報告 【新潟ロービジョン研究会2007】 その1
2007年9月5日

【新潟ロービジョン研究会2007】その1
  2007(平成19)年9月1日(土) 15時00分~18時45分
  済生会新潟第二病院 10階会議室    会費:1000円 

  特別講演~ 座長:張替涼子(新潟大学) 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  「視覚障害リハビリテーション
         -ボランティア・パワーを集結した医療をめざしてー」 
     山田幸男(内科医 信楽園病院 視覚障害リハビリテーション外来)
  「ロービジョンケアを考える」
     山田信也(生活支援員、歩行訓練士;国立函館視力障害センター)

   討論会「眼科に期待すること、眼科が出来ること」
    司会 小野沢裕子(フリーアナウンサー) 安藤伸朗(眼科医)
    討論参加者  山田幸男(内科医) 山田信也(歩行訓練士)
          張替涼子(眼科医) 佐藤美恵子(視能訓練士)
          患者さん 会場全員

  機器展示 東海光学、ナイツ、タイムズコーポレーション、大活字、
       
おんでこ、新潟眼鏡院 

 2001年から毎年『新潟ロービジョン研究会』を開催しています。今年も9月に素晴らしい講演者に恵まれ、患者さん・家族・ボランティア・眼科医・視能訓練士・看護師・大学教員・盲学校教師・等、新潟県内外から100名を超える参加者で、8回目の研究会を盛大に行いました。報告『新潟ロービジョン研究会2007』(その1)山田幸男先生(信楽園病院)の特別講演の講演要約を紹介致します。
 

特別講演 1
「視覚障害リハビリテーション
       -ボランティア・パワーを集結した医療をめざしてー」 
   山田幸男(内科医 信楽園病院 視覚障害リハビリテーション外来)

【講演要約】
1.視覚障害者の自立のために、視覚障害リハビリテーション外来を開設
 内科医である私が、視覚障害者のリハビリに関わりを持つようになったのは、糖尿病で失明した35歳の患者さんの自殺を経験したことがきっかけだった。
 糖尿病で失明した患者さんは、眼科での治療は終了しても、内科の治療は終わらないことが少なくない。失明した患者さんへの対応は内科側でも必要となる。脳卒中の患者のように、視覚障害者にもリハビリテーションが行われなければならないと思ったが、糖尿病学会で埼玉の清水先生の講演を聞くまでリハビリテーションのあることを知らなかった。すぐに熊谷を訪ね、一週間泊めていただいた。その後、さらに全国の視覚障害リハビリを行っている施設を訪ね、一冊の本にまとめた。
 患者さんにアンケート調査してみると、家を離れることの不安、家族とともに暮らしたい等々、障害をもつ人こそ地域で暮らしながらリハビリテーションを受けたいと願っていることが判った。
 そこで、信楽園病院にリハビリテーション外来を開設することを検討した。開設には、リハビリテーションの必要性が知られていないことや、何からやるべきか見当がつかないこと、スタッフやリハビリの専門家が少ないこと、医療報酬がもらえないこと、事故を起こしたときの責任など様々な壁があった。しかし当時信楽園病院の院長だった平沢先生の「これは必要です」という応援もあり、1994年5月にようやく 視覚障害リハビリテーション外来が誕生した。
 外来日は毎月2回(12:30~17:00)、担当は、眼科医 2名、歩行・生活訓練士 1名、糖尿病内科医 1名、視能訓練士 1名。指導内容は、歩行訓練、ロービジョンケア、点字や音声パソコン指導、 こころのケア(グループセラピーも含む)、日常生活用具や 更生施設・援助制度の紹介、転倒予防教室、調理教室、化粧教室、拡大読書器・携帯電話の使用法の指導など。主な受診目的は、視覚的補助具の紹介・処方、白杖による歩行訓練、日常生活訓練、職業相談、音声パソコンなどであった。 

