報告:シンポジウム「患者さん・家族が語る、病の重さ」 (その2)
2011年12月3日

 第17回日本糖尿病眼学会 (2011年12月3日)
 シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
 (東京国際フォーラム ホールB7-1)
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S-2.「母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに」
   小川 弓子 (福岡市立あゆみ学園 園長 小児科医) 

【講演要旨】
 平成18年5月に1冊の本が出版されました。「視力3cm~それでも僕は東大に~」という本です。視力および色覚に障害をもつ私の長男 明浩が成人を機に出版した本です。抜粋を紹介します。「弱視であるがゆえに、これから進んでいく道のりを見失ったり、道幅がよく見えずにはみ出てしまったりすることも多々あるでしょう。それでも、みんなのおかげで、きっと私は頑張れます。今の私を作ってくれた、すべての人たち、これまで私を育ててくれてありがとう。私を誇りに思ってくれてありがとう。私を支えてくれてありがとう。私のそばにいてくれてありがとう。私は元気です。これからも頑張って生きていきます。そのための力をくれたこと、ほんとうにありがとう」 

 私は書店でこの本を手に取った時、涙でほとんど読み進めることができませんでした。私はけっしていい親でも、りっぱな親でもなかった。仕事を最優先にして、早産。その後の子育てでも、障害のある子どもと向き合えず、子どもに対する期待、見栄、そして現実を受け入れる勇気、忍耐等々自分自身の気持ちと闘うのに必死だった未熟な弱い親でした。ただただ目が悪くとも「見せてあげたい」「経験させてあげたい」「いきいきと生きて欲しい」「人生の楽しみを知って欲しい」という必死の思いだけで療育を開始していきました。単眼鏡、ルーペなどの補装具訓練、そして知識を補うための膨大な本と拡大作業、ピアノ、折り紙、切り絵、字の練習。いいと思うものを息子に与えようとする私の気持ちは、もしかすると空回りもし、子どもにとって負担だったかもしれない。きっと辛いこと、悔しいこともいっぱいだったに違いない。そんな私の手探りの子育てだったのに、息子が自分を卑下せず感謝の気持ちを持って成人となったことは、有り難く、また多くの支えてくれた人たちのお陰と感謝の気持ちで一杯です。 

 「身体が悪くとも立派に生きている人間はおる、そのように育てればいい」といった祖父。「私が代わってでも育てちゃる」といった祖母。「障害があることと幸せ、不幸せは全く別のことです」と諭してくれたカウンセラー。「あなたの必死さが通じないはずはない」と励ましてくれた友人。「変えられるものを変えていく勇気と、変えられないものを受け入れていく冷静さと、そしてそれを見分けられる知恵を私にください」「親はこどもと代われないが最高の応援団にはなれる」「生きるとは運命を引き受けること」「笑顔があればきっと大丈夫」といった本や歌の中の言葉達。そして「明浩の人生は明浩のものだが、明浩だけのものではない、家族みんなで支えていく」といった主人。障害に遭遇したけれど、これらの多くの人の励ましや人生を生きるメッセージに私たちは出会い、力をもらいました。人は弱い、けれど支えがあれば強く大きく変わっていくこともできると、心から思います。 

 今、息子は1人の社会人として大都会東京で、将来の夢をかけてITベンチャー企業を起こしています。就職に際して「僕は目が悪いから、どんなに立派な会社のビルか、どれほど会社のロゴマークが社会にあふれているか見えない。僕にとって大事なのは、握手してくれる温かい手、肩をたたき一緒にやろうと言ってくれる誠実な言葉、気持ち。この価値観を作ってくれたのは生まれたときからつきあってきたこの視力だよ。」といってこの選択をしました。なまじ目が見える私は立派な物、大きな物、きれいな物に心惹かれますが、視覚障害の息子は本質をのみ見つめて生きて行こうとしているようです。そこには視覚障害があるからこその豊かな価値観があるのかもしれません。 

 「辛い」という言葉があります。この言葉は驚くほど「幸せ」という言葉に似ているとある本に書いてありました。もしかすると辛いことのすぐ傍に幸せはあるのかもしれません。辛いからこそほんの小さなことに喜びを感じたり、感謝の気持ちが生まれたりもするでしょう。辛いからこそ寄り添ってくれる人、励ましてくれる人、心配してくれる人の優しさが身に染みることもあるでしょう。そして、その人々の支え合い、生まれた絆こそが幸せに導くのかもしれません。 

 この文章を目にされた方々の中の一人でも、障害や病気など困難を抱える人の「辛い」状況にも小さな「幸せ」を感じられるように支えとなってくださることを祈りながら、筆を置きます。 

【略 歴】
 1983年 島根医科大学(現島根大学医学部)卒業
      九州大学医学部付属病院 小児科勤務
 1984年 福岡市立こども病院勤務
 1985年 東国東地域広域国保総合病院 小児科勤務
 1986年 福岡市立子ども病院勤務
 1987年 長男(視覚障害児)出産を機に育児・療育に専念
 1994年 福岡市立心身障害福祉センター 小児科に復職
 2002年 福岡市立肢体不自由児通園施設あゆみ学園 園長就任
     現在に至る

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「TEAM 2011」3学会合同スリーサム
日本糖尿病眼学会シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
(2011年12月3日16:30~18:00:東京国際フォーラム ホールB7-1)
 オーガナイザー:
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター
      東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
  S-1 1型糖尿病とともに歩んだ34年
    南 昌江 (南昌江内科クリニック)
  S-2 母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに
   小川 弓子(福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園園長;小児科医)
  S-3 ベーチェット病による中途視覚障害の親を通して学んだこと
   西田 朋美 (国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)
  S-4 夫と登る、高次脳機能障害というエベレスト
   立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科)
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