速報版 『新潟ロービジョン研究会2015』  8月1日
2015年8月2日

今年の新潟ロービジョン研究会は、全国14都府県から90名近くが集いました。満員となった済生会新潟第二病院10階の会議室では、どの演題にも熱い討論があり、気づきがあり、感動がありました。
後日、各演者には講演要約を提出して頂く予定ですが、速記メモを中心にここに速報版として報告致します。

『新潟ロービジョン研究会2015』  
 日時:平成27年8月1日(土)開場;13時30分 研究会14時~18時
 
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 主催:済生会新潟第二病院眼科
 
テーマ:「ロービジョンケアに携わる人達」

特別講演
  座長:加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
 『世界各国と比べた日本のロービジョンケア』
  仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医) 

 世界各国(コロンビア、米国、カナダ、イギリス、オーストラリア、スウェーデン、大韓民国、中華人民共和国、モーリシャス、モンゴル、ジンバブエ)のロービジョンケアの実態を調査した結果、下記のことが明らかとなった。
 医療も福祉も、その国が平和かどうかによって大きく異なる。そして、どこにその財源があるのかという点で、その国の経済状況とシステムが大きく影響する。また、社会の中の家族の役割によっても大きく影響を受けている(家族構成~大家族:弱者を家族が守る、核家族:弱者を社会が守る)。 つまり、そのお国柄でロービジョンケアの内容も、その対象となる人も、そしてそれを実践する人も異なる。 
 ロービジョンケアの土台~まずは「平和、道徳・宗教」、そして「経済情勢」、さらに「家族、疾患・年齢」、そのうえで「技術・制度」
 日本は、当事者団体・支援団体の統一・結集する必要がある。現在我が国の視覚障害リハビリ関わる団体は以下の通りである~日本盲人会連合、全日本視覚障害者協議会、弱視者問題研究会、日本網膜網膜色素変性症協会、日本失明者協会、視覚障害者支援総合センター、全国盲老人福祉施設連絡協議会、日本盲人社会福祉施設協議会、全国盲導犬施設連合会、全国視覚障害者情報提供施設協会、全国盲学校長会、視覚障害リハビリテーション協会
 一方欧米では、一国に一つの組織である。米国~AFB:American foundation for the blind、カナダ~CNIB:Canadian national institute for the blind、イギリス~RNIB:The royal institute for the blind people、オーストラリア~ABF:The Australian Blindness Forum
 外国のシステムを学ぶことは、何であっても新しい視点と発想を与えてくれる。そして、自分の置かれている状況の問題点を見つけることができる。しかし、それと同時に今までに気づいていなかった日本での良い点を再認識し、変えてはならない部分があることにも気づかされる。 

 ★討論:国際ロービジョン学会での主な話題は何か?
 

パネルディスカッション ~ 『ロービジョンケアに携わる人達』
  司会:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院;眼科医) 
     仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)

1)眼科医が行うロービジョンケア
  加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
 かかりつけ医と高度な医療機関(急性期病院)との分業である病診連携は必要不可欠である。それでは高度な医療を行う急性期病院では、どのように眼科医は患者さんと相対すればよいのであろうか?高度の診断や手術を含む治療を行う眼科医が「先発投手」ならば、最終的にロービジョンケアを行う眼科医は患者さんへの対応を医療として終了するという意味で「抑えの投手」ということになるという考え方もある。あるいは、中には最終的にロービジョンケアを行う眼科医は「敗戦処理投手」のように考えている残念な眼科医も一部にいることは確かである。しかし、私は、いずれの考えにも違和感を覚える。
 本来眼科医が行うロービジョンケアとは、正しい診断、適切な手術を含む治療を行い、その上での狭義のロービジョンケアを行うことが正しいあり方だと考える。すなわち、眼科医が行うロービジョンケアとは最後を締めくくることではなく、先発投手として完投することであり、そのように考えるならば、ロービジョンケアにより力を入れる眼科医も必然的に増えると期待している。 

 ★討論:眼科医が行うという観点からのお話だったが、患者が眼科医に期待できることは何だろう?多くの患者は、医師に裏切られた歴史を持っている。
  討論:先発・抑えの例えは如何なものか?むしろサッカーのオフェンス・ディフェンスが適当ではないか。サッカーでは、フォワードは攻めるばかりでなく、守備も求められる。最新医療に中にもケアの視点が必要ではないか?
 

