報告:「学問のすすめ」第2回講演会 済生会新潟第二病院眼科
1)強度近視の臨床研究を通してのメッセージ
~ clinical scientistを目指して
大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
2)拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価
植木 智志 (新潟大学眼科)
日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、(チョッと大袈裟ですが)講演会「学問のすすめ」を開催しています。
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1)強度近視の臨床研究を通してのメッセージ
~ clinical scientistを目指して
大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
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「臨床医にとって研究は必要か?」 答えは、イエスと言いたい。臨床医が研究を行うことは、直接患者さんを診察しているからこそ、実際の病態に即した研究が可能であるという点が重要である。研究は決して学会発表をするためや論文を書くためにあるのではない。「常に探究心を持って診療にあたること」、それは漫然と日々診察するのではなく、患者さんから学び取り、臨床医として自分がさらにブラッシュアップするために必要である。
私が入局した頃、すでに東京医科歯科大学には所敬教授(現名誉教授)が設立された世界唯一の強度近視外来があり、多数の患者が登録されていた。私が強度近視外来に参加させていただいたのは、全くの偶然だった。まずは与えられた流れに逆らわずに、自分のおかれた環境の中で頑張ってみることにした。緻密なデータが長年蓄積されていた強度近視外来のカルテは、私にとって宝の山に見えた。他の施設はどこもやっていない!これは頑張ればすぐ一番になれるのではないか!?
最初にしたことは、数百名にのぼる登録患者のカルテを全部調べることであった。週末になると眼科外来に閉じこもり、一人で今週は「あ行」、その次の週は「か行」という風にカルテを五十音順に隅から隅まで見てみた。そこには、強度近視の眼底病変がどう始まって、どう進行するのか、教科書にも書かれていない歴然とした事実があった。教科書や論文に書かれていることと実際の経過が一致しないことがしばしばあることも見つけた。従来、単純型黄斑部出血は何の跡形もなく吸収されるとされてきたが、出血吸収後にBruch膜の断裂であるlacquer crackが形成されることが分かった。つまり単純型出血はBruch膜の断裂に伴って脈絡膜毛細血管が障害されるために生じることを見出すことができた。学生のころに教わった、「患者さんは生きる教科書である」という言葉を痛感し、強度近視の真実を解き明かし、この難病に真正面から取り組んでいきたいと思った。
カルテを持ってすぐさま教授室に直行、所教授に思いつきを直訴したところ、何と教授が新人の意見に耳を傾け後押しをしてくれた。思い立ったらすぐ行動することも時に必要かもしれない。さらには当時、東北大学から清澤源弘先生(現;清澤眼科医院院長、東京医科歯科大学臨床教授)が本学の助教授で赴任された。清澤先生は多数の英文論文を書いたので、直ちに清澤先生のところにデータを持って訪れ「私に英文論文の書き方を教えて下さい!」と頼み、1年で3つの英語論文を出すことができた。
転機が訪れた。所教授の退官、それと同時に私は文部省在外研究員でWilmer眼研究所に留学。留学中に望月教授が赴任され、当然のことだが多くの医局員が新しい教授の専門分野につき、強度近視外来の医師が数人という状態になっていた。「こんなことで絶対に負けるもんか!」。九州大学の石橋教授からの助言もあり、帰国前に森田育男先生(本学分子細胞機能学助教授;当時)に連日メールして共同研究を申し込み、帰国と同時に新しい研究に打ち込んだ。
ヒト培養網膜色素上皮細胞を用いた in vitro の手法、さらには各種の遺伝子改変マウスを用いたin vivoの手法から、脈絡膜新生血管の発生に関する研究を行った。従来血管新生促進に関与する血管内皮細胞成長因子vascular endothelial growth factor VEGFが注目されているが、血管新生抑制因子である色素上皮由来因子 pigment epithelium-derived factor (PEDF) に注目し、脈絡膜新生血管における PEDFの重要性を明らかにした(*1)。さらに脈絡膜新生血管の病因として Alzheimer 病の原因物質アミロイドβが重要であることを初めて見出し報告した(2)。最近ではさらに実験近視モデルを用いて、近視進行のメカニズムを分子学的に解明し、新たな近視進行の予防治療の開発を研究している。
(参照、東京医科歯科大学眼科HP:http://www.tmd.ac.jp/med/oph/research.htm)
*1)Ohno-Matsui K, Morita I, Tombran-Tink J,Mrazek D,Onodera M, Uetama T, Hayano M, Murota S-I, Mochizuki M. Novel mechanism for age-related macular degeneration: An equilibrium shift between the angiogenesis factors VEGF and PEDF. J Cell Physiol 189: 323-333, 2001
