勉強会報告

2018年3月2日

報告:第263回(18-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会    加藤 聡
 演題:ロービジョンケアを始めて分かったこと
 講師:加藤 聡(東京大学眼科)
  日時:平成30年01月10日(水)16:30 ~ 18:00
  会場:済生会新潟第二病院眼科外来 

【講演要約】
はじめに
 私は、眼科医になって31年経ち、一応眼科のことは精通した(つもりである)。その一方、ロービジョンケア始めて17年が経ち、日本ロービジョン学会の理事長になって5年務めているが、ロービジョンケアに携わっている人(特に福祉関係の人)から見れば、初心者であることには変わりはない。そこで一眼科医がロービジョンケアを始めてみると不思議なことがいっぱい経験したので、今日はその話をしたいと考え、副題として、「ここが変だよロービジョンケア」と銘うって9つの事柄について話す。 

1.眼科でロービジョンケアは医療から福祉への橋渡しが役割というけれど・・
 眼科医、視能訓練士、看護師教育に福祉の講義や試験科目はない。そのため、医療関係者は福祉についての知識は(よほど自分で勉強した人以外)ほぼ無いと考えてよい。よって、医療関係者は、病院ではソーシャルワーカーに、地域ではケースワーカーに丸投げというのが現状である。その一方、患者(視覚障害者)は医療関係者ならば、福祉制度に精通しているはずと考えているのではないかと思うことがあり、患者と医療関係者の齟齬が生まれている。

 また、医療において、患者は自由にアクセスできるという特徴がある。すなわち、例えば、東大病院には文京区以外の東京都、東京都以外の近県の患者も多く通院している。それに反して、福祉は行政区分によって福祉サービスが違い、東大病院の医療関係者が患者の地域ごとの福祉サービス知識習得は不可能な現状がある。 

2.日本ではロービジョンケアが盛んになってきているというけれど・・・
 全世界のロービジョンケア現状が昨年行われた国際ロービジョン学会で発発されていた(Chiang PP, et al.Ophthalmic Epidemiol,2011)が、日本はロービジョンケアのデータがとられていない空白地帯とされており、データがないのは195か国中17か国(9%)のみの中に入っていた。

 考えられる理由としてロービジョンの定義がWHOでは矯正視力が0.05以上、0.3未満となっており、日本での視覚障害による身体障害者基準のデータが生かせていないことが考えられる。今後、この種類のデータを作るのは医療側からなのか、福祉側からなのかを定めるる必要があると考えられた。 

3.視覚障害者は患者さん??
 医療側は当然「視覚障害者は患者さん」と考えている。すなわち何か病気があって視覚障害になっているのだからと考える。そのため、英語の論文の対象の項では、‘patients with low vision’と記載されていることが多い。

 その一方、福祉・教育側の方の考え方は、「世の中生まれながら、背の高い人がいるし低い人もいる、足の速い人がいるし遅い人もいる、視力の良い人もいるし悪い人もいる」という考え方に沿って、英語の論文の対象の項では、  ‘people with low vision’または‘children with low vision’と記載されている。

 このように同じ視覚障害者に対しても、医療側と教育・福祉側とではとらえ方が違うことを理解したうえで、お互いの考え方を尊重し、かつ自分の立場で接することが視覚障害者の幸福に繋がると考えている。 

4.視覚障害に対する研究は誰がする??
 私は平成28年にAMED(日本医療研究開発機構)の役員に就任し、国からの研究費の配分を決める役割を行っている。その中で、障害者対策総合研究事業というものがあるが、役員になった当初は視覚障害は全障害関係53課題中2題のみでほとんどが整形のリハと精神障害が占めていた。視覚障害の研究を行うべきものなのに多くは難病の研究(視覚障害にならないようにする研究)であった。また、課題設定にそもそも眼科医が携わっていなかったのも現状である。そこで、まず初めに手掛けたことは、視覚障害に関する研究課題の公募に変更した。例えば、「多職種協働による在宅ロービジョンケアに関する研究」「視覚障害者の就労実態を反映した支援マニュアルの開発」「災害時における視覚障害者対応システムの開発」などである。ところが 圧倒的に応募者が少ないという問題にすぐに直面してしまった。 

 現実は国は視覚障害に関する研究にお金をかけることは厭わないものの、他分野からも視覚障害のエビデンスのある研究が少ないと指摘されてしまう始末であった。そのようなことから、視覚障害に関する研究者不足を痛感している。非常に耳が痛い言葉であるが、「日本ロービジョン学会は何をしている!!!」と言われんばかりである。日本ロービジョン学会は今までにロービジョンケアの普及に努める活動は熱心であったが、学術活動の低迷しているように感じられる。そもそも視覚障害に関する研究者が不足しており、日本から世界に通じる視覚障害に関する研究が極めて少ないのが現状である。他人のことは言えず、自分自身の反省として今まで眼科関連の英語論文を約100本書いてきたが、そのうち、ロービジョンケアに関するものは僅かに4本しかなく、まずは自分自身から変えなければいけないと痛感しいている。  

5.視覚障害による身体障害者手帳基準はどのように決めたらよいか??
 身障者の基準は視力と視野の結果から決定されている。その問題点として、視力の和が示すように学術的にナンセンスの問題がり、また、エビデンスがなく級の線引きがされている。その一方、眼科医にとっては診断書を書くことが簡便なことが重要であり、すぐに学術的に正しくて(FVS)も、煩雑だと意見書を書かなくなってしまう、最終的に視覚障害者の不利益になってしまうことを危惧する。今後の改訂に当たり、改訂したことにより一人たりとも視覚障害者が級が下がったり、該当しなくなったりということはあってはならないことが前提であるが、世間が納得するより程度分類、すなわちエビデンスに基づいた等級分類が必要である。

 現状では視覚障害による身体障害者手帳の基準改定は眼科医ならば、誰もが必要性を感じているが、本当に満足する改訂ができるのか、まだ多くの問題が山積している。 

6.日常生活用具、補装具の給付は本当に視覚障害者のための制度??
 日常生活用具としての拡大読書器はほとんどのものが19万8千円である。あたかも先に19万8千円ありきのごとくである。量販店などの電気屋に行って電化製品の値段がすべて同じということはありえないのと対照的である。19万8千円の壁が存在し、それ以上の高機能のものを作る意欲が低下したり、それ以下の機能のものでも19万8千円で売ったりしているのではと勘ぐってしまうことがある。 

 昨年行われた国際ロービジョン学会2017(Den Haag)の器械展示場では、日本のメーカーは1社たりとも展示していなかった。私自身は日本製品の遮光眼鏡、拡大読書器など性能は良いと考えていたので、大変意外であった。そのような背景にうがった見方をすれば、日本製品は日本の公的補助の上でロービジョン関連企業として成立しているのであって、世界の自由競争に耐えうる製品を日本では作れないのかとも考えてしまう。すなわち、今のままでは日常生活用具、補装具の給付制度は、視覚障害者のためというよりロービジョン関連企業のためになってしまうのではないだろうか。ただし、日本のロービジョン関連企業は零細なところが多く、それらの企業を守ることが最終的に視覚障害者のためになることも事実であることも認識しておくべきことである。 

