【目の愛護デー記念講演会 2004】
(第103回(2004‐10月)済生会新潟第二病院眼科勉強会)
演題:『眼の話』
講師:藤井 青 (新潟医療専門学校教授;前新潟市民病院眼科部長)
期日:2004年10月13日(水) 17時~18時
場所:済生会新潟第二病院 10階 会議室
主催:済生会新潟第二病院眼科
『人類にとって眼とはなにか?』。文献に裏打ちされた豊富なデータや知識、ご自身で撮られた美しい新潟の風景写真をふんだんに使用し、集まった80名の聴衆を魅了しました。以下、講演の内容を私なりに、感想を交えてまとめてみました。
【講演要旨】
第1章 「昔の人は眼をどう考えていたか?」
豊富なスライドを用いて、で古代から人間と「眼」についての係わり合いについて解説。博識に圧倒された。
第2章 「人間の眼は精密なカメラ眼」
イカやタコの球状レンズ、サソリなどの外部レンズ、カタツムリなどの内部レンズと脊椎動物のカメラ眼を対比させ、人間の眼は精巧で、カメラに例えられることを解説。ここまではふんふんと聞く。
第3章 「あやふやな視覚」
精密であるはずの人間の眼が、実は頼りない。錯視について様々な例えで具体的に話された。同じ長さの2本の平行な直線、この両端に「><」と「<>」をつけると、途端に前者の線は後者よりも短く見える(ミューラリーの錯視)。末広がりの斜線の中に平行な直線を入れた場合、斜線間が広い方の直線が短く見える(ポンゾの錯視)。同じ長さの直線を逆Tの字に直角に描いただけで縦線が15%も長く見える(フィック図形)、、、、、、等々。
アナモルフォーシス(正面から見ると無意味な模様に見えるが、ある特定な見方をすると絵が現れてくる)は、レオナルド・ダ・ヴィンチにより最初に描かれたものとされているという。さらにメタモルフォーシス(一見普通の絵が、視点を変えてみると男性の顔が女性の裸体に変化したり、昆虫が人間に変わったりする。すなわち変身する)も紹介。日本にもアナモルフォーシス画は存在した。「鞘絵」は刀の鞘に映して見る、、、、、、。もうこの辺りからは、興味津々、メモを取る手がが止まってしまう。
第4章 「もう一つほしい第三の目」
今見ているものは真実だろうか?というタイトルで始まった。「第三の眼」などというと漫画の世界かと思いきや、実に奥の深い内容だった。流石(さすが)!「第三の眼」を持つ三眼の神としては、インド神話のシヴァ神が代表格である。ネパールのある地域では、今も眉間に第三の眼をつけた少女神「クマリ」が生き神様として崇められている。
オタマジャクシやハヤなどの魚類、カエルなどは両眼を摘出した後も光を感じている。第三の眼の知覚である。未分化の光感覚器を包括して「光受容器」と総称しているが、このうち「松果体;しょうかたい」だけを特に「第三の眼」と呼ぶ。松果体は、トカゲでは頭頂眼としてレンズや網膜が残っていて、今でも眼として認識されている。カエルではレンズが消失して、単に袋のような形になったため前頭器官と称されている。人間はじめ哺乳類では光受容体としての機能は消失し、ホルモン分泌専用器官のように見える。わずかに残されている照度計としての作用が、体内時計として働いている、、、、、、、。
最終章
哺乳類である人類では、松果体は見る器官としての「第三の眼」は失ってしまった。しかし心や精神、知恵、洞察力などとして間違いなく「第三の眼」は残っているし、必要とされている。複雑で分かりにくい現代社会の様々な現象を間違いなく見極めるために、「第三の眼」をしっかりと見開くことが、今の我々に求められている。
【藤井 青 先生 略歴】
昭和40年3月新潟大学医学部卒業。
東京大学医学部付属病院にて医療実地修練
新潟大学大学院博士課程で眼科学を専攻、大学院
新潟大学眼科教室勤務。医局長。
昭和48年9月から、新潟市民病院(眼科部長)勤務。
平成16年3月末日で定年退職。
同年4月から、新潟医療専門学校教授(視能訓練士科学科長)
また新潟県眼科医会副会長として活躍中。
【講演後】
