勉強会報告

2004年11月10日

報告:第104回(04‐11月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 (林 豊彦)
 演題:『障害者の自立を支える生活支援工学‐視覚障害者のための支援技術を中心に‐』
 講師: 林 豊彦 (新潟大学工学部福祉人間工学科福祉生体工学講座教授)
  日時:2004年(平成16年)11月10日(水)16時30分~18時
  場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来

【講演要約】 
 日本社会は人類がいまだ経験したことのないスピードで少子高齢化が進んでいます。21世紀は社会のあらゆるセクターで、その対応に迫られることになるでしょう。社会の技術的な基盤に係わる従来の「工学」も大きく方向転換を迫られています。「高齢社会」、「障害者の自立支援」に直接取り組む新しい工学も生まれつつあります。それが「生活支援工学」です。
 21世紀は高福祉社会;あらゆる人々が快適で心豊かに暮らせるためには、人に優しくインテリジェントで高機能な機器・システムが必要です。生活支援工学は、そんな人間中心のエンジニアリングを目指します。 

1)高齢社会における福祉機器産業
 福祉用具の市場は年々拡張しているが、特に共用品(下記)が伸びています。
  2000年度 
   福祉用具(障害者専用) 11,389億円(対前年度伸び率-0.3%)
   共用品         22,549億円(対前年度伸び率21.6%)
   合計(広義の福祉用具) 32,421億円(対前年度伸び率13.6%)
  *共用品の定義:1.身体的障害や機能低下のある人にもない人にも使いやすい。2.特定の障害・機能低下のある人むけの専用品でない。3.一般に入手や利用可能。4.一般の製品と比較して、著しく高くない。5.継続的に製造、販売、利用されている
 日本では人類史上前例のない「超高速高齢化」が進行しています。65歳以上の人口比(高齢化率)が7%から14%になるのに要した年数は、フランスで110年、米国で70年、旧西ドイツで40年であるのに対して、日本はわずか24年です。
 こうした状況は当然「モノ作り」の現場に影響してきます。我が国で福祉機器産業が盛んになってきた背景には、こんな事情があるのです。 

2)バリアフリーとユニバーサルデザイン
 バリアーフリー社会は、「心身に障害や機能低下がある人でもない人でも分け隔てなく、すべて平等な条件で生活できる社会」と定義されます。ユニバーサル・デザインは、ロナルド・メイス(米国、ノースカロライナ州立大学;1941-1998)により提唱されました。彼は、9歳の時にポリオ感染後、車椅子・酸素吸入を使用しました。
 【ユニバーサル・デザインの7大原則】1.誰にでも役立ち、購入可能 2.個人の嗜好や能力を許容 3.使い方が理解しやすい 4.必要とする情報を効果的に伝達 5.誤動作時の安全性 6.身体的努力が不要 7.適切なサイズとスペース
 高齢者・障害者への配慮の標準化は、ISO/IEC GUIDE 71 (2001)、JIS Z8071:2003等、世界規模でどんどん進んでいます。   

3)「支援工学」小史
 日本では福祉・リハビリに「愛情」と「根性」が大事とされていますが、米国では早くから技術の重要性が指摘されていました。米国で発達した背景として、ベトナム戦争があります。1970年代米国にはベトナム戦争での傷痍軍人が溢れていました。そうした人達への支援が米国内の5箇所のセンターで行なったのが「支援工学」の始まりでした。
 1971 Rehabilitation Engineering(RE)の誕生
 1973 福祉工学(科学技術庁)
        The Rehabilitation Engineering Society of North America(RESNA 北米リハビリテーション工学協会)
 1980  International Coference on Rehabilitation Engineering(ICRE)(RESNA主催)
 1986 日本リハビリテーション工学協会(RESJA)
 1990 Americans with Disability Act(ADA法)
 1998 日本福祉工学会
 2000 日本生活支援工学会 

4)高度情報技術(IT)によるバリアフリー化
 健康人が高度情報技術を使用するのは、軽自動車からベンツに乗り換えるようなものですが、障害者の方が高度情報技術を利用するというのは、歩き専門から自動車を運転するというくらいの変化です。視覚障害者の方にとって、今や高度情報技術は「目」の働きをしているのです。 

