報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017『人生の味わいはこころを通わすことから』  細井 順
2018年1月8日

 報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』 細井 順
  日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
  会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
 演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
 講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館;滋賀県近江八幡市)

【講演要約】
 ホスピス医として「その人がその人らしく尊厳をもって人生を全うする」ことに関わり始めて、20年の歳月が流れた。本年末で一区切りをつけて、来年からは在宅ケアを始めようと思う。そこで、ホスピスでの出会いを通して思索した「私の人間観」をまとめてみたい。 

1 老いと死
 ホスピスケアを語るとき、念頭にあることは、「人間は死すべきもの」という事実である。これを足がかりに、死とどのように向き合うかを問うことがホスピスの在り方である。人間には老いと死が備えられている。「人間の尊厳や存在意義が、個々の人間の老いと死による有限性にある」と、ある生物学者は語っている。 

 我が国は多死時代を迎えようとしている。2025年問題と呼ばれ、団塊の世代が平均寿命を迎える時期に、死亡者数の増加に見合う死亡場所が確保できないという難問を現代社会は抱えている。病院の病床数を増やすことはむずかしく、在宅で死を看取ることが推進されているが、市民の間にも医療者側にもまだまだ浸透していない。そういう背景の中で、ホスピスは尊厳のある死の看取りを目指している。 

2 患者の願い
 がんなどの生命を脅かすような病気を患うと、全人的苦痛とよばれる生きづらさを感じる。現代医療の盲点は、患者の情報を一元化して管理する場所がはっきりとしないことにある。専門化・細分化が進んだ医療システムでは、検査、診断、治療と多人数の医療者が関わっている。ひとりの医師が病気の全経過を診る時代ではなくなった。医療の進歩によって、専門領域は狭められ、広い範囲を診てくれる医師はいない。特にがん治療のような高度の専門性が必要とされる領域では尚更である。このようなシステムでは、患者が抱えた生きづらさを汲み取ることができなくなってしまった。 

 患者の願いは、医療者による人格的な癒やし、人間的な対話である。たとえ障害や病気が除去されることがなくても、葛藤が解決されることである。現代の細切れにされた高度先進医療では、生きづらさに耳を傾ける余地はない。ホスピスで出会う患者から漏れる言葉は、「誰が主治医かわからない」。それに答えるホスピス医は、「最後までちゃんと診るから」。すると、「安心した。その一言が欲しかった」と患者は安堵する。 

3  ホスピスが大切にしていること
 ホスピスが大切にしていることは、人生の流れの中で現在を見つめ直すことであり、患者の気持ちに焦点をあてて、つらさ、せつなさ、やるせなさ、やりきれなさ、できなさ、弱さにつき合うことである。ライフレビューという手法を使って、自らの人生の歩みを振り返り、それを自ら言葉にして、自らの心に現在の状況を落とし込む作業をしてもらう。そうすることで、これからの旅路も過去を乗り切ってきた経験を土台にして、新たな困難にも立ち向かっていける。 

 ホスピスですごす患者のほんとのつらさは何であろうか。治癒を望めない病を得て、「生きたいけれど、生きられない」ということと、「死にたいけれど、死ねない」という二項に集約される。生死の狭間で、できなさ、弱さを覚える。このような苦悩に対して、ホスピススタッフは患者に寄り添うことができるだろうか。我々は、「生かしたいけれど、生かせられない」のであり、「死なせたいけれど、死なせられない」のである。大きなジレンマを抱えながら患者の傍らへと赴く。もし、医療者として赴くならば、患者に寄り添うことはできない。医療者としては無力である。自分たちのできなさ、弱さを思い知らされる。 

 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」。これは我々のホスピスの玄関に掲げられた聖書の言葉である。この言葉は、患者や家族に投げかけられた言葉にとどまらず、ホスピススタッフにも投げかけられている。できなさ、弱さを抱えた者全員に投げかけられている。我々人間は神の前では平等である。医療者としてではなく、できない者、弱い者同士の出会いの中で患者に向かう時、その場には立場の違いを超えて、愛、平和、つながり、いのちが生まれる。そして、ここで生まれたいのちは生死を超えて遺された人の生きていく力になっていく。遺された人の中で生き続けるのである。 

4  生命からいのちへ
 漢字で綴る生命と平仮名のいのちとは意味合いが違う。生命というのは、生命物質の生命活動のことで、目に見えるもので、終わりがある。一方、平仮名のいのちというのは、目には見えず、出会いの中から生まれ、死をも超えて次の世代へと受け継がれていく。ホスピスケアは生命の終わりを見つめることを通していのちを育んでいる。このいのちに気づく時、死の孤独から解放され、死を恐れないで死に向き合うことができる。 

5  死にゆく人から教わる人生の手応え
 「人間とは何か」というテーマを掲げながらホスピスで死にゆく人たちと関わってきた。人生を勝ち組と負け組に分けたくはないが、人生の手応えは感じたい。なんてったって、毎日がんばって生きているんだもの。ホスピスでの関わりをふまえて、どうしたら自分の人生を納得して振り返ることができるかを考えた。大変おこがましいことではあるが、四つの項目が挙げられると思う。
 ・苦痛からの解放 ・人生の満足感 ・家族の支え ・死後の世界への期待感 

 これらのうちでホスピスができることは、種々の薬剤を駆使する第一の項目だけである。他の三項は、その時までに築いてきた人生そのものを映し出す。第四項の死後の世界への期待感とは、今から向かう来世への期待感でもあり、旅立った後の現世への期待感も含まれている。いのちが引き継がれていることの実感である。つまり、死に甲斐を持つことと言い換えることができる。まさに「人は生きてきたように死んでいく」と言われる通りである。 

6 終わりに
 拙い人間観を述べさせていただいた。最後になったが、「人はひとりでは生きることも、死ぬこともできない」と痛切に感じている。すなわち、人間とは人知を超えた大きな力と、たまたま巡り会った人たちとに生かされた存在である。その人たちによって自分らしさが引き出されていることなのだろう。現代は不寛容な社会になってしまい、他者を赦すことや、他者の痛みを感じられなくなってきたことを憂える。近い将来、人間はAI(人工知能)に席捲されるだろう。私はそこに幸せを見出せないだろう。人間臭く、「共に喜び、共に泣く」社会であることを願ってやまない。 

 

【細井順プロフィール】
 公益財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院ホスピス長。
 1951年生まれ。78年大阪医科大学卒業。自治医科大学消化器一般外科講師。
 93年淀川キリスト教病院外科医長。 父親を胃がんのためにホスピスで看取った後、96年ホスピス医に転向し、同病院ホスピスで学んだ。
  98年愛知国際病院で愛知県最初のホスピス開設に携わった。
 2004年には自らも腎臓がんで右腎摘出術を受けた。
 06年から現職。自らの体験をふまえ患者目線のホスピスケアに精力的に取り組んでいる。その傍ら、「いのち」の教育にも力を注いでいる。
 12年ホスピス希望館の日々を追ったドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日〜あるホスピス病棟の40日〜」(溝渕雅幸監督)が制作された。 

 著書:『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年)、
    『死をおそれないで生きる〜がんになったホスピス医の人生論ノート』(いのちのことば社、2007年)、
    『希望という名のホスピスで見つけたこと』(いのちのことば社、2014年)など 

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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
 日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
 会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
  安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
  演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
  講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
  http://andonoburo.net/on/6283
15時35分 講演
  演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
  講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会