2.ボランティア・パワーを集結して、より良い診療に
 診療報酬がもらえない現在の医療体制の中で、視覚障害リハビリテーションをさらに発展させることは困難であった。そこで「ボランティア・パワー」に期待することにした。
 「ボランティア」について勉強した。そこで得られた結論は、「魅力のある、やりがいのあることを、まね事ではなく、オリジナルを含めて企画し、実行する。できないことは、全国にネットワークを広げ、全国の先生方のお力を借りる」こととした。 
 ボランティア・パワーのとくに関与の大きなものを次に紹介する。
 1)音声パソコン教室
 信楽園病院内に、「音声パソコン教室」を開設して12年が経った。当初は10名のコアメンバーを中心に始めた。週2回(水・土曜日)行い、毎回30~40人の参加者がある。楽しく、友達作りや心のケア、情報交換、ボランティア活動の場として利用してもらっている。昼食会も楽しいと好評。
 新たな発見があった。はじめは晴眼のボランティアが視覚障害者に教えていた。やがて視覚障害者同士で教えあい、そして視覚障害者が晴眼の肢体不自由者や高齢者に教えるようになった。先生も、生徒も、障害者。教わった人は、教える。障害を持たない人にはなかなか出来ないような忍耐強い教え方が障害を持つ人には出来る。何よりも「人の役に立つ」ということが、障害を持つ人のモチベーションとなった。これは、視覚障害を理解してもらう絶好の機会となった。
 視覚障害者のパソコン教室参加の目的は、パソコンを習うだけでなく、友達作り、情報交換、心のケアなど様々であった。特にパソコン教室が心のケアに役立っているか、アンケートしてみたところ、98%のひとが役立っていると回答してくれた。 
 「音声パソコン教室」の変遷 
  第1期(1995年6月~)ボランティアが視覚障害者に指導し、視覚障害者も視覚障害患者に指導。
  第2期(2000年10月~)視覚障害者が晴眼の肢体不自由者や高齢者に指導。
  第3期(2001年8月~)パソコン指導のほかに、「こころを病んでいる人」のこころを和らげ、癒す教室に。
  第4期(2006年1月~)エクセルも指導内容に含める。
  第5期(2007年6月~)調理・化粧教室、転倒予防教室も併設。 

 2)白杖・誘導歩行講習会
 白杖を使用している人のなかで、杖の使い方を教わった人は、わずかに42%しかいなかったため、講習会を始めた。
 講習会は、初めにお茶タイム、次いで講師によるレクチャー、そして歩行訓練、最後に意見交換という構成である。白杖歩行では一人の先生が一度に10人ほどの指導に当たるので、アシスタントが一つ一つの指示を伝達し、確認する。歩行訓練は、その後も、くり返し、指導し訓練しなければならないため、パソコン教室でも復習している。 

 3)立ち直りのきっかけ
 こころのケアは、何回も何回も相談にのり、勇気づけが必要。人手や時間のかかることなので、ボランティア・パワーに依存している。
 立ち直りのきっかけについて、アンケート調査した。様々な信楽園病院の関連行事(パソコン教室・視覚障害リハ外来・歩行講習会・グループセラピー・メーリングリスト・目の電話相談など)よりも「病院職員の一女性の対応」が一番大きな立ち直りのきっかけになった。彼女(小島さん)は当院の職員(売店)で、いつでも障害者と顔を合わすことができる立場にあることや、いつでも電話を受け取ることができる立場にあり、またすべての行事に参加しているので全員を把握しているうえ、「いのちの電話」でトレーニングを受けたことがあるため、親身になって相談にのり、すべての人から信頼されている。
 目のことで自殺を考えたことのある人は、失明した人で60%、ロービジョンの人で45%。ロービジョンの人で失明の不安を感じている人は、87%である。これまで自殺した人は3名であるが、視覚障害リハビリを開始してからは、皆無になった。  

