報告:第137回(2007‐07月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会
『新潟盲学校弁論大会 イン 済生会』
日時:平成19年7月18日(水) 16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
1)「住みやすい社会」
石黒知頼(いしぐろ ともより)中学部2年生
【講演要旨】
僕は困っています。そこで社会に対して二つのお願いがあります。「電化製品の音声化」と「歩きやすい社会」ということです。
一つめの「電化製品の音声化」についてです。DVDを購入したのですが、画面が判りませんので、「メニュー」からの操作が出来ません。自分では何もできず、ボタンを押す回数で操作を覚えました。「音声があるといいのになあ」といつも思います。
二つめは「歩きやすい社会」についてです。歩いていると電柱にぶつかったり、道ばたには蓋のついていない排水溝があったり、点字ブロック上には車がとめてあったりと、視覚障害者にとっては不便な状況がかなりあります。電柱をなくす(地下に設置する)、マンホールの蓋は閉める、点字ブロック上には物を置かないなど留意してもらうと私たちでも歩ける社会になります。
こんな工夫をしてもらうだけで、人の手を借りなくても自分でやれるようになります。こうしたことをこれからも、声を出して訴えていきたいと思います。
【自己紹介】
将棋が大好きです。そんなに強くありませんが、将棋の番組も好きです。学校で好きな教科は英語です。今年の体育祭では実行委員として、「競技上の注意」を発表しました。緊張しましたが間違いなくしっかりと言えました。
【先生から】
6月22日に行われた関東甲信越地区盲学校弁論大会(*)に、学校代表として参加しました。英語、パソコンが得意です。学校では毎日英語を使って会話しています。
【全国盲学校弁論大会】
1928(昭和3)年、点字大阪毎日(当時)創刊5周年を記念して「全国盲学生雄弁大会」の名称で開催された。大会は戦争末期から一時中断。47(同22)年に復活。75(同50)年の第44回からは名称を「全国盲学校弁論大会」に変更。
大会の参加資格は盲学校に在籍する中学部以上の生徒。高等部には、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資格取得を目指す科があり、再起をかけて入学した中高年の中途視覚障害者も多く、幅広い年代の生徒が同じ土俵で競うのも特徴。
新潟盲学校は地区予選を「関東甲信越地区」の枠で行う。
*関東甲信越地区盲学校弁論大会
平成19年6月22日(金)、「かながわ労働プラザ」、横浜訓盲学院主管 持ち時間7分間、原稿なし、マイクなしの条件の下、12校13名の弁士がそれぞれの体験や思いをこめて熱弁を繰り広げた。
2)「本当の便利さとは」
近山朱里(ちかやま あかり) 中学部2年生
【講演要旨】
視覚障害者にも使いやすい商品は確かに開発されてきています。シャンプー(ギザギザがついている)とリンスの区別、携帯電話のナビゲーション機能などはとても便利です。でも、まだまだ使いにくいものが多いです。画面でのタッチパネルや、ボタンが小さいことなど・・・。公共のトイレも場所によってボタン式だったり、レバーだったりです。
3年前我が家で、新しい車を購入しました。でもこの車のラジオ等の操作は、タッチパネルなので使えませんでした。自分で出来なければ、誰かに頼まなければなりません。運転中に言われたら困るだろうなと思います。 修学旅行に行った時、トイレに入りましたが操作が出来ませんでした。
どんどん便利になっているとはよく聞きますが、「本当の意味での便利さ」とはどういうことなのでしょう。今の商品はデザインが優先されています。もちろんお洒落なものは作って欲しいです。でも私たちにも使えるものを作って欲しいのです。
これからも、こうすればよくなる、こうすれば使えるようになるということを、提案していきたいと思います。
【自己紹介】
6月23日に行われた県音楽コンクールピアノ部門に、2年ぶりに出場しました。 現在は毎日弥彦から通っています。よく見る番組は「どんど晴れ」です。
【先生から】
