2018年1月9日
報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017 参加者感想
『人生の味わいはこころを通わすことから』
日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
新潟市西蒲区
先日は市民公開講座に参加させていただきありがとうございました。うまく感想を書けないので、帰りの車の中のおばちゃんトークを書きます。偉い先生方の話と聞いていたのでどんなに難しいことを話すのかと思っていたら、心にすんなり入って来るよい講座だったね。「この人の話をもっと聞きたい」と思わせる話し方だったよね。私、何の知識もなく障碍者の相談員などやっていて、相談されても気の利いたアドバイスが出来なくて、ただ聞いているだけで気が引けていたんだけど、細井さんでも「これでいいんだろうか?」って悩むって聞いてほっとしたよ。安藤さん、上着の下にオレンジ色がちらっと見えて、おしゃれ!って思ったよ。あの日、ちょうど同じ時間にアルビの試合をやっていたんだよ。そっか、そんな服装をしていたこと、細井さんの説明がなければ私は分からなかったわ。講演をする前に、それぞれどんな服装をしているか、誰に似ているか話してくれると、見えない者は想像出来て楽しいのに。でも、会場の説明はしていたね。あの説明で、この部屋は堅苦しいところじゃないと分かってよかったよね。
NPO活動 東京
素朴であたたかい雰囲気のなか、ご登壇の3人の先生も含め、そこにいる方々と一緒の時間を過ごせている、何かを共有できている、という感覚がとても心地良かったです。NPO活動を通じて、がん治療中の方や医療者の方にお会いすることも多く、死生学に少し興味をもち、尊敬する先生の講義を潜って聴いていたような私にとって、とても貴重な得難い機会となりました。がんという病を得た方に接していて感じるのは、自分の死を見つめたことがある人の奥深さ、です。肩に力が入った感じではなく自然体で、この人ともっと話してみたい、と思わせて下さる方々がたくさんいらっしゃいますし、いらっしゃいました。常々、どうしてこんなふうになれるのかと感じ入っている私には、細井先生のお話は、とても心に沁みました。宮坂先生のお話を聞き、分析的にモノを見ることの楽しさが湧いてきました。共感や共有、傾聴、生きがいなど、日頃何気なく使っている言葉も、改めて意識できた気がします。医療倫理のお話も、聞いてみたくなりました。
会社員 新潟市
人生、人の一生、生き方を深く考えさせて頂く良い機会となりました。人は1人で生まれてきて1人で死を迎える中で、両親から生まれてきた奇跡と生まれてから出会ってきた方々との出会い、そして家内と出会い結婚して授かった息子の出会い等、様々な人と人の関わり合い(心を通わす)を積み重ねて生きている実感を感じました。自分がここまで生きて人生を歩んできた道のりの中で数多くの出会いとまた別れを経て、人は喜び合ったり悲しみ慰め合ったり色々な感情(心)を通して今の自分という物がある。改めて自分を見つめ直すきっかけとなりました。 また、対談のお話の中で「先生」という言葉の意味合いや考えについて、自分自身でも「先生」と言う言葉の固定概念に気づかされても、固定概念を壊せない自分自身もいて、「心」だけでなく「言葉」もとても大切なファクターだと感じました。そして、人生をより深く楽しむには「見る」「聞く」「話す」「行動」「感じる」が出来る事、また老いていく中で出来る事が出来なくなってきた時にどの様に自分自身を見つめなおしていくか考える事が出来ました。ありがとうございました。
盲学校教諭 新潟市
