研究会/勉強会・告知

 

2015年2月7日

済生会新潟第二病院眼科では、どなたでも参加できる講演会を開催しています。今回はホスピス医の細井順氏をお招きして講演会を開催致します。
細井氏は、ホスピス医として死にゆく患者の傍らに立ち続けた日々が、一人の医師の心に豊かな「いのち」観を育んだといいます。自らのがん体験によってさらに深まった独自の死生観を語ります。良く生き、良く死ぬとは何か、また超高齢社会でどう看取り、死を迎えたらいいのか、、、、、、、
まだ席には余裕があります。多くの皆様の参加を期待しております。 

案内:済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」 
 講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市)
 演題:生きるとは…「いのち」にであうこと~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  どなたでも参加できます。参加費無料
 要:事前登録 

【事前登録】 申込期限~平成27年2月21日(土)まで
 申し込み先:済生会新潟第二病院眼科 安藤伸朗
   e-mail gankando@sweet.ocn.ne.jp
   Fax 025-233-6220 

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 参加申し込み 済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
  氏名~  
   所属~
   職業~ 

 住所~都道府県名と市町村名のみお願いします
 連絡方法 
    e-mail アドレス~ 
   Fax番号~

  (可能な限り、メールでの連絡先をお願い致します) 

 付添いの方が一緒ですか? (はい、いいえ) 

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演題:生きるとは…「いのち」にであうこと~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市) 

【講演抄録】
 外科医として18年間勤めたあとにホスピス医となり、19年が過ぎようとしている。外科医の間は病気をみてきた。その時に病人(患者さん)を苦しめている病気を治すことばかりを考えて過ごした。点の勝負だった。ホスピスに転じてからは、患者さんのもつ苦悩につきあってきた。患者さんと時の流れを共に過ごした。外科医は自分の治せる病気を診療する職人だったので、かなり限られた範囲の人しか診なかった。ホスピスでは、治せない病気の人を診させていただき、結果として随分といろんな方々と出会うことができた。 

 そこで気づいたことがある。外科医は病気を治すことはできるが、人を生かすことはできない。ホスピス医は病気を治すことはできないが、人を生かすことができる。つまり、ホスピスケアは人に生きていく力を与えることができるのだ。さらに言えば、死にゆく人から私自身が生きていく力をいただくのだ。 

 遺される人に生きていく力を与える。この力が「いのち」と呼ばれるものではないのだろうか。ホスピスでは生死を超えた「いのち」にであうことができる。死んでも途絶えることなく人から人へと伝えられる「いのち」、個人のものではなくてすべての人に共通する「いのち」に気づくときに、人は自分を閉じ込めている殻が破れ、平安な死に迎えられるのではないだろうか。ホスピスの真実がここにある。 

 阪神淡路大震災、東日本大震災やその後の度重なる災害の中で、多くの生命が前触れもなく絶たれていく。突然のかなしみに前途を失うことも多いことだろう。しかし、「いのち」はつながれていくのだと思う。かなしみを通して、誰もがつながる「いのち」から多くの生きていく力をもらっているに違いないと思う。 

 死の様は人それぞれで、それを選ぶことはできない。死の前では無力ではあるが、「いのち」のつながりの中で、生命もつながれていく。死にゆく人たちとのであいから教わったことを皆様と分かちあいたいと願っている。
 

【プロフィール】
 1951年、岩手県盛岡市の生まれ。小学二年生のとき、医師だった父の異動で京都に引っ越し、以来、大学卒業まで京都で育つ。クリスチャンホームで、物心つく前から教会に通い、中学一年生で受洗した。父親は法医学の大家、四人の叔父は外科医。
  1978年大阪医科大学卒業。自治医科大学消化器一般外科講師を経て、淀川キリスト教病院外科医長となった。その時父親を胃がんのために同病院ホスピスで看取っ た。このことをきっかけに96年ホスピス医に転向した。2年間研修後、愛知国際病院ホスピス長を経て、2002年よりヴォーリズ記念病院にてホスピスケアを行っている。
 2004年、自身も腎がんで右腎摘出術を受けた。その後、自らの体験を顧みつつ、「死の前では誰もが平等、お互いさま」をモットーにしてケアを実践している。その様子がドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日~あるホスピス病棟の40日~」として2013年春から全国公開され、ホスピスからのメッセージを多くの人たちに届けている。 

@淀川キリスト教病院 http://www.ych.or.jp/
 1973年に日本で最初にホスピスケアを行い、1984年には日本のホスピスの生みの親、柏木哲夫氏(現・同病院理事長、名誉ホスピス長、金城学院長)により国内二番目のホスピスが開設された。細井氏はホスピス医としての指導を受けた。
@ヴォーリズ記念病院ホスピス http://www.vories.or.jp/medical_dep/kanwacare.php
@ドキュメンタリー映画『いのちがいちばん輝く日~あるホスピス病棟の40日』 http://www.inochi-hospice.com


