海外の遭難を助けた美談としては、1890年、和歌山県串本町大島のトルコ軍艦エルトゥールル号事件が有名だが、新潟県の佐渡にも同じような実話があった。
太平洋戦争が終わった翌年の1946年1月14日、佐渡に英国機が不時着した。村民が英兵を温かくもてなし、海岸に人海戦術で手づくりの滑走路を完成させて、“ダコタ”を再び大空へ飛び立たせたという実話に基づいた映画「飛べダコタ」が完成した。
事件は、終戦からわずか5ヶ月、貧しく混乱が尾を引く時代に起きた。村人たち敵国だった英国の軍人に対して複雑な思いを抱えながらも、古から佐渡への流人を助けてきた佐渡の精神に従い、英兵たちを温かく迎え入れようとする。
しかし日本は敗戦の直後、5か月前までは鬼畜米英の思想で戦ってきた。息子を英国との戦争で亡くした家族、負傷して心も傷ついて戻ってきている元軍人などが複雑に絡み、単純な人道物語にはならない。戦争が終わっても、そんなに簡単には以前の敵兵を受け入れることはできないのは当然であろう。様々な屈折を経ることになる。
最初は、お涙頂戴ものかと疑心暗鬼で観ていたが、完全にいい意味で裏切られた。やはり実話は重い。当時を知る人は佐渡でも少なくなってきている。今でなければ、作ることができない映画である。
佐渡に滞在したのは40日間である。英兵と島民は紆余曲折を経ながらも、親睦を深めていく。「戦争とは?」「今後戦争をしないためには?」という重いテーマも抱えながら映画は進行していく。英兵と島民は次第に氷解して行く。
島民総出で手作りの滑走路を造り上げ、ダコタは海に向かって滑走路を疾走し離陸するシーンは、ついこの前、成功を祈りながら見守った日本のロケット「イプシロン」の発射の時とシンクロした。
和歌山県串本では今でもトルコ大使が参加して追悼式が行われているが、佐渡では英国大使が参加する祈念式典はこれまで開催されていない。何とか後世に残したい史実だ。