勉強会報告

2016年12月9日

報告:『新潟ロービジョン研究会2016』 小西 明
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部)
演題:「新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医」
講師:小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長) 

【講演要約】
1 はじめに
 日本の障害のある子どもの教育(以下:障害児教育)は、明治11年の京都盲啞院がはじまりである。明治13年には、東京に楽善会訓盲院が開校し、国の東西で障害児教育が出発した。しかし、すでに明治5年に制定された学制では「廃人学校」が規定されたものの、障害児に関する規定は明示されなかった。明治時代においては、障害児教育は国の政策課題としてほとんど見当たらず、社会的にも少数の小さな存在として扱われていたといえる。障害のある子どもにとっては、教育する学校も制度も整っていない時代であった。そこで障害児教育は、一般の学校制度から外れた学校として、視覚・聴覚障害者を対象にほとんどが私立の盲唖学校として展開されるようになった。 

 こうした社会からの支援のない時代と環境であったために、視覚・聴覚障害者のための学校設立は篤志家によるものだった。設立主体は、個人・グループ・団体などあり、社会的属性は教育者、医師、鍼按業の盲人、政治家、実業家、宗教家等である。とりわけ新潟県内の訓矇・盲唖学校開設で目立つことは、眼科医等の医師の主導または関与である。 

2 眼科医関与の新潟県訓矇・盲唖学校3校の創設経緯等
(1)高田訓矇学校1889(明治22)
 眼科医・大森隆碩(キリスト教徒)が、自身が眼病となり視覚障害者となったことから、盲人教育を提唱し、朋友の杉本直形、真保利雄ら医師の協力によって創設される。訓盲談話会から盲人矯風研技会、その後訓矇学校へと展開した。地域の支持基盤は医師会や教育会であったが経営困難が続く。教育内容・教授法をはじめ学校組織としてシステム化されず、資金面でも窮乏が続く。盲人のみを教育対象とし、普通教育と自活技術の習得を目指す。 

 訓矇の意味=蒙(モウ)は、おおうの意味。目がおおわれている。盲目を意味するが、隆碩は、心の啓蒙「目が覆われている状態で道理の暗いことを、教育により明らかにする」ことの必要性を説いた。また、大森隆碩、杉本直形らは訓曚学校創設とともに、女子教育や地域医療を担い多くの社会事業に尽力した。 

(2)中越盲唖学校 1906(明治39)
 眼科医・地方議員 宮川文平(キリスト教徒)刈羽郡鍼灸冶組合による、柏崎鍼按講習所の共同経営から、中越盲唖学校へと展開。盲唖学校は宮川の単独経営。支持基盤弱く経営は困窮していた。盲・聾者の自立を目指し、普通科・技芸科を設置するも、盲人教育中心の学校運営であった。
 宮川文平
  明治38年(1905) キリスト教徒内村鑑三と、文通や宿泊など交流がはじまる。
  明治39年(1906) 刈羽郡鍼灸組合が盲人の教育を開始する。
  明治41年(1908) 「私立中越盲唖学校」設立認可される。
   校長は、宮川文平  教員は、姉崎惣十郎、平野藤太郎 

(3)新潟盲唖学校 1907(明治40)
 鍼按業盲人に対する医師(眼科医・竹山屯など含)の協力による。設立運動委員は下記のとおりである。支持基盤は新旧の名望家、実業家、行政官、医師、教育者、民権活動家など幅広い。そのため経営は比較的安定していた。
 新潟盲唖学校設立運動委員 明治38(1905)
 ①設立(開校)責任者
  長谷川一詮(医師・鍼灸冶組合会長:代表)
  鏡淵九六郎(医師・私立第二代校長)
  荒川  柳軒(医師)
  前田 恵隆(元小学校長・私立第三代校長)
 ②鍼灸治組合関係者(盲人9人)
 ③眼科医 竹山屯の支援
  明治40年(1907) 「私立新潟盲唖学校」の設立が認可される。(7月17日)
  竹山屯が新潟市医学町通一番町69番地に所有していた土地民家を「私立新潟盲唖学校」に貸与されたことで、開校される。
  内訳:借館坪数33坪、教室数2(13坪)、屋内運動場1(坪) 