*2)Yoshida T, Ohno-Matsui K, Ichinose S, Sato T, Iwata N, Saido TC, Hisatomi T, Mochizuki M, Morita I. The potential role of amyloid-beta in the pathogenesis of age-related macular degeneration. J Clin Invest;115:2793-2800,2005
今日では、近視性CNVに対する抗VEGF療法やPDTが施行され、幸い、強度近視は「治らない変性疾患」から「少なくとも一部は改善できる疾患」に変わってきた。さらに強度近視診療を行う大学や施設も増えてきて、今では一種のブームのようにまでなってきた。我々はこれまでもそしてこれからも、強度近視患者によりよい診療をフィードバックすることを目標に頑張るつもりである。
眼科医としてスタートしてしばらくは、ただ日々の仕事を漫然とこなすだけで精一杯であった。そんな私がここまで来れたのは、実に多くの方々の支援を受けている。東京医科歯科大学眼科の先輩・同僚・後輩の先生方、とりわけ強度近視外来の先生、帰国後絶えず叱咤激励して下さった森田育男先生(本学分子細胞機能学教授、本学副学長)と分子細胞機能学教室の皆様、PDT治療が始まった頃に高額の治療材料を提供することに尽力して頂いたQLT社の李明子さん、いつも英文論文を見て頂いているDuco Hamasaki先生、、、枚挙にいとまがない。
とりわけ恩師の、所 敬 名誉教授には感謝、感謝、感謝である。所先生には、研究は勿論、身だしなみや、診療態度に至るまで様々なことを教わった。「たとえ小さな分野であったとしても、この分野なら自分は負けないというフィールドを持て」と教わったことは忘れない。そして今度は私が誰かを引き上げる役目を果たしたいと思っている。
今日まで臨床研究を続けるにあたって仕事面、家庭面での紆余曲折もあったが、「強度近視が自分のライフワークである!」という意志を今後も貫いていくつもりである。最後に、三重県の片田舎から私を医学部に進学させてくれた両親に心から感謝したい。また常に私を応援し続けてくれている主人にこの場を借りて感謝の意を表明したい。自叙伝のような講演であったが、何か参考になることが少しでもあれば本望である。
【大野京子先生 略歴】
1987年 横浜市立大学医学部卒業
1990年 東京医科歯科大学眼科医員
1994年 東京医科歯科大学眼科助手
1997年 東京医科歯科大学眼科講師
1998年 文部省在外研究員(Johns Hopkins大学)
1999年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科講師
2005年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科助教授
2007年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科准教授
2002年度日本眼科学会学術奨励賞、第2回Pfizer Ophthalmic Award受賞
【後記】
個人的はことではあるが、「強度近視」に思い出がある。2002年10月ダラスで行われた米国眼科アカデミー(AAO)の最大のイベントである「Jackson Memorial Lecture」の講演者に推挙された田野保雄先生(故人;当時大阪大学教授)が選んだテーマが、「強度近視に合併する網膜剥離の外科的治療法」であった。田野先生が「強度近視」というテーマを選んだことに、少し意外な感じがしたのでその理由を伺った。「強度近視は東洋人に多く、多くの欧米人には余り知られていないんですよ」と答えてくれたことを、印象的に覚えている。
今春4月に行われた日本眼科学会総会(名古屋)でのシンポジウム「clinical scientistを目指して」は好評であった。今回はそのシンポジストの一人である大野先生を、新潟に招いて同様の演題で講演するようにお願いした。15分を60分に拡大しての講演で、内容もより詳細に、かつややオフレコの部分も取り入れての熱弁だった。素直な表現に、聞くものを感動させる力があった。
大野京子先生のライフワーク「強度近視」、ますますの発展を祈念したい。
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2)拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価
植木 智志 (新潟大学眼科)
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視覚情報路の解剖およびMRIの原理に触れながら、大学院時代に統合脳機能研究センター(*1)で行った研究についての論文(*2)を解説した。拡散強調MRIは、既に脳梗塞や脳腫瘍、多発性硬化症などの臨床で汎用されている。拡散強調MRIは水分子の生体内での「みかけの拡散」をコントラストとして扱う(「みかけ」と呼ぶのは生体内での拡散には純粋な物理運動であるブラウン運動だけでなく、微小循環や軸索原形質流、細胞膜による制限なども含まれるため)。「みかけの拡散」を2階テンソル量として評価し、「みかけの拡散」の総和や不等方性(異方性)などを指標として用いることで、神経軸索障害の定量的評価を行うことが可能である。
*1)新潟大学 統合脳機能研究センター
http://coe.bri.niigata-u.ac.jp/index.php
*2)Ueki S, Fujii Y, Matsuzawa H, Takagi M, Abe H, Kwee IL, Nakada T.
