勉強会報告

2011年2月5日

報告3  公開講座2011 「高次脳機能と視覚の重複障害を考える~済生会新潟シンポジウム」
 日時:2011年2月5日(土) 開始15時~終了18:00
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

教育講演3   座長:安藤 伸朗 (眼科医;済生会新潟第二病院)
 演題:「前頭葉機能不全 その先の戦略
    ~Rusk脳損傷通院プログラムと神経心理ピラミッド~」
 講師:立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部および大学院音楽研究科教授)
【講演要旨】
 2001年秋、夫が仕事中に突然解離性くも膜下出血で倒れ、後遺症として高次脳機能障害が残った。2年ほど大きな改善は見られず悶々としていたなか、2004年大学からのサバティカルの1年を利用して、New York大学リハビリテーション医学Rusk研究所の通院プログラムに参加した。Y.Ben-Yishay博士が率いるRusk研究所は脳損傷通院プログラムの世界最高峰と言われている。 
 Ruskの訓練は、神経心理ピラミッドを用いたホリスティックなアプローチである。Ruskでは器質性による前頭葉機能不全を前提としている。認知機能を9つの階層に分け、ピラミッドの下が症状の土台であり、その基本的な問題点が改善されていなければ、ピラミッドのそれより上の問題点の解決は効果的になされないとする考え方で、ピラミッドの下から訓練は行われる。9つの階層とその説明は下から以下のとおりである。 

Ⅰ.「訓練に参加する自主的な意欲」
 自分に前頭葉の機能不全があることに気づき、その問題に立ち向かうために自らの意思で参加するという強い思い。
Ⅱ.「神経疲労Neurofatigue」
 「覚醒」「警戒態勢」「心的エネルギー」に関する欠損。脳損傷による脳細胞の欠損のために、日常生活のすべてが以前より困難となり、脳損傷者は常に神経が疲労しやすくなっている。
(1)「無気力症Adynamia」
 心的エネルギーが過少であることによる問題。基本的に「自分から~をする」ことができない。
  1:自分から何かをする発動性の欠如、
  2:発想の欠如、思いの連鎖がない、
  3:自発性の欠如、無表情、無感動。
(2)「抑制困難症Disinhibition」
 心的エネルギーが過度であることによる欠損。自分で次の諸症状を意識し、抑制することができない。
  1:衝動症、2:感情の調整不良症、3:フラストレーション耐性低下症、4:イライラ症、5:激怒症、気性爆発症、6:多動症、7:感情と認知の洪水症。
Ⅳ.「注意力と集中力Attention & Concentration」
 選択的注意とその注意力を維持する集中力に関する問題。
Ⅴ.「コミュニケーション力と情報処理Communications & Information Processing」
 情報のスピードについてゆくことと情報を正確に受信し、人にわかるように発信することに関する問題。
Ⅵ.「記憶Memory」
 出来事を習得したり覚えておくことができなくなる記憶の問題と、自分に欠損があるということの気づきが途切れる問題。記憶断続症。
Ⅶ.
(1)「論理的思考力Reasoning」
  1:言われたことや書かれたことをまとめたり、同類に分類できる力である「収束的思考力、まとめ力」の問題と、
  2:異なる発想を思いついたり臨機応変に対応できる力である「拡散的思考力、多様な発想力」の問題。
(2)「遂行機能Executive Functions」
  日常生活における以下の能力に関する問題。
  1:ゴール設定、2:オーガナイズ(分類整理)する、3:優先順位をつける、4:計画を立てる、5:計画通りに実行する、6:自己モニターする、7:トラブルシュート(問題解決)する。
Ⅷ.「受容Acceptance」
 自分に機能不全があり人生に制限がついたという事実を認識して受容できること。真の受容には下位の階層のそれぞれの症状に対する戦略を自ら使い、自己を高める努力が伴う。そういうことの必要性を真に理解すること。
Ⅸ.「自己同一性Ego-identity」
 脳損傷を得ても、「自分が好きな自分」でいるために、以下の過去・現在・未来の自分を再統合し、障害を得た新しい自己を再構築すること。
 1:発症前に何かを達成できた自分、
 2:障害を得た自分に必要な訓練や努力に現在進行形で取り組んでいる自分、
 3:機能不全による限界を認識しつつ将来こうなりたいと思う自分。
 神経心理ピラミッドの働きの大まかな説明は以上である。Ruskではこれらすべての階層の問題のひとつひとつに戦略(対処法)がある。月曜日から木曜日までの朝10時から午後3時まで、対人コミュニケーションや個別の認知訓練、カウンセリングまでをも含む構造化された時間割の中でシステマティックな訓練が行われる。こうした訓練と戦略のおかげで、絶望的だった夫との生活は奇跡的に改善され、希望が持てる人生を歩みだすことができた。  

【略歴】
 1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
 1984年 国際ロータリー財団の奨学生として、シカゴ大学大学院に留学
 1988年 シカゴ大学大学院にて音楽学で修士号取得、博士課程のコースワーク修了
 1988年 南カリフォルニア大学大学院へ特待入学
 1991年 南カリフォルニア大学大学院にてピアノ演奏(共演ピアノ)で音楽芸術博士号取得
 1993年 帰国後、フェリス女学院大学音楽学部および大学院音楽研究科の専任講師
 ~現在 フェリス女学院大学音楽学部および大学院音楽研究科教授、音楽芸術博士
 http://www.ferris.ac.jp/music/bio/m-04.html
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 1985年 シカゴ・コンチェルト・コンペティション優勝
 1988~91年 コルドフスキー賞、最優秀演奏家賞受賞
 1992年~現在 ベルリン・フィル、ロンドン響、バイエルン放送響、フィレンツェ歌劇場、MET歌劇場などの欧米の主要オーケストラの首席奏者や歌手たちと国内外で共演。世界各地でリサイタル多数。
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 ご主人の小澤富士夫氏は、東京芸術大学のトランペット科を卒業後、プロの演奏家として活躍。その後ヤマハで新製品の研究開発業務に携わり、ヤマハ・フランクフルト・アトリエの室長として長年ヨーロッパに赴任。
 帰国後の2001年、仕事中にくも膜下出血を発症、後遺症として高次脳機能障害(記憶障害、無気力症、認知の諸問題)が残る。
 高次脳機能障害を治すためサバティカルを利用して、1年間ご主人とともに米国に滞在し、ニューヨーク大学Rusk研究所「脳損傷通院プログラム」に通う。ご主人は奇跡的に回復し、一人で大阪に出張できるほどになった。 