2)NPOオアシスでやってきたこと、行っていること
  山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
 いまから31年前の視覚障害者の自殺が契機となって、私たちは目の不自由な人のリハビリテーションに取り組んだ。当時信楽園病院の眼科は、大学からパートできておられたので、眼科医が赴任されるのを待った。待つこと10年、ようやく眼科医の大石正夫先生が着任され、すぐにリハビリ外来を、さらに翌年にはパソコン教室を開設した。その後、さらに歩行指導(白杖、誘導)、調理・化粧指導など指導項目を増やしながら、視覚障害者の自立を援助している。
 障害者の心のケアも大切。お茶飲みや食事をしながら、話し合い、情報交換する機会を設けた。パソコンをやらないで、お茶飲みや友達を求めて集まる人も多くみられる。リハビリ外来やパソコン教室を開設して、丸20年が経ち、視覚障害者にも高齢化の波が押し寄せている。
 老老介護の人が多くなり、いつ介護者が介護できなくなるかわからない人が多くみられる。そこで、目の不自由な人たちに「もし介護者が介護できなくなったら、あなたは施設で過ごしますか、自宅で過ごしますか?」とたずねてみた。自宅で過ごしたいと答えた人が多く、男性障害者(24人)では54.2%、女性障害者(8人)は75%に達した。介護者がいなくなったときに、視覚障害者がとくに困ることは、歩行・移動、食事作り、買い物。
 歩行・移動に対しては、昨年8月から、「転倒予防・体力増進教室」を開始した(毎月1回)。ロコモ・サルコペニア・フレイル・骨粗鬆症などの講義と、ラジオ体操などの実技、看護師によるフットケア、栄養士による栄養指導などを行っている。
 調理教室は以前から月2回行ってきましたが、一人になると作れない人がほとんどだった。そこで確実に作れるようになるために、「習って、教える、リレー調理教室」を開設した。ご飯が炊けることが大切なので、まず指導者が視覚障害者とマンツーマンでご飯が炊けるようになるまで指導。その人ができるようになったら、次はその人が次の目の不自由な人に教える。このように、一人でできるようになった人は、次の人に教え、その人がマスターしたら、また次の人の指導にあたる、リレー方式。ご飯を炊くことができるようになったら、次はみそ汁つくり。同様に、次から次へと技術のバトンを渡している。この方法は、技術が確実に身につくと同時に、達成感も味わえるように思う。
  @サルコペニア(sarcopenia)~進行性および全身性の骨格筋量および骨格筋力の低下 を特徴とする症候群。 

 ★感想:「習って、教える、リレー調理教室」の発想は素晴らしい。単に技術を覚えるのみでなく、人に教えるという達成感も味わうことが出来る。
 

3)ロービジョンケアにおける視能訓練士の関わり
  西脇 友紀(国立障害者リハビリテーションセンター病院;視能訓練士)
 視能訓練士は、昭和46年に制定された「視能訓練士法」という法律に基づく国家資格をもった医療技術者。私たちのほとんどは、眼科で医師の指示のもと視力や視野などの眼科一般検査を行ったり、斜視・弱視の訓練治療に携わったりしている。現在では各地に養成校も増え、約12,700名の有資格者がいる。
 その中で、ロービジョンケアに携わっている視能訓練士はというと、ロービジョンケアを行っている眼科がまだ少ないこともあり少数派だが、ロービジョンケアの前提となるのが正確な視機能検査であることを考えると、私たち視能訓練士すべてが関わっているとも言える。
 現在、私が在籍している病院の眼科では、眼科医、視能訓練士、生活訓練専門職、ソーシャルワーカーがチームを組んでロービジョンケアにあたっている。 

 ★討論:ロービジョンケアの専門施設で行った経験と、開業医に務めた双方の経験から、我が国のロービジョンケアの問題点、あるいはロービジョンケアが拡大しない理由等について、どのようにお考えですか?
 

4)新潟盲学校が取り組む地域支援
  渡邉 信子 (新潟県立新潟盲学校;教諭)
 新潟盲学校では相談支援センターが中心となり、新潟県内全域の視覚に障害のあるすべての対象者及びその関係者に対し、教育的支援・情報等を提供している。主な活動には、「来校相談」「電話・メール相談」等を中心とする相談支援活動や、「各種研修会の開催」等の理解啓発活動があるが、その内容は多岐に渡る。
 相談内容は、「乳幼児期」「就学時期」「就学後」「中学・高校進学時期」「成人期」等、その年齢や状況によって様々。そういった相談に対し、「いかに希望のもてる教育相談ができるか」が、新潟盲学校にとって大きな役割と考えている。
 平成25年度・26年度に文部科学省「特別支援学校機能強化モデル(特別支援学校のセンター的機能充実事業)」の指定を受け、地域の抱える課題等に向き合いながら事業を進めてきた。また、新潟県視覚障害リハビリテーションネットワーク「ささだんごネット」が3年前に発足し、連携を取って活動を進めていくことで、「相談事業」や「理解啓発事業」に幅と深みが出てきた。
 様々な取組によって成果を認めるが、同時に課題も明らかになってきました。盲学校の生徒数減少し、教諭も減少している。こうした現状の中で、「新潟盲学校が取り組む地域支援を今後どのように進めていくのか」を再度考えなければならない時期にきている。

