勉強会報告

2002年11月1日

報告 特別企画“新潟盲学校生徒による弁論大会イン済生会”
  日時: 平成14年11月1日(水) 16:00~17:30
  場所: 済生会新潟第二病院  眼科外来
1)「私を支えてくれる人」 片岡恵子 高等部普通科3年生(佐渡)
2)「『自分に勝つ』とは」 加藤俊一 高等部普通科3年生(豊浦町)
3)「障害者スポーツとの出会い」 石浦智美 中学部3年生(上越市) 

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1)「私を支えてくれる人」 片岡恵子 高等部普通科3年生(佐渡)
 今年度3年生で佐渡相川高校から盲学校に転入。30数名のクラスから4名のクラスへ、そして寄宿舎では二人一部屋の生活。入学早々、人間関係でトラブルが生じた。母には優しい気持ちで人に接することと教わっていた。そして自分では自分のことを主張しないことが他人に対する優しさと思っていた。しかし、人に良かれと思ってやったことでも、人を傷つけることがあるということが今回のトラブルで判った。今では自分が素直になることが大事だと感じるようになった。

 *とても母親想いの優しい生徒でした。将来は針灸師を目指すとのことです。 

2)「『自分に勝つ』とは」 加藤俊一 高等部普通科3年生(豊浦町) 
 柔道の大会で負けた。がっかりしていた時、先輩(53歳)が悔しかったら、毎日一緒にトレーニングやろうかと言ってくれた。朝食後の20分間、ランニング、腹筋、背筋、腕立て伏せをこなしている。毎日やるのは大変だ。でもその先輩は自分のことを真剣に思ってくれている。自分に勝たないと力がつかない。楽をして自分を高めることは出来ない。一つの事に打ち込むことで「心のエネルギー」を蓄えたい。毎日トレーニングを続けることで、体力がついた、周囲のに応援してくれる人が出来た、何事にも積極的になれた、そして何よりも自分自身が変わってきたことを実感出来るようになった。

 *好感の持てるスポーツマン。来年からは筑波に進学して勉強を続けるとのことでした。 

3)「障害者スポーツとの出会い」 石浦智美 中学部3年生(上越市)
 小学校入学前から水泳を続けていた。小学校2年生の時、眼底出血が起こり眼科医から水泳を禁じられた。ショックだった。他人に抜かれてしまうと思い、辛かった。一年後、水泳を許されてホッとした。小学校5年の時、視力が悪いということで水泳大会に出場出来なかった。悔しかった。別な大会で先生にリレーの選手に選んでもらえた。入賞することが出来た。嬉しかった。選んでくれた先生には今でも感謝している。身体者障害者競技会では黒く塗ったゴーグルをつけて泳いだ。スポーツを通じて色々な人と出会えた。スポーツは障害のあるなしにかかわらず楽しみと励ましを与えてくれる。

 *昨年に続き連続弁論大会の新潟盲学校代表に選出!今年の新潟市の中学生弁論大会で2位入賞(1位は全国大会で入賞)、今年のジャパンパラリンピックの水泳大会(大阪)では銀メダルを獲得。どこにそんなエネルギーがあるのかと思うほど、物静かな少女でした。 

 

2002年9月10日

報告:第76回(2002‐9月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 清水美知子
 日時:2002年9月11日(水)16:00~17:30
 場所: 済生会新潟第二病院  眼科外来
  演題:「Coming out —-人目にさらす」
  講師:清水美知子 (信楽園病院視覚障害リハビリ外来担当)

【抄 録】
 視覚障害を持つ自分を世間はどう受けとめるのか?自分の記憶の中にある視覚障害者は、杖を突いて、黒メガネをかけて、電柱や自転車に当たりながら歩いていた。自分もあのようになるのだろうか。世間の人の目に自分はどう映るのだろうか。

