報告 第153回(08‐11月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 小川良栄
2008年11月12日

 演題:「”ふつう”ってなに?-見える見えないの狭間で思うこと-」
 講師:小川 良栄 (長岡市自営業)
  
日時:平成20年11月12日(水)16:30 ~ 18:00
  
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来   

【講演抄録】
 障害と社会のかかわりには、二つの考え方がある。ひとつは、健常者社会に障害者もできるだけ取り込んでいこうとする、「個人モデル」または「医療モデル」と呼ばれる考え方である。これは現在の大勢を占める考え方である。もうひとつは、障害者の差別や偏見につながる社会のルール、社会のしくみを変えていこうとする「社会モデル」と呼ばれるものである。 

 「医療モデル」は、視覚障害者が駅のホームから落ちてしまうのは目が見えないからであるとする、問題の原因を個人に求めるう考え方である。一方、視覚障害者が駅のホームから落ちてしまうのは、目が見えないからではなく、十分な転落防止策が講じられていないからと原因を社会に求めるのが「社会モデル」である。 

 世間では障害の重い人のほうが軽い人よりも、生活していく中で辛く困難であると理解されているが、この理解自体が間違っているのではないだろうか?そのことを「社会モデル」流に考えてみようというのが本日の話のテーマである。 

 軽度視覚障害者は全盲ではないけれども、どんな医学的手段を用いても十分に見えるようにならない。時に対人関係で、時に社会的配慮の遅れなどで、社会から背負わされる辛さというものがある。同時に社会の偏見から逃れるために自身の障害を隠すという心理的葛藤とも向き合わなくてはならない。つまり、軽度障害者には独自の辛さ、困難さがある。 

 障害の重い軽いというのは量ではなく、質である。同じ視覚障害者と呼ばれる中にも多様性がある。ところが、多くの人は障害者を安易なイメージでとらえてしまいがちである。視覚障害者とは白杖を使う人、点字を使う人と理解してしまう。でも、実際には生活していく中で障害者の感じる辛さや困難さは、個々にすべて違う。ひとくくりにはできない。 

 障害者が求める支援の幅は広い。事前の学習で得られる知識、例えば、視覚障害者の誘導の方法を学ぶことは無意味ではないが、それが視覚障害者そのものを理解することにはならない。事前にすべてのことを理解することは不可能であり、必要もない。大切なことは「自分は相手のことをわかっていない」ということを理解しておくことである。 

 相手のことがわからないから、想像する。そして聞いてみて、振る舞いを見てみて、わからなかったことが、わかることへ変化する。この繰り返しで人間関係は深まっていき、例えば友人関係になる。事前の知識は、相手が何が辛いのか、何に困っているのか想像するときに役に立つ。 

 しかしこれは相手が障害者だから特別なことではなく、健常者同士でも基本的には同じである。では、一対一という関係から、かかわる人の数が増えたらどうか、一対一の関係と比べてうまくやっていくのは難しくなる。それは、他者との関係を良好に保つために、時に自分を抑えなければならないことが増えるからである。 

 視覚障害者のために横断歩道にエスコートゾーン(*)をつけたい、といった見えない人のために作り変えていくためには、税金というコストがかかる。音声誘導付信号機の場合、誘導音声を騒音と感じる近隣の住民も存在し、時に自分を抑えて相手との間に妥協点を探らなければならない。困っている人を目の当たりにしない状況で、かつ、自分にとって大切な人のためだけでなく、会ったことのない誰かのために、想像力を働かせて積極的な負担ができるのかどうか、それが問題である。 

 人と人が暮らしていくためには、なにがしかのルール、言いかえれば社会のしくみが必要である。ルールを守るということは、そのまま、時に自分を抑えるということを意味する。自分の自由を守るためには、他者の自由も尊重しなければならない。自分が自由であることが他者の自由を侵害することがあってはならない。ルールのあるところには、それにかなうもの、つまり「ふつう」と、そこからはずれるもの「ふうつでないもの」が生まれてしまう。ジレンマである。だからこそ我々は誰にとってもフェアなルールづくりを目指していかなければならない。 

(*)エスコートゾーン
 道路横断帯(通称:エスコートゾーン)~横断歩道の真ん中に点字ブロック(触覚表示)敷かれていて、視覚障害者の道路横断を支援する設備 

 

【略歴】 小川良栄(おがわ よしえい)
 1984年 仙台医療専門学校卒業、国家試験合格後、盛岡リハビリテーション学院、小泉外科病院、更埴中央病院、老人保健施設サンプラザ長岡にて研修。
 1991年 長岡市に接骨院を開業、現在に至る。
 2005年 介護支援専門員ライセンス取得。
 2006年 (財)東京都老人総合研究所介護予防運動指導員ライセンス取得。
 2008年 長岡市介護認定審査会 審査委員に就任

 

【後記】
 小川さんは、これまで何度か勉強会に参加され、その度に的確なコメントをされる、お洒落で、頭脳明晰で、そして少しシャイな方です。8月の新潟ロービジョン研究会は、「視覚障がい者の就労」がテーマでした。「障がいを持つ者にとって、恋愛と就労は心底自らの障がいと向き合わなければならない場面を迎えるという点で、同じなんだ」と語った、小川さんのコメントは忘れられません。 

 前からこの勉強会でお話して頂こうと考えていましたので、やっと念願が叶いました。沢山のキーワードがありました。「ふつう」「自動車の免許」「個人と社会」「バリアフリー」「障害者と健常者」「社会のしくみ」「重度と軽度」「理解されない」「人間関係」「隠したい」「彼女とのデート」「予行練習」「「りんごとバナナ」「「思い込み」「ルール」「医療モデル」「社会モデル」「想像力」、、、、、、。 

 スライド(パワーポイント)を使っての講演でしたが、目の不自由な方のために音声(駅のプラットホームや音声信号機の音)を用意してくれた初めての演者でした。期待通り、いやそれ以上の立派な講演でした。 

 ご自身が軽度の視覚障がい者であることから、障がいの重い、軽いとは定量だけでなく定性で考えることも重要で、重い障がいはリンゴが10個、軽い障がいはリンゴが5個ではなく、バナナが1本という捉え方をしてほしい。そして、リンゴとバナナでは食べ方が違うように、支援のためのアプローチも違ったものになるという解説はとても理解しやすい例えです。 

 心理的側面の話題もありました。初めてデート。障がいを持つ者は、障がいのことをデート相手には隠してお付き合いをする。完璧に事前に予行練習をして臨むが、そこで生じる様々な失敗談の場面で、講演は一番盛り上がり、また印象にも残りました(小川さんには不本意だったかもしれませんが)。 

 そして社会ルールを守る(創る)ために、「想像力」を働かすことの大切さ。多くの教えを頂きました。