【著 書】
『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年)
『死をおそれないで生きる~がんになったホスピス医の人生論ノート』(いのちのことば社、2007年)
『希望という名のホスピスで見つけたこと~がんになったホスピス医の生き方論』(いのちのことば社、2014年)
@当日は会場で、著書の書籍販売・サイン会を予定しております。
 

●済生会新潟第二病院眼科では、細井氏をこれまでに何度かお呼びし講演会を開催しています。
 
参考までに、これまでの細井順講演会の講演要旨を以下に記します。

@済生会新潟第二病院眼科 公開講座2005『細井順 講演会』
 演題:「ホスピスで生きる人たち」
 講師:細井順 (財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院緩和ケア部長)
  期日:平成17年11月26日(土) 15時~17時
  場所:済生会新潟第二病院10階会議室
 http://andonoburo.net/on/2548 

@済生会新潟第二病院眼科 公開講座2008『細井順 講演会』
(第144回(08‐2月)済生会新潟第二病院眼科勉強会)
 演題:「豊かな生き方、納得した終わり方」
 講師:細井順(財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院ホスピス長)
   期日:平成20年2月23日(土) 午後4時~5時半
   場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 http://andonoburo.net/on/2573

2015年1月26日

済生会新潟第二病院眼科では、どなたでも参加できる講演会を開催しています。今回はホスピス医の細井順氏をお招きして講演会を開催致します。多くの皆様の参加を期待しております

済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
 生きるとは…「いのち」にであうこと~死にゆく人から教わる「いのち」を語る
 細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市)
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  どなたでも参加できます。参加費無料
 要:事前登録 

【事前登録】
 申込期限~平成27年2月21日(土)まで
 (ただし会場の関係で、100名に達しましたら受付を終了致します)
 申し込み先:済生会新潟第二病院眼科 安藤伸朗 
   e-mail gankando@sweet.ocn.ne.jp 
   Fax 025-233-6220 
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 参加申し込み 済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
  氏名~    
   所属~ 
   職業~
 @付添いの方が一緒の場合は、人数を教えて下さい。 

 住所~都道府県名と市町村名のみ、お願いします

 連絡方法  
    e-mail アドレス~ 
   Fax番号~
  (可能な限り、メールでの連絡先をお願い致します)

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当日は会場で、著書の書籍販売・サイン会を予定しております。 

【著書の紹介】
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1)「希望という名のホスピスで見つけたこと」 細井順 (著)
 出版社: いのちのことば社 (2014/10/1)
●内容 生きるとは、「いのち」にであうこと。がんになったホスピス医が、死にゆく患者さんから受け取った「いのち」のメッセージ。
●目次 : 第1章 ホスピスいのちがいちばん輝く場所/ 第2章 希望館の緑につつまれて―ホスピスの日々から/ 第3章 わが歩みしいのちの臨床への道/ 第4章 いのちについて/ 第5章 多死社会に向かって―私たちはどう死を迎えたらいいのか/ 第6章 心の中にホスピスを/ 付記 よく聞かれるホスピスへの質問に答えて 

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2)「こんなに身近なホスピス」 細井 順   (著)
 出版社: 風媒社( 2003/05)
●内容 ホスピスは、「座して死を待つ所」ではない。人々がその人らしく生ききるのを援助するプログラムなのだ。苦しみが少なく、自分なりに納得できた最期を迎えるためにはどうしたらいいのか――。がん治療に苦戦している人のための応援メッセージ
●目次 第1章 ホスピスはどのように役立っているか/ 第2章 緩和医療は、いま/ 第3章 心のケアについて/ 第4章 地域・家族とどうかかわっているのか/ 第5章 これからのホスピスに必要なこと/  おわりに 

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3)「死をおそれないで生きる―がんになったホスピス医の人生論ノート」 細井順   (著)
 出版社: いのちのことば社(2007/07)
 絶版

2015年1月21日

 演題:「視覚障害者の化粧技法について~ブラインドメイク・プログラム~」
 講師:大石華法(日本ケアメイク協会)
  日時:平成27年02月4(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

 済生会新潟第二病院眼科で、1996年(平成8年)6月から毎月行なっている勉強会の案内です。参加出来ない方は、近況報告の代わりにお読み頂けましたら幸いです。興味があって参加可能な方は、遠慮なくご参加下さい。どなたでも大歓迎です(参加無料、事前登録なし、保険証不要)。ただし、お茶等のサービスもありません。悪しからず。 

【抄 録】
 化粧は社会人女性としての「身だしなみ」であると言われている.身だしなみとは,自分自身の容姿を整える心がけとこれから会う人への思いやりを意味しており,化粧とは女性の美しさと優しさ,上品さや裕福さを象徴するアイテムになっている.

