勉強会報告

2003年12月28日

 演題:「期待せずあきらめず」
 演者:遁所直樹(新潟市障害者生活支援センター分室)
  日時~平成15年12月10日 16時半~18時
  場所~済生会新潟第二病院眼科外来 

 

 講演を私なりにまとめたものを、以下に紹介致します。
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 最初に、今回のタイトル「期待せずあきらめず」は大学時代の恩師である菅野 浩先生と、新潟大学医学部付属病院の整形外科主治医であった田島達也助教授(当時)に頂いた言葉という紹介があった。 

 

【1】 現在の社会参加の状況 
 障害も持ちながら学生生活を送っている人の割合は、日本では0.09%だが、米国では7.00%である。日米でこんなに違いがあることが再認識された。 

 

【2】 障害をもった頃の話
1987年 当時24歳。新潟大学の学生(博士課程)で水泳の選手だった。海にダイビングをした時に、頚椎損傷により四肢麻痺の重度障害者となった。当時は学生生活を続けることなど考えられず、いつも俯いて生活していた。
1990年 新潟大学自然科学研究科博士課程中退。
1993年 13期ダスキン障害者リーダー海外派遣事業に参加【渡米】。
1996年 行政書士資格取得。資格は得たが仕事はなかった。たまたま新聞の広告に国際福祉医療カレッジ社会福祉学科の案内があり、応募した。一度は諦めようかなと思ったが、カレッジの人に出来ることからやってみようと言われた。「出来ること」と言われたのは、障害を持って初めてだった。親・9名の同級生と友人の協力を得て何とか無事に学業を一年間続けた。以前は(健康な頃は)、講義が休みになるといいなと感じたこともあったが、この1年間の講義は本当にサボりたくないと思った。
1997年 国際福祉医療カレッジ社会福祉学科卒業。社会福祉士資格取得。国際医療カレッジ非常勤講師(現在に至る)。イギリス赤十字・日本赤十字ボランティア障害者交流事業に参加【渡英】。新潟県ふれあいプザラ事業ピアカウンセラー(現在に至る)。
1998年 介護老人保健施設ケアーポートすなやま支援相談員(現在に至る)。
2000年 自立生活支援センター新潟職員(現在に至る)。新潟県社会福祉審議会委員1年間
2003年 特定非営利活動法人自立生活センター新潟理事(現在に至る)。 

 

【3】 自分を好きになることの大切さ 
 米国での研修中(ダスキン障害者リーダー海外派遣事業)に、「あなたは、自分のことが好きですか?」と問われたことがある。当時は希望のない毎日を送っていただけに、その一言にハッとした。 

 

【4】 アメリカ・イギリスで得たこと(心のバリアフリー) 
 障害を持っていて一番悲しいことは「無視」されること、逆に一人でも支えてくれる人がいると生きていける。1993年13期ダスキン障害者リーダー海外派遣事業は、わずか2週間の米国滞在であったがショックを受けた。自分よりも重度の障害を持った人たちがどんどん社会参加していた。こんな障害に甘えていられない、負けていられないと思った。 

 

【5】 出会った人々の話
  佐藤豊先生(リハビリの主治医)~何でも言ってくれる、今でも慕っている先生。受傷当時、殆んどの医者が機能回復は困難と言った時に、「回復出来る」と言ってくれた。一番苦しい時には、医師の一言で絶望もするし、明るくなることも出来る。
 和田光弘弁護士(日本アムネスティ協会会長、新潟市在住)。日本アムネスティ協会主催の憲法制定50周年記念で、「耳を済ませて」という劇を行なった。最後、共演の子供に質問された。「障害は悲しいことですか?辛いものですか?」 考えてしまった。障害者自身が「私は幸せだ」というと社会のシステム化は遅れる。障害者は声を出さないと社会は変わらない。
 箕輪紀子(新潟日報論説委員) ~無年金障害者問題を一緒に考えてくれた。
 ALSボランティア ~ 何でも言ってくれた。当局との交渉の仕方など何でも教えてくれた。
 青木学氏(新潟市会議員、視覚障害者)~ 新潟市に低床バスを導入する活動を共にやり、実現させた。  

 

【6】 クリストファー・リ-ブズは本当にスーパーマンだ 
 クリストファー・リ-ブズは、映画「スーパーマン」の主人公を演じた人。今は事故による脊髄損傷でセントルイスのワシントン大学でリハビリ中。クリストファー・リ-ブズ基金を創設し、脊髄損傷の有益な研究に対して奨学金を提供している。めざましい神経再生研究の発展の一助になっている。これまで障害受容とは、失われたものをいつまでも嘆くのでなく、残された機能を最大限に活かすことと言われてきた。でも彼が登場したことで、不可能と言われていた神経の再生が、もしかすると可能になるのではないかという夢を与えてくれた。彼は今や頚椎損傷患者の間では、真のスーパーマン的存在である。 

