報告 第187回(11‐09月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 (関 恒子)
2011年9月14日

 演題:「患者から見たロービジョンケア―私は何故ロービジョンケアを必要としたのか?」
 講師:関 恒子 (長野県松本市)
  日時:平成23年9月14日 (水) 16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要旨】
1) 始めに
 私は両眼に黄斑変性症を持っている。1996年先ず左眼に、その10ヵ月後右眼にも異常を自覚し、近視性血管新生黄斑症と診断された。1997年左眼に強膜短縮黄斑移動術、1999年右眼に全周切開の黄斑移動術を受けている。術後はかなりの視力の改善が見られたが、合併症と再発のために入院手術を繰り返し、現在は網膜萎縮の為に視力が徐々に低下している。治療はないが、今も通院検査を続け、時折ロービジョン(以下LV)ケアを受けている。
 医学的治療からLVケアへの過程、LVケアが私に果たしてきた役割、その中で気付いた点等を自身の経験を紹介しながら述べてみたい。 

2) 医学的治療からLVケアへ
 治療の結果はどうあれ、医学的治療を受けられることだけでも患者には救いとなる。患者は医学に見放されることが何より辛く、私の経験でも視力低下が進行する中、経過観察だけで過ごした1年間が最も辛い時期であった。患者はLVケアやリハビリよりも、先ず医学的治療による回復を強く願うので、LVケアやリハビリに至るまでにはある程度の期間が必要である。
 私が始めてケアを受けたのは、治療が一段落して落ち着いた日常生活を取り戻した頃で、発症してから約4年後だった。手術後視力は改善したものの歪み、暗視野、コントラスト感度の低下、両眼視ができないこと等から不便さを感じ、よく失敗もしていたので、ケアの必要性を自らが感じるようになっていた。 

3) LVケアが私に果たしてきた役割を整理してみる
 1.現在様々な視覚補助具があるが、それらについての情報を与えられたことによって、視力低下が進行しても大丈夫という安心と自信が生まれた。 

 2.視力低下の進行に応じた適切な補助具の選定を助けてもらうことによって、日常生活を維持させることができ、これが他人に甘え過ぎるのを防いでくれた。 

 3.視力が低下すると聞いた時、いろいろな事ができなくなると思い、自分の将来に希望をなくしたものである。できなくなった事は確かにあるが、今まだ殆どの事ができている。活動の幅を狭めないようにし、充実した人生を可能にしてくれたのがLVケアである。 

 4.医学的治療だけを受け、病気と必死で戦っていた頃は、LVケアを受ける程悪くなりたくない、それを受ける時は回復を諦め、将来をも諦める時だと思っていた。だが今は自分の人生を諦めない為にLVケアがある。 

4) どれだけの人がLVケアを知り、活用しているか
 LVという語自体、一般の人だけでなく、眼科の患者にさえ認知度が低い。私の調べた限り英語圏の外国人(医学関係者でない)も誰もこの語を理解しなかった。又地元の病院を訪れた際、電子ルーペを使っていた私の周りに眼科の患者とその家族が集まってきたが、誰も電子ルーペを知らず、その病院にはLV外来が標榜されているにも拘らず、それが何の為の場所か誰も知らなかった。
 LVケアの必要性とその重要性がもっと理解され、多くの人が活用できる場所であって欲しい。     

5) 私が受けてきたLVケアの中で気付いた疑問や問題点
 1.拡大鏡選びの原則に対す疑問
 拡大鏡選びはできるだけ広い視野を確保する為に文字が読み取れるうちの最低の倍率のものがよいとされる。この原則に従って購入した拡大鏡は、私の場合実生活の中では殆ど役に立たなかった。家の中の様々な条件下での使用を考えると余裕のある倍率の方が有用である。長文を読むにも疲れが少ない。私見では原則よりも個々の状態や主に何に使うのかで選ぶほうがよい。 

 2.拡大読書器
 私の知人は給付金で拡大読書器を購入したが、全く使用していないと言っている。使用中気分が悪くなる、又使用してもよく読めないからだそうである。使用法を習熟することによって有用にすることができるのではないだろうか。
 私程度の低視力者(障害未認定)にはかなり有用と思うが、20万円前後で高額である。拡大読書器よりはるかに安価な電子書籍リーダーやiPod等にもっと視覚障害者を意識した機能(拡大倍率をもっと大きくする等)を付加することはできないだろうか。 