5)視覚障害者の生活支援機器
 我が国における視覚障害者の特徴は、年齢構成で60歳以上が67.2%で、特に70歳以上が多いことです。点字は18歳以上の視覚障害者の9.2%、一級障害者の17.5%でしか使われていません。すなわち点字を用意しただけでは、視覚障害者に配慮したことにはなりません。視覚障害者の情報源は、(テレビ)66.9%、(家族・友人)61.0%、(ラジオ)52.1%、(録音・点字図書)7.9%、(パソコン通信)0.3%、、、、、、、視覚障害者の情報は、マスコミや身近な人たちに依存し、支援技術への依存度は低いことが分かります。
 ⅰ:日常生活を支援する機器 
  点字、浮き出し文字、拡大レンズ、拡大読書器、白杖、時計(触読式、音声デジタル式)、計量機「さじかげん」、音声ガイド電磁調理器
 ⅱ:コンピュータ利用を支援する機器
  弱視者のための画面設定~windowsの「ユーザ補助」、ハイコントラスト機能、マウスポインタ設定、画面の拡大、音声合成エンジンの発達により、「話すコンピュータ」(スクリーンリーダーによるテキストの読み上げ)が出現し、全盲の人でも使えるようになりました。 

6)リハビリテーション法508の衝撃
 米国連邦政府が調達する全ての高度情報技術機器は、ハードもソフトも障害者がアクセスすることの出来るものに限ると定めました(2003年1月1日完全実施)。政府の予算を受けている州や大学にも適応され、今後障害者が使えない機器を購入した場合は、職員や市民から提訴の対象となるというものです。適応となる製品は、1)ソフトウェア・OS 2)Webサイト 3)電子通信機器 4)ビデオ・マルチメディア製品 5)コピー機、プリンタ、ファックス 6)パソコン
 1986 リハビリテーション法に第508条追加
   連邦政府職員が使用する、ハードの規定
 1992 第508条の改正
   ソフトに関する規定の追加
 1998 第508条の再改正 
   ガイドライン作成をアクセス委員会に委嘱
 2000 電子・情報技術アクセシビリティ基準の公示(12月21日)
 2001 第508条の試行実施(6月21日)
 2003 第508条の完全実施(1月1日)
 米国の電子機器企業は、会社を挙げて早くから対応。カナダ・EU諸国は国家レベルで対応。一方、日本は企業単位で対応していますが、米国政府調達品から日本製品の締め出しの可能性もあり、「新しい非関税障壁」となってきています。 

7)コンピュータ利用支援センターの必要性 
 いくら情報機器のユニバーサルデザインが発達しても、支援機器が発展しても、これだけでは単なるインフラ整備です。使用する人への直接的な支援を行なわなければ利用してもらえません。ここが強調したいところなんです!! 
 1989年、米国では子供や障害者の自立支援を目的に、技術を利用する、親・利用者・専門家による「コンピュータ・アクセス・センター」が開設されました。これは、物作りの人と利用者を結びつける組織です。活動の内容は、多彩です。1)技術相談 2)電話相談 3)技術支援 4)子供のコンピュータ・クラブ 5)高齢者のコンピュータ・クラブ 6)オープン・アクセス 7)ハード・ソフトの貸し出し 8)講演・ワークショップ 9)教育用支援技術の研修、、、。活動のための収益の殆どは、企業からの補助金(3兆8千億円;67%)であり、個人からの献金(2千億円;3.4%)もあります。文化や歴史の違いでしょうが、我が国の対応とは大分異なります。 

 新潟大学工学部福祉人間工学科では、視覚に障害を持つ人々に対して、自立的に情報を獲得・発信できるようにコンピュータの使い方を個別指導することを目的として、パソコン講習を開催しています。会場は新潟駅プラーカ3にある「クリック」(新潟大学新潟駅南キャンパス)です。どうぞ利用下さい。 

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【林豊彦先生 略歴】
 1973年3月新潟県立長岡高等学校卒業、
  77年3月新潟大学工学部電子工学科卒業、
  79年3月新潟大学大学院 工学研究科電子工学専攻修了、
  同年8月新潟大学歯学部助手(歯科補綴学第1講座)
  87年3月新潟大学歯学部附属病院講師(第1補綴科)、
  91年4月新潟大学工学部情報工学科助教授(生体情報講座)、
  95年4月新潟大学大学院自然科学研究科情報理工学専攻助教授
     (生体情報制御工学大講座)
  96年  米国Johns Hopkins大学;客員研究員、
  98年4月新潟大学工学部教授(福祉生体工学講座)
【URL】 http://atl.eng.niigata-u.ac.jp
【趣味】リコーダー演奏,パイプオルガンの組立・調律,英会話,登山など 
 

【後 記】
 「生活支援工学」、聞き慣れない分野のお話でしたが、とても魅力的でした。エネルギッシュな講演でした。56枚にも及ぶスライド&レジメをもとに、「生活支援工学」に関する広範でかつ最新の話題を、1時間でお話下さいました。内容にも感心しましたが、判りやすい、そして聴く者の興味をそらさない語りは見事でした。
 講演後の話し合いでは、新潟市や加茂市で視覚障害者のパソコン教室を主宰する方々や盲学校の先生から感想や意見が出ました。家電製品のバリアフリーの話題では、視覚障害のKさん、Sさんの活き活きした意見が印象的でした。「N社の洗濯機は駄目。細かい操作が判らない。大まかなことは困らないので、細かい操作にも配慮してくれないと困る」「携帯電話も会社により使い勝手は様々、いいものもあれば、そうでないものも、、、」 