 

【7】夢の話、マーチン・ルーサー・キング牧師の夢 I have a dream. 
 皮膚の色でなく、人格によって評価される国に住みたいという夢がある。 

 

【8】 平等とは 
 平等とは同じ価値観を持つこと。足が不自由な人が車椅子を使うことは、健常人と同様に行動するために必要なこと。 

 

【9】 環境を整えること 
 虐げられたものは声を出すことが必要だ。当事者は声を出すこと、そして理想を語ることが必要。障害者は声を出さないと社会は変わらない。今ある障害の責任の80%は社会の責任。でも環境さえ整えられると、障害があっても生活できる。

 

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【後 記】
 10枚以上の写真を用い、淡々と1時間にわたりお話してもらった後、参加者との話し合いになりました。
○自分も障害を持っているが、まだまだ上がいることがわかった。
○ここに至るまでの家族や周囲の方の協力も、並々ならぬものと思いました。
○印象的だったのは、一時は顔をあげて写真に写ることもできなかった遁所さんが、アメリカへ行き自分のできることから始め徐々に自信を取り戻していくという場面だった。
○重度の障害を持っているのに、案外表情が明るいのにびっくりした。
○本人の受容も大事だが、家族の受容も考えなければならないテーマでは、、、。
○障害というのは、その人自身にとっても周囲の方々にとっても、決して完全に受け入れることはない。奇麗事では済まされないことだと思うが、その上で今の障害者に厳しい現状を少しでも改善したり、お互いに支えあったりしなければいけないのだと思った、、、、、、。
 いつも世話をしてくれているお父さんのことをお聞きすると、「父のことを話さなかったのは、話すといつも涙が出るからです」と言った遁所さんの言葉が印象的でした。

 

 「障害の受容」について以前遁所さんにお尋ねた時、「障害者にとって、永遠に続くテーマだと思います。」というお答えでした。当初今回のタイトルを「社会受容」として、障害の受容を、社会受容と自己受容に分けて論理的に語る予定でした。でも出来るだけ自分の言葉で自分の体験を話す中で、これまで如何に自分が障害を受容してきたかを語りたいということで、タイトルを「期待せずあきらめず」に変更して今回のお話になった次第です。
 尚、「社会受容」は、遁所さんが施設に入っていた時に教わった、心理カウンセラー南雲直二氏による著書のタイトルです。
 http://www1.odn.ne.jp/~cbh92600/shakaijuyo.html

 

 後日、遁所さんから下記のメッセージを頂きました。〜 重度の障害を持って明るいのにびっくりされたというのはたぶん人前だからでしょう。結構人前では突っ張ているような気がします。このような機会をいただきありがとうございました。受容というのはなかなか大変なものです。今回のお話の機会で改めてまだまだ受容には至るまでには程遠いことを感じました。 ただ、ひとつ言えることは、患者の目線に立つことができる医療従事者に対しては患者は信頼関係を持つということです。あきらめないで付き合ってくれるとき、人々から無視されないでいるときに受け入れるきっかけが生まれると思います。 

 

 遁所さんのこれからのますますの活躍を、期待したいと思います。

2003年8月10日

報告:第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
 日時:2003年8月20日(水) 16:30~18:00
 場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
  演題  「Coming-out Part 2 家族、身近な無理解者」
  演者  清水美知子(歩行訓練士) 

【抄録】
 今回は家族について考えます.家計を支えていた父、家事を仕切っていた母、あるいは夫、妻、娘、息子がある日障害を負うと、家計の状況や家族の役割分担など一変します.家族という運命共同体の中で、家族は当事者の自立の支援者にも、阻害者にもなりえます.どちらの場合も、関係が密であるだけに当事者の将来に多大な影響を及ぼします.それだからこそ家族が強力な支援者としてあり続けてもらうために、家族の悲しみ、悩み、苦労を理解し、支援することが大切なのです.つぎにあげたのは家族が抱える悩みの例です.

 母が障害者であることを恋人に打ち明けられない娘. 娘が白杖を突いて隣近所を歩くのを許さない母. 依存的な夫と、”優しい妻” 被介護者、被扶養者となり、戸惑い、自信を喪失した夫 障害のせいなのか、怠惰なのかいつまで経っても動こうとしない夫にいらだつ妻  公的サービスを拒否して妻に介護を求める夫 妻のどう介助したらよいかわからず戸惑う夫 妻と夫の間に起きた地位の逆転 家計と介護を握ったものの専制

