勉強会報告

2009年6月10日

 演題:「杖に関する質問にお答えします」
 講師:清水 美知子(歩行訓練士;埼玉県)
   日時:平成21年6月10日(水) 16:30~18:00
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演抄録】
 市販されている10数種類の杖(下記)を、参加者に手渡し、それらの特徴をお話しました。最近は、杖の種類が増えていて、ジオム社や日本点字図書館用具部のカタログには30種余りの杖が載っています。全体的に携帯しやすい杖と、大きな球面を持った石突が好まれているようです。 

<紹介した杖>
 ・色:白、黒、模様柄
 ・構造:一本杖、折りたたみ式、スライド式
 ・素材:アルミニウム、カーボンファイバー、グラスファイバー
 ・石突:ペンシル、マシュマロ、ティアドロップ、ローラー、パームチップ
 ・重量:110~280g
 「歩行訓練」がわが国に紹介されて40年余りが過ぎました。これまで「歩行訓練」の教科書がいくつか著されてきましたが(文献1-5)、それらに記されている杖の操作技術(「ロングケイン技術」、the long cane techniques)の基本は、ほとんど変わっていません。 

<ロングケイン技術の基本>
 床に立ったときの床面から脇の下(あるいはみぞおち)までの垂直距離に等しい長さの杖を、次の5項目のように振る。
 1.手首を身体の中央に保持
 2.手首を支点として左右に均等な幅に振る
 3.振り幅は身体のもっとも広い部分(肩幅あるいは腰幅)よりやや広く
 4.振りの高さは杖の先端の最も高いところで数センチ以下
 5.振る速度は、歩調に合わせ、杖が振りの右端(左端)に接地したとき、左足(右足)が接地するように振る 

 一方、こうした教科書の基本通りに杖を使う人は稀で(文献6,7)、大方の人は、杖が脇の下までの距離より長かったり(短かったり)、杖を持った手を体側に置いたり、(その結果、またはそれと関係なく)振りは左右均等でなかったり、など基本型とは異なる形で振っています。また、大きな球面を持つ石突あるいはローラー式のように動く石突の普及が、石突を常時接地したままで振る方法(a constant-contact technique、文献8)を容易にさせ、石突の接地時間が延長の傾向にあるようです。 

 その理由は、教科書通りに振っても物と身体の接触を100%避けられないというロングケイン技術の限界に加えて、教科書通りの基本型を維持するのは身体的につらい、保有視機能で段差や障害物が検知できる、杖は視覚障害があることを示す単なる印と考えている、歩行訓練を受けたことがない、球面の大きな石突の普及、杖使用者の高齢化などが考えられます。 

 こうした状況を考えると、杖の導入段階での指導内容として、基本型を指導する意義は認めるとしても、指導者も使用者も型にこだわり過ぎないように注意することが大切だと思います。身体と物の接触あるいは衝突、路面の凹凸によるつまずき、踏み外し、転倒の頻度などを目安に、杖の種類・長さ・振り方の妥当性について、実際の状況で検証していくことが重要です。

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文献
  1.日本ライトハウス職業・生活訓練センター適応行動訓練室(1976).視覚障害者のための歩行訓練カリキュラム(失明者歩行訓練指導員養成講習会資料)第2版、厚生省.
  2.Ponder,P. & Hill,E.W.(1976).Orientation and Mobility Techniques;A Guide for the Practitioner, AFB Press.
  3.芝田裕一(1990).視覚障害者の社会適応訓練、日本ライトハウス.
  4.Jacobson,W.H.(1993). The art and Science of Teaching Orientation and Mobility to Persons with Visual Impairments, AFB Press.
  5.LaGrow,S. & Weessies,M.(1994). Orientation and Mobility;Techniques for Independence, Dunmore Press.
  6.Bongers, R.M., Schellingerhout, R., Grinsven, R.V. & Smithsman, A.W.(2002). Variables in the touch technique that influence the safety of cane walkers, JVIB, 96(7).
  7.Ambrose-Zaken,G.(2005). Knowledge of and preferences for long cane components: a qualitative and quantitative study, JVIB, 99(10).
  8.Fisk,S.(1986). Constant-contact technique with a modified tip: A new alternative for long-cane mobility, JVIB, 80,999-1000. 

【略 歴】
 歩行訓練士として、
  1979年~2002年 視覚障害者更生訓練施設に勤務、
         その後在宅の視覚障害者の訪問訓練事業に関わっている。
  1988年~新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて
          視覚障害リハビリテーション外来担当。

  2003年~「耳原老松診療所」視覚障害外来担当。
 http://www.ne.jp/asahi/michiko/visionrehab/profile.htm 

 

【後 記】
 30本にも及ぶ杖を持参しての講演会でした。杖にもいろいろな種類があることを改めて知りました。清水さんはいつも障がい者の視点と、歩行訓練士の視点で語ってくれます。現状でいいのか、もっとこうあるべきではないか、もっとこうして欲しい、、、、。 歩行訓練、奥が深いです。 

