報告 第122回(2006‐05月) 済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
2006年5月10日

 演題:『カタカナ語で見る視覚障害者のリハビリテーション』 
 講師:清水美知子(歩行訓練士) 
  日時:平成18年5月10(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
   
【講演要旨】
 「『リハビリ』と『リハビリテーション』は同じですか?違いますか?」と清水さんは語り始めた.勉強会に参加した多くの人は、同じと答えたが、中に『リハビリ』は身体的な機能訓練をいい、『リハビリテーション』はもっと広く人間の尊厳まで意味すると答える人がいた.そこで「『リハビリテーション』の意味するところは?」と、清水さんは語り出した. 

 1965年当時は、リハビリテーションは運動障害の機能回復訓練を意味していた(注1:厚生白書《昭和40年・1965年》).1981年頃になると、運動障害の機能回復訓練のみでなく、人間らしく生きる事が出来るようにするための技術及び社会的・政策的対応の総合的体系と捉えるようになってきた(注2:厚生白書《昭和56年・1981年》).しかし、平成16年1月の「高齢者リハビリテーションのあるべき方向」の冒頭で「リハビリテーションは単なる機能回復訓練ではなく、..」と述べていることからも分かるように、わが国ではリハビリテーションといえばリハビリ=機能回復訓練との認識が一般的であったといえる(注3:高齢者リハビリテーション研究会《2004年》). 

 我が国の「目のリハビリテーション」は、独自の発展をしてきた.他の身体障害には、「リハビリ=機能回復訓練」という図式がある。この図式は「目のリハビリテーション」にはない.なぜなら、目を揉んでも引っ張っても治らない.「目のリハビリテーション」は、全人間的復権という広義のリハビリテーションが根付くに適した状況のはずであった.しかし、視覚障害者には、伝統的な職業として三療(鍼・灸・按摩)があった. 

 1960年代(ベトナム戦争の頃)米国で強調された「職業リハビリテーション」の考えと結びつけ、三療師の養成訓練を職業リハビリテーションの中核項目に位置づけ、歩行、ADL、コミュニケーションなどの社会適応訓練を、その前段階、すなわち「プレボケ」(prevocational rehabilitationの略)訓練として制度化した.国立三療師養成施設とそこへの予備校的生活訓練という図式ともいえる. 

 米国では、1970年代に入ると職業中心のリハビリテーション過程に乗れなかった障害者のニーズの見直し、消費者運動の台頭、自立生活運動の高まりとともに職業リハビリテーションから自立生活リハビリテーションへ向かうが、わが国の視覚障害者リハビリテーションは職業リハビリテーション(あるいは三療リハビリテーション)に留まった. 

 2000年代に入り、リハビリテーションの体制は措置費制度から支援費制度、自立支援法に変わった.そこでは職業モデルから自立生活あるいは地域生活モデルのリハビリテーションへの転換が、当事者運動の高まりの結果というよりは、行政主導により実施されつつある. 

 現在の視覚障害者の自立生活支援の問題点を考えてみると、以下の事が挙げられる.
 第1に、2000年から介護保険が施行され、介護サービスを利用しやすくなるとともに、地域での生活が自立度に関係なく営めるようになった.しかし、それはセルフケアへの介助を中心としていて、社会活動を営むための長期的支援サービスが少ない.
 第2に、自立実現への力量作りあるいは自立度の向上に協力する訓練サービスは少なく、結果として介護サービスへの依存度が増す状況があり、視覚障害者の退行が心配される.
 第3に、訓練を提供する専門職(視覚障害生活訓練専門職、視能訓練士など)に、「してあげる」という態度が垣間見えることである.当事者の意識が「医療モデル」あるいは「障害者モデル」から「生活モデル」へと移行する中で、専門職の意識や行動の転換が遅れていると感じる.養成のカリキュラム、指導者の意識にも原因があるだろう.
 第4に、介護保険の中で視覚障害による生活上の不自由の評価が過小になる傾向がある.視覚障害に対する理解が足りない.視覚障害生活訓練専門職の資質、資格制度の問題とも関連する. 

【略 歴】
 歩行訓練士として、
 1979年から2002年まで視覚障害者更生訓練施設に勤務、
  その後在宅の視覚障害者の訪問訓練事業に関わっている。
 1988年から新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて
  視覚障害リハビリテーション外来担当。
 2003年から「耳原老松診療所」視覚障害外来を担当。 

【追 記】
 今回も期待通り、清水節は全開でした。
 リハビリテーションには身体機能回復の訓練ばかりでなく、人間としての復権も含めた意味合いもあること。言われるとそうだと合点しますが、そこを常に意識して臨んでいるのか否かで行動も変わってくると感じました。 我が国では、リハビリテーションが職業リハビリテーションに留まっているのではないかという視点、さすがです。障害を持つ方が職業に就くことの意義は多いにありますが、職業に就けなくても人間らしく生きていけること、もう一度考えてみたいと思いました。 

 リハビリテーションの歴史を、消費者運動、ノーマライゼーション、自立生活運動のうねりと併せて考える視点、勉強になりました。特に視覚障害者のリハビリを、他のリハビリと比較して語るのは新鮮です。 高齢者の介護と障害者のリハビリ、介護保険の中での視覚障害者のサービス、施設型リハビリと地域型リハビリ、生活している障害を持つひと(患者としてではなく、障害者としてではなく、「私」として)という視点、専門職の対応の問題、ケアをしてくれる人への支援、ソムリエ理論等々、1時間ではとても語り尽くせない内容でした。