報告 「学問のすすめ」第7回講演会
2012年6月13日

報告 「学問のすすめ」第7回講演会

 リサーチマインドを持った臨床家は、新しい医療を創造することができます。
難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。

 本講演会は、若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年2月より済生会新潟第二病院眼科が主催して細々と続けている企画です。
開催が地方病院の眼科であり、実際の参加者はあまり多くありません。
しかし情報は日本全国の700名を超す医師および医療関係者に直接メールで配信し、さらに幾つかのMLを介して全国の数千人以上の方に届いています。

 今回は、遺伝性網膜変性疾患のお仕事を精力的にされている中澤満先生(弘前大学眼科教授)と、iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療に意欲を燃やす高橋政代先生(理化学研究所)に講師をお願いし、若い人へのメッセージを添えて、先生方の取り
組んでこられた研究テーマを中心に、これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいという願いを込めて、これまでの学究生活を自叙伝風に語って頂きました。

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 「学問のすすめ」第7回講演会
     日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
     会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
     主催:済生会新潟第二病院 眼科 (共催なし)

  「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
      中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授) 
  「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
     高橋 政代 (理化学研究所)

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演題:「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
講師:中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)

【講演要約】
 遺伝性網膜変性の代表は何と言っても網膜色素変性である。網膜色素変性と言えば、今も昔も「進行性、原因不明、遺伝性、やがて失明の可能性もある。」ということに尽きる。
緑内障、糖尿病に次いで中途視覚障害の第3位、人口4000人に1人の有病率の疾患であるが、この病気の患者を診る時ほど眼科医としての無力感を感じることはないとも言える。
緑内障や糖尿病網膜症は早期発見、早期治療によって重篤化を防ぐことができる。
つまり人間の努力が報われる病気であるのに対して、網膜色素変性にはそれがない。
どんなに早期発見しようとも患者の予後には影響がない、そればかりか早期に病名を告知したばかりに却って眼科医が恨まれる事も時にはある。
結婚話や家族計画、就学就業にも深刻な影響をおよぼしてしまう。

 このような難病の少なくとも「原因不明」という部分が解明されれば、それを手掛かりに何らかの治療法のヒントが得られるかも知れない、とは誰でも考えることである。
私も1982年の秋から水野勝義教授の許可を得て、早坂征次先生の指導により酵素生化学的な研究の手ほどきを受け、さらに1985年から3年間米国のWinston Kao先生から分子生物学、とくに分子クローニングの基礎トレーニングを受けた。
その後、1989年からは玉井信教授の許可の下、東北大学眼科を拠点として網膜色素変性の患者の血液バンクを構築した。
しかし、この時点でも実際は暗中模索であった。

 時代の流れは誠に凄まじいもので、ちょうど留学中の1987年に今で言うポリメラーゼ連鎖反応(PCR法)が発明され、ヒトの遺伝子診断が格段に簡便になった。
そして1990年には早くも網膜色素変性の原因の1つがロドプシン遺伝子変異であることが明らかになった。
それまで、ありとあらゆる学問領域の研究者がそれぞれの方法で懸命にその原因を探ってきて果たせなかった研究課題があっさりと解明されたのである。
網膜色素変性の原因がロドプシン遺伝子変異であった事はコロンブスの卵のような出来事であったが、この発見は実は網膜色素変性の原因のほんのごく一部でしかなかった事も判明した。
そして、世の中は世界中の多くの研究者による熾烈な遺伝子解析競争によって、網膜色素変性とは実に多種様々な原因遺伝子異常をもつ極めて異質性の高い疾患群であることが分かってきたのである。
現在はアッシャー症候群、バーデット・ビードル症候群、セニョール・ローケン症候群やレーバー先天盲なども含めれば網膜色素変性の原因遺伝子ないし候補遺伝子は70種類を軽く超える。
しかも、これらの遺伝子の中には網膜色素変性以外にも各種黄斑ジストロフィや小口病などの原因となっているものもある。
臨床像と原因遺伝子の双方でのオーバーラップがある、というのがこの病気の特徴である。
幸運にも私もこの遺伝子解析競争の流れの中に身を委ねる機会に恵まれた1人でもあった。