 世間は視覚障害を持つ人に好奇の眼差しを注ぎ、蔑み、憐れみ、無関心、同情、冷淡、お世辞など様々な心情を示します。世間の人にとって視覚障害者は珍しいのです。視覚障害者と言葉を交わしたことがないのです。視覚障害者に「テレビを見ますか?」と尋ねることを躊躇するのです。ひとりで歩く視覚障害者を見て、「カンがいい」で簡単に片付けてしまいます。「眼が見えないのに明るい」と驚きます。視覚障害者は「点字が読める」と思っています。断ってもついてくる不要な手助け、呼び掛けに応えない群集、ガイドに自分の体調をきく看護婦、入居を拒む大家など、世間には無知、無理解、人権軽視の態度があふれています。

 coming out はこのような世間へ踏み出すことです。視覚障害を持つ自分をさらし、人々の反応を見るのです。そして新しいセルフイメージを確立していくのです。世間の視覚障害者のイメージに挑戦するのです。既存の鋳型にはめようとする世間と、ひとりの人間として生きようとする者の衝突です。

【略 歴】
 1976 歩行訓練士
 1979 ~ 2002 江南施設施設長
 1988  信楽園病院視覚障害リハビリテーション外来担当 

【後 記】
 今回は人気の清水美知子先生が講師だったため、いつもより多くの40名を越える(当院の職員を含めると50名を越える)方が参加されました。巻町の団体、西川町からの団体、信楽園病院パソコン教室の皆様等々、今回始めて参加された方も大勢いらっしゃいました。外来の視力検査のスペースを利用しているものですから、会場はそんなにひろくはありません。清水先生と一番近い方は、わずか80cmくらいのところでの聴講でした。場所の狭さと、話の面白さで熱気むんむんの勉強会でした。
 「Coming out かみんぐ-あうと」を、人目にさらす、自分になると定義して講演は始まりました。障害者が世間からどうみられているか、医療福祉関係者はどう見ているか、ボランティアに問題はないか、障害者は必要以上にへりくだっていないか、自分を見えにくくしているものは何か、障害者が自分を出そうとする時に衝突する世間の期待している障害者像、、、、、、等々。最後に、世間を変えるためには自分を変えることが重要と結びました。
 講演終了後の質疑でも「白杖歩行に抵抗がある」「障害者の方を手助けしたい時に、声を掛けられなかった」「今までモヤモヤしていたものをはっきり言って貰った」「世間よりも家族との関係が難しい」等々、多くの声を聞きました。本当にいろいろと考えさせられる勉強会でした。

 

2002年3月13日

報告:第70回(2002年3月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会 宮坂道夫
 演題:NBM(narrative based medicine)
          -物語論の観点から医療をとらえなおす-
 講師:宮坂道夫(新潟大学医学部保健学科講師)
  日時: 平成14年3月13日(水)16:00~17:30
  場所: 済生会新潟第二病院  眼科外来 

【講演要旨】
1. 〈物語〉の広がり

 NBM(narrative based medicine=「物語に基づく医療」)というものが最近注目されるようになってきている。これは何か。特にその核心部分である〈narrative=物語〉とは何だろうか。この基本的な問いに答えるのは、実はたいへんに難しい。物語という語は、最近では人文・社会科学の広い領域で使われており、しかもその意味内容は実に多様である。昨年お話をうかがう機会のあった、この分野に造詣の深いある哲学者は、物語という言葉は使う人によって意味が違うと言っておられた。文献を眺めていると確かにその通りで、姿形の異なる樹木が立ち並ぶ雑木林に踏み込んだような気になってくる。それでも、物語という言葉の定義よりも、それを使おうとする人たちの動機や関心の流れを追ってゆくと、何となくではあるが、この語が医療も含めた幅広い分野で使われるようになってきた理由が見えてくるように思う。 

 医療者が関心を抱く物語とは、患者が病や実人生について語る〈生の物語=life narrative〉である。しかし、物語という言葉を聞いてまず思い浮かぶのは、『源氏物語』のような文学作品としての物語の方だろう。患者の語る物語と文学フィクションとではまったく別物に思える。しかし、両者をよくよく比べていくと、実はそんなに大きな違いはないことがわかってくる。どちらも始まりがあって、終わりがある。語り口は様々だが、様々な出来事の叙述がある。患者の物語も文学作品も、例えばカルテのような〈事実の記述〉以上の情報を含んでいる。そこに登場する人々がとった行動だけでなく、その時に何を見て、何を思ったかが語られる。〈語られないこと〉もある。何を語り、何を語らないかを取捨選択するのは、患者であり、作者である。

