報告 第188回(11‐10月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 遁所直樹
2011年10月28日

 演題:「NPO法人から社会福祉法人へ ~ 自立生活福祉会、今からここから」
 講師:遁所 直樹(とんどころ なおき)
     社会福祉法人自立生活福祉会 事務局長)
   日時:平成23年10月12日 (水) 16:30 ~ 18:00 
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来

  

【講演要旨】
1)初めに
 昭和62年6月25日に五十嵐浜に飛び込んで首の骨を折り、重度の障がい者となりました。社会復帰をしたいと思っても、どうやったら社会人になれるのか、病院に2年半、施設に3年半おりました。社会的な入院と施設入所待ちのための6年にしてはならないと思い悩んでいました。 

 平成5年9月にダスキン障がい者リーダー海外派遣事業13期生としてアメリカの障がい者の生活を研修することができました。そこでは資格を取得して自立生活センターという障がい者が障がい者のための介護サービスや権利擁護活動を行っていました。特に私よりも重度の障がいをもって生き生きと勉強している姿を見て、日本では否定されていたこと(それはすごい理不尽なことと思っていましたが)アメリカでそうではなく合理的な配慮を求めて主張してよいことを確認したのです。日本では入学を認めてもらえなかった男性の障がい者(日本人)がカリフォルニアの大学で勉強していることからも納得しました。 

 ちなみに当時は私のような障がいがいちばん不幸であると思っていましたが、今は不本意な理由でレッテルを貼られ差別を受けている障がいの方がいらっしゃることを強く感じます。(平成23年11月13日新潟大学南キャンパスときめいとにおいて黒岩弁護士さんと障害者差別禁止法についてディスカッションします) 

2)資格取得
 目標は定まったのですが、現実的にどのように動いて良いか解らず、新潟に帰ってきてから、しばらく自宅での生活が続きましたが、行政書士・社会福祉士の資格を取得し、介護老人保健施設に就職しました。今までお客様であるという立場から社会人として厳しい現実を経験した2年半でした。結局体をこわして辞めることになりましたが、人間関係の難しさ、社会人として責任を学びました。 

3)自立生活支援センター新潟発足
 平成7年10月に篠田さんという脳性麻痺の障がいを持った方が中心として自立生活支援センター新潟を新潟市西区で立ち上げたのです。いつかは何らかの形で関わりたいと思いながら、接点がなく、高齢者福祉の援助者として活動をしておりました。彼らは月1回の入浴介助の生活保障しかなかったときから権利を主張し制度拡大のため活動されてこられました。私自身としては新潟県医療費助成が訪問看護で利用できるように要望書を提出し実現したこと、行政書士のワープロ受験を認めてもらったことなど啓発され実行してきました。 

4)NPO法人自立生活センター新潟
 平成12年市町村障がい者相談事業を自立生活支援センター新潟が新潟市から委託され、その相談員として自立生活支援センター新潟に就職したのです。そこから、平成15年支援費制度、平成18年障害者自立支援法と障がい者の制度がめまぐるしく動き始め、措置から契約に障がい者サービスも変わる時期に、NPO法人の申請を手探りでしたことを思い出します。介助サービスを受ける立場から介助サービスを提供する事業所となり、素人集団が経営に着手しても、なかなか軌道に乗ることができません。 

 さらに三条市水害、中越震災、中越沖地震など新潟で大きな災害が起こり、全国の障害者団体から問い合わせ先、および被災地支援の窓口としてその責任を果たすべくできることを少しずつ行いました。そのさなか、前事務局長が心不全で倒れ、運営は滞ることが多くなり、同時に職員も疲弊してこの時期は組織の立て直しに力を入れ途方に暮れたこともありました。 

5)そして社会福祉法人へ
 試行錯誤しながら10年たった平成22年、土地と建物をNPO法人所有にしたことを機会に、社会福祉法人の申請を行ったのです。NPO法人は創始者が抜けたらその理念を継続することは難しいといわれております。社会福祉法人にすることで、高齢者になっても、障がいをもっても最後まで地域で暮らすこと、さらには一般市民の視線に立った当たり前の暮らしができるように支援するという方針を継続していきたいと願い、社会福祉法人設立に至りました。 

 法人は障がい者が主体となって活動することを特徴としています。自立生活プログラムとピアカウンセリングを継続的に行うため、この10月1日地域活動支援センターぴあポートを開設しました。トイレットペーパーの販売、自立生活プログラムとして毎日の食事作りから始めています。 

 この10月から同行援護、グループホーム、ケアホームの住宅補助が開始されております、さらに来年からは障害者相談支援事業として指定特定相談事業(ケアプラン作成)および指定一般相談事業が開始されます。この大きな社会保障の制度の変遷に対応することができる懐の大きな法人として成長できるように努めていきたいと思います。
 

【追記】
 遁所さんが勉強会でお話するのは、今回が3回目です。そして登場する度に、進化した姿を披露してくれます。 

 第91回 2003年12月10日
 「期待せずあきらめず」遁所 直樹 
  新潟市障害者生活支援センター分室 
 頚椎損傷による四肢麻痺という障がいから、精神的にも立ち直り資格を得て、相談員として自立生活支援センター新潟に就職したころでした。「期待せず、諦めず」、記憶に残る言葉でした。家族をはじめ、多くの支援する人に巡り合うことができました。      
 
http://homepage2.nifty.com/samusei_syoukyouren/chapter6-4.html 

 第121回 2006年4月12日
 「なぜ生まれる無年金障害者」遁所 直樹 
   NPO法人自立生活センター新潟 副理事長
   兼 新潟学生無年金障害者の会 代表 
 当時の所属はNPO法人となっていました。全国の無年金障害者と手を取り合い、新潟での学生無年金障害の訴訟を起こしている最中でした。この訴訟を通してさまざまな弁護士さんと知り合いになれたといいます。「負けて勝つ」 国を相手にする社会保障の裁判は、裁判では負けるが、その後に制度は変わることがあるという話、新鮮でした。
 http://www.tcct.zaq.ne.jp/munenkin/niigata-kousaikiji.html 

 そして今回、第188回 2011年10月12日 
 「NPO法人から社会福祉法人へ ~ 自立生活福祉会、今からここから」
   遁所 直樹 
   社会福祉法人自立生活福祉会 事務局長
 障がい者が主体となって活動することを旨とし、障がいを持っても最後まで地域で暮らし、当たり前の暮らしができるように支援する社会福祉法人を設立したということです。

 社会福祉法人自立生活福祉会ホームページ
 http://blog.canpan.info/jiritsu/

 学生時代の頚椎損傷による四肢麻痺という重い障がいは、遁所さんに大変な苦痛と努力を強いたのみでなく、社会的弱者のために頑張るという大きな目標を与えてくれたのだと思います、いや信じます。そんな彼をリスペクトし応援したいと思います。遁所さん、ますますの活躍を祈念しています。