【肩書きと略歴】
 歩行訓練士
 信楽園病院視覚障害リハビリ外来担当
 1979年から23年間視覚障害者更生施設施設長 

【後 記】
 今回講師の清水さんは、昨年9月のこの会で「Coming-out」という題で話してくれました。その趣旨は、障害を持った人は、社会に出て自分たちのことを他の人に知らしめなければ、社会を変えることは出来ないというものでした。今回はその続編です。「家族」には「温かさ」がある。とても強い繋がりがある。困った時にまっ先に支えてくれる第1候補である。まさに外海の荒波から護ってくれる「防波堤」である。でも、、、、一方では、外に社会に出て行こうとする障害者のプロセスを、阻んでしまうのではないかという話でした。

 「家族」は、知らず知らずに「(柔らかな)檻」を作っている。例えば、、、、この子には一人で外出なんかとても無理だ。私が生きている間は、何でも私がやってあげる、、、、、。
 「家族」は、同じ価値観を共有するが、障害に対しては、障害を持つ本人の受け入れと、家族の受け入れには「ズレ」がある。
 「家族」との縁は、切り捨てられない。他人であれば嫌な思いをさせる人とは付き合わないようにする事も出来るのだが、、、、
 「家族」は、時に自尊心を低下させる態度を取ることがある(誰も気付いてはいないが)。横柄な態度をとる、何かと指図をする、過保護になる、怒る、、、、、、。

 例えば、こんなこともある。姑と上手くいかなかった嫁さんが障害を持つ事になり、何でも姑の言うことを受け入れなければならなくなった。好き放題なことをやっていたご主人が、障害を持ってからは奥さんの言いなりになる。大学を卒業し、家をでてアパートに暮らすといっていた息子が、家に暮らすようになった。母が障害者であることを恋人に打ち明けられない娘、娘が白杖を突いて隣近所を歩くのを許さない母、被介護者、被扶養者となり、戸惑い、自信を喪失した夫、、、、、、、。

 でも実は「家族」も苦しんでいる。今後の家族関係はどうなるのだろうか?収入は、ローンはどうなるのだろうか?先の見通しが立たない。自分自身の時間が無くなってしまう、障害のせいなのか、怠惰なのかいつまで経っても動こうとしない夫にいらだつ妻、公的サービスを拒否して妻に介護を求める夫、妻をどう介助したらよいかわからず戸惑う夫、、、、、。

 「家族」が感じる罪悪感もある。あの人さえいなければ、もっと自由な時間が持てるのにと感じてしまう自分が嫌だ。障害者を持つ家族が出来ることは、何か特別なことをするのでなく、いつも傍にいて耳を傾けて悩みを聴くこと。そのためには、時には休む、自分自身の時間を持つ、自分の事も相手の事も責めない。障害を持つ人の家族への接し方は、家族も苦しんでいる事を知る、何でもやってもらうのではなく(これは自分でやるという)ケジメを作る、助言を受け積極的に参加する、「こうしないで下さい」ではなく「こうして下さい」という発想を持つ。
 講演終了後、参加者の方からも多くの意見や感想がありました。家族との関わり合いは、建前ではなく本音でないと話せない話題だけに、熱のこもった勉強会になりました。

2003年7月10日

報告 第86回(03-07) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会
“新潟盲学校生徒による弁論大会in 済生会”
  日時: 平成15年7月9日(水) 16:30~18:00
  場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来

1)『最初のひとこと』 大渕真理子 中学部2年生
2)『発想の転換で、いろいろとできる』 星野慎矢 高等部普通科2年生
3)『ざる頭』 小野塚厚司 高等部専攻科3年生 

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1)『最初のひとこと』大渕真理子 中学部2年生
 昨年の夏、「視覚障害者のためのアメリカ文化交流とホームステイ」に参加。空港に降り立ったとたん、周囲は英語ばかり。頭の中は真っ白になり、憂鬱だったが「Nice to meet you」の一言が言えた。あとは楽しい旅行となった。最初の一言を自分から言い出す勇気を持ちたい。 

2)『発想の転換で、いろいろとできる』星野慎矢 高等部普通科2年生  
 自分は今まで物事に取り組む際、「一つの方法、人と同じ方法」というのにこだわって、他のやり方をしようとしなかった。つまずいてはあきらめ、そんな自分に嫌悪感を抱いていた。しかし、級友の一言、音声パソコンを知ったこと、料理等で、一つの方法にこだわるのではなくて、発想を転換することで道が拓けるということを体験し、前向きに取り組めるようになった。 

3)『ざる頭』小野塚厚司 高等部専攻科3年生
 登校途中にある園芸センターの垣根に咲こうとする「卯の花」を見て、専攻科入学当初へと思いが及ぶ。水を入れても貯まらない「ざる頭」を水に漬けっぱなしにするように、ひたすら勉強しようと決意した2年前を思い出し、今年最後となる「垣根の花」との再会を前に、一歩一歩目標に向かって進もうという思いを新たにする。

 

