勉強会報告

2017年11月26日

報告【新潟ロービジョン研究会2017】 2)清水朋美先生
  日時:2017年09月02日(土)
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室 

 「新潟ロービジョン研究会2017」から、清水朋美先生の講演要約をアップします。 

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演題:眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える
講師:清水朋美(国立障害者リハビリテーションセンター病院 第二診療部長)
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【講演要約】
  眼科医の仕事は今も昔も眼の病気を治すことである。私の眼科医像はこの点だけは一貫して変わらない。しかし、私のこれまでの半生を「プレ眼科医期」、「眼科医前半期」、「眼科医後半期」に分けて考えてみると、「見えにくい人の最大理解者!目の専門家!」→「見えにくい人のこと、わかっている???」→「見えにくい人のこと、わかってない眼科医が多すぎ!!!」と各期とともに私の眼科医像は変遷してきた。変遷してきた最大の理由は父にある。 

  私の父は、ベーチェット病が原因で30歳の時に失明した。私が生まれる前にすでに父は失明していたので、父は私を見たことはない。「プレ眼科医期」の私は、父が見えていないことを自然と理解することができた。就学前の幼少時に、どうして見えないのだろう?と不思議に思い、母に尋ねた。この時に母からベーチェット病のことを聞いた。遠い昔の出来事だが、今もこの時のことは鮮明に覚えている。その時、眼科医になればすべて解決できると幼いながらも強く思った。何しろ、眼科医は「見えにくい人の最大理解者!目の専門家!」だと信じていたからだ。 

  そのまま医学部に進学し、更に運よくベーチェット病研究の第一人者である大野重昭教授(北海道大学眼科名誉教授)と出会い、当時先生がおられた横浜市立大学眼科の大学院生になり、留学の機会も与えられた。このように、私の「眼科医前半期」が始まった。研究テーマはもちろんベーチェット病で、この頃の私は、これでようやく長年の敵と向かい合えるという心境だった。しかし、臨床経験を積むにつれ、私には不思議に思うことが増えてきた。医学部時代から眼科医になっても、福祉制度、障害者、診断書等の書き方、患者さんへの病状説明の仕方について全く学ばないし、手帳がとれそうなのに取っていない患者さんが多いこと等々の疑問は膨らむばかりだった。更には、患者さんと眼科医の視覚障害についての知識が乏しく、患者さんは「見えなくなったら何もできない、死んだ方がマシ…」といった内容に終始し、眼科医も「見えなくなったらミゼラブル、大変、えらいこと…そこまで考えなくていい…」といった応答に止まっていた。幼少時から視覚障害者との接点が多かった私にはとても違和感があった。私には視覚障害者は暗いというイメージはなく、明るく楽しく過ごしている視覚障害者を沢山知っていたので、余計に不思議だった。眼科医は「見えにくい人のこと、わかっている???」という思いが経験を積むにつれ、強くなっていった。 

  縁あって2009年から今の職場である国立障害者リハビリテーションセンター病院で勤務しているが、まさに「眼科医後半期」に入り、「見えにくい人のこと、わかってない眼科医が多すぎ!!!」という思いを確信している。以前よりはロービジョンケアに関心を持つ眼科医は増えてきたとは思う。それは、平成24年度からロービジョン検査判断料が保険点数化され、私の職場で開催される「視覚障害者用補装具適合判定医師研修会」に参加希望の眼科医が右肩上がりに増えていることを見ても明白だ。しかし、まだ多くの眼科医にとってロービジョンケアは異質なものに見えてしまっていることが残念だと思う。 

  一般の眼科医にとってロービジョンケアが常識となるには、制度、道具、連携に力を入れた王道のロービジョンケアではなく、すべての眼科医が取り組める「クイックロービジョンケア」を推進していくことがこれからの時代には必要ではないだろうか。つまり、ロービジョンケアマインドを持って、見えにくい患者さんにちょっとしたことをアドバイスできる力を身につけることだ。それを実現するには、医学生のうちから福祉的なことも学び、視覚障害の体験をするのもよいだろう。眼科専門医受験資格に視覚障害の体験や研修会を盛り込めるとなおいい。 

  一定の経験ある眼科医には、ロービジョン患者さんの最大の困り事である「読み書きと移動」の2点を最低でも患者さんに確認するシステムを構築するのも一案だろう。異質でわかりにくいからロービジョンケアはやらないというのではなく、サインガイドひとつでいいのでちょっとしたことを見え方で困っている患者さんに教えていけるようにすれば、より多くのロービジョンの患者が救われるだろう。これこそが眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアだと思う。この体制を日本の眼科医に根付かせることが出来れば、日本のロービジョンケアは大きく変わると信じている。そのために、私の稀有な半生で得た経験が少しでも役立つのであれば、なお本望である。 

【参考URL】
 第9回オンキョー点字作文コンクール 国内の部 成人の部 佳作
 「忘れることのできない母の言葉」横浜市 西田 稔
 http://www.jp.onkyo.com/tenji/2011/jp03.htm