 参加された方から、以下のメールを頂きました(到着順)。
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●林先生の博識でエネルギッシュなお人柄には驚くばかりです。勉強会の感想としては、良くも悪くもアメリカとの違いを感じました。大企業が納める税金の使い方が理にかなっているように思いました。特に大企業の収益に応じた社会への還元というのは、政策として是非日本でもできたらと思います。ボランティアという便利な言葉に甘んじて、ボランティアへのサポートを行政は怠っているようにも感じます。身近なパソコンのことから、人権問題、福祉政策といった大きなテーマにまで及んで、とても考えさせられた時間でした。(JU)
●日頃、健常人の立場でしが考えたことがなかったので非常にためになりました。(SH)
●勉強会での林先生のお話は、本当にすばらしいお話で、ただ単に目の前のボランティア活動だけで汲々としている小生にとっては、今回のお話のような大きく広い視野からの障害者に関する情報をお聞きする機会はめったにないものですから、大変良い勉強会に呼んで頂いたと喜んでおります。有難うございました。林先生のあの素晴らしい話術にも感激しました。(SK)
●先日は勉強会に参加させていただきましてありがとうございました。林先生にはパソコン講習会でお世話になりました。マンツーマンで2日教えていただきました。英語の発音が他の人と違うのはアメリカに行ったからのようですね。大学の工学部の先生が福祉の分野にどのようなお話をされるのか興味がありました。視覚障害者も含めた障害者全体と高齢者等も含めて福祉を考えておられることに感心をさせられました。私は残念ながらスクリーンの映像は見えませんので具体的に理解が難しい面もありましたが、勉強会の雰囲気は非常によいものであると感じました。これからも機会があれば参加させていただきたいと思います。(MI)

 

2004年10月19日

【目の愛護デー記念講演会 2004】
(第103回(2004‐10月)済生会新潟第二病院眼科勉強会)
  演題:『眼の話』 
  講師:藤井 青 (新潟医療専門学校教授;前新潟市民病院眼科部長)
    期日:2004年10月13日(水) 17時~18時
    場所:済生会新潟第二病院 10階 会議室
    主催:済生会新潟第二病院眼科 

 『人類にとって眼とはなにか?』。文献に裏打ちされた豊富なデータや知識、ご自身で撮られた美しい新潟の風景写真をふんだんに使用し、集まった80名の聴衆を魅了しました。以下、講演の内容を私なりに、感想を交えてまとめてみました。

 

【講演要旨】
第1章 「昔の人は眼をどう考えていたか?」 
 豊富なスライドを用いて、で古代から人間と「眼」についての係わり合いについて解説。博識に圧倒された。 

第2章 「人間の眼は精密なカメラ眼」
 イカやタコの球状レンズ、サソリなどの外部レンズ、カタツムリなどの内部レンズと脊椎動物のカメラ眼を対比させ、人間の眼は精巧で、カメラに例えられることを解説。ここまではふんふんと聞く。 

第3章 「あやふやな視覚」
 精密であるはずの人間の眼が、実は頼りない。錯視について様々な例えで具体的に話された。同じ長さの2本の平行な直線、この両端に「><」と「<>」をつけると、途端に前者の線は後者よりも短く見える(ミューラリーの錯視)。末広がりの斜線の中に平行な直線を入れた場合、斜線間が広い方の直線が短く見える(ポンゾの錯視)。同じ長さの直線を逆Tの字に直角に描いただけで縦線が15%も長く見える(フィック図形)、、、、、、等々。

 アナモルフォーシス(正面から見ると無意味な模様に見えるが、ある特定な見方をすると絵が現れてくる)は、レオナルド・ダ・ヴィンチにより最初に描かれたものとされているという。さらにメタモルフォーシス(一見普通の絵が、視点を変えてみると男性の顔が女性の裸体に変化したり、昆虫が人間に変わったりする。すなわち変身する)も紹介。日本にもアナモルフォーシス画は存在した。「鞘絵」は刀の鞘に映して見る、、、、、、。もうこの辺りからは、興味津々、メモを取る手がが止まってしまう。 

第4章 「もう一つほしい第三の目」
 今見ているものは真実だろうか?というタイトルで始まった。「第三の眼」などというと漫画の世界かと思いきや、実に奥の深い内容だった。流石(さすが)!「第三の眼」を持つ三眼の神としては、インド神話のシヴァ神が代表格である。ネパールのある地域では、今も眉間に第三の眼をつけた少女神「クマリ」が生き神様として崇められている。

