家族の戸惑いを受け止める。

 看護師が、見えないシュミレーション体験はケアを行なう上で有効です。そしてロービジョンの知識を持ち、患者さんに何が必要かを判断できることも大事です。
 以下、実際の症例を紹介します。
 Aさんは50歳代の女性で清掃業の仕事をしていました。家族は娘さんと二人暮らしでしたが現在は一人暮。独身の弟さんがキーパーソンです。以前から緑内障と言われていましたが、放置していました。入院する2か月前急に視力低下を自覚。知人の勧めでやっと受診し、医師から緊急入院を勧められても経済的理由から入院しませんでした。3日後に再診を約束して帰りましたが再診日に来ないため、担当医が自宅に電話をしました。やっと再来した時は、視力はさらに悪化し、両眼ともに視力は(0.01)でした。

 看護師はまず、入院してきたAさんとのコミュニケーションを築く努力をしました。「入院できてよかった!不安だったでしょう?」と声をかけ、病気のこと、入院中の生活のこと、これからの生活のことも看護師が一緒に考えていくことをはっきり伝えました。

 Aさんの反応を観察しながら、少しづつ入院中のリハビリテーションを始めます。食事が一人でもこぼさずに食べる事ができる、トイレに行く、薬を飲む、着替えをするなど一人でもできることを体験しておくことが必要でした。

 医師の診断は「視力回復なし」でした。弟さんに本人への説明をどうしたらよいかを相談しました。弟さんは自分は面倒見ることが出来ないので本人にはっきり言ってほしいと希望しました。看護師は弟さんの希望を伝え、告知の場には看護師も同席し告知後のメンタルケアをさせて欲しいと医師に申し入れをしました。

 医師は、「これからもっと良くなって、また自転車に乗ったりするように回復することは難しいです。これからの事は看護師さんも力になってくれるのでよく相談していきましょう。身体障害者手帳の申請もしましょう」と説明。

 看護師は、「まず、地域の福祉課に相談しましょう」と提案し、地域のケースワーカーに連絡。ケースワーカーがAさんと面談し、生活保護の申請、家に帰らないで病院から生活訓練所に入れるように手続きをしました。そして、訓練後は生活保護規定のアパートを借りる用意があることまでの説明をして患者さんを励ましてくれました。連携が大切です。

 

「患者さんを想う」    
   三輪まり枝(視能訓練士:国立身体障害者リハセンター病院/所沢)    
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 「もし、私や家族が患者さんだったら、どうしてほしいだろう?」私は、ロービジョンケアにおいて患者さんと接する時に、このように自分の身に置き換えながら対応することを心がけています。

 国立身体障害者リハビリテーションセンターのロービジョンクリニック:眼科医師、視能訓練士、生活訓練専門職、ケースワーカーの4職種がチームを組んで、ロービジョン患者さんの相談に応じています。

ロービジョンケアの手順:
 1)「どのような見え方をしているか」という残存視機能を把握することが大切です。視力や視野の程度、斜視や眼球運動障害の有無、羞明の程度など、患者さんの目の状況を正確に知ることが基本となります。

 2)「どんなことで困っているか」というニーズの聞き取り:その際にコーチング手法などの「聴く技術」です。ニーズを聞きだしながら、患者さんと一緒に問題点の整理をし、必要なケア内容を検討します。もし、患者さんが黄班変性症などにより、物を見ようとするちょうど中心が見えない場合は、視線を動かして見やすい場所で見る「偏心視」を獲得しているかどうかの確認を優先します。獲得していない場合、必要に応じて偏心視獲得の訓練を行います。

 3)聞き取ったニーズに合わせた補助具の選定:補助具を2週間ほど貸し出し、その結果、日常生活に役立つものであれば処方され、合わなければ再選定を行います。見えにくさを補う補助具~文字や遠方が見えにくい場合は、拡大効果を得るための拡大鏡等。まぶしさがある場合は、羞明を軽減させる遮光眼鏡や帽子等。視野が狭い場合は、文字を読む際の行換えをスムーズにさせるタイポスコープ等。二重に見える場合は、プリズムや遮蔽するためのオクルーダーなど。各々の補助具の特徴を理解して選定することが重要です。

 ロービジョンケアでは、こちら側からの一方的なサービスの提供だけではなく、患者さんからお教えいただくことも多々あります。これからも患者さんとの出会いを大切にしながら、少しでも見やすい環境を整えるお手伝いをして参りたいと思っております。

 

【後記】 
 110名収容できる会場が、東京・埼玉・千葉・神奈川・茨城・長野・山形等、新潟県内外からの参加者で満員になりました。患者さんの話を聞く講演会、医師による講演会はよくありますが、患者さんとその治療に関わった医師・看護師・視能訓練士が一堂に介する企画、好評でした。

 稲垣さんは、はじめに肉声で自己紹介をしました。吃驚しました。マイクを通すと視力が不自由な方はスピーカーの方向に演者がいると錯覚するためだそうです。なるほどと、のっけから感心しました。講演では情報が欲しいと強調されました。情報には、医学的情報のみでなく、ロービジョン的知識・社会福祉制度等さまざまな情報と、障害者への気配りも含まれていたように感じました。

 荒川さんには、眼科看護師としての立場から患者ケアを語って頂きました。医学の中で眼科学はすごく発展していますが、一方、看護学の中で眼科看護という分野は未開拓であるように思います。今後ますますこの領域の発展に期待したいと思いました。

 医者は治療の専門家ですが、その後のフォロー(治療から社会復帰への道のりへの手助け)が『ロービジョンケア』という分野です。三輪さんは、視能訓練士の立場からロービジョンケアの実際について、具体的にお話してくれました。

 非常に困難な状況から稲垣さんが見事に立ち直った要因として、第1に患者さん自身が諦めなかった「患者の思い」、第2に治療に携わった医師が「責任を持って治療」に当たったこと、第3に看護師・視能訓練士が「患者さんの不自由さに想いを馳せてケアしたこと」(すなわちロービジョンケアなのですが)が挙げられると感じました。

 質疑応答の中で、櫻井先生の「『患者さんが最大の師である』ということを再認識した」というコメントが印象的でした。