今回は市民公開講座に参加させていただきありがとうございました。あまり聞く機会のない講演内容でした。でも、教育に携わる私たちにも必要なことをたくさん聞けたと思います。やはり、対”人”の仕事だからでしょうか。日頃、いろいろなお子さん、成人の方とかかわっていますが、相手から教わる心構え、寄り添って一緒に学んでいく・成長していく姿勢を忘れてはいけないと思っています。教師は教える立場ではありますが、対象者も時代も、求められていることも、そのときそのときで変わります。いつでも心を広くし、話を受け止めて、丁寧に対応できるようになりたいと思っています。自分の話ばかりを書いてしまいました。でも、今回の先生方のお話を聞いて、自分の未熟さを痛感し、こんなことを思ったのでした。ありがとうございました。
眼科医 東京
全体に今回の講座は、聴講してすぐはっきりした何かの形をつかむというより、時間が経ってからいろいろと思い出したり考えたりする縁(よすが)となるようものだったように感じました。演者の先生方に感謝申し上げるとともに、このような機会を設けて頂いた安藤先生、誠にありがとうございました。宮坂先生のお話し~・ハーバード大の75年間の研究;まず、4代に渡って研究を75年間も続けている、というところにインパクトを感じました。(英国のBBCだったか、子供たちへの数年毎の取材を20年だが30年だか長期に続けているドキュメンタリー映像をみたことがありますが、欧米にはそういう研究の伝統があるのでしょうか?)比較的身近な対人関係性の良好さが幸福・健康に繋がるという結果は、とても感覚的に腑に落ちるもので、「あんまり無理せんでもええんやなー」と一寸気持ちが楽になる感じがしました。・ポジティブ心理学;幸福感についての研究という側面があるようですが、面白い発想の転換なのかも知れません(あんまり病気のことばっかり考えていたら、研究がなんだかいやになっちゃったんで、ということもあるのかもしれませんが…)。「仏様のおかげ」や「お客様のため」などという身の回りによくあることも、ある意味で、幸福感を上げる日本の伝統的なノウハウなのかも知れません。・オープンダイアログ;発祥の現場には実際にはいろいろなノウハウや相互作用の側面があって、オリジナルの実践者たちからやりかたの説明を受けるだけでなく、彼らが意識していないもしかしたら肝心な事柄など(無意識の文化的な共通的合意など?)についての、かえって外来者の眼による解釈を通した解説もあわせて必要なんだろうなあ、と思いました。・エマニュエル・トッド;彼の仕事についてはほとんど全く知りませんでしたので、知る機会を与えて頂き感謝いたします。家族型から社会・歴史・経済等々を随分雄大に考えて行けるものだなあと、一寸びっくりします。その他も、科学としての医学的なアプローチとは違う意味での「人間」についての研究について、いろいろな手がかりをみせていただいた気がします。細井先生のお話し~先生はクリスチャンでいらっしゃいますが、お話の雰囲気は仏教の講話のような印象をうけたのが少々不思議でありました。方言を交えた、先生の独自の語り口のせいかも知れません。 日常診療の次から次へと忙しい外来の時間のことを考えながら、医療に必要な時間的な余裕、癒しの場に必要とされるゆったりとした時間の流れ、などについてあらためて感じるものがありました。患者さんにいかに時間を使えるようにするか、というのは大事なキーワードのひとつであるのかもしれません。機会があれば、ヴォーリズ記念病院を拝見したいようにも思いました。
団体職員 新潟市西区
今回の講演では、良好な人間関係こそが健康・幸せにつながるということ。幸せであることは生きがいではない。生きがいを持つことが重要だということ。心と体のギャップがなくなってきたときに死への恐怖がなくなってい行くこと。先生方からとても丁寧で分りやすくお話いただき、たくさんの気づきをいただきました。本講演会であらためて幸せを得ることは豊かになることではなく、いつになってもその時どきの目指すものを見つけ、それに向かって楽しんだり努力したりしながら生きていくこと。そのなかで、仲間や他人を思いやり、共に協力し楽しみ良好な対人関係を築いていくことが、自分の中での安らぎ、満足感、達成感を得ることができ、幸せにつながっていくことだと思いました。また、先生方の対談においても我々の患者からの意識と違う様々な努力や葛藤、考え方なども語っていただき、いろんな思いを共有でき、日頃の先生方の真摯な取り組み姿勢に心より感謝申し上げます。いつの間にか病気や死というものが次第に忍び寄ってくる年代になって、新たな気持ちで人生を歩んでいく、そんな中での道しるべ、心のよりどころをいただいたように思います。大変ありがとうございました。
