報告 『新潟ロービジョン研究会2008』 
2008年8月6日

『新潟ロービジョン研究会2008』 
      期日:平成20年8月2日(土) 15時30分~18時30分
      場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 
 テーマ「視覚障がい者の就労

 基調講演
 1)「視覚障害者の就労に私はどうかかわることができるか」
     仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
 2)「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
     篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長) 
 3)「わが社の障がい者雇用について」
     小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
 4)「障碍」を持つ教師の働く権利保障をめざして
     栗川 治 (新潟西高校教諭)
 5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
     渡辺 利喜男、仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)

       
パネルディスカッション~「皆で考える『視覚障がい者の就労』」
  進行役 張替 涼子(新潟大学)  
      安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
  パネラー
    仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
    篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長)
    小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
    栗川 治 (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
    渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校)
    就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
          薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
          轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
          小川 良栄 (長岡市自営業)

《機器展示》
 東海光学、タイムズコーポレーション、ナイツ、アットイーズ(新潟)、新潟眼鏡院

 
 済生会新潟第二病院眼科では、毎年、県内外の患者さんと家族、眼科医・視能訓練士や医療および教育・福祉関係者を対象に、新潟ロービジョン研究会を開催しています。
 第9回目になる今年は、「視覚障がい者の就労」をテーマにして、魅力的な講師陣をお呼びして企画しました。 全国11都県から123名の方々が参加して開催しました。

 厚生労働省の調査(06年)では、15歳以上64歳以下の身体障がい者約134万人のうち、就業しているのは約4割と推定されています。一方、同省が全国約5000事業所で働く約11000人を対象に行った「障害者雇用実態調査結果報告書」(03年度)によると、身体障がい者の3割以上が過去に離職・転職を経験し、平均転職回数は2.1回でした。
 05年に成立した障害者自立支援法は、意欲と能力のある障がい者が働きやすい社会の推進を目指すとしていますが、視覚障害者への支援はまだ不十分なようです。

【講演抄録】
1 「視覚障害者の就労に、私はどうかかわることができるか?」
    仲泊 聡
    国立身体障害者リハビリテーションセンター病院 第三機能回復訓練部部長
 視覚障害者にとって就労は最重要課題である。なぜなら、障害によって奪われた「収入」と「所属」と「生き甲斐」のすべてを就労に関連して獲得することができるからだ。
 しかし、眼科医はこの最大の問題に自らが手を差し伸べられると自覚していない。眼科医は、まず疾患を治療し、視機能の回復をはかるべきである。これが全てだ。しかし、それに時間を要し過ぎると逆に就労継続に対する壁になる。むやみに入院治療を引き延ばしてはいけない。エイドによる機能的な回復を実現し、手帳や年金の手続きをすみやかに行ない、職場への説明を十分に行なって理解を促し、就労への環境を整えるのも眼科医の仕事である。手におえないのなら相談・訓練や教育の場への橋渡しを行う。
 私は、そうやってこの10年を過ごした。しかし、尚うまくいかない。どこにその問題があるのか。
 本質的な問題は何か?パソコンにしても三療にしても、能力のある人は、適切な支援さえあれば問題ない。資格はあるけれど上手く働けない人、資格を得ることが出来ない人が問題である。そして自立である。自立支援法が出来たが、必ずしも上手く運用しているとは言えない。
 今年新たなポストに就き、眼科医としてだけではない重責を感じている。これから皆さんと一緒に考えてみたい。

◎講演後、新潟県視覚障害者福祉協会の松永秀夫さんから、現行の障害者自立支援法は、視覚障害者にはあまり適応にならないとコメントがありました。


2「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
     篠島 永一
     特定非営利活動法人タートル 事務局長
 NPOタートルの目的は、1)「見えなくても、見えにくくても働ける」を提唱し、社会啓発に努める、2)「職業選択の自由を求めて」を目標に職域拡大と能力開発に努める、3)「定年まで勤めつづける」をめざして定着支援を連携と協力により行う、4)「納税者になろう」をモットーに、職業自立を支援する、である。
 特に、就労継続(中途視覚障害者の就労の継続をすすめ、失職を防止する)、復職(視覚障害リハビリテーションを受け、雇用主の不安感を払拭する)、再就職(コミュニケーションスキルとモビリティスキルを身に付けることにより自信とプラス思考をもって就職活動をする)、新規就職(新たな職域に挑戦する意欲を持つ)の各分野で活動を展開している。
 何よりも会社の戦力と成り得る実力を付けること、そして自分の意見を会社に提案できることが大事である。そのためには、本人の働きたいという意志が大切。
 現実に障がい者を受け入れる会社は増えてきている。タートルでは事例をファイルして、公にしている。ハローワークにも働き掛けている。
 視覚障がい者の多くは眼科を受診する。眼科医の一言が大きく影響する。眼科医にも視覚障がい者が実際に社会で活躍していることを知って欲しい。
 視覚障がい者には、うつ病の方が多い。心の支援を必要としていることにも目を向けて欲しい。