7.ロービジョンケアを始める眼科医=詐盲との闘いの始まり
 我々眼科医の願いは、「病気を治してよく見えるようにさせたい」「不幸にして直せない場合、ロービジョンケアで少しでも日常生活の不自由さを取り除いてあげたい」「その第一歩として障害者手帳の取得の意見書や障害年金の診断書を書こう」である。ただし、眼科医の願いが裏切られることがまれにある。ロービジョンケアを始めると診断書作成で嫌な思いをする(作成する眼科医にも確証が持てないため)ことがあるのが、悩ましい所である。 

8.超高齢化社会=ロービジョン患者の増加
 最近よく言われていることとして、「日本は超高齢化社会に突き進んでいる」→「平均寿命も延びた」→「そのため、ロービジョン患者も増加している    視覚障害者数 164万人→202万人」→「眼科においてこれからロービジョンケアは今まで以上に重要である」と一瞬納得する理論である。しかし、よくよく考えてみると、「平均寿命も延びた=内科や外科の進歩」「ロービジョン患者も増加→寿命は延びても機能の低下は防げないのか、眼科医療の限界?」ということになる。ましてやロービジョンケアは高齢者のためのものになるという考え方には納得がいかず、私自身は働き盛りの人にこそのロービジョンケアと考えている。 

9.ロービジョンケアの地方での切り捨て??
 最近の眼科医療は本邦においては均一化され、その手術成績はどの都道府県においても同様と考えられる。その一方、ロービジョンケアを行っている医療機関は偏在し、それ以上に福祉施設、眼鏡店なども偏在している。また、福祉サービスも地方により異なり、地方の眼科医のロービジョンケアに対する限界を感じることも仕方ない面もあるが、黙ってみているだけでhなく、今後の改善が必要である。 

 以上のようにロービジョンケアを始めて分かったこととして、9つの「ここが変だよロービジョンケア」として話させてもらった。一部不穏当な内容があったかもしれないが、このような本音を話せる場所で話させていただけたことに感謝する。 

 

【略 歴】 加藤 聡 (カトウ サトシ)
 1987年 新潟大学医学部医学科卒業
     東京大学医学部附属病院眼科入局
 1996年 東京女子医科大学糖尿病センター眼科講師
 1999年 東京大学医学部附属病院分院眼科講師
 2000年 King’s College London, St. Thomas’ Hospital研究員 
 2001年 東京大学医学部眼科講師
 2007年 東京大学医学部眼科准教授
 2013年 日本ロービジョン学会理事長
  現在に至る 

【後 記】
  日本ロービジョン学会理事長にお越し頂いての講演でした。理事長ならではのお話の数々。大きな講演会では言えないようなこんなことまで言っていいんかい!というような内容もありハラハラしながらも、大変面白く拝聴しました。学会にどっぷりつかっていながら、こんな風に客観的に考えることの出来る加藤先生、流石だと思いました。
 加藤先生がますますご活躍されること、祈念しております。
 

【今後の済生会新潟第二病院 眼科勉強会】
平成30年03月14日(水)16:00~18:00
 第265回(18-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会(最終回)
  演題:これまでのこと、これからのこと
  講師:安藤伸朗(済生会新潟第二病院 眼科医)
 http://andonoburo.net/on/6388

 


 

2018年3月1日

報告:第260回(17-10)済生会新潟第二病院眼科勉強会 岩田和雄
 済生会新潟第二病院眼科「目の愛護デー講演会」
  日時:平成29年10月18日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来
 演題:「90歳が究め続けた緑内障の素顔と人生と」
 講師:岩田和雄(新潟大学名誉教授) 

【講演要約】
 90歳の自覚が全くない自分が、「90歳が究め続けた緑内障の素顔と人生」などと題して話をする矛盾に我ながらむしろ興味がある。 一句「卒寿とは おれのことかと 大笑い」。研究歴60有余年、永くもあり短くもあり。世に「風評」という現象がある。「流行」という現象もある。「情に棹させばながされる」は漱石の有名な言葉である。人間がすることであるから、学問にも類似の現象がある。華やかで、分かりよく、人口に膾炙しやすい安易な流れは、一世を風靡するかにみえるが、桃山文化の如くやがて消える宿命にある。そして、歴史の本流は何ら影響なく、決して流れの本態を変えることはない。それが真実というものだ(但し、教育は別)。 

 長いようで短い人生、いろいろのことがある。今日はアカデミックなお話ではなく、問わず語りで思いつくままに、面白そうなお話をしてみたい。
 小学校3年生の受け持ち先生に言われたことが今でもよく覚えている。曰く、「お前たちは、こういうものになりたい、なりたいと、思い続けていると、いずれ、そういうことになるものだ、面白いだろう!そしてお前たちが将来どんなに偉くなっても、俺が教えたことを忘れるな!」 

 私が中学生の時の東大哲学を専攻した校長の話が面白かった。曰く、「ある禅僧が雨宿りに入った洞穴に、空腹の虎がやってきた。虎に喰われない方法は??禅僧の解答は???」。その答えは、食われるのでなく、食わせるのだというものだった。その趣旨は、どんな時でも自分が主体にならねば事は成就しないということだ。寺田寅彦(漱石門下、東大物理学教授)曰く、「頭のいいひとは恋ができない。恋は盲目だからだ。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はその盲目な恋人にのみ、真心を打ち明けるものだ。頭の悪い人は、駄目に決まっていることでも一生懸命続け、いつか、それをしなかった人には、決して出会はない、特別のチャンスに巡り逢うことがよくあるものだ」。人は誰でも(医学研究者ももちろんのこと)、教科書やガイドラインをマスターしても、わからないことが山の如くに立ちふさがる。もっともらしい解説で満足すると、峠を越えたように錯覚し、安堵してしまう。そうすると深山はその本態を隠してしまい、真実はあざ笑ってカスミの彼方に消える。例えば近視とは、すぐに理解できるが、では、なぜ、そしてなぜ、と何故を3回繰り返すと世界でも一番レベルの高い最高の話題となる。 

 セレンデピテーSerendipity(幸運な偶然)という言葉がある。セイロン島の3人の王子が、島めぐりで思いもかけなかったことを発見する童話で、それに因み、幸運な偶然をセレンデピテーと表現するようになった。勿論、己の好奇心と知的高レベルが必要な条件である。1754年の造語である。ぺニシリンの発見のように、ノーベル賞受賞の研究には予知できない偶然の発見が多いのだ。 

 私は大戦後の何もない時代の昭和28年に新潟大学眼科教室に入局した。当時、眼科学では伝統的に眼圧が高いものが緑内障ということになっており、眼圧ばかり測っていた。偶然にステロイド点眼が緑内障を誘発した例を発見し発表、学問に興味を持ち始めた。文献もなく、外国雑誌に投稿できる状況になく、後刻文献で、ベルギーのフランソワ教授に次いで世界で2番目の発見になるべきことがわかった。数年後有名なゴールドマン教授がコーチゾン緑内障と命名、やがてベッカー教授のステロイドリスポンダー説へと発展。このことから反省した。一つ目は、わが未成熟、二つ目は、指導者がいなかったこと、三つめは、学問発展の方法論がなかったこと、四つ目は、欧英文発表のすべがなかったことだ。 

 ひよんなことから新天地がひらけた。人生は面白い。入局後、連日医局で夜遅くまで研究していた。ある時、教授が帰宅後に教授室に入り、その屑籠から(フンボルト)海外留学の応募用紙を見つけた。これはチャンスと、応募してみたところ見事に受理された。ドイツ、ボン大学留学(昭和36-38年)が叶ったのだ。どんなに狭き門でもおそれることなく、なんでもやってみることだ! 

