報告 『新潟ロービジョン研究会2010』 2)シンポジウム 
2010年7月8日

『新潟ロービジョン研究会2010』 2)シンポジウム 
シンポジウム 『見えない』を『見える』に
 シンポジスト:
  稲垣 吉彦 (有限会社アットイーズ 取締役社長)
    「見えないってどんなこと?」
  永井 和子 (視覚障害生活訓練等指導員;長崎障害者支援センター)
    「見えなくてもできる」
  田中 宏幸 (教諭;新潟県立新潟盲学校)
    「見える喜び・できる喜び~教育の立場から~」   
  柳澤 美衣子 (視能訓練士;東京大学医学部付属病院眼科)
    「視野評価とロービジョンケア」
  仲泊 聡 (眼科医;国立障害者リハビリセンター病院第二診療部長)
    「とっても眩しいんです」


 
司会:加藤 聡 (東京大学眼科)
    張替 涼子(新潟大学眼科)
    安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 コメンテーター:
    山本 修一(千葉大学大学院医学研究院眼科学教授)
    林 豊彦 (新潟大学工学部福祉人間工学科・教授)
    小田 浩一 (東京女子大学人間科学科教授)

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1.「見えないってどんなこと?」
   稲垣 吉彦
     有限会社アットイーズ 取締役社長

 私が以前のように見えるようにはならない現実を知ってから今年でちょうど15年が過ぎました。この間、仕事を失い、家庭を失い、再度大学生活を経験し、再婚、再就職、独立起業と周りの環境はめまぐるしく変化しました。そして現在はパソコンをはじめとする視覚障害補償機器の販売とサポートを業務とする会社を経営する傍ら、医療機関や福祉施設からのご紹介を受け、ボランティアでいわゆるピアカウンセリングを行っています。
 今回はその事例を2つほど挙げ、見えないってどんなことなのかを考えてみたいと思います。

(事例1) 30代前半女性(ぶどう膜炎患者)
 4年ほど前拙著「見えなくなってはじめに読む本」を読んだという、50代中盤のお母様から「自分の娘もぶどう膜炎で、完治する見込はないと医者に言われている。娘がかわいそう
なので、これから娘を殺して自分も死ぬ。」という内容の電話を受ける。約3時間の電話カウンセリングを行い、私自身がお世話になっていた眼科医を紹介し、最悪の事態は回避した。毎年この時期になると、近況報告のお手紙をいただき、母娘ともに良好な関係を保ちながら、人生を楽しんでいる様子がうかがえる。

(事例2)
 弊社の業務の一環として、就労継続支援を行う中で、様々な企業の人事担当者、役員など37名に対して「もし今あなたが見えなくなったら何ができると思います」という質問をした結果、28名については「書類を見ることができない。」「通勤自体ができない。」「コピーがとれない。」などできることではなく、できないことをその質問に対する回答とした。

 上記2つの事例に共通することは、見えなくてできないことは想像しやすいが、見えなくてもできることはなかなか思い浮かばず、考えれば考えるほど負のスパイラルに陥るということなのではないかと思います。ではなぜこのようにマイナスのイメージしか思い浮かばないのか?様々な要因が考えられると思いますが、私は見えないことに関する情報不足や知識不足に起因する部分が大きいのではないかと思います。

 見えないことは決して何もできないこととは違います。長い人生のある時期に、たまたま科せられた現実でしかありません。見えていても、見えなくても一度きりの人生です。見えない人生のひとときをただ単に悲観して過ごすのではなく、希望を失わず、自信と誇りを持って、ともに力強く生き抜きましょう。

 略歴 
  1988年 明治大学政治経済学部経済学科卒業、株式会社京葉銀行入行
  1994年 ぶどう膜炎(原田氏病)および続発性緑内障発症
  1996年 視覚障害のため同行退職、筑波技術短期大学情報処理学科入学
  1999年 株式会社ラビット入社
  2006年 有限会社アットイーズ設立
  2009年 視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」ポータルサイトプロジェクト委員
  2010年 筑波技術大学 保健科学部情報システム学科 非常勤講師

 

2.「見えなくても出来る」
   永井 和子
     視覚障害生活訓練等指導員;長崎こども・女性・障害者支援センター

 「見えなくても出来る」ということを、相談に来られた方やそのご家族、その他より多くの方々に理解して頂くことが、私たちの仕事であると日頃から思っております。人生の途中で目が不自由になった方は、日常生活をスムーズにする為に、かなりの努力をされます。しかしご本人の努力だけでは難しいところがあります。周囲の方の理解が必要です。私はご本人に始めてお会いした時、いかに保有感覚を使うかというお話をします。でもただ話しただけではどなたも納得しません。実感して頂くことが一番良いようです。

