報告:「明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009」 
2009年11月23日

報告:「明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009」

 日時;2009年11月21日(土)
    開場:14時 14時30分~18時00分
 場所;済生会新潟第二病院 10階会議室


 特別講演
 「網膜色素変性とiPS細胞」
     高橋 政代 (神戸理研)
 「人工の眼は可能か?」 
     仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 

『特別講演』
 「網膜色素変性とiPS細胞」
   高橋 政代 (神戸理研)
    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 
     網膜再生医療研究チーム チームリーダー
    神戸市立医療センター中央市民病院眼科 非常勤医師
    先端医療センター病院眼科 客員副部長

【講演要旨】
 我々はES細胞あるいはiPS細胞由来の視細胞や網膜色素上皮細胞を用いた網膜再生治療開発を目指している。すでにヒトiPS細胞から視細胞および網膜色素上皮細胞の分化誘導法を開発した。臨床応用のためには今後それぞれの細胞特有の様々な問題を解決する必要がある。

 iPS細胞由来網膜色素上皮細胞の移植は、すでに純化という問題をクリアし、しかも拒絶反応がないと考えられるため、現在は実際の細胞の品質管理やプロトコール作りなどの手続きに焦点が移行する。一方、視細胞移植に関しても最近ES細胞由来細胞の移植で網膜変性モデルマウスを治療できることが報告された。視細胞については、移植細胞純化のための検討や、さらに視細胞変性には移植される側の網膜の炎症反応などの環境を制御することが移植細胞の生存率を高め神経回路網を再構築するために重要である。

 以上のように、網膜細胞移植は効果が確認され、現在は具体的に移植細胞の質の確保やどのような症例に応用するかという議論を始める時期にあると考える。

 研究は着実に進んでいるが、それでも視細胞移植では7年後に光を見せるのが目標という状況で、一般的な治療となるまではまだ年月が必要である。再生医療の報道が与える印象と実際とのギャップが患者を苦しめることにもなっている 実際の診療では、網膜色素変性で受診した人の10%弱のみが医療を必要としていたが、ほとんどは医療ではなく情報やケアが必要な状態であった。現在実際に向き合う網膜色素変性患者にとって、何が必要かを考えると再生医療研究などによる希望もよいが、疾患の正しい知識と疾患の受容、そして道具だけでない適切なケアが最も重要であることがわかる。

【略歴】
 昭和61年 京都大学医学部卒業、京都大学眼科研修医
 昭和63年~平成4年 京都大学医学部大学院
 平成4年~平成13年 京都大学医学部眼科助手
 平成7年~平成8年   アメリカソーク研究所留学
 平成13年~平成18年 京都大学病院探索医療センター助教授
 平成18年~ 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
                神戸市立医療センター中央市民病院眼科非常勤医師
 平成20年~ 先端医療センター病院眼科客員副部長

【後記】
 網膜色素変性の理解から、最先端の研究まで判り易くお話ししてくれました。細胞を移植することによって、疾患で失われた網膜機能を再生させるプロジェクト。
 再生医療を成功させるためには、基礎側からのアプローチだけではなく、臨床側からのアプローチ、すなわち対象となる疾患の深い理解も重要。「医療側が与えたい情報と、患者側が欲しい情報とでは相違がある」「見えないことを母親が可哀想 と思うこと」の問題の指摘も印象に残りました。
 iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療が、近い将来確立できることを期待します。 
 http://www.cdb.riken.jp/jp/01_about/0105_annual02.html
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『特別講演』
 演題 「人工の眼は可能か?」 
 講師 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 

【講演要旨】
 私たちの脳の中には眼の網膜の各部位と対応関係のある領野が複数あり、これがいわゆる視覚野になっていることがわかってきました。その中に後頭葉の最後端のところに網膜の中心窩からの情報が届くところがあって、これを中心窩投射皮質といいます。この部分を電気で刺激すると視覚を感じることが知られていて、70年代にはドーベルがこれを利用した人工視覚装置を開発しました。しかし、ドーベルが2004年に亡くなり、その後はそのような研究は残念ながら立ち消えになっています。