 2000年から2014年までの化粧の有用性に関する研究として,化粧には心理的・生態的効果があり,女性の社会性を促進し,QOLを高める効果があると報告されている.また女性を精神面でも支え,社会的コミュニケーションを円滑にするという重要な役割を担っていると示唆されている.

 近年,化粧社会のなかで視覚に障害があることで化粧に不自由を感じている女性はこれらを理由に化粧を諦める傾向にある.他者からの化粧評価が低いと自信を失い,化粧を施すことに不安を感じている女性が少なくない.これらは外出の減少,人や社会との交流減少に影響を及ぼしている.

 演者は,2010年に鏡を見なくても化粧が綺麗にできる化粧技法「ブラインドメイク・プログラム」を考案したことで視覚に障害のある女性が自分自身で化粧することが可能となった.化粧が綺麗にできるようになった女性からは「自信をもって外出し,人や社会に交わることに対して前向きになった」「自己肯定感,満足感,幸福感を得ることができた」と高い評価を得ている.ブラインドメイクは,“視覚障害者”ではなく,一人の“女性”として当事者や社会が認識・再認識することに意義を求めている. 

【略 歴】
 1995年,中央大学 法学部法律学科 卒業
 2010年,大阪中央理容美容専門学校 卒業
 2012年,日本福祉大学 福祉経営学部 卒業
 2013年,日本福祉大学大学院 社会福祉学研究科 在学中
  日本ケアメイク協会 会長(2010年~) 

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。

 日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
 場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html
 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
    http://www.ngt.saiseikai.or.jp/section/ophthalmology/study.html
 3)安藤 伸朗 ホームページ
    http://andonoburo.net/ 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 『済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」』
 「生きるとは…『いのち』にであうこと~死にゆく人から教わる『いのち』を語る~」
 細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市) 

平成27年3月11日(水)16:30~18:00
 第229回(15‐03月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障害者の求めた“豊かな自己実現”―その基盤となった教育―」
 岸 博実(京都府立盲学校教諭・日本盲教育史研究会事務局長) 

平成27年4月8日(水)16:30~18:00
 第230回(15‐04月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ―『慢性眼科患者』の経験から私が学んだこと」
 阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員(社会福祉士)) 

平成27年6月10日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
  吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会) 

平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定) 

平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  立神粧子 (フェリス女学院大学) 

平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  清水美知子(歩行訓練士;埼玉県) 

平成27年10月14日(水)16:30~18:00
【目の愛護デー記念講演会 2015】 (予定)
(第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)

2015年1月17日

済生会新潟第二病院眼科では、どなたでも参加できる講演会を開催しています。今回はホスピス医の細井順氏をお招きして講演会を開催致します。多くの皆様の参加を期待しております・ 

済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
 生きるとは…「いのち」にであうこと
               ~死にゆく人から教わる「いのち」を語る
 細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市)
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  どなたでも参加できます。参加費無料
 要:事前登録 

【事前登録】
 申込期限~平成27年2月21日(土)まで
 (ただし会場の関係で、100名に達しましたら受付を終了致します)
 申し込み先:済生会新潟第二病院眼科 安藤伸朗 
   e-mail gankando@sweet.ocn.ne.jp 
   Fax 025-233-6220 

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 参加申し込み 済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
  氏名~    
   所属~   
   職業~
 @付添いの方が一緒の場合は、人数を教えて下さい。
 住所~都道府県名と市町村名のみ、お願いします
 連絡方法  
    e-mail アドレス~ 
   Fax番号~
  (可能な限り、メールでの連絡先をお願い致します)

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済生会新潟第二病院眼科では、これまで2回細井順先生をお呼びして講演会を開催しています。今回は、2008年2月の講演会報告をお届けします。 

報告:済生会新潟第二病院眼科 公開講座2008『細井順 講演会』
(第144回(08‐2月)済生会新潟第二病院眼科勉強会)
 演題:「豊かな生き方、納得した終わり方」
 講師:細井順(財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院ホスピス長)
   期日:平成20年2月23日(土) 午後4時~5時半
   場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 http://andonoburo.net/on/2573 

【講演要旨】
 4年前の2月、スキーから帰ってきて血尿がでた。疲れたせいかなと軽く考えていたが、その後も一週間に一度くらいの割で血尿は続いた。痛みのない血尿は、外科医として常識的には癌を考える。しかも、すでに血尿が出ているということから早期の癌ではないと考えた。一方、ホスピス医としての経験から、手術や化学療法をめいっぱいにやった患者さんより、治療らしい治療をしないでがんと共存して過ごしてきた人の方が楽に死ねる。このような二つの経験から、私は慌てないで様子をみようと考えた。 

 3月も後半になり(血尿が出てから1ヶ月半経過)、排尿の度毎に汚く濃い色の血尿がでるようになった。満足に排尿することができず、これでは仕事にならない状態となった。仕方なくCT検査を受けた。その結果、右腎臓に直径8cm大の腫瘍が写っていた。最初に思ったことは、手術をしたら簡単に取れそうだということだった。がんではないかもしれないと直感的に思ったが、泌尿器科医の友人に相談してこれはがんだと納得した。患者さんのフィルムならがんと診断したはずなのに、自分のことになると悪いことは否認することに気づき、これが、がん患者の気持だと理解できた。 

