報告:「学問のすすめ」第6回講演会 済生会新潟第二病院眼科
2012年3月22日

「学問のすすめ」第6回講演会 済生会新潟第二病院眼科
1)私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事
   大森 安恵(海老名総合病院 糖尿病センター長)
        (東京女子医科大学名誉教授 内科)
2)糖尿病網膜症と全身状態
  -たとえば、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?
   廣瀬 晶(東京女子医大糖尿病センター 眼科) 

  日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 リサーチマインドを持つ臨床医が、新しい医療を創造することができます。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、平成22年2月から「学問のすすめ」講演会を開催しています。
 今回は、元東京女子医大糖尿病センター長で現在も世界各国で活躍中の大森安恵先生(東京女子医大名誉教授;内科)と、糖尿病の全身管理と網膜症について精力的に仕事をしている眼科若手ホープの廣瀬晶先生(東京女子医大糖尿病センター眼科)に講師をお願い致しました。

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私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事
  大森 安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
        (東京女子医科大学名誉教授 内科)
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【講演要約】
 「学問のすすめ」といえば誰しも福沢諭吉を思い浮かべ、「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり」という名文を想起するものである。しかし、私はよりじかに私の心に沁みているものとして、鹿児島県・蒲生八幡神社に掲げてあった福沢諭吉心訓が好きである。
 一、世の中で一番ただしく立派なことは、一生を貫く仕事を持つ事
 一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事
 一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事
 一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事
 一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕し決して恩に着せない事
 一、世の中で一番美しい事は、全てのものに愛情を持つ事
 一、 世の中で一番悲しい事は、嘘をつく事
  である。 

 さらに諭吉より62年先に生まれた江戸時代の儒学者、佐藤一斎の「学は一生の大事」と題する「小にして学べば 則ち壮にして為すことあり、壮にして学べば 則ち老いて衰えず、老いて学べば 則ち死して朽ちず」というこの小文が、学問の大切さを最も力説している名言ではないかと思い敬愛している。

 学問を愛し、人類に貢献した人は、洋の東西を問わず、歴史上枚挙にいとまがない。解剖学者ヴェサリウス,彫刻家ミケランジェロ,野口英世,藤波鑑などなど。その中でも学者として私の好きな人物は、全身麻酔による乳がんの手術に成功した華岡青洲、東京慈恵会医科大学創始者高木兼寛、植物分類学者の牧野富太郎、産婦人科医の荻野久作、精神科医で著述家の神谷美恵子などである。

 1851年検眼鏡を発明したヘルムホルツに至っては、医学生の頃から驚愕の大学者であった。どうゆう動機で体の外から内面を覗き見る方法を発見したのか、この医学生の疑問は昭和20年代、誰からも教えて頂けなかった。今回の講演に際し医史学酒井シヅ教授からヘルムホルツに関する文献を沢山紹介され、50年以上疑問に思っていた事が氷解出来た。これぞ学問であると楽しんだ次第である。

 学問で名をなしたこのような人々の事を考えると私の出る幕ではないと思はれて仕方がないが、ご指名頂き大変光栄に存じている。一つの事柄を確立した人は,一つの病気を発見したに等しいと、恩師平田幸正教授に励まされてきた事に勇気づけられてお話させて頂いた。

 1960年代まで、わが国は糖尿病患者が少なく,若年発症糖尿病も稀であったせいか糖尿病があると危険だから妊娠してはいけないという不文律があった。したがって,糖尿病があって折角妊娠しても人工流産をさせられるか,死産に終わる事が一般的であった。しかし、よく勉強してみると,欧米では糖尿病と妊娠の歴史は、1921年インスリンの発見を契機に始まっており、自分自身の悲しい死産の経験が動機になって、女性の苦しみは女性によって解決すべきであると考え、私の小さな道一筋の第一歩が始まったわけである。

 糖尿病があっても血糖コントロールが良ければ妊娠は出来るという情報を発信すると、東京女子医大病院へ挙児希望の患者さんが全国から来院され、年を経る毎に階段的に急増した。昭和39年女子医大の糖尿病妊婦出産の第一例は、日本における「リリーインスリン50年賞」受賞者の第一例でもある。

 糖尿病学を教わった恩師は中山光重、小坂樹徳、平田幸正教授他、多数いらっしゃるが、「糖尿病と妊娠」の分野を教わる先生は日本におらず子供らをおいて辛い留学をしたのは、この道を開拓し、先進国に並ばねばならない使命感があったからである。

