『iPS細胞がもたらす網膜・視神経の再生医療とロービジョンケア』
栗本康夫(神戸市立医療センター中央市民病院、先端医療センター)
シンポジウム「サブスペシャリティーからのロービジョンケアの展望」
2013年10月12日 第14回日本ロービジョン学会学術総会(倉敷)
【講演要旨】
およそ百年ほど前、神経科学界の巨人であるカハールが「哺乳類の中枢神経系においては、いったん発達が終われば軸索や樹状突起の成長と再生の泉は枯れてしまって元に戻らない。成熟した脳では神経の経路は固定されていて変更不能である。あらゆるものは死ぬことはあっても再生することはない。」と記載して以来、成熟した哺乳類の中枢神経はひとたび細胞死や軸索の切断をきたすと再生することはないとドグマの如くに信じられてきた。眼科領域においても、中枢神経系に属する網膜および視神経は疾病や外傷などにより神経細胞がひとたび変性に陥れば再生することはないと信じられ、再生医療は夢の話であった。しかし、近年の神経科学および幹細胞研究の長足の進歩により、中枢神経の再生医療が現実のものになろうとしている。
幹細胞を利用した中枢神経再生医療には、1)内在性幹細胞の賦活、2)幹細胞あるいは前駆細胞の患部への移植、3)幹細胞から誘導した体細胞の患部移植の三つのストラテジーが考えられるが、現時点で臨床応用に最も好ましいのは、3)幹細胞から誘導した体細胞の移植である。このストラテジーにおいては、近年の人工多能性幹(iPS)細胞の発見・樹立により胚性幹(ES)細胞の利用で問題となっていた倫理的問題や免疫学的問題などがクリアされたため、臨床応用への動きに大きく弾みがついている。iPS細胞研究で世界をリードする我が国は、網膜再生医療で世界の先陣を切って臨床応用が進むことが見込まれている。既に我々は、iPS細胞による世界初の臨床治療として、滲出型加齢黄斑変性に対するiPS 細胞由来の網膜色素上皮シートの臨床研究の実施を開始した。
網膜および視神経再生医療の実現は、ロービジョンケアにも大きな変革をもたらす可能性がある。従来、ロービジョンケアとは、著しく障害された視機能が医学生理学的に回復を見込めない患者に対して行われるケアであり、基本的には患者の視機能は良くても現状維持、しばしば低下していくことを念頭におかねばならなかった。ところが、網膜ないし視神経の再生医療を施行された患者では、治療により視機能の改善も期待できる。残された視機能をいかに活用して生活機能を向上させるかがロービジョンケアであったのが、残された生理的視機能そのものが向上していく可能性があるわけである。これはロービジョンケアのパラダイムチェンジと言えるかもしれないし、新たな視能訓練分野の創成に繫がるのかもしれない。
iPS 細胞臨床応用の当初プロジェクトである網膜色素上皮の移植治療では、傷害された視細胞など網膜の神経細胞そのものを再生するわけではないので、治療開始時点に較べての大幅な視機能の回復は期待できない。したがって、この治療法においてロービジョンケアの果たす役割は、加齢黄斑変性において病状が安定した患者に施行されてきた従来のケアと大きく変わりはないであろう。しかし、その次の治療として期待されているiPS 細胞を用いた視細胞移植治療においては事情が異なる。視機能の改善を得るためには、移植された視細胞がホスト網膜と有機的な神経回路網を構築することが必須であり、そのためには移植細胞とホスト細胞に双方向的な神経突起・樹状突起やシナプスの形成や伸長、あるいはシナプスの伝達効率の強化などの可塑的変化が必要となる。こうした変化を誘導し生理的視機能の獲得および向上を得るためには、視能訓練的なトレーニングが必要であろう。実際にどのようなトレーニングが必要となるのかは今後の検討課題であるが、網膜・視神経再生治療が実現すれば、ロービジョンケアは新たな役割を担うことが期待される。
【略 歴】
1986年 京都大学医学部卒業、同眼科学教室入局
1988年 京都大学大学院医学研究科
1992年 国立京都病院眼科医師
1993年 神戸市立中央市民病院眼科副医長
1997年 信州大学医学部眼科講師
2000年 ハーバード大学博士研究員
2002年 信州大学医学部眼科助教授
2003年 神戸市立中央市民病院眼科部長代行、
先端医療センター視覚機能再生研究チームディレクター (兼任)
2006年 神戸市立医療センター中央市民病院眼科部長、
京都大学臨床教授(兼任)
2008年 先端医療センター病院眼科客員部長(兼任)
2011年 先端医療センター病院眼科統括部長(兼任)
2013年 神戸大学臨床教授(兼任)
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第14回日本ロービジョン学会学術総会
シンポジウム2「サブスペシャリティーからのロービジョンケアの展望」
日時:2013年10月12日(土)16:20~17:50
会場:第1会場(倉敷市芸文館 メインホール)
オーガナイザー:安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
佐藤 美保(浜松医科大学)
演者:門之園 一明(横浜市大医療センター)
佐藤 美保(浜松医科大学)
若倉 雅登(井上眼科)
根岸 一乃(慶応義塾大学)
栗本 康夫(神戸市立医療センター中央市民病院)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
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