 一途にやってきた緑内障の病態研究では、常に自身を叱咤激励して「白紙主義」を通した。つまり、敢えて既成概念を無視して真実にせまる主義に徹してきた。眼圧上昇の原因が隅角にあるから、前房隅角を究めようと思った。1950年代から電子顕微鏡が応用されるようになったが、当時大学眼科には電顕がない。そこで岩田式隅角鏡を開発し隅角の超拡大に挑んでみると、サルコイドーシスの患者の隅角に思わぬ発見をした。あまりの特徴に、サルコイドシスspecific な結節と主張したが、学会で反対されたり無視されたり。彼らはただの結節で、他のブドウ膜炎結節と同じ結節に過ぎないと反対した。注意深く拡大観察すれば、際立った特徴なのに、ただの結節としか見れず反対する低いレベルにあきれたものだ。後日、瀬川雄三教授(信州大学)が病理学的に岩田説を実証した。究極的には正道が次第に理解されるようになるものだ。 

 思い込んだら徹底して究明を続けること!臨床とか研究とかいうものはそうゆうもの!じっくり付き合うと、次つぎと、新事実や疑問がでてきて、止まらなくなる。あとは、センスと意欲次第。 

 一人の臨床研究者の60数年にわたる経験、研究課程の一端を吐露した。人それぞれに、ひとは膨大なエネルギーを秘めているものだ。己を高めつつ、常に白紙のつもりで問題に対処すれば新たな世界が開けるものだ。今回の話が 何かの参考になればと期待している。 

【略 歴】
 1954年 新潟大学眼科入局
 1961-3年   BONN 大学眼科留学(フォン・フンボルト奨学生)
 1972年 新潟大学眼科教授
 1993年 同定年退官、名誉教授
  日眼総会宿題報告、日眼総会特別講演、臨眼総会特別講演
  日本緑内障学会須田記念講演、国際緑内障研究グループ、メンバー 

【後 記】
恩師、岩田和雄新潟大学名誉教授にお話して頂きました。パワーポイントを駆使して、きれいな眼底写真や緑内障のスライドを交えての熱演でした。こういう人になりたいと思い続けることが大事、禅僧との問答、寺田寅彦の教えなどを交え、60年間緑内障を追及してこられた先生の眼科医としての一生を振り返り、多くの示唆に富んだ講演でした。若い医師にも聞いてもらいたい講演でした。今年(2018年9月の)緑内障学会で講演を担当されるとのこと、今回お聞きした内容は多くの経験ばかりでなく、事実と確信と信念に基づいた斬新な内容でした。講演の成功間違いなしと確信しました。何よりもおいくつになっても(卒寿を迎えられても)変わらぬ探究心は、私達門下生にとって、何よりの力強いメッセージでした。ありがとうございました。 

参加者の一人から、以下の様な感想が届きましたので紹介します。
Ullmanの「青春」を想起する岩田教授の講演でした。「人は希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」。卒寿を目前にして、なお信念と希望に満ち溢れているお姿に感動しました。とはいえ、心身ともに健康でなければ研究は続けられません。不断の努力は学問だけでなくご自身の健康にも注がれているのだと感じました。“幸運な偶然”といえど、多くの試行錯誤や失敗、自由な発想や独創的な発見からたまたま面白いことを見つけ出す。そのプロセスこそ大事にしなければならないことを細菌学のPasteurは「偶然は準備のない人を助けない」の一言で表しました。お聞きしてこの格言を思い出しました。心に残るお話の帰路、バスの車窓にぼんやり映る自分を、少し悔やんでいました。日頃の怠慢を振り返る機会をいただきました。

 

2018年1月14日

報告:第262(17-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会   関 恒子
  日時:平成29年12月13日(水)16:30 ~ 18:00
  会場:済生会新潟第二病院 眼科外来
 演題:患者になってからの20年をふり返って私が伝えたいこと
 講師:関 恒子(長野県松本市) 

【講演要約】
1)始めに
 私が両眼に近視性の黄斑変性症を発症してからほぼ21年になる。発病当初はあらゆる物がはっきり見えないと安心できなかったものだが、今ではぼんやりしか見えなくてもそれなりに満足して生きていることが不思議に思える。病状の変化と共に様々な視力を経験し、様々な治療やリハビリを受け、それに関わる様々な人たちに出会ってきた。今日はこの21年間をまとめてみたい。 

2) ショックと理解力
 私は20年前左眼、18年前右眼に黄斑移動術を受け、視力は一旦改善したものの、現在両眼共に視力0. 1程で、網膜萎縮による視力低下と視野欠損が緩やかに進行しつつある。
 私の眼の異変は、21年前左眼の小さな歪みから始まった。今では黄斑変性症はよく知られ、有効な治療法もある病気だが、当時は歪みが起こっても、自分で黄斑変性症を疑うことはなかった。歪みが大きくなった10日後に漸く行った開業医の先生から、黄斑部の出血の為に視力が低下することと確かな治療法がないことを告げられて驚き「では治療法もないまま、やがて失明するのか」と失明の恐怖に襲われた。その後、大学病院で出血は黄斑中心窩にあり、近視性の新生血管黄斑症と診断された。後で考えると、先生は失明するとは言わなかったのに、視力が落ちて行けば当然その先は失明だと思い、最悪の事態しか考えられなくなっていた。私は近視眼だったが、それまで眼に特別な注意を払ったことがなく、当時は情報も少なかった為、診断は思いがけないものだった。その為ショックが大きく、平常なら理解できることも十分に理解できず、聞き逃したりもしたのだと思う。 

3)情報・知識があれば
 症状が悪化していくのに治療ができない苛立ちが大きくなってきた矢先、発症から10月後だったが、右眼にも発症がわかった。今度は左眼の時と違い、過剰な心配はせず、冷静に受け止めることもできた。それは開業医の先生から頂いた近視眼についての本を読み、強度近視眼のリスクについての知識を得ていたからである。予めの情報や知識は、ショックをやわらげ、病気を正しく理解するのに役立つ。 

4) 自分の人生を自分で決める ~ 自己決定
 既に両眼に発症し、左眼視力が0.3に低下した時、私は重要な決定を迫られた。視力回復の可能性があるという新しい手術、黄斑移動術を大学病院の先生から提案されたからである。視力が取り戻せるかもしれないと思うと嬉しく、どんな手術か聞かないまま私は即座に承諾した。その頃の私は患者としての経験が浅く、先生に質問することに遠慮があった。そんな私を助けてくれたのは大学病院を紹介してくれた開業医の先生で、手術を再検討する為に、最新手術に関する米国と日本の論文収集を協力してくれた。再考後も何もせずにいるより視力向上の可能性に賭けようと決心した私に対して、先生はより慎重であったが、結局私の意思が尊重された。その時自分の決定に対する責任を強く感じた。自分の将来を左右する重要な決定は自分自身がすべきであり、そうすることで自分の将来に責任を持つことができる。手術後、合併症と再発の為何回も手術を繰り返し、再び視力が低下する結果になったが、手術を受けたことを後悔したことは一度もない。私の決定を助けてくださった先生には今も感謝している。 