◎講演後、神奈川県茅ケ崎から参加された社会保険労務士の中村雅和さん(1型糖尿病)から、「なにくそ! 障がいになんか負けるものか。障がいはチャンスだ」と力強いメッセージがありました。新潟の信楽園病院の山田幸男先生から、「新潟の人が地元で支援を受けられるようにするにはどうしたらいいのでしょうか?」という質問がありました。篠島さんは以下のように答えていました。「資源の多い東京とは違う、新潟では新潟のやり方があるはず。でも、根本のところでは、当事者が当事者の就労相談を受ける体制をつくることが大事だろう。」


3「わが社の障がい者雇用について」ー年金をもらうばかりではなく、税金を納める側になれー
    小野塚 繁基
    小野塚印刷株式会社 専務取締役
 厳しい最近の経済状況では、企業にとって障がい者を雇用することは困難になってきている。健常者以上に能力がないと採用されないというのが現実である。そういう意味では障がいのあるなしは関係ない。企業にとってプラスになる人材は必ず採用される。
 障がい者としての弱者意識、疎外感の中で生きてきた彼らが、不自由ながら平等な意識で外へ、職場へ出てこれるように導くことから始まる。思うように指先が使えず、握力もほとんどなしの、男性が「誰もが彼には無理だ」と思う紙揃えを「これが出来なければ、もう自分のいけるところがない」という必死の想いで、練習をすることにより、仕事がリハビリとなり、手先が器用になり、問題なく、印刷機械を操作できるようになった。
 家では何もかも、お母さんがやって下さり、できなさそうなことは最初から手を出さない難しそうなことはやってもらう、それが当たり前の生活の中で、できるように工夫すること努力することなど学べるはずはない。社会に出ようとする障がい者にとって一番の足枷が家庭環境である。かわいそうに、つらいだろうにと、大事に大事にかしずかれ、結局、自立できない人の助けなしでは生きられない人間になってしまう。仕事で甘やかすことが差別になる。
 絶対できないことは理解しているが、工夫や努力をしない人、我慢がない人はいらない。どんどん配置転換をして、出来ること、やりたいことを捜してもらう。ノーマライゼーションの実現・・・遠く長い道のりを、挑戦し、体験を拾い上げて積み上げて行くことにより、障がい者が社会の一員として認められる。
 「国の年金をもらうばかりではなく、一日も早く税金を納める側になれ!」 


4「『障碍』を持つ教師の働く権利保障をめざして」
    栗川 治
   (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
 新潟県教育委員会の障碍者雇用率は1.09%で、全国で2番目に低い。日本全体でも2.0%の法定雇用率に達しているのは京都府と大阪府のみで、教育現場の立ち遅れが著しい。
 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会で全国の当該教師を支援する中で実感するのは、個々の障碍に応じた働き方を可能にする条件が整っていない事である。必要な人的、物的、心的支援があれば、障碍を持つ者は働けるし、素晴らしい教育実践の蓄積もある。しかし、多くの場合、支援や配慮がない中で、退職を迫られたり、本人が無理を重ねてつぶれたり、同僚
や児童生徒に負担が転嫁されたりして、障碍を持って働き続ける事が困難な状況に追い込まれていく。
 個々の創意工夫や職場の支えも重要であるが、それらを保障するための「合理的配慮」が具体的に実行される事が、障碍者雇用を進め、障碍者差別を無くしていく上で決定的な要因となっていると言える。

◎和歌山県海南市から参加された山本浩さん、山形市から参加された武田健一さんからコメントがありました。


5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
    渡辺 利喜男、 仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)
 中学部および高等部普通科では筑波技術大学や筑波大学附属視覚特別支援学校への進学が増加。最近は一般企業への就職も見られる。理療科では、開業をする者や治療院就職が減少し、一方ではスーパー銭湯などの健康産業にマッサージ師として就職する者が増加している。

◎信楽園病院の山田幸男先生から、盲学校には適材適所にコーディネートするような方はいらっしゃるのかという質問がありました。


【パネルディスカッション】
『皆で考える「視覚障がい者の就労」』
  仲泊 聡    (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
  篠島 永一  (NPO法人タートル事務局長)
  小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  栗川 治    (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
  渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
  就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
        薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
        轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
        小川 良栄 (長岡市自営業)