2003年5月14日

報告:第84回(2003‐5月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会  栗原隆
 演題:「共感とケアの成り立ち」
 講師:栗原隆 (新潟大学教授;生命倫理)
  日時: 平成15年5月14日(水) 16:30~18:00
  場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】

1 他人の痛みは分かるか? 心はどこに存在するのか

 他人の痛みは分からない。私の歯が痛む時、隣の人は快適に過ごしているかもしれない。私の足が痛くて、歩くのさえ辛い時、ひょっとすると足を引きずっていることで、足が痛そうだということが察知されることもあるかもしれないが、それでさえ、私の足の痛みを他人は感じることはない。ひょっとすると、あなた自身は人間でも、他人はアンドロイドかもしれない、いやロボットかもしれないし、異星人かもしれない。私たちは他人については何一つ自分のことのように知ることができない。それでいて、おおむね経験上、周囲の人々が自分と同じ人間であると想定して、振舞っている。それはある種思い込みかもしれない。なぜかというと、私がワイシャツの胸ポケットに入れておいた小銭がポケットに開いた穴から落ちて、体を滑り落ちてゆくのを止めようとおなかを抱きかかえた時、人は、私が腹痛に苦しんでいると思うかもしれない。目でウインクしたのに、単にゴミが入ったと思われるかもしれないからである。

 私たちは、他人の痛みを何ら体験することはできないが、ある程度は、その身振りや仕草、さらには言葉で訴えるものから、自分の体験を振り返って、それに基づいて類推する。主観的な根拠に照らし合わせての類推であるからして、相手に生じている事態を言い当てることもあるかもしれないが、外れることもある。私たちは、他人を類推することしかできないのかもしれない。痛みだけでなく、相手の気持ちだってそうである。たとえ、言葉でコミュニケーションを図る時でさえ、相手を理解したと思っていても、実は自分の理解でしかない。そのことは次の俳句の例から明らかである。

  古寺に 斧こだまする 寒さかな

  わが恋は 空の果てなる 白百合か

 実は、この俳句はコンピュータで文字を配列しただけのものなのである。きわめて簡単なプログラムだというが、デモンストレーションしているところに来た客が、「ヒヤヤッコ」と入力したらたちどころに、

  冷奴 我が影にさす 酒の酔いと答えたという。

 それを見ていたご婦人が、それでは私もと「夏草や」と入力したら、コンピュータは今度は

  夏草や 盛り過ぐらむ 身の嘆き

 と応じたという嘘のような本当の話が報告されている(『理想』一九八三年一二月号水谷静夫「国語研究と計算機」)。

 たとえば、この場合、文字列が俳句だと思われようと思われまいとに関わらず、作者というものが存在していると見なす立場もあろう。そうした立場では実際の作者はコンピュータ、あるいはプログラマーということになるかもしれない。こうした立場をさしあたり、作者についての「実体論的把握」と整理しておこう。

 これに対して、作品というものは読まれることによって初めて成立するのであって、作者とは厳然と実体のように存在しているのではなくて、読まれ、作品と見なされてこそ作者というものが、俳句の背後に虚焦点のように想定されるのであるからして、文字列を読み取り、解釈して、理解して、思いや感慨を抱いて、作品を作品たらしめるのは、実は読み手自身の心情や思想や体験に他ならないとする立場も可能である。こうした立場によれば、作者は読み手になる。これをさしあたり、作者についての「関係論的把握」と呼んでおこう。

 私たちは、自分なりにその言葉の羅列を、俳句だと解釈して、そのうえで、作者の気持ちを類推しているのである。普通なら、理解したと思う言葉によるコミュニケーションでさえ、これである。相手への思いやりというものがいかに不確かなものであるか、ということはもって瞑すべしである。

心というものは、ある存在者、人間なりコンピュータなりペットなり、相手そのものに内在している何らかのものだ、と心を想定する立場は実体論的な把握だと言えよう。これに対して、心とは他の存在者との関わりの場において成立する解釈の対象なのだ、とする立場は関係論的な把握ということになろう。

 〈心〉だけではない。たとえば、〈情〉とか〈共感〉、〈思いやり〉などというものも、私たちは持ち合わせているわけでは決してない、ただ、その場の状況において、そのように受け取られることがある。〈心ある〉行為や〈情け深い〉応対、相手への〈共感〉の表明だと、相手に受け取られるところにおいて、〈心〉が現出する、というわけである。 

2 共通感覚と体性感覚

 近代に入って成立した市民社会では、不特定多数の人間の交流が生じることによって、これまでの倫理とは違う価値観が生まれることになった。「共感」や「同情」という観念も市民社会時代を迎えるに当たって、新たに生まれた感覚だった。確かに、古代ギリシア以来、コモン・センスの観念はあった。ところがそれは、決して社会の中で人々が共通に抱くセンス・感覚という意味ではなかった。むしろ、「もともとコモン・センスは、諸感覚にわたって共通で、しかもそれらを統合する感覚、私たち人間のいわゆる五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)に相わたりつつそれらを統合して働く総合的で全体的な感得力「(中村雄二郎『共通感覚論』岩波書店七頁)のことだったと言われている。