【略 歴】
 1991年 愛媛大学医学部 卒業
 1995年 横浜市立大学大学院医学研究科 修了
 1996年 ハーバード大学医学部スケペンス眼研究所 留学
 2001年 横浜市立大学医学部眼科学講座 助手
 2005年 聖隷横浜病院眼科 主任医長
 2009年 国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科医長
 2017年 国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部長
 現在に至る 

 

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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)
     開場:13時半  研究会:14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」
 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)
   仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)
   大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「眼科医40年 患者さんに学んだケアマインド」
     安藤 伸朗
     (済生会新潟第二病院眼科)
 14時40分~
  「私と視覚障害リハビリテーション」
     山田 幸男
     (県保健衛生センタ/信楽園病院/NPO「オアシス」)
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
     清水 朋美
     (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
 16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
     高橋 政代
     (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
  http://andonoburo.net/on/6221
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東京大学眼科)
 17時50分 終了

2017年11月24日

報告【新潟ロービジョン研究会2017】 1)高橋政代先生
  日時:2017年09月02日(土)
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室

 済生会新潟第二病院眼科で2001年開始(2001年は2回開催)、17回継続した「新潟ロービジョン研究会」は、新潟から眼科医療そして視覚リハビリテーションの情報を発信して参りましたが、今回の第18回が最後となります。ここまで続けてこれたのは、皆様のご支援のお蔭です。改めて感謝申し上げます。
 今回の研究会で行った4つの講演から、高橋政代先生の講演要約をアップします。


演題:ロービジョンケアとの出会い   
講師:高橋政代(理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)

【講演要約】
 iPS細胞を用いた網膜の再生医療は他家移植という第2のステージに進み、標準治療としての可能性を追求している。期待はますます高まっているが、正常に戻るというような視機能回復を望めない初期の再生医療では、患者ケアや術後のリハビリテーション(ロービジョンケア)が必要である。

 このような考えに至った背景には、アメリカのソーク研究所留学を終えて帰国後再生医療の対象となる網膜色素変性の専門外来を担当したからである。それまで詳しくは知らなかったこの病気の診療に大きな問題があることにすぐ気付いた。その当時網膜色素変性は、診断されると「遺伝病です。失明します。治療法がありません。」それだけを伝えられることが多かった。

 患者さんはどうしたら良いのかもわからず大きな不安を抱えて、ただただビタミン剤をもらいに病院に通うだけであることを知ったのである。紹介患者がほとんどの大学病院の外来では、「必ずしも失明するわけではありませんよ」というだけでほっとされて泣かれる方がとても多かった。

 これはおかしいと思った。患者に幸せと安心を届けるべき医療から間違った情報が伝わり余計な精神的ストレスを生み出している。正しい情報や有用な情報を何とか伝えたい。私にとってロービジョンケアは補装具ではなく、精神的ケアが入り口であった。 

 1年ぐらいどうしようかと困っている時に患者さんの中の森田茂樹さんが京大で拡大読書器の紹介をさせて欲しいと申し出てくれた。これは渡りに船。時間と知識があるけれど場所と対象患者を持たない森田さんとその逆の私。かくして当事者とロービジョンケアの素人が行うロービジョンケア外来が京大病院眼科で始まった。

 業界の方々はヒヤヒヤしてみていたであろう。しかし、私には森田さんから患者側から見たロービジョンケアをたっぷり学んだ貴重な経験であった。違う角度から入ったことでよかった点もあるのかもしれない。その後、京都視力障害者協会の協力も得て、視能訓練士の方も熱心に参画して徐々に形ができた。 

 その頃から安藤先生に新潟に呼んでいただいて、いろんな人に出会った。今一緒に外来をやってくれているカウンセラの田中桂子さん、iPadでデジタルロービジョンケアを広めている三宅琢先生、そしてアイセンター設立に向けて合流してくださったロービジョンケア総本山の仲泊聡先生、神戸のロービジョンケアの土台は新潟の会で培った人脈から生まれている。 

 本年12月に研究と臨床、そしてロービジョンケアや福祉がワンストップで受けられる神戸アイセンターが開院となる。入り口のフロアは公益法人NEXT VISIONのフロアである。バリアフリーならぬ段差だらけの「バリアアリー」であるが、そこに見えにくい人もそうでない人も安心して楽しめるユートピアを作りたい。

 さだまさしの小説「解夏」にもあるように、外来で出会う患者さん方の中では視覚障害が重篤になってからよりも視機能が低下していく途中の苦悩や不安が強いように感じる。まだ生活に不自由もないようなその時期の不安や悩みは極力少なくし、自由な心で将来の生活を思い描けるようになってほしい。 

 日本は旧来重度視覚障害に対する福祉は整えられていたが、そのもっと前、軽度障害の頃からのケアが重要であると感じる。網膜剥離の手術でも同じであるが、早期の治療が有効で、一度固まってしまうとそこから治療することは難しい。ロービジョンケアも視機能の低下によって自分で活動を制限してしまってからその生活を変化させるのは非常に難しい。早期のロービジョンケアが重要であるが、眼科医にはその必要性の認識が薄いし、当事者も勧めてもなかなかロービジョンケアや福祉を利用することに抵抗がある。それは軽度の視覚障害が世間に認知されていないために晴眼者と重度視覚障害と別世界であるような意識があり、障害者への自分の中の差別、向こうの世界に行きたくないという抵抗である。