3 眼科医の功績
(1) 眼科医(医師)の主導または関与による学校創設
 ・新潟県には眼病患者が多く、明治11(1878)天皇巡幸による御下賜金千円により、眼科講習所設置や「眼科提要」4巻が発刊されるなど、眼科や視覚障害者への関心が高まった。 (眼科医:竹山屯らの功績)
 ・明治18(1885)関口寿昌と協力者:医師・鏡淵意伯により「盲人教育会」が新潟神宮教会の一部を借りて教育を始める。明治27(1894)関口の死去により閉校する。
  (類型:盲人と協力医師のさきがけ)
 ・明治20(1887)高田訓曚学校創設において、上記前例は、大森+杉本に生かされている。
 ・眼科医は医療に加え、社会事業に力を注いだ。女子教育や保健・衛生教育、障害者教育など、社会の関心が届かなかった分野に尽力した。
 ・眼科医の中には県議会議員、市議会議員となるなど、政界でも活躍し、盲聾教育の社会的認知に寄与した。
 ・盲唖学校設立に関して、視覚障害鍼按業者の要望に理解を示し、これを支えた。
  (明治37「鍼灸術取締規則」による基礎医学の習得など)
 ・社会保障制度が未整備であったため、視覚障害生活困窮者の医療費を無料低額診療とするなどして支えた。また、医師をはじめ実業家からの寄付により、生徒から授業料の徴収はしていない。
 ・高田訓曚学校は、資金源に恵まれなかっただけでなく医師界と教育界に広範な支持層をもちながら、学校運営をシステム化できなかった。学校経営と教務の体制(指導者、指導内容の確保)が確立していないかったため、教育上の重要な情報の入手に遅れ、教育界の助言も実行できなかった。
 ・長岡盲唖学校、新潟盲唖学校は、名望家、実業家、行政官、教育者、民権活動家など幅広い層に理解を求め、これらを支援者として経営安定を図った。教育の理念と成果によって、地域社会の期待に応えることができた。
 ・高田訓曚学校、中越盲唖学校、新発田訓盲院の設立者はキリスト教徒(救済の志)であったが、仏教界も寺院の一角を校舎として貸与するなど施設面等で支援した。 

(2)医療・保健・福祉・教育・労働の一体化を推進
 ・学校創設の目的は、学校規則の第1条に明記されおり、社会自立、職業自立を謳い教育の重要性を啓発した。
 ・学校運営の安定を目的に、私立から県立への移管が他県に比べ早期に実施された。また、これとともに、盲聾分離がなされ教育の専門性向上が図られた。大正12年「盲学校及び聾唖学校令」交付の前年に移管を果たしている。(宮川の英断。県議会へ請願書提出)
 ・学校創設は、その後の社会事業の魁となった。地域の社会事業家として使命感をもって当たる。社会事業は、恩光会(富山)や実業家(高助、中野財団)へ引き継がれる。
 ・眼科領域の研究が、北越眼科研究会を中心に盛んに開催され、盲唖学校生徒の保健衛生の向上にも大いに寄与した。
 ・眼科医師らがコアとなって社会事業の活動が盛んになった。視覚・聴覚障害者への理解が深まり篤志家からの寄付が増加、学校経営が安定した。その結果、長岡校、新潟校では、しだいに就学率が向上した。
 ・眼科医の産婆学校創設により、眼病予防が効果を上げ、失明者が減少した。
 ・大正15(1926)旧中越盲唖学校跡に新潟県盲人協会が日本初の「点字図書館」、日本初の点字図書配送システム「姉崎文庫」の設立は画期的な企画であった。
 ・盲人福祉団体の結成を支援した。 

4 おわりに
 ・新潟県の訓曚・盲唖学校を創設した眼科医は、日頃の診療をとおして、教育からも職業からも見放され、社会から放棄され、除外された盲人に、障害の良き理解者として、いち早く救いの手を差し伸べ、学習の基盤を培った。
 ・現在では、視覚補助具の目覚ましい進展により視覚障害者の生活や学習方法は変容したが、学習基盤習得の重要性は一世紀前と何ら変わらない。
 ・彼らは普通教育、職業教育の重要性を説き、支持者・協力者を集め、社会的認知、財政基盤を確立し、社会の光の当たらない、手の届かない生活困窮者に温もりの手を差し伸べた。眼科医が盲人とともに、向上を目指す姿勢に心を打たれる。
 ・当時の記録から、病、障害、老い、境遇・・・・ 悩める者すべての虹となり、いのちに寄り添う崇高な人間愛の精神がうかがえる。 

 