 このような類似性は、文学研究の一領域である〈物語論=narratology〉では、もはや当然のこととして受け入れられている。たとえば、ジュネットによれば、物語とは・物語内容(イストワール)(語られた出来事の総体)、・物語言説(レシ)(それらの出来事を物語る、発話されるか書かれるかした言説)、・語り(ナラシオン)(語るという行為そのもの)という三つの側面を持っている。『源氏物語』といえば、私たちはその話の内容(物語内容)にばかり注目しがちだが、語り手と聴き手の存在や、語り聴くという行為、および物語を伝える媒体にまで視点が拡大しているのである。 

2. 〈物語〉の背後にあるまなざしの転換

 このような視点の拡大は、現代思想の潮流と深く関係している。その潮流をあえて一言でいうならば、〈正当なものとして権威づけられ、固定されたまなざしの正当性への疑問〉といえるように思える。たとえば、「正常者」と「異常者」の線引きへの疑問(フーコー『狂気の歴史』)、「世界の中心」である西洋社会と「辺境」である非西洋社会という世界認識への疑問(レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』)、政治や経済の歴史を「正史」と見なして普通の人々の生活史を記述しない歴史認識への疑問(アリエス『死を前にした人間』)というように。こうした思想家たちは、従来は顧みられることもなかった「普通の」(あるいは「異端の」)人々がそれぞれに生きている固有の〈生の物語〉の中に、人間や社会の真実を見いだそうとした。フーコーは精神病患者を長年にわたって観察し、レヴィ・ストロースは文明化されていない部族の中に入って生活を共にしながら彼らを観察した。アリエスは「日曜歴史家」と自称して、一般大衆の日記などを収集した。彼らに共通しているのは、現実は単なる科学的事象とは違って、その現実を生きる人それぞれの視点によって異なったものであり、さらにそれが語り手から聴き手へと語られることで、意味づけられ、解釈され、形づくられてゆくものだという認識である。 

3. 医療における〈物語〉

 このような流れから考えれば、NBMの位置づけも見えてくる。NBMはしばしばEBM(証拠に基づいた医療)との対比で語られる。これは、NBM自体に、「〈患者〉ではなく〈病気〉を見る」という近代医学のまなざしへの反省が込められていることをあらわしているように思う。医学的データからは最適な治療法でも、患者にとってはそうではない場合もあるかもしれない。たとえば、医学的適応だけでなく、患者のQOLを視野に入れて治療やケアの方法を選択することは、今日では当然のこととされているはずだが、QOLの評価は「証拠に基づいた客観的評価」だけでは不可能であり、個々の患者に固有の価値観に基づいて評価すべきものである。したがって、医療者は、患者個々の生のなかで抱かれている価値観を知るために、患者個々の生の物語に耳を傾けざるをえない。そこからNBMが始まる。 

 これは患者の立場からすれば歓迎すべきことで、まさに「患者中心の医療」の実践にほかならない。しかし、医療者の側にとっては必ずしも簡単なことではない。NBMを誠実に実践しようとすると、一つの難問に悩ませられることになる。それは、物語をどう評価し、解釈し、理解すればよいのかという問題である。患者の物語に耳を傾けること自体はよいとして、その物語をどう捉え、臨床判断にどう反映させてゆけばよいのか。たとえば容易に想像がつくリスクは、患者の物語を、医療者の都合や偏見によって過度に単純化してしまったり、「いかにもありがちな」ステレオタイプなストーリーに当てはめてしまうことであろう。「患者の物語」が、いつの間にか「医療者の物語」に作りかえられてしまう。こうしたことを避けるにはどうしたらよいのか。 