5) 「今ならできる」 ~ 新しいことへの挑戦
 左眼の手術から2年後、右眼にも黄斑移動術を受けることを勧められたが、今度は直ぐに承諾できなかった。それは、網膜剥離の合併症や手術後も繰り返した再発、手術でできた新たな暗点、視力表の視標が読めても生活に役立たなかったり、却って邪魔になる視力があること等様々な問題をこれ迄に経験したからである。視力には自分でしか評価できない部分があることも実感した。先生の熱心な説得と術法を変えるという言葉に、漸く手術を承諾したものの、結果に対する不安で一杯だった。幸いなことに、術前0.1位に低下した視力が0.6まで改善し、上方の暗視野、色の識別、暗順応がやや気になったが、歪みも小さく見え方の質が良いことが何より嬉しかった。右眼の視力が改善されたことで、私の意識はできるようになったことの方に向き、それがポジティブに生きることへのきっかけになったと思う。その一方、左眼のように再発して再び視力が低下する危惧を抱き、今のうちにこの視力を有効活用して今を大切に生きることを心に決めた。その為には何をしようかと考え、最初に実行したことは、読書に困難があったが(近く用の眼鏡の他に拡大鏡も必要だった)、 大学に通ってドイツ文学を学ぶ事だった。私は大学では薬学を学び、文学は全くの初心者だった。又毎年の海外旅行も「今ならできる」と思って始め、毎回来年はもう駄目かもと思いつつ10年程続いている。旅行といっても、1ヶ月程の滞在型で、自分で計画・手配し、一人で行く。文学も旅行も私の新たな挑戦の一環で、症状が進行する中、できなくなるかもという不安な気持ちが活動の源になっている。今ならできると奮起し、どこまでできるか挑戦することが私の今の課題である。 

6) 早期のリハビリ
 視機能低下の為にできなくなった事や、能率が悪くなった事、不便になった事は沢山ある。それでも私が行動範囲をそれ程狭めず、自立した生活を維持できるのは早くからロービジョンケア(LVC)に接する機会があったからだと思われる。発症して間もない頃、新聞が読み難いことを先生に話すと、先生は私に拡大鏡を下さった。視野の中心に歪みがあっても拡大鏡を使えば楽に読めることをこの時知り、今思うと、これが私のLVC初体験だった。遠くが見えない不便さを訴えた時に単眼鏡を下さったのもこの先生だった。発症後数年は専ら医学的治療で回復することを願い、視覚リハビリなどは治療を諦めた時でいいと思っていたのだが、私はごく早期に既にLVCを受けていたのである。私が今も活動を維持できているのは早期からのリハビリがあったからだと思う。  

7) 面倒がらずに補助具を使い、使いこなす
 私の経験では道具を使うことはかなり面倒なことである。外出先でカバンから取り出すだけでも億劫である。だがこれを乗り越えないと「見えない」「できない」ままになってしまう。今日常生活や外出先で私が最も重宝しているのはiPadで、私の毎年の海外滞在時に周囲がよく見えないのに道に迷わず歩き回れるのはiPadのお陰である。生活の幅を狭めない為に、又生活の質の向上の為に、適切な補助具をうまく使いこなしたいものだ。 

8) 最後に
 20年間を振り返えると、私は信頼できる先生方と医療スタッフの方々に出会えて患者として幸せだったと思う。現在も通院しており、視機能低下によって活動が低下しないよう願い、LVCに相談もしている。この20年の間に黄斑変性症の治療法が確立され、現在新しい治療法も開発されつつあることを思うと、私のような患者にも明るい未来が予感できることが大変嬉しい。
 

【略 歴】:松本市在住
  富山大学薬学部卒 薬剤師
 1996年左眼に続き右眼にも近視性血管新生黄斑症を発症
 1997年と1999年に黄斑移動術を受ける。
 この経験を生かして『豊かに老いる眼』を翻訳 (田野保雄監訳 文光堂)
 趣味はフルートの演奏、ドイツ文学研究、旅行など 

【後 記】
 関さんは、ご自身の身に降りかかった病と真摯に向き合い、前向きに取り組んでこられました。また自分の障害のことや、その時の感情などを非常に理性的に説明して下さいます。そのため新潟での勉強会に何度も松本からお呼びしています。患者さんにはもちろん、医療関係者にとってもとても参考になることをお話し下さいます。今回も期待どおりでした。

 関さんのこれまでの講演を、以下にまとめました。ご参照ください。 

関恒子さんのこれまでの講演要約
—————————————————
第135回(07‐06月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:『「見える」「見えない」ってどんなこと? 黄斑症患者としての11年』
 講師:関 恒子(患者;松本市)  
  日時:平成19年6月13日(水)16:30 ~ 18:00
 http://andonoburo.net/on/4530 

第163回(09‐09月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「賢い患者になるために 視力障害を伴う病気を告知された時の患者心理、及び医師との関係の中から探る」
 講師:関 恒子(長野県松本市;黄斑変性症患者)
  日時:平成21年9月14日(水)16:30 ~ 18:00
 http://andonoburo.net/on/4521 

第187回(11‐09月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強
 演題:「患者から見たロービジョンケア―私は何故ロービジョンケアを必要としたのか?」 
 講師:関 恒子 (長野県松本市)
  日時:平成23年9月14日(水)16:30 ~ 18:00
 http://andonoburo.net/on/4513 

第216回(14‐02月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「黄斑変性患者になって18年ー私の心の変遷」
 講師:関 恒子 (松本市)
  日時:平成26年2月12日(水)16:30 ~ 18:00
 http://andonoburo.net/on/2512 

第241回(16‐03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 演題:「『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ」
 講師:関 恒子(長野県松本市)
  日時:平成28年03月09日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 http://andonoburo.net/on/4597
 

 

 

2018年1月9日

報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017 参加者感想
『人生の味わいはこころを通わすことから』 
  日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
  会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室 

新潟市西蒲区
先日は市民公開講座に参加させていただきありがとうございました。うまく感想を書けないので、帰りの車の中のおばちゃんトークを書きます。偉い先生方の話と聞いていたのでどんなに難しいことを話すのかと思っていたら、心にすんなり入って来るよい講座だったね。「この人の話をもっと聞きたい」と思わせる話し方だったよね。私、何の知識もなく障碍者の相談員などやっていて、相談されても気の利いたアドバイスが出来なくて、ただ聞いているだけで気が引けていたんだけど、細井さんでも「これでいいんだろうか?」って悩むって聞いてほっとしたよ。安藤さん、上着の下にオレンジ色がちらっと見えて、おしゃれ!って思ったよ。あの日、ちょうど同じ時間にアルビの試合をやっていたんだよ。そっか、そんな服装をしていたこと、細井さんの説明がなければ私は分からなかったわ。講演をする前に、それぞれどんな服装をしているか、誰に似ているか話してくれると、見えない者は想像出来て楽しいのに。でも、会場の説明はしていたね。あの説明で、この部屋は堅苦しいところじゃないと分かってよかったよね。 