 21世紀に入ると、多くの研究者の興味は網膜色素変性の治療法開発へと徐々にシフトした。
遺伝子解析から分かった事、それは一方で疾患の遺伝的多様性であるとともに、もう一方で視細胞の変性の共通メカニズムであるアポトーシスである。
現在世の中で進んでいる治療研究の視点は、いかにしてアポトーシスを止めるか、という点と視細胞アポトーシスが起きてしまってもいかにして代替手段を駆使するか、という2点に尽きる。
前者には遺伝子治療と視細胞保護療法、そして後者には再生医療と人工網膜がある。
私は弘前大学という研究の場を得て、視細胞保護療法の立場から網膜色素変性の治療法の開発という研究を進める機会に恵まれた。
視細胞保護による進行遅延にも十分な意義がある。
我々の研究チームのキーポイントは視細胞アポトーシスとカルシウムとの関係、そしてアポトーシスとカルパインとの関係である。
これらを手掛かりに視細胞アポトーシスの抑制が実現できれば、という思いで牛歩のごとき遅々とした歩みではあるが、目標に向かって駒を進めている。
講演ではこのうち、カルシウム拮抗薬ニルバジピンの動物実験での変性遅延効果の確認とそれに引き続いて行った単一施設ランダム化比較試験(Ib)の結果、カルパイン特異阻害を示すペプチド療法の実験的研究と点眼治療の可能性、そしてRPE65遺伝子異常マウスに対する9-シス-レチナールの実験的効果についてお示しした。

 最後に、これまでの網膜変性外来での経験から「網膜色素変性診療の勘どころ」と称して、眼科医と患者との間で生じやすい2つのギャップ、すなわち失明という言葉の語感に関する医師と患者との間のギャップと視野異常の検査上の結果と日常生活で患者が感じている体感視野とのギャップの問題について私なりの考えを示した。

 これまでの研究の歩みを振り返ってみると、自分自身の予想に反した結果ばかりに直面してきたことだと思う。
しかし、そこから認識が深まり、新しい視点が生まれたとも言える。
査読者とのやりとりは将にrefinementという言葉に尽きる。
これらの経験は確実に臨床実地にも栄養となっている。

【略暦】
 1980年 東北大学医学部卒業
 1980年 東北大学眼科研修医
 1982年 東北逓信病院(現:NTT東日本東北病院)眼科
 1982年 東北大学眼科
 1985年 米国シンシナティ大学眼科ポスドク
 1989年 東北大学眼科講師
 1995年 東北大学眼科助教授
 1998年 弘前大学眼科教授

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演題:「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
講師:高橋 政代 (理化学研究所)

【講演要約】
 卒業以来25年余り、臨床と研究と軸足を置き換えながら、それでもずっとどちらからも離れることなく続けてきた。
5年前に京都大学から理化学研究所に移ってからは臨床は週2回の網膜変性疾患専門外来のみになったが、治療開発である我々の研究のためには臨床を離れて研究だけになってしまってはいけないと考えていた。基礎研究は重要であるが、それだけでは治療はできない。
治療という出口を知る臨床医が応用研究をすることは重要なことである。

 網膜再生医療研究の始まりは、1996年にアメリカサンディエゴのソーク研究所の脳研究で有名なGage研究室に留学した時であった。
その際にまだ概念も定まっていなかった神経幹細胞の研究に出会った。
いくつかの分野の境界領域で新しいものは生まれやすい。
眼科医が脳神経研究という分野に飛び込み、神経幹細胞という概念にふれたことで、幹細胞による網膜再生(=網膜細胞移植)という新しい治療研究が芽生えた。
それは神経幹細胞に出会った眼科医であれば誰でも考えつくことであった。