 その一方で、アメリカとドイツを中心に網膜を刺激するタイプの研究が発展し、日本でも阪大や東北大でこの網膜刺激型の特殊なタイプが開発されてきています。南カリフォルニア大学のヒュマイアンは、すでに60電極の網膜刺激装置を網膜色素変性症で全盲の患者の眼にいれ、その患者はコントラストの高い大きな形なら判別できるようになっています。また、チュービンゲン大学のツレンナーは16+1500電極のものを入れ、視力が0.018になったと語っています。

 このように人工視覚もここへきてかなりの進歩がみられ実用可能な範囲に突入しはじているのがわかります。しかし、手術の安全性、電極の耐久性、交換可能性、解像力、広い安定した視野というユーザーサイドから見た理想的な人工視覚にはまだまだのようです。

 さらに、疾患限定ではないものとなると結局はドーベルの最初の発想に帰り、脳内への直接入力が必要となります。現在、私はこれをより安全性が高く解像力がよくなるものとして脳内光刺激型の人工視覚に賛同しています。本講演の最後にそのコンセプトについて簡単に説明しました。

 究極のロービジョンケアは失明の治療であると考え、これからも「あきらめない」をキーワードに仕事を続けていきたいと思います。

【略歴】
 平成元年5月 東京慈恵会医科大学付属病院長 眼科研修医
 平成3年4月 東京慈恵会医科大学眼科学講座助手
 平成7年7月 神奈川リハビリテーション病院派遣 眼科診療医員
 平成9年7月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療医長
 平成15年4月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療副部長
 平成15年10月 東京慈恵会医科大学眼科学講座助手 眼科診療医員
 平成15年12月 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師 眼科診療医長
 平成16年1月 Stanford大学留学(visiting scholar)
 平成17年4月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療副部長
 平成19年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
 平成20年2月 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院
       第三機能回復訓練部部長

【後記】
 人工眼研究の歴史から現在の最新の情報まで、広範なお話を判り易くお話ししてくれました。
 バイオハイブリッド型人工眼、光を受け取る緑藻類(りょくそうるい)の遺伝子等、わが国の研究も進んでいることが判りました。
 http://www.io.mei.titech.ac.jp/research/retina/index-j.html
 http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=235403&lindID=4
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『シンポジウム 明日の眼科を考える』
 司会: 西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院) 
    安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
 シンポジスト
  田中 正四 (新潟県胎内市;当事者)
  木原 暁子 (マイクロソフト社;当事者)
  清水 美知子 (埼玉県;歩行訓練士)
  川瀬 和秀 (岐阜大学;眼科医)
 コメンテーター
  高橋 政代 (神戸理研)
  仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター眼科) 

シンポジスト  
   田中 正四
   (新潟県胎内市;当事者) 
 私達患者が眼科を受診する時大きなアドバルーンを持って受診します。そのアドバルーンは(不安)と(希望)と言う二つのバルーンです。経験のない目の異常に、患者の心はバクバク状態で医師の前に立ちます。まさに(不安)バルーンは、パンパン状態です。一方、現代医学医療の進歩は目覚しくその情報は新聞・テレビ・ネット等により患者の耳に届きます。患者はそれらの情報に期待をふくらませるのです。しだいに見えなくなる現実に患者のあせりが加わり、なにげない医師の言葉や、治療法が示されない現実に失望を感じ、私のバルーンは大きく揺れ動き縮小拡大を繰り返すのです。
 患者の最大の望みは、もう一度ものを見る事につきます。妻や成長した娘達そして、さずかった孫達の姿や顔が見たいのです。病気の将来を承知し理解しながらも(希望)バルーンの中の夢を持続したいのです。この様な眼科受診の経験から今後の医療に次の事柄を望みます。
 一つには、病気の原因と現象、その対策と将来についてより明確で判りやすい説明が必要ではないでしょうか。さらには、失明につながる診断となった時には、早期の生活訓練の提案を望みます。病院・訓練機関・行政まで一環した訓練施設・内容の提案ができれば視覚障害者の自立に大きく貢献できるものと信じています。
 私はこの7年間、NPO法人や、ボランティアに参加し心に残る体験をしました。すなおになる事、出来るようになった事に喜びを見い出す事。これらを体験し、同じ障害者と接する中から(なにくそ)バルーンをかかげることができました。今後は、同じ障害を持つ仲間と共に社会貢献ができればと考えています。