 家族にがんが見つかり、手術を受けることを打ち明けた時、当時高校3年の息子は、「ワァー、でかいな。素人でも判るわ」。妻は「お葬式はどうする?」という反応であり、私としては楽になった。ある意味、スーッとした。 

 これまで、がんは患者さんの問題であったが自分の問題となって気づいたことがあった。ホスピスに入れるのでホッとした(癌でなければホスピスには入れない)。また本(今度は闘病記)が書ける。やっぱり家族の支えが一番。そして手術がこんなにも大変だという経験を出来たこと。医療者の一言の有難さ、怖さを経験できたこと。特に「がん」があってもなくても同じことという気持になれたことが大きかった。 

 手術前に「患者の気持ち」という一文をしたため、主治医に渡すことにした。何故なら命を左右するような手術にはしたくなかった。外科医はとかく無理をしたがる。ついついやりすぎてしまうことがある。私は今やっている仕事を続けたい。手術して仕事が出来る状態(血尿を止める)にして欲しいことを主治医に告げた。こんなことをして嫌われたらとも思い、多少の勇気は必要だったが、、、。通常取り交わしている手術の同意書は、主治医からの一方的な押し付けであることが多い。自分の存在を大切にして、こういう手術を受けたいと患者サイドから申し出することは大事なことだと思っていた。 

 ホスピスの仕事を一人の患者さんの事例を紹介して、お話しする。76歳男性。前立腺癌、腰椎に転移があり腰痛があった。初診時は、苦痛に顔をしかめ、「ワニに食いつかれて、振り回されているように痛む」と訴えた。鎮痛剤を処方した。翌日、回診時「戒名」についてお話を伺った。(普通ならまだそんな話は早いと言うところかもしれない)私は「ほう、私にも教えてくれますか?、なるほどいい戒名ですね」。翌々日、痛みについてお尋ねすると、「すっかりよくなりました。この病院に来てキリストに出会ったようです」。この患者さんからホスピスの治療とはどういうものか教わった。がん患者の痛みは、身体的苦痛のみでなく、社会的苦痛(仕事や家庭)、精神的苦痛(不安や苛立ち)のみでなく、スピリチュアルペイン(人生の意味や死の恐怖等々)も 関係する。がん患者の痛みには鎮痛剤ばかりではなく、傾聴も重要な治療手段である。このおじいさんはホスピスで「キリストに出会う」という象徴的な言葉で生きかえったことを表現した。 

 ホスピスで生きかえることができる理由を「ホスピスの秘密」と名付けて紹介したい。
1)『You are OK.』 これまで患者さんが経験してきた治療や生き方を受け止めることである。一般的には病院というのは悪いところを見つけるために行くところである。ホスピスではそうではなく、 You are OK (あなたは、それで大丈夫)と言うことも 必要である。今ここで出会えたのも、あなたがこれまで頑張ってきたから、、、。
2)外科的に治すという事は、癌を小さくすることであるが、ホスピスでは一緒に患者さんの重荷を担いで上げることである。患者さんとの一体感。自分のパフォーマンスをするのではなくて、自分を殺して患者を浮かばせる。生きているということは、誰かに支えられているということを実感する。
3)『お互いさま』のこころ。今日という時間を共有している。死にゆくという点では、患者さんも医療者もない。時期が少しずれているだけである。そう思うとケアをすることは、結局将来の自分のためだと思われてくる。
4)『死を創る』。その人が亡くなると、私の中にその人のいのちが受け継がれている。そういう意味では、ホスピスはいのちのたすきリレーの場所でもある。 

 死にゆく人を支えるには、誠実・感性・忍耐・謙遜・祈りが必要。「今日はご飯が食べられません」という患者に、「おかゆにしましょう」では感性がない。その言葉の奥に秘められた患者さんの気持を聴き取ることが大切である。食べられないほど弱ってしまったという不安や孤独な思いを聴き取ることが必要である。まずはよく患者の悩みを聴くことである。 

 2007年の世相を表す言葉として「偽」が選ばれた。そんな世相の中でホスピスはオアシスの役割を担っている。ホスピスを動かしている力は先程の言葉(誠実・感性・忍耐・謙遜・祈り)である。この世の名声、金銭、栄誉で動いているのではない。死を前にしたとき、この世の価値観では戦えない。オアシスだからこそ、先程紹介した患者さんのように生きかえる。 

 ホスピスは死にゆくところと理解している人たちが多いと思うが、死にゆくことは、本人にも、家族にもケアにあたるスタッフにも決して容易いことではない。ホスピスの役割は、最期まで「よい生」を続けられる環境を整えることである。その中で患者さん・家族が主役となって「よい生」が叶えられて「よい死」が創られると感じる。 