*「ニューヨークRusk研究所の神経心理ピラミッド理論」
 2006年 『総合リハビリテーション』(医学書院)4月、5月、10月、11月号に、「NY大学・Rusk研究所における脳損傷者通院プログラム」を治療体験記として発表。以来Rusk研究所の通院プログラム、神経心理ピラミッド、機能回復訓練などに関する講演を行う。

『前頭葉機能不全 その先の戦略:Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』2010年11月医学書院より出版。
 医学書院のHPに以下のように紹介されている 〜 
「高次脳機能障害の機能回復訓練プログラムであるニューヨーク大学の『Rusk研究所脳損傷通院プログラム』。全人的アプローチを旨とする本プログラムは世界的に著名だが、これまで訓練の詳細は不透明なままであった。本書はプログラムを実体験し、劇的に症状が改善した脳損傷者の家族による治療体験を余すことなく紹介。脳損傷リハビリテーション医療に携わる全関係者必読の書」。
 http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912

 

報告2  公開講座2011 「高次脳機能と視覚の重複障害を考える~済生会新潟シンポジウム」
 日時:2011年2月5日(土) 開始15時~終了18:00
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

教育講演1   座長:安藤 伸朗 (眼科医;済生会新潟第二病院)
 演題:高次脳機能障害とは? 
 講師:仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院;眼科医)
【講演抄録】
 1. 高次脳機能障害の定義
 学術用語としての高次脳機能障害は、脳損傷で生じる認知・行動・情動障害全般を指し、記憶障害・社会的行動障害・遂行機能障害・注意障害という高頻度で生活へ影響が特に大きい主要症状の他に半側空間無視・失語症・失行症・失認症などがある。その特徴の一つとして病識の欠如があり、これがさらに社会生活復帰への支障を大きくしている。一方、行政用語としての高次脳機能障害は、学術用語で挙げた症状に以下の条件がつく。
 1) 実際に日常生活または社会生活に制約がある
 2) 脳損傷の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている
 3) 先天疾患・周産期における脳損傷・発達障害・進行性疾患を原因とするものは除外
 4) 身体障害として認定可能な症状を有するが主要症状を欠く者は除外(たとえば、失語症だけでは、音声・言語・咀嚼機能障害に入るため除外される)
 高次脳機能障害者支援の手引き(改訂第2版)には診断基準が記されている。これは国リハのホームページから申込書ダウンロードが可能。
 (http://www.rehab.go.jp/ri/brain_fukyu/kunrenprogram.html 

 2. 主要症状
 1) 記憶障害
 ・物を置いた場所を忘れたり同じことを何回も質問するなど、新しいことを学 習し、覚えることがむずかしくなる
 ・社会生活へ復帰する際の大きなハードルとなってしまうことが少なくない
 2) 社会的行動障害
 ・すぐに他人を頼るような素振りをしたり子供っぽくなったりする
 ・我慢ができず、何でも無制限に欲しがる
 ・場違いの場面で怒ったり笑ったりする
 ・一つのものごとにこだわって、施行中の行為を容易に変えられず、いつまでも同じことを続ける
 3) 遂行機能障害
 ・行き当たりばったりの行動をする
 ・指示がないと動けない
  これは、目標決定、行動計画、実施という一連の作業が困難になることで、すなわち、見通しの欠如、アイデアの欠如、計画性・効率性の欠如ということができる。
 4) 注意障害
 ・気が散りやすい
 ・ 一つのことに集中することが難しい
  そもそも注意とは何か。これは「意識内容を鮮明にするはたらき」と説明されている。対象を選択する。選んだ対象に注意を持続する。対象以外へ注意を拡大する。対象を切り替える。複数の対象へ注意を配分するなどが注意のはたらきだ。注意障害の患者を眼科で診るときは、以下の配慮を要する。
 ・ほとんどの眼科検査で集中力が不足して十分な検査ができないことが多い
 ・視力検査は短時間で一回の検査を終え、日を替えて続きを行なうのがよい
 ・視野検査では眼疾患が存在しなくても全体的な沈下をきたすことがある 

 3. 他の高次脳機能障害の症状
 1) 半側空間無視
 ・自分が見ている空間の片側を見落としてしまう障害
 ・食事で片側のものを残したり片側にあるものにぶつかったりする
 ・線分二等分試験や模写課題などで検査される
 2) 失語症(行政用語としては高次脳機能障害に入らない)
 ・うまく会話することができない
 ・その中には、単に話すことができなくなることだけでなく、人の話が理解できない、字が読めない、書けないなどの障害も含まれている
 ・音声・言語・咀嚼機能障害の3級または4級に入る
 3) 失行症
 ・動作がぎこちなく、道具がうまく使えないなど、手足は動くのに、意図した 動作や指示された動作ができない
 ・マッチを擦って煙草に火をつけるといったような系列を有する行為を意図的 に行うことができなくなる
 4) 失認症
 ・視覚失認…物全般がわからない
 ・純粋失読…文字がわからない
 ・相貌失認…顔がわからない
  失認症は、症状が視覚に関わることが多いため、患者自らが眼科を受診する。いわば、視覚の高次脳機能障害ということもでき、ロービジョンの範疇に入るものと思われる。しかし、その対策は一筋縄ではいかない。まして、高次脳機能障害の主要症状に視覚障害が重なったら、その対応はさらに困難であるということは明らかである。今後の検討が望まれている。 

【略歴】
 
1989年3月 東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業
 1991年4月 同大学眼科学講座助手
 1995年7月 神奈川リハビリテーション病院眼科診療医員
 2003年8月 東京慈恵会医科大学医学部眼科学講座講師
 2004年1月 Stanford大学留学
 2007年1月 東京慈恵会医科大学医学部眼科学講座准教授
 2008年2月 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院第三機能回復訓練部長
 2010年4月 国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部長