 以下、今回参加した医学部学生の感想を紹介し、編集後記の締めくくりととします。

●今日は、歩行訓練士の立場からのロービジョンへの取り組み、考え方を聞くことができ、今まで自分の知らなかった視点からロービジョンを捉えることができました。今までの実習では医療者側から患者さんに接してきましたが、疾患やその症状を評価するのに客観的なデータである視力や検査の結果に着目しがちでした。しかし、本当に重要なのは患者さんがどれくらい見えているのか、そしてその視力障害が生活に対してどの程度の影響を及ぼしているのか、であると再認識させられました。 

●生活への影響は、年齢や生活パターン、合併する疾患など患者さんの状態に応じて千差万別であり、それを把握するためには時間をかけて一人ひとりの視覚障がい者としっかり向き合い、接していかなければなりません。歩行訓練士の清水さんは、歩行という動作を通じて一人一人の生活を把握し、杖によりサポートしていらっしゃいました。 

●清水さんの話では、昔は種類が少なかったために限られた選択肢の中から杖を選んでいたのに対し、最近では杖の種類が増えてきたことでニーズに合わせた選択を行うことができるようになったとのことでした。また、歩行訓練についても昔は教科書通りの指導を行っていたが、最近では視覚障がい者の現状の歩き方を見た上で問題点を改善していくという方針に変わりつつあるそうで、より障がい者側の立場に立って指導されるようになっている。障がい者を取り巻く環境として、画一的な評価や指導を行っていた従来の状態から、一人一人の状況に合わせたサポートを行うように変化してきていることを知りました。 

●現在の問題点は、障がい者、サポート側のいずれもが知識不足のために、今の便利な環境を知らないままに不便な思いをしながら歩行や生活を続けていることである。これを改善するために、まずはロービジョンの会合などを通じて啓発活動をしていくこと、そして医療者、福祉士、介護士を始めとしたスタッフが協力、連携していく必要があることを学びました。 

 今後医療者として、治療行為を通しての患者さんのサポートはもちろんのこと、それに加えて今回の勉強会のような会合や新しい情報の提供という形でも視覚障がい者をサポートしていきたいと思います。

2009年4月8日

報告:第158回(2009‐04月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会  宮坂道夫
     演題:「医療紛争のソフトな解決について」
     講師:宮坂 道夫(新潟大学医学部准教授)
   日時:平成21年4月8日(水) 17:00~18:30
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演抄録】
 裁判外紛争処理(ADR、alternative dispute resolution)は、1960~70年代に欧米で提案され、80年代から急速に国際的に拡大した。これは、司法制度の限界を見据えて、より柔軟な紛争処理の仕組みを設けようという運動であった。いくつかの異なった仕組みが提案されている。裁判の「前段階」として、司法の枠内にそのようなシステムを設けようという提案や、裁判とは独立した仕組みを提案する民間型の提案がなされてきた。 

 日本の医療でも、裁判は紛争解決の手段として問題が多々あることが指摘されてきた。和田らは、(1)争点が法的問題に限定されること、(2)責任主体が限られた個人に限定されること、(3)紛争解決の帰結が金銭賠償に限定されること、(4)対決的構図が必然的に設定されること、(4)医療現場への影響が大きいこと、等を指摘する(*1)。

 *1 和田仁孝、中西淑美
   『医療コンフリクト・マネジメント-メディエーションの理論と技法-』 (シーニュ、2006年)

 さらにこれに加えて、(5)患者の権利が法制度化されておらず、診療情報が医療側に独占されていること、にも関わらず(6)立証責任が訴えた側にあること、(7)医療者側の証拠提示義務が十分でないこと等も指摘されてきた。 

「医療コンフリクト・マネジメント」
 和田らは、(A)医療紛争において、患者側のニーズと医療者側のニーズは、実はかなり共通している。(B)当事者のニーズに丸ごと対応できる、ケアの理念に基づくシステムが必要、という前提に立ち、「医療コンフリクト・マネジメント」を提唱している。それによると、当事者の対立は認知フレームの相違に基づいているので、「対立をもたらす認知フレームに働きかけ、それを変容させるべき」だという。そのために、メディエーターが、対立の構造(イシュー、ポジション、インタレスト)を分析し、その上で仲介(メディエーション)を試みる。 

 講演では、具体的なケーススタディを行って、ADRが日本の医療現場でも有効に働きうることを指摘し、その一方で限界もあることを示唆した。演者は、検討を要する課題として、(1)ADRは、紛争の内容が「広範囲」に及ぶ場合(複数の医療施設が関わるような場合や、当事者の姻戚関係や職場・学校などに紛争の環境要因があるような場合)に対応が困難、(2)ADRがあくまで紛争発生後の「事後」の対処法である、という点を指摘した。また、参加者から、メディエーターの育成・確保の問題も指摘された。これについては、日本医療メディエーター協会が養成事業を行っていることなどを紹介した。 

 ADRの弱点を補う方法として、「紛争の芽を絶つ」事前の解決策が不可欠であり、その位置づけにあたるのが「臨床倫理」の検討会ではないかと提案した。具体的には、多職種による「臨床倫理検討会」をインフォーマルに行うことを提案した(*2)。

  *2 詳細は、以下を参照のこと
   宮坂道夫:『医療倫理学の方法 原則, 手順, ナラティヴ』(医学書院,2005年)
   宮坂道夫, 坂井さゆり, 山内春夫:日常臨床における医療倫理の実践,
    日本外科学会雑誌,110(1), 28-31, 2009  
 