表  【学校教育制度と盲唖学校】
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 明治 4年(1871)  明治新政府による「当道座」の解体と「鍼冶講習所」廃止
 明治 5年(1872)  学制制定
 明治 7年(1874) 「医制」わが国初の医療と医学教育の規制法 西洋医学の導入
 明治12年(1879) 教育令
 明治13年(1880) 京都盲唖院開設
 明治14年(1881) 楽善会訓盲院(現:筑波大学附属視覚特別支援学校)
          11月より按摩、鍼冶の教授開始
 明治18年(1885) 「鍼灸営業差許方」布告
 明治19年(1886)   小学校令(第一次)
 明治20年(1887)     官立東京盲唖学校(訓盲唖院が改称)  盲唖学校鍼按科設
 明治22年(1889) 高田訓矇学校創設
 明治23年(1890) 小学校令(第二次) 盲唖学校の設置・廃止事項制定。
          学義務の免除・猶予規定の制定。
 明治32年(1889) 私立学校令 私立盲唖学校の設置・廃止制定
 明治33年(1900) 小学校令(第三次) 義務教育無償の原則
 明治36年(1903)    東京盲唖学校に教員練習科が設置される(全国盲学校数20校)
 明治38年(1905) 長岡盲唖学校創設
 明治39年(1906) 中越盲唖学校創設
 明治40年(1907) 新潟盲唖学校創設
 明治43年(1910) 新発田訓盲院創設
 明治40年代     —–   小学校就学率93%、盲唖学校就学率10%
 明治43年(1910) 朝鮮総督府済生院盲唖部で鍼按指導 (統治1910~1945)
 明治44年(1911) 「按摩術営業取締規則」「鍼術灸術営業取締規則」(1912)により、試験合格か 指定学校卒業後に限り免許鑑札の義務
 明治45年(1912) 鍼灸按摩指定学校全国15校中 新潟盲唖学校、高田訓矇学校、長岡盲唖学校、中越盲唖学校の4校認可
 大正11年(1922) 新潟盲唖学校、長岡盲唖学校の県立移管。
          中越盲唖学校・新発田訓盲院閉校
 大正12年(1923) 公立私立盲学校及聾唖学校令・規程交付
          「盲学校ノ修業年限ハ初等部六年、中等部四年ヲ常例トス盲学校ノ中等部ヲ分チテ普通科、音楽科 及鍼按科トシ」
 昭和16年(1941)  国民学校令公布
 昭和22年(1947)  教育基本法、学校教育法公布される。
 昭和23年(1948)  盲学校・聾学校教育義務制施行される。
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【略 歴】
 1977年 新潟県立新潟盲学校教諭
 1992年 新潟県立新潟養護学校はまぐみ分校教諭
 1995年 新潟県立高田盲学校教頭
 1997年 新潟県立教育センター教育相談・特殊教育課長
 2002年 新潟県立高田盲学校校長
 2006年 新潟県立新潟盲学校校長
  2015年 済生会新潟第二病院・医療福祉相談室 

 

@小西明先生の紹介
 小西先生は、新潟県の視覚障害教育、特別支援教育に長い間ご尽力され、現在は済生会病院の医療福祉相談室にお勤めです。新潟県の視覚障害教育のことに精通し、多くの引き出しをお持ちですが、今回は新潟県で盲教育で活躍した眼科医についてお話して頂きました。新潟県そして我が国の視覚リハビリテーションの基盤を培った眼科医の功績は大事な事柄です。多くの史実を基にしたお話は重厚で、示唆に富んでいます。  

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●新潟ロービジョン研究会 2016
0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171 

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182 

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
   http://andonoburo.net/on/5210 

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189 

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
   
 http://andonoburo.net/on/5217

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医) 

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学) 

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本) 

4. おわりに 
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2016年12月7日

報告:『新潟ロービジョン研究会2016』  山田幸男
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 

演題:「視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室の開設とその意義」
講師:○山田 幸男 田村瑞穂 嶋田美恵子 久保尚人
     (新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会) 

【講演要約】
Ⅰ.はじめに
 眼の不自由な人が転びやすいのは、見えないために物につまずくだけではありません。眼はものを見るためだけでなく、平衡を司る器官でもあるため、眼が不自由になるとバランスをくずしやすくなるからです。加えて、眼が不自由になると、運動量が減り筋力が落ちるため、ますます転びやすくなります。転倒を恐れて外出をひかえると、ビタミンD不足になり、さらに転倒しやすく、骨折の大きな原因となる骨粗鬆症にもなりやすくなります。骨粗鬆症は骨折を、骨折は寝たきりの原因ともなります。

 私たちの検討では、眼の不自由な人の中には、バランス能力を示す片足立ちや、運動能力を示す歩行速度、さらに全身の筋力を示す握力などの検査で基準値以下の人がたくさんみられます。

 そこで私たちは、少々のつまずきでも転ばない、歩くことのできる体力の維持、サルコペニアやロコモの予防、将来の寝たきり予防のために、20年ほど前から毎月1回開いてきた歩行講習会(1996年から誘導歩行を、1999年から白杖歩行)の中に、2014年から「転倒予防・体力増進(以下、転倒予防)教室」を併設しました(図1)。

 図1.転倒予防・体力増進教室、歩行講習会のあゆみ 

 

 転倒予防教室の内容は講義と実技からなります。講義は、医師によるロコモ、サルコペニア、フレイル、骨粗鬆症など、看護師によるフットケア、栄養士による転倒予防と食事(ビタミンDも含めて)、などです。

 実技は、身体計測(血圧、握力、腹囲、体重、開眼片足立ち時間、最大一歩幅、5メートルの歩行時間など)を行ったあとに、参加者全員でラジオ体操その他を行います。さらに誘導歩行と転倒予防の希望者には、誘導歩行を30分行い、その後、筋トレ、スクワット、片足立ちなどを30分行います。白杖歩行の希望者は60分間白杖歩行の指導を行います。

 この度、転倒予防・体力増進教室の開設経緯とその効果について検討しました。 

Ⅱ.対象と方法
 対象:2014年8月に開始した第1回「転倒予防・体力増進教室」に毎月1回1クール5回参加した視覚障害者15名(男性3人、女性12人)を対象としました。