 

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教育講演2   座長:安藤 伸朗 (眼科医;済生会新潟第二病院) 
 演題:「高次脳機能障害と視覚障害を重複したB氏のリハビリテーション」
 講師:野崎 正和 (京都ライトハウス鳥居寮;リハビリテーション指導員)
【講演要旨】
 B氏の4年間に及ぶリハビリテーション期間の内、前期(2007年8月~2008年3月の9か月)の取り組みについて報告した。
 Ⅰ B氏のプロフィール
  1.基本情報
    40代男性、S市在住、妻・娘と同居。
  2.生活歴・職業歴
    教師として20数年間勤務。野球部の監督や同和教育・生徒指導の担当者として活躍していた。
  3.疾病・診断名
    脳梗塞(2006年10月)・全盲・軽度の高次脳機能障害。前頭葉・右側頭葉・両後頭葉・脳梁に広範囲の損傷。
  4.高次脳機能障害の症状
    易疲労性、集中力の低下、注意障害、記憶障害(前向健忘)、空間認知障害、遂行機能障害などがあった。
  5.訓練開始時点での強み
    孤立感、孤独感が強く精神的に混乱しているが、真面目で前向きな性格や、知性や判断力が健在であることを感じさせる言動も見られた。家族の支援もしっかりしていた。 

 Ⅱ B氏のリハビリテーションの経過
 『前期の課題』
 安心できる環境とゆっくりした時間の流れの中で、適度で適量な刺激を提供すること。全盲+記憶障害+空間認知障害は非常に厳しい条件だが、何とかして日常生活でのADL自立をめざす。
 『前期の状況』
 B氏も奥さんも、切羽詰まった状態でわらをもすがる思いで鳥居寮に来られた。本人の孤立感・孤独感は非常に強いと思われる。現状は世界も能力も縮小した状態にあるが、潜在的能力はあり、徐々に拡大していく可能性は大きい。この段階での行動上の困難は大きいが、指導員との関係が中心であり比較的環境調整が容易なため、歩行訓練士でも対応が可能だったと考えられる。
 『前期の支援方針』
 毎日朝夕に職員の打ち合わせをして、状況の確認と対応の統一を図る。初期には易疲労性に留意し休憩を多く取り、また注意障害を考慮して伝えることは一度にひとつかふたつに留める。感情と結びついた記憶は残りやすいため、出来れば楽しい記憶にするように務める。予定した訓練をこなすことより、B氏の語りをゆっくり聴き、受け止めることのほうが重要であるという視点をもつ。
 『B氏に対して実施した、主に認知にかかわる訓練技法』
 ・エラーレスラーニング:迷う前にタイミングよくB氏にとって分かりやすい話し方で正しい答えを提示する。
 ・構造化:日課や家具の配置、移動ルートなど、さまざまなことをわかりやすくシンプルにすること。
 ・環境調整:施設での人間関係や家族に対する支援などもふくめて、B氏が落ち着けるような環境を作ること。
 ・スモールステップ&シェイピング(段階的行動形成):行動をわかりやすい小さな単位に分けて考える、それをもとに、行動を作り上げていくこと。逆シェイピングという技法もある。
 ・過剰学習:確実に誤りがなくなり自信がつくまで繰り返し練習すること。
 ・手掛かりの活用:触覚的なわかりやすい手掛かりを設置することで、手続き記憶の強化を図る。
 ・記憶の強制は避ける:自然な形で記憶力を使うようにしていく。
 ・ポジティブ・フィードバック:良いところを見つけて伝える。少しずつでも自分で出来ることが増えると、自己効力感・自己肯定感を高めることにつながる。
 ・散歩の活用:季節の風を感じること。感覚入力の豊かさが脳に対する良い刺激になる。
 ・般化:鳥居寮で出来るようになったことが、自宅でも出来ることを目指す。 

 Ⅲ まとめ
 高次脳機能障害と視覚障害を重複した方のリハビリテーションを進めるために、また当事者や支援者を孤立させないために、多くの人たちが経験や意見を交流できるネットワーク作りが必要ではないだろうか。 

【略歴】
 1950年生まれ。岡山県津山市出身
    立命館大学文学部卒業。
 1979年京都ライトハウスに歩行訓練士として入職(日本ライトハウス養成9期)
    以来歩行訓練士として31年間同じ職場に勤務。
 (2011年3月末定年 その後は嘱託で仕事を続る予定)

 

 真冬の新潟に全国11都府県から120名が集い、外の寒さを吹き飛ばすような熱気に包まれ、公開講座「高次脳機能と視覚の重複障害を考える~済生会新潟シンポジウム」を、盛況のうちに終了することが出来ました。この度、講師の先生に講演要旨をしたためて頂きましたので、ここに報告させて頂きます。

特別講演   座長:永井 博子(神経内科医;押木内科神経内科医院)
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 演題:「重複障害を負った脳外科医 心のリハビリを楽しみながら生きる」
 講師:佐藤 正純 
    (もと脳神経外科専門医;横浜市立大学付属病院

     医療相談員:介護付有料老人ホーム「はなことば新横浜2号館」)

【講演要旨】
 障害を負うまでの私は概ね順調な人生を送ってはいましたが、それでも秀才揃いの受験校に入学して自身の限界を見せ付けられた挫折、国立大学医学部に入学するまでの1年間の浪人生活、その在学中の父の早世など、若いうちに抗えない運命に立ち向かうための心の鍛錬をする機会があったのは幸せだったのかもしれません。

 横浜市大救命救急センターに医局長として勤務して、多くの患者さんの生死に立ち会ったことから、医療の限界と医のあずかり知らぬところで神に支配されている人の生死を実感したことは、私の死生感にも大きな影響を与えました。

 脳挫傷による1か月の昏睡から覚醒した時、友人はおろか家族の顔も確認できないほど視覚は失われ、太陽が東から昇ることも1年が365日であることも忘れているほど記憶は失われていたのに、ピアノの前では指が自然に動いてジャズのスタンダードナンバーが弾けたことは残存能力の証明となり、心の支えにもなりました。