 略歴   
  1952年 新潟県越路町(現長岡市)生まれ
  1968年 日立製作所入所
  1974年 移転により中条町(現胎内市)に転居
  2002年 右目緑内障発症
  2003年 慢性腎臓疾患により人工透析開始
  2004年 左目多発性後極部網膜色素上皮症・網膜中心静脈閉塞症発症
  2006年 ㈱中条エンジニアリング退職
        現在視覚障害一級・腎機能障害一級
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シンポジスト 
   木原 暁子
   (マイクロソフト社;当事者)
 私は2003年まで見えていた中途視覚障碍者です。体調不良と手術がきっかけとなり全盲となりました。
 目の手術は左右合わせて4回受けてきましたが、どの手術も不安と緊張が大きくありました。左目の手術直後は麻酔と緊張の影響で、飲み物を飲んでも嘔吐してしまったほどです。
 視力を保持したいという希望の気持ちと、失明してしまうかもしれないという不安から直前まで悩んだ右目手術は、網膜剥離予防と白内障改善のためと聞いていましたが、改善には及ばずその後の私に大きな影響を与えました。
 眼科治療は多かれ少なかれ人生を変動させるものだと思います。その眼科治療が人生に大きく影響するならば、その後人生をenjoyできるものが技術の進歩で開発されることを願っています。
 また患者の失明と同時に離れてしまいがちな医師にこそ、その後も人生を歩む私たち患者には情報(訓練施設や最新治療など)というtriggerを与えてほしいと思います。

 略歴
  1980年11月 若年性(1型)糖尿病発症
  1999年 9月 派遣会社入社
  2003年 2月 右目手術にて全盲となる
        5月 退院後障害手帳取得,生活訓練受講
  2003 12月 左足裏大やけどにより入院(8か月間)
  2005年 8月 退院後再度生活訓練受講
  2006年 7月 マイクロソフト株式会社入社~現在に至る
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シンポジスト  
   清水 美知子
    (埼玉県;歩行訓練士)
  今回のシンポジウムでは、さまざまな事柄に触れましたが、最も伝えたかったは、「ケア」と「リハビリテーション」は違うということです.
 昨今の「ロービジョン」ヘの関心の拡大とともに、「ロービジョンケア」を実施する眼科医療機関が増えています。そのような医療機関の中には、屈折異常、視力、視野などの視覚機能の評価とそれに基づいた眼鏡類の処方に加えて、書字読字、生活動作、安全な歩行などの訓練やカウンセリングなどを行うところもあります.
 いうまでもなく「訓練」や「カウンセリング」は「ケア」ではありません。そこで行われているのは「ロービジョンリハビリテーション」です。ケアの主体はケアの提供者です.リハビリテーションの主体は障害のある人自身です.
 「ロービジョンケア」を「ロービジョンリハビリテーション」と同義に使用することで、患者あるいは障害の残った人の主体性、その方々の生活、心理的な問題などリハビリテーションの重要な中味がなおざりにされるのではないかという危惧を持ちます.
 「ロービジョンリハビリテーション」は「ロービジョンケア」を内包しますが、その逆ではないと考えます.

 略歴
  歩行訓練士として、
   1979年~2002年 視覚障害者更生訓練施設に勤務、
    その後在宅の視覚障害者の訪問訓練事業に関わる。
   1988年~新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて、
    視覚障害リハビリテーション外来担当。
   2003年~「耳原老松診療所」視覚障害外来担当。
    http://www.ne.jp/asahi/michiko/visionrehab/profile.htm
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シンポジスト  
   川瀬 和秀
   (岐阜大学眼科)
 演者は眼科医となり20年が経過した。この20年間で白内障の手術の進歩は目覚ましいものがある。技術的な進歩により生活可能な視機能維持や視機能の獲得が可能となる治療が増えたことは嬉しい限りである。しかし、これらの技術をもってしても生活に不自由を感じている患者の数はむしろ増えている。最近のロービジョンケアのシンポジウムやセミナーの開催は、眼科医が、視機能障害の進行が止まった医学的な治癒だけで治療が終わらないことの大切さにやっと気付き始めた証拠である。この件に関して、今後のロービジョンケア教育やロービジョン学会の在り方が問われているのは確かである。
 さらに次の20年で、眼科医療がどのように進歩するのか楽しみである。高橋先生や仲泊先生のお話のように網膜移植や人工眼の開発も急ピッチで進められている。講演では、明後日の眼科診療として、私の専門の緑内障における、将来的に導入が期待される診断や治療法、基礎研究について紹介し、今日の眼科診療として、現在の眼科診療を見直し、明日の眼科診療として現在の治療では及ばない部分のロービジョンケアを中心としたお話をした。
 最後に現在の技術で作成可能な、光学的な技術を使用した補助眼鏡による歩行支援システムの開発を紹介した。