 神経幹細胞を使えば網膜の難病が治療できると意気揚々と留学から帰って研究を続けたが、そう簡単ではなかった。
様々な幹細胞を検討したが一長一短があり、2000年代初めからはES細胞の研究に移行した。
ES細胞から網膜の治療に必要な網膜色素上皮細胞や視細胞が作れることを発表し、ES細胞から作った網膜色素上皮細胞は網膜治療に使えることを初めて示していた。
しかし、網膜色素上皮細胞は他人の細胞の移植では拒絶反応を起こすことが胎児細胞移植で知られており、網膜の病気のために免疫抑制剤を用いて身体を危険にさらすことには躊躇を覚えた。
また、日本ではES細胞は臨床には使えないという声が多く聞かれた。
まごまごしているうちに、アメリカの企業はそんなことはお構いなしに免疫抑制剤を用いてES細胞由来網膜色素上皮細胞の臨床試験を着々と準備しているという情報が入り愕然とした。
その頃、京都大学の山中先生によってiPS細胞が発明されたのである。
iPS細胞は大人の皮膚細胞からES細胞と同じ性質の細胞が作れるので、患者さんの皮膚からiPS細胞を作り、さらに網膜細胞にすれば拒絶反応のない自分の細胞を移植できる。
これで完成だと思った。

 そこから、研究レベルであった細胞の作り方などを大急ぎで臨床レベルの品質に作り上げ、できた細胞の安全性や品質を完璧に確認して、iPS細胞が発明されてから5年で臨床を考えられるところまで漕ぎつけた。
これには、iPS細胞の力、魅力によって産官学の多くの方々の協力が得られたことが大きい。
当初、日本の場合は厚労省の規制が最も難関と考えていたが、それも指針などがどんどん改訂されて、iPS細胞を用いた治療が行えるように先回りして整備されて行っている状態である。
むしろ基礎科学者や新しい治療開発に慣れていない眼科医の先生方の方が(必要以上に)厳しいと感じている。

 再生医療(=細胞治療)は従来の治療とはまったく異なるものである。むしろ手術と同じで、最初から完成されて効果も一定なわけではなく、開始されてから、年月を経て徐々に改良され効果が大きくなる治療である。
白内障手術は20年前と現在で大きく改良され、今やかなり完成された安全で効果的な治療となっている。
網膜細胞移植も最初は重症の方から開始して効果もさほど大きくないであろうが、20年後には安全な一般的な治療になっていると想像する。

 15年前、網膜再生治療の話しをすると「網膜再生は無理だ」という声を聞いた。
ES細胞研究では「ES細胞は倫理的にも問題があり臨床では使えない」と言われ、iPS細胞研究で臨床の話をすると「iPS細胞はまだまだ危険だから治療を考えてはいけない」と言われていた。
臨床研究が視野に入って来た今、5名の患者さんだけで安全性を確認する臨床研究がゴールではなく、一般治療にするための治験、産業化ということが必要であることがはっきりと見えてきた。
「まだ産業化など考える時期ではない」と言われる人も多いが、今までの経験から何事も考えるのに早すぎるということはないと思っている。 

 20世紀は物理学が世界を変えた時代であったが、21世紀はライフサイエンスの時代と言われる。
眼科医は眼科という非常に専門的な分野を熟知している貴重な人材なのである。
その強みを生かした研究に若い人達も挑戦してみてほしいと願っている。


【略暦】
 1986年  京都大学医学部卒業
 1986年    京都大学付属病院眼科勤務
 1988年    京都大学大学院医学研究科博士課程入学 
 1992年   京都大学医学部眼科助手
 1996-97年 米国ソーク研究所研究員
 2001年    京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
 2006年   理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 
      網膜再生医療研究チーム チームリーダー


【中澤満先生の講演に対する参加者からの感想】  到着順
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(眼科医;大学勤務、東北地方)
 私は中澤先生がアメリカから帰国され、何もない実験室に遺伝子解析のシステムを作り上げ、網膜色素変性の患者さんの解析を開始し、日本の第一人者になりアレスチン遺伝子の解析でNatureに報告された流れを目の当たりにしており、今回のお話しは治療にまで言及されるお話しで先生の臨床・研究に対する歴史とその流れを改めて理解でき、たいへん素晴らしい御講演だったと思います。
中澤先生は、いつどんなことを聞いても一瞬で相手を理解しわかりやすく説明してくれるのですが、今回の話も非常に分かりやすいもので、改めて中澤先生の偉大さを感じました。
 講演で検査上の視野と体感的視野についてお話しをされましたが、このことば自体も中澤先生が話をわかりやすくする独特の方法だと思います。
言葉だけでも話の内容が理解できます。
 ニルバジピンはいわゆるDrug reprofiling strategyの1つとして積極的に世の中に御報告されて、網膜色素変性の治療の選択肢にいれていただきたいと思いました。
すごくいい仕事だと思います。