 視覚と高次脳機能の重複障害への適切な対応がされないまま社会復帰は不可能と判断されてリハビリセンターを退院しましたが、「これ以上、何をお望みですか?」と言われて、それを挑戦状と感じて自らのリハビリプログラムを立て始めたことが自立に繋がったようです。

 私にとってのリハビリテーション、すなわち全人間的復権の根本は、働き盛りの37歳で障害を負った自分がこのままで社会復帰もできずに人生を終えたくはないという人生の哲学、そして、自身のそれまでの技術と人脈を生かすとすれば、医学知識と臨床経験を生かした教育職で社会復帰を目指すべきではないかという目的。最後にその目的を達成する手段として音声読み上げソフトと通勤のための独立歩行の技術が必要と気づいてその訓練の場所を探したことが社会復帰に繋がりました。特にパソコンに記憶された情報を読み直す反復訓練は脳の可塑性をもたらして記憶障害の克服に役立ちました。

 受傷6年後に教壇に上がって最初の講義を終えた時、生きていて本当によかったと思えた自分は、そこでリハビリテーション(人間的復権)の一段階を達成して初めて障害受容もできたのだと思っています。

 私が今まで精神的な支えとしてきたことは、諦めるのではなく明らめる(障害を負った今の自分の可能性を明らかにする)こと。リハビリの内容を音楽や鉄道マニアといった自分の趣味などの楽しみに結びつけ、小さな結果の達成を喜んでリハビリを楽しむように心がけたこと。過去の自分を捨てて新しい自分を構築するのではなく、過去の経験と現在の可能性を重ね着して豊かな人生(重ね着人生)を築けば良いと思ったこと。瀕死の重傷から神様の導きで生かされた自らを『Challenged』(挑戦するよう神から運命づけられた人)と信じて、自分に与えられた仕事は神様から選ばれて与えられた試練と考えて決して諦めないと誓ったこと、などです。

 これからも医師は一生勉強、障害者は一生リハビリと唱えて、常に楽しみと結びつけ、達成感も確認して心のリハビリを楽しみながら、より高い復権を目指した人生を進んで行きたいと思っています。

【佐藤正純先生の紹介】
 1996年2月、横浜市立大病院の脳神経外科医だった佐藤正純先生(当時;37歳)は、医者仲間と北海道へスキー旅行に行った。スノーボードで滑っていて転倒、頭部を強打し意識不明、ヘリで救急病院に運ばれた。頭部外傷事故で大手術の末、1ヶ月後に奇跡的に意識を取り戻した。しかし、待っていたのは、皮質盲(視覚障害)、記憶障害(高次脳機能障害)、歩行困難(マヒ)という三重苦であった。

 趣味の音楽を手始めに懸命なリハビリを続け、6年後の2002年、三重苦を乗り越え医師免許を活かして、医療専門学校の非常勤講師として再出発した。今でもリハビリを重ねながら講師以外に、重度障害を負った障害者のリハビリ体験について語る講演活動を行い、さらには横浜伊勢佐木町のジャズハウス「first」で健常者に交じってジャムセッションのピアニストとして参加している。

 「障害を負ったからといって人生観を変える必要はありません。昔の自分に新しい自分を重ね着すればいい。1粒で2度美味しい人生を送れて幸せです。」と佐藤先生は語る。 
 参考:http://www.yuki-enishi.com/challenger-d/challenger-d19.html

【略歴】
 佐藤正純 (さとう まさずみ)
 1958年 6月 神奈川県横浜市生まれ
 1984年 3月  群馬大学医学部医学科卒業、
    4月  横浜市立大学付属病院研修医
 1986年 6月 横浜市立大学医学部脳神経外科学教室に入局
       神奈川県立こども医療センター、横浜南共済病院、
       神奈川県立足柄上病院の脳神経外科勤務を経て
 1992年 6月 横浜市立大学救命救急センターに医局長として2年間勤務
 1996年 2月 横浜市立大学医学部付属病院脳神経外科在職中にスポーツ事故で重度障害
 1999年12月 横浜市立大学医学部退職
 2002年 4月 湘南医療福祉専門学校東洋療法科・介護福祉科非常勤講師として社会復帰
 2007年 4月 介護付有料老人ホームはなことば新横浜2号館医療相談員として復職
       湘南医療福祉専門学校救急救命科 専任講師
     筑波大学附属視覚特別支援学校 高等部専攻科理学療法科 非常勤講師
     神奈川県立保健福祉大学 保健福祉学部 リハビリ学科ゲスト講師
   などを兼任して現在に至る。
 ・視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)副代表
   http://www.yuimaal.org/
  杉並区障害者福祉会館障害者バンド「ハローミュージック」バンドマスター


公開講座「高次脳機能と視覚の重複障害を考える~済生会新潟シンポジウム」
 日時:2011年2月5日(土)15時~終了18:00
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

【公開講座プログラム】
 14:30 開場  機器展示 
 15:00~特別講演  
           座長:永井 博子(神経内科医;押木内科神経内科医院)
  演題:「重複障害を負った脳外科医 心のリハビリを楽しみながら生きる」
  講師:佐藤 正純 
     (もと脳神経外科専門医;横浜市立大学付属病院
      医療相談員:介護付有料老人ホーム「はなことば新横浜2号館」)

 16:10~教育講演  
  座長:安藤 伸朗 (眼科医;眼科医済生会新潟第二病院)
  1)演題:高次脳機能障害とは? 
    講師:仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院;眼科医)
  2)演題:「高次脳機能障害と視覚障害を重複した方へのリハビリテーション」
    講師:野崎正和(京都ライトハウス鳥居寮;リハビリテーション指導員)
  3)演題:「前頭葉機能不全 その先の戦略
        ~Rusk脳損傷通院プログラムと神経心理ピラミッド~
    講師:立神粧子 (フェリス女学院大学)
 17:30 討論
 18:00 終了 参加者全員で会場の後片付け

 

 