 略歴
  1988年 順天堂大学医学部卒業
  1988年 岐阜大学医学部眼科学入局
  1993年 ミシガン大学研究員
  1997年 文部省内地研究員(山口大学眼科)
  1999年 アイオワ大学眼科研究員
  2001年 岐阜大学医学部眼科講師
  2002年 岐阜大学医学部眼科助教授
  2005年 大垣市民病院眼科医長
  2007年 岐阜大学医学部眼科准教授 現在に至る


【シンポジウム後記】
 田中正四さん~「希望」「不安」「なにくそ」アドバルーン、とてもインパクトがありました。心に響きました。
 木原暁子さん~糖尿病網膜症で失明してから再就職に至るまで、出会った方々に感謝と語りました。感動。
 清水美知子さん~ケアとリハビリは違うことを指摘してくれました。「当事者主権」「エンパワメント」「インフォームド・デシジョン」「リハビリはマインドリセット」、多くのことを、考えさせられる講演でした。
 川瀬和秀先生~患者の訴えを聞くことが重要(患者さんがどう見えているのか、医者は知らない、聞いていない)。緑内障の治療は、眼圧や視野だけではない。視野から不自由さを推測することが大事。最新の緑内障診療の情報を交えたお話でした。

 田中さん・木原さんのお話から、医者が患者に説明することの大事さ、改めて感じました。打ち合わせはしていませんでしたが、講演やシンポジストに共通していたことは、「諦めない」ということだったようです。患者も、家族も、医者も諦めない。諦めないことは実は苦しいことですが、進歩はこうした中から生まれてくると信じます。
 同じテーマを、全国各地から集まった、いろいろな職種の方々と、同じ会場で一緒に、語り合うことが出来たことが最大の収穫でした。


【【フォーラム総括】】
 人工眼・再生医療という最先端の眼科医療の講演と、患者さんの生の声を交えたシンポジウムを通して、「明日の眼科の、夢と現実を考える」という、チョッと欲張りな企画でした。
 眼科医・医療関係者と患者さんと家族、および教育・福祉関係者を対象に、遠くは島根県・和歌山県・兵庫県・京都府、近くは福島県・山形県など全国から98名+盲導犬4頭(新潟県外23名、新潟県内23名、新潟市内52名;事前登録)。関係者、当日参加を加えると110名を超える人数になりました。


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「明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009」
  日時;平成21年11月21日(土)
  開始14時30分~終了18時30分
  場所;済生会新潟第二病院 10階会議室
  
 特別講演
 「人工の眼は可能か?」 
   座長: 鶴岡 三恵子 (西葛西・井上眼科)
   講師: 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 
 「網膜色素変性とiPS細胞」
   座長: 安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
   講師: 高橋 政代 (神戸理研)
 シンポジウム 「明日の眼科を考える」
  司会: 西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院) 
     安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
  シンポジスト
    田中 正四 (新潟県胎内市;当事者)
    木原 暁子 (マイクロソフト社;当事者)
    清水 美知子 (埼玉県;歩行訓練士)
    川瀬 和秀 (岐阜大学;眼科医)
   コメンテーター
    高橋 政代 (神戸理研)
    仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター眼科) 

 主催 「明日の眼科を考える 新潟フォーラム」
 世話人 
  安藤 伸朗 (世話人代表;済生会新潟第二病院)
  川瀬 和秀 (岐阜大学)
  白木 邦彦 (大阪市立大学)
  鶴岡 三恵子 (西葛西・井上眼科)
  仲泊 聡  (国立障害者リハビリセンター病院)
  西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院)