 「豊かな生き方、納得した終わり方」を考えた時に浮かぶキーワードがある。『症状のコントロール』、『人生の満足感』、『死生観の確立』、『家族の支え』の4つである。このうち、ホスピスでできることは、最初に挙げた症状のコントロールだけである。ホスピスまでの人生が、ホスピスでの過ごし方を決めている。近頃の問題として、家族関係の希薄さがホスピスケアにも影響を及ぼしている。最後に大阿闍梨(だいあじゃり)の言葉を紹介しよう。「仏さまは、ぼくの人生を見通しているのかもしれないね」という一節を見つけた。修行の極みに達した生き仏と言われる人物の一言である。何ともホッとして、気持が落ち着く言葉だろう。我々を包んで、運んでいる大きな翼があることを覚えたい。 

【質疑応答】
質問:死にたくない、悔しい、苦しいと思う死は、「望ましくない死」なのだろうか? 「望ましくない死」を避けがたく迎える方、その家族にも満足感、敬意を抱いて頂きたいと思うし、現に何とか抱いて頂いているとも思うが・・・。
————–
答え:本人にとって納得できる死を迎えられるような環境を整えることしかホスピスではできません。本人が納得できなければ、その納得できないことに付き合うのです。決して納得できるように説得するわけではありません。人は生きてきたように死ぬと言いますから、普段の生き方がポイントでしょう。ホスピスでは、9回裏ツーアウト満塁での逆転サヨナラ満塁ホームランをねらっているわけではないのです。
 

質問:がんになって、突然、生の意味が語られることになる違和感は? 終末期以前で、病前期で、どうやって「豊かな生き方」を得ていくべきか?
————–
答え:「豊かな生き方、納得した終わり方」を考えた時、4つのポイント『症状のコントロール』、『人生の満足感』、『死生観の確立』、『家族の支え』があります。そのうち、ホスピスでできることは『症状のコントロール』(痛みからの解放)だけで、他の3点はホスピスまでに考えるテーマです。普段から終わりを意識した生き方を続けないとホスピスだけでは手遅れという場合も多々あります。昔からメメント・モリ(死を想え)という言葉があります。50才になったら人生の棚卸しをすることが薦められます。不用になったものを捨て、これから必要なものだけを残すことです。
 ホスピスは not doing, but being と言われる世界ですから、ホスピスに入りさえすれば「よい死」が待っていると短絡的に考えていると、失望します。そもそも死にゆくことは自分の問題で、医療の問題ではないからです。
 

質問:「豊かな生き方、納得した終わり方」には多くの手助け、コストが必須ではないのか?
————–
答え:日本ホスピス緩和ケア協会の資料から、豊かな経営をしているホスピスはありません。赤字を出さないように四苦八苦しているのが現状です。しかし、ホスピスの数は増加傾向にあり、経営的理由で閉鎖するところは数カ所だったでしょうか。
 ホスピスを動かす力は、誠実、謙遜、感謝、信頼、祈りなどですから、常識的な経営感覚では説明できない何かがあるのでしょう。私どものホスピスでも決して安泰ではありませんし、ホスピス賛助会を設けて寄付を募っています。ボランティアの働きももちろん大切です。これは誤解しないでください。ホスピスの労働力としてボランティアを使っているという意味ではありません。ボランティアとして活動する方にとってプラスになることが、ホスピスにとってプラスになるのですから。
 

質問:細井先生のホスピスはボランティアを入れていますか? もし入っていたらどんなボランティアですか?
————–
答え:ボランティアの方が活躍しています。しかし、まだ少ない人数なので、ティーサービスを担当してもらってます。また、季節の行事の準備(この季節なら雛人形の飾り付けや後かたづけ)などです。今後、人数も増えて、もっともっと充実した活動を行っていただきたいと願っています。ボランティアはホスピスに潤いを与えてくれます。
 

質問:ホスピスは見学できるのでしょうか?
————–
答え:見学はできます。しかし、見学者のためのプログラムを作っているわけではありません。建物の見学が中心です。地域に開かれたホスピスのためには、これも今後の課題の一つです。
 

質問:ホスピスでの一日の流れなど詳しい生活が知りたい。
————–
答え:ホスピスは痛みなどを少なくして、患者さんと家族に悔いのない1日を過ごして貰うための環境を整えることが役割です。家族にも参加してもらい、家庭での1日をホスピスで実現して貰います。従って所謂介護施設のように食事の時間、お風呂の時間、レクレーションの時間などのプログラムが用意されているわけではありません。
 