 方法:運動開始前に行った身体計測値の変化を検討しました。さらに11名には、教室参加の意義や楽しさ、自宅での運動状況などについて電話によるアンケート調査を行いました。 

Ⅲ.結果
 歩行速度・握力ともに異常なしの人(サルコペニアではない)が11人(73.3%)です。身体計測では、4カ月後には開眼片足立ち時間と最大一歩幅は向上傾向を認めたが、握力や5メートル歩行速度では変化を認めませんでした。

 アンケート調査では、教室に参加後、歩行の歩数が増え、運動するようになった人が7割に達しました。参加して体力がついた・楽しい(64%)、動きがよくなった・転びにくくなった(55%)など、参加して運動効果を認める人が多くみられます。およそ半数の人が、教室は転倒予防に有効、参加して体力がついた、自宅でも運動をするようになった、タンパク質を多く摂取するようになった、などと答えています。 

Ⅳ.考案
1.参加者のほとんどが転倒予防・体力増進教室を選択
 転倒予防開設時、誘導、白杖、転倒予防の3コースの中から、希望コースを選んでもらったところ、ほとんど全員といっていいほどの人が転倒予防のコースを選択されました。珍しさもあってのことかと思っていたところ、その後も毎回ほとんどの人が転倒予防コースを希望です。これでは本家本元の誘導・白杖歩行が消滅しないとも限りません。

 そこで1年後には、転倒予防教室を重視しつつ、白杖や誘導歩行にも参加してもらうために、開設時考えた3コースを2コースに減らしました。誘導と転倒予防を1つにした誘導・転倒予防体力増進コースと、白杖歩行の2つのコースです。どのコースを選択する人も転倒予防の講義を15分聞き、さらにラジオ体操と筋トレを15分間することにしました(図2)。その後、白杖と、誘導-転倒予防の2グループに分かれます。白杖コースの参加者は白杖歩行実技1時間、誘導・転倒予防コースの人は誘導歩行の実技30分、転倒予防体力増進の実技30分の合計1時間です。このやり方だと、転倒予防の講義を15分聞くことができ、かつ誘導歩行の人も、また転倒予防の人も、転倒予防の実技を45分(講義と実技で合計60分)できるので不満は少なくなりました。

 図2.転倒予防・体力増進教室、歩行講習会のプログラム 

 

2.教室の効果
 眼が不自由でも「自分の行きたいところに自分の力で移動し、やりたいことができる」ようにと、1996年から歩行講習会を開いてきました。今回は2年前に始めた転倒予防教室が、その目的を達しているかどうかを検討しました。その結果、参加して4カ月後には、最大一歩幅、開眼片足立ちでは向上を認め、また歩く歩数が増えた人もたくさんみられました。

 ときどき思い出して体操をする、ラジオ体操やスクワットが身についた、家ではキッチン台につかまって運動をしている、など運動意欲が向上し、転びにくくなったことも大きな効果です。参加しなくなって転びやすくなった、体力が元に戻った、太った、などの声も聞かれます。肉は嫌いだがなるべく食べるようにしている、もともと肉は好きで安心して食べられるなど、食事面でも意識の変化もみられます。 

Ⅴ.今後の課題
 下肢の力は歩行、体のバランス維持に重要です。今回は下肢の力は握力で代行しましたが、腰・膝の疾患のある人は握力が正常でも下肢筋力の低下の可能性があります。足趾筋力測定器具などを用いて足趾筋力の測定を行い、低下者には下肢筋力アップの運動を勧めたいと考えています。県内に10数か所あるパソコン教室姉妹校でも転倒予防教室を開いて、パソコン教室の充実につなげたいと考えています。

 勉強のため参加している、現状維持でもうけもの、今はこれが一番の健康法、習ったことを自分なりにもっと時間をかければ体力はつくと思う、教室参加は必ず転倒予防に役立つはず、などの声も多いので、スタッフ一同自信をもってさらに発展させたいと考えています。「体操も、講義内容もいいので、健常者にも広げないともったいない」との指摘もあるので、今後もっと晴眼者にも紹介してゆきたいと考えています。

 

【略 歴】山田幸男(やまだ ゆきお)
 1967年(昭和42年)3月  新潟大学医学部卒業
    同年(昭和42年)4月  新潟大学医学部附属病院インターン
 1968年(昭和43年)4月  新潟大学医学部第一内科に入局。内分泌代謝斑に所属
 1979年(昭和54年)5月  社会福祉法人新潟市社会事業協会信楽園病院
 2005年(平成17年)4月  公益財団法人新潟県保健衛生センター
  日本内科学会認定医、日本糖尿病学会専門医、日本内分泌学会専門医
  日本病態栄養学会評議員  

@山田幸男先生の紹介
 私の最も尊敬する先輩の一人です。内科医ですが新潟で視覚障害者のための視覚リハビリを立ち上げ、県内10数か所にパソコン教室を作る原動力となり、白杖歩行は勿論、誘導歩行、見えない方のお料理教室・お化粧教室・ピアカウンセリング等々を実行しています。