 どんな障害でも軽度から重度までスペクトラムで存在しておりここから障害という境界線はない。ところが軽度障害の当事者が世間に認知されていないことにより視覚障害は身近にいない別世界の人になってしまっている。それが病気の進行の途中、まだ見えている時の苦悩であり、眼科医療、ビジネス、福祉すべての問題点である。 

 遺伝子診断をしているとわかる。あらゆる人が疾患遺伝子を持ち、性格も含めれば誰もが何らかの障害を持っているとも言える。今後、一般社会の中で活躍している視覚障害者が何の不安もなくカミングアウトできて障害者との壁が崩れ健常者も障害者もお互い助け合いながら不自由をデバイスで補って仕事を続けられる。そういうユートピアを目指して、NEXT VISIONはiSee!運動を展開していく。 

【略 歴】
 1986 京都大学医学部卒業
 1986 京都大学医学部附属病院 眼科
 1992 京都大学大学院医学研究科博士課程修了
 1995 アメリカ ソーク研究所 研究員
 2001 京都大学医学部附属病院 助教授
 2006 理化学研究所 チームリーダー
 2012 理化学研究所 プロジェクトリーダー
  現在に至る


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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)
     開場:13時半  研究会:14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」 

 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)
   仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)
   大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「眼科医40年 患者さんに学んだケアマインド」
     安藤 伸朗
     (済生会新潟第二病院眼科)
 14時40分~
  「私と視覚障害リハビリテーション」
     山田 幸男
     (県保健衛生センタ/信楽園病院/NPO「オアシス」)
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
     清水 朋美
     (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
 16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
     高橋 政代
     (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東大眼科)
 17時50分 終了

 

報告:第261回(17-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会   仲泊 聡
  日時:平成29年11月08日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 演題:「視覚障害者支援における課題の変遷」
 講師:仲泊 聡(理化学研究所 研究員;眼科医) 

【講演要約】
 私は、ごく普通の眼科医としての教育を受けたのち、1995年に神奈川リハビリテーション病院に勤務するようになって以来、20年余りを視覚障害者の皆さんとともに歩いて参りました。これまでに私が見聞きし、働きかけてきた視覚障害者支援の現場について、この機会にまとめてみました。まず、20世紀に起きたこと、そして、21世紀になってからは概ね10年ごとに区切り、最後には2021年からの10年についても展望したいと思います。 

 私が研修医をしていた頃、白内障手術に大きな変革の波が来ていました。そして、その技術が日に日に改良され、どんどん素晴らしい技術に発展する時代を過ごしてきました。私の同僚たちは、すべて手術に魅了されていきました。じつは、私が眼科医を目指したのは、分子生物学にハマって生化学教室に出入りしていた学生時代に、視神経再生の研究をしていた眼科の大学院生に出会ったのがきっかけでした。だから、卒業したら「研究」ができると思っていました。ところが周囲は手術一辺倒で、ちょっと違うなーと感じていた頃に、指導教授から研究テーマが与えられました。それが、なんと「大脳での色覚がどうやって生まれるかを調べよ」という課題でした。そこには、分子生物学とはまた違う魅惑の「脳科学」の世界が広がっていました。そして、その研究を深めるために私は神奈川リハビリテーション病院に赴任しました。 

 ところが、そこで出会ったのは、大勢の視覚障害者の皆さんでした。正直言って「えらいところに来てしまった」と思いました。なぜなら、視力をよくするのが眼科医の仕事だと刷り込まれて6年もたっていましたので、治療ができない目の見えない患者さんというのは、私にとっては「申し訳ない」という以上の「恐ろしい」対象となっていたからです。しかし、そのような環境に私は13年も身を置くことができました。それは、慣れたということでなく、素晴らしい視覚障害者の友人をたくさん持つことができたからだと思います。目の不自由さを乗り越え、社会復帰している方達は、一様にコミュニケーション能力に長けた聡明な紳士淑女でした。そして、その病院と併設していた七沢ライトホームの職員のおじさんたちから私は多くのことを学ばせていただきました。 

 20世紀の最後の5年を私は、そこで過ごしました。その期間は、実は視覚障害者支援のこれまでで最も元気な時代の最後のときだったのです。ライトホームの利用者さんの主な疾患は、ベーチェット病、網膜色素変性症と先天眼疾患でした。皆で登山を楽しむこともありました。しかし、世界ではその背景として大変な思想の転換が生じていたことを当時の私は知る由もありませんでした。戦後から障害者を庇護する政策が当たり前に続けられてきたなかで、1964年の世界盲人福祉協議会での「盲人の人間宣言」で、この庇護政策を『これほど盲人の人権を無視したシステムはない』と批判する方向性が打ち出されていました。 

 ライトのおじさんたちは、その動きを察知していました。そしてあの頃、私に課題は、1) 手帳の有無による大きな格差 2) 点字・白杖などステレオタイプな対応 3)障害者は守られるべきものと思われていること 4) 軍人になれなかった障害者に対する差別の因習 5) だから障害者にはなりたくないと手帳申請しない人がいること 6)障害者には経済的支援さえすればよいという行政等にあると聞かされていました。 