(眼科医;開業、宮城県)
 ご講演を拝聴し、RPの遺伝子、臨床像との関連について しばらくぶりに自分自身の知識をアップデートさせていただきました。
また、アダプチノール内服のエビデンスを示した論文が発表されているのを教えていただきましたので、早速、患者さんとの会話に役立てています。
もう一つ、日頃から何となく感じていた、1)「失明」という言葉に対する患者さんと眼科医の感じ方のギャップ、2)検査結果としての「視野」と患者さんが「見えている範囲」のギャップについて、わかりやすく整理して教えていただきましたので、「のどの奥につっかえていた」ものがすっきりしました。
ありがとうございました。

(眼科医;大学勤務、東北地方)
 ニバジールが効きそうなのには、ちょっと驚きました。
たしかに、色素変性の患者に出会うたびに「治りません、失明する事があります」と言っているよりは、「研究している人がいるんだよ」と言えるだけでこの会に参加してよかったと思います。
中澤先生のお話は、翌日の外来から使えそうな話でとってもためになりました。

(眼科医;病院勤務、香川県)
 長年研究をされてきた中澤先生と高橋先生のお話は厚く深く、さらに人生観までもが織り込まれたすばらしいものでした。
自分がもう少し若い時に拝聴させていただいていれば人生変わったかも・・?!と感じた程でした。
 中澤先生のご講演では、遺伝性網膜疾患の治療研究についてはもちろんですが、医師・患者間での「失明」の語感ギャップから体感視野に至るまで、大変勉強になりました。
「失明」については最近外来を受診された盲ろうの方の言葉が頭をよぎりました。
「ここ2.3年で大分見えにくくなった。いずれ光もわからなくなるのですか?」と筆談されました。
「少しずつ見えにくくなるかもしれませんが、光がわからなくなることはないですよ。」とお伝えすると少し安心した様子でした。
前日のロービジョン研究会の告知の話題と共通点があり、中澤先生のご講演を大変興味深く拝聴させていただきました。

(当事者、新潟県)
 「学問のすすめ」講演会には、初めて参加いたしましたが、両先生の、難しいお話をわかりやすく話していただき、大変勉強になりました。
講師先生方、参加医師の質疑応答を、拝聴し、先生方の熱意に、感動しております。

(教育研究者;大学勤務、茨城県)
 医療関係者対象の講演会にもかかわらず,参加させていただきありがとうございました。
本学の学生にも網膜色素変性が最近多く,よく再生医療の進捗について話題になります。
加齢黄斑変性症に対する臨床研究が始まるようで,先は長いでしょうが明るい話題です。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 今までは原因遺伝子が分からなかったことがPCRの発達によりロドプシン遺伝子の突然変異が原因だったことがわかったことから、一つ一つの積み重ねが病気の原因の発覚に繋がり新薬への開発に繋がると思いました。
このようなことから、研究がいかに治療に対して大切なものなのかを感じることができました。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 ロドプシン遺伝子の点突然変異により色変になるということ、色変の原因遺伝子が70種類以上あること等、大変勉強になりました。
アミノ酸配列コードにおけるミスマッチでこのような病気が起きてしまう悲しい現実が垣間見えました。
ただ、そのような状況の中で、ニルバジピン投与で有意差ありという明るいデータは大変興味深かったです。
他にもサプリメント(ルテインや9-cisレチナール)も効果が高そうなので保険適応等になればよいなと思いました。
Filling in機能は眼から鱗でした。
本当に勉強になりました。
ありがとうございました。

(眼科医;開業、新潟市)
 講演くださった先生方も一流の演者で、有名ミュージシャンのライブにいるような感覚で講演を拝聴しておりました。
自分も若い時にこのような面白い講演を聞いていたら違った道もあったのかな、などとありもしないことを考えてしまいました。
それにしても日曜日の朝一番から演者の先生はじめ、参加者も福島、仙台など遠方から沢山いらっしゃるんですね。
新潟の先生達ももっといらっしゃるのかと思いましたがそれほどでもなく、何か勿体ない気がしました。
同じ講演会でもこのような素晴らしい講演会であれば有料でも拝聴したいです。