NPO活動 東京
素朴であたたかい雰囲気のなか、ご登壇の3人の先生も含め、そこにいる方々と一緒の時間を過ごせている、何かを共有できている、という感覚がとても心地良かったです。NPO活動を通じて、がん治療中の方や医療者の方にお会いすることも多く、死生学に少し興味をもち、尊敬する先生の講義を潜って聴いていたような私にとって、とても貴重な得難い機会となりました。がんという病を得た方に接していて感じるのは、自分の死を見つめたことがある人の奥深さ、です。肩に力が入った感じではなく自然体で、この人ともっと話してみたい、と思わせて下さる方々がたくさんいらっしゃいますし、いらっしゃいました。常々、どうしてこんなふうになれるのかと感じ入っている私には、細井先生のお話は、とても心に沁みました。宮坂先生のお話を聞き、分析的にモノを見ることの楽しさが湧いてきました。共感や共有、傾聴、生きがいなど、日頃何気なく使っている言葉も、改めて意識できた気がします。医療倫理のお話も、聞いてみたくなりました。 

会社員 新潟市
人生、人の一生、生き方を深く考えさせて頂く良い機会となりました。人は1人で生まれてきて1人で死を迎える中で、両親から生まれてきた奇跡と生まれてから出会ってきた方々との出会い、そして家内と出会い結婚して授かった息子の出会い等、様々な人と人の関わり合い(心を通わす)を積み重ねて生きている実感を感じました。自分がここまで生きて人生を歩んできた道のりの中で数多くの出会いとまた別れを経て、人は喜び合ったり悲しみ慰め合ったり色々な感情(心)を通して今の自分という物がある。改めて自分を見つめ直すきっかけとなりました。 また、対談のお話の中で「先生」という言葉の意味合いや考えについて、自分自身でも「先生」と言う言葉の固定概念に気づかされても、固定概念を壊せない自分自身もいて、「心」だけでなく「言葉」もとても大切なファクターだと感じました。そして、人生をより深く楽しむには「見る」「聞く」「話す」「行動」「感じる」が出来る事、また老いていく中で出来る事が出来なくなってきた時にどの様に自分自身を見つめなおしていくか考える事が出来ました。ありがとうございました。 

盲学校教諭 新潟市
今回は市民公開講座に参加させていただきありがとうございました。あまり聞く機会のない講演内容でした。でも、教育に携わる私たちにも必要なことをたくさん聞けたと思います。やはり、対”人”の仕事だからでしょうか。日頃、いろいろなお子さん、成人の方とかかわっていますが、相手から教わる心構え、寄り添って一緒に学んでいく・成長していく姿勢を忘れてはいけないと思っています。教師は教える立場ではありますが、対象者も時代も、求められていることも、そのときそのときで変わります。いつでも心を広くし、話を受け止めて、丁寧に対応できるようになりたいと思っています。自分の話ばかりを書いてしまいました。でも、今回の先生方のお話を聞いて、自分の未熟さを痛感し、こんなことを思ったのでした。ありがとうございました。 

眼科医 東京
全体に今回の講座は、聴講してすぐはっきりした何かの形をつかむというより、時間が経ってからいろいろと思い出したり考えたりする縁(よすが)となるようものだったように感じました。演者の先生方に感謝申し上げるとともに、このような機会を設けて頂いた安藤先生、誠にありがとうございました。宮坂先生のお話し~・ハーバード大の75年間の研究;まず、4代に渡って研究を75年間も続けている、というところにインパクトを感じました。(英国のBBCだったか、子供たちへの数年毎の取材を20年だが30年だか長期に続けているドキュメンタリー映像をみたことがありますが、欧米にはそういう研究の伝統があるのでしょうか?)比較的身近な対人関係性の良好さが幸福・健康に繋がるという結果は、とても感覚的に腑に落ちるもので、「あんまり無理せんでもええんやなー」と一寸気持ちが楽になる感じがしました。・ポジティブ心理学;幸福感についての研究という側面があるようですが、面白い発想の転換なのかも知れません(あんまり病気のことばっかり考えていたら、研究がなんだかいやになっちゃったんで、ということもあるのかもしれませんが…)。「仏様のおかげ」や「お客様のため」などという身の回りによくあることも、ある意味で、幸福感を上げる日本の伝統的なノウハウなのかも知れません。・オープンダイアログ;発祥の現場には実際にはいろいろなノウハウや相互作用の側面があって、オリジナルの実践者たちからやりかたの説明を受けるだけでなく、彼らが意識していないもしかしたら肝心な事柄など(無意識の文化的な共通的合意など?)についての、かえって外来者の眼による解釈を通した解説もあわせて必要なんだろうなあ、と思いました。・エマニュエル・トッド;彼の仕事についてはほとんど全く知りませんでしたので、知る機会を与えて頂き感謝いたします。家族型から社会・歴史・経済等々を随分雄大に考えて行けるものだなあと、一寸びっくりします。その他も、科学としての医学的なアプローチとは違う意味での「人間」についての研究について、いろいろな手がかりをみせていただいた気がします。細井先生のお話し~先生はクリスチャンでいらっしゃいますが、お話の雰囲気は仏教の講話のような印象をうけたのが少々不思議でありました。方言を交えた、先生の独自の語り口のせいかも知れません。 日常診療の次から次へと忙しい外来の時間のことを考えながら、医療に必要な時間的な余裕、癒しの場に必要とされるゆったりとした時間の流れ、などについてあらためて感じるものがありました。患者さんにいかに時間を使えるようにするか、というのは大事なキーワードのひとつであるのかもしれません。機会があれば、ヴォーリズ記念病院を拝見したいようにも思いました。 

団体職員 新潟市西区
今回の講演では、良好な人間関係こそが健康・幸せにつながるということ。幸せであることは生きがいではない。生きがいを持つことが重要だということ。心と体のギャップがなくなってきたときに死への恐怖がなくなってい行くこと。先生方からとても丁寧で分りやすくお話いただき、たくさんの気づきをいただきました。本講演会であらためて幸せを得ることは豊かになることではなく、いつになってもその時どきの目指すものを見つけ、それに向かって楽しんだり努力したりしながら生きていくこと。そのなかで、仲間や他人を思いやり、共に協力し楽しみ良好な対人関係を築いていくことが、自分の中での安らぎ、満足感、達成感を得ることができ、幸せにつながっていくことだと思いました。また、先生方の対談においても我々の患者からの意識と違う様々な努力や葛藤、考え方なども語っていただき、いろんな思いを共有でき、日頃の先生方の真摯な取り組み姿勢に心より感謝申し上げます。いつの間にか病気や死というものが次第に忍び寄ってくる年代になって、新たな気持ちで人生を歩んでいく、そんな中での道しるべ、心のよりどころをいただいたように思います。大変ありがとうございました。 

会社員 新潟市
今回の講演では、細井先生のお話が特に心に残りました。身近で亡くなった人に出くわした経験もまだ少なく、どういう気持ちで亡くなって行ったのか?どういう言葉をかけてあげられれば苦痛から少しでも解放されるのか?家族のどういう支えが癒しに繋がるのか?寄り添う人間の立場(Drなのか、親族なのか、友人なのかなど)によって千差万別でしょうが、共通しているのは『 話を聞いてあげる事 』なのだと思い知らされました。『 生命、いのち、死 』について考える事が出来た、良い機会になりました。普段の生活の中でも、人の『 話を聞いてあげる事 』を第一に考え、行動していきたいと思いました。 

