報告:第217回(14‐03月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会:「私はなぜ健康ファイルを勧めるのか」
2014年3月18日

報告:第217回(14‐03月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
  演題:「私はなぜ健康ファイルを勧めるのか」
  講師:吉嶺 文俊
    (新潟大学大学院医歯学総合研究科総合地域医療学講座特任准教授)
 日時:平成26年3月12日(水)16:30 ~ 18:00 
 場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 


 

【講演要旨】
 「由らしむべし知らしむべからず」 昭和の良き時代における地域の医者ドンはこういうイメージではなかったでしょうか。「赤ひげ先生」というヒーローは、私が医師になって四半世紀の間に消えつつあります。それは、医療(特に治療医学)の進歩と、それを取り巻く社会と住民の意識の変容に大きく関係しています。日本人が世界最高峰の健康長寿社会を造り上げた背景には、国民皆保険制度、フリーアクセス、自由開業医制そして出来高払いを主体とした診療報酬制度などがありますが、グローバル化の流れで見直しを迫られています。 

 新潟県は高速道路も新幹線も国際空港も、そして国際貿易港もあるのに、県外からの転入率や県外への転出率が低い状況が続いています。住めば都ということですが、保守的で新しい変化を起こしにくい風土ということになるでしょうか。また新潟市は日本海側で初めての政令都市であり高齢化率25%と全国平均レベルですが、その他の県内地域は高齢化先進地となっています。すなわちNiigataの行く末は日本および世界の未来を占うといっても過言ではありません。 

 阿賀町は毎年5月3日に催される「つがわ狐の嫁入り行列」で有名ですが、県内で最も高齢化が進んでおり、そこに唯一存在する県立津川病院で私は11年間過ごさせていただきました。病床数67床で病棟は一つ、常勤医師は内科と外科のみという小規模地域病院ですが、いろいろなご支援により14科の外来診療を開設し、在宅療養支援病院として訪問診療に力を入れています。昔ファクシミリが世に出たころに、国のモデル事業として豪雪へき地と津川病院の電話回線を用いた遠隔診療システムが、現在の阿賀町巡回診療の始まりでした。しかしなんとそれ以前にもその地域を訪れた方がいました。 

 「急病人が出ると村落(ムラ)の人たちが何人も加勢に出て、病人を戸板に載せて二十キロの山道を歩いて街の医院まで運んだ。大雪の頃だと丸一日もかかることがあり、途中の集落の家で休ませてもらいながら、街の病院や医院にようやくの思いでたどり着いた。こうした状況の中では長い間病臥している人や老人の場合には、容態が悪化しても医師の診察を受けることを家族は諦めて、生命を見限ったという。」(命の文化人類学 波平恵美子著 新潮選書) 当時は車も通らない雪深いへき地で冬季中心に始まった診療でしたが、今では高齢者が増えて足が不自由なため通年の巡回診療に変わってきました。 

 高齢者の生活機能に注目してみますと、早期の適切な医療や介護等の介入により、急性増悪の回数を減らし重症化を抑制し、元気で長生きを目指すというような政策が推し進められています。具合がとっても悪くなってから病院に救急車で運ばれるのを待っている後手の医療ではなく、とても悪くなる前に早めに手当てを打つ早期介入の姿勢が重要だと思われます。それは高度専門病院に「集める」医療だけではなく、訪問診療、訪問看護、訪問薬剤指導など在宅へ「出向く」医療のバランスが重要ということになります。 

 20世紀は治療医学が優先された時代でしたが(「病院の世紀の理論」猪飼周平著 有斐閣)、これからはQOL(生活の質)を標的とする生活モデルに基づいた包括ケアの時代に入りました。それは医療や介護がサービス提供の場の中心地から支えるメンバーの一員として並び替えられることになります。「赤ひげ先生」時代の終焉から多職種連携協働によるチーム医療の推進は研修医育成や学生教育においても重要です。 

 超高齢社会における地域医療の経験で気づいたことは、住民と医療者(ケアスタッフも含む)の意識改革でした。保健師さんたちと悩みながら創り出した連携ノートや、成人小児にも応用した健康ファイル は、クリニカルパスなどの医療者側からの視点に相対応する、住民(患者)視点からのツールです。自分の健康や疾病に関する情報を自分で管理するという簡単な作業に、みんなが気付きそして実践していくことが、住民と共に医療提供者側の意識変革をもたらし、ひいては両者の良好な信頼関係構築に繋がるものと期待しています。 