(当事者、京都市)
 お二人の先生の講演を聴きながら、ここまで来たのだとの思いであった。
私が当事者としてJRPSに参加した頃は網膜色素変性に対する治療法についての研究はまだまだであった。
会員と共に、孫の時代には治療法の確立をしようと誓い合い、総会で研究助成金を創設した。
お二人の先生にも研究助成金を受賞していただいている。
これからの10年に期待が持てると感じた。

(眼科医;大学勤務、岡山県)
 長年に亘る地道なご研究に心洗われる思いがしました。
遺伝子の異常部位の違いによる薬への反応の差がよくわかり、情報を正しく分析、理解しないといけないなあ、と思いました。
新しい治療薬の研究が進み、患者さんに朗報がもたらされる日が近い気がいたしました。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 遺伝子治療が、まだ海のものとも山のものとも分からない時代に、研究を開始された先生の先見の明に改めて感心しました。
ニルバジピンは効果ありそうでした。
カルパイン阻害による新規ペプチド創薬、点眼のお話、期待です。
9cisレチナール、期待できそうでした。
 そして「失明」についてのコメント。
確かに宣告された途端に明日から急に見えなくなることを心配する患者が多いこと実感しています。
また検査での視野と体感視野、その通りです。
医師と患者の受け止め方にギャップを感じます。
いろいろ教えていただき、ありがとうございました。


【高橋政代先生の講演に対する参加者からの感想】  到着順
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(眼科医;大学勤務、東北地方)
 バリバリの最先端のお話しでした。
先生の研究への思いをうかがったのは初めてのような気がします。
講演会の趣旨に答えた素晴らしい話でした。
まず基礎の研究者と患者さんをみている研究者の研究成果の理解ですが、これはベクトルの違いでお話しをされました。
ベクトルは基礎研究者は確かに深く掘り下げられ大切ですが、応用研究は研究成果のベクトルの方向が患者さんに向かいます。
もうひとつ、患者さんを診ている研究者は目標が決してぶれません。
患者さんの方向にベクトルが向かいます。
いままでぼんやりと理解していたことをはっきりわかりやすく表現されてまさに目からうろこ、という感じでした。
もっと若い臨床医師に聞いてもらいたかった内容です。
 個人的には薬事法に規制された状態で前例のない治療法開発をどのようにすすめているのかもう少し確認したかったところがありますが、日本のいいところとして医師法の存在のお話しを聞けたのはよかったです。
 21世紀はバイオロジー、ライフサイエンスの時代というお話しをされました。
私もそのようになってほしいと思います。

(薬品メーカー;薬品開発、東京)
 QOLを大きく低下させるであろう失明のリスクの多い網膜疾患に対して、基礎研究から臨床研究、さらには、治験を経て医療用市販製剤にまで育てる事により、多くの患者さんに大きな希望を与えたいという先生方の強い意志を感じる事の出来る2つのご講演でした。
 その一方、国やそれに準ずる機関からの大きくてタイムリーな支援が、この日本ではまだまだ不足しているのではないかと思いました。

(眼科医;開業、宮城県)
 講演会直後の12日には「iPS細胞を用いた加齢黄斑変性の治療」、さらに数日後には「iPS細胞を用いたRPの治療」のニュースが全国を駆け巡りました。
 ネイチャーの論文でさえも「疑い」、患者さんのために治療法の確立を「信じて」臨床と研究の両面から走り続けていたということを会場の近い距離でうかがい、鳥肌が立つような感動でした。
私が生きているうちに、治療への道筋が見えればと思っていましたが、近い将来、高橋先生を中心とした日本の臨床研究から 世界中の患者さんのための治療法が確立されることを確信しました。
ありがとうございました。
引き続き、よろしくお願いします。

(眼科医;大学勤務、東北地方)
 再生医療のお話は未来があってとても興味深かったです。
しかももう治験が始まりそうという事なので、もうがんばってください以外の言葉が見つかりません。
またお話で出てきた、無駄な事はない、やってれば誰かがパスを出してくれるという話は、今現在がんばっているみんなの心を打つ話でした。
もちろんそんな簡単な事では無いでしょうが、高橋先生の言葉にはとても説得力があり騙されたと思って頑張ろうかなという気にさせられました。