 一番すごいところは、とにかく眼の不自由な方が集まってお茶を飲むというサロンを開放していることです。こうした中から患者さんの心のケアを行い、やる気を引き出しているのです。自分たちの持っているものを患者さんに教え込もうとするリハビリの押しつけとは一線を画しているのです。 

 

●新潟ロービジョン研究会 2016 プログラム
0.はじめに
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)

4. おわりに  
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2016年11月28日

報告『新潟ロービジョン研究会2016』 3)岩瀬 愛子
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 
演題:「最大のロービジョン対策とは?私の緑内障との闘い」
講師:岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科) 

【講演要約】
1 視覚障害原因としての緑内障
 日本における中途視覚障害の原因として、視覚障害者手帳申請の原因疾患統計がよく引用される。この報告において、2004年に糖尿病網膜症を抜いて1位になった緑内障は2014年の報告においても依然として1位のままである。一方、日本緑内障学会が実施した2つの疫学調査、多治見スタディ・久米島スタディにおいても、緑内障はロービジョン原因疾患の上位3位内に入っている。

 臨床統計と疫学調査のどちらの点からみても、緑内障がロービジョン対策に重要な病気であることは明白である。そして、この2つの疫学調査が示したもう一つの緑内障の特徴は、緑内障になっている人で診断時までに未発見であった人の多さであり、多治見スタディでは89.5%、久米島では75%であった。すなわち両眼で補ってしまうなどの理由で、進行しなければ自覚症状が出ないところに緑内障の怖さがあり、未発見のまま治療開始が遅れ緑内障が視覚障害原因となる背景がそこにある。
 

2 緑内障の早期発見には眼科検診と啓発活動
 早期発見には「眼科疾患のための眼科検診」が必須であるが、日本眼科医会の調査では、成人眼科公的検診が実施されているのは全国自治体の20%以下であり、特定検診以外の方法で実施している自治体は3.7%に過ぎないと報告されている。岐阜県多治見市では、1995年より節目検診の形で40歳以上の5歳きざみの眼科検診を始め、緑内障を始めとする眼の病気の早期発見を目指してきた。自治体によるこうした眼科検診には法的根拠もなく、予算も厳しい中で、眼科医が常に強く発信しないと消滅してしまいそうになるが、幸い現在まで継続してきている。

 現在、節目検診だけではなく、さまざまな機会をとらえて検診受診者を増やしてはきたが、多治見市の眼科検診受診者は、まだ年間2,000人くらいにしかならない。2000年から2001年に実施された多治見スタディは、日本緑内障学会の疫学調査であったが、多治見市では、同時に「多治見市民眼科検診」の形で、対象年代である40歳以上の検診受診希望者全員に、多治見スタディと同一機器による眼科検診を年間通して行った。この時は最大の広報活動を行ったこともあり、市民の関心も高く、疫学調査の対象者を合わせての検診受診者は17,800人であり、これは多治見市の当時の40歳以上の人口54,000人の約30%であった。現在の年間検診受診者はこの約1/9に過ぎない。市の検診体制の弱さにも原因があるかもしれないが、眼科検診に対する市民の関心を維持できていないせいもあると考えた。これは、ひとえに眼科医の責任である。 

 今、緑内障早期発見のためにできることは、緑内障の正しい知識と眼科検診の重要性を理解して自ら眼科検診を受ける人を増やす活動をしなければいけないと思った。それは、一自治体の中で、検診受診者を増やす努力をするだけにとどまらず、もっと広く情報を発信する手段が必要ではないか?と考えた。「ライトアップinグリーン運動」はそうした啓発活動の一つである。「ライトアップinグリーン運動」は、毎年3月に世界中で展開される啓発活動期間である「世界緑内障週間」に、全国のいろんな施設で緑色のライトアップをして緑内障という病気に関心をもっていただこうという日本緑内障学会の運動である。2015年の3月から全国5か所で始めたが、2016年の3月には点灯場所が20か所になった。緑色の光の意味は、「緑内障の早期発見」「継続治療」、そして、「希望」である。

 「早期発見」ができるのが一番の進行予防対策であり、失明予防対策である。緑内障だからといって、すべての人が失明するわけではない。「早期発見」し治療によって進行を緩やかにすることができれば「見える」には大いに役立つ。一方、早期発見ではない場合でも「治療を継続」することで、少しでも「見える」を維持することができる。お一人でも多くの「見える」を確保できますようにという「希望」を込めて全国に緑の光の輪が今後も広がりますように。治療の研究の発展とこうした広報活動で、緑内障が失明原因の1位ではなくなりますように、見えにくくなる方が一人でも少なくなりますようにとの思いを込めての活動である。 

