報告:『新潟ロービジョン研究会2012』 (3)「告知」
2012年6月10日

『新潟ロービジョン研究会2012』 (3)「告知」
 基調講演2 
  演題:「明日へつながる告知」
  講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

【講演要旨】
1)はじめに
 病名または障害名の告知は、患者にとっても医師にとっても、辛いものである。そもそも疾患や障害には、1)苦痛や経済、社会的不利益 2)将来像の変更と未知の今後への不安 3)潜在する偏見や拒否感などが内在し、告知はその現実に向き合わせる事でもある。告知アンケート調査などでも「とても絶望させられた」「受け入れられない」など悲観的な感想が並ぶ。また、重大な説明も充分に時間がかけられず行われている事実もある。この状況の中で半数以上の患者が告知に対する不満をもっている。しかし、その不満の大部分は配慮不足、説明不足、差別的態度等であり、私たち医療従事者の伝え方を振り返ってみる必要がある。一方、気持ちが立ち直るきっかけをみると、親の会を含む当事者同士の支え合いが大部分をしめる。こういった事実から、明日につながる告知とは、単に病状や障害の現状の理解をすすめるだけでなく、寄り添う気持ちや福祉情報など幅広い視点が必要と思われる。 

2)福岡市の取り組み
 福岡市では小児神経科、新生児科、保健福祉センターなどとのネットワークの元に、療育センターで最終的な障害の認定、療育の提供、家族支援を実施。小児科医と臨床心理士、ケースワーカーなど多職種のカンファレンスのもとに障害告知を行っている。そこでは、家族の精神的不安やサポート体制などに考慮しながら説明し、あわせて患者の会をはじめとする情報提供を実施している。また、より正確な告知によって適切な教育への選択につなげるために、障害児施設の巡回小児科診察会を実施している。 

  そこで私が心がけていることは、①診断を伝える際にはなるべくご家族で来ていただく、②家庭環境や精神的状況を把握しておく、③伝える場面ではわかりやすい説明につとめ根拠となる検査も示す 、④診断が確定していない場合でも、考えられる可能性を伝える、⑤一度で多くを伝えるのではなく、困難な場合には数回に分けて伝える、⑥今後に向けての実際的な情報(合併症や起こうるトラブル、当事者や親の会などの情報)もあわせて伝える、⑦本人、家族の心情にも心を配る事などである。患者の立場からも、「的確に伝えて欲しい」「将来の見通しや具体的情報が欲しい」との要望もあり、これらは医師の役割と考えている。 

3)伝えたいメッセージ
 私自身22年前、息子が3歳の時に視力障害の事実を病院で告知された。そのときは家族の今後の生活、息子の将来への不安、悲しみなど様々な感情が入り交じり、涙をこらえることができなかった。視界不良のまま運転し、息子を助手席に載せたまま、追突事故を起こしてしまった。告知のもたらす衝撃は覚悟してはいたものの、想像以上に大きかった。しかし、その後訓練を開始し、支えてくれる人、優しい人、困難を乗り越えた人々と多くの出会いがあり、人生を豊かにする歌や書籍があった。 

 告知が新たな人生の扉を開けたのだと思う。そういった経験をした一人の人間として、かつ一人の専門的な職業の人間として、また目の前にいる人の困難な局面に、偶然にも出会った人として、伝えたいメッセージを添えるようにしている。それは、「病気や障害があっても、そこに一つの人生があり、意味がある。今の一つ一つの積み重ねは、次につながっていき、困難に応じた成長がある。そして決して一人ではないということ、新たな出会いがきっとあるということ」である。 

 これは、私が一人の視覚障害児を育てた中で経験した事柄でもあり、現在の仕事を通じて、当初弱々しく立ち直れるか心配された保護者が、時間を重ね逞しく幅広い価値観をもった親へと変化していくことを目の当たりにしている実感から得たものでもある。そして、告知をスタートに、この困難を越えていってくれることを心から願っている。 

4)最後に
 私が勤務しているあゆみ学園では、ご家族に向けて少しでも心の支えとなるものを発信したいと思い、心温まるエピソードや励まされる歌詞や文章を綴り、「ゆいゆい(結い結い)メッセージ」としてお届けしている。その中から私が強く感銘を受け、利用者に紹介している二つの詩をご紹介したい。 

 「サフラン~悲しみの意味  冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があって一つの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって私がわたしになっていく ―星野 富弘―」 