 21世紀になるとさすがの私もその異変に気づくようになりました。このままだと視覚障害者支援システムが崩壊してしまうという危機感をライトのおじさんたちと共有しました。そして、実際に障害者支援施設をゆるがす制度改革が次々に始まっていきました。措置に基づいて行われていた支援が、支援費制度になり、そして障害者自立支援法が2006年に施行されました。ライトホームの安泰の時代から徐々に入所者への対応の仕方が変わり、そして希望者激減の時代を私は彼らとともに歩きました。制度が庇護から自立へ変換するなかで、お金を払えない当事者や先を見通せない当事者が引きこもり、盲学校やリハ施設から姿を消していったのです。 

 そのような中で世間に先駆けていち早く行ったことは、地域での連携でした。現在の神奈川ロービジョンネットワークの前身となる会合を最初に開催したのが1999年2月のことでした。県内の4つの大学病院と県眼科医会に呼びかけ、それまでの教育と福祉主体の視覚障害者支援から医療と連携した支援体制の必要性を訴えました。なぜなら、視覚障害者の8割が眼科には通院しているという統計があったからです。リハの必要性を訴える場として、医療現場は欠かせないと考えたわけです。 

 この時代、私たちはこの先リハをする専門職がいなくなってしまうと考えていました。利用者が減るということは、行政から見れば需要がなくなったと解釈され、職員数が減らされます。自立支援法で障害の範囲が広がり、その区別がなくなったことから様々な特性を持った障害者が集まってきます。利用者の減少に歯止めをかけたくて施設側もそれまで拒んできた慢性疾患患者、高齢者、知的障害者を利用者として認めざるをえなくなっていきます。そして、それによって職員の視覚障害に対する専門性が奪われ、そして育たなくなっていくと考えました。 

 私は、2008年に神奈川を離れ、所沢の国立障害者リハビリテーションセンターに異動しました。異動の動機は一言では言えませんが、そのなかにこの重大問題をなんとかしなければという気持ちもありました。そして、そのポストを利用して学会などに働きかけ、教育・福祉の医療との連携を呼び掛けてきました。1) スマートサイト 2)中間型アウトリーチ支援 3) ファーストステップ と様々な仕込みをしてきました。そして現在を含む2011年からの10年には、日本眼科医会や日本眼科学会が福祉・教育との連携を真剣に考えてくれるようになり、この考えが当たり前のこととして受け止められるようになりました。 

 そして、次の10年、何をすべきかについて考えました。現在、大勢の同志が立ち上がり、視覚障害者支援のサービスの質と量を担保するために働いてくださっています。しかし、それでもなお、そのサービスの行き届かない地域があります。これをなくすのは一筋縄ではいきませんが、現在のICT技術は、ほんの10年前には想像していなかったほどに発展しています。これを使って遠隔でも支援ができないものかと現在はその技術開発に取り組んでいます。さらに、その方向性を確認するために、障害者権利条約の26章のリハビリテーションのところを読み解いて、1) 障害者相互の支援2) できるだけ早期に 3) できるだけ近くで という3つのキーワードを指針として、これからの計画を立てていきたいと思っております。 

 今年の12月1日には、神戸アイセンターがオープンします。NEXT VISIONという公益法人の活動として、上述の方向性をしっかりと見据えた活動をしてまいりますので、皆様、今後ともよろしくお願いいたします。 

【略 歴】
 1989年 東京慈恵会医科大学医学部卒業
 1995年 神奈川リハビリテーション病院
 2003年 東京慈恵会医科大学医学部眼科講師
 2004年 スタンフォード大学心理学科留学
 2007年 東京慈恵会医科大学医学部眼科准教授
 2008年 国立リハ病院 第三機能回復訓練部長
 2010年 国立リハ病院 第二診療部長
 2016年 神戸理化学研究所 研究員 

【後 記】
 大学の准教授から国立障害者リハビリテーションセンター病院の部長職を8年間務めた後、研究所の一研究員に身を投じた気概の眼科医仲泊聡先生が、ご自身の半生と視覚障害者支援の歴史を絡めた素晴らしい講演でした。
 得てして大真面目に本筋を語るよりも、ポロリと本音を語る場面は人を惹きつけます。私は冒頭の5分間で魅了されてしまいました。・視力をよくするのが眼科医の仕事であり、どれだけの視力を良くしたかが通信簿、・視力の悪い患者さんは、申し訳ないというよりも怖い存在、・視力の不自由さを乗り越えた(目の前にいる)患者さんは素晴らしい人たち、、、、、
 講演では、目の不自由さを乗り越え、社会復帰したコミュニケーション能力に長けた聡明な紳士淑女、そして病院に併設されていた七沢ライトホームの職員のおじさんたちから学んだこと断りながら、障害者を庇護する時代から自立支援への変革の理念と問題点等々が語られました。難しいイデオロギーや言葉・文章でしか得られなかった事柄が、平易な言葉で皮膚感覚で語られました。さらには現在の問題点、今後の展望も盛り込んだ膨大な講演でした。
 今後はNEXT VISIONという公益法人に身を置き活動していかれるとのこと、益々のご発展を祈念しております。 