会社員 新潟市
今回の講演では、細井先生のお話が特に心に残りました。身近で亡くなった人に出くわした経験もまだ少なく、どういう気持ちで亡くなって行ったのか?どういう言葉をかけてあげられれば苦痛から少しでも解放されるのか?家族のどういう支えが癒しに繋がるのか?寄り添う人間の立場(Drなのか、親族なのか、友人なのかなど)によって千差万別でしょうが、共通しているのは『 話を聞いてあげる事 』なのだと思い知らされました。『 生命、いのち、死 』について考える事が出来た、良い機会になりました。普段の生活の中でも、人の『 話を聞いてあげる事 』を第一に考え、行動していきたいと思いました。
盲学校教諭 新潟市
タイトルがとても魅力的でした。安藤先生がこれまでたくさんの勉強会・研究会を重ねられてこられた、すべての根っこにあるもの、そんな印象を受けました。宮坂先生のお話の中で、「幸福」と「生きがい」という話題を興味深くお聞きしました。一般的な「幸福」の条件が満たされなくても、「生きがい」をもって生きることの充実感こそが人生を豊かにする、そんなふうに受け止めました。QOLを客観的な評価基準で評価することよりも、あなたにとって大事な項目で評価することに意味がある、といった指摘はまさにその通りだと感じました。細井先生のお話では、「子孫を残すという生物的な役割を終えた後から始まる“老い”という時間は、自分を『高める』ことに充てる時間。」このような主旨のお話がありました。「老い」を楽しむヒントとして印象に残りました。終末期の患者さんと「こころを通わす」細井先生の、穏やかで強い生き方に触れることができました。人生の味わいについて考える貴重な機会をいただきありがとうございました。
看護師 新潟市
その場で話させていただいた感想も緊張して言葉足らずになってしまいましたm(__)m 学生だからできることも沢山あるということもお伝えできればよかったなぁと思いました。学生が受け持つことで患者は新たな役割を感じ、伝えよう育てようとしてくださり、病床にあっても最期までできることがあると示してくださいました。医療者になるというよりも人間力をつけていくことを教わりました。様々な患者の看取り、それぞれの家族との関係性から、死にざまは生きざまということも感じました。ホスピスでの出会いや経験は私の人生に大きな影響を与え、今に至っています。新潟にはまだまだホスピスは少なく療養型での看取りが多いようですが、場所や人は違っても、その人らしく人生を全うできるケアを見つけていけたらと思います。貴重な機会を本当にありがとうございました。
会社員 新潟市
普段の仕事ではなかなか聞くことができない内容でございましたので、色々と勉強になりました。実際に先生方が患者さんとどのように接しているのかを知ることができ、患者さんが何を求めているのかを把握することの難しさも感じることができました。細井先生の「医療の倫理は患者の自己決定権」という言葉に、最後の最後まで患者を尊重されていらっしゃると思いました。改めて自分の仕事は少なからず色々な方の人生に関わっているのだと感じました。
新潟県上越市
3人によるトークのアイデアはとても良かったと思います。フロアからの質問に対する細井先生の回答がとても素晴らしかったです。「患者さんの死の恐怖というのは込み入っています。体が弱ってくるじゃないですか、気持ちもあるじゃないですか。先に体が弱ってくる人が多い。癌の末期の場合。心はまだ弱ってはこない。そうすると差があるじゃないですか。この差が多い間は色々と不安を沢山おっしゃる。けれども最後は段々と最後が迫ってくると心がついてくる。最後は心と体がピタッと一致したところで死の恐怖はないような中で旅立って行かれる。そういうような気がして見ています。