 3.製品の個体差
 補助具を購入する際、他の機種との比較はできるが、同機種同士の比較はできない。その為個体差に気付かず、粗悪品を購入してしまう事がある。私自身正規品より劣る機能のものを購入し、知らずに使っていた経験を持つ。又正常使用での故障の多さも気になる。 

6) 終わりに
 視力の低下を告知された時、失明した場合のことやこれから先できなくなる事ばかりを考えたものだが、やがてまだできる事がたくさん残っていることに気付いた。どんな境遇においても、人は自分に残されたものに希望を託して生きるより仕方がないと思う。
 私は今自分に残された視力を最大限に活用し、人生を豊かにしようと努力しているつもりだが、この努力を支えてくれているのがLVケアである。LVケアがもっともっと普及してくれることを願っている。
 

【略 歴】
 名古屋市で生まれ、松本市で育つ。
 富山大学薬学部卒業後、信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。
 1996年左眼に続き右眼にも近視性の血管新生黄斑症を発症。
 2003年『豊かに老いる眼』翻訳。松本市在住。
 趣味は音楽。フルートとマンドリンの演奏を楽しんでいる。
 地元の大学に通ってドイツ文学を勉強。眼は使えるうちにとばかり、読書に励んでいる。

  

【追 記】
 関さんには、これまで2度お話して頂いています。 

 第135回(07‐06月)  済生会新潟第二病院 眼科勉強会
  演題:『「見える」「見えない」ってどんなこと? 黄斑症患者としての11年』
  講師:関 恒子(患者;松本市)
    日時:平成19年6月13日(水)16:30 ~ 18:00 
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来   

 第163回(09‐09月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
  演題:「賢い患者になるために
      -視力障害を伴う病気を告知された時の患者心理、及び医師との関係の中から探る」
  講師:関 恒子(長野県松本市;黄斑変性症患者) 

 これまでの講演もそうですが、今回もまた患者の気持ちが良く判るようにお話して下さいました。以下の言葉が印象に残っています。
 「悪くなるのに、何もしないことが辛い」、「医者に見放されるのが怖い」、「ロービジョンケアもいいが、やはり治ることを期待している」、「ロービジョンケアを受け入れるには、ある程度の期間が必要」、「視力は改善しても、日常生活は不便」、「ロービジョン者(低視力者)は、周囲の人に理解されにくい」 

 勉強会に参加された方から、以下の感想も届いています。
1)関さんのお話は、前向きな気持ちばかりでは無かった事に共感しました。何の病気でもそうですが、医師に「治療法が無い」と言われた時の絶望感たるや、想像するだけでも恐ろしいです。勉強会で話した(自分の)「見え方」を伝えるのは、家族やごく一部の親しい知人だけで、誰にでも言える訳ではありません。家族にも心配をかけまいとして、なかなか言えない方もいる様です。一緒にいる時間が多い人にこそ伝えるべきだと感じます。 

2)病気となってからの絶望、容認、順応という過程の中で、順応という部分でのプラス思考に感銘を覚えました。できないことよりもできることを積極的に探され、フルートやドイツ文学に興味をもたれ、活動していることは大変素晴らしいと感じました。また、視野や視力が悪くなってくることを想定して今できること、これからできなくなりそうなことを考えて行動されていることも大変素晴らしいと思いました。
 多数の補助器を購入され、お試しになられているということをお聞きしましたが、同機種での個体差(バラツキ)が多々あるということに驚きました。手作りが多いためでしょうか?ユーザーに取っては厄介なものであると思いました。 

3)障碍者として認められないで過ごす日々は色々な面で大変だと思います。だからこそ、ご自身が探し出されて切り開かれた人生に素直な敬服感を抱きました。何もしてもらえなかった一年間、治療での苦闘の三年間とご自身がつけられた決断。少しづつ低下する視力の八年間。期間こそ違え私にもあった日々です。 

 関さんがご自身の経験を理詰めでお話して下さるので、私たちにとっても理解することが可能となり、視覚に障がいを持つ方にも共感を得ているようです。
 関さん、今後もお話を聞くことが出来る機会を持ちたいと思います。宜しくお願い致します。