盲学校教諭 新潟市
タイトルがとても魅力的でした。安藤先生がこれまでたくさんの勉強会・研究会を重ねられてこられた、すべての根っこにあるもの、そんな印象を受けました。宮坂先生のお話の中で、「幸福」と「生きがい」という話題を興味深くお聞きしました。一般的な「幸福」の条件が満たされなくても、「生きがい」をもって生きることの充実感こそが人生を豊かにする、そんなふうに受け止めました。QOLを客観的な評価基準で評価することよりも、あなたにとって大事な項目で評価することに意味がある、といった指摘はまさにその通りだと感じました。細井先生のお話では、「子孫を残すという生物的な役割を終えた後から始まる“老い”という時間は、自分を『高める』ことに充てる時間。」このような主旨のお話がありました。「老い」を楽しむヒントとして印象に残りました。終末期の患者さんと「こころを通わす」細井先生の、穏やかで強い生き方に触れることができました。人生の味わいについて考える貴重な機会をいただきありがとうございました。 

看護師 新潟市
その場で話させていただいた感想も緊張して言葉足らずになってしまいましたm(__)m 学生だからできることも沢山あるということもお伝えできればよかったなぁと思いました。学生が受け持つことで患者は新たな役割を感じ、伝えよう育てようとしてくださり、病床にあっても最期までできることがあると示してくださいました。医療者になるというよりも人間力をつけていくことを教わりました。様々な患者の看取り、それぞれの家族との関係性から、死にざまは生きざまということも感じました。ホスピスでの出会いや経験は私の人生に大きな影響を与え、今に至っています。新潟にはまだまだホスピスは少なく療養型での看取りが多いようですが、場所や人は違っても、その人らしく人生を全うできるケアを見つけていけたらと思います。貴重な機会を本当にありがとうございました。 

会社員 新潟市
普段の仕事ではなかなか聞くことができない内容でございましたので、色々と勉強になりました。実際に先生方が患者さんとどのように接しているのかを知ることができ、患者さんが何を求めているのかを把握することの難しさも感じることができました。細井先生の「医療の倫理は患者の自己決定権」という言葉に、最後の最後まで患者を尊重されていらっしゃると思いました。改めて自分の仕事は少なからず色々な方の人生に関わっているのだと感じました。 

新潟県上越市
3人によるトークのアイデアはとても良かったと思います。フロアからの質問に対する細井先生の回答がとても素晴らしかったです。「患者さんの死の恐怖というのは込み入っています。体が弱ってくるじゃないですか、気持ちもあるじゃないですか。先に体が弱ってくる人が多い。癌の末期の場合。心はまだ弱ってはこない。そうすると差があるじゃないですか。この差が多い間は色々と不安を沢山おっしゃる。けれども最後は段々と最後が迫ってくると心がついてくる。最後は心と体がピタッと一致したところで死の恐怖はないような中で旅立って行かれる。そういうような気がして見ています。患者さん同士の話にしても、平均病棟の在位日数21日くらいですから最後の1ケ月を切りますと、かなり自分で自分の身の回りのことができないようになって患者さんが入院されることが多いので、あまり患者さん同士が話すのは少ないです。」前半の解答を聞きながら9月2日の「新潟ロービジョン研究会2017」でお二人の先生が講演のなかで「さだまさし著 解夏(げげ」を話題にされたのに重なりました。仏教の話です。夏になると坊さんは出歩くことを止めて部屋に籠もって過ごします。この梅雨から真夏の間が最も草木が伸びる時期で、それを歩き回る事で踏み育ちを妨げるのを嫌うからだとの説明です。この籠もる時期の開始が結夏(けちげ)で、それが解かれて歩きはじめるのが解夏(げげ)と表現されます。それになぞらえてベーチェット病の患者を描いた小説です。このなかに「全て見えなくなった時に苦しみから解放される」との表現がありました。キリスト教も仏教も同じように見ているのだなあと思いました。 

会社員 新潟市
宮坂先生のご講演では多くの理論・出典元をご紹介頂き大変勉強になりました。実際に調べ、私自身に取り入れていければと思いました。その中でも共感性の4類型は自己分析に、オープンダイアローグは様々な環境で応用できると考え、少しずつ会議等に導入できればと思います。 細井先生のご講演では、ホスピスが大切になさっている人生の流れの現在を見つめ直すこと、患者様の思いを汲む、患者様に最善をつくすヴォーリズ記念病院の教えを実践されているお姿に感銘を受けました。 宮坂先生より紹介された理論を細井先生が長年の経験から体現なされており、生命倫理とホスピス医と異なるお立場でありながら多くの共通点があると分かり、大変興味深くお話を聞かせて頂きました。最後に、この度は市民公開講座に参加の機会を頂き、誠に有難うございました。 

市役所勤務 千葉県
支援の仕事に就いていると、言葉にし難い思考の渦にはまってしまうことがあります。考えるよりも感じることのほうが今の自分には大切なのではないかと思った時に、人の手が最小限にしか入っていない場所へ出掛けたくなります。いや、もしかすると相当手が入っているのかもしれませんが、今はもうその人たちはいなくなって痕跡だけが残っている場所とでもいいましょうか。そんな場所で音とか空気とか匂いに身を置いておくだけでも少し頭が切り替わる。なんとなく落としどころがみつかる。いつのまにか活力を取り戻している自分に気づいて、安心して日常生活に戻っていく。こんなことを繰り返しています。 

会社員 新潟市
今回の講演で宮坂先生の生きがいの4つの柱、結びつき(他者との結びつき)、目的(他者への貢献)、ストーリーテリング、超越。そして聞く力をどうやって育むか?目的別に使い分けるには?刑事質問(いつ、どこで、何を?)探検隊の質問(どんな感じ、どんな様子?)教師の質問(正解は000ですよね?)ファシリテーター(どうしたらいいんだろうね?)以上の内容で実際に社会人には必要な<ホウレンソウ>とかぶる部分があると感じました。今後実際にそのことを思い出し私自身、困りごと等の相談に乗ってあげたいと思います。 細井先生の内容ですが、死にゆく人たちで、金曜日に丁度葬式に行って来て、人はどうゆう思いでなくなっていくのか?何かを誰かに伝えたいのか?を丁度のタイミングでのお話でした。延命治療(苦痛からの解放)が本当に必要なのか?必要とした場合それが痛み(患者の苦痛)になってしまうか?どちらの選択が良いのか?家族の判断、先生方の判断等なかなか難しい課題かと思います。 

会社員 神奈川県
いつも、貴重なご講演の開催を、本当に有難うございます。今回も、胸にしみるお話ばかりでハンカチ大活躍でした。勉強会では、自分の無知を思い知ることも多いです。細井先生のお話~「足し社会」とは何だろうと思い調べたら「多死社会」というきとを知りました。性と死で生になる、という自然摂理のお話は、独身無産の者には少々、耳が痛いと申しますか立場のないような思いもありました。診続ける、見捨てない、という言葉はとても温かく、しかし重くも胸に届きました。「終わり」がすぐそこに見えているから、とも思いました。例えば、若年者の不治な疾患を、いつ終わるか見当もつかない一生涯を、診続ける、見捨てない、と言える医師は、どれほどもいるでしょうか。医療者と患者が、すべてをオープンにした時、生まれるのは信頼だけなのでしょうか。落胆や失望、憎しみのような、負の感情も生まれはしないでしょうか。…などマイナス方面へ向く思いもありつつ。宮坂先生~「慢性疾患の患者が、このくらいなら大丈夫、納得できる、という、患者自身の尺度で健康やQOLを決めても、よいのではんないか。」というお話には、とても勇気付けられました。今の、持病の寛解期(実際には、少量ステロイドで炎症を押さえ込むのに成功している状態)にある自分は、病と闘っているのではなく、健やかに生きる闘いがあるだけ。これは、闘病ではなく、健闘なのだ。と思うことを、後ろから支えて頂いたような気持ちになりました。 