【宮坂 道夫 先生:略歴】
 1965年長野県松本市生まれ。松本県ヶ丘高校卒業、
 早稲田大学・教育学部理学科生物学専修卒業、
 大阪大学・大学院医学研究科修士課程修了、
 東京大学・大学院医学系研究科博士課程単位取得、博士(医学、東大)
 現在、新潟大学医学部保健学科准教授。
  専門は生命倫理、医療倫理など。
  主著:『医療倫理学の方法』(医学書院)
     『ハンセン病 重監房の記録』(集英社新書)など
 HP http://www.clg.niigata-u.ac.jp/~miyasaka/

【後記】
 医療訴訟は、医療現場での悩ましい問題です。一生懸命治療していた結果患者さんに訴えられる、あるいは信頼して治療を受けていた主治医を訴える、、、、辛く悲惨な状況です。解決の方法として医療裁判があるのですが、現状では、時間がかかりお金がかかる割には、双方に納得できる解決が得られることが殆どありません。すなわち、どちらも不満足な、不本意な判決になってしまうことが多いのです。

 時間がかからず、経費がかからずに、双方が満足できる(Win-Win)解決法、ソフトな解決法はないものか?こうした疑問に一つの答えを示してくれる講演でした。すなわち、こじれた関係をいかにお互いの立場や心情を理解しつつ、歩み寄れるのか、そのためにはどのような方策が考えられるのか、と改めて考えさせられる内容でした。
 参加された方々からも、いくつかの事例が報告され皆で考える時間を持つことが出来ました。
 

 今回は、耳慣れない言葉が多かったので、私なりに調べてみました。
 「裁判外紛争処理制度(ADR)」
  http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/adr.html
  日本弁護士連合会(日弁連)のHP
 

 「医療コンフリクト・マネジメント」
  http://www.conflict-management.jp/preface/preface.htm
  医療コンフリクト・マネジメント研究会のHP
 

 「日本医療メディエーター協会」
  http://jahm.org/toha.htm
  日本医療メディエーター協会のHP

2008年11月12日

 演題:「”ふつう”ってなに?-見える見えないの狭間で思うこと-」
 講師:小川 良栄 (長岡市自営業)
  
日時:平成20年11月12日(水)16:30 ~ 18:00
  
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来   

【講演抄録】
 障害と社会のかかわりには、二つの考え方がある。ひとつは、健常者社会に障害者もできるだけ取り込んでいこうとする、「個人モデル」または「医療モデル」と呼ばれる考え方である。これは現在の大勢を占める考え方である。もうひとつは、障害者の差別や偏見につながる社会のルール、社会のしくみを変えていこうとする「社会モデル」と呼ばれるものである。 

 「医療モデル」は、視覚障害者が駅のホームから落ちてしまうのは目が見えないからであるとする、問題の原因を個人に求めるう考え方である。一方、視覚障害者が駅のホームから落ちてしまうのは、目が見えないからではなく、十分な転落防止策が講じられていないからと原因を社会に求めるのが「社会モデル」である。 

 世間では障害の重い人のほうが軽い人よりも、生活していく中で辛く困難であると理解されているが、この理解自体が間違っているのではないだろうか?そのことを「社会モデル」流に考えてみようというのが本日の話のテーマである。 

 軽度視覚障害者は全盲ではないけれども、どんな医学的手段を用いても十分に見えるようにならない。時に対人関係で、時に社会的配慮の遅れなどで、社会から背負わされる辛さというものがある。同時に社会の偏見から逃れるために自身の障害を隠すという心理的葛藤とも向き合わなくてはならない。つまり、軽度障害者には独自の辛さ、困難さがある。 

 障害の重い軽いというのは量ではなく、質である。同じ視覚障害者と呼ばれる中にも多様性がある。ところが、多くの人は障害者を安易なイメージでとらえてしまいがちである。視覚障害者とは白杖を使う人、点字を使う人と理解してしまう。でも、実際には生活していく中で障害者の感じる辛さや困難さは、個々にすべて違う。ひとくくりにはできない。 

 障害者が求める支援の幅は広い。事前の学習で得られる知識、例えば、視覚障害者の誘導の方法を学ぶことは無意味ではないが、それが視覚障害者そのものを理解することにはならない。事前にすべてのことを理解することは不可能であり、必要もない。大切なことは「自分は相手のことをわかっていない」ということを理解しておくことである。 

 相手のことがわからないから、想像する。そして聞いてみて、振る舞いを見てみて、わからなかったことが、わかることへ変化する。この繰り返しで人間関係は深まっていき、例えば友人関係になる。事前の知識は、相手が何が辛いのか、何に困っているのか想像するときに役に立つ。 

 しかしこれは相手が障害者だから特別なことではなく、健常者同士でも基本的には同じである。では、一対一という関係から、かかわる人の数が増えたらどうか、一対一の関係と比べてうまくやっていくのは難しくなる。それは、他者との関係を良好に保つために、時に自分を抑えなければならないことが増えるからである。 

