報告:『済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017』 1)清水 美知子
2017年5月10日

報告:『済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017』 1)清水 美知子

 最新の眼科医療や再生医療の話題を知り、視覚リハビリテーションを語るという市民公開講座(主催:済生会新潟第二病院眼科)を、2月25日に開催しました。高橋政代先生(理化学研究所)、平形明人先生(杏林大学眼科教授)、清水美知子先生(フリーランスの歩行訓練士)をお招きし、司会は林 知茂先生(国立障害者リハビリテーションセンター病院)と安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)が務めました。当日は全国12都府県から100名を超す方々が参加、熱気あふれる公開講座となりました。
 公開講座の報告として、講師の方々の講演要約を順に公開致します。今回は、清水 美知子先生(フリーランスの歩行訓練士)です。 

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演題:「視覚障害リハビリテーションのこれまでとこれから」
講師:清水 美知子(フリーランスの歩行訓練士) 

【講演要約】

 第二次世界大戦以前、視覚障害者への支援は失明傷痍軍人を除き当事者が中心となって設立運営された互助的な事業がほとんどであった。法制度のもと国が視覚障害リハビリテーション(以下、視覚障害リハ)事業に関わり始めたのは1948年の国立光明寮の設立そして翌年の身体障害者福祉法の成立の時である。ここでは、法律に根拠を持つ視覚障害リハ事業を中心に概観する。 

1.三療師養成施設としての失明者更生施設開設期

 第二次大戦後、視覚障害リハはあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師(三療師)をゴールとした職業リハビリテーションとして始まった。戦後軍隊組織は解体し、それまでの傷痍軍人への医療、生活、職業などへの支援は全てなくなり、経済的に困窮した傷痍軍人の生活の自立は急務であった。そのような状況の中、失明傷痍軍人の職業的自立を果たすべく、1948年に「国立光明寮」が東京と塩原に設立された。その後1969年までの約20年間に開設された10(国公立施設7、民間3)の「失明者更生施設」は、全てが「あん摩マッサージ指圧師、はり師きゅう師等に関する法律」で定める三療師養成施設であった。この三療師養成事業は、現在も障害者総合支援法の指定障害者支援施設での就労移行支援に位置付けられ続いている。 

2.生活訓練施設開設期

 三療師養成施設開設期の終盤の1965年に、三療師以外の職業的社会復帰を目指して日本ライトハウス職業生活訓練センターが開設された。開設者の岩橋武夫氏は昭和初期から我が国の視覚障害者の福祉を牽引してきた人で、1935年に既に大阪ライトハウスを設立し、家庭訪問指導事業など後の生活訓練事業に通ずる活動に携わっていた。日本ライトハウス職業生活訓練センターでは、歩行、日常生活動作、コミュニケーションなどの訓練と、三療師以外の職業訓練(例:電話交換手)を実施していた。その後、1980年代初頭まで生活訓練を主要事業とする施設が、神奈川、埼玉、東京、京都などでも開設された。これらの施設で行われていた訓練は、現在の総合支援法の「機能訓練」に継承されている。 

3.中途失明者緊急生活訓練事業の開始

 日本ライトハウス職業生活訓練センター開設とほぼ同時期の1966年に中途失明者緊急生活訓練事業が障害者社会参加促進事業の一つとして始まった。施設ではなく当事者の生活圏で訓練を提供する事業で、簡単な手続きで速やかにサービスを受けられるのが利点である。ただし自治体による補助金事業であるため地域間に格差があり、全般に事業規模は小さい。一部の都市圏を除き利用者のニーズに十分対応できない状況が当初から続いている。 

4.眼科医療の視覚障害リハへの参入

 視覚障害リハは長い間医療分野の外で実施されてきた。医療サービスが終り、障害の残存が確定し障害が固定すると、当事者は医療から視覚障害リハへ移行する。1964年に開設された順天堂大学眼科リハビリテーションクリニックは眼科医療の中で視覚障害リハに取り組む例として先駆的であったが、その試みは他の眼科医療機関には広まらなかった。眼科医療の中で視覚障害リハが始まるのは1984年国立障害者リハビリテーションセンター第三機能回復訓練部が最初であろう。そして1990年代に入ると杏林大学病院などロービジョン外来を開設する医療機関が増え始めた。 

5.視覚障害リハの現状と将来

 視覚障害者にサービスを提供する施設や団体の全国組織である日本盲人社会福祉施設協議会は1953年に設立され、現在自立支援施設部会(自立訓練、就労支援などを行う施設の部会)には50施設が加盟している。日本ロービジョン学会のロービジョン対応医療機関リストには165の医療機関が掲載されている。戦後70余年を経て、視覚障害リハサービスを提供する施設や事業所の種類と数は大きく増えた。しかし、財政的基盤が安定していると言えるのは総合支援法により指定を受けた障害者支援施設だけで、その他は不安定で規模も小さい。 

 一方、視覚障害リハサービスの中身に大きな変化はない。指定障害者支援施設では職業訓練としての三療師養成と生活訓練(総合支援法では「機能訓練」)が中心であり、生活訓練は職業訓練への前段階としての色合いが濃い。社会が高齢化し、視覚障害の受障年齢が高くなり、視覚障害者の高齢化は今後さらに強まると予想される。そのため、これまでのような就労を目標とする視覚障害リハシステムだけでは当事者の状況に対応できなくなってきている。就労年齢を過ぎた視覚障害者のリハビリテーションシステムを充実させることは緊急の課題である。 

 近年の眼科医療の発展はめざましく、以前は失明していたであろう状態の眼が視機能を保持し続ける例が増え、さらには再生医療の発展により、一度全盲もしくはそれに近い状態になった者が視機能を回復してロービジョン者としてサービスの対象となる例が増えてくることも予想される。視覚障害を負った患者が、医療サービスと並行して視覚障害リハサービスを受けられることが今後さらに強く求められるであろう。

 

【略 歴】
 1979 -    施設/地域で視覚障害がある人の歩行訓練
 1982 – 2002 視覚障害者更生施設江南施設施設長
 1988 -    信楽園病院視覚障害リハビリテーション外来担当
 2003 – 2012 耳原老松診療所・鳳クリニック視覚障害外来担当

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 『済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017』

   日時;2017年02月25日(土)
     開場:14時30分、公開講座:15時~18時
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館(ゆうじんきねんかん)2階会議室
 テーマ:「眼科及び視覚リハビリの現状と将来を語る」
 主催:済生会新潟第二病院眼科 
【プログラム】
 座長:安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
    林 知茂 (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
・「杏林アイセンターのロービジョン外来を振り返って」
   平形 明人(杏林アイセンター;主任教授)
・「網膜再生医療とアイセンター」
   高橋 政代(理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
・「視覚障害リハビリテーションのこれまでとこれから」
   清水 美知子(フリーランスの歩行訓練士)


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