 この難問に取り組もうとしているのが、早くから物語を積極的に利用してきた領域、つまり精神医学、臨床心理学だと思う。この領域では、患者の物語を語り聴くことそのものがケアとして成り立っている。医療者は患者の物語を、患者自身が語ったり、意味づけたりするのを促したり、手助けしたりする。ここで紹介することはできないが、どこまで患者の物語に立ち入るべきか、どのような価値観に基づいて意味づけを促すかについて、すでに様々な議論が行われている。 

 むろん、一般の医療では、患者の物語をめぐって、ここまでの働きかけをする必要はあまりないのだろう。それでも、患者の物語を基礎に置いて、そこから何らかの臨床判断をしてゆくのであれば、医療者は自分の立場を決めなければならないようにも思う。「事実は小説より奇なり」というように、患者の物語は文学フィクション以上に複雑な、深い森のようなものである。それを外から眺めているのか、そこに分け入ってゆくのか。黙って「森の声」を聴いているのか、それとも何らかの働きかけをするのか。このような問いかけをしてゆくことが、NBMの本質として求められるような気がする。そして、このような問いかけを深めてゆくと、患者の側だけではなく、医療者の側にも各人に固有の〈生の物語〉があることに突き当たるのではないだろうか。NBMとは、そうした気づきの上に成り立つものであってほしい――これは筆者の素朴な感想にすぎないが。 

 NBMはしばしばEBM(証拠に基づいた医療)との対比で語られる。これは、NBMに、「〈患者〉ではなく〈病気〉を見る」という近代医学への反省が込められていることをあらわしている。医学的データからは最適な治療法でも、患者にとってはそうではない場合もある。医学的適応だけでなく、患者のQOLを視野に入れて治療やケアの方法を選択することは、今日では当然のはずだが、QOLの評価は「証拠に基づいた客観的評価」だけでは不可能であり、個々の患者に固有の価値観に基づいて評価すべきものである。

 したがって医療者は、患者個々のなかで抱かれている価値観を知るために、患者個々の生の物語に耳を傾けざるをえない。そこからNBMが始まる。これは患者の立場からすれば歓迎すべきことで、まさに「患者中心の医療」の実践にほかならない。しかし、医療者の側にとっては必ずしも簡単なことではない。「患者の物語」が、いつの間にか「医療者の物語」に作りかえられてしまう事がある。こうしたことを避けるにはどうしたらよいのか、、、、、 

【略 歴】
 早大卒業後、阪大で修士、東大で医学博士を取得。
 現在は新潟大学医学部講師。生命倫理・医療倫理の専門家。

2001年11月21日

第66回済生会新潟第二病院眼科勉強会   竹本吉夫
 演題:「病気と共存の健康―持病息災―」
 講師:竹本吉夫(秋田赤十字病院名誉院長)
  日時: 平成13年11月21日(水)16:00~17:30
  場所: 済生会新潟第二病院  眼科外来 

 今回は、秋田赤十字病院名誉院長である竹本吉夫先生に「病気と共存の健康」というテーマでお話して頂きます。
 竹本先生は昭和24年新潟医科大学卒業、昭和27年新潟大学医学部第一内科入局、昭和40年新潟大学助教授、昭和42年秋田赤十字病院長・秋田赤十字看護専門学校長、平成8年より赤十字病院名誉院長、日本赤十字秋田短期大学初代学長として活躍され現在に至っておられます。
 今回は「病気と共存の健康―持病息災―」と題し、以下の項目をお話して頂きます。Ⅰ健康長寿”は可能か、Ⅱ医療とは何か、Ⅲセルフケアのキイポイント、Ⅳ“痴呆”をどう防いだらよいか、Ⅴ“老後の不安”にどう対処するか-高齢者の楽園構想-。
 わが国のオピニオンリーダーの一人でもあり、国際的にも活躍中の先生の、医師として患者としての豊富な経験からの貴重なお話を伺える機会だと思います。
 今回もご期待下さい。多くの皆様の参加をお待ちしております。 