いつもにこにこしている子です。中学部では紅一点の存在ですが、がんばっています。昨年はヘレンケラー記念音楽コンクール(*)において大人も混じった中で、ピアノ部門1位を獲得しました。
*ヘレン・ケラー記念音楽コンクール
東日本及び西日本ヘレン・ケラー財団を統括する日本ヘレン・ケラー協会などの主催で1949年(昭和24年)12月13日、全国盲学生音楽コンクールとして、始まりました。盲学校音楽教育の実態を知ってもらい音楽家を志す盲学生の登竜門にするのが目的です。第6回(1954年)から東京ヘレン・ケラー協会のみの主催となって、「全日本盲学生音楽コンクール」と改称、第51回(2001年)から普通校で学ぶ弱視児まで参加枠を拡大し、現在の名称に改めました。
この間、第6回に小学4年でデビューしたバイオリンの和波孝さん、第17回に同じ小学4年で絶賛されたチェンバロなど鍵盤楽器演奏家の武久源造(たけひさ・げんぞう)さんら、国際的に活躍する音楽家を輩出しています。また、このコンクールで得た自信を、その後の道に生かして音楽とは別な分野で優れた業績を挙げた人も少なくありません。
「第56回ヘレン・ケラー記念音楽コンクール」
(主催;東京ヘレン・ケラー協会、共催:JT、後援;文部科学省、毎日新聞社など)
平成18年11月25日 JTホールアフィニス(東京都港区)
【ピアノ中高大学の部】
1位 近山朱里(新潟県立新潟盲・中1)
2位 勝島佑太(武蔵野音大4年)
3位 小島怜(筑波大付属盲・専2)
3)「障害者生活10年を考える」
櫻井孝志(さくらい たかし)高等部普通科3年生
【講演要旨】
視覚障害者になってから、今年でちょうど10年となります。この間に感じたこと、考えたことなどをお話します。いろいろと感じてくださるとうれしいです。
生来難聴です。幼稚園の時左眼に怪我、小学校1年の時に右眼に怪我をして、以来私は両目両耳に障害を持ってしまいました。小学校2年から5年まで学校に行けずに家で過ごしていました。5年生から毎日2時間だけ登校しました。「本当にこの授業を受けていいのだろうか」「私のために授業が遅れてしまわないだろうか」。周囲の人は、とても私に気を遣ってくれました。でもそれが苦痛でした。特別扱いをしないで欲しいと思いました。 会津若松への移動授業の時、私の手を繋いでくれていた同級生が「誰か櫻井君の手を引いてよ」と言った一言を、今でもよく覚えています。
中学から盲学校に通っています。小学校時代に感じていたような罪悪感はなくなりましたが、井の中の蛙にならないか、盲学校にいることは社会への逃避にならないかという思いがあります。健常者の行っているイベントによく参加します。こうした交流は必要不可欠と思っています。
自分と同じような障害を持つ環境にいることは住みやすいのですが、傷つくことを覚悟で健常者の世界に飛び出していきたいと思っています。
【自己紹介】
好きな教科は歴史と古典です。3年前にも済生会病院で「ヘレンケラーを目指して」というものを紹介させていただいたことがあります。
今年の体育祭では、紅組の団長を務めました。例年になく緊張して本番を迎えました。今年の紅組のテーマは「風林火山」でした。その心意気のもと、団員全員の心を一つにして闘い、応援と競技でダブル優勝を果たすことが出来ました。
【先生から】
歴史に関する感心と知識はかなりのものです。高校3年生ということでさまざまな場面で活躍しています。今年度の体育祭では紅組の団長を務め、すばらしいリーダーシップを発揮して競技、応援とも優勝を勝ち取りました。
【後 記】
2001年から毎年、当院にて新潟盲学校の生徒による弁論大会を開催し、今回で7回目になります。人の役に立つことをしたい、人の手を借りずにやっていけるような社会に変えていきたいという真摯な訴えに、毎回感動しています。
石黒知頼君は背筋をしっかり伸ばして、大きな声で発表してくれました。流暢な英語の発音にびっくりでした。近山朱里さんは、明るくチャーミングな性格が印象的でした。櫻井孝志君は、3年前に続いて2回目の登場でした。成長した姿を見せてくれました。
今年は新潟盲学校創立100周年にあたります。これまでの道のりは決して平坦ではなかったと思いますが、まっすぐに成長している生徒の姿を拝見し、素晴らしい教育がなされていることを実感しています。ますますの発展を期待します。