参加者からの質問が相次ぎました。「眼内レンズ」は、何年くらいもつのか?白内障の手術は、入院ですべきか?外来手術で充分なのか?37歳男性片眼の白内障手術、手術すべきか?これからの白内障手術の将来は?白内障にならないようにする生活習慣とは?目にいい食物は?「メガネ」を掛けていると子供に怖がられるのだが、どうしたらよいか?網膜剥離の手術を受けたが再発が不安だ、、、、、、、等々。どんな質問にもひとつひとつ懇切丁寧に噛んで含めるように説明されていた藤井先生の姿を拝見し、お人柄を垣間見たような気がしました。若い眼科医に、是非学んで欲しいと思いました。
【参加者からの感想】参加された方々から感想をメールで頂きました。
・藤井先生の眼に関する博識については、「眼玉の道草」で驚かされたところですが、今回もまた、わかりやすく、さりげなく、眼の人類史における扱いや錯視という眼の機能の特徴、第3の眼などを説明していただき、普段、「見る」ことにしか関心がない私たちをハッとさせる講演でとてもよかったと思います。 また、白内障の嘘と本当の話は、57歳の私にとって、とても切実な話ですので勉強になりました。講演のあと、白内障に関する質問が相次ぎ、ひとつひとつの質問に丁寧に応えていただいたこともあって、一層、白内障の理解を深めることができました。(HY)
・今回は白内障など患者様の身近な?話題で非常にわかりやすくお話されていたのが印象的でした。又、質疑応答では普段は外来で聞きたいのに聞けない質問が出ていました。それらを丁寧に説明され、藤井先生のお人柄が垣間見えたようでした。(KI)
・眼科医の講演でアイ・トリック、第3の目の話を聞くのは、初めてでした。これら話は、日常生活から抜け出し何か忘れたことを思い出すよう感じであり興味深く聞きました。質問も興味深かったです。巷にいわれている「目によくなる食べ物」に結構興味があるものなのだなあとか、保育所の方が、「めがねをかけた人は怖がられるのか」という質問には、きっと日常の現場で子供と接するときにいろいろとご苦労があるのでは・・・と考えたりもしました。(SH)
講演と質問の時間を合わせると2時間以上に渡り『目の話』を拝聴しました。忙しい外来診療をしながらでは、とてもこのような時間をもつことが出来ません。『目』について様々なことを教えて頂きました。私の目論見どおり、藤井青先生の話に、参加者は皆、大満足でした。
【著書】
「目玉の道草」藤井青 著
出版社:文芸社
発行日:2004年2月15日
定価:1500円+税
【書評:藤井青著「目玉の道草」を読みて】岩田和雄(新潟大学名誉教授)
(新潟市医師会報2004年5月号)
最初のお話「目薬の木」を読み出したとたん、これはもう藤井青君の文章にほかならない、と思えるほどに特徴的な文体が展開する。前著「目玉の散歩」に続くエッセイ集である。藤井青君は、本年3月末をもって、定年となり新潟市民病院開設以来の眼科部長を辞することになったので、記念出版ということになろう。併せてお慶び申し上げたい。
挿入された挨拶状によると、最後の1年は多忙で、1夜がけのような文章になったと記しているが、どうして、中々の出来栄えだ。「道草」と言えば漱石となるが、それは神経衰弱の夫とヒステリーの妻と取り巻きの人々のいざこざを、いつ果てるともなく書き綴ったもの。藤井君の道草は、ほんとうの道端に生えている草を食うが如き実体験が核になっているので、とりわけ味わいも深い。
(途中略)
新潟大学眼科大学院生で、のちに浜松医大の生理学教授となった故森田之大氏の研究テーマであった「第三の眼」が、この本では、歴史的、文化的にポリフォーニックに取り上げられて面白い。目と眼の違いをとことんまで追及されているのは流石だ。
詳細は読んでいただくことにして、最後に患者さんに信頼され、愛される「目医者さん」でありたいと心から思っていると結ばれている。立派である。いつまでもこの魅力ある語り口で、あらたなエッセイを「目医者さん」の目で綴り続けていただきたい。
書評といったものは、賞賛の言葉に加えて、何か一言、評する人の見識を暗示しないと済まされないようなところがある。「目玉の道草」は完璧で、見事で、これ以上何も申すことはない。もしも、何か足りないところがあるとすれば”お色気”かな。これは余計なこと。
(2004年3月末日)