報告:第185回(11‐07月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 盲学校弁論大会
「新潟盲学校弁論大会イン済生会」
日時:平成23年7月20日(水)16:30~18:15
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力により、ネット配信致しました。50数名のアクセスがありました。
1)落語
演目:「転失気」 「二人旅」
演者:たら福亭美豚 (たらふくていヴィトン;新潟盲学校小学部6年)
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自己紹介
僕は、新潟盲学校小学部6年の加藤健太郎です。僕には、もう一つの名前があります。落語で、高座に上がる時の高座名、たら福亭美豚です。小学部2年の時の文化祭で、始めて大勢の人の前で発表してから、デイサービスや自治会で高座をさせてもらっています。昨年には、新潟県内を中心に活躍されている、落語家さんと出会うチャンスをいただき、たまに稽古をつけてもらったり、寄席に上がらせてもらっています。僕の落語を聞いて、たくさん、笑ってください。そうすると、僕も、楽しい気分になります。
2)盲学校弁論大会イン済生会
1.「震災を通して」
丸山 美樹(まるやま みき) 専攻科理療科2年
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3月11日東日本大震災がおきました。その日は卒業式で、私は学校から帰ろうとしていた時でした。突然の揺れに驚き、大きくて長い揺れと学校が少し音を立てながら揺れていることに怖さを感じました。 震源地は宮城県沖、宮城県震度6、東京も火がでたところがある、そう聞いて不安な気持ちが溢れました。私には宮城県や岩手県、東京にも友達がいたからです。 学校から帰ってきて見たテレビには宮城県や岩手県の地震の被害の映像が流れていました。私がそれを体験したわけでもないのに泣きそうになりながら震源地に近い場所に住む友達にメールや電話をしました。
ほとんどの子からは大丈夫だと遅くなっても返事はきましたが、ただ1人岩手県の子と連絡がつきませんでした。テレビにはその子がすむ宮古市の地震と津波の被害の映像が、不安を煽るように何回も流れていました。どうか無事でいて、そう願いながら連絡を待つしかできませんでした。待っている不安の中、緊急地震速報の鳴る音やテレビの映像が流れる度、怖くて不安が増していきました。
こうやって怖がるだけで自分は何もできないのが、とても悔しかったです。被害を受けた場所の友達からくるメールに大丈夫だよと言葉をかけてあげるだけでした。傍にいてあげたいなと思うだけで何もできない自分は、とてもちっぽけでした。 そんな自分の小ささ無力さを実感する中、連絡がつかなかった岩手の友達からメールが届きました。安心から涙がでました。涙で滲んだ液晶画面には怪我は少しあるが大丈夫、あなたの言葉でがんばることができた、「本当にありがとう」そう書いてありました。 何もできていないと思っていた私には、そのたった一言のありがとうが嬉しくて嬉しくて、さらに涙が止まらなくなりました。私のつたない言葉が誰かの心を支えることができました。
今回のこの災害を通して言葉の力、言葉の大切さをとても実感できました。今まで何気なく使っていたありがとうを、これからはしっかりと伝えていきたいなと思いました。
(弁士紹介)
専攻科理療科で国家試験に向けて勉強を頑張っています。写真を撮ること、音楽を聴くことと歌うことが好きです。部活では、バレー部、野球部、自然部など7つの部活に所属し色々な活動に参加しています。6月には北信越盲学校バレーボール大会と北信越盲学校野球大会に参加してきます。自分ができることを精一杯頑張ってきます。
2.「過去・今・将来」
笠井 百華(かさい ももか)中学部3年
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「だから障害者はやなんだよ!」 何でそんなことを言われるのか、悲しくなりました。小学校の時、クラスの皆や他の学級の人たちから避けられるようになりました。変な噂が流れ「あいつに近づくと汚れる」「あまり関わらない方がいいよ」と言われ、仲の良かった友達が私の周りから離れていってしまいました。私が話しかけても無視をされたり、物を隠されたりしたこともありました。私の目が少し見えにくいというだけで、どうして無視されたり、嫌な思いをしたりしなければならないのだろう。視覚障害があっても同じ人間なのに、とても悔しかったです。