 「つよさ  つよいってことはまけないことじゃない つよいってことはなかないことじゃない つよいってことはまけてもあきらめないこと つよいってことはないてもまたわらえること ―濵津 息吹-」 

 「告知」は診断や症状、今後の見通しなどの情報の伝達である。そこから一歩進んだ「明日につながる告知」とは、「目前の人が現実を直視し、新たな夢や希望を紡ぎ、着実な明日への一歩を刻んでいってくれることを心から願う気持ち」から自ずと生まれるものかもしれない。 

【略歴】
 1983年 島根医科大学(現島根大学医学部)卒業
       九州大学病院 小児科勤務
 1984年 福岡市立こども病院勤務
 1985年 東国東地域広域国保総合病院 小児科勤務
 1986年 福岡市立子ども病院勤務
 1987年 長男(視覚障害児)出産を機に育児・療育に専念
 1994年 福岡市立心身障害福祉センター 小児科に復職
 2002年 福岡市立肢体不自由児通園施設あゆみ学園 園長就任 

児童精神神経学会認定医、小児科医会認定「こどものこころの相談医」、福岡市児童発達支援センター指導医、福岡市就学相談委員、福岡市特別支援教育サポーター委員、特別支援教育放課後対策支援事業相談委員 

【後 記】
 小児科医で福岡市立肢体不自由児通園施設あゆみ学園園長の小川弓子先生による告知とは何か、事実を受け入れ、かつ、病や障害と折り合いながら生きるための告知とはどういうものか、どうすればよい告知になるのかを、ダウン症患者アンケートや福岡市における障害告知の状況を示しながら、小川先生ご自身の経験も交えてご講演いただきました。

 「告知が新しいスタートになるように」、これですね!! 患者の不満の一つは、医療者の態度です。反省もありますが、医者は打たれ強いことも必要かもしれません。告知した後のケアが大事、未受容の期間は長い、前向き・現実的対応を、家族を支える、「はっきり、素直に、曖昧でなく」、説明は同情や気休めでなく、「あなたは、大切な一人の人、決して一人でない、どんな人生にも価値がある」、「生まれてきて、おめでとう!!」。経験から発した言葉には、重みがありました。

 

 

シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』  座長報告
  座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)
   竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
    「こんな告知をしてほしい」
   守本 典子 (眼科医:岡山大学)
    「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
   園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
    「家族からの告知~環境と時期~」
  コメンテーター
   小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長) 

 無責任な「告知」は患者さんに深刻な悪影響を与えます。にも関わらず、眼科医が網膜色素変性の患者さんに対して治療法がない、遺伝性である、進行性で失明する可能性があるの「3点セット」と揶揄されている安易な告知を行っている例が未だに散見されます。外来の3分診療の中、突然このような「告知」をされたら患者さんはたまりません。ショックと混乱で絶望してしまいかねないのです。

 本症の告知に関しては、これまでにも1)「眼科医にとってロービジョン対策以前の課題である(安達恵美子)」、2)「提供するデータを研究するのみではなく、得られた医学情報の伝達方法についても検討し、医療技術の一部として教育や研鑽に努める必要がある(岩田文乃)」などの考察がありましたが、臨床の現場に浸透しているといえる状態ではなく、眼科医の人間性も重要ですがそれだけでは不十分な気がしていました。

 シンポジウムの前には、障害児・障害を持つ親に寄り添いながら、よりよい告知のためのシステム作りに情熱を傾けていらっしゃる小川弓子先生の基調講演がありました。小川先生は、「医師は自分自身の人間性を振り返り日々研鑽が求められる」ともおっしゃられていました。 

シンポジウムでは3人のシンポジストにご講演いただきました。

1.当事者である竹熊さんは、16歳のときに自分と母親が別々に告知を受けたこと。自分に対する告知は見えにくくなることを差し迫ったものと感じさせない配慮があったが、母親は「3点セット」の告知を受けたと思われ、その後の嘆きが深かったこと。親の気持ちを慮るあまり、視覚障害者として生きていく選択ができなかったこと。今では三療の仕事に大きなやりがいを感じているが、ここまでくるのに25年もかかったことを話されました。人生の早い時期に告知されたが、病気の進行の予測がつかないために人生設計が難しかった面もあり、可能なら「何年後に視力が0.1くらいになる」といった予測を伝えてもらえると役にたつと思うと話されました。 

