報告:第183回(11‐05月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 清水美知子
2011年5月19日

 演題:「初めての道を歩く」
 講師:清水美知子 (歩行訓練士;埼玉県)
  日時:平成23年5月18日(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要旨】
 「道」という語には、「人が歩く空間」と「ある地点とある地点を結ぶ道筋(経路、ルート)」の意味がある。ここでは街の中の道と経路について考える。日常生活で「初めての道」に遭遇する状況には、行ったことのない場所へ行く時、初めて来た場所から家へ戻る時、引っ越しや転勤等で生活環境が変わる時、そして少し状況が異なるが、道に迷った時などがある。しかしほとんどの場合、外出の起点と終点は自宅のため、「初めての道」も、その始まりと終わりは「よく知った道」といえる。 

[道をたどる] 
 街の中の道(歩道あるいは路側帯)は縁石、柵、白線などで車道と民地から区分され、視覚的に明瞭である。晴眼者は、現地に立てば道の境界や延びる方向を一目で認識でき、いわゆる“けものみち”と違い、道そのものをたどることは容易である。しかし、視機能が低下すると知覚できる空間は狭まり、例えば杖を第一次歩行補助具として歩く場合、聴覚や嗅覚によって得られる情報以外で、知覚できる空間は杖の届く周囲数メートルの範囲である。初めての道で、幅、車道や民地との境界、方向等を知るためには、数メートル円単位の探索を場所を移しながら何度も繰り返すことになる。これは極めて効率が悪く、実用的な方法とはいえないだろう。

 では、情報を地図や人の説明から入手できるかというと、一般的に地図は一望することのできない広さの地理情報を示すもので、ここで重要と考える小さな空間(「近接空間」)情報を表示した地図はない。しかも、必要な手がかりの種類や量は視機能の程度によって異なるため、他の人からの説明が必ずしも役立つとは限らない。交差点についても同様のことがいえ、形状、大きさ、交通制御の種類をその場で知ることは難しい。 

[経路を策定し、それをたどる]
 初めての場所へ行くには、まず現在地と目的地を含む地理的環境の情報が必要となる。高台から低地にある目的地へ行く時は経路全体を一望できるが、多くの場合経路全体を見渡すことはできない。地図や人の説明から地理情報を入手し、現在地と目的地の位置関係(オリエンテーション)を確認する。視覚障害者が自身で使える地図(触地図あるいは言語地図)は、晴眼者が使う紙に印刷された地図と比べ、そこに盛られる情報量は圧倒的に少なく、経路を策定し、たどるに十分とはいえない。

 街の中の経路は基本的には単路(街区の一辺)と交差点で構成される。街区の一辺は通常数十メートルで比較的真っ直ぐであるから、次の交差点まで見通せ、晴眼者にとって単路を次の交差点に向って歩くのは容易である。そこで、晴眼者にとっての「目的地までの経路をたどる」(ウェイファインディング、wayfinding)という課題は、方向転換点(ある特定の交差点)の特定とそこでの進路(直進、右折、左折)の選択が中心となる。視覚障害者の場合、前述のように近接空間情報が乏しい状況では、気づかずに車道や民地に進入したり、駐車場への進入路を道あるいは交差点と誤認するなど、単路でもウェイファインディングの難しさがある。 

[現在地の更新]
 経路をたどるには、目的地へ向かって歩きながら現在地を逐次更新する必要がある。沿道の街並も目じるしも実際に見るのは初めてであり、直感的に現在地を認識するのは難しい。携行した地図上の(あるいは記憶にある)道路名や交差点名と現地にある表示を突き合わせたり、通過した交差点の数と方向の転換、およびその回数から現在地を推定する。晴眼者の場合、現在地の認識は「どの道(単路)、どの交差点にいるか」であるが、前述のように単路でのウェイファインディングも難しい視覚障害者の場合、単路を外れることは珍しいことではなく、”現在地”が民地内あるいは車道内であることもある。さらに気づかずに交差点を渡っていたり、あるいは曲がっていたという事象も起き、現在地の認識・更新が困難である。 

 以上のように、視覚障害者は地理情報ヘのアクセス(事前および移動中)が困難であり、眺望や現地情報(道路名,位置,道順などの表示、商店名など)が利用できないなどの理由で、利用できる経路情報は晴眼者に比べ非常に少ない。最近、触地図作成システム(新潟大学渡辺研究室)、位置情報表示(例:トーキングサイン)、視覚障害者用GPSを使った地理情報閲覧、言葉による道案内(例:ウォーキングナビ)などの視覚障害者向け地理情報提供サービスが実用化されつつある。今後晴眼者との情報格差が縮まることを期待したい。 