 入院中の男性です。「何かご不自由はないですか?」と尋ねたら、「みなさん良くしてくれるので何もありません。でも入院してから10個の湯呑みを割りました。湯呑みは買い換えればよいのですが、忙しい看護師さんに申し訳なくて」とおっしゃいました。そこで机上探索方法をお知らせしました。一ヶ月後「あれから一個も湯呑みを割ってません。ありがとうございました」 そして、「玄関まで行きたいのですが・・・」とおっしゃいました。私は心の中で「ヤッター」と叫びました。玄関で目にしたパンジーの花に私は「うわー、きれい」と思わず声が出ました。その方の手を花に誘導すると、その指先はひとひらひとひら花びらを触れていきました。「この花の色は?」「黄色です」「この花は?」「紫です」「思い出しますねー、きれいですねー」と言われました。まさに「見えない」から「見える」への瞬間でした。その後は順調に進みました。

 次は盲ろうの方です。弱視難聴の方です。白杖はまだ必要ないと思っている方で、訓練の時間はお話をして過ごしていました。ある日その方から言われ、屋内の階段から自動ドアがある玄関まで歩きました。数回そのルートを歩いた後のことです。「空気で分かるんですね、外に出たことが」と言われました。そして、「嬉しい、自分で分かったことが嬉しい」と。これもまた「見えない」から「見える」への瞬間でした。この時私は思いました。「歩行訓練士は喋りすぎないこと」自ら感じることの尊さ。この喜びは彼女の大いなる次へのステップになることでしょう。

 また研修会の時は周囲の方の理解を深めて頂くために、紙幣弁別封筒をお渡しし体験して頂きました。「見えなくても出来る」ということを理解して頂けたと思います。

 略歴
  1951年 長崎市に生まれる。
  1971年 長崎県立保育短期大学校卒業
  1984年 長崎県立啓明寮勤務
        厚生省委託歩行指導者養成課程修了
  1998年 厚生省委託リハビリテーション指導者養成課程修了
  2004年 厚生省委託視覚障害生活訓練等指導者養成課程2年生修了
  2007年 長崎こども・女性・障害者支援センター勤務 現在に至る

 

3.「見える喜び・できる喜び~教育の立場から~」   
   田中 宏幸 
     新潟県立新潟盲学校教諭 

 「見る」という働きは視覚を通じてのものだけなのだろうか、視覚以外の感覚に頼る幼児児童生徒は、「見えない=できない」のだろうかという疑問があるとしたら、答えは間違いなく「No」です。新潟盲学校に勤務していて、実際、点字を使用している当校の幼児児童生徒は他の感覚を上手に使って、十分「見て」います。このようなことから、「見る」「見える」というのは「わかる」「できる」ということばに置き換えて考える必要があるのではないか考えています。

 実際、見えづらさから漢字の学習を苦手としていて、漢字学習に消極的な生徒がいました。「自信を持ってほしい」と願い、そのためには成功体験を積むことが必要だろうと考え、漢字検定の受検・合格を目指して、取り組みました。また、教科書の音読についても拡大読書器を継続的に使用して音読練習に取り組んだ結果、最初は1分間に40字程度の速度でしたが、1年間経つ頃には1分間に200字程度読むことができるようになりました。また、将来一人でいろいろなところに出かけ、自立した生活を送りたいという強い希望を持っている生徒にATMの活用・切符購入・身辺整理(掃除機・ほうき・ちりとり)・援助依頼(コンビニ・駅)・単独帰省など、家庭からのご協力をいただきながら意図的・系統的に進めていきました。

 当時を思い返しつつ、現在感じていることとして「いろいろなことに対して最初はうまくできるか不安だったが、回を重ねるごとになれてきた。何とかできるんじゃないかという気がしてきた。ATMの活用は今でも継続しているので自信がある。援助依頼についてはその必要性は十分理解しているが、自分の意志を伝えるのはまだ難しい。」と感想を述べています。

 「見える喜び・できる喜び」のためには、適切な支援(専門機関との連携)、本人の「できるようになりたい」「やってみたい」という意欲、そして保護者とのよりよい連携が必要なのではないかと考えています。