 「糖尿病と妊娠に関する研究会」を立ち上げ、「わが国における糖尿病妊婦分娩例の実態調査」を開始し、糖尿病妊婦治療の第一義は血糖正常化である事を叫び続けてきた。その結果、日本の周産期死亡率は1971年代10.8%であったが20年後には2.2%に減少した。しかし児の奇形率は依然として5?7%から改善していない。それは,糖尿病における奇形は妊娠7週までに形成され、主因はfuel mediated teratogenesisと呼ばれる高血糖であるのに、妊娠してからコントロールを良くしようとする医療が行われているからである。妊娠前からコントロールを良くする計画妊娠が未だ普及していないことを物語るものである。糖尿病妊婦の出産を正常者と変わりなく遂行する努力の傍ら、胎盤インスリンレセプターとインスリンの結合,臍帯血のCPR, IGF-1その他多くの臨床研究をCo-workerとともに行った。

 糖尿病妊婦の臨床研究で最も大切なものは眼科とのチームワークであった。Urretzs-Zavalia著「Diabetic Retinopathy」という単行本の中に、「Diabetic Retinopathy and Pregnancy 」と題する一章があって読みたいが身近にその本が無い。昭和52年この本を持っているのは福田雅俊先生だけであることを知り、目白台の東大分院までお借りに伺った事がある。“学究の徒を同志に得て、僕はとても幸せだ”と言ってお貸し下さったときの嬉しそうなお顔は今でもはっきり覚えている。これをきっかけに眼科医との協同研究はさらに深まった。

 妊娠による糖尿病網膜症の変化、妊娠中の光凝固率、妊娠中光凝固を実施した32例のうち20年以上追跡し得た6症例の単純網膜症化、などなど、光凝固治療法の素晴らしさにこころから敬意を表している。

 医学の日進月歩は凄まじい。私は野口英世の「待て己、咲かで散りなば、何が梅」を座右の銘に,女性医師としての使命感を常に持ってきた。サムエル・ウルマンは「青春とは人生のある期間ではなく,こころの持ち方を言う。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時初めて老いる」と言ったが、老年の現在、理想を失わない努力をしている。

 福沢諭吉が、「世の中で一番正しく立派な事は、一生を貫く仕事を持つ事である」と述べている事を冒頭で紹介したが、まだやらねばならない糖尿病と妊娠の問題を一杯抱えているので死んでなんかいられないと思っている。講演の機会を与えて下さった安藤先生、ご清聴下さった皆様に深く感謝致します。

【略暦】
 1956年 東京女子医科大学卒業 インターン研修
 1957年 東京女子医科大学第2内科に入局
     直ちに糖尿病の臨床と研究を開始
 1960年 死産が動機で糖尿病と妊娠の分野を確立
     小坂樹徳、平田幸正教授に師事。医局長、講師、助教授
 1981年4月 同大学糖尿病センター教授
       この間スイス、カナダに留学
 1985年 「糖尿病と妊娠に関する研究会」の設立に関わり代表世話人
 1991年 東京女子医科大学第2内科主任教授 兼 糖尿病センター長

 1997年3月 東京女子医科大学定年退職、名誉教授
    4月 東京女子医科大学特定関連病院 済生会栗橋病院副院長
 1997年5月 女性で初めて第40回日本糖尿病学会会長
 2001年 「糖尿病と妊娠に関する研究会」 学会に変革し理事長
 2002年 海老名総合病院糖尿病センター長
         現在にいたる
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 2005年 「日本糖尿病・妊娠学会」名誉理事長
 2008年 米国Sansum科学賞 日本に糖尿病と妊娠の分野確立の理由
 2010年 Distinguished Ambassador Award受賞 
     ヨーロッパ糖尿病学会Diabetes Pregnancy Study Groupより

 

 

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糖尿病網膜症と全身状態
―たとえば、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?
  廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科)
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【講演要約】
 目の前に座った糖尿病患者さんに、その方の今後の血糖コントロールと糖尿病網膜症の予後との関係をわかりやすくお示しできれば、治療のモチベーションが上がり、網膜症だけでなく他の糖尿病合併症の予防にも役に立つのでは?というのが、この研究を始めたそもそもの動機です。 

 HbA1cは、1回の採血で直近1~2ヵ月間の平均血糖を反映する指標であるため、血糖コントロールの良・不良を評価する上で大変便利かつ重要で、日常の臨床の場で広く使われています。しかし、HbA1cの値が高いのに網膜症が全くなかったり、逆に値が低いのに網膜症が進行している糖尿病の患者さんに接して戸惑った経験は、皆さん多かれ少なかれお持ちなのではないかと思います。糖尿病網膜症は、血糖コントロールが不良で糖尿病罹病期間が長いほど起こりやすいことが知られていますが、実は、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?という素朴な疑問については、まだよく研究されていないようなので、調べてみることにしました。 

