報告:第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
2003年8月10日

報告:第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
 日時:2003年8月20日(水) 16:30~18:00
 場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
  演題  「Coming-out Part 2 家族、身近な無理解者」
  演者  清水美知子(歩行訓練士) 

【抄録】
 今回は家族について考えます.家計を支えていた父、家事を仕切っていた母、あるいは夫、妻、娘、息子がある日障害を負うと、家計の状況や家族の役割分担など一変します.家族という運命共同体の中で、家族は当事者の自立の支援者にも、阻害者にもなりえます.どちらの場合も、関係が密であるだけに当事者の将来に多大な影響を及ぼします.それだからこそ家族が強力な支援者としてあり続けてもらうために、家族の悲しみ、悩み、苦労を理解し、支援することが大切なのです.つぎにあげたのは家族が抱える悩みの例です.

 母が障害者であることを恋人に打ち明けられない娘. 娘が白杖を突いて隣近所を歩くのを許さない母. 依存的な夫と、”優しい妻” 被介護者、被扶養者となり、戸惑い、自信を喪失した夫 障害のせいなのか、怠惰なのかいつまで経っても動こうとしない夫にいらだつ妻  公的サービスを拒否して妻に介護を求める夫 妻のどう介助したらよいかわからず戸惑う夫 妻と夫の間に起きた地位の逆転 家計と介護を握ったものの専制

【肩書きと略歴】
 歩行訓練士
 信楽園病院視覚障害リハビリ外来担当
 1979年から23年間視覚障害者更生施設施設長 

【後 記】
 今回講師の清水さんは、昨年9月のこの会で「Coming-out」という題で話してくれました。その趣旨は、障害を持った人は、社会に出て自分たちのことを他の人に知らしめなければ、社会を変えることは出来ないというものでした。今回はその続編です。「家族」には「温かさ」がある。とても強い繋がりがある。困った時にまっ先に支えてくれる第1候補である。まさに外海の荒波から護ってくれる「防波堤」である。でも、、、、一方では、外に社会に出て行こうとする障害者のプロセスを、阻んでしまうのではないかという話でした。

 「家族」は、知らず知らずに「(柔らかな)檻」を作っている。例えば、、、、この子には一人で外出なんかとても無理だ。私が生きている間は、何でも私がやってあげる、、、、、。
 「家族」は、同じ価値観を共有するが、障害に対しては、障害を持つ本人の受け入れと、家族の受け入れには「ズレ」がある。
 「家族」との縁は、切り捨てられない。他人であれば嫌な思いをさせる人とは付き合わないようにする事も出来るのだが、、、、
 「家族」は、時に自尊心を低下させる態度を取ることがある(誰も気付いてはいないが)。横柄な態度をとる、何かと指図をする、過保護になる、怒る、、、、、、。

 例えば、こんなこともある。姑と上手くいかなかった嫁さんが障害を持つ事になり、何でも姑の言うことを受け入れなければならなくなった。好き放題なことをやっていたご主人が、障害を持ってからは奥さんの言いなりになる。大学を卒業し、家をでてアパートに暮らすといっていた息子が、家に暮らすようになった。母が障害者であることを恋人に打ち明けられない娘、娘が白杖を突いて隣近所を歩くのを許さない母、被介護者、被扶養者となり、戸惑い、自信を喪失した夫、、、、、、、。

 でも実は「家族」も苦しんでいる。今後の家族関係はどうなるのだろうか?収入は、ローンはどうなるのだろうか?先の見通しが立たない。自分自身の時間が無くなってしまう、障害のせいなのか、怠惰なのかいつまで経っても動こうとしない夫にいらだつ妻、公的サービスを拒否して妻に介護を求める夫、妻をどう介助したらよいかわからず戸惑う夫、、、、、。

 「家族」が感じる罪悪感もある。あの人さえいなければ、もっと自由な時間が持てるのにと感じてしまう自分が嫌だ。障害者を持つ家族が出来ることは、何か特別なことをするのでなく、いつも傍にいて耳を傾けて悩みを聴くこと。そのためには、時には休む、自分自身の時間を持つ、自分の事も相手の事も責めない。障害を持つ人の家族への接し方は、家族も苦しんでいる事を知る、何でもやってもらうのではなく(これは自分でやるという)ケジメを作る、助言を受け積極的に参加する、「こうしないで下さい」ではなく「こうして下さい」という発想を持つ。
 講演終了後、参加者の方からも多くの意見や感想がありました。家族との関わり合いは、建前ではなく本音でないと話せない話題だけに、熱のこもった勉強会になりました。