 まずはじめに就労体験者から発言がありました。薬師寺さんからは視覚障害者が働く上での環境整備の重要さ、亀山さんからはコミュニケーションの大切さ、轡田さんからはできる範囲内で障害の状態を理解して頂くことの大切さが語られました。
 小川良栄さん(長岡市)は、”ふつう”ではないけれども市民がイメージする視覚障害者でもないどっちつかずな存在といえる軽度視覚障害者が抱える問題について訴えました。障害の重い、軽いとは定量だけでなく定性で考えることも重要で、重い障害はリンゴが10個、軽い障害はリンゴが5個ではなく、バナナが1本という捉え方をしてほしい。そして、リンゴとバナナでは食べ方が違うように、支援のためのアプローチも違ったものになることを理解していただくことが、就業問題を考える第一歩ではないか、、、、、。
 小野眞史先生(日本医大)のから、視覚障害があるからこそ向いている職種がある、それはコーティングで実際に推進している「アリスプロジェクト」を紹介してくれました。
 小島紀代子さん(新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会)から、視覚障害者が高齢者や肢体不自由者にパソコンを指導している実例を挙げ、障害を持つ人は、今の時代に一番欠けている「相手の立場に立つことのできる人」と紹介がありました。この時、小野塚さんから、「企業の立場からすると、そのことがどう会社に役立つのかを知りたい」とのコメントがありました。
 高橋茂さん(西新潟中央病院リハビリ;言語聴覚士)は、障害の種類による異なる支援と能力開発の必要性を訴えました。
 岩田文乃先生(順天堂大学)は、視覚障がい者の就職や能力開発を考えた場合、視覚障がいがあると何にも出来なくなるという負のイメージ(特に親の)に問題があるとの指摘しました。
 麻野井千尋さん(NAT)は富山県の活動について、八子恵子先生(前福島県立医大)は福島県の活動についてから報告してくださいました。
 仲泊聡先生(国立身体障害者リハビリ病院 眼科部長)は、復職という問題について産業医はどうかかわっているのか、鍼灸マッサージの環境整備について発言があり、最後に「視覚障害者は空気を読むのが苦手、脱KYが不可欠。そして笑顔を忘れないことが就労に繋がる」と語り、会場から喝采を浴びました。

 視覚障がい者の就労について語る場合、1)障がい者は就労に足る能力(企業が望む能力)を身につけること、2)企業は障害の有無にとらわれずに能力を見出す採用をすること、3)企業が望む能力を身に付けるために、盲学校は何をしなければならないのか、医療者は何が出来るのか、親は何をすべきか、4)能力(資格)を身に付けられない障がい者は如何したらいいのか?、5)働けるのに働かない障がい者がいることはもっと大きな問題では、、、、 課題はまだまだてんこもりです。 
 「就労」(と「結婚」)は、障がいがあるという事実と真正面から向き合うことを余儀なくされます。建前でない真剣な討議が交わされ、充実した研究会となりました。参加の皆様の熱意に感謝致します。
 

【略歴】
 仲泊 聡 
  昭和53年3月 学習院高等科卒業
  昭和58年3月 学習院大学文学部心理学科卒業
  平成元年3月 東京慈恵会医科大学医学部卒業
  平成7年7月 神奈川リハビリテーション病院眼科
  平成15年8月 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師
  平成16年1月 Stanford大学留学
  平成19年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
  平成20年2月 国立身体障害者リハビリテーションセン ター病院
                          第三機能回復訓練部部長

 小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  平成2年4月 小野塚印刷株式会社 入社
                     製造部オフセット印刷オペレーター
                    その後、経営企画室長、製造部次長、工務部次長を歴任 
   平成10年3月 株式会社ウエマツへ印刷技術習得の為、転社
   平成12年3月 小野塚印刷株式会社へ戻る 
          営業部長、制作部長、総務部長、取締役統括本部長を歴任
   平成17年  全国重度障害者雇用事業所協会
               関東甲信越ブロック新潟支部長に就任
   平成20年6月 小野塚印刷株式会社 専務取締役に就任

 篠島 永一  (NPO法人タートル事務局長)
   東京都青梅市在住
  学  歴
   1961年3月 慶應義塾大学工学部計測工学科 卒業
   1967年3月 高校数学教師資格取得
    1968年3月 社会事業学校専修科 卒業
   2001年3月 社会福祉施設長資格認定講習課程修了 
          施設長資格取得
  職  歴
   1961年4月 三井石油化学工業株式会社入社
   1965年3月 視力低下により退社
   1967年4月 クスダ事務機株式会社入社
   1977年12月 退社
   1978年1月 社会福祉法人日本盲人職能開発センターに入職
   2007年3月 定年(70歳)により同センター退職
   2007年12月 特定非営利活動法人タートルの理事就任

  栗川 治  (新潟県立新潟西高校教諭)
   1959年 新潟市生まれ
   1982年 早稲田大学第一文学部哲学専攻卒業
   1984年 新潟県立柏崎高校小国分校に新採用社会科教員として赴任
   1987年 視覚障碍の重度化(網膜色素変性症)
   1988年 県立新潟盲学校に転勤
   1992年~96年 全国視覚障害教師の会事務局長
   1993年 県立西川竹園高校に転勤
   1996年~ 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長
      2006年 県立新潟西高校に転勤
   
  渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
    あはき師、理学療法士 筑波大理療科教員養成課程卒業、
    神奈川県総合リハビリテーションセンター勤務後、
    昭和51年より新潟盲学校に赴任、現在に至る。
  仁木知子 (新潟県立新潟盲学校)
    平成16年新潟盲学校に赴任、体育担当、進路指導部