 オタマジャクシやハヤなどの魚類、カエルなどは両眼を摘出した後も光を感じている。第三の眼の知覚である。未分化の光感覚器を包括して「光受容器」と総称しているが、このうち「松果体;しょうかたい」だけを特に「第三の眼」と呼ぶ。松果体は、トカゲでは頭頂眼としてレンズや網膜が残っていて、今でも眼として認識されている。カエルではレンズが消失して、単に袋のような形になったため前頭器官と称されている。人間はじめ哺乳類では光受容体としての機能は消失し、ホルモン分泌専用器官のように見える。わずかに残されている照度計としての作用が、体内時計として働いている、、、、、、、。 

最終章
 哺乳類である人類では、松果体は見る器官としての「第三の眼」は失ってしまった。しかし心や精神、知恵、洞察力などとして間違いなく「第三の眼」は残っているし、必要とされている。複雑で分かりにくい現代社会の様々な現象を間違いなく見極めるために、「第三の眼」をしっかりと見開くことが、今の我々に求められている。 

【藤井 青 先生 略歴】
  昭和40年3月新潟大学医学部卒業。
  東京大学医学部付属病院にて医療実地修練
  新潟大学大学院博士課程で眼科学を専攻、大学院
  新潟大学眼科教室勤務。医局長。
  昭和48年9月から、新潟市民病院(眼科部長)勤務。
  平成16年3月末日で定年退職。
  同年4月から、新潟医療専門学校教授(視能訓練士科学科長)
  また新潟県眼科医会副会長として活躍中。 

【講演後】
 参加者からの質問が相次ぎました。「眼内レンズ」は、何年くらいもつのか?白内障の手術は、入院ですべきか?外来手術で充分なのか?37歳男性片眼の白内障手術、手術すべきか?これからの白内障手術の将来は?白内障にならないようにする生活習慣とは?目にいい食物は?「メガネ」を掛けていると子供に怖がられるのだが、どうしたらよいか?網膜剥離の手術を受けたが再発が不安だ、、、、、、、等々。どんな質問にもひとつひとつ懇切丁寧に噛んで含めるように説明されていた藤井先生の姿を拝見し、お人柄を垣間見たような気がしました。若い眼科医に、是非学んで欲しいと思いました。 

【参加者からの感想】参加された方々から感想をメールで頂きました。
・藤井先生の眼に関する博識については、「眼玉の道草」で驚かされたところですが、今回もまた、わかりやすく、さりげなく、眼の人類史における扱いや錯視という眼の機能の特徴、第3の眼などを説明していただき、普段、「見る」ことにしか関心がない私たちをハッとさせる講演でとてもよかったと思います。 また、白内障の嘘と本当の話は、57歳の私にとって、とても切実な話ですので勉強になりました。講演のあと、白内障に関する質問が相次ぎ、ひとつひとつの質問に丁寧に応えていただいたこともあって、一層、白内障の理解を深めることができました。(HY) 

・今回は白内障など患者様の身近な?話題で非常にわかりやすくお話されていたのが印象的でした。又、質疑応答では普段は外来で聞きたいのに聞けない質問が出ていました。それらを丁寧に説明され、藤井先生のお人柄が垣間見えたようでした。(KI) 

・眼科医の講演でアイ・トリック、第3の目の話を聞くのは、初めてでした。これら話は、日常生活から抜け出し何か忘れたことを思い出すよう感じであり興味深く聞きました。質問も興味深かったです。巷にいわれている「目によくなる食べ物」に結構興味があるものなのだなあとか、保育所の方が、「めがねをかけた人は怖がられるのか」という質問には、きっと日常の現場で子供と接するときにいろいろとご苦労があるのでは・・・と考えたりもしました。(SH) 

 講演と質問の時間を合わせると2時間以上に渡り『目の話』を拝聴しました。忙しい外来診療をしながらでは、とてもこのような時間をもつことが出来ません。『目』について様々なことを教えて頂きました。私の目論見どおり、藤井青先生の話に、参加者は皆、大満足でした。 

【著書】
 「目玉の道草」藤井青 著
 
  出版社:文芸社
  発行日:2004年2月15日
  定価:1500円+税 

【書評:藤井青著「目玉の道草」を読みて】岩田和雄(新潟大学名誉教授)
 
(新潟市医師会報2004年5月号)
 最初のお話「目薬の木」を読み出したとたん、これはもう藤井青君の文章にほかならない、と思えるほどに特徴的な文体が展開する。前著「目玉の散歩」に続くエッセイ集である。藤井青君は、本年3月末をもって、定年となり新潟市民病院開設以来の眼科部長を辞することになったので、記念出版ということになろう。併せてお慶び申し上げたい。

