報告『シンポジウムー病とともに生きる』  その2(南昌江)
2016年9月3日

報告『シンポジウムー病とともに生きる』  その2(南昌江)
  平成28年7月17日(於~有壬記念館;新潟大学医学部学士会)で開催したシンポジウムの報告。
南昌江先生(南 昌江内科クリニック)の講演要約をお送りします。南先生は1型糖尿病を発症しましたが糖尿病専門の内科医になり、毎日多くの糖尿病患者を誠心誠意治療し、自らは毎年ホノルルマラソンを走り続けている素敵な先生です。

===========================
演題:『糖尿病を通して開けた人生』
講師: 南昌江(南 昌江内科クリニック) 

【講演要約】
 私は39年前の夏に1型糖尿病を発症しました。当初は親子とも落胆し、将来を悲観しましたが、その後尊敬する医師との出会いによって人生が変わってきました。 

 16歳で小児糖尿病サマーキャンプに参加しました。本心は参加したくなかったのですが、主治医から半ば強制的に参加させられました。そこで、病気に甘えていた私たちに、ボランティアのヘルパーから、「糖尿病があるからといって社会では決して甘く見てくれない。これから糖尿病を抱えて生きていくなかで沢山の壁にぶつかるだろう。その壁を乗り越えられる強さを持ちなさい。」と話をされました。これまで病気を理由にいろいろなことから逃げていた自分に気がつき、その頃から病気とともに生きていく覚悟が出来、将来は「医師になって糖尿病をもつ人の役に立ちたい」と思うようになりました。 

 医師になって念願の東京女子医大糖尿病センター、平田幸正教授の下で医師の第1歩を踏み出しました。医師になったばかりの私に、平田先生から「あなたは貴重な経験をしている。同じ病気の子供たちのためにも、是非自分の経験を本に綴ってみてはどうかね?」というお話を頂きました。しかし研修医時代は不規則な生活が続き、糖尿病のコントロールにも自信がない状態で、こんな自分が糖尿病の患者さんを見る資格はないのではないかと内科医をあきらめかけた時もありました。医師になって3年目、今度は肝炎を患いました。糖尿病になって、一生懸命に頑張ってきたのにどうしてまたこんなに辛い思いをしなくてはいけないのだろうと、本当に辛い時期でした。3か月の休養をいただきましたが、その時に、ふと、以前平田先生からいただいたお話を思い出し、「こんな状態の自分でも、少しずつ自分の体験を綴ってみることはできるのではないだろうか」と思い、その後福岡に帰って勤務医を続けながら、私の経験が糖尿病の子供たちに勇気と希望を与えることができればと思い、1998年に「わたし糖尿病なの」を出版しました。 

 その年に糖尿病専門クリニックを開業し18年が経ちましたが、これまでに多くの糖尿病患者さんと接してきました。診療の傍ら、講演や糖尿病の啓発活動を行っています。2002年に初めてホノルルマラソン(フルマラソン)を完走することができました。その時の感動は、今でも忘れられません。最後のゴールを目の前にした時には、これまで生きて来て、辛かったことが走馬灯のように思い出されましたが、ゴールと同時に一気に消えていきました。同時に出会ったすべての方々への感謝と、本当に生きてきて良かった、という思いとそれを天国の父に伝えたくて、涙を流しながらのゴールでした。 

 それまでは、自分の10年先の将来が想像できなかったのです。「将来、目が見えなくなるかもしれない、透析になるかもしれない。」という糖尿病の合併症の心配がどこかで自分を臆病にしていました。フルマラソンを完走できたことで、自分の体力・精神力に自信がつきました。この体験をきっかけに、新たにクリニックを新築し、自分が長年理想としてきた糖尿病診療をしています。 

 そして、“No Limit”をモットーに、“糖尿病があっても何でもできる”ことを一人でも多くの患者さんに理解して体験して頂きたいと思い、“TEAM DIABETES JAPAN”を結成し、2007年には糖尿病協会に承認されました。毎年患者さんや医療関係者と一緒に国内、国外の大会に参加しています。これまでにフルマラソン19回完走し、今年も15回目のホノルルマラソンに挑戦します。 

 人生を振り返った時に、生き方や考え方を教えてくれたのは両親です。
 父からは、高校生の頃に「お前はハンディを持っているのだからその分、人の2倍も3倍も努力しなさい。」「嫁には行けないだろうから、一人で生きていくために資格を取りなさい。」 「病気があると金がかかる。自分の医療費は自分で払えるように経済力を持ちなさい。」 と病気がある私にあえて厳しく育てられました。 

 私が国立大学医学部受験に失敗して、浪人させてほしいと父にお願いした時には、「人より人生が短いのだから、1年でも無駄にするな。私立大学に合格したのだからそこで勉強して少しでも早く良い医者になりなさい。」と言われました。小さな電気屋を営んでいた我が家の家計では私立の医学部は到底難しかったと思いますが、両親は私のために必死で働いて卒業させてもらいました。それまで父には反抗していましたが、その時に父の愛情を深く感じました。 

 そんな父が、2001年に癌で亡くなる前に、「もうお前は一人で生きていけるな。お母さんのことは頼んだよ。」と逝ってしまいました。病気を持つ私に、強く生きていきなさいと育ててくれた父、いつでも「ありがたい、幸せ。」と感謝の言葉が口癖の母。そんな母も2013年に亡くなりましたが、「あなたはいい人に恵まれているから大丈夫よ。」と今でも天国から見守ってくれていると思います。 

 これまで私が出会った方々や医学から受けた恩恵に感謝し、一日一日を大切に「糖尿病を持つ人生」を明るく楽しく自然に、いつまでも夢を持って走り続けていきたいと思っています。
 

【略 歴】 
 1988年 福岡大学医学部卒業
         東京女子医科大学付属病院 内科入局
       同  糖尿病センターにて研修
 1991年 九州大学第2内科  糖尿病研究室所属
 1992年 九州厚生年金病院 内科勤務
 1993年  福岡赤十字病院 内科勤務
 1998年 南昌江内科クリニック開業 

================================
シンポジウム『病とともに生きる』
 日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
 会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
      
  新潟市中央区旭町通1-757 

コーディネーター
 曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
 安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長) 

10時 開始
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
 大森 安恵
   (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
   東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
  http://andonoburo.net/on/4943 

パネリスト (各25分)
  南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   「糖尿病を通して開けた人生」
  http://andonoburo.net/on/4979
 小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
  「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
 清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
   「オンリーワンの眼科医を目指して」
 立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」 

ディスカッション (20分)
  演者間、会場を含め討論 

12時30分 終了
================================