報告:『新潟ロービジョン研究会2012』 (1)「網膜変性疾患の治療の展望」
2012年6月10日

『新潟ロービジョン研究会2012』 (1)「網膜変性疾患の治療の展望」
特別講演 小沢 洋子
 慶應義塾大学医学部眼科学教室 網膜細胞生物学研究室
 「網膜変性疾患の治療の展望」
 

【講演要旨】
 網膜変性疾患に対する治療は、古くから課題とされているにもかかわらず、未だに広く普及した方法はないのが実情である。その一つの理由は、網膜は、脳とともに中枢神経系の一部であるためであろう。20世紀初頭にノーベル生理学・医学賞を取ったカハール博士は、“成体(大人の)哺乳類の中枢神経系は損傷を受けると二度と再生しない”と述べた。確かに、中枢神経系では組織の再構築は簡単には行われない。

 しかし、21世紀に入ると、この言葉が必ずしも真実ではないことが明らかになってきた。成体の脳や網膜内にも、刺激に反応して増殖する細胞があることが、報告されるようになってきた。とはいえ、疾患により広く障害された部分を補てんするほどの細胞が、次々と生まれるというわけではない。すぐに医療に応用することができるわけではなかった。しかしながら、このような生物学の発展は、もしかしたら、研究を重ねればこれまでありえないと思っていたような新しい方法を生み出せるかもしれないという、可能性を信じる心を、我々に持たせてくれることになっていると思う。

 さて、もともと網膜にある細胞を、網膜の中で増殖させて網膜を再構築するのが細胞数の関係から難しいのであれば、移植手術をしてはどうか、と考えるのは順当であろう。これまでには、胎児網膜細胞、ES細胞、iPS細胞などを利用した研究が動物実験で行われてきた。元来、網膜は視細胞などの神経細胞と、神経由来であるが成体になってからは視細胞のサポート細胞としての性格を持つ網膜色素上皮細胞がある。

 視細胞に関する移植研究では、2006年のマウスの研究で、移植した胎児の視細胞がきれいに組織に入り込み生着したことを喜んだことは記憶に新しい。そのうえ、最近では、移植した神経細胞が、網膜内でシナプスネットワークを作り、ホスト網膜とつながりうることが確認されるようになった。ただし、まだ、機能回復を得るには至っておらず、疾患治療を目標にできるほどの大きな効果は得られていない。現時点ではこれを医療に持ってくるにはまだまだ距離があり、今後も長年にわたる研究が必要であろう。

 一方、網膜色素上皮細胞に関しては、ES細胞やiPS細胞等を用いた移植への道が、一歩一歩進められている。試みに、ごく少数のヒトへの移植が行われたという報告が見られるようになってきた。しかし、多くのヒトが、安全性と確実性を持って治療されるには、まだまだ越えなければいけないハードルが存在するであろうことは、想像に難くない。

 このような中で、iPS細胞の開発は、移植以外の治療の可能性も生み出したといえよう。それは、神経保護治療である。神経保護治療に関しては、すでに国内外でも網膜色素変性症に対して治験が行われている。UF-021(オキュセバ)といった薬剤や毛様体神経栄養因子(ciliary neurotrophic factor; CNTF)が、試験的に投与された。これらの薬剤が本格的に使われるようになるには、さらなる注意深い研究が必要である。また、この2剤だけですべてが解決できるとは限らないので、今後も研究の幅を広げる必要がある。

 iPS細胞は、この神経保護治療の研究に、大きな貢献をする可能性を持つと考えられる。特に遺伝子異常による疾患の場合、大きな威力を持つだろう。ヒト疾患の研究は、その臓器の検体を元に研究を進めたいところである。しかし、網膜を採取することはその部分が見えなくなることにつながることから、採取するわけにはいかない。また、がん細胞などと異なり、少量取り出したものをどんどん増殖させるというわけにもいかない。

 しかし、患者遺伝子異常を持つiPS細胞を患者皮膚細胞などから樹立(作成)し、それを網膜細胞に分化誘導させれば、患者遺伝子異常を持つ網膜細胞を、継続的に培養することができ、何回も研究することに使えるということになる。この方法により患者遺伝子異常を持つ網膜細胞を得ることは、疾患メカニズムを解析したり、候補薬剤のスクリーニングをしたり、といった研究を進める第一歩といえよう。

 我々の研究室でも、実際に網膜色素変性症患者の皮膚細胞(網膜細胞ではなく)を採取させていただき、これを用いた研究を開始した。研究成果が蓄積されることで、臨床現場に還元できるとよいと、心から願う。薬剤の候補が見つかったらすぐに臨床に応用できるわけではないが、一歩一歩、堅実に進みたいものだと思う。