 挿入された挨拶状によると、最後の1年は多忙で、1夜がけのような文章になったと記しているが、どうして、中々の出来栄えだ。「道草」と言えば漱石となるが、それは神経衰弱の夫とヒステリーの妻と取り巻きの人々のいざこざを、いつ果てるともなく書き綴ったもの。藤井君の道草は、ほんとうの道端に生えている草を食うが如き実体験が核になっているので、とりわけ味わいも深い。
 (途中略)
 新潟大学眼科大学院生で、のちに浜松医大の生理学教授となった故森田之大氏の研究テーマであった「第三の眼」が、この本では、歴史的、文化的にポリフォーニックに取り上げられて面白い。目と眼の違いをとことんまで追及されているのは流石だ。

 詳細は読んでいただくことにして、最後に患者さんに信頼され、愛される「目医者さん」でありたいと心から思っていると結ばれている。立派である。いつまでもこの魅力ある語り口で、あらたなエッセイを「目医者さん」の目で綴り続けていただきたい。

 書評といったものは、賞賛の言葉に加えて、何か一言、評する人の見識を暗示しないと済まされないようなところがある。「目玉の道草」は完璧で、見事で、これ以上何も申すことはない。もしも、何か足りないところがあるとすれば”お色気”かな。これは余計なこと。
(2004年3月末日)

2004年9月8日

 演題:「視覚障害者の歩行を分析する」  
 講師: 清水美知子(歩行訓練士)
  日時: 平成16年9月8日(水) 16:30~18:00
  場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来 

 今回で当眼科勉強会に3回目の登場となった清水美知子先生の話には、外来が溢れる多くの皆さんが集まりました。過去2回の話(障害者自身の障害と向き合うことの意義や、障害者の家族と障害者の関係)とは些か趣が変わり、今回はプロの歩行訓練士としての『歩行』についての本格的な講演でした。やや難解な部分もありましたが、改めて皆で「歩く」ということのプロセスを考えた貴重な時間でした。以下は、清水先生に校閲して頂いた講演要旨です。

1)歩行とは
 歩行とは、自分の‘力’で、身体と一体化した自分を、環境の中のある地点へ動かすこと.そのためにはまず‘力’が必要.また、ある地点が認識できなければならないし、そこまでの方向(道順)が判らなければならない.わたしたちはこれらを、日々とくに意識することなく行って生活を送っている.しかし、視覚機能が低下すると、とたんに歩行の不自由さを実感する. 

2)移動するということ
 mobility(モビリティ;移動)とmovement(ムーブメント;運動)の違いは?ムーブメント(運動)は、例えばエアロビクスなどで脚を挙げる、腕を回すなどということ、必ずしも場所の移動は含まれない.それに対してモビリティ(移動)は、場所を移動することである.移動(モビリティ)は、以下の3つの基本成分から成る.1)境界線(壁、側溝等)に沿って移動する. 2)点に向かって直進する(横断歩道など).3)障害物を回避して元の進路を維持する. 

3)オリエンテーション
 ある地点に到達するには、モビリティに加えて、オリエンテーション、ナビゲーション、そして到達点を同定することが必要である.オリエンテーションとは、周囲の環境から手がかりを取り入れ、組み立て、自分の居場所を認知すること.これには過去の経験も大きく関与する.オリエンテーションには4つのタイプがある.1)いま居る場所を知る(答えの例:○○町○○番地、自宅の居間) 2)○○を出発して、△△に向かって移動中.または○○と△△間のどこか.(例:会社を出て,家に向かっている.居間からトイレへ行く途中) 3)自分は停止している、周囲(人、車など)が動いている(例:人の流れの中に立っている).4)自分も周囲も動いている(例:人の流れの中を歩く). 

4)ナビゲーション
 ナビゲーションには、○○へ行くという意志と、○○がどこにあるのか,どの方向にあるのか知っていなければならない.‘土地勘’がない場合は、教わったあるいは調べた道順(例:2つ目の交差点を右に曲がり、3軒目の建物です)を辿る(ルートトラベル)、またはランドマーク(例:東京タワー)を目指すという方法がある. 

5)同定
 やっと目的の場所に着いてもそこが目的のところと気が附かない場合もある.特に目の不自由な場合はそうである.辿り着いた場所が確かに目的の場所であることを知ること(同定)は重要である. 

6)改めて歩行訓練とは
 歩行訓練と云うと、白杖の使い方の訓練とイメージされがちだが、歩行という中には、実はこれだけの内容が含まれている.一人歩きには、歩こうとする地域のイメージを如何に育むかが重要である. 