2010年11月17日

報告:第177回(10‐11月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会   栗原 隆
 演題:「私たちは何と何の間を生きているのか」
 講師:栗原 隆 (新潟大学人文学部教授)
  日時:平成22年11月17日(水)16:30~18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要旨】
 私たちが〈生〉を享ける時点はどの時点であろう か。この世に誕生した時が〈生を享けた時〉だと単純明快に言い切ることが出来ないのは、妊娠中絶や生殖補助医療によって、〈生〉の始まりに人の手が介入できるようになったことによる。脳死をもって人の死と判断するようになって以来、死も、運命ではなく、私たちの判断によって定められるようになった。そうすると、私たちは、人と人との間に生きているからこそ、人間であるとも言われるが、日常的な場面で、常に私たちは倫理的な葛藤状況に身を晒し、その都度、どうするべきか対処することを求められていることも考え合わせるなら、私たちは倫理的な判断を生きていると言えるかもしれない。 

1 胎児の数は誰が決めるのか
 赤ちゃんの65人に一人が、体外受精で生まれる時代に、多胎妊娠の処置は、諏訪マタニティー・クリニックの他、15の診療所施設だけでしか行なわれていない。減数手術は「堕胎罪」に問われかねないからである。日本産科婦人科学会は、1996年以来、子宮に戻す受精卵・胚の数を、原則三個と規定してきたものを、2008年4月12日に「生殖補助医療の胚移植において、移植する胚は原則として単一とした。ただし、35歳以上の女性、または二回以上続けて妊娠不成立であった女性などについては、二胚移植を許容する と、移植胚数を制限するに到った。 

 減数手術に対して、医師が生まれてくる子どもを決めることに異論が出されてきたにもかかわらず、今度は医師によって、初めから、生まれてくる子の数が決められることになった。減数手術には厳しい眼が向けられる他方で、妊娠中絶の件数は、赤ちゃんが4人生まれるのに対して、1人が母胎内で命を絶たれる計算で、主婦層中心から、低年齢化している。 

2 誰の迷惑にもならないことなら、何をしても許されるか
  ――出生前診断と着床前診断
 体外受精による受精卵が、4~8分割した段階で細胞一個を取り出して、核のDNAを検査することで、遺伝性疾患の有無や性別を確かめる着床前診断は、妊娠後に、羊水検査など、胎児の細胞を調べるいわゆる出生前診断によって異常が発見された場合 に、判断を迫られる妊娠中絶を避けることが出来て、母親の肉体的・精神的負担の軽減に繋がると言われる。確かに、出生前診断では、染色体異常の子どもである可能性が170分の1とか、50分の1などという確率の形でしか出てこないため、受け止め方に関して、人によっては混乱を来たしかねない。子宮に針をさして、羊水を20ミリリットルほど抜き取って、そこに含まれている胎児から剥がれた皮膚や粘膜の生きた細胞を培養して染色体を検査する羊水検査は、平均で300回に一回の割合で流産が引き起こされる。誰にも迷惑や危害を及ぼさない技術だからといって、出産に関する自己決定権の行使として守られるべきものであろうか。妊娠率が低くなると言われてもいるこの着床前診断にあっては、8分割した段階で細胞を1~2 個、検査のために取られるというのであるからして、胚の尊厳を冒していないと言い切れるであろうか。 

 倫理を云々する以前に、胚にとって安全な技術であるのか、疑問が残る。最も確実な男女産み分けは、精子に蛍光塗料を加え、レーザー光線を照射して、男女産み分けをするフロー・サイトメトリーという方法があるが、必要の前に倫理は無力であってはならない。 

3 胎児に生まれてくる権利はあるのか
 祝福と希望に満ちて生まれてくる赤ちゃんもいる一方で、その4分の1ほどの数の胎児が中絶されている。日本では妊娠22週未満という〈線引き〉がなされている。妊娠中絶をめぐる〈線引き〉についての、ジューディス・ジャーヴィス・トムソンによる「人工妊娠中絶の擁護」(1971年)は、妊娠に繋がるかもしれない行為だと知っていながら行為に及んで、妊娠に到った場合の中絶をも擁護する議論を呈示した。どの段階から、受精卵は、胚ではなく胎児として、自然的紐帯のなかに迎え入れられるのであろうか。筆者の実感では、妊娠が最初に確認されて、超音波で、ごくごく小さな心臓の、限りない拍動が目に見えるようになった時、8週目くらいだったろうか、その時から胎児は家族の一員になった。 

 生まれてくる権利とか、女性の権利という概念で割り切れない命の繋がりが、その時からエコーの画面で目に見えるようになった。重要なのは、「権利」や「正義」という文脈ではなく、また受精卵一個の、胎児一人の生命ではなく、もっと大きな生命の繋がりの中で命が育まれてゆくというような形で捉え直されなくてはならないということである。「権利」や「正義」は、相手に対する共感・思いやりがない場合には、自分勝手なものになりかねないからである。家族として、胎児に対して理解を深め、共に生を営んでいく、そうした「生の繋がり」を、ディルタイは、「体験」を軸に分析的に描き出した。ヴィルヘルム・ディルタイは、『歴史的理性批判のための草稿』で、普遍的な生の連関を拓く契機を「体験」に見定めて、他者を理解することの成り立ちを明らかにしようとした。 

 生きてゆくということは、「人生行路(Lebensverlauf)」という表現にもあるように、時間と場所を経てゆくことである。日々、私たちが生きてゆくさなかにあって、次々と時間を過ごし、さまざまな場所を得ながら、いろいろな体験をしている。体験(Erleben)とはまさに生きる(Leben)ことである。生きてゆく場所のそれぞれは、瞬間のそれぞれは、次々と流れ去ってゆくように思われる。にもかかわらず、そこを生きている私は、同じ私として、連続したアイデンティティを担っている。人生の意義と目的とが自覚されていてこそ、その都度の出来事が体験として、その人の糧になる。 

4 結び
 個人の人生自体、自分だけで営まれているのではないのは、私たちの〈自己〉が、家風や家柄、しつけや作法、生活習慣や生活スタイル、経済状態、倫理観、順法意識、国家、宗教、芸術への趣味、学問、思想によって 影響されていることからしても、明らかであろう。親になって初めて、子育ての限りない喜びと束の間の苦労と些かの心配とが理解できる。 