 経路をたどるためには、その基本要素である単路と交差点のたどりやすさが重要である。民地あるいは車道との境界の明確化、車両交通との分離あるいは棲み分け、道を不法に占拠する事物の除去、道の方向を示す「線」(点字ブロックはこの一例、他にも軒先や舗装の境界が作り出す「線」がある)の作成など、歩行空間を整備することで、近接環境情報が乏しい「初めての道」でも道を失わず、経路をたどることが容易になると考える。街を歩く時、視覚障害者にとって快適な歩行空間が確保されているかという視点から、「道」を見直してみてほしい。 

【略歴】
 1979年~2002年
   視覚障害者更生訓練施設に勤務、その後在宅視覚障害者の訪問訓練事業に関わる。
 1988年~
   新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて、視覚障害リハビリテーション外来担当。
 2002年~
   フリーランスの歩行訓練士
 2003年~
   「耳原老松診療所」(大阪府堺市)にて、視覚障害外来担当。

 

【後記】
 いつもながらですが、清水美知子さんの講演の時は、清水ファンが大勢参加され、今回も眼科外来に人が溢れ、会場は熱気でむんむんしていました。
 聴衆に問いかけながら進行する清水節は、今回も全開でした。講演の最初に「初めての道を歩く」と聞いた時に、どんなことを想像したかということを、参加された方々に問いかけました。学生、ヘルパー、視覚障害者、ボランティアの方々と多岐の立場の人が皆、意見や感想を述べ合い、それぞれの立場での意見が述べられました。
 「街は、視覚障害者が一人で歩くことを想定して出来ていない」「ガイドヘルプを頼み過ぎ」、清水語録のオンパレードでした。最後に語った言葉も印象に残りました。「視覚障害を持つ方々は、これまで訓練など受けなくても歩いていた。すなわち歩く能力を持っている。しかし現実の社会には、歩行の邪魔をするものが多い。こうした視覚障害がある方が歩く邪魔を取り除く街を作ることが出来れば、もう少し歩きやすくなる」
 「歩く」ことは、足の運動だけでないことを改めて考えさせられました。 

 参加者の方々からの感想の一部を紹介します。
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●盲学校の子どもたちは、とかく大人に囲まれた生活ですので、ややもすると大人が先走ってしまうあまり、子どもが自発的に行動することが少なくなってしまうこともあります。子ども自ら声を発することができる環境をつくり、恥ずかしがらず声を出せるようになることが「援助依頼」の第一歩になるんだと思いました。 

●ありのままの厳しい現実を,視覚障害者が安心して受け入れ納得できるような,思いやりのある話方をされます。冷静に目の前の困難の解決策を考えていけるよう促していると感じました。理想論で終わらず,具体的でとても分り易かったです。 

●(初めて。。。)の言葉には、人それぞれに受け止めが異なると考えています。その人のツールにもよります。私の場合は、盲導犬というツールを得た事により、自身にとって、又盲導犬にとっての道を開拓したくてたまらない日々です。過去に歩いたり、通った道であっても環境によりその道はまったくの(初めての道)となります。 新潟大学の学生さん達の思いのこもった地図は利用者にとって有効です。ただ彼らが目指す地図を作るためには、徹底的にその立場の人たちの意見を聞いてほしいと思います。 

●光覚弁になって、一人ではじめての目的場所へ向かうために、はじめての道を歩いた経験が無いので、改めて考えると、難しい課題と感じました。 結局は、「皆さんも、ご自分でよくお考えになってみてください」、ということなんですよね。 

●視覚障害者が単独で初めてのところを歩くことは歩行訓練では想定していない、初めて聞く事実でした。しかし自然に考えれば妥当なことだと思いました。 ぶらりと目的地もなく散策のため気晴らしので歩けるようになる日が来るとよいなと願っています。 

●難しいテーマでしたね。歩行を考えてしまうのですが、私自身は人生のこれからのことも初めての道のような気がしていました。今まで生きてきていた時間とこれからの時間・・・人間はもしかすると一生「初めての道」を歩き続けているような感じがしています。 

●晴眼者と視覚障害者では、眺望空間、すなわち知覚できる空間の広さが異なり、得られる知覚情報の精度・解像度には差があります。「どんな形でもいいから自分の足で歩く」ということが清水さんの基本ではないかと感じます。清水さんの歩行訓練を見ると、歩行訓練は、視覚障害を負った方々をempowermentするものなのだと感じます。