患者さん同士の話にしても、平均病棟の在位日数21日くらいですから最後の1ケ月を切りますと、かなり自分で自分の身の回りのことができないようになって患者さんが入院されることが多いので、あまり患者さん同士が話すのは少ないです。」前半の解答を聞きながら9月2日の「新潟ロービジョン研究会2017」でお二人の先生が講演のなかで「さだまさし著 解夏(げげ」を話題にされたのに重なりました。仏教の話です。夏になると坊さんは出歩くことを止めて部屋に籠もって過ごします。この梅雨から真夏の間が最も草木が伸びる時期で、それを歩き回る事で踏み育ちを妨げるのを嫌うからだとの説明です。この籠もる時期の開始が結夏(けちげ)で、それが解かれて歩きはじめるのが解夏(げげ)と表現されます。それになぞらえてベーチェット病の患者を描いた小説です。このなかに「全て見えなくなった時に苦しみから解放される」との表現がありました。キリスト教も仏教も同じように見ているのだなあと思いました。
会社員 新潟市
宮坂先生のご講演では多くの理論・出典元をご紹介頂き大変勉強になりました。実際に調べ、私自身に取り入れていければと思いました。その中でも共感性の4類型は自己分析に、オープンダイアローグは様々な環境で応用できると考え、少しずつ会議等に導入できればと思います。 細井先生のご講演では、ホスピスが大切になさっている人生の流れの現在を見つめ直すこと、患者様の思いを汲む、患者様に最善をつくすヴォーリズ記念病院の教えを実践されているお姿に感銘を受けました。 宮坂先生より紹介された理論を細井先生が長年の経験から体現なされており、生命倫理とホスピス医と異なるお立場でありながら多くの共通点があると分かり、大変興味深くお話を聞かせて頂きました。最後に、この度は市民公開講座に参加の機会を頂き、誠に有難うございました。
市役所勤務 千葉県
支援の仕事に就いていると、言葉にし難い思考の渦にはまってしまうことがあります。考えるよりも感じることのほうが今の自分には大切なのではないかと思った時に、人の手が最小限にしか入っていない場所へ出掛けたくなります。いや、もしかすると相当手が入っているのかもしれませんが、今はもうその人たちはいなくなって痕跡だけが残っている場所とでもいいましょうか。そんな場所で音とか空気とか匂いに身を置いておくだけでも少し頭が切り替わる。なんとなく落としどころがみつかる。いつのまにか活力を取り戻している自分に気づいて、安心して日常生活に戻っていく。こんなことを繰り返しています。
会社員 新潟市
今回の講演で宮坂先生の生きがいの4つの柱、結びつき(他者との結びつき)、目的(他者への貢献)、ストーリーテリング、超越。そして聞く力をどうやって育むか?目的別に使い分けるには?刑事質問(いつ、どこで、何を?)探検隊の質問(どんな感じ、どんな様子?)教師の質問(正解は000ですよね?)ファシリテーター(どうしたらいいんだろうね?)以上の内容で実際に社会人には必要な<ホウレンソウ>とかぶる部分があると感じました。今後実際にそのことを思い出し私自身、困りごと等の相談に乗ってあげたいと思います。 細井先生の内容ですが、死にゆく人たちで、金曜日に丁度葬式に行って来て、人はどうゆう思いでなくなっていくのか?何かを誰かに伝えたいのか?を丁度のタイミングでのお話でした。延命治療(苦痛からの解放)が本当に必要なのか?必要とした場合それが痛み(患者の苦痛)になってしまうか?どちらの選択が良いのか?家族の判断、先生方の判断等なかなか難しい課題かと思います。
会社員 神奈川県