3.さらに、新しい分野の開拓を
 眼が不自由になって運動量の減った人が70%であった。身長と体重から体型を評価するボディマス指数《BMI[体重(kg)/身長(m)二乗]》から算出すると、視覚障害者全体では、3割が肥満・3割が痩せであったが、男女で違いがあり、男性の場合は肥満が4割・痩せが1割弱、女性では肥満が2割・痩せが5割強であった。 視覚障害者は、運動不足・外出少ない(光に当たる機会少ない)・痩せ(女性)という点で、骨粗鬆症になる危険性が指摘される。さらに転倒しやすい、栄養の片寄りという因子が加わると、容易に骨折を来たすことが懸念される。こうしたことを背景に骨折の予防策として、運動療法・バランス体操(棒体操)→「骨粗しょう症・転倒予防教室」、栄養の片寄り→「栄養教室」を開始した。「メーキャップ教室」も大盛況である。

 最後に:ここまでやってこれたのは、県内外の先生方や全国の更生施設・障害者支援グループ(タートルの会など)の先生方のお力によるものです。あらためて感謝申し上げます。

【山田幸男氏:略 歴】
  1967年 新潟大学医学部卒業
  1968年 新潟大学医学部第一内科 内分泌・代謝班に所属
  1979年  信楽園病院に赴任 糖尿病の診療に従事
  2005年  新潟県保健衛生センター
         現在に至る

 

《山田先生「視覚障害リハビリテーション」の歩み》 (ネットから検索)
・1989年 7月 視覚障害者のリハビリテーション用テキスト出版「視覚障害者のリハビリテーション、特に中途視覚障害者の日常生活のために」
・1993年12月 新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会結成
・1994年 5月 中途視覚障害者のリハビリテーション外来開設
・1994年 9月 第1回中途視覚障害者のリハビリテーション講演会開催(年1回)
・1995年 3月 音声パソコン教室を信楽園病院に開設
・1995年11月 西川町に音声パソコン教室開設
・1996年 3月 小千谷市(点とう虫の会)、6月柏崎市、10月新発田市(フィンゲルの会)に音声パソコン教室開設
・1996年 5月 誘導歩行の講習会開始(月1回)
・1996年 9月 視覚障害者にたずさわるボランティアのための講習会開催(年4回)
・1997年 6月 誘導歩行学習用ビデオ作成「目の不自由な人の“目”となってください」
・1997年 8月 第1回学生のためのサマースクール開催“もっと目の不自由な人を知ってもらうために”(第1回)
・1997年12月 県内全小・中・高校に誘導歩行学習用ビデオ配布完了
・1998年 4月 上越市に音声パソコン教室開設
・1998年 5月 視覚障害者パソコンワークセンターの指定を受ける。(県身体障害者団体連合会)
・1998年 7月 誘導歩行の訪問指導開始
・1998年 9月 長岡市にパソコン教室開設(現在アットホームの会)
         誘導歩行学習用冊子「目の不自由な人の“目”となってください」作成
・1998年10月 第1回音声パソコンとコミュニケーション講習会開催(年1回)
         誘導歩行のポスターとしおり作成
・1999年 9月 白杖歩行の講習会開始(月1回)
・2000年 2月 目の電話相談室開設
・2000年 3月 電子メール(メーリングリスト)による交流開始
・2000年 4月 第1回視覚障害「こころのケア」セミナー(年1回)
         情報ダイアルサービス開始
         グループセラピー開始(月1回)
・2000年10月 視覚障害リハビリテーション外来にカウンセリング・コーナーを併設
         視覚障害者による脳卒中患者および高齢者のパソコン教室開設
         ホームページ開設
・2001年 9月 巻町に音声パソコン教室開設(現在すずらんの会)
・2001年10月 十日町市に音声パソコン教室開設(現在にこにこアットマークの会)
・2002年 6月 加茂市に音声パソコン教室開設(現在パソコンらくらく)
・2002年10月 第1回拡大読書器などの光学的補助具と音声パソコンの進歩開催
・2002年11月 拡大読書器教室開設
・2004年 2月 長野県安曇野三郷村に音声パソコン教室開設(現在にこにこ)
・2004年 5月 携帯電話講習会開催 携帯電話教室開設
・2005年 2月 誘導歩行講習会プログラムを作成、規定技術の習得者に【修了証書】を発行
・2005年 9月「視覚障害者の初めてのパソコン教室」出版
・2006年 5月「視覚障害リハビリテーション外来」「パソコン教室」を、信楽園病院から有明児童センター2Fに移転
・2006年 9月「特定非営利活動法人障害者自立支援センターオアシス」を設立
・2006年11月「白杖・誘導歩行講習会」にコミュニケーションの場「喫茶オアシス」を提供 