櫻井浩治(精神科医;新潟大学名誉教授、新潟市)
1)宮坂先生のお話では、医療従事者で無い者の視点から論ずることで、ケアにおける対話の方法について、何らかのヒントを示唆できないかという前振りで始まり、人間関係の構築には相手の人を選ぶことの重要性や、数ではない少数でも良好な関係を持つ家族や友人持つことの重要性、生きる意味を持つことの重要性など、良好な人間関係構築に必要な心理を追求するポジテブ心理学という人の持つ優れた面や良い部分を積極的に見直してみようという臨床心理学が注目されていることを紹介されました。この辺りは、最近精神科や心療内科を中心に論議されているレジリエンス(resilience-個人が持つ回復力、疾病抵抗力)の存在の追及との関連で面白く拝聴しました。患者・家族・医療従事者が同じ立場で医療に参加する精神科医療の試みは、チーム医療としての方法の追求の一つだと思います。
「対話」における「聞く力」は全ての医療職者には重要な点であり、特に医師にとって「患者に学ぶ」という精神は、最も根本的な一つだと私も思っています。もちろん細井先生もその具現者です。他者を重要な人として「今、その人のために何が出来るか」を考え「身の上話」に関心を持ち、「超越性」(私はこれを良寛さんの「騰々(とうとう)、天真に任す」〔自由にさりげなく天然自然の真理の中に自分を置いて任せきる〕態度心境と似たようなものと受け取りました)必要性など、この辺りは良寛さんの慈愛の心を思いださせられました。と同時に、これらの指摘は。この後で話された細井先生の臨床態度とも重なっているように思いました。
私の知る宮坂先生は、もう10年以上前の彼で、社会現象としての生命倫理を研究対象として、ハンセン氏病者の隔離された収容所での生活内容の紹介や小児がん親子がよりよき環境下での外来通院医療のための環境作りなどで活躍されていて、研究方法としては、社会現象を、統計的対応よりも、一つ一つ丁寧に総括的に物語を作るようにして原因を浮き彫りにする方法で対応して来られた(間違っていたらご免なさい)こと改めて振り返りながら、聴いていました。

2)細井先生のお話をお聴きするのは今回で2度目ですが、著書も読ませて貰いました。何時も、「死に直面し、救いを求めている人々の実際を数多く体験されての実感を丁寧に話されていて、感銘深く、また教えられることが多いのです。今回は、総仕上げともいうべきお話で、人の死は本来語れないものではないか、という思いと、ターミナル期での会話は、相手が語りだすまで待つことが重要、というお話は身にしみてよく分かりました。
患者さんが、人間的な癒しや対話を願っていること。切なさややりきれなさとつきあうことの重要性の指摘は、スピリチュアルな苦しみ。実存的な苦しみが、かって問題になった事を思い出しました。人生の流れの中で現在を見つめ直そう、とするために、良い聞き手となる覚悟が必要。これは自分自身についても立ち止まって問い質し、自分が自分のための良い聞き手になる必要があります。生は死を犠牲にして存在する、という考えについても全く同感です。命が「いのち」になって輝くこと。いのちが尽きる時にその人の人生の集積が光を持って関わり残された人たちに輝くことと。「生命」は目に見える「有限性」のあるものだが「いのち」は次代に受け継がれる「無限性」のあるもの、としてのお考えは、先回木村敏先生の命の2重構造のあり方の理念を示され、縦と横の物語で「いのち」と「生命」の違いを説明されていたことを。さらに判り易く説明されていたと思います。そして、「死につて」は、死が人生の苦痛からの開放で、生きている者を支えている自分の「いのち」の存在について後悔はあっても「満足でない満足感」という自己同一性の完結である、と思うこと。そして家族への感謝という「幸せ感」と、「死後の世界への期待感」、あるいは「死後のこの世への期待観」のある死を話されました。
私は、細井先生の20年間を通しての他者の死の看取りから、「死」を実存的臨床哲学者として、キリスト教徒として、また科学者として理解しようとされて来ているおられることを知りました。それも決して「肩肘を張ること無く」宮坂先生の言われる「超自然的」心で接しておられることにも、敬服します。

3)安藤先生を交えての鼎談で、「自分が主治医で無かったらという反省をすることがある」という話から、「患者―医師の良好な関係は<治療の結果>に左右される可能性」を指摘されました。宮坂先生は「医師を先生と呼ぶ日本の社会風潮」を患者ー医師関係に影響を与える問題点のひとつとして挙げられました。私は「患者さんから学ぶためには、患者さんが話せるような関係を持たねばならず、そこには患者さんの医師への信頼感の発生が重要で、患者さんが話そうと思うまでの信頼を得るための辛抱と愛が必要だ」思っています。細井先生はそれが出来た人です。
先回の細井先生の講話の感想を先生に書きました時、「一人の医師が治療からターミナル期の医療まで、一人でやってもらえるのが理想」と書いたように思います。今は場合によってがん治療者とケア医療者とは別な方が患者さんの為に良い場合があることに気付いて居ります。

4)小生は、一人は高校からの友人でがんセンター新潟病院に居た小越先生、一人は医学部学生時代から知人の市民病院に居られた木村 明先生の二人の内科医と、新潟ターミナル研究会を、昔、立ち上げたことがあります。元看護系学部の同僚、看護師の松川リツさん等が熱心に行なっていたターミナル期の患者さんへのボランチァの会を応援していました、しかし私の実際のターミナル期の患者さんやその家族との関わり合いは、多くはありませんでした。親しい医師から、精神科医として依頼されて接する程度で、学生時代の級友や小生自身の両親や兄姉らのがんによるターミナル期に、身体的医慮や対応は他者まかせの、ただ寄り添って見守っていくだけの対応しかできない、医師と言っても立場からすれば一般の方と同じ立場でしかない日々を送った体験があるだけです。しかし身内の者は、身体的苦痛に対して何も出来ない精神科医の私でも、毎日病床に顔を出すだけでも、医師という資格を持つ私であることだけで頼りにしてくれていたように思います。が、最終的には如何だったのでしょう。あの世で会ったら訊いてみようと思います。

上手く感想が纏まりません。だらだらと年寄りの長話を書きました。小生もやがては死に直面する日が参ります。思春期に死の持つ意味を漠然と考え始め、間もなく実際にその経験を、実感として体験する時が来るわけです。

 

 

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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
 日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
 会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
  安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
  演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
  講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
  http://andonoburo.net/on/6283
15時35分 講演
  演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
  講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
    http://andonoburo.net/on/6289
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会

2018年1月8日

 報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』 細井 順
  日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
  会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
 演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
 講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館;滋賀県近江八幡市)

