『済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」』 第一回ご案内
講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市)
演題:生きるとは…「いのち」にであうこと~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室(予定)
どなたでも参加できます。参加費無料。
要:事前登録(後日、ご案内致します)
【講演抄録】
外科医として18年間勤めたあとにホスピス医となり、19年が過ぎようとしている。外科医の間は病気をみてきた。その時に病人(患者さん)を苦しめている病気を治すことばかりを考えて過ごした。点の勝負だった。ホスピスに転じてからは、患者さんのもつ苦悩につきあってきた。患者さんと時の流れを共に過ごした。外科医は自分の治せる病気を診療する職人だったので、かなり限られた範囲の人しか診なかった。ホスピスでは、治せない病気の人を診させていただき、結果として随分といろんな方々と出会うことができた。
そこで気づいたことがある。外科医は病気を治すことはできるが、人を生かすことはできない。ホスピス医は病気を治すことはできないが、人を生かすことができる。つまり、ホスピスケアは人に生きていく力を与えることができるのだ。さらに言えば、死にゆく人から私自身が生きていく力をいただくのだ。
遺される人に生きていく力を与える。この力が「いのち」と呼ばれるものではないのだろうか。ホスピスでは生死を超えた「いのち」にであうことができる。死んでも途絶えることなく人から人へと伝えられる「いのち」、個人のものではなくてすべての人に共通する「いのち」に気づくときに、人は自分を閉じ込めている殻が破れ、平安な死に迎えられるのではないだろうか。ホスピスの真実がここにある。
阪神淡路大震災、東日本大震災やその後の度重なる災害の中で、多くの生命が前触れもなく絶たれていく。突然のかなしみに前途を失うことも多いことだろう。しかし、「いのち」はつながれていくのだと思う。かなしみを通して、誰もがつながる「いのち」から多くの生きていく力をもらっているに違いないと思う。
死の様は人それぞれで、それを選ぶことはできない。死の前では無力ではあるが、「いのち」のつながりの中で、生命もつながれていく。死にゆく人たちとのであいから教わったことを皆様と分かちあいたいと願っている。
【細井順プロフィール】
1951年、岩手県盛岡市の生まれ。小学二年生のとき、医師だった父の異動で京都に引っ越し、以来、大学卒業まで京都で育つ。クリスチャンホームで、物心つく前から教会に通い、中学一年生で受洗した。父親は法医学の大家、四人の叔父は外科医。
1978年大阪医科大学卒業。自治医科大学消化器一般外科講師を経て、淀川キリスト教病院外科医長となった。その時父親を胃がんのために同病院ホスピスで看取っ た。このことをきっかけに96年ホスピス医に転向した。2年間研修後、愛知国際病院ホスピス長を経て、2002年よりヴォーリズ記念病院にてホスピスケアを行っている。
2004年、自身も腎がんで右腎摘出術を受けた。その後、自らの体験を顧みつつ、「死の前では誰もが平等、お互いさま」をモットーにしてケアを実践している。その様子がドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日~あるホスピス病棟の40日~」として2013年春から全国公開され、ホスピスからのメッセージを多くの人たちに届けている。
「竹馬の友 細井順」http://andonoburo.net/off/2209
「淀川キリスト教病院」http://www.ych.or.jp/
1973年に日本で最初にホスピスケアを行い、1984年には日本のホスピスの生みの親、柏木哲夫氏(現・同病院理事長、名誉ホスピス長、金城学院長)により国内二番目のホスピスが開設された。細井氏はホスピス医としての指導を受けた。
「ヴォーリズ記念病院ホスピス」http://www.vories.or.jp/medical_dep/kanwacare.php
ドキュメンタリー映画『いのちがいちばん輝く日~あるホスピス病棟の40日』http://www.inochi-hospice.com
【著 書】
『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年)、
『死をおそれないで生きる~がんになったホスピス医の人生論ノート』(いのちのことば社、2007年)
『希望という名のホスピスで見つけたこと~がんになったホスピス医の生き方論』(いのちのことば社、2014年)