Assessment of axonal degeneration along the human visual pathway using diffusion trace analysis. Am J Ophthalmol 2006;142:591-596.
拡散強調MRIで視神経を撮像するには、磁化率アーチファクトと視神経のボリュームが小さいことによるシグナルノイズ比の低下を克服しなければならない。磁化率アーチファクトは局所の磁場の不均一によって生じ、特に眼窩は周囲の副鼻腔の含気に強く影響される。我々は、シグナルノイズ比の改善のために、3テスラMRI装置(*3)を用い、trace解析を行った。また、やっかいな磁化率アーチファクトを軽減するために、PROPELLERシーケンスを用いた。3テスラという高い磁場を用いることでシグナルノイズ比は改善する(しかし、磁化率アーチファクトは更に増強する)。trace解析は拡散強調MRIにおける「みかけの拡散」の評価方法のひとつだが、複雑な傾斜磁場の組み合わせを必要としないためシグナルノイズ比を改善することが可能である。traceは「みかけの拡散」の総和の指標で、trace高値は「みかけの拡散」の上昇、trace低値は「みかけの拡散」の低下を表す。PROPELLERシーケンスは磁化率アーチファクトの影響を受けにくい高速スピンエコーシーケンスを基にしたシーケンスである。
*3)3テスラMRI装置
http://coe.bri.niigata-u.ac.jp/content/HFMRI_ja
我々は片側慢性期視神経症10名および正常被験者16名の拡散強調画像を撮像し、得られた画像から三次元不等方性コントラスト(3DAC)画像を作成し、両側視神経・両側の視交叉の非交叉線維・視交叉の交叉線維・両側視索・両側視放線の計9部位に関心領域を設定しtrace値を計算した。
3DAC(*4)もまた拡散強調MRIにおける「みかけの拡散」の評価方法のひとつで、みかけの拡散の不等方性が画像化される。神経軸索のような方向性を持った組織では、水分子はどの方向にも等しく拡散する等方性拡散を示さず、神経軸索の長軸方向に拡散が大きい不等方性拡散を示すことが知られている。3DACは、加法混色の原理を用いることで、みかけの拡散の等方性成分を消去し、神経軸索の不等方性成分を抽出する。3DAC画像を用いることで、正確に関心領域を設定することが可能となった。
*4)3次元不等方性コントラスト(3DAC)画像
http://coe.bri.niigata-u.ac.jp/content/HFMRI_DiffPerf_ja
患者群の患側視神経・患側の視交叉の非交叉線維のtrace値は、正常被験者群の同部位に比べて有意な上昇がみられた。患者群の健側視神経・健側の視交叉の非交叉線維・両側視放線のtrace値は正常被験者群の同部位に比べて有意差はみられなかった。また、患者群の視交叉の交叉線維と両側視索のtrace値はその中間的値を示した。これらの結果は視覚情報路の解剖学的な視神経軸索の走行から考えられる軸索障害の程度と非常に良く一致した。慢性期視神経症におけるtrace値の上昇は軸索障害に伴う「みかけの拡散」の上昇を示していると考えられた。
では、急性期視神経炎ではtrace値はどのように変化するのだろうか?同様の方法によるpreliminary studyでは患側視神経のtrace値は健側視神経に比べて有意な低下がみられた。trace解析によって病態の相違をtrace値で評価することが可能であると考えられる。
今回の講演のおかげで研究内容を改めて見直すことが出来た。また、講演後の質疑応答から今後の展開についてのアイディアを得ることが出来た。本研究を今後も発展させたいと考えている。
【植木智志先生 略歴】
1999年3月 新潟大学医学部 卒業
1999年 4月 新潟大学医学部附属病院眼科 実地研修開始
2000年10月 聖隷浜松病院眼科 勤務
2001年4月 新潟大学大学院 入学
新潟大学脳研究所脳機能解析学分野で研究
(現新潟大学脳研究所統合脳機能研究センター)
2005年3月 同上 修了
2005年 4月 新潟大学医歯学総合病院眼科 医員
2005年10月 厚生連佐渡総合病院眼科 勤務
2007年 4月 新潟県立十日町病院 勤務
2008年 4月 新潟市民病院 勤務
2009年10月 新潟大学医歯学総合病院眼科 医員
【後記】
視神経萎縮を定量的に知ることは、存外難しい。この難テーマに取り組んだ植木先生の挑戦物語は、拝聴していて迫力があった。視覚情報路の解剖およびMRIの原理に触れながら、時に数式を取り入れながらの講演は、正直その場で理解することは困難であった。しかし苦心して判り易いスライドを用意してもらい、60分講演30分の質疑応答という今回のような講演会は、私の頭でも少しでも理解できるものにしてくれた。将来的には、緑内障による視神経障害を他覚的に測定する方法にまで発展させて欲しい研究である。