3 今、眼科医として自分ができることは何か?
 高齢者は、緑内障他の眼の病気になりやすいだけではなく、さまざまな全身の疾患を抱えていることが多い。しかし、そうした場合、公的制度のはざまで、本当にその人が希望しているサポートが得られていない例がたくさんある。例えば、高齢者は介護保険優先の原則とされるも、複数の疾患がある場合自治体のルールなどによっては、両方のサービスから外れてしまい、本来必要な助けを受けられなくなっている場合がある。今回の発表では、たじみ岩瀬眼科に通院中の方の事例をお話しした。

 眼科医は医療によって患者さんの眼疾患の治療をするだけではなく、自らの知識を持って、医療だけではカバーしきれない支援を必要とする患者さんがよりよく生きるための努力をしなければいけない。ロービジョンケアへの取り組み、医療と福祉の中でのその方に適したより良い環境の確保も眼科医の責任である。見えにくくしないための医療、でも、見えにくくなった時、「どう支援すればいいのか?」「それはその人が本当にして欲しいことなのか?」、「今、自分ができることが何か?」振り返れば、足りないことばかりであり身が引き締まる思いである。 

【略 歴】
 1980年 岐阜大学医学部医学科卒業
 1990年 多治見市民病院眼科医長
 1995年 多治見市民病院眼科診療部長
 2000年 多治見市保健センター非常勤医師兼任
 2005年 多治見市民病院副院長
 2009年 たじみ岩瀬眼科院長

 たじみ岩瀬眼科HP
 http://www.iwase-eye.jp/ 

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【岩瀬愛子先生の紹介】
 祖父が緑内障であったことから、生涯緑内障による視覚障害撲滅のために闘っている先生。長年、地方で病院勤務医・開業医として活躍していながら、日本緑内障学会・日本視野学会の会長も歴任され、国際視野学会のメンバー(Vice Presiden)でもあります。有名な多治見スタディーの実質的中心人物です。今回の締めくくりも、
岩瀬先生が語ると重い言葉となります。曰く、「眼科医は医療によって患者さんの眼疾患の治療をするだけではなく、自らの知識を持って、医療だけではカバーしきれない支援を必要とする患者さんがよりよく生きるための努力をしなければいけない」。
(文責;安藤伸朗) 

@国際視野学会 主要メンバー
 http://www.perimetry.org/GEN-INFO/groups.htm 

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新潟ロービジョン研究会 2016 プログラム
0.はじめに
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182
 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189
 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)
 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)
3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)
4. おわりに   
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医) 

2016年11月25日

報告『新潟ロービジョン研究会2016』 2)三宅 琢
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部)  

 新潟ロービジョン研究会2016は、10月23日(日)有壬記念館(新潟大学医学部)で行いました。研究会での講演を順次報告しています。今回は、三宅琢先生の講演要約です。
 

演題:「情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア」

講師:三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)

【はじめに】
私はiPadやiPhoneといったICT(Information and Communication Technology)機器を用いたロービジョンケアをデジタルビジョンケアと称し、医療や就労の分野において眼科医や産業医の立場で2011年より5年間実践して来た。本講演では私の専門性である〝人と社会を診る医療〟について紹介した。具体的には意欲のケアとしてのデジタルビジョンケア、自らの個性を知り提案できる力であるセフルアドボカシー、障害を強みにするバリアバリューの三つのテーマを中心に5年間での学びと気づきを紹介した。 

【デジタルビジョンケアによる意欲のケア】
これまでの視覚障害者に対する補助具に当たるルーペや拡大読書器等のロービジョンエイドよる視機能の向上に加えてICT機器の活用による情報保障は、視覚障害者の視認や読書意欲を向上させて情報障害に陥ることを予防する上でとても重要な意味を持つと考える。 

デジタルビジョンケアの導入には従来の視機能の把握によるロービジョンケアに加えて、患者のニーズに当たる必要な情報を把握することが極めて重要である。例えば視力低下により出社困難となった弱視の女性の例では、iPadの前面カメラを拡大できる鏡として活用することで化粧が可能となり出社が可能となった。また背面カメラを用いた簡易式の拡大読書器としての活用を提案した事例では、爪切りや食事の補助に活用がされた。こられの事例より患者のニーズや困難さは患者の中にしかないため、患者教育に加えて患者から学ぶ姿勢の大切さに気付かされる。 

また読書に関する意欲ケアでは拡大よりもテキスト情報をデジタル化することで文字の書体やサイズ、文字や背景の色調、構成等が適正化されることが何より重要である。デジタル情報であれば適宜音声読み上げ機能等も併用することが可能なため読書の方法の選択肢が広がる。これまでは障害に合わせて生きる時代であったが、情報はデジタル化された現在では情報を障害に合わせる時代へと変化したと言える。 

全盲者へのiPhoneを用いた情報保障では情報の可視化が重要である。ある全盲者の活用事例では、複数の国を移動する際の困難さとしての紙幣の識別をiPhoneの背面カメラを用いた紙幣識別のアプリケーションソフトウェア(以下アプリ)で紙幣情報を音声化することで可視化し困難さは解消された。この事例を通した学びは視覚障害者が困難に感じるのは、視機能の低下に加えて生活に必要な情報の取得が困難であることである。また適切な情報保障のツールとして、ICT端末と日々登場する生活情報を可視化する安価アプリ群はとても有用であることを伝えている。 