 ところが、実際に血糖(HbA1c)の網膜症に対する影響をできるだけ純粋に正確に見ようとすると、実に様々なことが問題になってくることがわかってきました。そこで、理想的な症例群のモデルについて以下のように考えてみました。 

 まず、糖尿病網膜症は糖尿病による全身状態の複合的な異常の総和によって起こる疾患であるため、血糖以外の全身的影響因子である血圧・脂質の関与をなるべく少なくする必要があります。これらは、一般に年齢とともに網膜症を悪化させる方向に向かうため、観察対象の糖尿病患者を若年者に限れば、ある程度影響を減らすことができると思われます。 

 また、過去の血糖がその後の網膜症に長く関与するメタボリックメモリーという厄介な現象があり、その影響を取り除くには、結局、そもそもの糖尿病発症の時期を特定し、以後の糖尿病罹病全経過中のHbA1cを把握するしかないと考えました。このためには、発症時期の特定が困難な2型糖尿病より1型糖尿病が適しており、また1型糖尿病の中でもゆっくり進行するタイプは除外し、特に発症時期がはっきりしている症例だけを選ぶ必要があります。

 さらに、HbA1cの値は測定の方法・機種・年代により実はかなり誤差が大きく較正が必要なこと、網膜症もいろいろな検査法で判定が変わってくることを考えると、ほぼ同一の時期に観察をはじめて、同じ期間・施設で継続して検査したHbA1c値と網膜症の判定結果を用いるのが望ましいことになります。しかも糖尿病網膜症の進行は遅いため、血糖コントロールの違いによる差を見るためにはかなり長期の観察期間が必要になってきます。 

 これら全ての条件を満たすため、1988年~1990年の3年間(比較的同一時期)に東京女子医科大学・糖尿病センターを初診した(同一施設)糖尿病患者約9000人の中から症例を厳選しました。すると、30歳未満(若年者)での糖尿病発症(はっきり月単位で特定できるもののみ)後12カ月以内(20年の観察期間に比するとほぼ発症直後)に初診した若年発症1型糖尿病で、以後継続して同センターでHbA1c測定と眼底検査を行い(他施設でのHbA1c値・網膜症評価は使用せず、かつHbA1cが2年度以上測定できなかった症例は除外)、20年目(長期の観察期間後)に網膜症の評価ができた症例が15例残りました。男性6例女性9例、糖尿病発症時年齢は20±8 (平均±SD)(5~28)歳、糖尿病発症~初診までは3±3 (平均±SD)(0~11)ヶ月で、糖尿病発症後20年度に網膜症有は5例(33%)でした。 

 これらの症例では、20年目での網膜症の有無は20年間の通算平均HbA1c値が8%弱程度(JDS値)で分かれていました。症例数が少ないのでまだ確かな事とは言えませんが、かなり厳密に症例を選んだ結果ではありますので、どの位のHbA1cが何年位続けば網膜症は発症するのか?という疑問に対しての、現時点での答えであるようにも思われます。 

 また、20年目で網膜症有の群の毎年の年間平均HbA1c値の推移は興味深く、20年間を通じて一律に高いというばかりではなく、糖尿病発症後前半の約10年間は網膜症無の群にくらべて有意に高値なのに対し、後半の10年間ではその有意差がなくなっていました。目の前に座った患者さんの現在の網膜症の状態が最近のHbA1cと乖離していても、それは、その方の網膜症が糖尿病発症以来長期に渡る通算HbA1cの結果であるから(昔の血糖が効いているから)なのかも知れないわけです。

 また、HbA1c値を用いた網膜症発症予測指数が有用である可能性があり、逆に網膜症からの指数の推定や、将来は血糖だけでなく種々の全身的因子と糖尿病合併症全般との関係の包括的な解析ができればなあ、と考えております。  

【略歴】
 1986年 東京医科歯科大学医学部卒業・同眼科研修医
 1990年 出田眼科病院
 1996年 東京医科歯科大学眼科助手
 1996年 (東邦大学佐倉病院眼科国内留学)
 1999年 (Johns Hopkins大学research fellow)
 2003年 帝京大学眼科助手
 2005年 東京大学眼科助手
 2008年 東京女子医科大学東医療センター眼科講師
 2009年 東京女子医科大学糖尿病センター眼科講師