7)今後の歩行訓練を見据えて
 歩行訓練プログラムが米国から紹介されて40年近く経過した.しかしまだまだ、そのプログラム自体、完璧なものではない.歩行訓練士と訓練をする場合、疑問なことは何でも話したほうがいい.例えば、適切な白杖の長さについての、定説はない.視覚障害のある方は、歩行に関して自分の五感を研ぎ澄まして、歩行の能力を高めることが重要である.今後は視覚障害者の自由な移動、楽しい移動,権利としての移動を目指して欲しい.
 

【清水美知子さん略歴】
 1976年~歩行訓練士
 1979年~23年間視覚障害者更生施設施設長
 1988年~信楽園病院(新潟)視覚障害リハビリ外来担当 
 2004年2月~Tokyo Lighthouse 理事  

【後 記】
 講演の後の話し合いで、視覚障害を持っている多くの方から自分の歩行に関しての反省や体験談を聞くことが出来ました。そして多くの方の歩行に関する工夫も聞くことが出来ました。同時に参加者の方々から歩行訓練の難しさ、楽しさを知ることが出来たという感想が話されました。 

 「点字ブロック」は視覚障害者には便利だけれど、車椅子には邪魔になるという話題が出た時、最近改装された新潟の萬代橋の歩道に、点字ブロックが敷かれていないことが話題になりました。視覚障害者の団体から新潟市に申し入れがあったとき、新潟市の答えは「視覚障害者の人が一人で萬代橋を歩くことはない。ヘルパーと歩くはずだ」という返答だったと言うことです。この問題には大事な点が2つ含まれています。一つには、行政は視覚障害者が一人での歩行を望んでいることを理解していないということです。視覚障害者自身が行政に対してアピールすることが必要でしょう。もう一つには、点字ブロックの有無が本質ではなく、視覚障害者の歩行をサポートするものの必要性が重要だと言う点です。「点字ブロック」が敷設されることが大事なのでなく、視覚障害者が萬代橋を歩行できる補助手段があればいいはずです。「視覚障害者の歩行」イコール「点字ブロック」という固定観念が問題という清水先生の発言に、ハッとしました。 

 今回も参加された方々から、様々な感想を頂きました。一部を紹介します。
 「、、、勝手ながら、困った時、つらい時清水先生が、後ろから応援してくださっているような気になれるんです。清水先生との回を重ねた勉強会のお陰で、歩行の意義、楽しさを教えていただいたような気がいたします」
 「、、、整備されていない環境だから、それが全て歩行を邪魔しているのかと言えばそうでは、ありません。その中から各々が、工夫と言う物が、知らず知らずのうちに身に付くのでは、ないのでしょうか?、、そのためには当事者が、より多く外出して体で憶えなければならないことは、あると思います。完全でないからこそ人間としての触れ合いも生まれるのではと、思います」 

 『歩行』ということ、視覚障害を持った人の歩行の困難さ、そうした方々の歩行を援助することの意義について、多いに考えさせられた1時間半でした。

2004年7月30日

報告 『第100回 済生会眼科勉強会』 盲学校弁論大会in済生会 パート2
 日時: 平成16年7月30日(金) 16:00~17:00
1)岩野ちはる 高等部本科保健理療科2年  「元気の素」
2)富樫又十郎 高等部専攻科理療科1年  「これから」 

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1)岩野ちはる 高等部本科保健理療科2年  「元気の素」
 私には、沢山の友人がいます。いわゆるストリート・ミュージシャンの友人も多いです。年齢も考え方も出身地も様々な彼らと話をしていると、「生きる指針」となる言葉をかけてもらうことが多々あります。「目が悪いと、耳がいいというから、音楽は得意なんだね。アッ差別しているんじゃないんだよ」。「どれくらい見えないの?全く見えないと思っていた。少しは見えるのなら、これからはガイドの仕方を変えなくては、、、」。
 最近進路のことについて悩んでいます。盲学校には幼稚部、小学部、中学部、高等部と過ごしてきました。毎日を何となく過ごしてきました。ここに来て将来何になろうかと考え始めると、悩みが大きくなりました。「実は進路について迷っている」とストリート・ミュージシャンの友人に話すと、「今、絶対にこれになりたいというものがないのであれば、このまま流れに乗って進めばいいんじゃないかな」「理療は気が進まないというけれど、結構やりがいのあることかもしれないよ」。経験や意見を押し付けるのでなく、親身に私のことを思っていってくれる彼らが、私の「元気の素」なのです。【プロフィール】見附市 ギター片手に歌うのが大好き  