【細井順氏 略歴】
 1951年 岩手県生まれ。
  78年 大阪医科大学卒業。
    自治医科大学講師(消化器一般外科学)を経て、
  93年4月 淀川キリスト教病院外科医長。
  95年4月 父を胃がんのために、同院ホスピスで看取る。
       患者家族として経験したホスピスケアに眼からうろこが落ち、ホスピス医になることを決意。
        同院ホスピスで、ホスピス・緩和ケアについて研修。
  98年4月 愛知国際病院でホスピス開設(愛知県初)に携わる。
 2002年4月 財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院緩和ケア部長。
  04年4月 腎臓がんで右腎摘出術を受ける。
  06年10月 自らの闘病経験をふまえ患者目線の院内独立型ホスピスが完成。
      現在ホスピス長として患者の死に寄り添いながら、ホスピスケアの普及と充実のための啓発活動にも取り組んでいる。 

 現在、日本死の臨床研究会世話人
 著書:『ターミナルケアマニュアル第3版』(最新医学社、共著1997年)
     『私たちのホスピスをつくった 愛知国際病院の場合』(日本評論社、共著1998年)
     『死をみとる1週間』(医学書院、共著2002年)
    『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年)
    『死をおそれないで生きる~がんになったホスピス医の人生論ノート』(いのちのことば社、2007年)
 財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院のHP
 http://www.vories.or.jp/

 

【後記】
 90名を超す大勢の方々に参加して頂きました。
 難い演題でしたが、細井先生は柔和な表情で、時に関西弁を交え、にこやかに語ってくれました。患者の心持は、繊細である。医療者の一言が心に響く。「患」という字は、串ざしの心とも読める。手術の同意書は医師からの押し付けになってはいないか?終わりを意識した生き方が大事、、、。講演もよかったのですが、最後の質疑応答も実のあるものでした。 

 著書『死をおそれないで生きる~がんになったホスピス医の人生論ノート』に以下のくだりがあります。患者さんや家族の持つ悩みは、ホスピスで過ごすわずかの間に解決できるはずがない。解決に至らなくても、共に悩みを分かち合うことは出来る。分かち合うことが解決の糸口になる。

 今回語られたのは「ホスピス」でしたが、心のケアという点では一般の医療の中に取り入れるべきものも多いと感じました。そしてこれまでの自分の生き様を考えるいい機会になりました。

2015年1月9日

 済生会新潟第二病院眼科では、どなたでも参加できる講演会を開催しています。今回はホスピス医の細井順氏をお招きして講演会を開催致します。
 多くの皆様の参加を期待しております。

済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
 生きるとは…「いのち」にであうこと~死にゆく人から教わる「いのち」を語る
 細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市)
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  どなたでも参加できます。参加費無料。
 要:事前登録
 http://andonoburo.net/on/3348

【事前登録】
 申込期限~平成27年2月21日(土)まで
 (ただし会場の関係で、100名に達しましたら受付を終了致します)
 申し込み先:済生会新潟第二病院眼科 安藤伸朗 
   e-mail gankando@sweet.ocn.ne.jp
   Fax 025-233-6220 

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 参加申し込み 済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
  氏名~  
   所属~  
   職業~
 @付添いの方が一緒の場合は、人数を教えて下さい。
 住所~都道府県名と市町村名のみ、お願いします

 連絡方法  
    e-mail アドレス~ 
   Fax番号~
  (可能な限り、メールでの連絡先をお願い致します)
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済生会新潟第二病院眼科では、これまで2回細井順先生をお呼びして講演会を開催しています。今回は、2005年11月の講演会報告をお届けします。

【済生会新潟第二病院眼科 公開講座 2005】
 演題:「ホスピスで生きる人たち」 
 講師:細井順 (財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院緩和ケア部長)
  期日:平成17年11月26日(土) 15時~17時
  場所:済生会新潟第二病院10階会議室

【講演要旨】
 ホスピスとは死んでいくところと理解している人が殆どだと思うが、実際に中で働いてみるとホスピスとは生きるところだと感じる。そういう意味でタイトルは「ホスピスで生きる人たち」とした。 

 現代は「自分の死を創る時代」といわれている。がんが死因の第一位を占めるようになって四半世紀が過ぎ、2人に1人はがんの宣告を受け、3人に1人はがんで死ぬ時代である。私自身も昨年腎癌と診断され手術を受けた。病を知り、死を意識して生きる時間が長いのも、がんという病気の特徴の一つである。そのような時代の中で、ホスピスは「がんと診断され残り時間が半年以内と予測された人たちの、人生の残りをその人らしく悔いのないように過ごしてもらうために、多職種のスタッフがチームを組んで全人的なケアをするところ」として広く認識され、その重要性が高まってきている。自分の死を創ることの意義を考えさせられた一人の例を紹介する。 