 視覚障害者のために横断歩道にエスコートゾーン(*)をつけたい、といった見えない人のために作り変えていくためには、税金というコストがかかる。音声誘導付信号機の場合、誘導音声を騒音と感じる近隣の住民も存在し、時に自分を抑えて相手との間に妥協点を探らなければならない。困っている人を目の当たりにしない状況で、かつ、自分にとって大切な人のためだけでなく、会ったことのない誰かのために、想像力を働かせて積極的な負担ができるのかどうか、それが問題である。 

 人と人が暮らしていくためには、なにがしかのルール、言いかえれば社会のしくみが必要である。ルールを守るということは、そのまま、時に自分を抑えるということを意味する。自分の自由を守るためには、他者の自由も尊重しなければならない。自分が自由であることが他者の自由を侵害することがあってはならない。ルールのあるところには、それにかなうもの、つまり「ふつう」と、そこからはずれるもの「ふうつでないもの」が生まれてしまう。ジレンマである。だからこそ我々は誰にとってもフェアなルールづくりを目指していかなければならない。 

(*)エスコートゾーン
 道路横断帯(通称:エスコートゾーン)~横断歩道の真ん中に点字ブロック(触覚表示)敷かれていて、視覚障害者の道路横断を支援する設備 

 

【略歴】 小川良栄(おがわ よしえい)
 1984年 仙台医療専門学校卒業、国家試験合格後、盛岡リハビリテーション学院、小泉外科病院、更埴中央病院、老人保健施設サンプラザ長岡にて研修。
 1991年 長岡市に接骨院を開業、現在に至る。
 2005年 介護支援専門員ライセンス取得。
 2006年 (財)東京都老人総合研究所介護予防運動指導員ライセンス取得。
 2008年 長岡市介護認定審査会 審査委員に就任

 

【後記】
 小川さんは、これまで何度か勉強会に参加され、その度に的確なコメントをされる、お洒落で、頭脳明晰で、そして少しシャイな方です。8月の新潟ロービジョン研究会は、「視覚障がい者の就労」がテーマでした。「障がいを持つ者にとって、恋愛と就労は心底自らの障がいと向き合わなければならない場面を迎えるという点で、同じなんだ」と語った、小川さんのコメントは忘れられません。 

 前からこの勉強会でお話して頂こうと考えていましたので、やっと念願が叶いました。沢山のキーワードがありました。「ふつう」「自動車の免許」「個人と社会」「バリアフリー」「障害者と健常者」「社会のしくみ」「重度と軽度」「理解されない」「人間関係」「隠したい」「彼女とのデート」「予行練習」「「りんごとバナナ」「「思い込み」「ルール」「医療モデル」「社会モデル」「想像力」、、、、、、。 

 スライド(パワーポイント)を使っての講演でしたが、目の不自由な方のために音声(駅のプラットホームや音声信号機の音)を用意してくれた初めての演者でした。期待通り、いやそれ以上の立派な講演でした。 

 ご自身が軽度の視覚障がい者であることから、障がいの重い、軽いとは定量だけでなく定性で考えることも重要で、重い障がいはリンゴが10個、軽い障がいはリンゴが5個ではなく、バナナが1本という捉え方をしてほしい。そして、リンゴとバナナでは食べ方が違うように、支援のためのアプローチも違ったものになるという解説はとても理解しやすい例えです。 

 心理的側面の話題もありました。初めてデート。障がいを持つ者は、障がいのことをデート相手には隠してお付き合いをする。完璧に事前に予行練習をして臨むが、そこで生じる様々な失敗談の場面で、講演は一番盛り上がり、また印象にも残りました(小川さんには不本意だったかもしれませんが)。 

 そして社会ルールを守る(創る)ために、「想像力」を働かすことの大切さ。多くの教えを頂きました。

2008年8月6日

『新潟ロービジョン研究会2008』 
      期日:平成20年8月2日(土) 15時30分~18時30分
      場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 
 テーマ「視覚障がい者の就労

 基調講演
 1)「視覚障害者の就労に私はどうかかわることができるか」
     仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
 2)「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
     篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長) 
 3)「わが社の障がい者雇用について」
     小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
 4)「障碍」を持つ教師の働く権利保障をめざして
     栗川 治 (新潟西高校教諭)
 5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
     渡辺 利喜男、仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)

       
パネルディスカッション~「皆で考える『視覚障がい者の就労』」
  進行役 張替 涼子(新潟大学)  
      安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
  パネラー
    仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
    篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長)
    小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
    栗川 治 (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
    渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校)
    就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
          薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
          轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
          小川 良栄 (長岡市自営業)

《機器展示》
 東海光学、タイムズコーポレーション、ナイツ、アットイーズ(新潟)、新潟眼鏡院

 
 済生会新潟第二病院眼科では、毎年、県内外の患者さんと家族、眼科医・視能訓練士や医療および教育・福祉関係者を対象に、新潟ロービジョン研究会を開催しています。
 第9回目になる今年は、「視覚障がい者の就労」をテーマにして、魅力的な講師陣をお呼びして企画しました。 全国11都県から123名の方々が参加して開催しました。