 こうした共通感覚、それぞれの感覚を統括する共通感覚として想定されていたのは何であったか。そもそも五感の間で優位な位置を占めているのは、今では視覚だと思われているが、中世までは聴覚であったとされている。聴覚→触覚→視覚、という順だったというのである。「一方で、キリスト教会がその権威をことばという基盤の上においており、進行とは聴くことであるとしていたからである。聴覚の優位は一六世紀においても、神学に保障されてまだ強かった。『神の言葉を聴くこと、それが信仰である』『耳、耳だけがキリスト教徒の器官である』とルターも言っている」(前掲書五四頁)。理性は、感性や気力さらに常識に比べて、人間の能力の中で最も高次なものと見なされているが、ドイツ語の理性はVernunftであって、つまり聴解する(vernehmen)に由来することばである。ところが、「近代文明は、触覚と結びついた形での視覚優位の方向では発展せずに、むしろ触覚と切り離されたかたちでの視覚優位の方向で展開された」(前掲書五五頁)。印刷術や遠近法、機械論的な自然観は、視覚優位の文化の産物であった。印刷術は「知」の組み換えをじつげんして、遠近法は「主体」の成立を促すことになった。機械論的な自然観は自然を対象化することを通して、人間による自然の解明、克服、征服を可能ならしめた。

 しかし、視覚は本当に五感の中で優位にたつ認識能力なのであろうか。この問題は実に、近世哲学を貫いた枢軸の基本問題だったのである。すなわち、私たちの外側に広がる空間において外見として見えるものは、見るだけでそのように認識されるものかどうか、ロック、バークリ、ライプニッツ、ヴォルテール、コンディヤック、ディドロらがそれぞれに解釈を加え、さらにはルソーやヘルダーなどをも巻き込んだモリヌークス問題で検討された主題である。視覚だけで認識することができるのか、それとも外界の認識に触覚の働きを無視できないのか、という論争だと言い換えてよい。先天盲の開眼手術後の認識をめぐって、球と立方体を弁別できるかどうかを実験した結果、ロックやバークリーは視覚的認識に先立つ触覚の重要性を語ったのに対して、ライプニッツは視覚の優位性を肯定的に捉えた。ディドロは触覚の重要性を認めつつも、視覚だけで見えるとしたのに対して、ヘルダーによっては空間表象における触覚の根源性が語られもした。「遠近法」による視野の主体的な構成の問題と並んで、近世哲学の枢軸をなした問題であった。

本来、共通感覚というのは、一人の人間における互換に共通する感覚のことであったが、その中の一つ、触覚を媒介として私たちは、他者や自然との共感が可能になるならば、〈心〉なるものを持ち合わせていないわたしたちにとって、まさしく〈ふれあい〉は〈心〉を感じさせ、他者との共感を結ぶものだと言えよう。もちろん〈手当て〉はそうした〈触れ合う心〉を最大限に実現するものである。 

3 市民社会における道徳様式の変貌

 そもそも思想史を振り返ってみるに、触覚の重要性が見直されるようになったのは、不特定多数の人々が交流しあう市民社会の成立期で、「共感」概念が新たな意味合いを帯びるようになったのも、時代を同じくしているのである。一八世紀にエジンバラの医学校の教授であったジョン・グレゴリーは、その著『医師の義務と資質に関する講義』(一七七二)において、共感概念を用いて患者の利益を最大限に考えて行動するように、美徳と関連付けたのである。 

 ヒュームは『人性論』でこう述べている。「かりにもし私がかなりこわい外科手術に立ち会うとすれば、確かに手術の始まる前においてすら、手術具の準備・秩序よく並べられた包帯・熱せられた手術刀・患者及び付添い人の心配と憂慮のあらゆる表徴、それらは私の心に大きな効果を及ぼして、憐憫と恐怖とのもっとも強い心持を喚起しよう。いったい、他人のいかなる情緒も直接には我々の心に現出しない。我々はただ、他人の情緒の原因あるいは結果を感知するだけである。これらから我々は情緒を推論する。従って、これらが我々の共感を生起するのである」(ヒューム『人性論(四)』岩波文庫一八六頁)。すなわち他人の心情を類推する能力のことを「共感」と呼んでいるわけである。