 経歴
  1991年  日本大学文理学部 教育学科 卒業
  1991年~ 県内中学校 勤務 
  2003年  上越教育大学大学院 臨床心理分野 修了
  2003年~ 新潟県立新潟盲学校 勤務

 

4.「視野評価とロービジョンケア」
   柳澤 美衣子 
    東京大学医学部付属病院眼科 視能訓練士

 視野は網膜全体の機能を反映するだけでなく、網膜の情報を脳に伝える視神経および脳の視覚中枢の機能にも関係している。そのため、視野障害の程度はどの部位が、どの程度障害されたかなどによって異なる。

 実際に視野障害といっても求心性視野狭窄、中心暗点、輪状暗点など様々な形、広さがあり、保有視野の位置も異なるので視野障害者における見え方や日常体験する困難な行動は一人一人異なる。視野障害のために、生活に不自由が生じているにもかかわらず、自分の眼は「どのように見えているのか」という「見え方」、「どのようにしたら見えるのか」という「見かた」をしっかりわかっている人は少ないように感じる。

 視野障害者が自分の「見え方」を理解する、つまり自分の視野の状態を正しく、自分の行動の困難の問題と関係づけて考えられるかが重要である。保有視野を効率的に利用するための「見かた」を習得することが今回のテーマである「見えない」を「見える」に変える一歩だと考えた。視野障害者に自分自身の見え方、見かたを理解して頂くためには日常生活空間での実際の見え方を具体的に説明し、実際の見え方を体験して頂き納得してもらう必要がある。そのためには、まず保有視野の活用に重要な「距離と見え方の関係」について理解しておく必要がある。

 今回は代表的な視野障害である求心性視野狭窄、中心暗点の距離と見え方について述べた。視野狭窄の場合、見える範囲の面積だけを考えると距離が遠くなるほど見える範囲は大きくなる。しかし、遠方では見る対象物自体が小さく網膜に投影されることになり、対象物を判断するには、「眼の高い解像度」が要求される。近くになるほど見える範囲が狭くなるので、近くのものは視界からはみだしてわかりにくく、そのため「近くのものにぶつかる」ことが多くなる。また中心暗点の方は、同じ対象物を見ている場合、見る距離が遠くなるほど暗点で隠れる範囲が大きくなるので、遠くにあるものは気づきにくくなる。同じ対象物を見る場合は、近づいて見た方が、対象物に対して暗点で隠れる割合が少なくなる、つまり暗点の影響が小さくなる。さらに中心暗点をもつ視野障害者の「見かた」である偏心視の簡単な評価法と訓練法について述べた。

 視野障害者が自分自身の見え方を理解することは、どこを見れば眼を最大限活用できるのかという「見かた」を習得することにもつながり、さらには自分自身の視野を理解した方は、周囲に自分の見え方を伝えることができるようになり、視野障害を理解してもらえることで、助けてもらえることも自然と増えるのではないかと思われる。

 略歴
  2004年  大阪医療福祉専門学校 視能訓練士学科 昼間部 卒業
  2004年~東京大学医学部付属病院 眼科 勤務 
  2007年  北里大学大学院医療系研究科臨床医科学群眼科学 博士課程入学
  2010年 博士課程修了 医学博士学位取得

 

5.「とっても眩しいんです」
   仲泊 聡 
     国立障害者リハビリテーションセンター病院 第二診療部部長 

 ロービジョンの患者さんには、普通の明るさであるにもかかわらず、とっても眩しがり、あまりに眩しくて目を開けていられないというほどの人もいる。ところが、この「まぶしい」という感覚のメカニズムは未だに解明されていない。そこで、最近出会ったとくに眩しがった患者さん3名の症例報告を行い、羞明のメカニズムについて考察する。

症例1:54歳女性、網膜色素変性症。視力は両眼手動弁。オレンジ系の遮光眼鏡を好む。
 視神経乳頭の色は悪くなく、OCT(光干渉断層像)でも神経線維層の厚みは保たれていた。
症例2:38歳男性、糖尿病網膜症。視力は右0.02(n.c.)、左光覚無し。レーザー治療・硝子体手術後。
 羞明に対し、現在、遮光眼鏡CCP400TR/TS(透過率20%-91%のグラデーション)を試用中。
 この症例の視神経乳頭も視力低下のわりに萎縮が目立っていなかった。
症例3:19歳女性、緑内障。視力は右0.01(0.2)、左0.01(0.02)。遮光眼鏡CCP400FR(22%)を常用。
 緑内障としては視神経乳頭の陥凹はほとんどなく、OCTでの神経線維層厚はむしろ健常者より厚いくらい。この患者は驚いたことにFRだけでなく、550nm以上をカットするブルーフィルタでも羞明が軽減するという。