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*健康ファイルとは
阿賀町で思いついた自己情報管理ツールです。
構造は極めて簡単、A4サイズの二つ穴で保存する紙製のファイルであり、廉価でどこでも手に入るため幅広い応用が可能です。自分の健康や疾病に関連する情報をはさみながら自分で管理するという単純な仕組みであり、使い方を裏表紙に貼りながら参考にしてもらっています。
ファスナー付クリアファイルも付属しており、そこに保険証やお薬手帳などを保管することにより災害緊急時等にも応用できます。さらに主治医が診療経過のサマリーを作成提供してもらうとさらに有用となります。ファイル管理者(患者・住民・場合により家族)を中心に情報共有を行い、医療や介護スタッフとの連携が十分確立されていれば、個人情報保護に関する問題は生じません。
みなさんもぜひ今日からお試しください。 

 

【略歴】吉嶺 文俊  (よしみね ふみとし)
 昭和35(1960)年3月28日生まれ。本籍鹿児島県大島郡喜界町。
 神奈川県小田原市生まれ⇒佐賀⇒広島⇒千葉を経て中学から新潟市に転入。
 新潟県立新潟高校、自治医科大学医学部を卒業し新潟大学第二内科に入局。
 県立新発田病院、六日町(現在南魚沼市)立国保城内病院、県立六日町病院、県立妙高病院等を経て、県立津川病院長を10年間務める。 
  2013年より新潟大学 総合地域医療学講座(特任准教授)。
 

 新潟医療福祉大学客員教授。
 自治体病院中小病院委員会委員(北陸信越ブロック)。新潟県病院局参事。
 住友生命社会福祉事業団第6回地域医療貢献奨励賞受賞。 

 専門は内科、呼吸器、アレルギー、リハビリテーション、プライマリ・ケア、地域医療。

 

【後記】
 冒頭に新潟県の様々なデータを示して頂きました。離婚率 全国46位、転入率 46位、転出率 46位、後期高齢者医療費 全国一安い、、、 ぐぐっと興味を増したところで、「新潟から世界を変えよう」とキャッチフレーズを唱え、高齢化先進地の阿賀町での活動を紹介して頂きました。吉嶺先生の手に掛ると、僻地医療が先進医療に変貌してしまいます。

 波平恵美子(お茶の水大学、「いのちの文化人類学」)の引用もあり、テーマは重かったのですが、何故か明るく楽しかったのです。曰く、昭和の「赤ひげ」たちの時代は消えつつある。時代と共に問題は、「克雪から高齢化へ」。病院に患者を集める「集約医療」も大事だが、医療者が「出向く医療」も大事。病歴や紹介状、投薬資料、入院時のクリニカルパス等をまとめた「健康ファイル」が重要となる。この普及には住民ばかりでなく医療者の意識改革が必要。。。。高齢化社会を先取りしている先進地・阿賀町での豊富な体験を伝えて頂きました。 

 迫力ある講演のみならず、寸劇も加えた見事なステージ?でした。拝聴しながら、重い話のはずなのに、何か楽しくお話している様を見て、この明るさが吉嶺先生の魅力と素直に納得しました。不可能を可能にするには。この明るさが大事なんだと、、、
 吉嶺先生のますますのご活躍を祈念致します。
 

 

【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成26年4月9日(水)16:30~18:00
 「視覚障害とゲームとQOLと…」 
   前田 義信 (新潟大学工学部福祉人間工学科) 

 平成26年5月14日(水)16:30~18:00
 「視覚障がい者支援センター「ひかりの森」
    過去・現在・未来 
~ 地域生活支援の拠点として」
   松田和子(視覚障がい者支援センター・ひかりの森 理事長) 

 平成26年 6月11日(水)16:30~18:00
 「生きていてよかった!」
   上林洋子(社福:新潟県視覚障害者福祉協会副理事長 女性部長) 

 平成26年7月
  新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 

 平成26年8月6日(水)16:30~18:00
  演題未定
   竹下義樹(日盲連会長)