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2)富樫又十郎 高等部専攻科理療科1年  「これから」
 平成4年に網膜色素変性と診断されました。当時は症状もそれほどでなく、無視していました。平成13年にはついに視覚障害のために身体障害者手帳を交付されました。平成14年秋には極端に視力が低下しまし、今春盲学校に入学しました。
 視覚障害になると、何かと歯がゆいことが多くなります。病気の進行から、読書や日常生活も困難になり、これまで歩んできた自分の人生が足元から崩れてくるように感じました。これまで得意の法律を活かして国家公務員として活躍し、余暇には空手をやってきました。でも今では日常の生活すら不便です。ただただ生きる、いや生かされていることが嫌になり、死にたいと思うようになりました。
 そんな自分を奮い立たせたのは若き日の思いでした。その頃を思い出し、朝4時に起きて裸足で走りました。雪の上でした。信濃川の堤防の上を、1時間も走ると全身から汗が出て、湯気が立ちました。その日を堺に生活を変えました。これからの余生を明るく生きていこう、熱烈な恋もしたい、、、。いや余生ではなく、還暦を過ぎた「これから」が私の新たな人生です。
【プロフィール】新潟市 文武両道、現在猛勉強中 

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《メールで》
●100回目なので、一人でも話が聞けるかと思って駆け付けたのですが、間に合わなくて残念でした。でも、100回目だからと大げさなことをしないで、淡々と普通に行ったのがかえってよかったですね。医師と患者との距離を縮め、患者側もここだと医療一般について言いたいことを言える雰囲気もありますね。テーマ、話してもらう人、参加する人も幅広いですね(NM)
●ハンデを持たれた方が、そのハンデを乗り越える勇気を持った時、いきいきと輝いいるはずです。そんな彼らの発表を是非お聞きしたかったです(HK)。
●第100回の眼科勉強会おめでとうございます。一口に100回と言ってもテーマや講師やいろいろの面でご苦労があったことと思います。申し訳ありませんが私は出席できませんがこれからもがんばって下さい(KY)。
●100回、おめでとうございます。何事も継続することは非常に難しいです。「継続は力なり」と言われますが、それに加えて恩師の先生から教えてもらった言葉―「本物は続く」、をお祝いの言葉として送らせて頂きます。これからも益々発展されますことをお祈り申し上げます(MK)。
●100回記念おめでとうございます。続けることは大変ですが、今後も目の不自由な方々のためにご活躍を祈念致します(MK)。
●第100回眼科勉強会、おめでとうございます。平成8年から続けられたこと、すばらしい財産ですね。こちらまでうれしくなります(YK)。
●一言で100回とおっしゃいますが、並大抵のエネルギーでは継続できないと、敬服いたしております。また、どこかでお目にかかりましょう(MN)。
●毎回大変興味深い話題を提供しておられる勉強会が100回を迎えられるとのこと,誠におめでとうございます。興味の幅の広さと人脈の広さにいつも驚嘆しております。ますますのご発展を祈念し,200回記念の報に接することを楽しみにしております(KT)。
●いつも勉強会のご連絡をいただき有り難うございます。今度は100回目の記念すべき会を開催されることに心よりお祝い申し上げます(MI)。
●いつも単なる勉強会のご案内ではなく、特に第99回、第100回は盲学校弁論大会の弁士のかたの紹介など、読ませていただくだけで身近にすばらしい考え方、生き方をしている方がいることを紹介して頂けるので、眼科勉強会をこのまま続けさせていただくことにいたしました。何よりも、講師を招いての勉強会を毎月欠かさず、100回続けられたことには敬服いたします(KT)。
●眼科勉強会100回おめでとうございます。弁論大会の内容だけ読ませてもらっても日頃、患者さんに伝えたいことが語られているように思い、たくさんの人に聞かせたいと思いました。感動的、刺激的な会になったことと思います(MT)。
●素敵ですね。是非眼が見えないことで悩んでおられる方々に聞かせてあげたいですね。先日、眼の見えないバイオリン演奏者のお話をテレビの声だけ聞きました。益々生きるって素晴らしいと感じました。また、五体満足な私が負けてなるものかと奮い立ちました。何人かの人たちが、お話を聞いて生きる勇気を得られると良いですね(FS)。
●恥ずかしながら、盲学校生徒の弁論大会があることさえ知りませんでした。しかも戦前昭和3年から開催されている歴史のある弁論会とは。もっとマスコミが大きく取り上げて、視覚障害者の活躍を晴眼者にアッピールして欲しいものです。彼らの励みにもなり、差別意識の解消にも繋がるでしょう(TY)。
●プロフィールを拝見し、富樫又十郎さんのように還暦を過ぎてから新たな人生をスタートされているだけでも素敵なのに、障害を抱えていながら、学校に入学されるその意志の強さも、大変興味深いです。岩野ちはるさんは、ストリート・ミュージシャンの友人がたくさんおられるということから、きっと行動的な女性であろうと思いました。輝いているお二人の講演をお聞きしたかったです(HK)。 