2.眼科医である守本先生は、希望に繋がるプラスの情報を多く示すことでショックを最小限に抑え、できるだけ平常心を保てる告知を目標とし、そのために心がけるポイントを話されました。治療法がない→治療に通わなくていい、進行性→事前に教わってゆっくり準備できる、遺伝性→誰のせいでもないなど、言い方を工夫する。光、栄養、規則正しい生活などで行動を制限しない(逆は過去の行為を後悔して苦しみかねない)。QOLの高い視覚障害者の生活を伝える。患者交流会なども知らせ、告知から生じがちな孤独感の軽減を図る。話しやすい主治医と思ってもらい、以後も質問に応じられることを伝えておく、などでした。 

3.20歳を過ぎたころに同病の父親から告知を受けた経験を持つ園さんは、JRPS主催の医療相談会で、我が子や、孫に遺伝しているかを気にした質問が多いことから、無症状の子供に診断を受けさせることの是非について発言されました。親が同病であるがゆえに子供がどうであるかを知るために眼科を受診する例が多いこと。小児期に診断を受けることでその後の人生において結婚や障害年金申請などさまざまな局面で不利益をこうむる可能性があることを知っておくべきであること。親の納得のためだけに診断を求めてはならないこと。一方、医師は、無症状の子供の診断を求める患者に対して、事前にこうした問題があることを助言することも必要なのではないかとも話されました。 

 3人のご講演の後に、意見交換を行ったところ、多くの真剣な発言がありました。視点ごとに発言を整理してみました。

【告知のショック】
・3点セットの告知はやはりショックが大きかった。しかし告知自体は受けて良かった。告知があったことで情報を得ようと努力することができた。:当事者
・告知はショックだったが、大手術の直後にRPの告知をすることは心の負担を増やすことになると考えて避けてくれた初診医の配慮が有り難くその後ずっと自分の心を奮い立たせるバネになっている。:当事者
・昔、友人が眼疾患の告知後に自殺した。告知と同時に前向きな情報が知らされていれば友人は死ななくてすんだはずだと思う。患者が残りの才能で何ができるか、を考えた上での告知が必要なのではないか。:眼科医 

【告知すべきかどうか】
・情報は患者のものである。:当事者・眼科医 双方から
・告知の職責が医師にはある。:眼科医
・告知をするかどうかでなく、どのように伝えるかが大事ではないか。:眼科医 

【告知の時期】
・確定診断がついた時点での告知が長期的にみて医師・患者双方にとってベストである。:当事者(支援者)
・思春期の告知は難しい面がある。親の対応についても助言が必要。:当事者・眼科医 双方から 

【遺伝の情報について】
・いろいろ考えたが、子供を産んでよかった。:当事者
・子供を産むかどうかの選択は正しい情報を持ったうえでおこなうべきで告知は必要。:当事者
・遺伝子異常は誰でもかならず持っているものであることは伝えたほうが良い。:眼科医
・遺伝の問題はデリケートであり、きちんとした相談のできるところに紹介したほうがよい。:眼科医 

【どのように伝えるべきか】
・3点セットがダメなのははっきりしている。:眼科医
・あいまいにしていることで次の段階へのスタートが切れない人がいる。:当事者(支援者)
・マイナスのコメントがすごい生活制限に繋がってしまう。:眼科医
・眼科医として、将来の夢を一緒に考えてゆく姿勢が必要。:眼科医
・障害があったらどうしたらよいかという情報が今はたくさんある。見えなくなっても一生読み書きできる。こういった情報を一緒に伝えるべき。:眼科医 

「少なくとも医師も告知について悩んでいるということを患者さんにわかって頂けたことは収穫であろう(眼科医)」というコメントもありました。今回のシンポジウムだけで結論の出るような問題ではありませんが、当事者、眼科医がそれぞれの意見をお互いに共有できた、非常に良い機会になりました。
 

【後 記】
 フロアーから、「告知をするかどうかでなく、どのように伝えるかが大事ではないか」、「医療者側には、遺伝カウンセリングの知識が必要」、「ピア・カウンセリングは効果あり」というコメントを頂きました。このシンポジウムは結論のないものだと思いますが、私は少なくても医師も告知について悩んでいるということを患者さんにわかって頂けたことは収穫かなと考えます。また患者さんばかりでなく、ストレスの多い医師に対するケアも必要と感じました。