「iPS細胞を用いた網膜再生医療」
2013年9月17日

第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
(共催:新潟ロービジョン研究会)
講演要旨 招待講演
「iPS細胞を用いた網膜再生医療」

 高橋 政代(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
                          網膜再生医療研究プロジェクト プロジェクトリーダー)

 2013 年6月23日(日)
 チサンホテル&カンファレンスセンター新潟 越後の間

【講演要旨】
 昔から眼は様々な新しい治療が最初に導入される場である。臓器移植としては角膜移植が腎臓移植と並んで始まり、人工レンズは早くから最も成功した人工臓器の一つである。また、網膜色素変性の遺伝子治療も一定の成功を納めている。加齢黄斑変性に抗VEGF剤が効果をあげているが、これは抗体医薬の最初の成功例である。そして、今、iPS細胞を用いた細胞治療も網膜で初めて行われようとしている。 

 2006年にマウス皮膚の線維芽細胞に4つの遺伝子を入れることでシャーレの中で無限に増えて、一方で身体中のあらゆる細胞を作ることができるiPS細胞(人工多能性幹細胞 induced pluripotent stem cells)が発表された。その1年後にはヒトのiPS細胞も作成された。それまでにES細胞(胚性幹細胞Embryonic Stem cells)から作った網膜色素上皮細胞を網膜疾患治療に応用できることを示していた我々は、ES細胞と同じ性質を備え、しかも拒絶反応を回避できるiPS細胞にとびついた。 

 そして6年の臨床への準備を経て、2013年8月に臨床研究に関与する3機関の倫理委員会と厚生労働省の審査で承認を得て世界で初めてのiPS細胞を用いた臨床研究が開始となった。具体的には加齢黄斑変性という網膜色素上皮細胞の老化によって引き起こされる疾患で、網膜の中央部(黄斑)が障害されるため全体の視野は問題ないが、見ようとするところが見えない、視力が低下して字が読めなくなるという疾患である。網膜色素上皮の老化が原因で、網膜の裏側にある脈絡膜から新生血管が発生する。新生血管に対しては効果的な眼球注射薬が存在するが、高価な上に1、2ヶ月毎に治療しなければ再発をするため、治療を続けなくてはならない。そこで、老化し障害された網膜色素上皮を患者本人のiPS細胞から作った正常で若返ったRPEと置き換えることによって、その上の視細胞の層を保護する役目がある。 

 最初の臨床研究では2年間にわたって6名の患者を選び治療後1年間で効果を判定する。移植する細胞シートは様々な検査で安全性が確認されている。未知の予測不可能な危険はゼロとは言えないが、細胞よりも細胞を移植する手術、これは毎週眼科で施行されている手術とほぼ同様のものであるが、その手術の危険の方がはるかに大きいのである。放置すると失明につながるような合併症は、数パーセントで起こる事が知られている。これは、報道などからは伝わらない事実である。 

 また、なかなか伝わらないのは、この細胞治療の効果である。最初の臨床研究はあくまでこの治療の安全性、特に移植する細胞が腫瘍を作らないか、拒絶反応を引き起こさないかを明らかにする研究である。よって、効果のある治療であるかどうかは安全性が確認されてから次の問題である。もちろんある程度の効果は期待して臨床研究を行うが、それでも矯正視力は多くの場合0.1まで回復するのがやっとであろうと予測される。従って、自然と臨床研究に参加していただく方の矯正視力は0.1以下の方に絞られてくる。「再生」という言葉はもとどおりに回復するという意味が本義であるので、網膜の再生というとよく見えるようになるという印象を受けてしまうのは仕方ないことである。しかし、そのような期待で臨床研究に参加すると裏切られる事になり、網膜の再生医療は健全なスタートをきる事ができない。 

 報道の短い時間や字数制限の中で伝えられる情報は多くない。報道だけが情報源である場合は、どうしても誤解が大きいようである。重要なことは、複数の情報源をもち、事実をそのままに受け取ってもらう事。我々は、将来の再生医療の発展のためにそれを説明し続けなければならない。また、過剰な期待を抱くのは、その裏側に障害の解消だけが解決策と考え、その他の方向性をまったく模索しないという場合に多い。つまり、疾患の正しい情報を集め障害の現状を理解して甘受する「健全なあきらめ」(九州大学 田嶋教授)(*)が必要である。 

 また将来、網膜の細胞治療(再生治療)が成功したとしても、0.1程度の低視力に留まることが多いため、その状況で補助具などを使い有効に視機能を使える事が治療の効果を十分に引き出すために重要である。すなわち、どの分野でも同様であると考えられるが、再生医療とはリハビリテーション(ロービジョンケア)とセットで完成する治療である。 


(*)「健全なあきらめ」(田嶌誠一 九州大学教授)

    変わるものを変えようとする勇気 
       変わらないものを受け入れる寛容さ 
      そしてその二つを取り違えない叡智

 

【略歴】
 1986(S61)京都大学医学部卒業
 1986(S61)-1987(S62)京都大学付属病院眼科研修医
 1988(S63)-1992(H4)京都大学大学院医学博士課程
 1992(H4)-2001(H13)京都大学医学部眼科助手
 1995(H7)-1996(H8)米国サンディエゴ ソーク研究所研究員
 2001(H13)-2006(H18)京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
 2006(H18)- 理化学研究所 発生再生科学総合研究センター   
                                             網膜再生医療研究チーム チームリーダー
(組織改正による)理化学研究所 発生再生科学総合研究センター   
                                           網膜再生医療研究開発プロジェク リーダー