 私たちに理解できるものが用意されていないことについては、理解のよすがを持つことができない。他者を理解しようとすると、自らを相手の立場に置き換えてみる「自己移入」が必要である。そうであるならば、書かれたテクストを読む場合であろうと、人に接する場合であろうと、いや、さまざまな患者さんと接する医療者であればこそ、相手を理解するためには、それだけ解釈する人の体験を豊かにしておかなくてはならないことになる。

 

【略歴】 栗原 隆(くりはら たかし)
     新潟大学人文学部教授(近世哲学・応用倫理学)

 1951年 新潟県新発田市生まれ。新潟市立万代小学校~鹿瀬小学校~
       鹿瀬中学校~見附市立葛巻中学校~長岡高等学校
 1970年 新潟大学人文学部哲学科入学(1974年卒業)
 1974年 新潟大学人文学専攻科入学(1976年修了)
 1976年 名古屋大学大学院文学研究科(博士課程前期課程)入学(1977年中退)
 1977年 東北大学大学院文学研究科(博士課程前期課程)入学(1979年修了)
 1979年 神戸大学大学院文化学研究科(博士課程)入学(1984年修了・学術博士)
 1982年 大阪経済法科大学非常勤講師(1991年辞職)
 1984年 神戸大学大学院文化学研究科助手(1987年辞職)
 1987年 神戸女子薬科大学非常勤講師(1991年辞職)
 1991年 新潟大学教養部助教授
 1994年 人文学部に配置換え
 1996年 新潟大学人文学部教授 

【参考図書】
  「現代を生きてゆくための倫理学」 著者;栗原 隆 
  (京都)ナカニシヤ出版 (2010/11/15 出版) 価格:2,730円 (税込)
 現代世界において露呈する、個人の自己決定権の限界を見据え、再生医療、臓器売買、希少資源配分、将来世代への責任など、現代の諸問題を共に考えることで、未来への倫理感覚を磨き上げ、知恵の倫理の可能性を開く一冊。



 

【後 記】
 難しそうなテーマでしたので、あまり多くの方は参加されないかも、、、と危惧しておりましたが、遠くは名古屋からの参加者も含め多くの方に集まって頂きました。
 
今、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の、『ハーバード白熱教室』がTVや書籍で話題です。今回の栗原先生の講演は、同じような興奮を感じながらお聞きしました。 胎児の数は誰が決めるのか? 誰の迷惑にもならないことなら、何をしても許されるか? 胎児に生まれてくる権利はあるのか?
 出来ることはやるべきなのか?、、、様々なテーマを投げかけながら話が進みました。 「カント哲学」では、こう考える、、、、最後に医療従事者への提言と話は進みました。その展開にドキドキしながら引き込まれ、あっという間の50分でした。 

 お互いが相手のことを理解することは大事なプロセスです。医療の現場においては特に求められていることです。しかし理解できるものが用意されていないことについては、理解のよすがを持つことはできません。相手を理解できるのが追体験のみであるとするなら、障害のある人を理解することは、障害のない人にはできないということになってしまいます。自らを相手の立場に置き換えてみる「自己移入」が必要と栗原先生は喝破されました。 

 『眼聴耳視』(「げんちょうじし」あるいは「がんちょうじし」)という言葉を、何故か思い起こしました。眼で見るのではなく、眼で聴こう。耳で聴くのではなく、耳で見よう。大事なことは目に見えない。耳では聞こえない、という意味だそうです。
 眼で聴くというのは、明るく元気な人を見ると「幸せそうだ」と思いますが、心の叫びを聴けなければ本当の姿は分かりません。耳で視るということは、洗い物をしているお母さんは赤ちゃんの泣き声を聞いただけで、オッパイを欲しいのか、オムツを替えて欲しいのかが目に浮かんできます。何も語らない人の思いを聴いて、見えない姿に心を寄せて視るということです。 

 哲学者である栗原先生の語りは、圧倒的でした。哲学というものを、今まであまり身近に感じたことはありませんでした。今回いろいろなテーマを突き付けられ、幾つかの論点を、さまざまな角度から考えるいい機会を設けることができ、とても有意義な時間を過ごしました。
 サンデル教授ばりのお話を、またお聞きする機会を設けたいと思います。
 栗原隆先生の益々のご発展を祈念致します。

2010年10月17日

報告:「学問のすすめ」第2回講演会 済生会新潟第二病院眼科
1)強度近視の臨床研究を通してのメッセージ
  ~ clinical scientistを目指して
   大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)

2)拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価
   植木 智志 (新潟大学眼科)

 日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
 場所:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、(チョッと大袈裟ですが)講演会「学問のすすめ」を開催しています。

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1)強度近視の臨床研究を通してのメッセージ
   ~ clinical scientistを目指して
   大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
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 「臨床医にとって研究は必要か?」 答えは、イエスと言いたい。臨床医が研究を行うことは、直接患者さんを診察しているからこそ、実際の病態に即した研究が可能であるという点が重要である。研究は決して学会発表をするためや論文を書くためにあるのではない。「常に探究心を持って診療にあたること」、それは漫然と日々診察するのではなく、患者さんから学び取り、臨床医として自分がさらにブラッシュアップするために必要である。

 私が入局した頃、すでに東京医科歯科大学には所敬教授(現名誉教授)が設立された世界唯一の強度近視外来があり、多数の患者が登録されていた。私が強度近視外来に参加させていただいたのは、全くの偶然だった。まずは与えられた流れに逆らわずに、自分のおかれた環境の中で頑張ってみることにした。緻密なデータが長年蓄積されていた強度近視外来のカルテは、私にとって宝の山に見えた。他の施設はどこもやっていない!これは頑張ればすぐ一番になれるのではないか!?

