報告:【新潟ロービジョン研究会2017】   4)安藤伸朗
2017年12月29日

報告:【新潟ロービジョン研究会2017】   4)安藤伸朗
  日時:2017年09月02日(土)
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室 

「新潟ロービジョン研究会2017」から、安藤伸朗の講演要約をアップします。
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 演題:「新潟ロービジョン研究会を立ち上げて16年」
 講師:安藤伸朗 済生会新潟第二病院眼科
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【講演要約】
 「眼科医の評価は目を治すこと」と信じ手術に明け暮れていた一眼科医が、視覚リハビリテーションに興味を持ち、ロービジョン研究会を立ち上げ16年間続けた。この度、最終回を迎え、ここまでの経緯を振り返ってみた。 

 私が医学部学生の昭和40年代後半から50年代にかけては、医学は急成長し癌に対する手術療法・放射線療法・抗がん剤治療などが華々しく進歩した時代であった。一方で、1957年に乳児死亡率が全国平均の2倍から、1962年に全国初の乳児死亡“ゼロ”を達成した岩手県沢内村((現西和賀町)の深沢晟雄村長や、農村特有の疾病の研究及び保健活動を積極的に行うことにより農村医学を発展させた佐久総合病院の若月俊一院長が注目を浴びていた。こうした時代に医学を学び、病を治すことのみでなく、予防やリハビリに興味を持った。医学部5年生の時に、新潟大学整形外科の田島達也教授(当時)に紹介状を書いて頂き、当時我が国で一番最先端のリハビリテーションを行っていた都立養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)に見学に出掛けた。当時の記憶は定かでないが、治すことをしっかりできる医師になってからリハビリを極めたいと思ったことを記憶している。 

 1977年(昭和52年)3月に新潟大学医学部を卒業し、すぐに新潟大学眼科学教室に入局した。大学眼科時代の18年10か月は、必死に患者さんの治療に明け暮れた。特に網膜硝子体疾患の手術の修練に励んだ。当時は難治性の網膜剥離や増殖糖尿病網膜症の治療を行う硝子体手術が日本に導入された頃である。手術の術を獲得するために講習会に出掛け、全国の眼科医と討論を重ねた。国内外で学会活動をした。当時恩師の岩田和雄教授には「単なる手術屋になってはならない。疾患の病態生理を学びそこから治療法を見出すことが大事」と諭された。研究のテーマは、血液網膜柵機能と網膜硝子体疾患で、外来診療の傍ら硝子体螢光測定を行っていた。 

 1984年に糖尿病網膜症で高度の視力低下に陥っていた患者Oさんの硝子体手術を行った。手術は成功し長い間見えなかった目が見えるようになった。Oさんは奥様ともどもとても喜んでくれた。ところが2週間と経たないうちに続発性緑内障になり結局光を失ってしまった。そしてあろうことかその数日後に入院していた病院で飛び降り、自ら命を絶ってしまった。このことが、内科の主治医の山田幸男先生(当時、信楽園病院)と出会いとなった。その後山田先生は、視覚障害者の視覚リハビリテーションに取り組み、新潟に素晴らしい視覚リハビリテーションを築いた。 

 1991年7月米国Duke大学留学しMRIとガドリニウムを用いた血液網膜柵の研究を行った。Dukeには硝子体手術の父と言われたRobert Machemer教授が在職しており、時間がある時は手術の見学が許され硝子体手術をまじかに学ぶことができた。Machemer教授は、常に真のサージャンの心得をレジデントに語っていた。「本当の医者は、自分の手術の上達に満足するのではなく、手術を受けた患者がどのように生活を拡大するかに心を配らなければいけない。手術後の屈折矯正を基本とする視覚環境のケアに眼科医はもっと関心を持たなければいけない」。今日でいうロービジョンケアに通じる言葉だった。 

 1996年2月に現在の済生会新潟第二病院に赴任した当時は、多くの眼科手術(特に網膜硝子体手術)の経験があり、どんな病気もメスで治すことが出来ると自負していた。赴任して一年ほどして、両眼増殖糖尿病網膜症の69歳男性が入院した。入院時視力は両眼0.1。何度も手術を繰り返すも、両眼光覚弁となってしまった。退院させようにも、親戚もなく日常生活も出来ずという状況で、メディカル・ソー シャルワーカーや看護師・保健師等々と度々相談した。こうした経験からロービジョンケアを取り入れようと国立障害者リハビリテーションセンター病院(以後、国リハと略す)第三機能回復訓練部部長だった簗島謙次先生にお願いして、当院の視能訓練士一人を2カ月ほど毎週所沢まで通わせロービジョンケアの手ほどきをして頂いた。1998年には国リハで行っていた視覚障害者用補装具適合判定医師研修会に参加し、私自身がロービジョンケアを学んだ。 

 2000年4月、日本ロービジョン学会が創設された。済生会新潟第二病院眼科でも始めたばかりだったので積極的に参加した。全国の経験や活動、そして多くの職種の方との交わりは刺激だった。2001年4月、学びながら発展したいと念じて、「新潟ロービジョン研究会」を開始した。本研究会には、我が国の眼科医療と視覚リハビリテーションの分野で活躍している方々をお招きし、県内外から参加者が集う会に成長した。 講師の先生方に講演抄録や講演要約を執筆して頂き、研究会のご案内や報告をメールやメーリングリストで全国に発信した。2001年から開始して今回2017年でトータルで18回となった(2001年は2回開催)。 

 メーカーなどからの資金援助なしで、ゼロからスタートしここに至るまで全国の先輩や仲間に指導して頂いた。講演者は旅費のみで来て頂いた。研究会の開催に当たっては病院眼科スタッフや病院関係者、そして会場作りなどで多くの皆さまのご協力を賜った。感謝の一言に尽きる。 

 定年を迎える2018年3月以降、どのような人生が待っているか分からないが、何かに興味を持ち、何とか情報を発信するであろう自分に期待し、ワクワクしている。 

 

【略 歴】
 1977年3月 新潟大学医学部卒業
      5月 新潟大学眼科学教室入局
 1979年1月 浜松聖隷病院勤務(1年6ヶ月)
 1987年2月 新潟大学医学部講師
 1991年7月 米国Duke大学留学(1年間)
 1992年7月 新潟大学医学部講師(復職)
 1996年2月 済生会新潟第二病院眼科部長
 2014年4月 杏林大学非常勤講師
 2017年11月 東京女子医大東医療センター 客員教授 

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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」
 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)
   仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)
   大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「新潟ロービジョン研究会を立ち上げて16年」
    安藤 伸朗
    (済生会新潟第二病院眼科)
 14時40分~
  「眼科医と生活訓練士を中心に多職種が集まった、なんでもありの私たちの視覚障害リハビリテーション」
    山田 幸男
    (新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会、NPO障害者自立支援センター「オアシス」、信楽園病院内科)
  http://andonoburo.net/on/6250
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
    清水 朋美
    (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
  http://andonoburo.net/on/6229
 16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
    高橋 政代
    (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
  http://andonoburo.net/on/6221
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東京大学眼科)
 17時50分 終了