若武者、植木智志先生の今後の発展を期待したい。
難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、(チョッと大袈裟ですが)講演会「学問のすすめ」を開催致しました。
第1回目の講演会の講師は、緑内障研究で名誉ある須田賞を受賞した(ミューラー細胞での内因性BDNF発現誘導を介した網膜神経節細胞保護)関正明先生。そして人工網膜のMark Humayun教授で有名な南カルフォルニア大学 Doheny Eye Instituteへの2年間の留学から帰国した松岡尚気先生です。長文ですが、少しでも参考になれば幸いです。
報告:「学問のすすめ」第1回講演会 済生会新潟第二病院眼科
日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?
-神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
関 正明 (当時;新潟大学 現在;せき眼科医院)
留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-
(人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブルを使用した超音波治療などについて)
松岡 尚気 (新潟大学)
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演題1:網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?
-神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
関 正明 (当時;新潟大学 現在;せき眼科医院)
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「見る」ためには、網膜・視神経、さらには大脳視覚野の機能が必要です。糖尿病網膜症や緑内障などの疾患においては、障害を受けて死んでしまった網膜・視神経の神経細胞は再生することができません。つまり、これらの神経細胞死の進行は不可逆的な視機能障害をもたらすことになってしまうのです。神経細胞死の原因は、生存因子と細胞死誘導機構の均衡破綻にあります。その均衡破綻に介入し、神経細胞死を抑制するという戦略が、「神経保護治療」です。それには、生存因子の増加、細胞死誘導機構の阻害、という2つのアプローチがあります。本講演では、生存因子としての「神経栄養因子」、細胞死誘導物質としての「グルタミン酸」について、自らの基礎研究結果を踏まえながら概説いたしました。
1. 神経栄養因子について
神経栄養因子は一群の液性タンパクですが、そのうちの一つ脳由来神経栄養因子(brain-derived neurotrophic factor; 以下BDNF)は網膜神経細胞の生存因子として特に強い作用を示します。私たちの研究グループでは、糖尿病網膜症の病態へのBDNFの関与・さらには治療応用の可能性について、世界で初めて報告いたしました(Seki et al. Diabetes, 2004)。従来、糖尿病網膜症は毛細血管障害と捉えられてきました。しかし近年、糖尿病網膜症は神経変性疾患でもあるとの見方が根付いてきています。我々が1型糖尿病モデルラットの網膜を調べてみたところ、アマクリン細胞という網膜神経細胞が病早期より減少、それと同時に網膜のBDNF量が低下していました。そこで、糖尿病モデルラットの眼内にBDNFを注入したところ、アマクリン細胞の減少を防ぐことができました。つまり、BDNFにより、糖尿病網膜症に対する神経保護治療が実験的には成功したわけです。
しかしながら、糖尿病網膜症のような慢性疾患に対する、長期間・頻回の眼内注射には、合併症の危険性が伴います。かといって、全身投与では、高分子タンパク質であるBDNFは網膜には到達しないでしょう。そこで、我々の研究グループでは、ドラッグデリバリーに優れた低分子化合物を介して内在性BDNFを誘導する試みを行い、少しずつ成果を得ています(Seki et al. Neurochem Res, 2005)。
2. グルタミン酸毒性について
