報告 第149回(08‐7月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
『新潟盲学校弁論大会 イン 済生会』
日時:平成20年7月4日(金)17:00 ~ 18:30
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室A
1)「共に生きる社会に向けて」
石黒知頼(いしぐろ ともより)新潟盲学校中学部3年
【弁論抄録】
視覚に障がいを抱えていても、他の人と同じことを同じようにできると嬉しい。今回特に、職業の選択、副音声、ATMについて考えたい。
現在、大学も点字で受験できるようになったが、就職については現実的には厳しいようだ。視覚障がい者が就職できるとする職種は、鍼・灸・あんまということになるが、最近は音声パソコン等の普及により視覚に障がいを抱えていてもいろいろと活躍できる場が増えていることは心強い。しかし新潟で就職レベルまでパソコンを会得することは厳しい。大阪や筑波まで行かなくてはならない。
テレビやドラマでの副音声解説があるとありがたい。見えなくてもテレビや映画を楽しみたい。周りの人が笑っていても笑えない。副音声があれば、どういう状況なのかがよくわかり、嬉しい。時には周りの人が状況を説明してくれるのだが・・・。 最近のATMは、タッチパネルなので僕達には使えない。全てのATMで音声案内が備わって欲しい。
自分の力で何でもできるようになりたい。自立したい。職業の選択・副音声・ATMを糸口に訴えていきたい。
【弁士自己紹介】
僕は野球部に所属しています。7月1日から3日まで新潟を会場にして北信越盲学校野球大会が開催されます。僕はレフトを守っています。音を頼りにボールをキャッチするのでとても難しいですが、うまくキャッチできたときはとても嬉しいです。学校では生徒会長をしています。ことしはいよいよ3年生で受験も控えているので、勉強も頑張りたいです。
【先生からの補足】
知頼君は昨年度「関東甲信越地区盲学校弁論大会」に学校代表として出場しました。昨年も「暮らしやすい社会」の実現に向けて自分の感じていること、考えていることを発表しました。済生会の勉強会での発表は昨年に続き、2回目になります。とても張り切っています。昨年とは一味違う知頼君の発表にご期待ください。
2)「家族の絆」
近山朱里(ちかやま あかり)新潟盲学校中学部3年
【弁論抄録】
部活(卓球)のために一年間寄宿舎で暮らした。寄宿舎では身の回りのことはすべて自分でやらなければならない。掃除・洗濯物をたたむ、、大変だ。今まではこんな大変なことを全部やってもらっていたんだ。
些細なことで家族とけんかをしてしまうが、翌日は「おはよう」と言って終わり。3世代同居をしている(母方の)祖母が入院した。「おばあちゃん、お願いだから早く良くなって」と祈った。
寄宿舎で生活するようになってからいろいろと家族に支えられていたことを実感することができた。自分を陰で支えてくれていたこと、家族が健康でいることのありがたさ、強いつながり。
家族と絆を実感し、家族に感謝している。
【弁士自己紹介】
わたしは卓球部に所属しています。秋には石川県で北信越盲学校卓球大会が行われます。今年は選手として参加できるように練習を頑張っています。最初はなかなか難しかったですが、だんだんとボールを打ち返せるようになり、今はとても練習が楽しいです。学校での得意教科は英語です。理由はいろいろな単語や表現の方法を覚えることが楽しいからです。趣味は音楽鑑賞で特に最近のJ-POPをよく聴いています。
【先生からの補足】
朱里さんは今年度新潟で開催された「関東甲信越地区盲学校弁論大会」に出場しました。昨年は「わたしの主張 新潟市地区大会」で最優秀賞を受賞し、県大会に進みました。大勢の前で発表することを何度も経験してきました。とても明るく、いつもにこにこしている朱里さんです。
3)新潟盲学校の紹介(ビデオ使用) 田中宏幸(新潟県立新潟盲学校:教諭)
http://www.niigatamou.nein.ed.jp/
当校は、昨年度創立百周年という大きな節目を迎えました。これまで当校が歩んできた歴史と伝統を振り返り、これからの特別支援教育の動向を踏まえ、新たな一歩を踏み出してまいります。 また、当校は県内唯一の視覚障害教育専門機関として、その使命や役割を自覚し、特別支援教育推進に努めています。幼児児童生徒個々のニーズに応じた適切な教育支援を推進し、自立や社会参加につながる力の育成を目指し、県民の期待に応えます。
(小西明校長あいさつ;HPより)
【後 記】
毎年7月に、盲学校の生徒を招いて院内で弁論大会(盲学校弁論大会 イン 済生会)を行うようになって、8年目になりました。今年も2名の弁士を迎えて開催しました。
限られた短い弁論時間で、これまでの挫折や苦労、そして小さな一歩の勇気から外に出て周りの人の温かさを知り、人のために何かしたいと感じ生きていく。そんな人間の強さ、無限の可能性に毎年感銘を受ける弁論大会です。毎回、生徒の明るさと、元気、純粋さに圧倒されています。
@全国盲学校弁論大会
1928(昭和3)年、点字大阪毎日(当時)創刊5周年を記念して「全国盲学生雄弁大会」の名称で開催された。大会は戦争末期から一時中断。47(同22)年に復活。75(同50)年の第44回からは名称を「全国盲学校弁論大会」に変更。
大会の参加資格は盲学校に在籍する中学部以上の生徒。高等部には、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資格取得を目指す科があり、再起をかけて入学した中高年の中途視覚障害者も多く、幅広い年代の生徒が同じ土俵で競うのも特徴。
社会に発信する機会の少ない視覚障害者が、自らの考えを確かなものにし、その思いを社会に届ける場として伝統を刻んできた。出場者からは視覚障害者の間で活躍するリーダーが育っている。
新潟盲学校は地区予選を「関東甲信越地区」の枠で行う。
第77回全国盲学校弁論大会関東甲信越地区大会(同地区盲学校長会主催、毎日新聞社点字毎日部など後援)が6月13日、新潟市内で行われた。7都県9校から盲学校の生徒11人が参加。出場者は7分の持ち時間で、障害を抱える中で体験したエピソードを熱く語った。
審査の結果、東京都立八王子盲学校専攻科2年、北村浩太郎さん(36)が1位となり、県立新潟盲学校専攻科1年の佐藤成美さん(18)が2位に選ばれた。北村さんと佐藤さんは、10月に福島県で開かれる全国大会に出場する。
@@新聞の投書欄から ~新潟日報「窓」 2008年6月26日朝刊
元気もらった盲学校弁論大会
新潟市 熊木克治(67) 新潟大学名誉教授
先週、全国盲学校弁論大会の地区予選を聞く機会があった。
盲学校理療科で解剖学を教えているが、目が不自由な人と聞くだけで、何となく腰が引けたり、遠慮していたりする自分に気付き、その未熟さを嘆いている。 さわやかな語り口から、勇気と元気をもらったのは、実は私のほうだった。
障害を個人のマイナスとしてだけ捉えるのでなく、社会での広い相互理解の意識が大切と思う。いわゆる晴眼者といわれる私たちの方こそが、無知で認識不足であった。まさに「目からうろこが落ちる」貴重な体験であった。