いつも、貴重なご講演の開催を、本当に有難うございます。今回も、胸にしみるお話ばかりでハンカチ大活躍でした。勉強会では、自分の無知を思い知ることも多いです。細井先生のお話~「足し社会」とは何だろうと思い調べたら「多死社会」というきとを知りました。性と死で生になる、という自然摂理のお話は、独身無産の者には少々、耳が痛いと申しますか立場のないような思いもありました。診続ける、見捨てない、という言葉はとても温かく、しかし重くも胸に届きました。「終わり」がすぐそこに見えているから、とも思いました。例えば、若年者の不治な疾患を、いつ終わるか見当もつかない一生涯を、診続ける、見捨てない、と言える医師は、どれほどもいるでしょうか。医療者と患者が、すべてをオープンにした時、生まれるのは信頼だけなのでしょうか。落胆や失望、憎しみのような、負の感情も生まれはしないでしょうか。…などマイナス方面へ向く思いもありつつ。宮坂先生~「慢性疾患の患者が、このくらいなら大丈夫、納得できる、という、患者自身の尺度で健康やQOLを決めても、よいのではんないか。」というお話には、とても勇気付けられました。今の、持病の寛解期(実際には、少量ステロイドで炎症を押さえ込むのに成功している状態)にある自分は、病と闘っているのではなく、健やかに生きる闘いがあるだけ。これは、闘病ではなく、健闘なのだ。と思うことを、後ろから支えて頂いたような気持ちになりました。
櫻井浩治(精神科医;新潟大学名誉教授、新潟市)
1)宮坂先生のお話では、医療従事者で無い者の視点から論ずることで、ケアにおける対話の方法について、何らかのヒントを示唆できないかという前振りで始まり、人間関係の構築には相手の人を選ぶことの重要性や、数ではない少数でも良好な関係を持つ家族や友人持つことの重要性、生きる意味を持つことの重要性など、良好な人間関係構築に必要な心理を追求するポジテブ心理学という人の持つ優れた面や良い部分を積極的に見直してみようという臨床心理学が注目されていることを紹介されました。この辺りは、最近精神科や心療内科を中心に論議されているレジリエンス(resilience-個人が持つ回復力、疾病抵抗力)の存在の追及との関連で面白く拝聴しました。患者・家族・医療従事者が同じ立場で医療に参加する精神科医療の試みは、チーム医療としての方法の追求の一つだと思います。
「対話」における「聞く力」は全ての医療職者には重要な点であり、特に医師にとって「患者に学ぶ」という精神は、最も根本的な一つだと私も思っています。もちろん細井先生もその具現者です。他者を重要な人として「今、その人のために何が出来るか」を考え「身の上話」に関心を持ち、「超越性」(私はこれを良寛さんの「騰々(とうとう)、天真に任す」〔自由にさりげなく天然自然の真理の中に自分を置いて任せきる〕態度心境と似たようなものと受け取りました)必要性など、この辺りは良寛さんの慈愛の心を思いださせられました。と同時に、これらの指摘は。この後で話された細井先生の臨床態度とも重なっているように思いました。
私の知る宮坂先生は、もう10年以上前の彼で、社会現象としての生命倫理を研究対象として、ハンセン氏病者の隔離された収容所での生活内容の紹介や小児がん親子がよりよき環境下での外来通院医療のための環境作りなどで活躍されていて、研究方法としては、社会現象を、統計的対応よりも、一つ一つ丁寧に総括的に物語を作るようにして原因を浮き彫りにする方法で対応して来られた(間違っていたらご免なさい)こと改めて振り返りながら、聴いていました。
2)細井先生のお話をお聴きするのは今回で2度目ですが、著書も読ませて貰いました。何時も、「死に直面し、救いを求めている人々の実際を数多く体験されての実感を丁寧に話されていて、感銘深く、また教えられることが多いのです。今回は、総仕上げともいうべきお話で、人の死は本来語れないものではないか、という思いと、ターミナル期での会話は、相手が語りだすまで待つことが重要、というお話は身にしみてよく分かりました。