 厚生労働省の調査(06年)では、15歳以上64歳以下の身体障がい者約134万人のうち、就業しているのは約4割と推定されています。一方、同省が全国約5000事業所で働く約11000人を対象に行った「障害者雇用実態調査結果報告書」(03年度)によると、身体障がい者の3割以上が過去に離職・転職を経験し、平均転職回数は2.1回でした。
 05年に成立した障害者自立支援法は、意欲と能力のある障がい者が働きやすい社会の推進を目指すとしていますが、視覚障害者への支援はまだ不十分なようです。

【講演抄録】
1 「視覚障害者の就労に、私はどうかかわることができるか?」
    仲泊 聡
    国立身体障害者リハビリテーションセンター病院 第三機能回復訓練部部長
 視覚障害者にとって就労は最重要課題である。なぜなら、障害によって奪われた「収入」と「所属」と「生き甲斐」のすべてを就労に関連して獲得することができるからだ。
 しかし、眼科医はこの最大の問題に自らが手を差し伸べられると自覚していない。眼科医は、まず疾患を治療し、視機能の回復をはかるべきである。これが全てだ。しかし、それに時間を要し過ぎると逆に就労継続に対する壁になる。むやみに入院治療を引き延ばしてはいけない。エイドによる機能的な回復を実現し、手帳や年金の手続きをすみやかに行ない、職場への説明を十分に行なって理解を促し、就労への環境を整えるのも眼科医の仕事である。手におえないのなら相談・訓練や教育の場への橋渡しを行う。
 私は、そうやってこの10年を過ごした。しかし、尚うまくいかない。どこにその問題があるのか。
 本質的な問題は何か?パソコンにしても三療にしても、能力のある人は、適切な支援さえあれば問題ない。資格はあるけれど上手く働けない人、資格を得ることが出来ない人が問題である。そして自立である。自立支援法が出来たが、必ずしも上手く運用しているとは言えない。
 今年新たなポストに就き、眼科医としてだけではない重責を感じている。これから皆さんと一緒に考えてみたい。

◎講演後、新潟県視覚障害者福祉協会の松永秀夫さんから、現行の障害者自立支援法は、視覚障害者にはあまり適応にならないとコメントがありました。


2「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
     篠島 永一
     特定非営利活動法人タートル 事務局長
 NPOタートルの目的は、1)「見えなくても、見えにくくても働ける」を提唱し、社会啓発に努める、2)「職業選択の自由を求めて」を目標に職域拡大と能力開発に努める、3)「定年まで勤めつづける」をめざして定着支援を連携と協力により行う、4)「納税者になろう」をモットーに、職業自立を支援する、である。
 特に、就労継続(中途視覚障害者の就労の継続をすすめ、失職を防止する)、復職(視覚障害リハビリテーションを受け、雇用主の不安感を払拭する)、再就職(コミュニケーションスキルとモビリティスキルを身に付けることにより自信とプラス思考をもって就職活動をする)、新規就職(新たな職域に挑戦する意欲を持つ)の各分野で活動を展開している。
 何よりも会社の戦力と成り得る実力を付けること、そして自分の意見を会社に提案できることが大事である。そのためには、本人の働きたいという意志が大切。
 現実に障がい者を受け入れる会社は増えてきている。タートルでは事例をファイルして、公にしている。ハローワークにも働き掛けている。
 視覚障がい者の多くは眼科を受診する。眼科医の一言が大きく影響する。眼科医にも視覚障がい者が実際に社会で活躍していることを知って欲しい。
 視覚障がい者には、うつ病の方が多い。心の支援を必要としていることにも目を向けて欲しい。

◎講演後、神奈川県茅ケ崎から参加された社会保険労務士の中村雅和さん(1型糖尿病)から、「なにくそ! 障がいになんか負けるものか。障がいはチャンスだ」と力強いメッセージがありました。新潟の信楽園病院の山田幸男先生から、「新潟の人が地元で支援を受けられるようにするにはどうしたらいいのでしょうか?」という質問がありました。篠島さんは以下のように答えていました。「資源の多い東京とは違う、新潟では新潟のやり方があるはず。でも、根本のところでは、当事者が当事者の就労相談を受ける体制をつくることが大事だろう。」


3「わが社の障がい者雇用について」ー年金をもらうばかりではなく、税金を納める側になれー
    小野塚 繁基
    小野塚印刷株式会社 専務取締役
 厳しい最近の経済状況では、企業にとって障がい者を雇用することは困難になってきている。健常者以上に能力がないと採用されないというのが現実である。そういう意味では障がいのあるなしは関係ない。企業にとってプラスになる人材は必ず採用される。
 障がい者としての弱者意識、疎外感の中で生きてきた彼らが、不自由ながら平等な意識で外へ、職場へ出てこれるように導くことから始まる。思うように指先が使えず、握力もほとんどなしの、男性が「誰もが彼には無理だ」と思う紙揃えを「これが出来なければ、もう自分のいけるところがない」という必死の想いで、練習をすることにより、仕事がリハビリとなり、手先が器用になり、問題なく、印刷機械を操作できるようになった。
 家では何もかも、お母さんがやって下さり、できなさそうなことは最初から手を出さない難しそうなことはやってもらう、それが当たり前の生活の中で、できるように工夫すること努力することなど学べるはずはない。社会に出ようとする障がい者にとって一番の足枷が家庭環境である。かわいそうに、つらいだろうにと、大事に大事にかしずかれ、結局、自立できない人の助けなしでは生きられない人間になってしまう。仕事で甘やかすことが差別になる。
 絶対できないことは理解しているが、工夫や努力をしない人、我慢がない人はいらない。どんどん配置転換をして、出来ること、やりたいことを捜してもらう。ノーマライゼーションの実現・・・遠く長い道のりを、挑戦し、体験を拾い上げて積み上げて行くことにより、障がい者が社会の一員として認められる。
 「国の年金をもらうばかりではなく、一日も早く税金を納める側になれ!」 