 ヒュームは「共感」に道徳的な心情の基礎を求めている。「この同じ{共感の}原理が美的心持〔ないしは情操〕を産むのみならず、多くの場合に道徳的心持〔ないし情操〕を産むのである。〔例えば正義の徳がそうである。いったい、〕正義ほど敬重される徳はなく、不正義ほど忌み嫌われる悪徳はない」(前掲書一八七頁)。市民社会での生活においては「正義」は必要不可欠な倫理である。それは個人個人によって違っていては、正義とは呼ばれない。自分と他人の壁を超え、身内・知人・友人の枠を超えて、普遍的な価値観であってこそ初めて、正義たり得るのであるから、そのために「共感」能力が求められることになる。「我々自身の利害や友人の利害に関わりない社会的善福は、ただ共感によってのみ快感を与える。従って、共感こそ、あらゆる人為的徳に対して我々の払う敬重の源泉である道理になる。こうして、共感は人性の甚だ強力な原理であること、共感は我々の美的鑑識に非常な影響を及ぼすこと、共感はすべての人為的徳における我々の道徳的心持〔ないし情操〕を産むこと、これらの点は明らかである」(前掲書一八八頁)。

 こうした共感の成り立ちをヒュームは次のように説明している。「他人の現在の不幸が私に強く影響したとする。そのとき、想念の活気は単に直接の対象に局限されない。(……)該人物のあらゆる事情について、過去と現在と未来とを問わず、可能的と蓋然的と絶対確実とを問わず、生気ある観念を私に与える。この生気ある思念によって、私はそれらの事情に関心をもち、それに参与する。そして、私が該人物のうちに想像するすべてのものに適合した共感的な動きをわたしの胸のうちに感じるのである」(ヒューム『人性論(三)』岩波文庫一六六頁)。すなわち、他人に共感するためには、それも目の前に見えない事情にまで共感するためには、相手に対する「関心」、そして自らの側には「想像力」が必要だ、というわけである。

 ヒュームに連なるアダム・スミスは、その著「道徳感情論」で、たとえ「人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、あきらかにかれの本性のなかには、いくつかの原理があって、それらは、彼に他の人びとの運不運に関心をもたせ、彼らの幸福を(……)彼にとって必要なものとする」(アダム・スミス『道徳感情論(上)』岩波文庫二三頁)として、そうした原理を「哀れみ(ピティ)」と「共感(シンパシー)」に見定めている。「われわれは、他の人びとが感じることについて、直接の経験をもたないのだから、彼らがどのような感受作用を受けるかについては、われわれ自身が同様な境遇においてなにを感じるはずであるかを心にえがくよりほかに、観念を形成することができない」(前掲書二四頁)として「想像力」の働きを重視している。「われわれの想像力が写しとるのは、かれのではなくわれわれ自身の、諸感覚の印象だけなのである。想像力によってわれわれは、われわれ自身をかれの境遇に置くのであり、われわれは、自分たちがかれとまったく同じ責苦をしのんでいるのを心にえがくのであり、われわれはいわばかれの身体にはいりこみ、ある程度かれになって、そこから、かれの諸感動についてのある観念を形成するのであり、(……)なにか感じさえするのである」(前掲書二五頁)。利己的でありながら、合理的な人間たちの集う市民社会にあって、個別実体たちを繋ぐ唯一の絆とも言うべきものが、この「想像力」だったと言えよう。 

4 ケアの成り立ち

 「共感」は、実体としての〈心〉を持ち合わせず、しかも、他者の痛みや心情を類推するしかできない私たちにとって、他者の〈心〉を想定し、かつ自分の〈心〉を表明する能力、つまり「関係論的な把握」を可能にする能力だ、と言えよう。

 今日の医療の現場では、患部や病巣の治療に主眼を置く「キュア」に対して、患者を善人格的な存在として捉えて看護する「ケア」は、「キュア」が実施不可能な病状を迎えることもあるのに比して、たとえ患者がどのような状態に陥ったとしても、実行できることから、その重要性が指摘されている。

 また、つぎのように、医療の実施体制の組み換えを迫るものとしても期待されている。すなわち、「ケアの倫理は、病の了解がその中心を得て、人間へと統合されることを不可欠とみなす。そうでなければ、患者中心の医療、全人的ケア、医療のうちへの人間性の回復といったことは不可能だからである。したがって、われわれは少なくとも心身統合の、そしてそこから出発すると言う意味では心身合一の医療を構想する必要がある」(松島哲久「現代医療における倫理性の復権」世界思想社刊『生命倫理学を学ぶ人のために』二一九頁)。

 キャロル・ギリガンの『もう一つの声』(一九八二)は、今日の私たちの間での「ケア」を考える上で大きな一石を投じた書である。妊娠中絶と言う具体的な問題に即して女性達から聞き取り調査を実施した結果から、彼女は、男性と女性の性差に基づく「ケアの倫理」を明らかにした。つまり、道徳的な葛藤状況に陥った時に、女性は、具体的な人間関係の親密さ・疎遠さを軸に対処する傾向があるのに対して、男性は、平等・不平等を道徳の軸にすえる傾向が強いというのである。女性は人間関係を保持し、より強化する方向で道徳的な葛藤状況を解決しようとするのに対して、男性は、道徳的な葛藤を権利主張の対立と捉えて、「公正」や「自律」を重視するのだそうである。彼女はこうした女性の倫理を「ケアの倫理」と、そして男性の倫理を「正義の倫理」と呼ぶ。