 

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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成29年12月13日(水)16:30 ~ 18:00
  第262(17-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
   演題:患者になってからの20年をふり返って私が伝えたいこと
   講師:関 恒子(長野県松本市) 

平成30年01月10日(水)16:30 ~ 18:00
 第263回(18-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:ロービジョンケアを始めて分かったこと
  講師:加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会理事長) 

平成30年02月14日(水)16:00 ~ 18:30
 第264回(18-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会「ささえ、ささえられて」
 小林 章(日本点字図書館:歩行訓練士)
 「空気を感じて歩く楽しさと  少しでも楽に歩ける視覚活用方法を伝えること」
 大石華法(日本ケアメイク協会)
 「『ブラインドメイク物語』視覚障害者もメイクの力で人生が変わる!」
 橋本伸子(白尾眼科:石川県、看護師)
 「これからのロービジョンケア、看護師だからできること」
 上林洋子(盲導犬ユーザー;新潟市)
 「生きていてよかった!!」
 岩崎深雪(盲導犬ユーザー;新潟市)
 「私のささやかなボランティア …」 

平成30年03月14日(水)16:00~18:00
  第265回(18-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会(最終回)
   演題:これまでのこと、これからのこと
   講師:安藤伸朗(済生会新潟第二病院 眼科医)

 

2017年9月19日
報告:第259回(17-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会 小田浩一
  日時:平成29年09月13日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来
 演題:視覚障害研究・開発の過去・現在・未来
 講師:小田浩一 (東京女子大学教授)
【講演要約】
1.はじめに
 研究者・大学教員としてのキャリアは、今年で33年。残り10年で定年退職の節目になるので、これまでの自分の仕事を振り返りながら、未来を展望してみた。振り返ってみると、これまでに研究に従事してきたテーマは以下の4つである。ICTと視覚障害、フォントの研究、ロービジョンの視機能と行動の関係、ロービジョン・リハビリテーション。以下、順に述べることとする。
 
2.ICTと視覚障害
 1984年旧国立特殊教育総合研究所に赴任した当時に与えられたテーマは、コンピュータの視覚障害教育への応用であった。これは今流に言えば、ICTと視覚障害という大きなテーマになるだろうが、教育現場にまだPCが普及していない時代であり、テーマを与えた小柳恭治部長は慧眼ではあったが、ほとんどの同僚や研修生の態度は否定的で、PCを操作していると自閉症だの宇宙人だの、マシンが障害児の役に立つはずがないだのと冷たい批判を受けたことをよく覚えている。
 オーストラリア商務省から補助金をもらい、メルボルンに1ヶ月出張してユリーカA4という視覚障害のユーザ専用のPCの開発もした。視覚ディスプレイがなく、点字キーボードというシンプルなデザインはスティービーワンダーのお気に入りになったことで知られている。現場でのICTへの抵抗があまりにも大きいので、普及のためにPC講習会を開催したり、東京女子大学に転職後は大学のサーバをつかって全国規模のメーリングリストや視覚障害補助具のデータベースの公開などもした。
 1996年視覚障害の支援関係の情報資源をまとめたVIRN(Vision Impairment’s Resource Network)というサイトは、当時非常によく閲覧されていたようで、今では、VIRNという略語はnet辞書にも登録され、カナダの団体の名前にも使われている。米国連邦政府調達庁が公開していたWebアクセシビリティのガイドラインを許可を得て日本語訳して公開するなど、VIRNを使って初期の普及活動もした。杏林アイセンターでもロービジョン外来開設時はPC訓練にかなり力を入れていた。
 そのうちどっとブームが来たので、このテーマには少し距離を置いて、自分にしかできない研究に路線を変更していくことにした。現在はスマートフォンやタブレットPCが全盛で、今後はAIやVRがまた新しい可能性を開いていくと思われる。会場でデモをしたアプリ、写した対象をAIで認識して音声読み上げするTapTapSeeなどは、ICTが視覚障害を支援する姿の今後をよく示しているように思われる。
 
3.フォントの研究
 1987年にApple社のMacintoshというGUIのPCが出ると、フォントが自由に変えられることとマウスで図表が簡単につくれることに注目して、触図をつくるシステムを提案した。そのときにオリジナルの点字フォントを開発した。日本ではMS-DOSが全盛でWindows3が出る5年前だったこともあり、日の目は見なかったが、その後意外と海外でもよくつかわれていることをAppleのSpecial Education Officeの人たちに教えてもらった。フォントの研究もそこから研究テーマの1つになった。
 2000年ごろ、国立障害者リハビリテーションセンター研究所との共同研究の中で、後天性の盲ろうの人たちの文字として触覚でも視覚でも読みやすいフォントの開発をした。研究成果はAdobeのフォントデザインをしていた山本明彦さんが形にしてくれて2002年にForeFingerMとして世に出た。2006年にイワタのUDフォントが出る3年前の話である。これはカタカナだけのフォントで一般的には使いにくい仕様だったが、その後、類似のフォントが次第によく使われるようになった。タイプバンクのUDタイポスが一番似ていて使いやすいのではないだろうか。
 2013年ごろから共同印刷との共同研究で新しいUDフォント小春良読体を開発した。これは最近の読み研究の中で少しホットになっている読み分け困難(crowding)を減らすデザインになっている。そのために小さいサイズで読みやすい特徴がある。最近一般に市販することになった。
 
