報告【新潟ロービジョン研究会2006】
2006年7月4日

 

【新潟ロービジョン研究会2006】
  2006(平成18)年7月29日(土)16時~19時10分
  済生会新潟第二病院 10階会議室
  講演
   「一般外来でのロービジョンケア-QOL向上のための初めの一歩」
     佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
   「視覚障害者の就労継続と連携」
     工藤正一 (中途視覚障害者の復職を考える会『タートルの会』)
   「中途視覚障害者の家族としての支援、家族への支援」
     工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
   「失明してしまった手術のこと」 
     荻野誠周 (眼科医 新城眼科)
  便利グッズ紹介 県内の皆さんからの紹介コーナー
  シンポジウム「皆で考えるロービジョンケア」
    座長 張替涼子(新潟大学) 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
    佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
    工藤正一 (中途視覚障害者の復職を考える会『タートルの会』)
    工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
    荻野誠周 (眼科医 新城眼科)  

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「失明してしまった手術のこと」
     荻野誠周 (眼科医 新城眼科)     

 私の眼科手術者としての基本認識は以下の二つである。一つは、医療は病気の自然経過に介入して、より良い結果を得ようとする行為であるということ。したがって失明してしまったという表現は間違いで、失明させた、あるいは潰したと表現するべきである。治したという表現も間違いで、治った、良くなったのであって、医者が治したのではない。二つ目は、「医者」は「患者」を食い物にして生きている卑賤な職業である。卑下することはないが、このことは厳然たる事実である。

 基本姿勢が二つある。一つ、技能を含めた「知識」が絶対に必要である。最良の結果を得るには知識こそが全てであるといっていい。二つ、ヒポクラテスの誓いにあるとり、患者に不利益をもたらすことは行わない。しかし、いわゆる医師の倫理として要求される、高潔、誠意、熱意、謙虚などは実は無意味である。治らなければ無意味であり、治ることに必須なのは知識だけである。実際、私が失明させた症例はすべて憶えているが、そのすべてが知識のなさに原因している。

 たとえ手術を含めた治療が適切で、いい結果だと考えられても、視力が不良のままであることは多くある。私はロービジョン患者を多数生み出している。私が専門とする網膜硝子体手術では術後視力は術前視力に強く相関する。手術がノーミスで終了することはありえない。また、なにが起きるかわからないので、良い視力を悪くする可能性はある。しかし、視力の最低線を失明の防止に置くのでは、どうにもならない。基本方針として最低線を運転免許が取得できる視力に置いている。 

【略歴】
 1971(昭和46)京都大学医学部医学科卒業
 1978(昭和53)京都大学大学院医学研究科修了
 1978(昭和53)京都大学医学部眼科助手
 1981(昭和56)天理よろず相談所病院眼科副部長
 1984(昭和59)京都大学医学部眼科講師
 1987(昭和62)愛知医科大学眼科助教授
 1994(平成6)フリー眼科医
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 新潟ロービジョン研究会2006(第7回に相当)は、7月29日(土)午後、済生会新潟第二病院10階会議室にて行われ、当日参加も含め133名(眼科医20名・視能訓練士60名・その他、患者さんと家族・看護師・医療関係者・眼鏡店関係者・盲学校教師・工学部関係者・学生等; 新潟県内から111名県外から22名)の参加者があり、これまでになく活発な意見が交わされまた。研究会の翌日(30日)に、新潟の梅雨明け宣言が発せられ、我々の熱気で一気に夏に突入した感があります。

 今回は、研究会前半は医師、視能訓練士の講演、就労・家族についての講演があり、研究会後半のシンポジウムでは、4人の講師を中心に様々なテーマで論議が交わされました。ロービジョンケアはだれがやるべきことなのか?看護師はもっと優しい声掛けが必要では、視能訓練士など若手の医療関係者はお年寄りとのコミニケーションをとることが不得手ではないか?等々、、、の意見のほか、医師に対する注文もありました。今回の研究会では結論は出ませんでしたが、医者も患者も視能訓練士・看護師も、何でも言える環境でのディスカッションは、明日に繋がると思います。