グルタミン酸は神経伝達物質のひとつで、生理的な神経活動を担う物質です。その作用は、神経細胞表面にあるグルタミン酸受容体を介してもたらされます。しかし、過剰にグルタミン酸受容体が活性化されると、神経細胞は死んでしまうのです。これが「グルタミン酸毒性」と言われる現象で、今から約50年前に奇しくも網膜を対象として見いだされました。網膜・視神経疾患においても、グルタミン酸毒性が関与している可能性が示唆されていますが、今のところ確定的な証拠はありません。基礎研究分野では、グルタミン酸毒性の阻害が、網膜・視神経の神経細胞死を抑制することは明らかで、疾患治療への応用が期待されています。グルタミン酸毒性を阻害するためには、グルタミン酸受容体そのものあるいは下流シグナル伝達分子・細胞死実行分子が標的分子となりえます。
グルタミン酸受容体そのものを阻害する代表的な薬剤がメマンチンです。メマンチンはその薬理学的特徴の恩恵を受け、安全性が高いと考えられています。すなわち、病的なグルタミン酸受容体の活性化は阻害するものの、生理的な神経活動は阻害しにくいのです。このメマンチンですが、米国において近年実施された緑内障に対する治験で、有効性を示すことができませんでした。その理由として、研究デザイン(評価項目・期間・用量)が適切でなかったのでは、と反省されています。
さらに本講演では、細胞死実行分子「カスペース」を標的としたグルタミン酸毒性の阻害について、お話をさせていただきました。カスペース分子のアミノ酸配列の一部であるIQACRGペプチド(アルファベットにてアミノ酸を表記)は、偽のカスペースとして挙動することで細胞死実行機構を阻害します。私たちのグループでは、眼内投与されたIQACRGが、グルタミン酸毒性によるラット網膜神経節細胞死を防ぐことを報告しました(Seki et al. Invest Ophthalmol Vis Sci. 2010)。この神経保護効果は、さらに機能的評価(電気生理学的解析) によっても確かめられました。
本講演では、網膜・視神経疾患における神経保護治療についてお話をしました。しかしながら、上述の治験不成功により、また基礎研究レベルに戻ってしまったのが現状です。臨床応用のためには、ドラッグデリバリーの改善と優れた治験デザインが課題と考えています。
【略歴】
1997年 3月 新潟大学医学部卒業
1997年 4月 新潟大学および関連病院眼科にて研修
1999年 4月 新潟大学医学部大学院 (新潟大学脳研究所)
2003年 3月 同上修了
2003年 4月 長岡赤十字病院眼科
2004年10月 済生会新潟第二病院眼科
2005年 9月 米国バーナム研究所 (研究員)
2007年 4月 同上 (日本学術振興会 海外特別研究員)
2008年10月 新潟大学医学部眼科
2009年 4月 新潟こばり病院眼科
2009年10月 新潟医療センター病院眼科 (病院の名称変更)
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演題2:「留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-
(人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブルを使用した超音波治療などについて)」
松岡 尚気 (新潟大学)
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2007年4月、ずっと臨床ばかりで研究とはほど遠いところにいた私が留学することになった。留学先は、人工網膜研究の最先端を担う南カリフォルニア大学(USC) Doheny Eye Institute。ただし何のバックグラウンドもない私には、留学当初は任せてもらえる仕事もなく、給料もなし。まずは異なる生活環境に慣れるのに精一杯だった。それでもアメリカ西海岸の温暖な気候と自由な気風、そして多くの人々との出会いに恵まれることで、日を追うごとに毎日が充実して、気がつけば本当にかけがえのない2年間の留学生活を過ごすことができた。
USCの人工網膜プロジェクトは、網膜色素変性症に代表される網膜外層疾患の患者の網膜上に特殊な電極を含むシステムをインプラントすることでその外層の機能を代替し、失われた視機能を取り戻す試みである。すでに人眼での臨床トライアルが進行し、2002年2月から2004年6月の間にUSC施設で6名にArgusⅠと呼ばれる4×4の16電極からなる第一世代のシステムがインプラントされ、全員に少なくとも光覚が生じ、カップなどのモノの認識やモノの動き、大きな文字などが読めるまでに改善したという成果が得られた。2007年7月からはArgusⅡと呼ばれる6×10の60電極からなる第二世代のシステムが、米国、メキシコ、ヨーロッパの多施設でインプラントされるようになり、現在もそのトライアルは継続中である。