4「『障碍』を持つ教師の働く権利保障をめざして」
    栗川 治
   (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
 新潟県教育委員会の障碍者雇用率は1.09%で、全国で2番目に低い。日本全体でも2.0%の法定雇用率に達しているのは京都府と大阪府のみで、教育現場の立ち遅れが著しい。
 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会で全国の当該教師を支援する中で実感するのは、個々の障碍に応じた働き方を可能にする条件が整っていない事である。必要な人的、物的、心的支援があれば、障碍を持つ者は働けるし、素晴らしい教育実践の蓄積もある。しかし、多くの場合、支援や配慮がない中で、退職を迫られたり、本人が無理を重ねてつぶれたり、同僚
や児童生徒に負担が転嫁されたりして、障碍を持って働き続ける事が困難な状況に追い込まれていく。
 個々の創意工夫や職場の支えも重要であるが、それらを保障するための「合理的配慮」が具体的に実行される事が、障碍者雇用を進め、障碍者差別を無くしていく上で決定的な要因となっていると言える。

◎和歌山県海南市から参加された山本浩さん、山形市から参加された武田健一さんからコメントがありました。


5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
    渡辺 利喜男、 仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)
 中学部および高等部普通科では筑波技術大学や筑波大学附属視覚特別支援学校への進学が増加。最近は一般企業への就職も見られる。理療科では、開業をする者や治療院就職が減少し、一方ではスーパー銭湯などの健康産業にマッサージ師として就職する者が増加している。

◎信楽園病院の山田幸男先生から、盲学校には適材適所にコーディネートするような方はいらっしゃるのかという質問がありました。


【パネルディスカッション】
『皆で考える「視覚障がい者の就労」』
  仲泊 聡    (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
  篠島 永一  (NPO法人タートル事務局長)
  小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  栗川 治    (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
  渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
  就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
        薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
        轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
        小川 良栄 (長岡市自営業)

 まずはじめに就労体験者から発言がありました。薬師寺さんからは視覚障害者が働く上での環境整備の重要さ、亀山さんからはコミュニケーションの大切さ、轡田さんからはできる範囲内で障害の状態を理解して頂くことの大切さが語られました。
 小川良栄さん(長岡市)は、”ふつう”ではないけれども市民がイメージする視覚障害者でもないどっちつかずな存在といえる軽度視覚障害者が抱える問題について訴えました。障害の重い、軽いとは定量だけでなく定性で考えることも重要で、重い障害はリンゴが10個、軽い障害はリンゴが5個ではなく、バナナが1本という捉え方をしてほしい。そして、リンゴとバナナでは食べ方が違うように、支援のためのアプローチも違ったものになることを理解していただくことが、就業問題を考える第一歩ではないか、、、、、。
 小野眞史先生(日本医大)のから、視覚障害があるからこそ向いている職種がある、それはコーティングで実際に推進している「アリスプロジェクト」を紹介してくれました。
 小島紀代子さん(新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会)から、視覚障害者が高齢者や肢体不自由者にパソコンを指導している実例を挙げ、障害を持つ人は、今の時代に一番欠けている「相手の立場に立つことのできる人」と紹介がありました。この時、小野塚さんから、「企業の立場からすると、そのことがどう会社に役立つのかを知りたい」とのコメントがありました。
 高橋茂さん(西新潟中央病院リハビリ;言語聴覚士)は、障害の種類による異なる支援と能力開発の必要性を訴えました。
 岩田文乃先生(順天堂大学)は、視覚障がい者の就職や能力開発を考えた場合、視覚障がいがあると何にも出来なくなるという負のイメージ(特に親の)に問題があるとの指摘しました。
 麻野井千尋さん(NAT)は富山県の活動について、八子恵子先生(前福島県立医大)は福島県の活動についてから報告してくださいました。
 仲泊聡先生(国立身体障害者リハビリ病院 眼科部長)は、復職という問題について産業医はどうかかわっているのか、鍼灸マッサージの環境整備について発言があり、最後に「視覚障害者は空気を読むのが苦手、脱KYが不可欠。そして笑顔を忘れないことが就労に繋がる」と語り、会場から喝采を浴びました。

 視覚障がい者の就労について語る場合、1)障がい者は就労に足る能力(企業が望む能力)を身につけること、2)企業は障害の有無にとらわれずに能力を見出す採用をすること、3)企業が望む能力を身に付けるために、盲学校は何をしなければならないのか、医療者は何が出来るのか、親は何をすべきか、4)能力(資格)を身に付けられない障がい者は如何したらいいのか?、5)働けるのに働かない障がい者がいることはもっと大きな問題では、、、、 課題はまだまだてんこもりです。 
 「就労」(と「結婚」)は、障がいがあるという事実と真正面から向き合うことを余儀なくされます。建前でない真剣な討議が交わされ、充実した研究会となりました。参加の皆様の熱意に感謝致します。
 