 正義は、人間一人ひとりを絶対的に自立した主体として捉え、「自律」に倫理の実体を求める。これに対して、ケアは、他者への共感のうえに成り立つ。その意味では、倫理性の実体論的な把握と、関係論的な把握と言い換えても良いかもしれない。正義では原理が大切で、ケアでは関係が大切だとも言えよう。正義では、相互の権利が重要視されるなかで、公正さが〈合法性―非合法性〉を尺度に測られようし、ケアでは、不均衡な関係において〈境遇の良否と慈愛の配分〉による全体としての調和がもたらされるのかもしれない。正義にあっては、普遍的な原理が支配するが、ケアにあっては、個別具体的な対処が重要視されよう。正義にあっては、利己性は合理性をまとわなければならないが、ケアにあっては、利己性は生きるという観点で許容される、など。  

小括

 痛みを、確かに私は感じている。そして、誰もこの痛みを共有することはできない。と言っても医療従事者は私の仕草を見て、私が痛がって、痛みに堪えかねていることを「想像」できる、ようである。どの程度の痛みであるか、まで。そのとき、痛みは私と医療従事者の関係を結ぶ形で表現されているのであろう。〈心〉も似た状況にある。私たちは実体としての〈心〉を持ち合わせてはいないようである。しかし、〈心無い〉振る舞いもあれば、〈心温まる〉言葉もある。大森荘蔵は次のように述べている。「私の『心』というものがあるとすれば、この『ここにいる私』と『そこに見える風景』が作るこの全状況が『心』であるいがいにはない。『私の内に』ある心などはどこをさがしてもないのである」(大森荘蔵『物と心』東京大学出版会七二―七三頁)。心が想定されるとすれば、それは、関係論的な観点からのみに他ならない、そして、共感やケアというものが成り立つとすれば、実態的にこれが共感だ、これがケアだ、というものはなく、むしろ、それも関係論的な観点からに他ならない。この「ここにいる私」と「そこに見える相手」が作るこの全状況にこそ、共感やケアの成り立ちが立ち現われていると言うことができよう。 

【略 歴】
 万代小学校三年まで新潟市、長岡高校、新潟大学人文学部哲学科を卒業、東北大学大学院文学研究科(修士課程)、神戸大学大学院文化学研究科(博士課程)を修了した後、神戸大学大学院文化学研究科助手、神戸女子薬科大学非常勤講師を経て、1991年から新潟大学教養部助教授、1996年から人文学部教授。専門は、生命倫理学、環境倫理学、近世哲学(ドイツ観念論)。

 

 

 【後 記】
参加者の方から感想が届いています。

・「心の話」とても楽しく不思議な栗原ワールドに、はまりました。「心」ってほんとにどこにあるのでしょう?目に見える物が全てで、「心なんて無い」と聞かされても、ナタラジャの美味しいカレーと、楽しいお話しで、無いはずの「私の心」は、確実に元気ななりました。タージマハールの写真も宝物です。ありがとうございました。 

・栗原先生のお話は、日頃私たち教師が行っている「子どもの行動の見取り」について大きな警鐘を鳴らしていただいたように感じました。とかく教師は子どもの一面のみを見て評価しがちです。しかし、今回の栗原先生のお話を伺って、子どもを様々な角度から見取る力を身に付けたり、多くの教師で一人の子どもについてディスカッションしたりしなければならないと感じました。これからの勉強会がますます楽しみです。 

・私の勉強不足ということもあり、難しかったような気がします。ただ痛感させられたのは、先生もメールに書かれていましたが、「こころ」は受け取り側の問題でもあるということが、すごい印象に残りました。今まで、『こちら側が「こころ」を開いているのに、相手が壁を作ってしまって、「こころ」通じ合わすことができない。』と思っていたのは、実は自分の中で、勝手に「こころ」開いていると思い込んでいただけで、実は、私の方が「こころ」開いていないと思っていたのかもと、改めて反省しております。

2003年1月8日

報告:第80回(2003-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会    宮坂道夫
  演題:『ファミリーハウス』
  講師:宮坂道夫(新潟大学医学部准教授)
    日時:平成15年01月08日(水) 16:30 ~ 18:00
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来