患者さんが、人間的な癒しや対話を願っていること。切なさややりきれなさとつきあうことの重要性の指摘は、スピリチュアルな苦しみ。実存的な苦しみが、かって問題になった事を思い出しました。人生の流れの中で現在を見つめ直そう、とするために、良い聞き手となる覚悟が必要。これは自分自身についても立ち止まって問い質し、自分が自分のための良い聞き手になる必要があります。生は死を犠牲にして存在する、という考えについても全く同感です。命が「いのち」になって輝くこと。いのちが尽きる時にその人の人生の集積が光を持って関わり残された人たちに輝くことと。「生命」は目に見える「有限性」のあるものだが「いのち」は次代に受け継がれる「無限性」のあるもの、としてのお考えは、先回木村敏先生の命の2重構造のあり方の理念を示され、縦と横の物語で「いのち」と「生命」の違いを説明されていたことを。さらに判り易く説明されていたと思います。そして、「死につて」は、死が人生の苦痛からの開放で、生きている者を支えている自分の「いのち」の存在について後悔はあっても「満足でない満足感」という自己同一性の完結である、と思うこと。そして家族への感謝という「幸せ感」と、「死後の世界への期待感」、あるいは「死後のこの世への期待観」のある死を話されました。
私は、細井先生の20年間を通しての他者の死の看取りから、「死」を実存的臨床哲学者として、キリスト教徒として、また科学者として理解しようとされて来ているおられることを知りました。それも決して「肩肘を張ること無く」宮坂先生の言われる「超自然的」心で接しておられることにも、敬服します。
3)安藤先生を交えての鼎談で、「自分が主治医で無かったらという反省をすることがある」という話から、「患者―医師の良好な関係は<治療の結果>に左右される可能性」を指摘されました。宮坂先生は「医師を先生と呼ぶ日本の社会風潮」を患者ー医師関係に影響を与える問題点のひとつとして挙げられました。私は「患者さんから学ぶためには、患者さんが話せるような関係を持たねばならず、そこには患者さんの医師への信頼感の発生が重要で、患者さんが話そうと思うまでの信頼を得るための辛抱と愛が必要だ」思っています。細井先生はそれが出来た人です。
先回の細井先生の講話の感想を先生に書きました時、「一人の医師が治療からターミナル期の医療まで、一人でやってもらえるのが理想」と書いたように思います。今は場合によってがん治療者とケア医療者とは別な方が患者さんの為に良い場合があることに気付いて居ります。
4)小生は、一人は高校からの友人でがんセンター新潟病院に居た小越先生、一人は医学部学生時代から知人の市民病院に居られた木村 明先生の二人の内科医と、新潟ターミナル研究会を、昔、立ち上げたことがあります。元看護系学部の同僚、看護師の松川リツさん等が熱心に行なっていたターミナル期の患者さんへのボランチァの会を応援していました、しかし私の実際のターミナル期の患者さんやその家族との関わり合いは、多くはありませんでした。親しい医師から、精神科医として依頼されて接する程度で、学生時代の級友や小生自身の両親や兄姉らのがんによるターミナル期に、身体的医慮や対応は他者まかせの、ただ寄り添って見守っていくだけの対応しかできない、医師と言っても立場からすれば一般の方と同じ立場でしかない日々を送った体験があるだけです。しかし身内の者は、身体的苦痛に対して何も出来ない精神科医の私でも、毎日病床に顔を出すだけでも、医師という資格を持つ私であることだけで頼りにしてくれていたように思います。が、最終的には如何だったのでしょう。あの世で会ったら訊いてみようと思います。
上手く感想が纏まりません。だらだらと年寄りの長話を書きました。小生もやがては死に直面する日が参ります。思春期に死の持つ意味を漠然と考え始め、間もなく実際にその経験を、実感として体験する時が来るわけです。
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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
http://andonoburo.net/on/6283
15時35分 講演
演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
http://andonoburo.net/on/6289
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会