中学校に進学するに当たり、私は新潟盲学校中学部に入学しました。周りの人から見た盲学校の生徒は、勉強内容が簡単、人の介助が必要なイメージがあるかもしれません。私もこの学校に来る前は同じようなイメージがありました。人数も少ないし、友達が出来るかなって思っていました。
でも、実際は違います。盲学校には、幼稚部から高等部あります。しかも、私の父よりも年上の人も真剣に学んでいて、色々な人たちと年齢を超えてお話が出来ます。例えば、勉強のやり方や部活動の悩み事など、深刻なことから、芸能人や学校の話まで、気軽に話が出来ます。中学部の皆とも仲良くなれたし、年上の高等部の方々とも、何でも話せる仲間がたくさん出来ました。このような仲間が体育祭や文化祭などでは、一つになって行事を盛り上げます。
勉強もわかりやすくなりました。拡大教科書やルーペ、拡大読書器などを使えば、以前は細かくて見えづらかった字も読みやすくなりました。点字を使って勉強する人もいます。見えにくい人には、スポーツは何も出来ないと思われがちですが、フロアバレー、グランドソフトボール、陸上などたくさんのスポーツがあります。音や床面、方向などを頼りにしながら競技しています。
新潟盲学校でも運動部が沢山あります。私は小学校の時は球技が好きではありませんでした。しかし、フロアバレーをやって初めで球技が楽しいものだと知り、好きになりました。だから私は部活動でフロアバレーをしています。いま、中学校生活を振り返ると、新潟盲学校に入学して良かったと思います。話せる仲間もでき、勉強もわかりやすくなり、部活動で汗を流し、充実した毎日を送っています。
将来私は、小学校の頃の自分のように、困っている人たちを助けられる人間になりたいと思います。そのためには、私に出来ることを増やしたり、人間的に成長して人を思いやる優しい心を身に付けたりしたいと思います。もっと人間らしく大きく成長したいです。障害のある人もない人も、お年寄りや子供など年齢に限らず、みんなで助け合っていく社会にしたいです。その社会の実現を目指して頑張っていきたいです。
(弁士紹介)
私は、バレー部に所属し毎日練習をがんばっています。富山で行われる北信越バレーボール大会にも参加しました。初めての遠征で、とても楽しかったです。万代太鼓部にも所属していて、夏休みには新潟まつりに参加する予定です。部活動に勉強に毎日が充実しています。学校生活の中で悩むこともあるけれど、大切な友人がいるので頑張れます。中学校生活最後の年、思いっ切り何事も取り組みたいと思います。
【後 記】
ここ10年、本勉強会で毎年7月に盲学校弁論大会を行い、毎回、多くの感動を貰っています。
たら福亭美豚(たらふくていヴィトン)師匠は、前にも登場して頂いたことがありましたが、今回は変声期を迎えていました。しかしカスレ気味の声をテクニックでカバーするほどに、立派に成長していました。多くの人に笑ってもらえることが自分の喜びという思いに溢れた語りでした。笑顔と笑いは人の心を明るくします。
丸山美樹さんの弁論は、優しさや繊細さに溢れていました。「ありがとう」の言葉をこれからも伝えて下さい。応援します。
笠井百華さんは、明るい中学生でした。障がいのために受けた悔しさ、盲学校で生き生きと勉学に部活動に励んでいること、、、弁論を聞きながら、頑張れ!とエールを送りました。
弁論大会では、盲学校の生徒さんの決意を聞くことが出来ます。それに対して私たちは何もしてあげられないのですが、「証人」としてその決意をお聞きすることは出来ます。今回も弁士の皆様の決意をしっかりとお聞きしました。私たちは、その夢がかなうようことを応援します。
今回は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力により、初めてのネット配信を成功させることが出来ました。今後も配信の予定です。ただ、、、ネットでも参加できますが、都合の付く方は、会場まで足を運んで講師との話し合いに参加して下さると嬉しいです。