4.ロービジョンの視機能と行動の関係
 テーマの3つ目は、大学・大学院時代からの専門である視覚心理の関心を伸ばしていったもので、全盲の生徒が視覚を活用している様子に衝撃を受けてから、ロービジョンの視機能と行動の関係がどのようになるのかを研究するものになる。1987年にニューヨーク大学に留学してロービジョンと読書の心理学を勉強してもどってから、読書行動をメインの研究テーマにすることになった。
 1998年ミネソタ大学のロービジョン研究室のMNREADという読書評価チャートの日本版の開発を軸にして、多くの研究が生まれている。読書に影響しそうないろいろなパラメータを眼疾患に関連づけて地味に調べてきたが、今年2017年の国際学会では、欧米の研究者から今後そういう研究が必要だという意見が出ていた。
 
5.ロービジョン・リハビリテーション
 1991年故樋田哲夫教授の肝いりで杏林大学眼科にロービジョン外来が誕生した。1994年教え子の田中恵津子さんがロービジョン外来に関わることになり、ロービジョン・リハビリテーション自体が4つ目のテーマになった。1999年杏林大学付属病院の新外来棟建設に伴って杏林アイセンターが発足、アイセンターの目玉の一つはロービジョン外来であった。

 ロービジョン研究ディレクターという形で、田中恵津子さん、西脇友紀さん、新井千賀子さん、尾形真樹さんらロービジョン外来メンバーの研究・実践を後方支援した。以下のことは実際はこれらの杏林スタッフの仕事で僕はスーパーバイズしていただけである。
 臨床から生まれるさまざまなニーズが重要な研究や実践を導いてくれた。病院内の資源が限られていたので、東京のいろいろな視覚障害支援団体・施設と連絡をとり連携体制をつくり、連携時の個人情報の安全な交換法を決め、病院の内装の見えにくさを複数の患者とチェックして輝度コントラスト50%を確保する建物のアクセシビリティの研究をして、改装をしてもらったりというのが初期の実践研究だった。
 インテーク時にもれのないようにするQOL評価はVFQの初期のものを参考に日本人の生活に合わせたものをつくり、事後評価でどう改善がみられたかも評価できるように改良した。さらに、個々の項目に対して、どういう支援の手立て、外部連携先、情報があるかのリストを整備して、どのニーズにもなんらかの対応ができるような工夫をした。
 QOL評価は、ロービジョンサービスの効果を測定して改善していくPDCAやEBMのための大事なツールとなる重要なものであるが、開発後少しすると杏林でもルーチンで利用されるということがなくなっていた時期がある。そのQOL研究の中では、高齢のロービジョン患者に対する余暇活動の影響がはっきりしてきた。余暇活動のニーズは患者から言い出しにくいものなので丁寧なインテークが求められる。
 これらと並行して、MNREAD-Jを開発し読書評価をして拡大率を決めたり、いろいろな拡大補助具の特性・メガネとの関係を適切に調整する専門的な知識を月例ロービジョン研究会を通して蓄積・学習していった。ロービジョン外来は杏林アイセンターの1つのユニットとして、治療と並行したリハビリの提供や、リハビリを想定した治療方針の設定というように、整形外科とPTのような良い共生関係が生まれている。
 
5.おわりに
 今年2017年の国際ロービジョン学会で見学した、オランダのVisioという組織が提供しているロービジョン・リハビリテーションのあり方を紹介した。月額100ユーロという医療保険の中で提供されるサービスで、車の保険のように、ニーズが生じればいつでも決まった担当者に電話して対応をコーディネートしてもらうことができる。多種多様な専門家が多くは非常勤で所属する組織で、個々の利用者の電話での要望に応えられるようにしている。
 「ユーザーベース」というのは大きな発想の転換だが、考えてみれば無駄のないシステムで日本の今後はこのようにすると良いのではないかと思われた。
 
【略 歴】
 1981年 千葉大学人文学部心理学専攻卒業
 1984年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退
 1984年 国立特殊教育総合研究所視覚障害教育研究員
 1987年 アメリカ合衆国ニューヨーク大学在外研究員
 1992年 東京女子大学現代文化学部講師
 2009年~ 東京女子大学現代教養学部教授
 