【自己権利擁護としてのセフルアドボカシー】
中途で視覚障害者となった労働者へのICT機器を用いた合理的配慮の事例では、視機能の評価に基づく適切なロービジョンエイドとICT機器の選定と特別利用の許可、支援支援施設等の情報提供の重要性について解説した。 

また配慮の必要性の医学的根拠の取得方法や具体的な対策方法の提案等は、当事者本人が自身の機能低下と改善方法を産業医、企業内産業保健スタッフ、眼科医等とともに考えることで実現可能な配慮の提案をする力(セルフアドボカシー)の重要性を紹介した。障害者の就労や就学における合理的配慮の提供が義務化にともない、今後セルフアドボカシーに関する教育の啓蒙の重要性は増すと考えられる。 

【障害を強みにするバリアバリュー】
私の知人の中途失明の精神科医は、精神科に通う患者の表情や外見が見えなくなることでより患者の感情の揺れを声で評価することが可能になったと語った。バリアバリューの概念においては、視覚情報を損失することで得られる聴覚や触覚、嗅覚の機能向上を強みにすることを検討している。産業医は企業内で労働者に関するさまざまな就労上のアドバイスを行う職務をもち、今後産業医の企業内で活躍がバリアバリュー事例を増やす上では需要であり、企業や業界の枠を超えた成功事例の共有が行える場の提供が必要であると考える。 

【おわりに】
視覚障害者である患者にとってのQOLに直結するQOV(Quality of Vision)の向上に必要なケアは、屈折矯正や眼科的治療だけではない。患者は教科書であると言われるように、患者のニーズは患者の中にしか存在しない。丁寧な問診を重ねることで患者のニーズに耳を傾けて、患者に聞くという姿勢を持って、彼らの視機能に加えて困難さにも関心を持つことが重要である。

 情報時代に適合した情報保障の一つとして、ICT機器によるデジタルビジョンケアは一つの医療の形であると私は考える。障害者や患者という名前の人間はおらず、彼らが不便であっても不幸にしないためには、人の意欲と社会(環境)を診る産業医が必要であり、患者を治すよりも患者自身が治る医療の形をこれからも産業医、眼科医として追求し続けて行きたいと思う。
 

【略 歴】
 2005年 東京医科大学医学部 卒業
 2007年 東京医科大学眼科学教室  社会人大学院
 2012年 東京医科大学眼科学教室  兼任助教
 2013年 東京大学先端科学技術研究センター 人間支援工学分野 特任研究員
 2014年 神戸理化学研究所 網膜再生医療研究開発プロジェクト 客員研究員
     株式会社ファーストリティング 産業医  

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三宅 琢先生の紹介】
 彼の語るロービジョンケアは、夢があります。聞いていてワクワクします。そして常に将来を見据えています。「障害を武器に」と彼が語ると、そうだなと納得できます。医学医療をはみ出した活躍をする三宅節は注目です。 

 

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新潟ロービジョン研究会 2016
 
日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部)
0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
    http://andonoburo.net/on/5171

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)

4. おわりに  
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2016年11月24日

報告『新潟ロービジョン研究会2016』 1)橋本伸子
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 

 新潟ロービジョン研究会2016は、10月23日(日)有壬記念館(新潟大学医学部)で行いました。研究会での講演を順次報告致します。今回は、橋本伸子さんの講演要約です。 

演題:『看護師が関わるとこんなに変わるロービジョンケア』
講師:橋本 伸子(看護師;石川県 しらお眼科)

【講演要約】
Ⅰ.はじめに
 多くの方は、ロービジョンケアというと、眼科医や視能訓練士が中心となると考えていることと思う。しかし、実は多くの職種の方がさまざまに関わる事ができる。そしておのおのの立場でケアに加わることで、広く深いケアになる。 

Ⅱ.看護師が関わると何が変わるの?
1)ケアの視点
 看護師はケアのプロである。かつ、患者さんの意見や不満を、よく聞く立場にあることを強く意識している。それは、ロービジョンケアの領域でも同様だ。私達看護師が関わったなら、まず最初に出てくるのは、見えにくくなってからの排泄の自立、栄養や清潔の保持など生活の自立についてだ。

 なぜなら、私達には、初めから自立支援のための援助が叩き込まれている。残存機能を活用して、地域でいかに自分らしく自立して生活していけるか。それは、私達が他科で経験している脳血管障害の後遺症で麻痺が残った方への援助や、脊髄損傷で車椅子で生活をするための援助と全く同じ考え方なのだ。 

2)羞恥心を伴う排泄ケアにも踏み込む
 私達が、まず最初に考えるのは、もっとも人に頼みたくない排泄の自立だろう。こういう羞恥心を伴う問題にも当然のニーズとして踏み込める。皆さんは、自分の勤務する職場や駅などでトイレに使いにくさがないか考えた事があるだろうか?トイレの流し方に戸惑った経験はないだろうか?