 もっと知りたい方は、下記を参照下さい。
 1)夢かける…目の不自由な人のための情報局
 http://www.fsinet.or.jp/~aisuisin/index.html
 「新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会」
 「障害者自立支援センターオアシス」 

 2)リハビリテーション – 自立は心のケアから
 ユニバーサルネット・コミュニティー(ゆうゆうゆう)2005年7月26日掲載
 http://www.u-x3.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=43 

 

【後記】
 

 尊敬している山田幸男先生に講演して頂きました。期待通りの、いや期待以上の素晴らしい講演でした。
 20年前、受け持ちの失明した糖尿病患者さんの自殺から、目のリハビリテーションを目指します。しかし当時は目のリハビリは一般的でなく、手探りでの模索から創めます。そこで全国のいろいろな所に見学に行かれたとのことでした。「新潟でやらなくても、こちらへ患者さんを紹介してくれればいいんですよ」という施設も多かったそうです。でも患者さんは地元でリハビリを受けたいんだということ(そして悔しさ)を胸に、必死で自分の病院に内科医の山田先生が「目のリハビリ外来」を創設されましたと伺ったことがあります。
 それだけでも素晴らしい業績ですが、先生はそれに止まらず新潟県内そして県外にも「視覚障害者のためのパソコン教室」を各地に作り、長年に渡り「白杖&誘導歩行訓練教室」を開催し、一般の子供と視覚障害者の触れ合いを目的とした「サマースクール」を毎年夏に開催等々、事業を拡大してきました。その功績の一部は、山田先生「視覚障害リハビリテーション」の歩みにまとめました(上記)。
 講演の最中に「新潟は遅れている、新潟はまだまだなので、」と何度も繰り返されました。「まだ遅れていると思う」ことが先生のエネルギー源です。確かに患者さんからすれば、まだまだ満足できない状況ではあります。でも今の新潟の「目のリハビリテーション」のレベルは(山田先生のお陰で)、全国でも有数な先進県ではないかと私は思います(この点が山田先生の凄さと、私の至らないところの差だと思います)。あくまでも「患者さんの視点に立つ」ことを学びました。
 現実には報酬の対象となりにくいロービジョン外来を創設・維持することは大変な困難を伴います。それをボランティアの方々の協力を得ることで解決してきた道のりに感服です。常々、どうして山田先生の周りには人が集まるのか不思議でしたが、その秘訣を初めて伺うことが出来ました。「魅力のある、やりがいのあることを、まね事ではなく、オリジナルを含めて企画し、実行する」。なるほどと合点がいきました。やはり山田先生は「ただもの」ではありませんでした。
 内科医であることから、以前から独特の視点で取り組みを展開されていました。本来体内時計は25時間にセットされているといいます。起床時に視覚的に明るい光が入ることにより、体内時計が24時間に調整されます。でも視覚障害者はこれがうまくいかないことが多く、夜更かし勝ちになり不眠を訴える方が多いことを専門の内分泌の知識から松果体との関連で研究されました。今回は骨折との関係を運動量とBMIを用いて研究され、運動療法・バランス体操(棒体操)→「骨粗しょう症・転倒予防教室」、栄養の片寄り→「栄養教室」を開始し、さらに「メーキャップ教室」まで手を伸ばしておられます。凄いです。次はどんな展開になるのでしょう。
 山田幸男先生のパワーと迫力に圧倒された50分でした。