『ニーバーの祈り』 ラインホールド・ニーバー
2013年10月5日

『ニーバーの祈り』ラインホールド・ニーバー
  アメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバー(1892-1971)がマサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教したときの祈り。

「ニーバーの祈り」  
   神よ、
  変えることのできるものについて、
    それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
  変えることのできないものについては、
       それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
       そして、変えることのできるものと、
     変えることのできないものとを、
  識別する知恵を与えたまえ。
 ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

 

THE SERENITY PRAYER
 O God, give us  
  serenity to accept what cannot be changed,
  courage to change what should be changed,  
  and wisdom to distinguish the one from the other.
 Reinhold Niebuhr    

 

 アメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバー(1892-1971)がマサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教したときの祈り。礼拝の後、ハワード・チャンドラー・ロビンズという人がこの祈りの原稿をもらった。彼は、祈りを集めた小冊子を編集発行していた。ロビンズは翌年、彼が編集した祈りの本の中に加えて出版した。その時は、ニーバーの名は付されてはいなかった。

 第二次世界大戦の中、この祈りが書かれたカードが兵士たちに配られた。戦後になると、今度はアルコール依存症患者の断酒会のメンバーの目に留まり、その断酒会のモットーとして採用された。ニーバー自身がこの祈りを書物に著したのは1951年のことである。このころには、この祈りはすでに広く知れ渡っていた。そして、1961年、グリーティング・カードを出版しているホールマーク・カード社がこの祈りの版権をニーバーから取得している。

 この祈りの作者は、18世紀の神学者フリードリッヒ・クリストーフ・エーティンガーだという説もあれば、14世紀の一兵士の祈りであったという説、古代アラビアから伝わってきた祈りだという説もあった。しかし現在では、これらの説は誤りで、正しくはニーバーの作であるとされている。また、この祈りが最初に用いられたのは、当初は1934年とされていた。しかしそれは、ビンガムが著したニーバーの評伝の誤りであったことが判明している。

 日本では、ニーバーの弟子の大木英夫の著書で紹介されてから、この祈りが広く知れわたったようである。1967年に大木が『中央公論』に発表した論文の中で紹介され、後に、大木英夫、『終末論的考察』、中央公論社、1970年 に収録された。この23ページに、この詩と由来が紹介されている。上の英文はこの文献から引用した。その訳では、「勇気」に「カレイジ」、「冷静さ」に「セレニティ」、「知恵」に「ウイズダム」とルビが振られている。訳において順序が変えられているのは、そのときすでにそのような訳が慣習になっていたからだと、この本に記されている。

 http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm 

 


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