 50才代男性。咳が続いた。開業医に行くと、胸のレントゲンを撮って、肺に影があるからと大学を紹介された。 大学の内科で精査すると肺癌であることが判り、外科に紹介され手術を受けた。外科で手術が終わると、放射線治療のために放射線科を紹介された。放射線治療が終わると、今度はホスピスを紹介された。ホスピスで余命一ヶ月言われた。このストーリーのどこが間違っているのだろうか?誰の責任だろうか?各担当の医師は誠実に自分の行なうことをしっかり行ない、次に担当すべき医師に託しているのだが、、、。自分の命に自分で責任を持つ、すなわち、死生観を持つことが求められている。

 ホスピスとは何だろうか?ある人がこのように定義した。「患者にあと一日の命は与えないが、その一日に命を与える」。自分で経験した3名のお話を紹介する。 

 50歳半ばのギャンブラー(相場師)。頸部の癌患者。ある日、点滴を眺めて点滴のカロリーが43Calであることを見つけた。患者(筆談):「これで充分なのか?」 細井:「これで充分ですよ」 患者は泣いた。何とかしようと考えた。聖書の言葉に「鳥の声・野の花」という一節がある。空を飛ぶ鳥は自分で種を蒔くわけでもなく、収穫物を刈るわけでもない。それでも日々空を飛んでいる。野の花も明日は摘まれて炉に投げ込まれるかもしれない。それでもその日一日は可憐な美しさを誇って咲いている。つめり何を食べようが、飲もうか、何を着ようかと思い煩わずとも、その日その日に生きる力を神から与えられているものなのだ。それを話すと患者はまた泣いた。今度は彼の心の琴線に触れたのだった。その後意識が朦朧とするまで3週間、彼と毎日筆談した。 

 50歳代女性。小売店経営。大腸癌で肝転移あり。患者:「先生にとって人間とは何ですか?」 細井「人間とは、誰かにあらしめられるもの」 翌日見舞い客に患者は「ホスピスではこんなことも教えてくれるのよ。お金以外に大切なものがあることがわかった」と嬉しそうに話していたという。翌日亡くなった。 

 80歳目前の元女医。患者:「私は嫁にここに追いやられた」 嫁:「おばあちゃんとどう接したらいいか判らない」 元女医は昔ミッションスクールに通っていた。そこで毎日聖書を一緒に読んだ。その効果かどうか分からないが、あまり他人の悪口を言わなくなった。ある日の夜「世界の平和を祈って、私は眠ります」と言って床に就いた。翌日亡くなった。 

 これらは、通常の医師・患者の関係では生まれない会話である。人間同志の関係において成り立つ会話である。上記の3名とも、それまで自分を支えてきた価値観から新たな価値観を見出すことが出来た。自分の死を創った人たちだ。 

 私は外科医として18年間がんと闘ってきた。しかし、父が胃がんのために淀川キリスト教病院ホスピスで亡くなったことをきっかけに、外科医を辞めホスピス医となった。それ以降多くの患者さんの最期に関わることが赦された。こうしてホスピスで学んだ5つの事がある。 

1)死は予期しない時にやってくる。
 病気知らずに中高年となり、ある日がんを宣告され、怖れ戸惑うのが多くの現代人の姿である。何事も願うようにはならないものである。 

2)病気で死ぬのではない。人間だから死ぬ。
 人間の仕事は子孫を残す事であり、死は生物学的にプログラムされたことである。病気にならなくても死は訪れる。 

3)死ぬことは、生きている時の最後の大仕事。
 人間は生まれた時から、死に向かって歩んでいる。ある時から死に向かって歩みだしているわけではない。引越しに例えると判り易い。引越し前夜は徹夜になることもある。それくらい、死ぬ前にやっておくことは沢山ある。 

4)生きれない時、死ねないときが来る。
 ホスピスで痛みの治療や、心のケアを受けると、生き返るように思い、大きな希望を抱く。しかし病状はがんの進行と共に悪化する。その時に、「早く死なせて欲しい」「生きていても仕方がない」と呟くようになる。生きたいけれど生きれない、死にたいけれど死ねない。そんな時にその人がこれまで生きてきた姿が出る。人は生きてきたように死んでゆく。 

5)生きているのでない、生かされているのだ。
 死は平等にやってくる。頑張っている人にも、そうでない人にもやってくる。頑張っているから生きているとは思えない。何かしらの力で生かされているように思える。 

 医師として臨終の場面に立ち合う時、どこかに暖かみがあり、心が洗われるような時間を経験する。しかし、他方では切ない看取りの場面に遭遇することもある。ホスピスでは、人生最後の1ヶ月間を過ごして旅立って行く患者さんが多い。そのために、ホスピスの時間はその人の一生を凝縮した時間だといわれる。ホスピスでよい時間を過ごすためにはそれまでが肝心ということであろう。ホスピスができることは、患者さんの苦痛を軽減し、人生を振り返ってもらうことである。 