 勉強会が100回を迎えたこともあり、多くの皆さんにメールを頂きました。参加されなくてもこうした応援メッセージを頂くと『元気の源』になります。ありがとうございました。次回以降の勉強会も盛りだくさんです。参加可能な方、是非ご参加ください。参加できない方、時間がありましたらメールでご意見や感想などお寄せ下さい。 

2004年7月14日

報告 『第99回 済生会眼科勉強会』 盲学校弁論大会in済生会 パート1
 日時: 平成16年7月14日(水) 16:30~18:00
 場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来 
1)櫻井孝志 中学部3年 「へレンケラーをめざして」
2)大渕真理子 中学部3年 「ボランティアを通して」  

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1)櫻井孝志 中学部3年 「へレンケラーをめざして」
 生来難聴です。幼稚園の時左眼に怪我、小学校1年の時に右眼に怪我をして、以来私は両目両耳に障害を持ってしまいました。小学校2年から5年まで学校に行けずに家で過ごしていました。障害があって何が一番辛かったかと云うと、学校に行けずに家で過ごした日々もそうですが、50音の発音が出来ないことです。
 サウンドテーブルテニス(盲人卓球)の大会がありました。ボールの音を頼りにゲームを行ないます。その時補聴器の電池が切れていて、リーグ戦で9戦全敗でした。悔しかったのは負けたことでなく、補聴器の管理を出来なかったことでした。
 確かに、日々の会話やスポーツに不自由を感じることもあります。しかし、へレンケラーに比べれば、私なんかまだまだ努力が足りないです。一歩でも近づけるよう頑張っていきたいです。
【プロフィール】燕市 勉強では歴史、特に日本史が大好き。  

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2)大渕真理子 中学部3年 「ボランティアを通して」 
 視覚障害者がボランティアをするというと、多くの方はびっくりします。確かに拡大本、朗読など、いつもはボランティアをやってもらっています。では障害者が出来るボランティアはないのでしょうか?社会に役に立てることを出来ないのでしょうか?
 私の父は、特別養護老人ホームで働いています。小さい頃からホームで遊んでいました。そこでは洗濯物をたたむとか、肩や足を揉んであげることなど出来ることがあります。そうしたことで、おじいちゃんやおばあちゃんが喜んでくれます。入浴後のヘアドライヤー、髪だけでなく足にも当ててあげると、「気持ちがいい」と言ってくれます。私にも人に喜んでもらえることが出来るんです!
 外に出ると、時々嫌なことや傷つくこともあります。小学校の子供達から「ネーネー、その目どうしたの?」と聞かれると、傷つき外に出るのが嫌になります。でも私は、家に引きこもるより、社会に出て人に喜んでもらえることを多くしたいです。
 私の4歳年上の姉は、視能訓練士の学校に入学して勉強に励んでいます。お姉さんに感謝すると共に、私も早く社会に出て人の役に立つことをやりたいと思います。視覚障害を持つ私ですが、おじけることなく社会へ巣立っていきたいと思います。
【プロフィール】小千谷市 昨年に引き続いての登場、現在ボランティアで活躍中。

 

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《会場からの声》
●まっすぐな二人のお話、今回も感動しました。とても健全に成長していることが判ります。家庭の大切さも伝わりました(NA)。
●今日はどうもありがとうございました。中学生二人のとても素晴らしい弁論を聞くことができ、実に感動し、励まされました。非常によい体験ができたと思います。二人とも自分といった存在をしっかり持ち、それを言葉で表現し、心に響きました。自分も見習わないといけないと痛感いたしました。本当によい勉強になりました(SY)。
●弁論大会用なのだから短時間なのでしょうが、あのお2人はもっとたくさんの魅力を感じさせるのだから、もっと長いお話を聴きたかったなぁ(TA)。
●「弁論大会」。お二人の、爽やかで明るい態度。しっかり周りを見つめつつ、自分の考え素直に発表されたと思います。真理子さんの応援の為、そして、温かなご家族の方々にお会い出来るかと思いつつ、おじゃましたしだいですが、それが叶いました。「まりこちゃん」と肩をたたいて話し掛けましたら、あの頃を覚えていてくださり「うれしい」と言って、私の手を握ってくれました。あの頃を覚えていてくれたのですね。感動でした。お二人のすこやかな成長を願っています。この会で、心の栄養も沢山頂きますが、人と人との出会い再会の場もいただき感謝いたします(YO)。
●話すのが苦手な真理子にとって、その場で皆さんの感想が聞けたことは大変励みになります。またいろいろな場を与えて頂いたなかで沢山の方たちにお会いし、心が少しでも豊かになってくれたらと思っています。皆さんからいただいたご意見や感想を糧にこれからもすなおに成長してもらいたいと思います。これからもよろしくお願いします(O親)。