 最初にしたことは、数百名にのぼる登録患者のカルテを全部調べることであった。週末になると眼科外来に閉じこもり、一人で今週は「あ行」、その次の週は「か行」という風にカルテを五十音順に隅から隅まで見てみた。そこには、強度近視の眼底病変がどう始まって、どう進行するのか、教科書にも書かれていない歴然とした事実があった。教科書や論文に書かれていることと実際の経過が一致しないことがしばしばあることも見つけた。従来、単純型黄斑部出血は何の跡形もなく吸収されるとされてきたが、出血吸収後にBruch膜の断裂であるlacquer crackが形成されることが分かった。つまり単純型出血はBruch膜の断裂に伴って脈絡膜毛細血管が障害されるために生じることを見出すことができた。学生のころに教わった、「患者さんは生きる教科書である」という言葉を痛感し、強度近視の真実を解き明かし、この難病に真正面から取り組んでいきたいと思った。

 カルテを持ってすぐさま教授室に直行、所教授に思いつきを直訴したところ、何と教授が新人の意見に耳を傾け後押しをしてくれた。思い立ったらすぐ行動することも時に必要かもしれない。さらには当時、東北大学から清澤源弘先生(現;清澤眼科医院院長、東京医科歯科大学臨床教授)が本学の助教授で赴任された。清澤先生は多数の英文論文を書いたので、直ちに清澤先生のところにデータを持って訪れ「私に英文論文の書き方を教えて下さい!」と頼み、1年で3つの英語論文を出すことができた。

 転機が訪れた。所教授の退官、それと同時に私は文部省在外研究員でWilmer眼研究所に留学。留学中に望月教授が赴任され、当然のことだが多くの医局員が新しい教授の専門分野につき、強度近視外来の医師が数人という状態になっていた。「こんなことで絶対に負けるもんか!」。九州大学の石橋教授からの助言もあり、帰国前に森田育男先生(本学分子細胞機能学助教授;当時)に連日メールして共同研究を申し込み、帰国と同時に新しい研究に打ち込んだ。

 ヒト培養網膜色素上皮細胞を用いた in vitro の手法、さらには各種の遺伝子改変マウスを用いたin vivoの手法から、脈絡膜新生血管の発生に関する研究を行った。従来血管新生促進に関与する血管内皮細胞成長因子vascular endothelial growth factor VEGFが注目されているが、血管新生抑制因子である色素上皮由来因子 pigment epithelium-derived factor (PEDF) に注目し、脈絡膜新生血管における PEDFの重要性を明らかにした(*1)。さらに脈絡膜新生血管の病因として Alzheimer 病の原因物質アミロイドβが重要であることを初めて見出し報告した(2)。最近ではさらに実験近視モデルを用いて、近視進行のメカニズムを分子学的に解明し、新たな近視進行の予防治療の開発を研究している。

(参照、東京医科歯科大学眼科HP:http://www.tmd.ac.jp/med/oph/research.htm)
 *1)Ohno-Matsui K, Morita I, Tombran-Tink J,Mrazek D,Onodera M, Uetama T, Hayano M, Murota S-I, Mochizuki M. Novel mechanism for age-related macular degeneration: An equilibrium shift between the angiogenesis factors VEGF and PEDF. J Cell Physiol 189: 323-333, 2001
 *2)Yoshida T, Ohno-Matsui K, Ichinose S, Sato T, Iwata N, Saido TC, Hisatomi T, Mochizuki M, Morita I. The potential role of amyloid-beta in the pathogenesis of age-related macular degeneration. J Clin Invest;115:2793-2800,2005

 今日では、近視性CNVに対する抗VEGF療法やPDTが施行され、幸い、強度近視は「治らない変性疾患」から「少なくとも一部は改善できる疾患」に変わってきた。さらに強度近視診療を行う大学や施設も増えてきて、今では一種のブームのようにまでなってきた。我々はこれまでもそしてこれからも、強度近視患者によりよい診療をフィードバックすることを目標に頑張るつもりである。

 眼科医としてスタートしてしばらくは、ただ日々の仕事を漫然とこなすだけで精一杯であった。そんな私がここまで来れたのは、実に多くの方々の支援を受けている。東京医科歯科大学眼科の先輩・同僚・後輩の先生方、とりわけ強度近視外来の先生、帰国後絶えず叱咤激励して下さった森田育男先生(本学分子細胞機能学教授、本学副学長)と分子細胞機能学教室の皆様、PDT治療が始まった頃に高額の治療材料を提供することに尽力して頂いたQLT社の李明子さん、いつも英文論文を見て頂いているDuco Hamasaki先生、、、枚挙にいとまがない。

 とりわけ恩師の、所 敬 名誉教授には感謝、感謝、感謝である。所先生には、研究は勿論、身だしなみや、診療態度に至るまで様々なことを教わった。「たとえ小さな分野であったとしても、この分野なら自分は負けないというフィールドを持て」と教わったことは忘れない。そして今度は私が誰かを引き上げる役目を果たしたいと思っている。

 今日まで臨床研究を続けるにあたって仕事面、家庭面での紆余曲折もあったが、「強度近視が自分のライフワークである!」という意志を今後も貫いていくつもりである。最後に、三重県の片田舎から私を医学部に進学させてくれた両親に心から感謝したい。また常に私を応援し続けてくれている主人にこの場を借りて感謝の意を表明したい。自叙伝のような講演であったが、何か参考になることが少しでもあれば本望である。

 【大野京子先生 略歴】
   1987年 横浜市立大学医学部卒業
   1990年 東京医科歯科大学眼科医員
   1994年 東京医科歯科大学眼科助手
   1997年 東京医科歯科大学眼科講師
   1998年 文部省在外研究員(Johns Hopkins大学)
   1999年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科講師
   2005年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科助教授
   2007年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科准教授
   2002年度日本眼科学会学術奨励賞、第2回Pfizer Ophthalmic Award受賞 

【後記】
 個人的はことではあるが、「強度近視」に思い出がある。2002年10月ダラスで行われた米国眼科アカデミー(AAO)の最大のイベントである「Jackson Memorial Lecture」の講演者に推挙された田野保雄先生(故人;当時大阪大学教授)が選んだテーマが、「強度近視に合併する網膜剥離の外科的治療法」であった。田野先生が「強度近視」というテーマを選んだことに、少し意外な感じがしたのでその理由を伺った。「強度近視は東洋人に多く、多くの欧米人には余り知られていないんですよ」と答えてくれたことを、印象的に覚えている。
 今春4月に行われた日本眼科学会総会(名古屋)でのシンポジウム「clinical scientistを目指して」は好評であった。今回はそのシンポジストの一人である大野先生を、新潟に招いて同様の演題で講演するようにお願いした。15分を60分に拡大しての講演で、内容もより詳細に、かつややオフレコの部分も取り入れての熱弁だった。素直な表現に、聞くものを感動させる力があった。
 大野京子先生のライフワーク「強度近視」、ますますの発展を祈念したい。

