『花嫁の父』
2010年10月、長女の結婚式がありました。その時の心境を語った文があります。友人にのみご披露します。決して他言はなりません。
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娘が生まれたその日から、いつかこの日が来ると思っていたが、遂に10月16日、ホテルニューオータニで花嫁の父を演じた。大学時代にサークルで知り合ったという。多少出来が悪るそうであれば文句のつけようもあるが、残念ながら優秀な好青年であり、反対する理由が見つからなかった。
人はみな花嫁の父親を悲劇的に扱おうとするものらしい。娘の結婚式と聞いた友人たちの一声は、「泣いた?どうだった?」と愛(?)のこもった言葉で茶化される。花嫁の父のイメージはどこか寂しい。
米国映画に、「花嫁の父」(1950年;原題Father of the Bride)がある。 花嫁ケイ(エリザベス・テイラー)の母(ジョーン・ベネット)は我がことのように花嫁と一緒にはしゃいで準備にいそしむが、父(スペンサー・トレイシー)はそんなに楽しくはない。
私は一計を持って臨んだ。心配したバージンロードは案外あっさり終わった。問題は披露宴終盤の両親への手紙と花束贈呈、あのお涙頂戴の場面だ。ここで泣くことを潔しとしなかった私は、手紙終了後にマイクを持つことを事前に娘に申し出て、花嫁の父として手紙に対するお礼を述べさせてもらうことにした。
宴も順調に進み、娘が手紙を読み始めた。幼い頃やいろいろな場面が走馬灯のように浮かんできてジーンと来るものがあった、、、。 危ない危ない、ここで涙してはいけない。手紙が終わり、私の前にマイクが来た。普通なら「不束な娘ですが、宜しくお願いします」というところだろうが、本当は自慢の娘なのだ。
前を向いて話し始めた。「私たち夫婦には、神様からの3人の宝物があります。一人目は今回のA子、二人目は次女のB子、三人目は長男のC将です。A子は最初の授かりものでしたので、小学校の入学も、大学入試も親にとってすべてが初めての経験でした。今日は私にとってA子の子育て卒業式です。××さんにこれからの娘を託します。宜しくお願いします」。言い終わると、目から熱い汗が出てきた。