【略歴】
 仲泊 聡 
  昭和53年3月 学習院高等科卒業
  昭和58年3月 学習院大学文学部心理学科卒業
  平成元年3月 東京慈恵会医科大学医学部卒業
  平成7年7月 神奈川リハビリテーション病院眼科
  平成15年8月 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師
  平成16年1月 Stanford大学留学
  平成19年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
  平成20年2月 国立身体障害者リハビリテーションセン ター病院
                          第三機能回復訓練部部長

 小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  平成2年4月 小野塚印刷株式会社 入社
                     製造部オフセット印刷オペレーター
                    その後、経営企画室長、製造部次長、工務部次長を歴任 
   平成10年3月 株式会社ウエマツへ印刷技術習得の為、転社
   平成12年3月 小野塚印刷株式会社へ戻る 
          営業部長、制作部長、総務部長、取締役統括本部長を歴任
   平成17年  全国重度障害者雇用事業所協会
               関東甲信越ブロック新潟支部長に就任
   平成20年6月 小野塚印刷株式会社 専務取締役に就任

 篠島 永一  (NPO法人タートル事務局長)
   東京都青梅市在住
  学  歴
   1961年3月 慶應義塾大学工学部計測工学科 卒業
   1967年3月 高校数学教師資格取得
    1968年3月 社会事業学校専修科 卒業
   2001年3月 社会福祉施設長資格認定講習課程修了 
          施設長資格取得
  職  歴
   1961年4月 三井石油化学工業株式会社入社
   1965年3月 視力低下により退社
   1967年4月 クスダ事務機株式会社入社
   1977年12月 退社
   1978年1月 社会福祉法人日本盲人職能開発センターに入職
   2007年3月 定年(70歳)により同センター退職
   2007年12月 特定非営利活動法人タートルの理事就任

  栗川 治  (新潟県立新潟西高校教諭)
   1959年 新潟市生まれ
   1982年 早稲田大学第一文学部哲学専攻卒業
   1984年 新潟県立柏崎高校小国分校に新採用社会科教員として赴任
   1987年 視覚障碍の重度化(網膜色素変性症)
   1988年 県立新潟盲学校に転勤
   1992年~96年 全国視覚障害教師の会事務局長
   1993年 県立西川竹園高校に転勤
   1996年~ 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長
      2006年 県立新潟西高校に転勤
   
  渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
    あはき師、理学療法士 筑波大理療科教員養成課程卒業、
    神奈川県総合リハビリテーションセンター勤務後、
    昭和51年より新潟盲学校に赴任、現在に至る。
  仁木知子 (新潟県立新潟盲学校)
    平成16年新潟盲学校に赴任、体育担当、進路指導部

2008年7月27日

報告 第149回(08‐7月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  『新潟盲学校弁論大会 イン 済生会』
   日時:平成20年7月4日(金)17:00 ~ 18:30 
   場所:済生会新潟第二病院 10階会議室A  

1)「共に生きる社会に向けて」
     石黒知頼(いしぐろ ともより)新潟盲学校中学部3年 
 【弁論抄録】
 視覚に障がいを抱えていても、他の人と同じことを同じようにできると嬉しい。今回特に、職業の選択、副音声、ATMについて考えたい。
 現在、大学も点字で受験できるようになったが、就職については現実的には厳しいようだ。視覚障がい者が就職できるとする職種は、鍼・灸・あんまということになるが、最近は音声パソコン等の普及により視覚に障がいを抱えていてもいろいろと活躍できる場が増えていることは心強い。しかし新潟で就職レベルまでパソコンを会得することは厳しい。大阪や筑波まで行かなくてはならない。
 テレビやドラマでの副音声解説があるとありがたい。見えなくてもテレビや映画を楽しみたい。周りの人が笑っていても笑えない。副音声があれば、どういう状況なのかがよくわかり、嬉しい。時には周りの人が状況を説明してくれるのだが・・・。 最近のATMは、タッチパネルなので僕達には使えない。全てのATMで音声案内が備わって欲しい。
 自分の力で何でもできるようになりたい。自立したい。職業の選択・副音声・ATMを糸口に訴えていきたい。 

 【弁士自己紹介】
 僕は野球部に所属しています。7月1日から3日まで新潟を会場にして北信越盲学校野球大会が開催されます。僕はレフトを守っています。音を頼りにボールをキャッチするのでとても難しいですが、うまくキャッチできたときはとても嬉しいです。学校では生徒会長をしています。ことしはいよいよ3年生で受験も控えているので、勉強も頑張りたいです。 

 【先生からの補足】
 知頼君は昨年度「関東甲信越地区盲学校弁論大会」に学校代表として出場しました。昨年も「暮らしやすい社会」の実現に向けて自分の感じていること、考えていることを発表しました。済生会の勉強会での発表は昨年に続き、2回目になります。とても張り切っています。昨年とは一味違う知頼君の発表にご期待ください。
 