【講演レジメ】病気と共存の健康―持病息災―
Ⅰ.“健康長寿”は可能か
 ①健康とは ②秋田県民の健康の実態 ③ヒト・人間の一生と私の病気体験

Ⅱ.医療とは何か
 ①人間とは何か ②ヒト・人間の病気の3視点 ③医療の3つの考え

Ⅲ.セルフケアのキイポイント
 ①健康習慣と危険因子 ②カクシャク百歳老人の生活実態 ③大友式ボケ予測テスト

Ⅳ.“痴呆”をどう防いだらよいか
 ①痴呆は果たして病気か ②脳老化防止法 ③ボケない小唄とボケます小唄

Ⅴ.“老後の不安”にどう対処するか-高齢者の楽園構想-
 総務庁調査(1999年);自分と配偶者の健康・病気68.5%、要介護状態52%、生活のための収入26.3%、一人きりで頼る人がいない20.3%、子や孫の将来16.4%。
 

【略 歴】 竹本吉夫 
 大正14年(1925年) 5月26日生
 昭和18年 3月 旧制県立新潟中学校卒
 昭和20年 3月 旧制新潟高等学校理科乙類卒
 昭和24年 3月 新潟医科大學卒
 昭和27年10月 新潟大学医学部第一内科入局
 昭和33年 3月 医学博士
 昭和40年10月 新潟大学助教授
 昭和42年10月 秋田赤十字病院長・秋田赤十字看護専門学校長
 平成 8年 4月 秋田赤十字病院名誉院長
          日本赤十字秋田短期大学初代学長、現在に至る

【後 記】
 期待通りスケールの大きい、判りやすい、テンポのある、素晴らしいお話でした。会員の評判も上々でした。これだけのお話をされるのには、大変な準備が必要としたのではないかと思います。ありがとうございました。
 「老年期こそ人生の完成期、奉仕の時期」「音楽療法」「病因として、遺伝・環境・ライフスタイル・加齢」「宗教」「全人的ケア」「医療には限界がある」「人生の質、いのちの質、生活の質」「健康習慣」「セルフケアの重要性」「ボケ防止法」「ジェロントピア」。どの話題ももっともっと聞いてみたい話題でした。竹本先生の人生と人生観を教えて頂きました。

 

 

2001年9月12日

報告 第64回(01-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 “新潟盲学校生徒による弁論大会イン済生会”
  日時: 平成13年9月12日(水) 16:00~17:30
  場所: 済生会新潟第二病院  眼科外来
1)「住みやすい環境づくり」 石浦智美  中学部2年
2)「障害者に優しいものの開発を」 酒井久美子 高等部普通科3年
3)「素直に生きる」 曽我加奈子 高等部専攻科3年  

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1)「住みやすい環境づくり」 石浦智美  中学部2年 
 ニュースで駅のホームから転落する事故が相次いだことをきっかけに、道路の縁石など身の回りの環境に目を向けて、住みやすい環境整備への配慮を呼び掛ける・・・・。 

 *中学部の友人たちといつも楽しそうに会話して、笑顔の絶えない中学2年生。水泳の実力は並外れ、プールの中ではイルカのように泳ぎます。 

 

2)「障害者に優しいものの開発を」 酒井久美子 高等部普通科3年 
 購入したMDがブラインドタッチではとても使いづらいという体験を通して、各メーカーで統一された使いやすい規格を整えるなど、障害者にも配慮された物作りを呼び掛ける。 

 *フロアバレーボールのエースアタッカー、アタックの威力は北信越でもナンバーワン。万代太鼓クラブでも大活躍で、天まで届く掛け声がとても魅力的です。  

 

3)「素直に生きる」 曽我加奈子 高等部専攻科3年 
 ストリートミュージシャンとふれあう機会を通して、次第に視覚障害というバリアが薄れ、周囲の人と積極的にかかわることができるようになってきた自分自身の意識の変化を表現する。 

 *専攻科の紅一点、盲学校では白衣姿で理療の実習などをがんばっています。フロアバレーボールの中心選手として大活躍し、北信越大会で新潟盲学校を優勝に導きました。