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【後 記】
 東京女子大学の小田浩一教授にご自身の研究の過去・現在・未来について講演して頂きました。思えば1998年ごろから私が勝手に小田研の研究会に参加するようになり20年近くになります。
 先生は視覚心理物理学の大家で、これまで視覚心理の手法を用いて視覚障害者の抱える問題について先頭に立って学問を進めてこられました。
 講演ではこれまでのそして現在のお仕事をまとめてお話し下さいました。MNREAD-Jを開発し読書速度の評価、視覚障害者にも強いフォントの研究、視覚障碍者のwebアクセシビリティの研究、さらには杏林大学眼科ロービジョン外来立ち上げにも参画しています。
 未来のお話として、2017年国際ロービジョン学会での話題やオランダの視覚障害への対応Visioなども紹介して下さり、目から鱗のお話満載でした。
 日本のロービジョンケアをリードする小田浩一先生の研究の足跡を、直接伺うという贅沢をたっぷりと堪能しました。
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【これまでの小田先生の新潟での講演歴】
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【新潟ロービジョン研究会2010】
 日時:2010(平成22)年7月17日(土)14時00分 ~ 18時20分
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 テーマ:「『見えない』を『見える』に」
 会費:無料 要、事前登録
 1)特別講演
  「障がい者が支援機器を活用できる社会に」
   座長:安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
   演者:林 豊彦(新潟大学工学部福祉人間工学科・教授)
  「前進する網膜変性の治療」
   座長:加藤 聡 (東京大学眼科)
   演者:山本 修一(千葉大学大学院医学研究院眼科学教授
            /日本網膜色素変性症協会副会長)
  「ロービジョンで見えるようになる」
   座長:張替 涼子 (新潟大学眼科)
   演者:小田 浩一 (東京女子大学人間科学科教授)
   http://andonoburo.net/on/2470
 
 
【第6回新潟ロービジョン研究会】
 日時:2005(平成17)年8月7日(日)
 会場:新潟大学医学部 有壬記念館
 参加費 2000円
1)特別講演
 「ロービジョンと読書」 小田 浩一(東京女子大学)
 「型にはめない対応を」 清水 美知子(歩行訓練士)
 「眼科医の悩み」 松村 美代(関西医大眼科)

2017年9月6日

報告:第258(17-08)済生会新潟第二病院眼科勉強会 小西明
  日時:平成29年08月09日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来
 演題:済生会が目指すソーシャル・インクルージョンの実現
    ~人々の「つながり」から学んだこと~
 講師:小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室) 

【講演要約】 
1 はじめに 
 近年、国家財政の悪化を理由に医療費の患者負担の増額、介護や社会保険料の引き上げなどが行われ、国の医療や介護、福祉経費は抑制され厳しさを増している。一方で障害者だけでなく低所得世帯の子どもや高齢者、引きこもりなどによるニートやホームレスなど、さまざまな理由による生活困窮者がマスコミで取り上げられている。総じて行政は、法制度の枠組みの中でのサービス給付は得意だが、非定型なニーズに対して実効性のある支援は苦手と言われている。社会には「公共の手」からこぼれ落ちる人たちがいて、昨今は、そういう人たちが増えている。 

2 ソーシャル・インクルージョン(social inclusion)
 1950年代、デンマークのバンク・ミケルセンは第二次世界大戦後に、知的障害者を持つ親の会の運動に関わっていた。当時の知的障害者は、隔離された大規模施設に収容され、非人間的な扱いを受けていた。そのような状況下で、親が「親の会」を結成して組織的に反対運動を展開した。ミケルセンは「どのような障害があっても、一般の市民と同等の生活・権利が保障されなければならない。障害者を排除するのではなく、障害をもっていても健常者と均等に当たり前に生活できるような社会こそがノーマルな社会である。」とした、ノーマライゼーション(normalization)の理念を提唱した。   

 ソーシャル・インクルージョンは、ノーマライゼーションを発展的に捉え、障害者だけでなく「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念である。炭谷茂済生会理事長は、ソーシャル・インクルージョンを済生会の目指す地域サービスの基本と提言している。 

3 済生会のあゆみ
 済生会は明治44(1911)年2月、明治天皇が「恵まれない人々のために施薬救療による済生の道を広めるように」との済生勅語に添えて、150万円を下賜されたことが始まりである。時の総理大臣桂太郎は、この御下賜金を基金として全国の官民から寄付金を募り、同年5月30日恩賜財団済生会が設立された。以来、100年以上にわたり創立の精神を引き継ぎ、保健・医療・福祉の充実・発展に必要な諸事業に取り組んでいる。医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立した。100年以上にわたる活動をふまえ、現在では、日本最大の社会福祉法人として全職員約59,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開している。 

4 済生会の事業
 社会福祉法人済生会は、定款の第1条に「本会は 済生会創立の趣旨を承けて済生の実を挙げ、社会福祉の増進をはかることを目的として全国にわたり医療機関及びその他の社会福祉施設等を設置して次の社会福祉事業等を行う。」とある。全国に病院・診療所などの医療機関を中心に、児童福祉施設や障害者福祉施設、高齢者福祉施設や看護専門学校の事業を運営している。 

5 済生会新潟第二病院の特長
 当院は生活保護法患者の診療及び生計困難者のための無料又は低額診療等を実施している。減免相談対象者は、生活保護適用外の生計困難者(年金生活、不安定就労など)やDV被害者、人身取引被害者等の社会的援護を要する方々などである。加えて、昨今の社会経済情勢の中で、医療・福祉サービスにアクセスできない人々が増加しつつあることから、済生会創立の理念に立ち返り、福祉の増進を図るため済生会生活困窮者支援事業「なでしこプラン」を積極的に展開している。