2)「家族の絆」
     近山朱里(ちかやま あかり)新潟盲学校中学部3年 
 【弁論抄録】
 部活(卓球)のために一年間寄宿舎で暮らした。寄宿舎では身の回りのことはすべて自分でやらなければならない。掃除・洗濯物をたたむ、、大変だ。今まではこんな大変なことを全部やってもらっていたんだ。
 些細なことで家族とけんかをしてしまうが、翌日は「おはよう」と言って終わり。3世代同居をしている(母方の)祖母が入院した。「おばあちゃん、お願いだから早く良くなって」と祈った。
 寄宿舎で生活するようになってからいろいろと家族に支えられていたことを実感することができた。自分を陰で支えてくれていたこと、家族が健康でいることのありがたさ、強いつながり。
 家族と絆を実感し、家族に感謝している。 

 【弁士自己紹介】
 わたしは卓球部に所属しています。秋には石川県で北信越盲学校卓球大会が行われます。今年は選手として参加できるように練習を頑張っています。最初はなかなか難しかったですが、だんだんとボールを打ち返せるようになり、今はとても練習が楽しいです。学校での得意教科は英語です。理由はいろいろな単語や表現の方法を覚えることが楽しいからです。趣味は音楽鑑賞で特に最近のJ-POPをよく聴いています。 

 【先生からの補足】
 朱里さんは今年度新潟で開催された「関東甲信越地区盲学校弁論大会」に出場しました。昨年は「わたしの主張 新潟市地区大会」で最優秀賞を受賞し、県大会に進みました。大勢の前で発表することを何度も経験してきました。とても明るく、いつもにこにこしている朱里さんです。
 

3)新潟盲学校の紹介(ビデオ使用)  田中宏幸(新潟県立新潟盲学校:教諭)
   http://www.niigatamou.nein.ed.jp/
 当校は、昨年度創立百周年という大きな節目を迎えました。これまで当校が歩んできた歴史と伝統を振り返り、これからの特別支援教育の動向を踏まえ、新たな一歩を踏み出してまいります。
 また、当校は県内唯一の視覚障害教育専門機関として、その使命や役割を自覚し、特別支援教育推進に努めています。幼児児童生徒個々のニーズに応じた適切な教育支援を推進し、自立や社会参加につながる力の育成を目指し、県民の期待に応えます。
  (小西明校長あいさつ;HPより)

 

【後 記】
 毎年7月に、盲学校の生徒を招いて院内で弁論大会(盲学校弁論大会 イン 済生会)を行うようになって、8年目になりました。今年も2名の弁士を迎えて開催しました。
 限られた短い弁論時間で、これまでの挫折や苦労、そして小さな一歩の勇気から外に出て周りの人の温かさを知り、人のために何かしたいと感じ生きていく。そんな人間の強さ、無限の可能性に毎年感銘を受ける弁論大会です。毎回、生徒の明るさと、元気、純粋さに圧倒されています。
 

@全国盲学校弁論大会
 1928(昭和3)年、点字大阪毎日(当時)創刊5周年を記念して「全国盲学生雄弁大会」の名称で開催された。大会は戦争末期から一時中断。47(同22)年に復活。75(同50)年の第44回からは名称を「全国盲学校弁論大会」に変更。
 大会の参加資格は盲学校に在籍する中学部以上の生徒。高等部には、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資格取得を目指す科があり、再起をかけて入学した中高年の中途視覚障害者も多く、幅広い年代の生徒が同じ土俵で競うのも特徴。
 社会に発信する機会の少ない視覚障害者が、自らの考えを確かなものにし、その思いを社会に届ける場として伝統を刻んできた。出場者からは視覚障害者の間で活躍するリーダーが育っている。 

 新潟盲学校は地区予選を「関東甲信越地区」の枠で行う。
 第77回全国盲学校弁論大会関東甲信越地区大会(同地区盲学校長会主催、毎日新聞社点字毎日部など後援)が6月13日、新潟市内で行われた。7都県9校から盲学校の生徒11人が参加。出場者は7分の持ち時間で、障害を抱える中で体験したエピソードを熱く語った。
 審査の結果、東京都立八王子盲学校専攻科2年、北村浩太郎さん(36)が1位となり、県立新潟盲学校専攻科1年の佐藤成美さん(18)が2位に選ばれた。北村さんと佐藤さんは、10月に福島県で開かれる全国大会に出場する。 

@@新聞の投書欄から ~新潟日報「窓」 2008年6月26日朝刊
 元気もらった盲学校弁論大会
  新潟市 熊木克治(67) 新潟大学名誉教授
 先週、全国盲学校弁論大会の地区予選を聞く機会があった。
 盲学校理療科で解剖学を教えているが、目が不自由な人と聞くだけで、何となく腰が引けたり、遠慮していたりする自分に気付き、その未熟さを嘆いている。 さわやかな語り口から、勇気と元気をもらったのは、実は私のほうだった。
 障害を個人のマイナスとしてだけ捉えるのでなく、社会での広い相互理解の意識が大切と思う。いわゆる晴眼者といわれる私たちの方こそが、無知で認識不足であった。まさに「目からうろこが落ちる」貴重な体験であった。