さらに人工網膜プロジェクトから派生したリサーチとして、網膜に適切な電気刺激を与えると神経節細胞死の抑制や視細胞の賦活化が期待できるという結果から、上脈絡膜腔に刺激電極を置いて網膜の神経回路の保護、再構築までを行おうという取り組みも始められた。現在はまだ適切な刺激量や刺激部位、固定法などをtry & errorで試行錯誤しているところではあるが、視機能が残存している段階で施行できるようになれば、今後もう一歩進んだ視機能の回復改善を望むことができるようになるだろう。
新しい治療法分野のリサーチとして、血管閉塞に対するMicrobubbles(MB)を用いた超音波療法があげられる。理論的には血管内に入れた1~10μmサイズのMBに超音波が当たることでその性状が変化・共振し、その閉塞部を貫通もしくは開口、滞っていた血液を再還流させるというもので、現在は臨床応用可能な超音波機器やMB種別、最適設定値などの選択中でもあるが、並行してヒトへの治験も行われつつある。その過程ではこれまで明らかでなかったウサギ網膜における各部位の絶対的血流速度を超音波によって測定することにも成功し1)2)、同部位では動脈の収縮期の速度は静脈のおよそ2倍であり、動静脈とも毛細血管側より視神経乳頭近傍で速くなり、さらに耳側では鼻側よりも約13.6%速くなることがわかった。
新世代の硝子体手術機器の評価と次世代機の開発研究もリサーチの柱の一つで、ここでは特に、手術中にどの機器でどんな設定にしたら眼内にどれくらいの力がかかるのか3)、影響があるのか、今まで感覚でしか分からなかったことを豚眼や実験モデルを用いて数値化、分析した。新世代のあるシステムではcut-rateを800から2500回転/分まで上げてもその切除量は水の場合ではそれほど変わらないのに対し、硝子体の場合では回転数にほぼ比例して増加することが判明し、吸引圧を100mmHgずつあげるとほぼ定量的に切除量も増加、カッターを25G、23G、20Gとサイズアップすると同条件では切除量がおよそ2倍になるという結果も明らかになった4)。さらにA社とB社の機器を比較してみると切除量にかなりの違いが出るのだが、そのカギは最近のtopicであるDuty Cycleにあることも明らかになってきた。次世代機ではこの概念が重要な役割を担っていくと考えられ、より安全なHigh cut-rate machineとなるのはもちろん、alldisposableであったりwireless、linelessであったりと、機能に加えて利便性も大きく向上した機器になることは間違いのないところであろう。
振り返ると、様々なリサーチに携わることでより広い視野から物事をみることができるようになった気がする。ただ留学生活の根幹はむしろ研究よりも、各国、各分野の人達との出会い、異国の文化に触れること、そして家族の絆の大切さにあるのかもしれない。一度きりの長い人生の中のほんの数年間、できることなら長い夏休みだと思ってぜひ多くの方々に留学生活を経験していただきたい。若い先生方には特に。留学のススメである。
<文献>
1) Ultrasonic Doppler measurements of blood flow velocity of rabbit retinal vessels using a 45-MHz needle transducer(accepted in Graefe’s Archive for Clinical and Experimental Ophthalmology)
2) Blood velocity measurement in the posterior segment of the rabbit eye using combined spectral Doppler and power Doppler ultrasound (accepted in Graefe’s Archive for Clinical and Experimental Ophthalmology: Co-Author)
3) Vitreoretinal traction created by conventional cutters during vitrectomy(accepted in Ophthalmology: Co-Author)
4) Performance Analysis of Millennium Vitreous Enhancer (MVE) System (under review in ACTA Ophthalmologica)
【略歴】
1999年 新潟大学医学部卒業
1999年 新潟大学眼科入局
2000年 海谷眼科医院
2001年 長岡赤十字病院眼科
2002年 聖隷浜松病院眼科
2003年 新潟県厚生連 村上総合病院眼科
2005年 新潟こばり病院眼科
2006年 新潟大学眼科
2007年 University of Southern California, Doheny Eye Institute留学
2009年新潟県厚生連 村上総合病院眼科