 従来のスタンダードなタンク横のカランが付いてるタイプ以外に、手動及び自動センサー、あるいは壁にパネル式のボタンがあったりと、流し方が多様化している。なぜなら、JIS企画では、触知記号の位置や意味が決まっていない。決まっているのは、起点になるボタンにマークを使用するとの方針のみだ。そのため、触知記号をどのボタンに採用するかはメーカー独自の対応となっている。

 これでは、慣れた場所のトイレ以外は使いにくい。トイレの不安があると外出が億劫になる。そのため、活動が低下している場合に、要因の1つとして排泄に対する不安が無いか、真剣に考えなくてはいけない。 

3)視機能だけではなく、その人全体を総合的に捉える
 見えにくくなったという訴えがあり、視機能に変化はない時、私たちは、生活のリズムや質に変化がないだろうかと考える。睡眠はとれているだろうか?食事はとれているだろうか?体重減少はないだろうか?他の基礎疾患の有無、コントロール状態はどうだろうか?と考える。

 食事についても、クロック式の配膳ということばかりでなく健康に必要な栄養が取れているかという視点で考える。生活背景や環境、生活習慣、家族での役割、経験値などを含めた視点で考える。 

Ⅲ.私が行っているロービジョンケア
 私が多く関わるのは、見えにくさを訴えられる成人のケアだ。大切にしているモットーは『人にお願いする事が1つでも減るためのケア』であり、自立を妨げる支援にならないように注意している。

 具体的にどんな事をしているの?と問われると特別なことはない。例えば、皆さんは、ご存知だろうか、目の前にいる患者さんが、どうやって通院しているか?朝、起きてから病院に到着するまでの生活を?

 私達看護師は、患者さんのニーズを良く知っている。気軽に話せる関係性を日常から築いている。何か私にできる支援はないか?というスタンスではない。逆である。こちらが学ぶ姿勢である。彼らがやってのけている日常生活から知恵と工夫を拝借する。それは、今、不便を感じているかたのニーズと合致する事が多い。そのコツをメッセンジャーとして伝授していく。そこで、また一緒に考え、新しい工夫が生まれる事を共に楽しみながら行っていく。例えば、ルーペの固定が上手く出来ない時は、ルーペの達人の技から学んだり、手の癖を見てコツ要らずの小道具を作成したり、小銭の仕分けの工夫や、毎日買い物には行けなくても困らない作り置きメニューの工夫、学校や町内会の役員のこなし方や、雨の日に白杖と傘で両手が塞がる時の工夫などと学ぶことは多い。現場だからこそ得られる情報である。つまりは、教えるケアではなく、教わるケアなのである。 

Ⅳ.おわりに
 看護師の行うケアとは、目の前の人が何か困っていないか、どうしたら良いかを毎日毎日気に掛け、解決法を一緒に考えて他人(先輩)から学ぶことの繰り返しである。

 看護師が関わると視点が変わるように、他(多)職種が関わる事で、より細やかなロービジョンケアが行えるようになり、ロービジョンケアは発展し拡散することができる。今回タイトルを『看護師が関わると』としたが、これは、例えば『栄養士が関わると』や、『内科医が関わると』『〇〇が関わると』と何でもありである。自分に出来ることに置き換えてると、多くの細やかなロービジョンケアが生まれる。その(他)多職種連携と拡散こそが大事であり、これから必要になってくると考えている。 

 

【プロフィール】 橋本 伸子(看護師;石川県 しらお眼科)
 1991年〜1996年 リハビリテーション加賀八幡温泉病院 外来勤務
          (現在の名称は、やわたメディカルセンター)
 1997年〜2015年 2月 眼科わじま医院勤務
 2015年3月〜  しらお眼科勤務
・3人の子供を持つ母
・「視覚障害者ITサポート友の会」メンバー
・平成25年度石川県バリアフリー社会推進賞福祉用具部門 優秀賞(iPadコロコロ号)
・2016年 i see Working Awards 就労アイデア『価値変換賞』
 ロービジョンケアは、いつもお世話なってる地域の皆様への恩返しであり、町医者に勤務する私にできる地域還元だと考えてる。 

【橋本伸子先生の紹介】
 看護師はケアの専門家。橋本さんによると、「ロービジョンケアがケアであるなら、看護師の力は必要なはず。しもの世話でも何でもやります。看護師は、健康維持、栄養や排泄、清潔保持さらにはセルフケア支援を行うことが出来ます。すなわち視機能だけでなく、全体として捉え残存機能を最大限にいかすことが出来るのです。」
 私は、いままでこんなことを言った看護師を見たことがありません。正論を堂々と言える人。開業医の看護師であり、かつ地元でiPad活用教室を主催する。ご本人は意識していないが、Think globally, act locallyを地道に実践中。
 彼女が将来の日本のロービジョンケアを変える一人であることを確信しています。ご注目ください。

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新潟ロービジョン研究会 2016
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 

0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)
 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)
3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)
4. おわりに  
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)