【講演要約】
 ホスピス医として「その人がその人らしく尊厳をもって人生を全うする」ことに関わり始めて、20年の歳月が流れた。本年末で一区切りをつけて、来年からは在宅ケアを始めようと思う。そこで、ホスピスでの出会いを通して思索した「私の人間観」をまとめてみたい。 

1 老いと死
 ホスピスケアを語るとき、念頭にあることは、「人間は死すべきもの」という事実である。これを足がかりに、死とどのように向き合うかを問うことがホスピスの在り方である。人間には老いと死が備えられている。「人間の尊厳や存在意義が、個々の人間の老いと死による有限性にある」と、ある生物学者は語っている。 

 我が国は多死時代を迎えようとしている。2025年問題と呼ばれ、団塊の世代が平均寿命を迎える時期に、死亡者数の増加に見合う死亡場所が確保できないという難問を現代社会は抱えている。病院の病床数を増やすことはむずかしく、在宅で死を看取ることが推進されているが、市民の間にも医療者側にもまだまだ浸透していない。そういう背景の中で、ホスピスは尊厳のある死の看取りを目指している。 

2 患者の願い
 がんなどの生命を脅かすような病気を患うと、全人的苦痛とよばれる生きづらさを感じる。現代医療の盲点は、患者の情報を一元化して管理する場所がはっきりとしないことにある。専門化・細分化が進んだ医療システムでは、検査、診断、治療と多人数の医療者が関わっている。ひとりの医師が病気の全経過を診る時代ではなくなった。医療の進歩によって、専門領域は狭められ、広い範囲を診てくれる医師はいない。特にがん治療のような高度の専門性が必要とされる領域では尚更である。このようなシステムでは、患者が抱えた生きづらさを汲み取ることができなくなってしまった。 

 患者の願いは、医療者による人格的な癒やし、人間的な対話である。たとえ障害や病気が除去されることがなくても、葛藤が解決されることである。現代の細切れにされた高度先進医療では、生きづらさに耳を傾ける余地はない。ホスピスで出会う患者から漏れる言葉は、「誰が主治医かわからない」。それに答えるホスピス医は、「最後までちゃんと診るから」。すると、「安心した。その一言が欲しかった」と患者は安堵する。 

3  ホスピスが大切にしていること
 ホスピスが大切にしていることは、人生の流れの中で現在を見つめ直すことであり、患者の気持ちに焦点をあてて、つらさ、せつなさ、やるせなさ、やりきれなさ、できなさ、弱さにつき合うことである。ライフレビューという手法を使って、自らの人生の歩みを振り返り、それを自ら言葉にして、自らの心に現在の状況を落とし込む作業をしてもらう。そうすることで、これからの旅路も過去を乗り切ってきた経験を土台にして、新たな困難にも立ち向かっていける。 

 ホスピスですごす患者のほんとのつらさは何であろうか。治癒を望めない病を得て、「生きたいけれど、生きられない」ということと、「死にたいけれど、死ねない」という二項に集約される。生死の狭間で、できなさ、弱さを覚える。このような苦悩に対して、ホスピススタッフは患者に寄り添うことができるだろうか。我々は、「生かしたいけれど、生かせられない」のであり、「死なせたいけれど、死なせられない」のである。大きなジレンマを抱えながら患者の傍らへと赴く。もし、医療者として赴くならば、患者に寄り添うことはできない。医療者としては無力である。自分たちのできなさ、弱さを思い知らされる。 

 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」。これは我々のホスピスの玄関に掲げられた聖書の言葉である。この言葉は、患者や家族に投げかけられた言葉にとどまらず、ホスピススタッフにも投げかけられている。できなさ、弱さを抱えた者全員に投げかけられている。我々人間は神の前では平等である。医療者としてではなく、できない者、弱い者同士の出会いの中で患者に向かう時、その場には立場の違いを超えて、愛、平和、つながり、いのちが生まれる。そして、ここで生まれたいのちは生死を超えて遺された人の生きていく力になっていく。遺された人の中で生き続けるのである。 

4  生命からいのちへ
 漢字で綴る生命と平仮名のいのちとは意味合いが違う。生命というのは、生命物質の生命活動のことで、目に見えるもので、終わりがある。一方、平仮名のいのちというのは、目には見えず、出会いの中から生まれ、死をも超えて次の世代へと受け継がれていく。ホスピスケアは生命の終わりを見つめることを通していのちを育んでいる。このいのちに気づく時、死の孤独から解放され、死を恐れないで死に向き合うことができる。 

5  死にゆく人から教わる人生の手応え
 「人間とは何か」というテーマを掲げながらホスピスで死にゆく人たちと関わってきた。人生を勝ち組と負け組に分けたくはないが、人生の手応えは感じたい。なんてったって、毎日がんばって生きているんだもの。ホスピスでの関わりをふまえて、どうしたら自分の人生を納得して振り返ることができるかを考えた。大変おこがましいことではあるが、四つの項目が挙げられると思う。
 ・苦痛からの解放 ・人生の満足感 ・家族の支え ・死後の世界への期待感 

 これらのうちでホスピスができることは、種々の薬剤を駆使する第一の項目だけである。他の三項は、その時までに築いてきた人生そのものを映し出す。第四項の死後の世界への期待感とは、今から向かう来世への期待感でもあり、旅立った後の現世への期待感も含まれている。いのちが引き継がれていることの実感である。つまり、死に甲斐を持つことと言い換えることができる。まさに「人は生きてきたように死んでいく」と言われる通りである。 

6 終わりに
 拙い人間観を述べさせていただいた。最後になったが、「人はひとりでは生きることも、死ぬこともできない」と痛切に感じている。すなわち、人間とは人知を超えた大きな力と、たまたま巡り会った人たちとに生かされた存在である。その人たちによって自分らしさが引き出されていることなのだろう。現代は不寛容な社会になってしまい、他者を赦すことや、他者の痛みを感じられなくなってきたことを憂える。近い将来、人間はAI(人工知能)に席捲されるだろう。私はそこに幸せを見出せないだろう。人間臭く、「共に喜び、共に泣く」社会であることを願ってやまない。 

 

【細井順プロフィール】
 公益財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院ホスピス長。
 1951年生まれ。78年大阪医科大学卒業。自治医科大学消化器一般外科講師。
 93年淀川キリスト教病院外科医長。 父親を胃がんのためにホスピスで看取った後、96年ホスピス医に転向し、同病院ホスピスで学んだ。
  98年愛知国際病院で愛知県最初のホスピス開設に携わった。
 2004年には自らも腎臓がんで右腎摘出術を受けた。
 06年から現職。自らの体験をふまえ患者目線のホスピスケアに精力的に取り組んでいる。その傍ら、「いのち」の教育にも力を注いでいる。
 12年ホスピス希望館の日々を追ったドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日〜あるホスピス病棟の40日〜」(溝渕雅幸監督)が制作された。 

 著書:『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年)、
    『死をおそれないで生きる〜がんになったホスピス医の人生論ノート』(いのちのことば社、2007年)、
    『希望という名のホスピスで見つけたこと』(いのちのことば社、2014年)など 

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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
 日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
 会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
  安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
  演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
  講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
  http://andonoburo.net/on/6283
15時35分 講演
  演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
  講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会