 多くの研究結果が蓄積されることで多くの効果的な薬剤が生まれ、遺伝子診断の確実性も増し、法的整備も進められた暁には(これは何十年も先のことになるかもしれないが)、診断がついたらすぐにでも神経保護治療を開始し、生活に不都合のあるような視野異常を生じないような予防をしたいものである。遺伝子異常があっても網膜異常を生じない世の中が来ることが理想であり、その実現を切に願う。

【略歴】
 1992年   慶應義塾大学医学部卒業 眼科学教室入局
 1994年   佐野厚生総合病院 出向 
 1997年   慶應義塾大学医学部眼科学教室 助手
 1998年   東京都済生会中央病院 出向
 2000年   杏林大学医学部 臨床病理学教室 国内留学 
 2001年   慶應義塾大学医学部 生理学教室 国内留学 
 2004年 4月 川崎市立川崎病院 出向 医長
 2004年10月 慶應義塾大学医学部 生理学教室 助手
 2005年 4月 慶應義塾大学医学部眼科学教室 助手 
 2008年10月 慶應義塾大学医学部眼科学教室 専任講師 
 2009年 4月 網膜細胞生物学研究室 チーフ (兼任)
 

【後 記】
「神経は損傷を受けると再生しない」というCajal(1928)の呪縛から抜け出しつつある現在の状況を教えてくださいました。本当は難しいお話を素人にも判りやすく語って頂き流石でした。遺伝子治療や薬物治療は、多施設での研究が必要。iPS細胞の研究、薬の開発に適している。神経保護治療は、長期観察を要する、根気が必要。拠り所が判っていることが後ろ盾となる、、、ナルホド・ナルホドと合点しながら拝聴しました。

 

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 『新潟ロービジョン研究会2012』  
  日時:2012年6月9日(土)13時15分~18時50分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

【プログラム】
 12時45分 開場 機器展示
 13時15分 機器展示 アピール
 13時30分 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
     座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)
 1)基調講演 (50分)
   演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
   講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
 2)私のIT利用法 (50分)
   「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
      三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
   「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」
      園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)
 3)総合討論 (10分)

 15時20分 特別講演 (50分)
    座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
  演題:「網膜変性疾患の治療の展望」
  講師:小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑) 

 16時20分 コーヒーブレーク & 機器展示 (15分)

 16時35分 基調講演 (50分)
    座長:張替 涼子 (新潟大学)
  演題:「明日へつながる告知」
  講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長) 

 17時25分  シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
  座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)、守本 典子 (眼科医:岡山大学)
    「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
   園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
    「家族からの告知~環境と時期~」
   竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
    「こんな告知をしてほしい」
  コメンテーター
   小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長) 

 18時35分 終了 機器展示 歓談&参加者全員で片づけ 
 18時50分 解散

 

 機器展示
  東海光学株式会社、有限会社アットイーズ、アイネット(株)、
  
株式会社タイムズコーポレーション、㈱新潟眼鏡院

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 眼科治療にも関わらず視機能障害に陥った方々に対して、残っている視機能を最大限に活用して生活の質の向上をめざすケアを「ロービジョンケア」といいます。済生会新潟第二病院眼科では、眼科医や視能訓練士、看護師、医療および教育・福祉関係者、そして患者さんと家族を対象に、2000年1月から年に一度、だれでも参加できる「新潟ロービジョン研究会」を開催しています。

 2012年6月9日、済生会新潟第二病院で『新潟ロービジョン研究会2012』が開催されました(今回で12回目)。「網膜変性症治療の展望」、「ITによる支援」、「告知」のテーマで講演とシンポジウムが行なわれ、新潟県内外から120名(県内70、県外50;内訳~医療関係者60名・研究・教育関係者40名・当事者・家族20名)が参加しました。

 

【総括】
 今年も充実した研究会を開催することが出来ました。今回で12回目になります。私にとっては、慌ただしく過ぎ去った怒涛の1日でした。ああすれば良かった、この人ともう少しお話ししたかった という悔いばかりが残っています。
 
当初よりこの研究会は、医師や医療関係者のみでなく、当事者・家族、そして多くのサポートする方々が一堂に会して討論することを信条にしてやって参りました。今回も新潟県内外から120名が参加しました。その時に一番関心のあることをテーマに選びますが、今回は「視覚障害者へのITによるサポート」「網膜変性治療の最前線」「病名告知」と3つテーマを選びました。欲張ったために討論の時間が十分に取れなかったことが反省点です。片道分の交通費で出演を承知して頂いた講師・座長・シンポジストの皆様に、改めて御礼申し上げます。