 ★感想:教師は7~8年で転勤するという宿命があり、なかなか専門性を確立できない。しかしマイナスなことばかりを数えていても何の解決にもならない。現場でこういう取り組みを実践していることが素晴らしい。
 

5)盲導犬とローヴィジョン
  多和田 悟 (公益財団法人:日本盲導犬協会 訓練事業本部長 常勤理事)
 1993年の第2回リハビリテーション協会の研究発表大会で盲導犬を利用した弱視者の歩行訓練について発表した。当時は(現在でも?)どこの盲導犬協会も盲導犬使用の対象者は全盲に限るとされていた。それはLVの歩行において困るのは全盲であって多少でも見えるLVは困っていない、LVの保有視覚が訓練された犬のパフォーマンスを邪魔するなどという考え方であった。それはよく訓練された犬を信じてついていけばあなたは安全に歩ける、安全に歩けないのは犬の言う事を聞かないからである、との盲導犬歩行観があった。LVの方々も「私はまだ見える」「盲導犬を使うほどではない」という考えの方がほとんどであった。
 LVの妻が全盲の夫の手を引いて盲導犬使用の申請に来られた。説明を聞く中で妻は「私も神経をすり減らすことなく楽しく歩きたい」と言われた。その結果、LVの盲導犬使用者と世界で初めて一頭の犬を二人で使う「タンデム」とが出来た。別のLVの方は歩行指導の終了後、夜に興奮して電話をかけてきて「コンサートに行ってきた」と報告してくれた。音楽家を目指していた彼女にとって夜のコンサートに行けたことは彼女自身のセルフエスティーム(自尊感情:self-esteem:自己肯定感)の回復に大いに役立ったことと思う。
  現在ではLVの方の盲導犬使用は指導方法の進歩に伴って多くなってきている。今後はより個別のアプローチが出来るように歩行指導が計画され実行されるために歩行指導員の技術向上の機会が与えられることが求められる。

 ★感想:リハビリの目標が技術の獲得のみでなく、セルフエスティーム(自尊感情:self-esteem:自己肯定感)の回復であると指摘して頂いた。
 

6)後悔から始まった看護師によるロービジョンケア
  橋本 伸子(石川県;看護師)
 なぜ、看護師がロービジョンケアを?とこれまで多くの方に、何度も聞かれてきた。それは、見えなくなったらどうしようと通院していた方が、見えなくなった途端に通院をやめてしまった事がきっかけである。不安への傾聴以外にもっとできることがあったのでは無いかと後悔したからである。我々、看護師は排泄のケアにも踏み込めるケアのプロである。でも、残念な事に、ロービジョンケアという言葉自体が看護職には浸透していないのが現状である。それは、ロービジョンケアや視覚リハビリテーションについての教育や啓発の多くが、眼科に特化した職業の人にだけ向けて行われているためである。
 もし、その教育や啓蒙がもっと看護師に向けて積極的に行われていったなら、どうであろう。地域にある社会資源の存在について知っているだけでも、どれほど多くの情報拡散ができるだろうか。職業人口自体が多く、多岐にわたる病棟や各科外来や、在宅ケアにまで分布しする私達の存在は、より多くの患者さんに、知識や情報を提供できるマンパワーとなる。そして、それは福祉難民を予防することにもなり、自立に向けた社会資源へ繋がる近道となる。最も期待すべきは、ケア自体の発展である。我々、看護師が多く関わり正しく学ぶ事で、これまで議論される事が少なかった視覚障害者の排泄や栄養、清潔の保持といった当たり前のテーマにも、多くのケアが出てくると確信している。
 そして、今日、私がこの場に立っているのは、ここにおられる全ての人に、看護師(学生も含む)に向けたロービジョンケアの啓発活動を積極的に行うことをお願いしたいからである。 

 ★感想:「患者にとって一番身近な存在である看護師が資源となることは重要」という視点は新鮮。新しい気付きが沢山あった講演でした。
 

7)嬉しかったこと、役立ったこと (患者の立場から)
  大島 光芳 (上越市;視覚障がい者)
 視覚障害に陥った当初、女房がいないと寂しいと思った。そこでヘルパーさんに家事援助(弁当買ってきてもらう)をお願いした。外出のためガイドヘルパーをお願いした。新潟や東京への出張も出来るようになった。社会資源を利用する側から考えてみると、誰が私達の意見を吸い上げてくれるか?ということがポイントだった。
 私は何をやるにもスピードが十分の一になったのだから、ゆっくりでいい。時間はたっぷりある。辛抱強く、少しのプライドを持って歩みたい。「お父さん、頑張っているね」となれば嬉しい。妻もきっとそう望むから。
 「診察」とは、見て察することことではないだろうか?

 ★感想:視覚障害者自身の心の中の声を披露して頂いた。多くの感動があった。