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2)拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価
   植木 智志 (新潟大学眼科)
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 視覚情報路の解剖およびMRIの原理に触れながら、大学院時代に統合脳機能研究センター(*1)で行った研究についての論文(*2)を解説した。拡散強調MRIは、既に脳梗塞や脳腫瘍、多発性硬化症などの臨床で汎用されている。拡散強調MRIは水分子の生体内での「みかけの拡散」をコントラストとして扱う(「みかけ」と呼ぶのは生体内での拡散には純粋な物理運動であるブラウン運動だけでなく、微小循環や軸索原形質流、細胞膜による制限なども含まれるため)。「みかけの拡散」を2階テンソル量として評価し、「みかけの拡散」の総和や不等方性(異方性)などを指標として用いることで、神経軸索障害の定量的評価を行うことが可能である。

 *1)新潟大学 統合脳機能研究センター
 http://coe.bri.niigata-u.ac.jp/index.php 

 *2)Ueki S, Fujii Y, Matsuzawa H, Takagi M, Abe H, Kwee IL, Nakada T.
 Assessment of axonal degeneration along the human visual pathway using diffusion trace analysis. Am J Ophthalmol 2006;142:591-596.

 拡散強調MRIで視神経を撮像するには、磁化率アーチファクトと視神経のボリュームが小さいことによるシグナルノイズ比の低下を克服しなければならない。磁化率アーチファクトは局所の磁場の不均一によって生じ、特に眼窩は周囲の副鼻腔の含気に強く影響される。我々は、シグナルノイズ比の改善のために、3テスラMRI装置(*3)を用い、trace解析を行った。また、やっかいな磁化率アーチファクトを軽減するために、PROPELLERシーケンスを用いた。3テスラという高い磁場を用いることでシグナルノイズ比は改善する(しかし、磁化率アーチファクトは更に増強する)。trace解析は拡散強調MRIにおける「みかけの拡散」の評価方法のひとつだが、複雑な傾斜磁場の組み合わせを必要としないためシグナルノイズ比を改善することが可能である。traceは「みかけの拡散」の総和の指標で、trace高値は「みかけの拡散」の上昇、trace低値は「みかけの拡散」の低下を表す。PROPELLERシーケンスは磁化率アーチファクトの影響を受けにくい高速スピンエコーシーケンスを基にしたシーケンスである。

 *3)3テスラMRI装置
 http://coe.bri.niigata-u.ac.jp/content/HFMRI_ja 

  我々は片側慢性期視神経症10名および正常被験者16名の拡散強調画像を撮像し、得られた画像から三次元不等方性コントラスト(3DAC)画像を作成し、両側視神経・両側の視交叉の非交叉線維・視交叉の交叉線維・両側視索・両側視放線の計9部位に関心領域を設定しtrace値を計算した。

 3DAC(*4)もまた拡散強調MRIにおける「みかけの拡散」の評価方法のひとつで、みかけの拡散の不等方性が画像化される。神経軸索のような方向性を持った組織では、水分子はどの方向にも等しく拡散する等方性拡散を示さず、神経軸索の長軸方向に拡散が大きい不等方性拡散を示すことが知られている。3DACは、加法混色の原理を用いることで、みかけの拡散の等方性成分を消去し、神経軸索の不等方性成分を抽出する。3DAC画像を用いることで、正確に関心領域を設定することが可能となった。

 *4)3次元不等方性コントラスト(3DAC)画像
 http://coe.bri.niigata-u.ac.jp/content/HFMRI_DiffPerf_ja

 患者群の患側視神経・患側の視交叉の非交叉線維のtrace値は、正常被験者群の同部位に比べて有意な上昇がみられた。患者群の健側視神経・健側の視交叉の非交叉線維・両側視放線のtrace値は正常被験者群の同部位に比べて有意差はみられなかった。また、患者群の視交叉の交叉線維と両側視索のtrace値はその中間的値を示した。これらの結果は視覚情報路の解剖学的な視神経軸索の走行から考えられる軸索障害の程度と非常に良く一致した。慢性期視神経症におけるtrace値の上昇は軸索障害に伴う「みかけの拡散」の上昇を示していると考えられた。

 では、急性期視神経炎ではtrace値はどのように変化するのだろうか?同様の方法によるpreliminary studyでは患側視神経のtrace値は健側視神経に比べて有意な低下がみられた。trace解析によって病態の相違をtrace値で評価することが可能であると考えられる。

 今回の講演のおかげで研究内容を改めて見直すことが出来た。また、講演後の質疑応答から今後の展開についてのアイディアを得ることが出来た。本研究を今後も発展させたいと考えている。

 【植木智志先生 略歴】 
   1999年3月   新潟大学医学部 卒業
   1999年 4月  新潟大学医学部附属病院眼科 実地研修開始
   2000年10月  聖隷浜松病院眼科 勤務
   2001年4月   新潟大学大学院 入学
           新潟大学脳研究所脳機能解析学分野で研究
           (現新潟大学脳研究所統合脳機能研究センター)
   2005年3月   同上 修了
   2005年 4月   新潟大学医歯学総合病院眼科 医員
   2005年10月   厚生連佐渡総合病院眼科 勤務
   2007年 4月   新潟県立十日町病院 勤務
   2008年 4月   新潟市民病院 勤務
   2009年10月  新潟大学医歯学総合病院眼科 医員 

【後記】
 視神経萎縮を定量的に知ることは、存外難しい。この難テーマに取り組んだ植木先生の挑戦物語は、拝聴していて迫力があった。視覚情報路の解剖およびMRIの原理に触れながら、時に数式を取り入れながらの講演は、正直その場で理解することは困難であった。しかし苦心して判り易いスライドを用意してもらい、60分講演30分の質疑応答という今回のような講演会は、私の頭でも少しでも理解できるものにしてくれた。将来的には、緑内障による視神経障害を他覚的に測定する方法にまで発展させて欲しい研究である。
 若武者、植木智志先生の今後の発展を期待したい。