 事業は、①DV被害者支援  ②更生保護施設「新潟川岸寮」の医療支援・社会貢献活動・研修会 ③外国籍住民のための医療相談会 ④東日本大震災避難者支援である。

 また当院眼科では、地域貢献活動として、どなたでも参加できる眼科勉強会・新潟ロービジョン研究会・市民公開講座が開催されている。地域連携福祉センターでは、市民向けおきがる座談会、事業所向け出前講座などを開催している。 

6 展望
(1)障害者をはじめ、全ての人々にやさしい病院
 障害者をはじめ、子どもや高齢者など社会的弱者に「医療関係事業者向けガイドライン」に基づいた合理的配慮の視点による、より「やさしい病院」を目指してほしい。

(2)医療と教育の連携
 県内にこども病院、小児療育センター、児童発達支援センターの開設が望まれる。また、 特別支援学校生徒の当院院内実習を通して、障害者の自立や社会参加への支援、職員への理解啓発を図っている現状を報告した。

(3)ソーシャル・ファームの開設
 通常の労働市場では就労の機会を得ることの困難な者に対して.通常のビジネス手法を基本にして仕事の場を創出する。主たる対象は障害者であるが、高齢者、母子家庭の母親ニート・引きこもりの若者、刑余者、ホームレスなどである。当院がリーダーシップを発揮し、ソーシャル・ファームが早期に開設されることを望む。

(4)知的障害者の福祉型大学
 インクルーシブ教育システム推進の観点から、将来は知的障害者が高等教育機関で学ぶことができる課程の創設が望まれる。当面は高等部卒業後の進路選択肢の拡大を目指し、現状の福祉制度を活用した類似施設の開設が考えられる。 

【略 歴】
 1977年 新潟県立新潟盲学校教諭
 1992年 新潟県立新潟養護学校はまぐみ分校教諭
 1995年 新潟県立高田盲学校教頭
 1997年 新潟県立教育センター教育相談・特殊教育課長
 2002年 新潟県立高田盲学校校長
 2006年 新潟県立新潟盲学校校長
 2015年 済生会新潟第二病院医療福祉相談室勤務


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【後 記】
今回は、小西明先生にお話して頂きました。小西先生は、長い間新潟県の教育畑に在籍し、主に視覚障害児の教育に関わってこられました。高田盲学校・新潟盲学校の校長を歴任され、退職後当院にお呼び致しました。
当院では、医療福祉相談室に勤務され多くの方面で活躍されています。一口に医療と教育の連携と言いますが、こうした人的交流がひとつの突破口になるのではないかと思います。
医療の現場での常識は、必ずしも教育の現場での常識ではありません。その逆も真なりです。小西先生の院内での発言は私たちに大きな影響力を持ち始めています。
今後ますますの小西先生のご活躍を祈念しております。 

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@過去、小西先生にお話して頂いた講演を列記致しました。
多くはandonoburo.netに登録してございます。
 参考まで

●『新潟ロービジョン研究会2016』 小西 明
 演題:「新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医」
 講師:小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
  日時:平成28年10月23日(日)
  場所:有壬記念館(新潟大学医学部)
 http://andonoburo.net/on/5217 

●第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会 小西 明
 演題:盲学校理療教育の現状と課題~歴史から学び展望する~
 講師:小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室)
  日時:平成28年04月13日(水)16:30~18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来
 http://andonoburo.net/on/4655 

●第226回(14‐12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 演題:視覚障害児者の福祉・労働・文化活動への貢献 ~盲学校が果たした役割~
 講師:小西 明(新潟県立新潟盲学校)
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
  日時:平成26年12月10日(水)16:30~18:00
 http://andonoburo.net/on/3381 

●第207回(13‐05月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「インクルーシブ教育システム構築と視覚障害教育~盲学校に求められるもの~」
 講師:小西 明 (新潟県立新潟盲学校:校長)
  日時:平成25年5月8日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 http://andonoburo.net/on/1946 

●第191回(12‐01月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「新潟盲学校の百年 ~学校要覧にみる変遷~」
 講師:小西 明 (新潟県立新潟盲学校 校長)
  日時:平成24年1月11日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 http://andonoburo.net/on/3324 

●第130回(07‐1月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:『眼科医・大森隆碩の偉業』
 講師:小西明(新潟県立新潟盲学校長)
  日時:平成19年1月10日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 http://andonoburo.net/on/3488 

●第69回(2002‐2月) 済生会新潟第二病院 勉強会
 演題:「縦断資料からみた視覚障害児の運動発達」
  講師:小西 明(新潟県立教育センター)
   日時: 平成14年2月13日(水)16:00~17:30
   場所: 済生会新潟第二病院  眼科外来
【講演抄録】 視覚的なハンディキャップが、視覚障害児の体力や運動発達のどのような側面に影響を及ぼすかを調べ、指導上の基礎資料を得るために、新潟盲学校に保存されているスポーツテストの縦断資料を検討した。その結果、男子生徒の形態の発育水準は普通児と変わらないが、全身運動の発達は低水準にあることが分かった。