【抄 録】
(1)ファミリーハウスの紹介

「にいがたファミリーハウスやすらぎ」は、新潟市内の病院に入院する患者さんの付き添いをされる家族のための滞在施設です。善意の方からお部屋を提供していただき、市民、企業、団体などの支援を受けて開設されました。各病院の理解、協力のもと、「にいがたファミリーハウスやすらぎ支援の会」が責任をもって管理、運営しています。入院したその日からすぐにご利用できます。これまでご利用いただいた方からは、「ゆっくり手足をのばせるその事が、とても有り難かったです」、「夜すべてを終えてこのハウスに帰り、ホッとした心のやすらぎは、何ものにもかえがたいものでした」などの声が寄せられています。(以上、当会のパンフレットより)

*詳細については、ホームページがありますので、そちらをご覧いただくのがよいかと思います。アドレスは以下の通りです。
http://www.ng-familyhouse.npo-jp.net/index2.html

 

(2)今回の話のあらまし

1)ファミリーハウスとは?
 病院中心の医療制度のもとでは、効率よく治療が行われ一方で、「治療やケアの場」と「生活の場」が隔絶しがちになります。病院や医療施設という特別な場所へ、家という普段の生活の場を離れて、治療のために「移住」しなければならないわけです。特に慢性疾患中心の現代では、この隔絶は患者とその家族にとって深刻な問題を生んでいます。専門的な治療を受けられる病院に、家を遠く離れて入院しないといけないことも多い。しかも療養には長い時間がかかる。その間、患者と付添の家族は、生活の場から離れて過ごさねばならず、生活の上で非常に負担がかかってくることになります。例えば宿泊はどうするか、子供の教育はどうするか、お金はどうするのか ・・・。

 残念ながら、日本の保健医療制度ではこうした面まではカバーしきれていません。そこで、ファミリーハウス活動が始まったわけです。「病院」の近くに、「家」に近いものを作り、そこで患者をささえる付添者のために「生活の場」を提供しようというアイデアです。ただし、一口に「ファミリーハウス活動」といっても、宿泊・滞在施設の提供だけのところもあれば、相談事業を展開しているところもあり、さらに幅広いサービスを提供しているところもあり、その実態はとても多様なものです。 

2)新潟でのファミリーハウス活動
 児玉義明・にいがたファミリーハウスやすらぎ支援の会・会長から、会の立ち上げ、実際の運営などについてお話させていただきます。これまで多くの方のご協力により、民間アパートの部屋を借りて、ハウスを運営しています。利用された方からはとても感謝されている活動ですが、マンパワー不足、一般市民の関心の低さなど、克服しないといけない問題もあります。

 

【後 記】
 私が始めて「ファミリーハウス」を知ったのは、昨年(2002年)9月29日「にいがたファミリーハウスやすらぎ支援の会」主催の『第1回命(いのち)のシンポジウム』でした。

 宮坂道夫先生(新潟大学医学部保健学科;当時講師、1月1日より助教授)がコーディネーターをされ、児玉義明氏(にいがたファミリーハウスやすらぎ支援の会会長、新潟大学での生体肝移植を受けた第一号)の講演がありました。遠方から入院されている患者家族のために宿泊施設を低料金で提供という、とても素敵なアイデアでした。世の中にこんなことに頑張っている方がいるのかと、感動しましたし、新鮮でした。

 今回、当勉強会でもお話して頂くよう宮坂先生にお願いしたところ、快くお引き受け頂き、またにいがたファミリーハウスの会員の方にも参加を呼び掛けて頂きました。さらに私にとって嬉しかったのは、難病を抱えながらもほのぼのとした心癒される色鉛筆画を書き続けている羽田沙織さん(白根市在住)にも参加頂いたことでした。

 宮坂先生の講演で「ファミリーハウス」について説明して頂きました。ヨーロッパでの状況、日本での状況(1988年に大阪で最初に開設)、そして新潟での現状と課題。必要なのは、施設、資金、労力、そして何よりも必要性の認識。白山駅近くに2001年7月に開設。以来利用料1500円という低料金で頑張っているとのことです。全国的には国や自治体の支援を受けているところ、病院と直結しているところ、企業から支援を受けているところなどあるそうですが、新潟の場合、運営は全てボランティア。

 終了後会場からは、素晴らしい事業であるという賞賛と同時に、いくつも質問がありました。この料金でペイは大丈夫か?これは病院なり自治体で頑張ってもらうべきものではないのか?ボランティアだけでは大変なのでは?米国では病院の周りに安い宿泊施設がありその負担は患者がするが、、、。患者自身の利用や、外来通院への利用は可能か?宣伝が少ないような気がする、、、、、。ニーズの掘り起こしが必要では?インターネットでの申し込みは出来ないのか?全国的な連絡網はないのか?そもそも子供が長期間家族から離れて暮さなければならない入院治療に問題があるのでは、、、、等々。

 宮坂先生はじめ、にいがたファミリーハウスやすらぎ支援の会の皆様、ありがとうございました。