 眼疾患がもとで視細胞の変性が生じると神経節細胞への入力が減る。この結果、もしかすると神経節細胞に脱神経過敏’※1)が起きているのかもしれない。S錐体や杆体が変性するとBistratified神経節細胞(※2)にそのような変化が生じるかもしれない。仮にそうなら、このメカニズムで生じる羞明には青い色をカットするフィルタが有効かもしれない。症例1では、網膜色素変性症の発生過程から充分その可能性が考えられる。症例2においても、レーザー治療後に羞明が生じているので同様だ。しかし、症例3では、むしろM, L-錐体の最大吸光度に当たる530-570nm付近の光(FRとブルーフィルタの共通部分)を充分に遮光するフィルタが有効で、前二者とは異なるメカニズムの存在が示唆された。症例3は、主症状に不眠や頭痛があり、ipRGC(※3)の障害(または過敏)ではないかと考え、精査中だが、その決定的証拠はまだ得られていない。

 羞明の発生にはおそらく複数の原因といくつかの発生メカニズムが関与していると考えられるが、その実態は全くつかめていない。今回のような強度の羞明をきたした症例の詳細をさらに検討することでその原因、発生メカニズムを突き止めることができるかもしれない。
 発表の最後に平成22年4月から変更になった視覚障害者用補装具としての遮光眼鏡の支給対象者要件について紹介した。

※1 脱神経過敏 ~ 入力がなくなった神経細胞は、時間とともに僅かな入力にも反応するようになるという神経細胞の一般的な特性のこと
※2 Bistratified神経節細胞 ~ S-錐体系の信号を運ぶ神経節細胞のこと。S-錐体と杆体から促進性のM, L-錐体から抑制性の信号を受ける。色の信号を処理する神経細胞としてはその守備範囲(受容野)は大きい。
※3 ipRGC ~ 概日リズムや明所視での縮瞳の持続に関連し、いわゆる「見る」ため以外の視覚情報を伝えていると考えられている、最近発見され注目されている神経節細胞である。S-錐体から抑制性の、M,L-錐体から促進性の信号を受け、自ら485nm付近をピークとする波長帯を感受するメラノプシンと言う視物質を有している。

 略歴
  1983年3月 学習院大学文学部心理学科卒業
  1989年3月 東京慈恵会医科大学医学部卒業
  1995年7月 神奈川リハビリテーション病院眼科
  2004年1月 Stanford大学留学
  2007年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
  2008年2月 国立身体障害者リハビリテーションセン ター病院 第三機能回復訓練部部長
  2010年4月 国立障害者リハビリテーションセンター病院 第二診療部部長

 

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【後記】
 全国21都府県から140名を超える方が参加し、会場は熱気に溢れました。
 地域別にみると、新潟県内から92名(うち新潟市80名)、新潟県外から50名(東京都14名、三重県4名、埼玉県4名、兵庫県3名、福島県3名、山形県3名、高知県2名、長野県2名、栃木県2名、長崎県、大阪府、京都府、岐阜県、愛知県、静岡県、石川県、富山県、千葉県、宮城県、青森県)。
 職種別では、医療関係者(医師・視能訓練士・看護師など):52名、当事者・家族・ボランティア:45名、その他(教育・福祉・医療関係・市民・学生):45名。

 今年のテーマは、「『見えない』を『見える』に」でした。眼の疾病を治療して視機能を改善するのは、眼科の仕事です。しかし、眼科でもはや治療できないと言われた多くの人が、社会で活躍しています。眼科だけではなく多くの分野の方々との関わりにより、視覚に障がいを持つ人が、自立し社会で活動することを可能としているのです。

 「『見えない』を『見える』に」は、字義通りの視機能の面からの意味と、もう一つの意味が含まれていたように思います。それは、フロアから発言された方の「見えなくなったけれど、先の見
通しが立った」という言葉に象徴されていると思います。私達の仕事は、その双方をサポートすることなのだと改めて感じました。

 「『見えない』を『見える』に」するために全国的に活躍している医療関係者と当事者、教育・福祉の方々に集まって頂き、可能性と現在での問題点について語って頂きました。「自分に何が出来るのだろうか」が、問われた研究会だったと思います。
 今回も多くの収穫と、出会いがありました。