(眼科医;病院勤務、香川県)
 ご講演で印象的だったのは、「どんなしょうもない仕事でもそこに意味を見出してやっていく、それが大切です。」「走っていればパスがくる。走り続けることが大切。」というお言葉です。
「患者さんと約束したから、研究をやめられない」というお言葉はとても以外で、高橋先生の決意の強さを改めて感じました。
今や再生医療は脚光を浴び花形というイメージがありましたが、その反面走り続けなければならないという重圧もあるんだなと感じました。
私もそろそろ医師になって折り返し地点にさしかかりますが、今回の講演会を出発点に新たな放物線を描きたいと思います。
ありがとうございました。

(薬品メーカー、新潟市)
 EUでは希少疾病の治験が眼科で32グループあり、そのうち17グループが網膜色素変性症の治験を行っていると仰られてました。
いかに網膜色素変性症が世界で注目され、世界で求めている薬剤であるかを知ることができました。
また、イギリスではヒトES細胞をマウスへの移植に成功していることから治療薬の完成に少しづつ近づいてきていると感じました。

(薬品メーカー、新潟市)
 医師と基礎研究という二足の草鞋で活躍されている高橋先生の講演は臨眼学会か何かで講演があったと伺いましたが、貴重な講演が聞けてよかったです。
エビデンスがあったとしてもそれを疑う姿勢がすごいと思いました。
また、PMDAとの交渉でのことも驚きました。
製薬会社では、PMDAより何度何度も細かく指摘されるという状況なので、本当に最先端の研究をされているのだなと驚愕の連続でした。
アメリカは基礎から応用の流れがありますが、日本ではそのようなことがないという現状を知ることができましたし、実用のメド(脈絡膜シートで移植等)が見えてきたということも明るい兆しではないかと思いました。

(当事者、長野県)
 私にとっては懐かしい、あの分子構造、本当に勉強した気分になりました。
前日の小沢先生のお話と併せて、高橋先生の再生医療のお話は、医学の進歩が実感でき、眼科については特に期待が大きくふくらみました。
 2,3日後、高橋先生の再生医療学会での発表があちこちの報道で取り上げられていましたが、私たちは報道より早く、直接お聞きでき、幸運でした。
臨床実験の結果の報告が待ち遠しいです。
将来私にも適用可能かもしれませんので。

(眼科医;大学勤務、岡山県)
 高橋先生の「歩み」を聞かせていただき、まずはそのことに感動しました。
先生の人生にもよい出会いがたくさんおありだったようですが、先生の積極性と不屈の精神がそれを支えたのだと思いました。
また、「人の論文(研究)は疑ってかかれ」という京大魂をお聞きして、「さすがだなあ」と思いました。
臨床も研究も、とアグレッシブな先生の情熱が非常に魅力的でした。

(当事者、新潟市)
 長年網膜色素変性で苦しんできた多くの患者(私も含めて)に一日も早く治療法を確立させたいという熱い情熱と感動と勇気を与えていただきました。
日本にはこんな素晴らしい先生方が日々、壁にぶつかることが沢山あっても、あきらめることなく困難に立ち向かってチームで協力し合いながら「患者さんのために」という気持ちで取り組んでいらっしゃるということがとてもよく伝わってきました。
「今できることの最善策を行っていく」そして、QOLを高めいつの日にか治療が行えるようになる日を期待して生きていけたらと思っています。
それまで、全身の健康状態を良好に保ちながら今の視機能を大切にしていけたらと思っています。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 講演は、臨床医にどうして研究が必要か?という本会の核心のテーマから始まりました。
基礎研究者には、実用化のベクトルがないこと。臨床医は患者のためということからブレルことがない。
ただし10年で目途をつける。
 (京大式)科学的考え方とは、「疑う心」(この論文本当か?多面的見方)・「信じる心・あきためない心」(戦略)。
大学院に入ったが、指導医がいなくなったのでテーマ探しが辛かったが振り返って考えてみると、その時の苦労はとても意義があった。
 「日本発の治療を!」「患者さんとの約束が支え」、、、、、「走っているとパスが来る」、先生がバスケットボールの選手だったことを知り、なるほどと一人で感心していました。
凡人は走る方向やタイミングが悪い。
そこが一流のプレーヤーとの違いなんでしょうね、きっと。
多くの研修医や若手医師に伝えたい講演でした。