 私は外科医として18年、ホスピスで10年勤めた。外科医の経験とホスピス医のそれとを比べて、ホスピス医は外科医より患者さんを生かしていると、今思えるのである。人はホスピスで生きかえると思える。私達は「何か」を求めて、日々、あくせくと生活している。その「何か」がホスピスにはあるように思える。外科医は、例えるなら、患者さんに100kgの重しがかかっていると、切り刻んで50kgや30kgにしようとする。時には失敗して200kgにしてしまうこともある。ホスピス医は、100kgの重しを一緒に支えようとする。そんな違いを感じる。ホスピスには人間同士として向かい合う姿がある。 

 「患者の死」は、外科医にとっては「苦い経験」である。ホスピス医にとっては、「生きる力」になる。「いのち」は死ぬことでは終わらない。自分の死を創った人は、残された遺族、また連なるすべての人の心の中で生きている。その人たちが生きる力になる。 

 どうしたらそのような死を迎えることができるのか?「手放すことができる」人は、自分の死を創るように思える。何かを掴もう掴もうとする人は、何も得ることは出来ない。手のひらを天に向けて手放す人は、空から降ってくるものを得ることが出来る。外科医はある意味では、悪いところを切り取り現状を維持しようとする。現在に留まろうとする。これでは手放すことが出来ない。ホスピスでは、今の現状を引き受けて、悪いところも含めた新しい自分に気づくことが出来る。手放すことが出来るのだ。 

 養老孟司によると、人間の体は1年間で70%の細胞は替わってしまう。3年もすると殆んどの細胞は替わってしまう。変わること、拘らないことが自分の死を創ることにつながる。自分の死を創った人は遺された人の「いのち」を創る。これを実感出来た時に、人は安心して死ねるのであろう。その時、死は優しく我々を迎えてくれるに違いない。

 

【細井順氏 略歴】
 1951年岩手県生まれ。
  1978年大阪医科大学卒業。
   自治医科大学講師(消化器一般外科学)を経て、
  1993年4月から淀川キリスト教病院外科医長。
  1995年4月に、父親を胃がんのために、同病院ホスピスで看取った。その時に患者家族として経験したホスピスケアに眼からうろこが落ち、ホスピス医になることを決意
   同ホスピスで、ホスピス・緩和ケアについて研修。
  1998年4月より、愛知国際病院で愛知県初のホスピス開設に携わる。
  2002年4月から、財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院緩和ケア部長として、
             地域住民の生活に溶け込んだ新しいホスピスの建設を推進している。
  2004年10月 第27回日本外科学会(盛岡)市民講座で講演
       「安心してがんの治療を受けるために~最新の治療法から終末期医療まで~」 

 現在、日本死の臨床研究会世話人
 著書:『ターミナルケアマニュアル第3版』(最新医学社、1997年)(共著)
     『私たちのホスピスをつくった 愛知国際病院の場合』(日本評論社、1998年)(共著)
    『死をみとる1週間』(医学書院、2002年)(共著)
    『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年) 

【後記】
 「竹馬の友」と呼べる友人がいる。彼は私の一歳年上、2歳上の兄と私の間の学年である。当時盛岡に住んでいた私達兄弟と彼は、毎日お互いの家を行き来して遊んだ。私が幼稚園から小学1年生時代の3年間である。3人兄弟のような関係であった。
 学生時代に3人で一緒に旅行した。彼の結婚披露宴に兄弟で招かれた。私の結婚式に参列してもらった。時を経て彼は外科医になり、新潟で学会があった時、一緒に飲んだ。大学の講師になりそれなりに活躍しているようであった。名古屋で眼科の学会があった時、一緒に飲んだ。その時には彼はホスピスで仕事をしていた。もとから彼はクリスチャンで、彼らしい選択と思った。その後彼は滋賀に移り、京都の学会の折に時々会った。
 彼に会うといつも不思議な感覚を味わう。タイムスリップして一気に盛岡時代に戻ってしまう。互いに50歳を過ぎ、バーのカウンターで互いに「順ちゃん」「伸ちゃん」と呼ぶ。それ以外の呼び方をお互いに知らない。中年男性がそんな呼び合いをしながら、仲良さそうに会話をしているのだから、さぞや周囲の人からは変に思われたかも知れない。
 そんな彼を新潟に呼んで講演会を開いた。「ホスピスに生きるひとたち」という演題で、約一時間の講演だった。最初は彼に講演など大丈夫かなと心配であったが、5分も経たないうちにそれは杞憂であることが判った。「ホスピスは、患者にあと一日の命は与えないが、その一日に命を与える」「病気で死ぬのではない、人間だから死ぬ」「死ぬことは、生きている時の最後の大仕事」『患者の死』は外科医にとっては『苦い経験』だが、ホスピス医にとっては、『生きる力』」、、、、、。
 彼の講演は、間違いなく満員の聴衆を魅了した。嬉しかったが、正直チョッと不思議だった。なぜなら私にとって「順ちゃん」は、立派なホスピス医ではなく、今でも「やんちゃな遊び友達」であるからだ。
http://andonoburo.net/off/2209